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望月の手が、僕のヘッドホンに触れる。彼はちょっと首を傾げて、「君はいつもこれ付けてるよね」と言った。 「音楽を聴いてる時も聴いてない時も。お守りみたいなものなのかな」 「……触ってると、なんか安心するんだ。なんでか分からないけど」 「じゃ、外さないほうがいいかな」 望月は微笑んで、「キスをしても良いかな」と言った。 「うん」 「……舌、入れても?」 「うん……平気」 僕は大分照れ臭くて、俯いたまま返事をした。そういうことはいちいち訊かないで欲しい。僕は了承したのだ。 「目、閉じて」 頷くと、望月の白い手が僕の顎を上げて、唇にあの柔らかい感触が触れた。以前あったように、ほとんど事故みたいにそうした時や、ふたりで出掛けた際のものとは、なんだか決定的に違っていた。 キスなんかなんてことないふうだったり、僕をあやすようだったりはしなかった。僕を気遣う余裕も見て取れず、望月はそれを自分で恥じているような感じだった。でもすごく一生懸命で、僕はそれを悪く感じることはできなかった。 僕は望月のシャツの裾を握って、恐る恐る唇を開けた。自分のものじゃない他人の舌が口の中に入ってきて、僕の歯を舐めたり舌を噛んだりするのは、やっぱり背中がぞわっとなるくらい緊張する。 別に望月が僕の舌を噛み切ったりするわけはないが、僕の中に、浅いところとは言え誰かが侵入してくる感触はちょっと馴染まない。眉間を寄せていると、望月が僕の強張りを解すように、僕の手のひらをゆっくり撫でてくれた。 「ん、」 僕は目を開けて、大丈夫だと伝えようとした。麻酔でも掛かっているように口の中が痺れてきたが、大分苦労して舌を動かして、望月の舌を舐めた。 すると彼は、びっくりしたように震えて僕を見た。ちょっとの間目を丸くして、それから照れ臭そうな顔になり、僕の舌を吸った。ちょっと待って、と僕は言おうとした。息ができない。 望月は口の中まで僕と似たり寄ったりの温かさで、触るところから僕らはひとつに繋がってしまうんじゃないかという、漠然とした不安や、僅かな期待めいたものが沸き起こってくる。 なんで僕は、男なんかとキスしてるのに嫌じゃないんだろう。何度も考えたけど、いまだになんでだか分からない。理由もないのに、僕はただ気持ち良くなる。ちょっとだけ、嬉しいかもしれないなんてことまで考える。 ようやっと望月が離してくれた頃になると、口のまわりは唾液でびちゃびちゃになっていた。僕は大きく口を開けて、新鮮な空気を吸い込んだ。酸欠で頭がぐらぐらだ。死ぬかと思った。 「ばっ……か、加減しろ、よ。窒息死、するかと」 「……僕もなんか、死にそう。ドキドキし過ぎて、どうしよこれ、心臓大丈夫かな」 望月はぽーっとなって、僕とおんなじふうに苦しそうに呼吸しながら、胸に手を当てている。僕は望月を軽く睨んで、「バカ」と言ってやった。あんまり恥ずかしいことを言わないでいただきたい。 「ね」 「……ん」 「胸、触りたい。触ってもいいかな」 「ん……ないんだけど」 「うん」 女子みたいに柔らかくもないし、掴めもしないから、マシュマロみたいな感触を期待しているなら僕には無理な相談だ。運動部とタルタロスで鍛えているから、真田先輩に「まあやる」と誉められるくらい僕の身体は硬い。 でも望月は幻滅することもなく、僕の胸に柔らかく触る。腹と腰にまで手をやって、「舐めても良い?」とかとんでもないことを聞いてきた。 「お前はおかしいよ」 「いやかな」 「……お前がいやじゃなければ」 僕は結局望月から目を逸らして譲歩してしまう。許可したのは僕なのだ。でもだからって、こんなふうにことあるごとに訊いてくるのはやめて欲しい。恥ずかしくて、頭に血が上って、僕はのぼせてしまいそうになる。 「いちいち許可取るなよな」 「でも僕、君の嫌がることしちゃうかもしれないよ」 「僕はそんなに往生際悪くない。……望月、は、その……たぶん、僕の嫌なことしないと思う。だから大丈夫」 「……君は優しいなぁ。そんなだから僕は、ますます君にのめり込んじゃうんだ」 「はあ? そ、そういうこと言うのやめろ、よっ……」 また恥ずかしいことを言われてしまった。顔を上げて「バカ」と言ってやろうとしたところで、本当に胸を舐められた。 「うわっ、バカ!」 「きょ、許可は取ったよ?」 「う、ん、いいんだ、けどっ……」 僕の顔は多分真っ赤になっていたと思う。望月も真っ赤だ。僕らはふたりとも男で、セックスなんかしたってしょうがないのに、妙にやらしい気分になってきて僕は困惑した。 「こっ、子供デキるわけでも、ないのに」 「うん?」 「何やってんだ僕ら。なんか僕、お前のせいで、すごいやらしい気分になってきてんだけど……!」 「わかんないけど、僕はただ君に触りたくてしょうがないんだ。どうしようもないんだ。触らなきゃ、僕は干乾びて死んじゃいそうなくらい、僕は強く君のことを求めているんだよ」 望月はちょっとくすぐったそうな顔で微笑んで、「君も僕を感じてくれてるんなら、僕はすごく嬉しい」と言った。 「だから別に、子作りがしたいわけじゃないんだ……君が女の子ならたくさん欲しいと思うけど。僕は君にたぶん、僕は今ここにいるよってことをすごく強く感じて欲しいんだと思う」 彼の言葉は、相変わらず端々まで一生懸命だ。そこに僕は、隠しようのない、途方に暮れてしまいそうなくらい強い不安を感じ取る。 僕には、望月が何をそんなに怖がっているのか分からない。でも彼が何かに怯えているのだと考えると、僕はすごく焦って、僕のほうが途方にくれてしまう。 それはやるべき重要な役割を果たせなかった時のものに似ている。タルタロスでシャドウの攻撃がもろに直撃して意識が白んでいくあの感触や、宿題を広げて机に向かったところで眠り込んでしまったあとの朝のような、立ち直れ立ち直れ、僕がなんとかしなきゃならないんだと自分を叱咤するあの気持ちだ。宿題に関してはもうお手上げになることが多いが。 僕は同い年の望月に対して、どうしてこんなふうに感じてしまうんだろう。 僕は自分でも自覚しているくらい薄情で冷たい男なのだ。他人のために親身になることができない。それが僕の基本的なスタンスなのだ。だから良く順平に突付かれる。 僕はなんで、望月のことになると、いつものように自分と他人という考え方ができなくなるんだろう。 今だって、僕には妙な趣味があるわけじゃない。この前男に襲われそうになった時には本当に死にたくなった。 僕は普通に女の子が好きなのだ。クラスでだって友人たちと「やっぱり年上がいいよな」とか、「月光館は女子のレベル高いよな」とかいうとりとめのない話をしているし、それはまぎれもない本心なのだ。ただあんまり人受けの良くない僕が、真田先輩や望月みたいにモテないだけで。……たぶん、順平よりはましだと思うけど。 だから初めてのセックスの相手が男っていうのは、どうにも問題があるはずなのだ。なんで僕は嫌じゃないんだろう。触られて、望月の手や唇の感触が気持ち良いなんて思うんだろう。 僕は望月のことが好きなのかなと考えてみた。もちろん友人としては、僕は彼のことが好きだ。いい奴だし、一緒にいると安心する。それとは違うふうに、例えば僕は望月に恋をしているのかなと考えてみた。 でもなんだかそれも違うような気がする。僕は望月のことを考えると、すごく苦しくなる。胸が詰まって、息ができなくなる。心臓をぎゅっと鷲掴みされたような気分になる。彼が笑うと僕はわけもなく泣き出したくなる。 恋っていうのはきっともっと幸せなものなんだと思う。この間の順平なんか、目も当てられなかった。一日じゅうニヤニヤ締まりのない顔をして、「チドリー、チドリに会いたいぜ、チドリチドリ」とか浮ついた声で言い続け、たまに奇声を上げて意味もなくクルクル回転する。多分僕があのストレガのチドリという少女だったら、間違いなく気色悪いから止めろとぶん殴っている。彼女の忍耐は尊敬に値する。 恋ってのはたぶん、そうやって周りから呆れられるくらい幸せなものなんだと思う。だから僕のは違うんだと思う。 望月といるといい気持ちだし、『楽しい』や『嬉しい』を強く感じる。でも同時にすごく『痛い』し『苦しい』。泣きたくなる。身体が焼けたり、肉が裂けたりすることに慣れている僕が、我慢ならないくらい。 「痛い?」 望月が心配そうに僕を覗き込んでくる。僕は「うん」と頷いた。 「……望月が僕を求めてるとか言うと、なんだか僕はすごく苦しくなる」 「……いやかな……?」 「ううん。嫌じゃないんだ。でもなんでだろう。すごく、泣きたい、なんか」 望月は自信がなさそうに、おずおず訊いてきた。 「……う、うれしい、とか……」 僕はちょっと考えて、「うん」と頷いた。僕は確かに嬉しいんだと思う。 望月はすごく驚いた顔になって、震え声でぼそぼそ言った。 「……泣きたい、くらい、う、うれ、しい……?」 「……う……ん。――え?」 僕は頷いておいて、自分でびっくりした。嬉しくて泣けるなんてなんだかすごく変だ。 「あ、あれ? なんで僕、なんだこれ」 僕は混乱して、望月の顔を見た。僕には不思議でならなかった。嬉しくて泣きたい、確かにそんな感じなのだ。なんで望月は、僕にも分からない僕の感情と言ったものに上手く言葉を当て嵌めることができるんだろう。 「も、望月? なんでお前、分かるんだ。僕の考えてることとか読めるのか? 僕にも分からないの、に」 言い終わる前に思いっきり抱き付かれた。同じくらいの体重の男に上から押し潰されるような格好になって、「重い」と文句を言ってやろうと口を開けたところで、またキスされた。 「ん……んん、うぅ」 舌を口の中に突っ込まれて、掻き回されて息ができなくなるあれだ。僕は望月の肩を叩いて『苦しい』と訴えた。でも彼は離しちゃくれない。どうやら別に僕の心が読めるわけでもないらしい。 ようやく解放されたと思ったところで、僕はまたびっくりして引き攣ってしまう羽目になった。腹の筋を辿って、臍なんか舐められたのだ。望月は本当に何を考えているんだろう。 「ちょっ、望月、どこ舐め……わっ」 白い手がつうっと腹を辿って降りてきて、ズボンの上から僕の股間を握り込んだ。僕は思わず悲鳴を上げそうになったが、どうにか飲み込んで、望月のシャツを引っ張った。 「バカ、どこ触ってんだっ……あんまり、変なふうに、さわんな、よ」 「ん……すき、」 答えになってない上に、やめようともしない。誰かに性器を握られるってのは、服の上からだとしても、すごい衝撃なんだってことを僕は初めて知った。自分で触るのとは訳が違うのだ。 「やめろって、勃っちゃ……だっ、ろ」 僕の声は、自然弱々しいものになってしまう。なんだかまるで命乞いでもしてるような声だったから、情けなくて恥ずかしくてたまらなくなってしまった。 「もち、づきっ、頼むから」 「ん、」 望月は頷いて、僕のベルトの金具を外し、ズボンのジッパーを下げた。いや、そうじゃないんだと僕は言いたかった。僕は止めてくれと言いたかったのだ。急かしているわけでも、もっと強くしてほしいと言いたかった訳でもない。 僕が顔を真っ赤にして唇をわななかせているうちにも、望月は僕の下着をずらし、微妙に赤くなっている僕の性器を指で摘んで、 「……え」 僕は馬鹿みたいに口をぽかんと開けたまま、その光景を見ていた。望月は全然躊躇することもなく、僕の性器を口のなかに入れたのだ。 「え、ええええええ……! ちょっドコ舐めっ、こらっ、汚いから、変なモノを口に入れるな、ペッしろバカーッ!!」 僕はたぶんちょっと泣いていたと思う。こんなのってあんまりだ。恥ずかしすぎるし、信じられないし、自分で『変なモノ』とか言ってしまって微妙に凹むし、もうさんざんだった。 慌てて望月の頭を掴んで引き抜こうとしたところで、彼の口のなかで舌で転がされる感触があって、僕はうめいた。へなへな力が抜けていく。 「う、んん……だめ、だってもちづ……あ、」 僕は震えながら顔を両手で覆った。声も震えていたと思う。それはほとんど泣き言みたいになっていた。 太腿の内側に身体を割り込まされて、性器をすごく丁寧に舐め上げられていく。かたちが変わって、大きくなっていくのが僕にも分かる。目を閉じて手で覆ったって、僕の身体のことだ。嫌でも知ることになる。 時折指で揉まれたり摘まれたりするたびに、僕は小さく悲鳴を上げて震えてしまう。望月は料理をすれば手を切るような、どうしようもない不器用な奴だと思っていたのに、彼の手の動きはすごく優しくて、柔らかくて繊細だ。 だからどんなふうな触りかたでも、それは全部僕を気持ち良くしてしまう。痛みはなく、そのせいで僕はどんどん呑み込まれていく。 コールタールの底無し沼に顎まで浸かって悲鳴を上げている感じだった。頭の中で僕はずっと「これはやばい、まずい」という自分の警告を聴いていた。 でも望月の舌が、濡れていて、僕の体温と同じぬくもりが動くたびに、頭にバケツを被されてバットで思いっきり殴られたらこういうふうになるんだろうなというくらいに目の前が白んで、ぱっと火花のようなものが散る。 不器用なくせに、僕への触りかたは全然不器用じゃない。なんだかずるい。望月はまるですごく昔から僕の身体の全部の感じ方を心得ているような感じだった。 「あ、やば……だめ、もちづき、ぼくっ、くるし……」 性器が張って、すごくじんじんしている。熱くなって、心臓よりも強く脈打っている。僕は苦しくてたまらなくて、思い通りにならない身体が切なくて、ぎゅっと目を閉じる。熱くて篭っていて、息ができない。吐き出したいけど、でも、 「……んん、イっ、て、いいよ? ガマンして、どうして」 「だ、って、くち……なか、うぁ、出しちゃ……」 「ん、いいから」 先端を摘んでキスされたところで、僕はひどく心許無い、高いところからふわっと放り出されたような感覚を味わった。ぱあっと目の前が白んで、背筋を伝って射精の感触ってものが、全身に染み込んで駆け抜けていった。それは強過ぎて、気持ち良いのか何なのかも分からない。 「……あっ」 「……?」 射精後のひどくぽっかりした気分でぐったりしているところに、望月の間の抜けた声を聞いて、僕はゆっくり顔を巡らして、固まってしまった。 「ごめ……失敗、しちゃった……」 望月はすごく申し訳なさそうな顔をしている。言う所の意味を、僕はすぐ理解することができた。彼の顔は僕の放った精液でべたべたに汚れていたのだ。 「の、飲み込もうと思ったんだ。ちゃんと。でもタイミングが上手くいかなくて」 「…………」 僕は僕の体液まみれになっている望月の顔を見ていると、また変な気分になってきた。さっき出したばかりで縮んでいたくせ、また下半身が熱くなってきた。僕は項垂れて望月に謝った。 「……ごめん」 「え? い、いや、謝るのは僕のほうだよ。ごめんね。もったいないね」 「いや、そうじゃなくて……うう」 僕は自分の身体の若さと率直さを呪った。もしかして僕もかなりその気になってるんじゃないだろうか。望月はなんで男相手に、とか考えているくせ、僕自身も望月相手に欲情してるんだろうか。死にたい。 僕は手を伸ばして、望月に「悪いんだけど」と言った。 「起きるの、手伝ってくれ。なんか身体に力が入らない」 「う、うん」 助け起こしてもらって、僕はベッド脇のティッシュ箱に手を伸ばした。望月の膝に乗り、「大丈夫か」と訊いた。 「目に入ったりしてないよな」 彼の顔を拭おうとして、柔らかく手を掴まれて引き止められた。どうしたのかと思えば、望月はなんだか恥ずかしそうに顔を俯かせている。 「あの……お願いが、あるんだけど、いいかな」 「ああ」 「僕の顔さ、その、舐めて、綺麗にしてくれないかな」 僕は望月の額を叩いた。 「だ、ダメかなっ……?」 「ダメに決まってるだろう! お前は、僕がせっかく悪いことしたなって反省してるのになんでそういうことを言い出すんだ。嫌だぞ、自分が出したの舐めるなんて」 望月は目に見えてしょぼくれた顔になっていく。僕は咽が詰まってしまって、でもここで負けちゃいけないんだと思い当たり、「絶対に嫌だからな」と強く言った。 「そ、そんな顔したってダメだからな。絶対しない。ぼ、僕は嫌なんだ」 「…………うん」 「う……ダ、ダメだ、からな」 僕は悪くないはずだ。いや、僕が悪いが、だからってそこまでしてやる義理はないはずだ。自分の精液なんて飲みたくない。 でも望月のげっそりした顔つきを見ていると、なんだか僕は彼を苛めているような気分になってきた。 「い……嫌なんだぞ、僕は、ほんとに」 僕は半分自棄になって、そうするには大分精神的な抵抗のようなものがあったが、望月の頬に飛び散っているどろっとした体液を舐めた。 「え、」 「……う……マズ……」 苦くて、生臭い。僕は気持ち悪くなってきて咳込んだ。これなら山岸の青汁を何杯もおかわりするほうが随分ましだ。望月は良くこんなものを飲もうなんて思ったものだ。 見ると、望月は妙に目をきらきらさせて、頬を紅潮させている。僕は顔を顰めて「なんだよ」と言ってやった。元はと言えば彼が望んだことなのだ。 「う……うん」 望月は顔を真っ赤にして、気恥ずかしそうにしている。かなり嬉しいみたいで、口元が緩みきっている。こいつは本当に分かりやすくて可愛い奴だなと僕は思った。子供みたいだ。やってることは、全然子供じゃないくせに。 |