「遅かったな」と真田先輩が言った。寮へ戻ると、ラウンジの時計は二十一時近くを示していた。ストレガに呼び出された後、僕はアイギスに、シャガールのクリームソーダとアーモンドタルトを御馳走していたのだ。
 僕に付き合ってくれた礼と、武器扱いしてしまった詫びも込めてだ。
 僕はあまりアイギスを兵器として扱うことが好きじゃない。なんだかひどく悪いことをしているような気分になってくる。
 アイギスは当たり前のことのように「構いません」と言ってくれたが、なんだか僕が嫌なのだ。気持ちの問題なのだと思う。いつも僕の傍にいる、まるきり人間みたいな彼女を、道具扱いする気にはなれなかった。
 ラウンジにはいつものメンバーが揃っていたが、順平の姿がなかった。目で訊くと、桐条先輩が「部屋だ」と教えてくれた。
「友人が来ているらしい」
「そうですか」
 僕は頷き、買い物袋を抱えてキッチンに向かった。最近外食は控えているのだ。きちんと自炊を始めている。たぶん望月の影響なんだろうなと僕は漠然と考えていた。周りに一生懸命な奴がいると、僕も頑張ってみようかなという気になってくる。
「アイギス、鯖の味噌煮食う?」
「いただきます」
「うん」
 二人分の夕食を作って席についた。
 順平が降りてくる気配がないことを悟った上で、僕はそばにいた仲間たちにぼそぼそ報告した。
――ストレガに呼び出されました」
 真田先輩が飲み掛けていたミネラルウォーターを吹き出した。天田はカップのコーヒーを漫画雑誌の上に零している。山岸と岳羽も、紅茶を咽に詰めたらしく、激しく噎せている。桐条先輩はいつも通り落ち付いたものだった。さすがに驚いたらしく、硬直していたが。
「おっ、お前はどうしてそういう大事なことを、今日の天気の話みたいに簡単に扱うんだ!」
「そうですよ! 大体あなたは言葉が足りなさすぎます!」
「い、いきなりなに?! ちょっとそれ、どういうこと?!」
 みんなに怒られた。僕は味噌煮を突付きながら、「はぁ、すみません」と謝った。
「……それで君は我々に声も掛けず、ひとりで応じたのか」
 桐条先輩がすごく静かな声で言った。これはかなり怒っているなと僕は思った。別に仲間を信頼していない訳じゃないが、時期が時期だ。先日襲撃があったばかりなのだ。僕は頷き、「ひとりで来い、らしいです」と言った。
「あんまり急だったので。それに今は、あまり順平がいるところでストレガの話はしたくありません。もし俺が彼の立場にあったとしても、かなり頭に血が上っていると思います。突撃馬鹿の順平が、おとなしくしている訳がない。きっとひとりで突っ込んでいくに決まっています」
「……まあ、そうだな。君がそう判断したのなら、それが最善だったんだろう。アイギスを連れて行っただけ、まだましだと思おう。それで、用事は何だったんだ?」
「それが良く分からないんです」
 僕は正直に言った。
「ストレガにスカウトされまして。欠員が出たのでサポート役につかないかと誘われました」
 真田先輩がまたミネラルウォーターを吹き出している。僕はさすがに眉を顰めて、先輩に忠告した。
「真田先輩、かなり汚いですよ。毒霧攻撃の練習がしたいんなら風呂場でどうぞ」
「ちがっ……お前がとんでもないことばかり言うからだろうが! プロレスラーじゃあるまいし、俺はそんなことはしない! そ、それでどうしたんだ。まさかOKしてないだろうな……!」
「先輩は俺を何だと思っているんですか。俺は一応、仮にもリーダーを任されています。最低限の責任感というものは持っています」
「そ、そうか」
 真田先輩はほっとしたようだ。まったく彼は僕を何だと思っているのだろう。
「しかしお前、サポート役なんかできるのか?」
「……やったことはないですが、たぶん。サポートタイプのペルソナさえ装着すればできると思います」
「まったくお前は、何かにつけて器用貧乏だな」
「先輩、貧乏は余計です」
 他のメンバーも、どうやらすごく驚いているみたいだ。目を丸くして僕を見て硬直している。
 僕は食事を終えると席を立った。アイギスはまだ味噌煮と格闘している。どうやら小骨を取る作業に没頭しているようだ。あまり魚を食べ慣れていないのだろう。彼女の鋼鉄の歯なら魚の小骨くらい簡単に砕けるだろうが、そうやって不器用に骨と身を選り分けている様子は、なんだか人間らしくて微笑ましかった。
「そう言えば山岸、機械のことに詳しかったな」
「あ、え? うん、はい」
 山岸が慌てて頷いた。僕はポケットから携帯を取り出し、彼女に差し出した。
「パソコンみたいに、携帯もハッキングできるものなのか? 俺はそこまで詳しくないから良く分からないんだが、あいつらから俺のアドレスに直接メールが来たんだ。覗かれてるみたいでちょっと気分が悪い」
「え、あ、ちょっと見てみて良いですか?」
「ああ」
 山岸は僕の携帯を開いて、メールの受信ボックスを覗いた。別に覗かれて恥ずかしいメールは来ていなかったと思う。
「あ、これですね……『今日十七時、ポートアイランド駅広場はずれまで一人で来て欲しい。復讐代行人』――なんか、お願い口調ですね」
「ああ。奴ら、なんだか昔から俺を知っているような口振りだったが、俺はあいつらのことなんか知らないからな。だがもしかしたら身近にいたのかもしれない。子供のころの同級生の顔なんて、ほとんど覚えてないし」
「そうですね……あ、別に携帯はこのまま使っていて大丈夫だと思います」
「そうか、良かった。ありがとう」
 山岸に礼を言い掛けたところで、僕は彼女が弄っているノートパソコンのモニタに妙なものを見付けた。人間が写っている画像データだ。
 赤いブラウスにチェックのジャケットを羽織っていて、ミニスカートの下にストライプのニーソックスを履いている――僕だった。女装している。背景は隣町のプラネタリウムのエントランスホールで、画像の中にいる時間を切り取られた僕は、人待ち顔で柱に背を預けてぼんやり突っ立っていた。
「……山岸、なにそれ」
 僕は悲鳴を上げかけたが、済んでのところで止まり、ポーカーフェイスを維持しながら彼女に訊いた。こんな時だけは、何を考えているのかわからないと言われる僕の表情のない顔がありがたかった。
 山岸は笑って「綺麗な子でしょ」と言った。
「今度ネット上のコミュニティで、港区の特集冊子を作ることになったの。ケーキが美味しいお店とか、お洒落な服屋さんとか、いっぱい載せてね。私、今までこういうの、苦手だったんだけど……でも自分から入って行かなきゃ、なにも始まらないって気付いたの。だから一番得意なことでお手伝いしようと思って。画像の編集中」
「……うん」
 山岸にしてはすごい進歩だと思う。僕は「すごいな」とか「頑張ってるな」とか誉めてやるべきところなのだろう。でもちょっと待って欲しい。なんでそこに僕の一生の恥のあの姿の画像があるんだ。
「……それは?」
「あ、うん。「ミナト・ガールズ」ってタイトルでね、街のお洒落で綺麗な女の子の写真を載せるんだって。男の子のページもあるんだけど、女の子は女の子が編集したほうが、変にやらしい感じにならなくていいって。この子、すごく綺麗よね。服もお洒落で……いいなあ、私なんてぜんぜんだからすごい憧れちゃう」
 それは男子のページに載せられるべき人間だと僕は言いたかった。あんまり目立たない僕なんかがそんなところに載せられる訳もなかったが(服にだってろくに金を掛けていないのだ)、そんな恥ずかしい姿を不特定多数の人間に晒さないで欲しい。
 それとも山岸は分かってやっているんだろうか。冊子が発行された際には、僕の写真に『港区のオカマ』とかいうタイトルが付けられているのかもしれない。
――肖像権とかは大丈夫なのか?」
「あ、そうだよね。調べてみる」
 僕が苦し紛れにそう言うと、山岸はふいに気付いたように手を打って、そうだそうだと言っている。写っている本人は、頼むから止めてくれと泣きそうになっているんだと、僕は彼女に伝えたい。もし止めてくれるんなら、真田先輩じゃないが、僕は彼女の靴だって舐めるだろう。首輪を付けられても我慢する。本当に勘弁して欲しい。泣きそうだ。
「ほんと、綺麗な子ー。カワイイよね、彼氏待ちかな? すっごい恋しちゃってますって顔してるよね。カワイイー」
 岳羽が山岸のパソコンを覗き込んで、感心したふうに言った。あんまり可愛いとか言わないで欲しい。恋なんかしてない。それよりなんで誰も気付かないんだ。
 僕はストレガでもなんでもいいから、山岸のパソコンにハッキングでもなんでもして、データを跡形もなく破壊してくれないかなと心底願った。
「あれ? これ、ちょっとキミに似てない?」
「そうか?」
 しげしげ顔を見つめてくる岳羽に、僕はすっとぼけたが、なるべく無表情を装いながらも、背中にびっしり冷汗を掻いている。あんまり僕を見ないで欲しい。
「もしかして妹とかいる?」
「さあ……いたような、いないような」
「なにそれ。家族の構成くらいちゃんと覚えときなさいよ」
「……家族のこと、あんまり覚えてないから」
「あ」
 岳羽は僕の境遇が彼女と似通っていたことに思い当たったようで、口を抑えて『まずった』という顔をした。
「あ、ご、ごめん……」
「……いい」
 僕はそっけなく頷いた。いくらひどいことを言われてもいいから、できればこの話題から離れていただきたい。
「そ、そうだ、ねえ、もしかしたらこの子、キミの生き別れの妹かなんかだったりしてね。良く似てるし」
「確かにすごく似てますね……この辺に住んでるのかな。今度投稿してくれたひとに聞いておきますね。ほんとに兄妹だったりしたら面白いですね」
 女子は二人でわいわい言っている。僕はほんとに勘弁して下さいと泣き付いてしまいそうだった。それは僕の姉でも妹でもなくて、女装した僕自身なのだ。ばれたら多分変態だと罵られて蔑んだ目で見つめられる。僕を呼ぶ時も「オカマ」としか呼ばれなくなるのだ。泣きそうだ。
 逃げ出したい気分でいると、ふいに二階から大きな物音が聞こえてきた。
「なんだ……?」
 ちょうど僕の部屋のほうからだ。何にせよ、何が起こったって今の話題よりは随分ましだ。僕は素早く階段へ向かった。





◇◆◇◆◇





 僕の部屋の中からガタガタと物音が聞こえる。泥棒かなにかだろうかと、僕は用心し、召喚器に手を掛け、扉を開いた。
――誰だ?」
「うおっ!」
「わ!」
 面食らったような男の声が二人分聞こえてきた。僕は彼らの顔を見て、なんだかまた嫌な予感がした。順平と望月だ。単品ではあまり害はないのだが、彼らがセットになると途端にろくでもないことを仕出かすのだ。
「……何をやってるんだ、お前ら」
 僕は、寝そべった恰好で僕のベッドの下の隙間に身体を捻じ込んでいる順平と、それを除けようと彼の足首を掴んで引っ張っている望月に、本当に状況がわからなくて唖然とした。なんでこんなふうに面白いことになっているのだろう。
「いいいいいやその、エロ本チェックなんてしてないっスよ?!」
「そそそそうだよ、してないよ! 年頃の男子がエッチな本の一冊もベッドの下に隠してないなんて不健康で君の身体がすごく心配だなんて思ってないよ! おまけにパソコンの履歴がニュースサイトと音楽のダウンロードサイトだけなんて信じられないって唖然ともしてないよ! ……あの、差し出がましいかもしれないけど、僕その、教えてあげようか? いろいろ」
「バカッリョージっ」
 たまに僕は彼らのテンションについていけないことがある。なんだか怒る元気もなくなってしまって、僕は溜息を吐き、「散らかすなよ」と言った。桐条先輩の言っていた順平の友人っていうのは、やはり望月のことだったらしい。彼らは仲が良いのだ。
「ところでその、とりあえずリョージ連れてってくんねえ?」
「どうした?」
「いやお前ベッドの下ベッドの下」
 僕は理解して「ああ」と頷いた。僕のベッドの下にはタルタロス行きの装備が詰め込まれていたはずだ。明らかに銃刀法違反だし、知らずに触ってアギラオジェムなんて暴発させたら大変なことになる。
「……望月、プリンでも食う?」
「あ、食べる食べる! いただきます!」
「え、ちょ、それもしかしてオレの、」
 順平が泡を食っているが無視して、部屋から望月を餌で釣って引っ張り出した。どうせ家捜しの言い出しっぺは順平なのだ。
「順平、あとで捻る」
「お前なんかリョージに甘くてオレに厳しくねぇ?! 連帯責任はないのかよ!!」
「気のせいだ。望月もちゃんと怒る」
「う」
 望月はびくっとして、怯えたように僕を見た。それから情けない愛想笑いをして、「ごめんね」と言った。
「でもなんでバス停なんか部屋にあるの? 酔っ払って持って帰ってきちゃったって話は聞いたことあるけど」
「……順平」
「すんませんっした! だってあんなもん堂々と置いてるなんて思わなかったんだもん!」
「じゃあどこに置くんだ。言っておくが、俺に四次元ポケットはないぞ」
 僕は部屋のなかに順平を残したまま扉を閉め、望月の肩を掴んで、ゆっくり彼に言い聞かせてやった。望月がなにかやらかした場合、僕の声は自然子供に言い聞かせるようになってしまう。どうも上手く憎めない男なのだ。何があっても。
「いいか? 勝手に人の部屋を家捜しするなんて良くないことだ。誰にだって知られたくないことくらいあるし、見つかったお前も見付けちゃった俺も気分が良くないだろ。今度から順平に変なこと誘われてもついてくんじゃないぞ。馬鹿が感染する」
「やっぱりひいきだってええええ!! お母さんかよお前は!?」
 部屋の中からすごく不満そうな声が聞こえるが、知ったこっちゃない。僕はふと思い当たって、望月に訊いてみた。
「……まさか女子の部屋を覗いたりしてないよな?」
「うん。まだ。今から行こうって言ってたけど」
「やめろ。他に罪状は」
「真田先輩の部屋も、パンツ一丁の男性が出てくる雑誌ばっかりで面白くなかったよ。天田くんはポケモンが好きだよね」
「忘れろ」
「なんでみんなえっちな本読まないのかな? 順平くんの部屋すごいんだよ。スライド式の本棚の奥にシークレット・スペースがあって――
「順平! お前子供になに見せてんだ!!」
「いや、そいつオレらと同い年じゃん……」
 順平が不服そうに言い返してきた。うるさいのだ。順平のくせに生意気だ。
「でも君の部屋、初めて来た気がしないんだ。なんだか懐かしい感じがした」
「……まあ、良くある部屋だからな」
「うん……」
 望月は、変な顔をしている。なんだか腑に落ちないといった様子だ。
 僕は肩を竦め、望月の背中を押してラウンジへ降りた。順平の買い置きのプリンは今日で絶滅させてやる。







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