「おおお……!」
 僕らは全力で走る。ジンの顔面は蒼白になっている。今更死ぬのが怖いわけもないのに、彼は一体何が恐ろしいって言うんだろう。
「どうしました、ジン。あまり顔色が良くありませんよ」
「風邪か?」
「アホオオ! シラフで聞くことかい?! 死神に追い掛けられとったら真っ青にもなるわ、ボケェ!」
 僕らの後ろからは、鎖が擦れる音を立てて、赤いコートの死神タイプが迫ってきていた。ふわふわ浮いているくせにすごいスピードだ。両手にショットガンみたいな大きさの拳銃を構えて、僕らを極めて正確にサーチしている。
「あのコートの赤はきっと人間とかの血染めなんだろうな」
「言わんといて! そんなこと今言わんといて!」
「ああ、そう言えば昔研究所でもありましたねえ、こういう怪談話。影時間が過ぎるまでタルタロスの中にいると、突然コートにマスクを被った人物に「私綺麗?」と話し掛けられるという……」
「ポマード、ポマード、ポマード、あれおかしいな。噂じゃ三回唱えたら逃げ出すと聞いたのに」
「それ多分違う怪談!! あぁも、ホンマもんのアホどもおお!!」
 フロア移動のために、階段かターミナルを探してがむしゃらに走っていると、唐突に目の前に壁が立ち塞がった。行き止まりだ。僕は逃げたり隠れたりするのがどうも苦手なのだ。諦めて剣を構えた。
――しょうがない。タカヤ、ジン、これより戦闘に入る。腹を決めろ」
「ちょ、無理やってええ! なにこの誰よりも好戦的なサポート役?!」
 そして敵シャドウに斬りかかっていく。これは合図のようなものだった。倒すか倒さないか、逃げるか戦うかを仲間に示す一撃だ。
「あかんて! いくらお前かて死ぬて! 刈り取る者やで? エンカウント時致死率十割の死神やで!?」
「そんなことはない。僕はむしろ刈り取る者ハンターを気取っているくらいで」
「はわわわ、ちょ、死神様えらい怒ってはんでえ! 謝れ!」
 シャドウには人間の言葉がろくに通じているとは思えないが(通じていたとしても餌が何を言ったって耳を貸さないだろう)、とにかく対峙した死神はどことなくたかぶった様子で、拳銃を振り上げている。
 僕は内にある部屋の中から、いくつかのイメージを取り上げる。カードの束。今日の昼間に組んだばかりの自慢のデッキだ。
「ペルソナカード、ドローデッキ、オープン――
 頭に銃を突き付け、二枚の仮面を引き抜く。ジンがそれを悟って、あからさまに『げ』という顔をしている。
「うわああ出よったああ! ありがた迷惑なミックスレイド!」
 失礼な反応だ。たぶん以前僕が見せた(そして良くろくでもないことが起こる)、『真夏の夜の夢』のせいじゃないかと思う。確かにあれはちょっと良くなかったかもしれない。
 引いたカードの絵柄は審判と星だった。僕は引鉄を引き、僕の中のいくつかの人格を世界に解き放つ。





「食らえ」





 光の洪水が、視界を一瞬で白に染める。大爆発が起こり、次に目の前に陰気な回廊が戻ってきた時には、敵シャドウはどこにもいなくなっていた。
――死神タイプの反応消滅。終わりだ」
 乾いた拍手の音がする。タカヤが気楽に手を叩いて、「相変わらず見事なお手並みです」とか言っている。
「更に腕を上げましたね」
「さっすが『最強なる者』……無駄に昼間ぐうたら昼寝しとるだけやあらへんねんな……」
 まったくジンは失礼な奴だ。僕は無気力に昼寝をしている訳じゃない。僕自身の内に深く潜って、日々きちんと能力の強化を行っているのだ。確かに昼寝もしてるけど、でも半分程度だ。それほどだらだらしているわけじゃない。たぶん。
 戦闘を済ませると、なんだかずしっと肩が重くなってきた。カードを選んでトリガーを引いても、僕の人格は具現化しない。どうやら塩時のようだ。くたびれた。
 僕は戦闘用ペルソナを引っ込めて、サポートに徹することにする。
「……疲れた。もう戦闘無理。次シャドウに遭っても知らないぞ」
「極端なやっちゃなぁ」
「お前もサポート用と攻撃用のペルソナを肩に張り付かせて戦ってみろ。死ぬから」
「タカヤ、カオナシもうしんどいって」
「わかりました。今日はもう良いでしょう。ジン、収穫のほうはどうですか?」
「ああ、いくつかな……帰って調べてみるわ。データ埋まるとええねんけどなー」
 ようやくターミナルを見付け、エントランスに帰還し、三人で揃ってタルタロスの出口へ向かう。
 出口の周りには、僕らの他にもいくつか見知った顔があった。今夜は来ていたみたいだ。タルタロスへ潜る準備を行っている。
 頭で考えるよりも、身体を動かしているほうが楽なのかもしれないなと、僕はぼんやり考えた。普通の学生の考えるところなんて、上手く予想はつかないが。
「お疲れ、山岸」
「はい、お疲れ様です」
 山岸はいつものように笑って返してくれた。僕はひらひら手を振りながら外へ出る。影時間の、もう見慣れた蛍光色の夜が広がっている。少し冷える。後ろのほうから困惑したような会話が、微かに聞こえてきた。





「風花、誰と話してんの?」
「えっ? ……あれ? 変だな、今ここに誰か、すごく良く知ってる人がいたように……」
「ちょっ、やめてよー……場所が場所だよ」





 僕は肩を竦めて、少し間が開いてしまった仲間との距離を縮めるために、足を早めた。





◆◇◆◇◆





 僕は青い部屋を出て、ゆるやかに意識を浮上させる。現実の身体の感覚と、僕の精神が統合するにつれて、まず感じるのは骨が凍えそうなくらいの寒さだった。心がなくても、精神は、僕の自我のようなものは存在するのだ。だからこんなふうに、身体の不快感と言ったものに煩わされるのだろう。
 キーボードをすごいスピードで叩く音が聞こえる。目を開くと、相変わらずジンがノートパソコンを膝に抱えて文書と取っ組み合っている。タカヤは部屋の隅で、脚を首の後ろに回して、ヨガみたいな奇妙なポーズを取ったまま動かない。
 僕は薄い毛布から這い出て目を擦った。
「……さむ……暖房付けろよ。あるんやろ。じゃなくて、あるんだろ。あ、なんか関西弁感染った。腹立つ」
「チドリみたいなこと言うなや……そんな贅沢は許しまへんで。見てみいタカヤを。あないなカッコで平然としとる」
「あれは馬鹿には見えない防寒具を着てるんだ。僕には見える。……ああもう、ほんとに寒い」
「風邪でもひいたん?」
「そうかも」
 僕は毛布に包まって、のろのろとジンのノートパソコンを覗き込んだ。
「ドクターの文書出てきた?」
「今んトコ三つくらいかなぁ。それも名前無いからわからん。あんたも気になるなら手伝うてくれる? あきらかに電波出とる奴がそやねんけど」
「ん」
「……お駄賃は出えへんで?」
「僕が物欲だけで生きてるとか思うなよ。親切でもないけど。あの人の文書なら、僕が見たほうが分かり易い」
 僕は候補に上がっていた三つの文書を眺めて、毛布の中から腕だけ出してマウスを動かし、二つを選択する。「これとこれ」と僕は言う。
「もうひとつの方は違う。本物の妄想だと思う。『『Nyx』はピンク色で牛肉が好物。全身粘液で覆われているが、わりと敏感肌』って何だこれ。ニュクス怒るぞたぶん」
「わしも怒る思た。大分データ揃ってきたなぁ。なんかそう頑張らんでも嫌でも来てくれるみたいで良かったわ。あとはどう出迎えるかやなぁ。タカヤ、布教のことやねんけど、」
「ジン、この格好良いポーズはどうでしょう。滅びを前にした人類の喜びを表現してみました」
「黙れ。ポスターのデザインはやっぱチドリが描いてくれてたんでええか?」
「私が描いた『私の考えたかっこいい『Nyx』』画はどうなりました?」
「ああ、それは僕も描いたのに、ジンの奴がタカヤの絵と一緒にゴミ箱に放り込んでアギダインだぞ。ちょっと赦せないだろう。頑張って描いたのに」
「タカヤの『Nyx画』てアレまんま自画像やんけ。空からでかいあんたが逆さまに降りてきてるだけやんけ。ええ加減にしいや。カオナシに至っては『かっこいい僕のお父さん』て何やねんな。なんでニュクスと弁当箱持って青空の下ピクニックに行ってる絵やねんな」
「ヒーローショウを見に行ってるのとどっちにしようか半日迷った」
「アホオオ! そんなほのぼのした爽やかな滅びがあるかいな! 逆にみんな『明日も元気に生きていこ』思うてまうやろうが! わしちょっと思っちゃった!」
「タカヤ、ジンが明日も元気に生きたいらしい」
「やれやれ、ジン、あなたはちょっと覚悟が足りないようですね」
「ロクに仕事せんお前らが何を言うかぁあ?! グダグダ文句付けるんやったらちっとは手伝わんかい!」
「僕は今手伝ってるぞ」
「私も全力で素晴らしく格好良いポーズを考えています」
「あああ……もー知らん。もーイヤや。早よ人類全部滅びればいい。こいつらができるだけ苦しんで滅ぶとこ見ん限りわしはまだ死ねん」
「タカヤ、ジンは僕らの苦しんでるところをどうしても見たいらしいぞ。ひどいサディストだ」
「はい。身の危険を感じました」
「……わしホンマ、なんでこんなトコでこんな奴らと一緒におって、わしだけ一生懸命頑張っとるんやろ」
 ジンが心底疑問に感じているふうに首を傾げている。彼は溜息を吐いて、そこで自分のなかのいろいろなものと折り合いを付けたようだった。
「二人とも、今日は影時間の塔入りはナシな。溜まっとる雑用片付けたいんや」
「ええ、分かりました」
「了解」
 僕は頷いて、書類を選り分ける作業を切り上げて、寝転がり、毛布の中に頭から潜り込んだ。寒い。ほんとに風邪でもひいてしまったんだろうか。
 寝入りばなに扉を叩く音と、家賃を催促するこのアパートの家主の声が聞こえたが、僕らは静かに居留守を決め込みながら、それぞれの午後の作業に没頭していた。







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