「あの、ちょっといいかな」
 四限が終わったあと、購買にパンを買いに行こうとしたところで、後ろから望月に呼び止められた。僕が立ち止まると、彼はきょろきょろ辺りを見回して、ほっとしたふうに胸を撫で下ろした。駄目出しをするアイギスの姿がないことに安心したようだ。
「お昼、予定ある? お弁当とか持ってきちゃった?」
「いや。今から購買に行こうかと思ってたところ」
 そう言うと、望月はぱっと顔を明るくした。彼がそういう顔をする度に僕はなんだか意味もなく顔が熱くなるので、できれば控えてもらいたい。
「そう、よかった。あのさ、お昼一緒しない? 屋上ででも」
「うん、いいけど」
 僕は頷いた。






「……その、お弁当作ってきたんだ。君に、食べてもらいたくて」
 望月は照れたみたいな顔で、恥ずかしそうに言った。僕はちょっと驚いた。
「俺に?」
「うん。えへへ、ちょっと自信あるんだ……」
「……そ」
 お前は女子かよと言ってやりたかったが、僕は黙って頷いた。すごくくすぐったい感じがする。
 十一月も終わりに近い。冷え込んだ屋上には、天気があまり良くないせいもあるのか、僕らのほかに生徒の姿はない。
 僕はふと心配になって、望月の手を見た。ちょっとはましになったかと思ったが、やはり手にいくつか赤い線がある。僕は溜息を吐いて彼の手をぎゅっと握った。
「えっ、あの」
「……望月。また怪我してる。なんでそうお前はもう、ちゃんと手当てしろって言ったろ? いちいち人を心配させるな」
「う、うん。ごめ……」
 望月は恥ずかしそうに俯いた。僕は「じっとしてろよ」と言ってやっておいて、彼の指に消毒薬を塗り、絆創膏を貼ってやった。
「きつくないか?」
「うん、大丈夫。ありがとう。それにしても、君すごく手際良いね。お医者さんみたいだよ」
「べつに、普通。慣れてるから。真田先輩とか天田とか、順平も。ちょっと怪我したくらいじゃすぐ治るとか言って全然手当てしないし、ほっとけないだろ」
「そ、そっか。君のとこ、寮生みんなすごく仲良いよね……」
 望月はちょっと寂しそうに笑った。
「僕が入り込む隙間なんてないみたいだ」
「何を言ってるんだか」
 僕は望月の頭を叩いて、肩を竦めた。呆れた奴だ。
「みんなお前のことが好きだよ。僕だって、その、嫌いじゃないし」
 僕はしょげている望月の頭を撫でてやった。構われなくて寂しがって凹むなんて、本当に子供みたいだ。僕はちょっと笑って「腹減った」と言った。
「弁当、食っていいんだろ?」
「あ、う、うん! どうぞ!」
 望月は妙に勢い込んで頷いた。そして僕をじいっと見つめている。これはちょっと具合が悪い。もしかして望月は、僕が飯を食っている間じゅう、こうして僕を観察しているつもりなのだろうか。
 妙に可愛い包みを開け、弁当の蓋を開いて、
「……望月……」
 僕は脱力した。
 ごはんの上にふりかけでハートマークって、これは一体なんだ。その上海苔で『LOVE』ってなんだ。新婚夫婦の愛妻弁当かなにかだろうか。
 僕はここが教室でなかったことが、心底喜ばしいと思った。本当に良かった。
 ともかく、ハート型に型抜きされた人参とハンバーグから、僕はゆっくり望月に視線を移した。何でもハート型にすれば良いってわけじゃない。まあ愛情というものはくどいくらい感じられたけど、これはいくら漢の僕でも教室のなかではどうしても食えそうにない。
 望月は緊張しきった顔でいる。この間の試験の結果が貼り出された時に廊下に集まっていた生徒たちと、おんなじような顔をしている。
「……望月。これちょっと恥ずかしいんだけど」
「い、いやだった?!」
「いや……嫌とか、そう言うんじゃなくて、……いや、いいや。いただきます」
 僕は諦めて手を合わせた。
 箸で弁当を突付くのを、望月はすごく嬉しそうににこにこしながらじっと見つめている。
 なんだか気恥ずかしくなってきて、「あんまり見るな」と言ってやった。でも望月は「うん」と頷くだけで、僕から全然目を逸らさない。
「あ……卵焼き、美味い。お前ちゃんと料理できるようになってるんじゃないか」
「ほ、ほんとに? えへへ、うん、まあね。頑張ったもの!」
「……美味いと、思うけどその、あんまり味とか分からないから」
「え?」
「だから味とかわかんなくなるから、あんまり見るなって言ってるんだよっ……」
「あ……うん、ふふ……」
 望月はすっと僕の胸のあたりに手のひらを当てて、すごく幸せそうな顔になった。彼は口元を緩ませながら、「ドキドキしてるね」と言った。
 なんだか僕は望月にそんなふうにされるとすごく悔しくなる。子供っぽいくせに何を言っているのだ。
 何か言ってやろうと思って口を開けたところで、望月の腹がぐうっと鳴った。僕はふと気になって、彼に訊いた。
「お前、自分の昼飯は?」
「……いや、そのね。これが僕の精一杯っていうか。その、ひとりぶんはできたんだ。でもあとは、その」
 望月は弱りきった顔で、力なく微笑みながら頭を振った。
「爆発したり消し炭になったり」
「…………」
 僕は溜息を吐いてうなだれた。ほんとに望月のこういうところはどうにかならないものだろうか。自分のことなんて、彼は全然思いもよらないって顔をしているのだ。
「……弁当、これ、食えよ」
「あ、ううん! 僕は君に食べてほしくて、だからすごくがんばって、」
「半分。すごく美味くできてる。お前も食えよ」
「う」
 望月は空腹と戦っているようだった。僕は肩を竦めて、箸で半分に切ったハンバーグを摘んで、望月の口もとに持って行ってやった。まったく、何で僕がここまでしなきゃならないんだろう。
「食わせてやるから」
「え、う……うん!」
 望月は、今度は勢い良く食い付いてきた。僕は呆れながら、こいつは随分可愛い奴だなと考えていた。なんだかコロマルの相手でもしているような気分になってくる。
 僕らは綺麗に弁当を半分こして、たいらげてしまうと、手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った。
「ど、どうだった?」
「ん、美味かった。ちょっとびっくりした。お前頑張ったんだな、料理」
「う、うん、うん……」
 望月は半分泣きそうになりながら何度も何度も頷いている。僕に誉められたくらいで、どうやったらここまで嬉しくなれるんだか、僕にはさっぱり分からないが、全然嫌な気分にはならない。くすぐったくて、ちょっと気恥ずかしくなる。
 でも僕は頭を振って、「でももうあんまり無理するなよ」と言っておいた。
「気持ちはすごく嬉しいけど」
「あ、め、迷惑?……だったかな、もしかして……」
「そんな訳ない。でも自分の手見てみろ。僕のためなんかにお前がそんな怪我することはない。一人分が限度みたいだし」
「う、そ、それは……でももっときっと上手くなるから」
「うん」
 僕は頷いた。望月の熱意は認めてやっているのだ。彼は何に関してもすごく一生懸命だ。
「たまにでいいよ。……明日からは、僕が作ってくるから」
「え?」
「……お前の、分も。その、ふたりぶん。僕は手なんか切らないし。……嫌か?」
「と、と、とんでもない! すっごく嬉しい! ありがとう! たっ、楽しみにしてるね?!」
「……別に楽しみにされるくらい上手くもないけど」
 僕は、感激したらしく(何がそんなに嬉しいんだかわからない)目に涙を浮かべながら抱きついてきた望月の背中を撫でて、「大げさだなお前は」と呆れてやった。
「僕といてなにがそんなふうに嬉しい? 良く分からない」
「嬉しいに決まってるよ。僕は君が大好きなんだから。――ね、その、僕らってさ、今さ、その」
「なに?」
「こ、恋人同士みたいだよね。一緒にお弁当食べて、こうやってふたりで……」
 望月は自分の言っていることに照れているみたいで、俯いて顔を真っ赤にしている。なんだか微笑ましい奴だなと僕は考えた。
 僕は望月を初対面では、もっと余裕のある男だと思っていた。気障で女の子を見るとすぐに口説きに掛かるのだ。でも彼は子供みたいに素直なのだ。
 僕はひどく照れ臭かったが、望月から目を逸らして、「そうかもな」とぼそぼそ言った。
「え……ほ、ほんとに? うん、そうだよね!」
「ああ……おいもうお前、いい加減にしてくれ。恥ずかしくて死にそうだ……くそっ」
 僕は半分自棄になって、望月の額に唇を付けた。彼はいちいち恥ずかし過ぎる。こんなの大したことじゃないのだ。
 立ち上がり、呆けた顔をしている望月に目をやって、僕はできるだけそっけなく聞こえるように言った。
――さっさと戻るぞ。ここは寒い」
「う……」
 望月は涙目でぷるぷる震えて、大声で喚きだした。
「きっ、キスした、いま?! わっ、わああっ……わあああん、僕、もっ、死んでもいいかも……!!」
「こっ、このくらいでなに言ってんだ。こんなのぜんぜん、大したことなんかないんだからな」
 ほんとに望月は恥ずかしい男だと思う。
 でもおんなじくらい、僕も恥ずかしい奴だ。どうしようもない。








戻る - 目次 - 次へ