「あなたは求められることだけを行う」
 そうだと僕は思う。僕は求められることだけを行うから、望まれるものでいられる。生かされる。でも本当のところ、その約束事は僕の中では生命よりもずっと重いものだった。僕のかわりはいくらでもいるのだ。
 僕は目を開ける。僕の目を覗き込んで、サードが「とても良いですよ」と言っている。
「その目、とても良い。久方ぶりに見ました。どうやら以前のあなたに戻ってくれたようですね」
「やっと正気に返りよったわ。ホンマに世話焼けるやっちゃなぁ」
 僕は名無しの貌無しだ。望まれることを望まれるままに行う。





◇◆◇◆◇





「クリームソーダひとつ」
 僕が注文すると、カウンターの向こうで麺を湯がいていた店主が、ものすごく嫌そうな顔をした。
「ねぇよそんなもん。……残念そうな顔すんなよ! そんなに飲みたきゃ喫茶店行けよ。うちはラーメン一筋なんだよ」
「では、私はミックスジュースを」
「だから聞けよお前ら。うちはラーメン屋だつってんだろ。舐めてんのか? 鍋島ラーメンを舐めてんのか?」
「す、すんません、こいつら頭おかしいんですわ。特製三つ頼んます」
 ジンが恥ずかしそうな顔で、慌てて三人分のラーメンを注文した。
 微妙に昼時を過ぎると、巌戸台駅近くにあるラーメン専門店『はがくれ』の店内は割合空いていた。僕らは三人でカウンターに並び、ぼんやりと座っていた。
「ところでジン、今の台詞は聞き捨てなりませんね」
「そうだぞ。頭がおかしいって言う奴がおかしいんだ。禿げろ」
「あああもう、じゃかましわ! なんやねんなクリームソーダにミックスジュースて! 子供かいな! 黙って麺食えや!」
 ジンが冷水をグラスに注いで、勢い良く僕らの前に並べていく。騒がしいが、見掛けに寄らず彼は面倒見が良いのだ。昔からそうだ。
「それより兄さんら、学生だろ? 学校サボってラーメン食ってて良いんかい?」
 店員があきらかに店内の雰囲気から浮きあがっている格好の僕らを見て、話し掛けてきた。客が少ない時間帯だったから、暇なのかもしれない。もしくは、僕らがひどく胡散臭かったのかもしれない。放っておけばいいのに、ジンが愛想笑いを浮かべながら律儀にそれらしいことを答えている。
「いや、わしらフリーターなんですわ」
「私は救世主です」
「僕は大きくなったらフェザーマンになりたい」
「だぁっとれ! お前らがそんなんやからこないだかて頭いかれとる言われてアパート追い出されたんやろが!」
「そんなことがあったのか。まったくお前らはどうしようもないな」
「ええ、この通りジンがうるさくてね。近所迷惑だと家主に怒られまして」
「……なんかお前らめっちゃムカツクねんけど……!」
 ジンが奥歯をギリギリ噛み締めながら唸っているが、僕らは取り合わないでおく。彼は喋りたがりなのだ。構っているとキリがない。





「宇宙人に半裸にヒットマン……まったく最近の若いモンはキテレツな恰好ばっかりしよって……」
「しっ……センスってもんは個人の自由なんですよ、おじいちゃん……」





 ひそひそ噂話が聞こえる。僕らはどうやら注目されているようだ。あまり良い意味でではないみたいだが。
「シックス、僕らは目立ってしまっているようだ。衣服に問題があるんじゃないか?」
「ジンやて。そやかてあんた、制服着とるわけにも行かんやろ。舐められるし、昨日の晩みたいに補導される度に逃げなあかんやん」
 ジンは全身目に痛い蛍光色の緑色だ。彼が宇宙人と言われるのは、何となく理解出来た。タカヤはこの真冬に上半身裸だ。まるで何かの我慢大会か罰ゲームみたいだ。僕はと言えば、ジンが影時間にどこかの店から盗んできた黒い皮のツナギを着せられている。ヒットマン、らしい。でも制服はダメなのだそうだ。
「もう少し目立たない格好にしてみたらどうだ? スーツとか」
「上着を着用するくらいなら、私は死にます」
「そんなつまらんことで死なんとってえな……もーホンマ頼むでもう」
「しかも替えがない」
「服なら、部屋の箪笥の中にチドリの衣装が遺っていますが」
「聞かなかったことにするぞ」
「もーアカン、めっちゃ疲れる……」
 ようやくラーメンが運ばれてきて、僕らはしばらく食事に集中した。
「……で?」
 スープを飲み干して人心地ついたところで、僕は訊いた。
「何の話」
「少々大掛かりな仕事をやっている最中でしてね。もちろんジンにも協力してもらっていますが、チドリの撹乱技能がない今は割合不便なことになっていまして」
「命令じゃなきゃ知らないけど」
「あんたも相変わらず生真面目なやっちゃなぁ。確かにわしらは今単独で動いとる。せやけど、あの用済み連中と一緒におるよりは、大分あんたの求められとるモンちゅうのに近いんやないかな」
 ジンがスーツケースから紙束を引っ張り出して、僕に差し出した。A4サイズのインクジェットプリンタ用紙だ。パソコンで製作した文書が印刷されている。
「幾月が遺したデータを掻き集めとるとこなんや。あんたの直接の担当者やったやろ?」
 紙面は半分妄想混じりの文章でびっしり埋まっていた。所々に覚えのある単語もいくつか混ざっている。『十三番』、『母胎』、『四月六日:巌戸台分寮への移動を無事完了』、『滅びの到来間近』など。それから、
「『Nyx』?」
「『ニュクス』と読みます。あなたも良くご存知でしょう」
「……ああ。だが、今更僕に何をさせたい。僕の役目は終わった。僕はただの抜け殻だ。使い古しでろくに役に立たない」
「でもスイッチには反応したやん。あんたはわしらと一緒に来る気になっとる。せやろ?」
 『求められるままを行う』、僕の深いところでキーになっている言葉だ。いつ決まっていたのかは知らない。多分ドクターが決めたのだろう。新しい仕事を割り振られる際の合図のようなものだ。
「桐条のデータベースは大体覗いてみてんけど、大事なモンは大方実験事故の爆発で、滅びの塔のあちこちにばらばらに散ってしもたみたいでな」
「人工島計画文書のことか?」
「いや、なんで事故ったかとかの理由はどうでもええねん。ただこっちにあるデータの欠けを埋めたいんや。アホみたいな妄想も混じっとるけど、幾月の文書が一番信用でける。あんたに頼みたいんは、塔のサルベージやる時の統率とサポートや。昔みたいにな。見返り言うのは何やけど、三食クリームソーダ付き昼寝付きでどや」
「ジン、水分だけでは人間は生きていけませんよ」
 タカヤがまともなことを言った。
「わ、わかっとるて。ともかく、幾月は滅びを求めとった。あんたはその為に作られた。こんなん言うのもアレやけど、スイッチを押されたら、道具はなんも考えんと壊れるまで働くべきとちゃうか? わしらはそういう考えかたはでけへんし、死人は死人や。口はあらへん。けどあんたはそのほうが動き易いみたいや。そういう理由がはっきりしとるとこはちょっと尊敬できる思うとる」
「……うん」
 僕は頷いた。
「ただひとつ、追加して欲しい条件がある」
「なんや」
「クリームソーダと昼寝にチーズケーキも付けて欲しい」
「……ええけど、それくらい」
「二十センチホールで」
「ホールで?! ちょっ、それちょっと贅沢過ぎへんか?! わしらなんか最近お茶漬けしか食っとらんかってんで!?」
「嫌ならいい。二人で勝手にしろ」
「うわあああん! こいつ足元見よるうう!!」
「まあまあ、ジン。いいじゃありませんか、そのくらい。うちも最近は割と裕福なはずですよ」
「運営と宣伝でいっぱいいっぱいなんやて! 街を埋め尽くすくらいビラ刷ろう思たらどんだけ掛かる思とるのん?!」
「では私とカオナシでホールを半分ずつということで」
「それあんたも食いたいだけやん! しかもなんでわしだけハブるん?! なに、そんなに二人ともわしのこと嫌いなんか!?」
「最近宗教を始めましてね」
「へえ」
「まったく忙しいですよ。日々大体神々しい祈りのポーズを考えているだけで終わってしまいますから」
「へえ。大変だな」
「聞いてや! つかあんた、毎日部屋の隅っこで妙なポーズ取ってるだけで全然活動手伝ってくれへんやん!」
 ジンがくたびれきったようにがっくり肩を落として項垂れた。
「あああ……なんか役立たずと食扶ちが増えただけのような気が……」
「元気を出して下さい、ジン。そんな顔はあなたには似合いません」
「そうだぞ、ジン。あまり悩むと早く禿げるって聞くぞ」
「ああああ」
 彼の目にはちょっと涙が滲んでいるようにも見えた。







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