ポートアイランド駅から緩やかに続いている並木道を抜けた先に、僕の家が見える。そこは僕の城だった。僕はそこでは世界で一番大事にされていた。





 僕はいつものように綾時を迎えに駅までやってきていた。ミュージック・プレイヤーのボタンを弄って、大好きな曲をリピートしながら、つるつるした白い柱にもたれかかってじっと辛抱強く待っている。
――やあ、待たせちゃってごめんね」
 そして僕は、いくつか電車を見送ったあと、やっと綾時の姿を見付けて駆け寄っていく。そのまま飛び付く。綾時は「わあ!」とびっくりしたみたいに悲鳴を上げて、でも僕を落っことすことはなく、ちゃんと抱き上げてくれる。
「あは、君はまったく甘えん坊さんだ」
 笑われるとちょっと照れ臭くなって、僕は口を尖らせる。綾時は「ごめんごめん」と言って、僕の頭を撫でる。





――ありがとう。迎えにきてくれたんだね」





 僕は頷いて、「そうだよ」と言う。
「おつかれさま。綾時、大丈夫だった? お仕事ちゃんとできた? 苛められたり、痛いこととか辛いこととかなかった?」
「うん……」
 綾時は微妙な顔をしている。僕は「ああなんかあったんだな」と感付く。綾時はすごくわかりやすいのだ。いくら頑張って隠したって、僕はちゃんと気付いてしまう。
 僕は綾時の頭を撫でて、「もう大丈夫だよ」と言ってあげた。
「僕が迎えにきてあげたよ。もう怖くないよ。僕がちゃんと一緒にいて、綾時を守ってあげるからね」
――うん」
 綾時は照れ臭そうに、でもちゃんと嬉しそうに笑ってくれた。それからすぐに情けない顔になって、「僕は駄目だあ」と言った。
「ほんとにほんとに、こんなに小さな君に救われてばかりだ。お父さんの僕が君を守らなきゃならないのにな」
「そんな顔しないでよ。僕が困った時には、ちゃんと綾時が助けてくれるもん」
「うん。ごめんね」
「謝らないでよ綾時。なんで謝るの」
 僕はおかしくなってしまった。でも綾時は笑った顔を急に辛そうに歪めて、泣いてしまった。何度も何度も「ごめんね」と繰り返している。僕はびっくりして、慌てて綾時の頭を抱き締めた。
「りょ、綾時? 泣かないで。もう怖くないから。僕がいるから」
――ごめん、ほんとに、ごめんなさい、君に、辛い思いばかりさせて、まだ子供なのに、苦労ばかり掛けてごめん。痛かったり、辛かったり、怖い目にばかり遭わせてしまって。すべて、僕のせいだ。僕が君をちゃんと守ってあげられれば、君はこんな、――まだ十七年しか生きてないのに……!」
「綾時?」
 僕は綾時のほっぺたに触って、綾時が安心できるように笑い掛けてあげた。
「僕はしあわせだよ」
 僕はとても幸せ者だ。あんまりにも満たされていて、欲しいものが思いつかないくらい。
「僕は綾時と出会えて、たぶん世界中で、ううん、宇宙で一番幸せなんだと思う。僕を愛してくれてありがとう。大好きだよ。あなたの子供で、あなたが子供で、ほんとに良かった」
 僕は泣いている綾時に言う。
「僕も誰よりあなたを愛してるよ」
 綾時はまだ泣いている。僕はしょうがないなと思って、ポケットからハンカチを取り出して、綾時の顔を拭いてあげた。ほんとに手の掛かるお父さんだ。
「手を繋いであげるから、もう泣かないで」
「うん……」
「綾時はいい子だよね」
「うん……」
 僕は綾時の腕のなかから下に降りて、ちゃんと自分の足で地面に立つ。そして綾時と手を繋いで、「もう帰ろ」と言う。
「帰ってごはん食べよ。ヒーローのDVD見て、いっしょにお風呂入って、寝る前にはゲームやろう?」
「うん……」
 綾時は目を擦りながら、何度も頷いて、そして僕の手を引いてようやく歩き出す。景色が流れていく。なにもかもが眩く輝いている。綺麗に敷き詰められたタイルも、白い柱も、ポートアイランド駅から出ていくモノレールのつるっとした細長い姿も、並木道の木々の鮮やかな緑色の葉っぱも、空を横切る銀色の飛行機雲も、青い、どこまでも青い空も、なにもかもが。
 夕暮れが近いから、青い空から零れるひかりは少し弱くなって、どことなく切ない感じがする。僕らは明るい光のなかを、ふたりでゆっくり歩いていく。
 




 綾時が言う。
――君に出会えて、本当に僕は幸せだったんだ。生まれてきてくれてありがとう」
「うん」
 僕は頷く。





「僕は君に未来を示すことはできないけど、ずっと君のそばにいるから」
「うん」
 僕は頷く。





「もう、寂しい思いはさせないから」
「うん。僕もね」
 僕は頷く。






 そして僕は、ふと景色がいつもの帰り道とは少し違うことに気が付く。
 僕らはいつの間にか、見慣れた建物の前に立っていた。
 僕が毎日通っていた、僕が大好きな学校だった。月光館学園。僕は綾時を見上げ、ちょっと不安になって、小声で名前を呼ぶ。
「……りょうじ?」
「ねえ、僕が大事にしなさいって言ってたもの、覚えてるかな」
 僕は頷いて、「ベストスリーだね」と言う。
「僕のからだ、かわいい女の子、それから、」
 綾時は僕の髪に触り、頭を撫でて、にっこり笑って言った。
――『約束』だよ」
「りょうじ、」
「友達と約束があったろう。どんな小さなことでも、ちゃんと守りなさい。僕の好きな君は、約束を破るような子じゃない。そうでしょ?」
「……でもりょうじ、」
 僕は俯き、綾時の手を両手でぎゅっと包んで、「離れたくない」と言った。
「綾時、手、離したらどっか行っちゃう」
「行かないよ。安心してよ、大丈夫だ。これは僕の約束だよ」
 綾時はかがんで僕の額にキスをして、「だからいい子でいなさい」と言った。
「僕は随分長い間君を待たせちゃってたから、このくらいしかできないのが残念だけど、ここで待っているよ。行きなさい。大好きな友達みんなに、君の心をちゃんと言葉にして伝えなさい」
「……りょうじ、ほんとにここにいる?」
「うん。待ってるよ。だからそんな心配そうな顔をしないで」
 綾時は苦笑して、僕の背中を押す。
「生きなさい」




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