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「ただいま」 「おう、お前も独りか? なんかすげー親近感沸くなーはは。なぁ天田」 「というか、みんないますけどね。あ、リーダー、七時からクリスマス・パーティーだそうですよ」 「あ、うん。わかった」 今日はどことなく街が浮ついて見える。クリスマス・イヴにもなると、ポロニアンモールは赤と緑のリースで飾り付けられ、色とりどりのイルミネーションが、日が沈まないうちからきらきら輝きはじめていた。大きなクリスマス・ツリーも立っていた。街全体が急に綺麗になるこの時期が、僕は子供の頃とても好きだったように思う。今になっては、そう無邪気に喜ぶことは、もう僕にはできない。 「天田クンは何をお願いしたのかな〜?」 「まったくもう、子供扱いしないで下さい。信じてませんよ、今更」 僕は順平と、彼に絡まれて嫌そうな顔をしている天田の横をすり抜け、裏口と窓をチェックする。順平が気楽な顔で、「何やってんの?」と訊いてきた。 「鍵、ちゃんと閉めとかないと。お前たちもきちんと戸締りをしていろ。気を抜くなよ。油断したらサンタさんが忍び込んでくるぞ」 「…………」 すごく居心地の悪い沈黙が訪れた。順平と天田も、ラウンジの奥でボクシング・グローブを弄っていた真田先輩も、食器を運んでいた岳羽と山岸も、本を読んでいた桐条先輩も固まっている。 やがて天田が僕の顔を上目遣いで覗うようにして見て、おずおず言った。 「あの……リーダー、僕ホントもう、大丈夫ですから。気を遣わないでいいですよ」 「……? おまえ達はサンタさんの怖さを知らないのか。なんてことだ」 「いやお前がなんてことだよ」 順平が口をぱくぱくさせている。彼は忙しなく目をうろうろさせて、ラウンジの奥にいるメンバーに助けを求めるような視線を送った。 「ちょっ……どーすんの、これ……」 「そう言えばリーダー、中身はまだ子供なんですよね」 「ああ……そうだったか」 「びっくりした」 「なんてかわいげのある高校生だ……」 彼らはすごくぬるく微笑んで、慈しむような目を僕に向けてきた。何が何だか分からない。順平がへらっと笑ってソファから手を伸ばし、僕の腰をぽんぽんと撫でて、「まあ座れよ」と言った。 「ん、キミはサンタに何をおねだりしたんかな〜? お兄さんに教えてみ……痛ッ!!」 「バカ、順平ッ! サンタさんを呼び捨てにするな!」 僕は慌てて順平の口を塞いだ。たぶん、僕の顔は真っ青になっていただろうと思う。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、本当に馬鹿だ。順平はなんて恐ろしいことをするのだ。 「『さん』付けしないで呼び捨てにすると……」 「……すると?」 「年末までに死ぬ」 「それだけで?!」 「馬鹿、当たり前だろう! 本当だぞ、嘘じゃない、冗談で呼び捨てにした部隊のフォーティーは翌日タルタロスで首を刈り取られて死んだんだ! 他にも他にも、そうやって消えていった仲間はたくさんいるんだ。最終的に残ったのは、サンタさんの恐ろしさを正しく理解していた俺達四人だけだった……」 「いや、あんまり知りたくないお前の辛い幼少期のことは良く分かったけど、……て、四人って、もしかして、」 「チドリは自分で想像図を描いて泣き出してた」 「チドリー?!」 「ジンなんかおねしょするくらいびびってた。タカヤは頭が良いから、自ら棺桶に入って象徴化の擬装をして、クリスマスの影時間をやり過ごすんだ」 「それってむしろ頭悪くないか?」 「今年もぬかりなく用意をしてた」 「まだ信じてんの?!」 「あぁああ、影時間の王サンタクロース様、順平を赦してやって下さい。こいつはバカなだけで、悪くないんです。いいやつなんです」 「さりげなくバカって言ったなお前」 順平がくたびれきった顔で、手を組んで祈っている僕の肩を抱き、ラウンジの奥の真田先輩に「なんとかして下さいよ」と助けを求めるように言った。 「真田さーん、どうしますこいつ」 「……まあアホのストレガどもの話はその辺にしておけ」 「アホってなんですか、先輩! ストレガはともかくサンタさんはほんとに恐ろしい存在なんですよ?!」 「恐ろしいとか言われてもな……」 「じゃあお前見たことあんのかよ」 「ある! ラボ送りになる前は毎年ベランダから入って来てたし、ラボに入ってからも最新のセキュリティをくぐり抜けて、影時間に俺たちの部屋の窓に張り付いていたんだ。ほんとに全身真っ赤で血染めのコートだった。必死に寝たふりをしている俺たちの顔を一人ずつ見て回って、『悪い子はいないかい?』と……ああ、なんて恐ろしい……」 「……あのー、お前んち、親が離婚したんだろ? 親父さん……つーかリョージが、お袋さんの目を盗んで頑張ってプレゼント届けに来てたんじゃねえの? フツーそうだろ。親父がサンタ役だろ。うちはそうだったぜ」 「え? い、いや。だから、綾時が死んでからも来てたから、サンタさん。そう言えばそれまでオールバックだったのが、長髪パーマになってたけど。世代交代したのかな」 「……幾月さんじゃねえの?」 「……えっ?」 「顔は? ちゃんと見たか?」 「え……うん。どっちも鼻眼鏡」 「……それはともかく、なんか思い当たることねぇの? 次の朝とかさ」 「あ……なんか一度、あんまり怖くて、サンタさんに向かって同室のみんなでアギを撃ってしまったことがあって、」 「おう。……なんかすげーガキどもだなそれ」 「次の日、なんか幾月さんの頭がチリチリだった」 「クリティカルじゃんよ。気付けよ」 「いやっ、パーマに失敗したって言ってたんだけど」 僕は慌てて弁解しようとして、「あれ」と首を傾げた。そう言えばなんだか、思い当たることが多過ぎる。その時、僕の中の何かがハジけた。 僕はしょんぼり項垂れ、ぼそぼそ言った。 「……サンタ、さん……いないの……?」 「うん……たぶん、そうじゃ、ねえかな?」 「…………そ……そっ、か……」 「順平ー!! お前は何てことを?! 子供の夢を粉々にしたんだぞ!!」 「あんなおどろおどろしい悪夢はブロークンしたほうがいっスよ!! 感謝してもらいてぇよ!!」 順平が真田先輩や岳羽たちに殴りかかられ、必死に防戦している。天田は僕の肩をぽんと叩いて、「まあそれも大人への第一歩ですよ」とか分かったふうなことを言っている。山岸がやってきて、困ったふうに笑い、「大丈夫、きっといますよ」と言ってくれている。 僕は正直すごく衝撃を受けていた。世界が壊れたくらいのショックだ、綾時。 ◇◆◇◆◇ そして、影時間がやってくる。時計の針がちょうど盤の真上で重なり、空気がどろっと澱む。壁から血のような液体が零れ出て、床に滴り、世界は淡い蛍光グリーンにうっすらと発光する。 僕はベッドのなかで、目を閉じて丸くなっている。みんなは「サンタさんなんかいない」とか言う。僕も一度は納得した。でもこうやってひとりでベッドの中にいると、途端に疑わしく思えてくる。 影時間やタルタロスやシャドウなんていう得体の知れない存在は確かにあるのに、みんなが知ってるサンタさんがいないってどういうことなんだ。おかしい、なんだか陰謀めいたものを感じる。そう考えて、僕ははっとする。 そう、これは陰謀なのだ。何かの罠に違いない。 ふいに、遠くで物音が聞こえる。僕はびくっとして、頭から布団を被った。やっぱり駄目だ、罠だ。サンタさん怖すぎる。みんなは無事だろうか。 「反応あり! 目標、トラップに掛かりました!」 「――っしゃ、捕獲成功!」 「やったね!」 「でかした天田!」 「このくらいはチョロイですね」 「うわあああん! 後生だよお! 行かせてください、あの子が僕を待ってるんだ――」 「まぁ落ち付け。我々も何も邪魔をしようって訳じゃないさ」 ばたばた騒がしい。足音が沢山聞こえる。僕は恐る恐る布団から顔を出す。みんなはまだ起きているのだろうか。遠い上のほうから物音が聞こえてくるから、たぶん作戦室か屋上あたりだろう。 何かの作戦行動なら、僕も起きたほうがいいのだろうか。でも別に僕を呼ぶ人間も現れないから、このまま寝ていてもいいのだろうか。ぼんやり考えているうちに、僕は奇妙な物音を聞く。 ずるっと、何か大きなものが壁を這うような音だ。それは僕の部屋のすぐ外から聞こえてくる。寮の外の壁だ。上のほうからだ。音はどんどん大きくなってくる。僕の部屋に近付いてきているのだ。 口の中がからからに乾いて、僕はどうするべきか戸惑う。寝たふりを続けるべきだろうか。でも、身体が固まったようになって動かない。 そうして僕が硬直している間にも、その何かは僕の部屋のすぐ外にまでやってくる。 そして窓を開けて、 「――やあ、こんばん」 「うわあああああ!!」 僕はあんまり怖くて、反射的にペルソナを召喚していた。窓の外のなにかに向かってハルマゲドンを撃つ。 「りょおおじいいい!! 年末に生殺与奪とか言ってる場合じゃねえええ!」 「あっ、食いしばった! 食いしばってるアレ!」 「良く耐えた! エクセレントだ!」 「……本当にこんなところで影時間と記憶を消している場合じゃないからな」 「馬鹿馬鹿し過ぎて死にきれませんよねぇ」 「リーダー、SPすっからかんです。今なら行けます!」 それは僕の精一杯だった。でもその何かは――ここまで来ると、考える間でもない。サンタさんだ。そいつは全身血染めの真っ赤な衣装を着て、僕が放った最強のミックスレイドにも平然と……は、してなかったけど、生きて僕の前にいる。 半月を背に、ふらふらになって佇んでいる。そいつの周りには、何体もの異形の姿がある。ぱっと見普通の着ぐるみだ。トナカイのようだった。でも今は影時間だ。そんなものがいるはずはない。 僕はもう、ベッドの隅で毛布を被って震えていることしかできない。視界がじわっと潤む。成す術はもうなにもない。 「りょうじ……りょうじいぃ……こわいよ……サンタさんが来るよ……」 「馬鹿ッ! 思いきり怯えているじゃないか!」 「あああ、ああああ、だ、大丈夫かい? こ、怖くないからねっ……君がどれだけ優しくていい子なのかってこと、僕はちゃんと知ってるんだから……!」 「ハルマゲ食らって泣き言ひとつ言わねーお前って、なんかホントすげぇな……親子愛に感動する」 「愛ある親子はそもそも最強ミックスレイドを食らったり食らわせたりしないと思いますがね」 サンタさんは僕のすぐそばまでやってきて、怯えている僕の頭を撫でた。僕は、はっと顔を上げた。その仕草は優しかった。どう見積もってみても、僕の首を狩りにきたふうには見えなかったのだ。 「やあ、こんばんは。今までいい子にしてた君に、サンタさんからプレゼントがあるんだ」 「え……」 僕は面食らって、間抜けな声を出してしまった。サンタさんは相変わらずの鼻眼鏡で、顔つきは分からなかったけど、苦笑した様子で、担いでいる袋の中から箱をふたつ取り出した。 「はい、こっちがサンタさんのプレゼントだよ。それから君は特別にいい子にしてたみたいだから、トナカイさんたちからは、こっち」 「え」 僕はおずおず顔を上げて、首を傾げた。サンタさんは僕と誰かを間違えているんじゃあないだろうか。 「僕……いい子、で、いいのかな……じゃなくて、いいんですか?」 「うん?」 「綾時……その、お父さん心配させてばっかりだし、みんなにも迷惑掛けてばっかりだし」 「君はとってもいい子です。サンタさん連盟の厳正な調査結果によります」 「うん……あ、ありがとう」 僕は照れ臭くて俯いて、なんだか得意げな顔をしているサンタさんからプレゼントを受け取った。後ろの方ではトナカイたちが「やばいやばいってめっちゃ胸にクるコレ」とかざわざわしている。 「じゃ、サンタさんはそろそろ帰るから。もっと一緒にいたいけど、決まりだからね。君に会えて嬉しかったよ、またね」 「うん……また」 僕はおずおず手を振る。サンタさんは僕の部屋の窓から身軽にひょいっと飛び出して、姿を消してしまった。トナカイたちはドアのほうから、ぞろぞろ出て行く。 また部屋にひとりきりになって、僕は残されたプレゼントをじっと見つめる。頬を抓ってみる。痛い。どうやら夢じゃないみたいだ。 ラッピングを解いて箱を開けると、『サンタさんから』は最新型のMP3プレイヤーだった。僕が雑誌を見ていて、何とはなしに「いいなあ」と思っていたものだ。知らず口元が綻ぶ。 もうひとつの『トナカイから』は、暖かそうなマフラーと手袋だった。寒いなあ、なんて思っていた矢先だったから、素直に嬉しい。やっぱり彼らは僕の心が読めるのかもしれない。 僕はなんだかくすぐったくなって、プレゼントを抱えてベッドに寝転ぶ。なんだ、タカヤのやつが思いきり怖がらせるようなことを言っていたけど、サンタさんはすごくいい人なんじゃないか。 ◇◆◇◆◇ 翌朝僕はラウンジで、朝食のトーストにピーナッツ・バターを塗っている順平を捕まえて、文句を言ってやった。 「順平、なにがサンタさんいないだよ。昨日ちゃんと来たぞ。俺本当に見たんだからな」 真田先輩がコーヒーを吹いた。 順平はしばらく固まって、目をぱちぱちして、それからテーブルに突っ伏して「うあああ」とうめいた。 「やべえ……胸がキュンってする……!」 「か、かわいいですね、この人」 またコーヒーをブラックで飲んでいる天田が、笑いを堪えるみたいに口の端をぎゅっと引き結んで、そんなふうに言った。これは信じていない反応だ。 「……別にいいけど」 僕はふいっと顔を逸らす。ふいに首が絞まって、顔を顰める。順平が僕のマフラーを引いたのだ。 「おっ、あったかそうな格好してんじゃんよ。これで寒くねぇな」 「……うん。大丈夫。順平、首離せ、死ぬ」 「んー? プレイヤー新調してんじゃん。どしたん、それ?」 「……サンタさんにもらった」 順平が爆笑した。僕は口の端を曲げて、また「いいけど」と呟く。 「おはよう。早いな、もう出るのか?」 桐条先輩が降りてきて、僕の頭を撫でて言った。 「はい。部活の朝錬に出ます。なんだか、早く学校に行きたくて」 「おっはよー、今出るトコ? 早いね」 「うん……」 岳羽も降りてきて僕の頭を撫でる。なんでみんな、こんなふうに子供にするみたいに僕に触るのだ。何かの抗議行動だろうか。 まったく付き合っていられない。僕はさっさとラウンジを横切り、ドアノブに手を掛ける。 「あ、コケんなよ! 気ィ付けてな!」 「寄り道せずにまっすぐ学校へ行くんですよ」 「変な奴についてくんじゃないぞ。いや、ちょっと待ってろ。俺も行く!」 「…………」 なんかみんな、ちょっと、変だ。 |