親猫みたいな気分になってきた。汚れた子供の顔を舐めて綺麗にしてやっているのだ。僕は何をやっていても、こうやって望月には子供に接する気分になってしまう。やっていることに関わらずそうだ。
「……目、閉じろよ」
「うん」
 僕は望月の瞼を舐める。皮膚が薄くて、皮の下の血管が青く浮き出て見えている。口のなかに青臭い味が広がっていく。まったく僕は自分が情けなくなってくる。どうしようもない。
 望月はくすぐったそうに顔を舐められながら、ちょっとでも僕に触っていないと気がすまないのか、両手で膝の上に乗っかっている僕の尻を触っている。いや、もう揉んでいる。その度に僕は震えて、息を詰まらせてしまう。
「ね、指もいい?」
「……ん」
 僕は望月に差し出された手を取って、口に入れた。彼の手はすごく白くて繊細だ。そしてすごく不器用だ。でもそれに関しては、今はちょっと認識を改めそうになっているが。骨ばっていてそんなに柔らかくはない。これは女子の手じゃない。
 僕は望月の指の節を舐めながら、彼の顔を見た。どういうことを考えて、彼は僕にこんなことをさせるんだろう。
 そして止めときゃ良かったとちょっと後悔した。望月は酔っ払ったみたいな顔でぽーっとなっている。僕を見てそんな顔をしないで欲しいと、切実に思った。また変な気持ちになってくる。
「……バ、バカ。なんて顔、してんだ」
「うん……君が、あんまり綺麗で、見惚れてた。ごめん」
「は、はぁ?」
 僕は上擦った声で「バカ言うな」と言おうとした。でも望月の恥ずかしい台詞は今に始まったことじゃないし、僕ばっかり恥ずかしがっているみたいなのも癪だった。だから黙って、また望月の頬を舐めた。
「……きれいに、なってきた」
「うん」
 望月は自分で綺麗にしろなんて言ったくせに、なんだか残念そうな様子だった。彼は気持ち良さそうに顔を舐められながら、濡れた指でまた僕の尻に触った。でも今度は、触るだけじゃなかった。僕の中に、
「……わ、」
「うん?」
「え……な、か? あっ……入っ、て」
「怖がらないで。ちゃんと、やさしくするからね」
 僕はきっとすごく不安そうな顔をしていたんだと思う。望月は怯える子供に手を差し伸べるような優しい声で、「大丈夫だよ」と言った。
「……ん」
 彼はまた、すごく一生懸命な顔だった。だから僕は頷けたんだと思う。全身が震えるのが情けなかったけど(僕は今までどんなおぞましいシャドウを前にしても上手く恐怖を感じることができなかったのだ)、望月に微笑み掛けられると、僕はなんだかほっとした。今はいつも彼の笑顔を見た時のように、苦しいとは感じなかった。
「はじめて……なんだもん、ね。きっと怖いと思う。ごめんね。でも君がはじめてを僕にくれたのが、僕はすごく嬉しくてたまらないんだ」
「女子じゃ、ないから。そんなの……」
 大したことじゃないと言い掛けて、僕はまた息を詰めた。望月の指が僕の中の深いところに呑み込まれていくのが、感触で分かる。なかを拡げるように蠢くのも。
「っわ……もちづき、なんか、やだ、これ」
「うん、怖いね。ごめんね」
「……っく、もち、づ」
 かたかた震えながら彼の名前を呼び掛けたところで、キスされた。彼の目は『大丈夫だから』と『ごめんね』を僕に強く訴え掛けてきていた。
 僕は目を閉じて、頷き、望月の背中に腕を回してぎゅっと抱き付いた。そうすると、似た体温を持った僕らの身体は、まるでほどけてひとつの生き物になったみたいに思えた。
 僕のなかを探る望月の指もそうだ。僕にはもう、上手く境界を認識することができなくなってきている。
 でも望月は微笑んで「君のなかはあったかいね」とか言っているから、そうでもないのかもしれない。わからない。
 そうして触れ合っていると、僕の性器に布越しに硬くなった感触が当たって、僕はぼおっとした頭のまま、恐る恐る手を伸ばして、そいつに触れた。
「っわ!」
「……え」
 僕に触っていた望月が、びくっと跳ねた。目を丸くしていて、すごい過剰反応だ。僕がびっくりして硬直していると、彼は顔を真っ赤にして噛み付いてきた。
「さ、触っちゃダメ……だよ、僕すごく我慢してるんだから……!」
「あ……ごめ、」
 つい謝ってしまって、でもだんだんおかしくなってきて、僕はちょっと笑ってしまった。
「……はは」
「……笑わないでよ」
「お前、ばっかり、余裕があるんだって……なんか、僕が変にされてばっかりだって、ちょっと腹立ってたけど」
「今の君を見て平然としてられる人がいたら、見てみたいものだね」
「バカ、なにわけわかんないこと言ってんだよ」
 僕はなんだか、すごくくすぐったくなってきた。望月に微笑み掛けて、そうだったんだ、と言った。
「……なんだ、そうなんだ」
「うん……」
「……そっか」
 僕はちょっとにやにやしていたかもしれない。望月も笑っている。彼は僕の腰をゆるやかに撫でて、もういいね、と言った。
「もう、大丈夫だね」
「……ん」
 僕はまだ大分気恥ずかしかったが、俯いて、頷いた。
「息、吐いて」
「ん、」
「痛かったら、爪立てていいから」
 僕は緩く首を振った。多分、もし切れ味の鈍い包丁で何度も何度も薙ぎ切られるような痛みがあったとしても、僕は望んで望月を傷付けることはないんだろうなと漠然と思った。僕の痛みは僕ひとりで完結するもので、望月にまで負わせちゃ可哀想だ。
 そして、緩やかに身体が開かれていく。体温よりも随分熱いと感じた、硬くなった肉が、僕に突き刺される。少しずつ、間違いなく入っていく。
――あ」
 僕は痛みよりも、そんなものが本当に僕の身体に入り込むことができるんだという驚きと不安を強く感じる。そう、びっくりすることばかりだ。男同士でもこんなふうに本当にできるんだということ、望月が本当に僕を求めていたこと、それも性別の薄い印象がある彼が、男として僕に欲情していたことだ。
 失礼な話だとは思うが、僕は望月が僕と同年代の男として僕を抱いているということが、ひどく驚くべきことであるように思えた。まったく僕は彼を何だと思っているんだ。彼はあどけない子供じゃない。女好きだし、僕の腰を支える手にも危なげはない。身体はまぎれもなく大人のものだ。僕を犯すくらい。
「……うぁ、あ……んん、もち、づ……」
「ごめんね、怖がらないで。ちゃんと僕に掴まってて。大丈夫」
 大分ゆっくり時間を掛けて、僕の身体は望月を根本まで受け入れた。確かにかなり痛いが、我慢できないわけでもない。裂けるでもない。でも腹の中から焼かれているみたいだ。僕は焼けた金串に尻から頭まで突き刺されて、網の上で炙られている焼鳥みたいな気分になった。膝ががくがくになって、僕は望月の膝の上にぺたんと座り込んだまま、身動きすることができない。
「平気……? 痛いかい?」
「ん、あつ……すごい、あつい、」
「ごめんね」
 望月が、半分泣きが入っている僕の背中に腕を回して、強く抱き寄せて、背中を撫でてくれた。そうされると密着して、さっきよりも繋がりが深くなって、僕は微かに悲鳴を上げたが、大分落ち付くことができた。望月に背中を擦られていると、僕はすごく安心した。
「君のことが、すきだ。僕はこんなことばっかりしか君にできない、けど、君が好きで好きでたまらないんだ」
「んっ、あ……う」
 『バカ』と言ってやる余裕もないのが恨めしかった。そんなことをまたすごく一生懸命な顔をして言うから、僕はどうにも変な気分になってしまう。望月はずるい奴だと思う。僕がそんなふうに強く求められると、また泣きそうになってくるのが分からないのだろうか。
 何度もキスされて、ベッドに押し倒された。上に乗られて組み伏せられる格好になると、僕はなんだか、望月も男だったんだなと今更変な感慨を抱いてしまった。そう考えると変に胸が騒いできて、組み伏せられて背中が妙にぞわぞわするなんて、僕はもしかしたらマゾなのかなとか考えてしまって、ちょっとげっそりした。そんなことはないと思いたい。
 太腿を大きく広げられて、腰を両手で掴まれる。望月がゆるやかに腰を引くと、中から抜かれる感触が、背筋を伝って頭まで直撃した。
「ひゃ……!」
 僕は身体を竦めて悲鳴を上げた。ぎゅっと目を閉じ、震えて、望月の手に頬を触られて怖々目を開けると、彼はすごく締まりのない顔で笑っていた。
「すご……かわいい声……」
「え……!」
 僕は慌てて口を抑えた。でもすぐに望月が僕の手に触った。彼はじっと僕の目を見つめながら、すごく真面目な顔で言った。
「ダメ。声、聞かせて」
「……もち、づき……っ!」
「お願いだよ」
 『お願い』とか卑怯だ。でも僕は手を降ろして、自分の身体が情けないくらい震えていることを知りながら、じっと望月を見上げた。僕が頷く前に、彼は咽が詰まったみたいな息を零して、また僕へ深く潜ってきた。
「あ……あ、」
「ごめ、僕、ほんと、ダメなやつでごめんね……も、我慢、できな、っ」
「あぁ、ちょっ、うぁ……待、……は、ぁっ」
 急にたがが外れたみたいになって、望月は随分乱暴に僕を揺さ振った。腹が壊れそうになった。でも痛みよりも不思議な感覚が広がっていく。それはすごく熱い、大きな火に焼かれるイメージだ。ぽっかり開いた不安の穴の際に立たされているような気分になって、僕はほとんど本能的に望月に強く抱き付いた。
「もち、づきぃ、……ふ、あぁあっ、うぁああ、ぼくっ……」
 僕は酸欠の魚みたいにぱくぱく口を動かした。そして、何かを言おうとした。それはすごく切羽詰まった欲求だった。
 僕は多分その時、『たすけて』と言おうとしたんだと思う。まるで僕の芯まで焼かれて灰になってしまいそうなくらいの熱さのなかで、僕は僕を見失っていた。何か大きな渦のようなものに意識を飲み込まれそうになっていたのだ。僕はひどく怖くて、でも言葉は出てこなかった。まるで絶対に言っちゃいけない言葉としてそれが存在するような感じだった。
 望月はまた『大丈夫だよ』と言いたげな目で、僕を見つめていた。その目を見ていると、僕は急にひどく悲しくなってきて、自分がまるでものすごく重い罪を犯したような気分になってきた。漠然としたものじゃない。それは確信だった。僕は強い衝動に突き動かされて、僕を犯す望月にさらに強く縋り付いた。
――あぁっ、ごっ、め……ごめん、もちづきっ、ごめんな、……ごめん、な、さ」
「どうして、君が……? ひどいのは、僕で」
「うっ、わから、な……うぅ、あ……あぁ、ひっ、……んん!」
 僕はどうしてだか分からないけど、泣きじゃくっていた。今までないくらい、多くの涙が僕の頬を流れていく。まるで決壊した川みたいに、とめどなく流れていく。顔が、目が、すごく熱い。
 でも僕は泣きながら確かに感じていて、熱の篭った喘ぎ声と泣き声が一緒になって、もうどうしようもない状態だった。僕自身ではどうしようもないのだ。救いようがない。
 望月もたぶんすごく困っているだろうと思う。彼は呼吸を乱しながら、僕の涙を舐めて、苦しそうに「泣かないで」と言った。
「ごめんね、ここ、ちゃんと、いるから」
「……っ、んんっ」
「ほんとに、ひどいことしかできないけど、僕が、君を守るから」
「ふ、ぁっ、あっ」
「すき、」
 彼の声はいつもよりも一生懸命で、ずっと必死だった。僕が僕自身の得体の知れない感情を持て余しているように、望月もまた、彼のなかの何がしかの心の動きに翻弄されているようだった。
 彼は確めるように、僕の一番奥へ入り、僕を強く抱き締めて、ひどくほっとしたような溜息を零した。
「なんでだろ……僕っ……君のなか、知ってる……すごく、安心する」
 そしてすごく静かな声で、「ずーっとこのままでいたい」と言った。それは僕の胸の深いところへ染み込んできた。
 ほんとにそうだと僕は思った。僕は、すごくいい気持ちだった。身体だけじゃなく、僕の心も、望月に触っていると、奥のほうまで犯されているような感じだった。
 僕が長い間感じていた、抜けるように青い、なにもない冬の空を眺めている時のような、わけもなく悲しくなってくる孤独感や寂しさと言ったものが、急速に薄れていくのだ。僕はひとりじゃないんだと感じる。そして僕はそのことが死んでしまいそうなくらいに嬉しい。
「あ……融け、る……?」
 僕は熱に浮かされながら、望月をじっと見上げた。ほんとに融けてしまったみたいだ。僕らがひとつになってしまったみたいだ。そんなことがあるはずないのに、僕はその錯覚に縋り付きたい気分だった。
 望月も僕を見つめて、微笑みながら頷いた。
「うん。大好きな人とひとつになるっていうのは、融けちゃいそうなくらい、気持ちがいいことなんだね……」
 僕は急に、さっきから強く感じている気持ちが、更に膨らんできたのを感じた。『嬉しい』と『泣きたい』だ。僕はもう惨めなくらいに泣いて震えていたのに、これ以上どうしろって言うんだろう。僕はもう十七歳の、高校二年生の男だから、子供みたいに大声を張り上げて泣き喚くわけにはいかないのだ。もし望月がそれを赦しても、僕が僕を赦せない。
「好きだよ、きみが、好きだ。ほんとにほんとに、君に望まれるなら僕は、っ、僕は何にだってなれる。だから、」
――んっ、もち、づ……りょー、じ……っ! はぁっ、りょーじ、……す、きぃ」
 それはすごく自然に僕の咽から零れてきた。『綾時がすき』、まるで昔から今まで何回も何十回も、それよりもずっとずっと多く、何度も繰り返してきたように馴染んだ言葉だった。
 僕は望月を名前で呼んだことなんかないし、こんなに必死に『好きだ』と言ったこともない。でもそれは当たり前のことのように、僕の身体と記憶に染み付いていた。子供の頃毎日読んでいた絵本を久し振りに開いた時のように、懐かしい感触だった。
「名前、っ、……すき、って」
 綾時は驚いたように軽く目を見開いて、それからたまらないくらい嬉しいことがあったように笑って、僕の中でまた動いた。
「あ、りょう、りょー、じぃ……っ」
「きみはそこにいるだけで、どうしてこんなふうに、僕を泣きたいくらい嬉しくしてくれるんだろ……」
 綾時は眉を寄せて、泣き笑いみたいな顔で「すきだよ」と言った。
「ごめん、ねっ、も、イキそう……っ、」
「んっ」
 僕の中ですごく熱い感触が生まれた。どろっとしていて、それは僕に染み込んで、僕をゆるやかに融かす。僕自身が吐き出した精液が腹の上に溜まっている。
 体温は同じだ。僕らはまるで下半身で繋がったところからひとつになったみたいだった。そこから、どろどろに融けていく。僕には子宮なんかないのに、腹の中に妙にぽっかり空いたスペースがあって、まるですべてがそこに収束していくような感じがあった。
 綾時が僕を抱き締めてキスをする。舌を舐めあって、でも僕はもう息ができないことなんか気にならなかった。
 僕らの舌は絡み合ったままどろっと融けていく。抱き合ったかたちのまま、僕らは融けていく。
――あれ?)
 僕はちょっとした違和感を覚える。でもそれもすごく些細なことのような気がする。僕はこうなることをずっと待っていたような気がする。望んでいたのだ。
 元々こうだったのに、何かの間違いが起こって、僕らは離れ離れになってしまったような気がする。元通りに還るだけなのだ。なんにもおかしいところなんかない。
 僕らはどろどろ融けていく。そして僕はまた、些細な疑問を覚える。
 ふいに変化した景色のこと、暗い緑色の室内、一気に凍り付いた空気、壁から溢れ出して床を濡らす血のような赤黒い、得体の知れない液体。大気から染み出してきたコールタールのような、かたちのない蠢く肢体。僕らのベッドの周りを取り囲んで、嬉しそうに身体を捩っている。まるでキリストの生誕を喜び祝う東方の賢者たちのように。
『……なんで、綾時? おまえ……』
 僕の声は、僕の頭の中に篭ったように響いた。でも僕自身、本当はそんなことはどうでも良いのだ。僕らは融ける悦びに身を寄せ合っている。
 だから何故綾時が、影時間の訪れと共に、ごく普通の人間たちのように象徴化しないのかというちょっとした疑問も、きっとどうでも良いことなのだ。
 そして僕らは影の中でひとつに融ける。








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