心臓の音が聞こえる。暗くて温かい、包み込むような闇の中に僕はいた。
 そこはまるで誰かの胎内のようだった。鳴り響く心音は、怖いくらいに僕とリンクしていた。死の星のくせにまるで生きているみたいだと思って、そこで僕は気付く。すごく近くから聞こえるこの鼓動は僕自身のものなのだ。
 上空にはシャドウたちの薄っぺらい手に抱かれた大きな卵があった。あんまりにも眩い光を放っていて、まともに見つめることができない。でも僕は目を焼かれる痛みを堪えて、そいつを直視する。
 そいつはまるで蜃気楼かなにかみたいにぶれて、歪み、涙を流すように、黒い死を産み落とす。生まれ落ちた死が弾け、広がって、それはひどい衝撃を伴い、僕は派手に転倒した。まるで見えない大きな手で掴まれて、思いっきり振り回されたみたいだった。
 卵は何度も何度も死を産み出す。こいつが、僕らが塔の上にいた時に押しつぶされそうになった衝撃波の正体なんだろう。死は星の上に落ち、星中を巡り、全ての人に平等な滅びをもたらすのだ。ほんの間近でぶつけられると、ほんとに辛い。
 でも僕は生きている。まだこのくらいじゃ死なない。僕は、僕の成すべきことをやり遂げるのだ。僕はきっとこのために、限りのない宇宙からあの星の上に生まれ落ちて、十七年を掛けて長い旅をしてきたのだ。
 僕が大好きな人たちを守り、そして僕の愛する人を、僕自身に還すためにだ。







――僕は、








「おめでとー!」







 クラッカーが弾ける。みんなで声を揃えて言う。
「乾杯!」
 そしてグラスをぶつけ合う。みんな笑っている。僕らは二十歳になっていて、久し振りにみんなで集まって騒ごうってことになったのだ。
 僕の隣には綾時がいる。ハタチなんてもんじゃないくせに、ちゃっかり混ざっている。「身体の年齢ってもんだよ、うん」とか言っている。でも彼の身体は、僕が十年孕んで産んでからまだ三年しか経っていない。三歳でしかないのだ。
 アイギスもいる。興味深そうにシャンパンを見つめて、「みなさん成人だからお酒が解禁なのですね。なるほどなー」とか言っている。ロボットでも酔っ払ったりするのだろうか。気になるけどちょっと心配だ。
 順平はきっとお父さんと仲直りしているだろう。岳羽もお母さんと仲良くやっているに違いない。みんな相変わらずで、特別に変わったのは天田の身長くらいだ。成長期の子供って本当に怖い。
「三年もあれば追い越せると思ったんですけどね。あなた年齢の割に小さいから」
 天田はそんなふうに失礼なことを言う。僕は「別に低くない」と訂正する。それにまだ伸びる。たぶん。頑張らないと本当に追い越されそうで気が気ではない。
 僕は天田に見下ろされて「小さいですね」と言われる日を想像してみた。ちょっと辛すぎる。泣きそうだ。「おいちび、ジュース買ってこい」とか言われないことを祈る。
「真田先輩、コロちゃんにフライドチキンなんてあげちゃだめです! ワンコの身体にはすごく悪いんですから!」
「……すまん」
 山岸は今よりちょっとだけ、言いたいことが言えるようになっていればいい。みんな今より良く笑うようになっていて、僕は彼らを見ているとすごく幸せな気持ちになる。あの時死にそうになりながら頑張って良かったと僕は思う。僕は彼らを守りたかったのだ。きっとそれは僕自身の命より大事なことだった。
 いや、僕の命ってものは、彼らの中に絆として確かに息づいている。僕は僕自身でしかないけれど、僕はみんなの中でも、みんなにとっての僕として、ちゃんと体温を持って生きているのだ。
 綾時は不器用だから、マフラーにケチャップを付けてしまって「あああ」と途方に暮れた顔をしているだろう。僕は「ほんとしょーがない」と言って、綾時のマフラーを拭いてやる。どうせほっぺたにもくっつけているから、僕はちゃんと舐めて綺麗にしてやる。綾時はちょっと照れ臭そうに、「あ、うん」とか言っているだろう。顔を真っ赤にしているかもしれない。
 綾時はいつも僕に触ると、気持ちが良さそうな顔をしているのだ。ほんとにちょっと触るだけでも、まるで僕が子供のころ、博物館かどこかで、『大事なものだから、ほんのちょっとだけなんだからね』と言われて月の石を触らせてもらった時のような、すごく大事なものに特別に触ったみたいな、嬉しそうな顔をしている。今更何なんだか。
「……これからも、ずっとみんな一緒だよな?」
 僕はちょっと不安になって、そんなことを言う。誰一人欠けても嫌だ。みんなは「変なこと言うな!」と僕を小突いて、「当たり前だろ」と言う。
「ずーっと一緒に決まってるじゃない」
「ええ、いつでも、どんなことがあったって」
「お前が嫌がったって一人になんかしてやんねーからな! ぜってー!」
「そうですよ。絶対あなたより背が高くなって、あなたのこと「ちびくん」と呼んであげますから」
「せいぜい面倒を掛けてもらうさ」
「まったくだ。お前はいくつになっても世話が焼けそうでほっとけん」
 僕は綾時を見る。綾時は笑って僕の頭を撫でて言う。
「うん。僕はずうっと君のそばにいる。いつでも、どこでも一緒だよ。もう二度と離しやしない」
 アイギスも微笑んでいる。彼女が僕の手を握る。
「あなたの近くにいたい。あなたの、その一生懸命動いている心臓の音が止まってしまう日まで、わたし、あなたを守りたい。なにがあっても」
 僕はすごく、泣きたいくらいに嬉しくなる。
 死は誰にでも必ず訪れる。平等に奪っていく。でも僕が怖いのは死ぬことじゃない。
 死が僕の大好きな人たちを、僕のそばから引き剥がしてしまうことが怖い。








 僕は僕の愛する仲間たちを、彼らと出会った街を、今になって思えば眩く煌いていた日々を過ごした学校を、友達を、僕のことを好きになってくれた人々を、僕を憶えていてくれたみんなを守りたい。
 滅びなんかにひかりを攫わせない。
 誰にも死んで欲しくない。









 そのためなら僕は、








 僕はきっと、何にだってなれる。








――さよなら、みんな」








 僕は滅びの光に向かって手を差し伸べる。








「さよなら、お母さん」








 僕のなかで、生命の炎が燃えているのが、僕自身にも見て取れる。
 僕はうっすら透き通って、宇宙のなかへ融けていく。僕が十七年間を過ごした、住み慣れた肉体を棄て、僕は空へ広がっていく。









「ごめんな」









 そして僕はニュクスを包む宇宙になる。胎内に星を宿す。









 この星は、たくさんの人に望まれて産まれた子供だ。それはすごく幸せなことだと思う。でも、どんなにたくさんの人間たちに望まれても、そいつはちっとも幸せそうじゃなかった。
 痛みも怖さも苦しみも、喜びも嬉しいと感じることも、誰かを愛することもできない『死』そのものなのだ。
 そいつにとっては、生命のひかりはきっと泣きたいくらいに眩く、いとおしいものなんだと思う。そいつは母親を呼んで手を伸ばす子供だ。でも触ったそばから、みんな死んでしまう。だからいつまで経っても、どんな未来でも、そいつはひとりぼっちなのだ。
 僕はその星が可哀想になる。絆のなかで輝く生命に、どんなに憧れたって、どこまでも気が遠くなるくらいに孤独な奴なのだ。








「いつかまた望まれる日まで、俺の中でゆっくり眠れよ」








 僕は微笑む。








「もうひとりじゃない。目が覚める時まで、俺がそばにいるから」








 星がまどろむ。僕はどこかで赤ん坊の泣き声を聞いたような気がした。








――ああ、嬉しいのか」









 僕は生命が満ち溢れる青い星を眺める。暗くて寒い宇宙のなかで、僕の子供になったこの星が、永い永い太古の昔からずうっと見つめ続けてきた、僕が生まれた星を。
 身体のまわりに散らばるもう死んだ星々よりも、命の営みの灯りは温かくて、切なくて、すごく綺麗だった。まるでなにより美しいほんとうの夜空のようだった。
 








「笑ってるんだな」










 僕は、



 





 ひどく安堵していた。









――そして願わくば、










 みんなの中にいる記憶のなかの僕が、










 いつまでもいつまでも笑っていられますように。







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