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全身がひしゃげそうだ。大気が圧力を持って、僕らを押し潰しに掛かってきた。 「っだよ、これェ……!」 ふらついて倒れそうになった僕の背中を、順平が支えてくれた。みんな来てくれた。でも僕らが見たのは、たぶん楽しいことがあるんじゃないかっていう未来の光じゃない。 そこにあるのはすごく分かり易いかたちをした絶望だった。僕らが立ち向っている滅びの姿が、今はありありと見える。星だった。滅びの星が墜ちてくる。 「ジョーダン、マジキツいって……んなもん、どーしろってんだよ」 ぐっと腕を引かれた。僕はアイギスと天田と一緒に、順平に抱き寄せられた。 「――ガキどもだけでも、なんとか守らねェといけねーんだよ……!」 「順平、」 僕は大丈夫だと言おうとした。でも次の瞬間、内臓が潰されそうなくらいに強い重力が、僕らを平等に襲った。 ◇◆◇◆◇ 激しい水の流れの中を、成すがままに流されていくような感覚が過ぎ去ったあと、僕は見慣れた部屋の中で行儀良く椅子に腰掛けていた。 目の前には、馴染んだ顔があった。長い鼻のおかしな老紳士イゴールと、エレベーター・ガールのエリザベスだ。僕はなんとなく静かな心地で、「終わったのか」と言った。 僕は死んだのだろうか。僕を守ろうとしてくれた仲間たちと一緒に、僕の世界と共に滅びてしまったのだろうか。全ては終わり、何も残らなかったのだろうか。 僕の考えるところを察したらしい老人が、「ご安心を」と言った。 「ここはあの世ではない」 「――それは良かった」 僕は頷く。少し安心した。少なくともまだ僕は、僕自身の人生のゲームオーバーを迎えてはいないらしい。 「声が聞こえますかな。貴方を支え、生かす絆の呼び声が?」 老人が言う。僕は目を瞑り、耳を澄ませる。 僕は瞼の裏に、ありありと世界の姿を見る。 世界は影時間の蛍光グリーンの闇に覆われている。滅びの星が目覚め、生命が溢れる母なる星に向かって、産まれたばかりの子供が手を伸ばすみたいに近付いてくる。落ちてくる。 人類の象徴化は一斉に解ける。人々はまず混乱する。空を見て、歓喜の声を上げる。滅びの到来を待ち望む人々の声だ。でもそれは僕が聞きたい声じゃない。 僕は風の音を聞きながら、静かに耳を澄ませる。空の真中で、灯が消えてしまった僕の愛する街を見下ろす。そして街に降り、うろたえてあちこち駆け回っている人々をすりぬけて、僕は僕の愛する人々の姿を探す。 「ちょっ……なにこれ? なにこれ? 滅びってマジこれ? あぁあ、夕方はがくれのラーメン我慢すんじゃなかった。財布なんか気にせず三杯くらいイケば良かった! まだあいつとなんにも進展してない! 手、握ったりチューしたり、いや、童貞捧げとけば良かった!」 「落ち付け! お前言ってること最悪だぞ! あいつは妖精なんだからそういうのは違うんだ。魔法の国から人間界にやってきて困った奴を助けるプリンセスなんだぞ! 汚すなよ!」 「お前体育会系のくせに、筋肉でできた脳味噌でそんなこと考えてたの?! マジキモイ!!」 「そんなことって言うな! あいつ変身するんだぞ変身!」 「お前の妄想じゃねーか!」 「彼の元へ行かなければ……僕が彼を守らなければ!」 「まっ、まだキスもしてないのにっ……どこにいるんですかぁ、私の王子様!」 「ボクは死ぬ時は彼の膝枕でって決めてるんだー!」 「ほ、滅びる前に一度だけでいい! 彼とお医者さんゴッコを希望したいよ!」 「ドコディスカー! 泣イテマーセヌカ! 拙者ト結婚頼モゥ!」 道の真中で何をやってるんだこいつら。 僕はタルタロスのそばで、部屋着でたむろしている学校の友人たちを見付けた。ニュクスを前にして余程混乱しているようで、良くわからないことを喚いている。 「みんな落ち付きなさい! 騒いだら負けよ! こんな時こそ慌てず騒がずカリスマのパンツを持ってきて!」 大騒ぎしている生徒たちをなんとか鳥海先生が宥めようとしているが、先生自身も大分混乱しているらしい。 『……何やってんの?』 僕は大分心配になって、彼らに声を掛けた。みんなはぱっと振り向いて、僕を見て、一斉に静かになった。驚いた顔をして僕を見つめている。 「え……あ、の。お前、なんか、その、透けてね……?」 友近が恐る恐る切り出した。みんなはうんうんと頷いている。僕は首を傾げ、『良くわからないけど』と言った。 『大丈夫だよ。心配しないで。すぐにいつもが帰ってくるから。俺、みんなが好きだ。この街も、学校も。だから俺が守るから。世界は、絶対滅びないから』 僕は彼らを安心させたくて、精一杯で微笑んだ。みんなはぽかんとしている。 「……お」 『え?』 宮本がすごい顔で僕の肩を掴もうとして、擦り抜けて転んだ。彼はがばっと顔を上げて、「お前やっぱりそうだったんだな!」とか言っている。 「妖精さんだ!」 『は?』 「え、嘘、マジなの? 宮本の妄想じゃねぇの? マジカルバトンで魔法少女でハニーフラッシュなの?」 「え、魔法の国から来たってキミほんとなの?!」 『え、なに言ってんのかわかんないけど』 「魔法少女がついてたら、滅びなんか大したことないね!」 「よっしゃ! マジプリ、ニュクスなんか摘んでポイしてやれ!」 「応援シテルディス!」 『いやその、なにそれ』 「カリスマ、頑張って!」 「負けないで下さい、私の王子様!」 『あ……うん』 僕はちょっと気圧されながら、ようよう頷く。 「頑張れよ、オレらのヒーロー!」 そして僕はみんなに肩を叩かれる。手はすり抜けたけど、温かい感触はちゃんと伝わってきた。 ――そして僕は目を開ける。 「これはこれは、たくさんの絆をお持ちですな」 「……うん。思ってたより、僕は友達が多かったみたいだ」 僕は微笑む。僕の前には輝く一枚のカードがある。 「……これが俺の、アルカナ?」 僕は様々なペルソナを宿すことができる。愚者から審判まで、どのアルカナにも囚われずに生きてきた。 僕は今になって、ようやく僕自身を定義するアルカナを見付ける。たくさん、随分歩いてきて、ようやくここまで辿り付いたのだ。イゴールが言う。 「貴方が手にしたのはユニバースの力。今の貴方には、どのような奇跡も必然」 僕は頷く。そして僕のやるべきことをはっきりと理解する。 「――まもなく、最上階でございます」 エリザベスの声が、僕の往く道を示す。青一色だった世界に、白い光が射し込んできて、僕はようやく着いたんだと気付いた。ここが、僕が今まで生きている間中、ずうっと目指して歩いてきた場所だ。 そして僕は席を立つ。エリザベスは微笑みを浮かべながらも、ちょっと残念そうな顔をしている。 「一度『宇宙』のアルカナを持つ今の貴方と、お手合わせ願いたかった」 「……一勝九敗。勝ち逃げになるのかな」 「いいえ。またお会いしましょう。貴方が貴方を再び生きるその時に、再び『最強』の称号を賭けてあいまみえましょう」 扉が開く。白い世界が広がっている。僕は歩き出そうとして、ふと誰かに手を引かれていることに気が付く。 細い手だった。指も繊細で優しい。 僕は顔を上げる。長いマフラーが見える。 「……なんだ、そこにいたの」 僕は微笑んだ。深い安心が胸に染み込んできた。 「ずっと、俺の隣にいてくれたんだな」 その人は少し心配そうに僕の顔を覗き込み、僕の穏やかな顔を見て、安心したようにちょっと笑った。 「――行こうよ。俺はもう大丈夫だよ」 その人が僕の手を引っ張る。先へ往くことが楽しみで仕方がない子供のように。 「せっかちだな」と僕は呆れる。 そして僕は、僕自身の姿がゆるやかに変化していくのを感じる。 白い腕が「絶対に渡さない」とでもいうふうに、僕の腰を抱いている。 僕はいくつもの棺桶を引き摺っている。全身が、影でできている綾時と正反対に、真っ白のひかりに染まっている。 きっとこれが僕自身の、変化しえない本質なのだろう。 やっとアルカナが定まった僕のペルソナなのだ。 そして僕は最期の一瞬を過ごすために、僕に還る。 ◇◆◇◆◇ 僕は立ち上がる。僕を守るように抱いてくれていた順平の腕をすり抜ける。 「……お……まえ、」 順平はまだ意識を保っている。でもその顔はひどく憔悴していて、脂汗が浮かんでいる。 「――旅人は、ようやく終着点に辿り付いたんだ。そのアルカナは示した。人が生きる意味を。命の答えを。生命のはじまりと還る場所を」 「綾時くん……?」 岳羽が無理矢理顔を上向けて、「なに言ってんのよ」と言った。 「しっかり……してよ、キミらしくないよ!」 僕は微笑む。 「世界は滅びない。みんなも死なない。俺が絶対守るから」 「……おい、」 「未来には、楽しいことがいっぱいあるから。辛いこともあるだろうけど、誰か好きな人たちの隣で生きてるってだけで、それはすごい奇跡なんだ。だからそのひかりの先で、生きてください。たまに思い出してください。俺はいつでもそばにいるから」 「馬鹿……!」 「遺言みたいなことを言うな!」 最期まで、先輩たちに怒られてしまった。僕は「ごめんなさい」と謝る。 そして僕はアイギスを見る。彼女は蒼い目を見開いて、じっと僕を見つめている。その目には恐怖がある。身体は、震えている。 「……三人で、一緒に暮らしたかったんだ。昔みたいに、家族で。君と綾時と俺がいる未来を思い浮かべると、俺はすごく幸せでいい気持ちになる。でももう行かなきゃ。たとえ今日が最後になっても、絆が俺たちをいつでも繋いでる。 ……さよなら、アイギス」 僕はちょっと口篭もって、言い直す。 「――さよなら、お母さん」 ほんとは帰って落ち付いてから、そう呼びたかったのだ。僕は、おかしな話だが、こんなところで終わるとは思っていなかった。それより先に死を見ていた。春だ。暖かく穏やかな陽光のなかで、眠るように死んでいくんだと思っていた。ニュクスはただの通過点だったのだ。 そのことがちょっと残念だった。僕はみんなと約束していたのだ。卒業式に出て、ちゃんと先輩たちに「さよなら」を言うのだと。 「やめて……! 行かないで!!」 「ごめんな」 僕は塔の床を蹴る。今の僕は何でもできる。何にだってなれる。 僕の身体はふわっと浮いて、空に浮かぶ巨大な目玉に引かれ、墜ちていく。空へ。 僕はこのままみんなの恐怖も抱えて持って行きたい。怖いのも痛いのも、きっとこの空で焼かれて燃え尽きるだろう。 「行かないで下さい、行かないで……いやあぁああっ!!」 最後に僕自身がどうにもならない奴だと思うところは、お父さんも、お母さんのことも泣かせてしまうことだ。僕は本当にすごく親不孝者の子供なんだと思う。 |