「おかえり」
 オレはぽかんとした。オレは馴染みの巌戸台分寮の入口のドアの前で立ち尽くしていた。ソファには馴染みの顔ぶれが勢揃いだ。真田さん、桐条先輩、荒垣先輩、ゆかりッチに風花。テレビの横で天田はコロマルにドッグフードをやっていて、アイギスがコロマルに相槌を打っている。
 ラウンジは調度品から照明から何から何まで相変わらず時代遅れな雰囲気で、ちょっと埃っぽい匂いがする。そこに広がっているのは、ものすごく懐かしい、ありし日の光景だった。
 巌戸台分寮はオレたちが卒業してしばらくして、老朽化が原因で(いつかシャドウにボコボコに殴られたのが、傷んだ最大の原因だとオレは思う)取り壊されてしまったはずだった。いろんな思い出が詰まった寮を守ろうとオレたちは必死に署名運動をしたけど、結局駄目だった。今は駐車場になっている。
「おい、いつまでぼけっとしてる。戸、閉めろ」
 呆然としていると、平たい板みたいなものでぼこっと頭を殴られた。ありえない声を聞いて、オレは慌てて振り向く。
「しっかりしろよ。まったくお前はいつまで経っても順平だな」
 そこには高校二年生の終わり、卒業式の日に死んでしまったダチがいた。憎たらしいくらいにあの時と同じ顔のままだ。大分長い間気に入らなくて、いつか泣かしてやりたいと思っていて、でも段々仲良くなって、大事で大事でたまらなくなった頃にポックリ逝ったもんだから、オレはあの時ホントにマジ泣きした。
 美味そうな肉とかプリンとかを見る度に、あいつはもうコレ食えねんだなあと考えると、泣けて泣けて泣けてしばらく飯が食えなかった。
 そいつが今オレの前にいた。ほんとに何にも変わらない。身長一ミリ変わらない。すごく見慣れた制服姿だった。あの頃オレらが過ごした月光館学園高等部の。





 オレは、衝動的にそいつに抱き付いていた。





「っわ! 順平!」
 涙があとからあとから零れてきた。止まらなかった。オレは大声を上げて泣いた。
 あの頃オレは一生分の涙をそいつの為に流しきったと思っていたのに、まだ出てきた。鼻水も出てきた。ついでにヨダレも。
「順平!」
 そいつは「ぎゃあ」とか悲鳴を上げて、「汚い汚い」とかものすごく嫌そうにオレを押し退けようとしている。もちろん、離してやるオレではない。この伊織順平の許可なく勝手に死んじまうような奴は、オレ様のいろんな汁まみれにしてやる。
――順平くん、なにすんのっ……!!」
 また平たいもので頭を殴られた。今度はさっきみたいに手加減なんかなかった。オレは成す術なく床に転がって、顔を上げて、もうひとつ信じられないものを見た。
「この子に手、出さないでよね! 僕がついている限り、彼には指一本触れさせないよ! もうなんでみんなこの子見るなり抱き付くのかな……!」
「……リョー、ジ?」
「はい、記帳! 名前書いて名前、決まりだからね!」
 目の前にはオレの悪友がいた。女子をナンパしたり、一緒に風呂を覗く計画を立てたり、あとはちょっとした恋愛相談に乗ってやったりしていた望月綾時だ。垂れ目のくせに頑張ってオレを睨んでいる。
 オレが十七の時に死んだはずのダチたちが、泣けてくるくらいあの頃のままの姿でここにいる。少し違うのは、リョージがあの頃オレたちが付けていたみたいな赤い腕章を付けていることだった。そこには『
SEES』ではなく、『DEATH』と書かれている。見るとオレらのリーダーさんも、揃いの腕章を付けている。そこには『DEATH』のかわりに、『UNIVERSE』とあった。宇宙人だったのかお前。そうじゃないかと思ってた。
 制服で腕章を付けているのはそいつら二人きりだ。他は私服で、待ちくたびれたような顔をしてオレを見ている。
「順平さん、遅いですよ。ちょっと長生きし過ぎじゃないですか」
「あー、ねー。こういう奴って長生きするって見せ掛けて、意外に早くポックリ逝くんだと思ってたら、やっぱり長生きしちゃって、深読みしちゃって損した気分」
「まったく、待ちくたびれた。もういいんだな」
「え? え?」
「順平、早く名前書けったら」
「ほら、早くする! 君で最後なんだから」
 オレはかなり混乱しながらも、急かされて名前を書く。見ると記帳のオレの前の欄には、懐かしい筆跡で、オレの愛すべき仲間たちの名がすでに記されていた。人に自慢できるくらい長生きしたオレより、先に逝ってしまった仲間たちの名前が。
「伊織順平、はい
OK。はいはいさっさと座って。美鶴さん、全員揃いました!」
「わかった。みんな、いいぞ。食べてくれ」
「やっと食えるな」
「ちょっとおあずけ長過ぎ。もったいつけずにさっさと帰って来いっての、順平の奴」
 みんなはわっと盛りあがり、あの祝勝会の夜のように、テーブルの上の寿司に箸を伸ばす。
「僕ハンバーグ! それからエビ!」
「綾時、味覚が子供と一緒だぞそれ。……俺もハンバーグ。あとツナ巻き」
「あなたも充分子供じゃないですか。ふたりとも邪道ですよ」
「う、うるさいな。……順平? 食いっぱぐれるぞ」
 オレははっと我に返る。そしてとりあえず輪の中に混ざって、自分の好物を確保する。
 そこで気がついたのだが、オレは大分腹が減っていたのだ。もうきっとコイツは飯なんか食えないんだろうなあと思って悲しくなってた奴が、モリモリ食ってるところを見ると、なんだかものすごく腹が減ってきた。
 寿司を口に詰め込みながら、オレは喋る。
「んで? ふがっふ、ここ、アレか? あの世か? うめええ!」
「落ち付け順平。粒飛んでる、ごはんつぶ」
「え? ここあの世?」
「お前が不思議そうに言うなよ、綾時。知らないよ。寮だろ。巌戸台分寮のラウンジ」
「ぷは。……なーんか、いろいろ予想外の展開……」
 オレは一息吐いて、死んだダチの顔をじっと見つめる。相変わらずプレイヤーとヘッドホンを装着している。サンタさんに貰ったとか真顔で言ってた例の奴だ。このプレイヤーは、確かこいつが死んだ後にアイギスの手に渡ったんじゃなかったか。アイギスが壊れるまで大事に持ってたはずだ。
「死んだら、また会えるとは思ってたけどよー……あ、手紙読んだぜ」
 オレはふと思い出して言う。こいつからの手紙は、オレがくたばるまで後生大事に持っていたのだ。年月を経たせいで黄ばんで、何回も何回も読み返したせいでぼろぼろになって、でもオレは大事に大事にそのジャアクフロストのワンポイント付き(チョイスが妙にファンシーだと思う)の封筒を取っていた。今頃遺言のとおり、オレの棺の中に入れられているはずだ。
 そいつは「ああうん」と顔を赤くして、恥ずかしそうに頷いた。
「……みんなにもそれ言われた。ものすごく恥ずかしいから、あんまり蒸し返すなよ。もう会えないかもって思ったから書けたんだから。今はほんとに恥ずかしい」
「ンだよ、お前可愛いとこあるじゃんよ」
 オレは笑ってそいつの肩を抱いて、綾時にみぞおちを靴の底で蹴られた。こいつは本当に、息子が絡んでくるとアグレッシブになる奴だ。
「ちびくん、こっち来てなさい。あんまり順平くんに近付いちゃ駄目。妊娠しちゃうよ」
「しねえよ! そいつ男じゃんよ! ……あ、すんません。してたっけ」
「……まあ、一人産んだ」
 オレはそうして、しばらく懐かしい顔ぶれと、思いっきりはしゃいで過ごした。
 きっとオレの一生のうちで、いやもう今起こっていることはオレの一生に数えられるのかどうかは分からないが、この瞬間が一番、泣きたいくらい楽しい。すげえいとおしかった。
 無くなった時間を巻き戻して、もう会えないと思った、めちゃめちゃに好きだった奴らと過ごす時間は、怖いくらいきらきら輝いていた。
 オレは思い出す。あの卒業式の日、屋上で見たそいつの安らかな死顔を。まるで寝てるだけみたいだった。相変わらずヘッドホンを耳に着けて、アイギスに膝枕なんてしてもらいながら、ついうたた寝しちまったって感じだった。
 すごく綺麗だったのに、後になって聞くと、死体は死後約一ヶ月ほど経過していたそうだ。
 一月三一日にニュクスと向かい合ったあの時、そいつはもう死んでしまっていたのだ。
 鈍い奴だったから、自分が死んでることにも気が付かなかったのかよと、オレは無理に笑おうとしたものだった。あいつほんとしょーがねーなと。
 でもオレは、焼かれて灰色の煙になって空に昇っていくそいつを見ていたら、なんとなくわかってしまったのだった。
 そいつはオレらとの約束を守るために、卒業する先輩がたを見送って、ただひとこと「さよなら」と言うために、ものすごく強い意志で死体まで動かしてきたのだ。ほんとにつまんない約束を、ただみんなで集まってオレらが守った街を見下ろそうって、それだけのことを守るために。
「……なあ、オレら、どこ行くんだろうな」
「ん?」
「いや、来世、とか」
 オレがごにょごにょ言うと、望月親子は顔を見合わせて、揃いの顔でにやっと笑い合った。
「順平、お前生まれ変わったら来世アメンボだから」
「ええええええええ?! そ、そ、そりゃないっしょ! リーダー!」
「素晴らしい未来が待ってるよ、順平くん。カエルとかに気を付けてね」
「りょおおおじいいい! なに?! オレなんか悪いことやった!?」
 二人は慌てふためくオレを見てげらげら笑っている。その顔は、憎たらしいくらいそっくりだ。さすが親子だ。
「お前、自分以外の人生なんか生きたいか? 俺は他人の人生なんか絶対嫌だけど。辛いことばっかりだったとしても、俺は大分幸せだったけど、俺以外のものになんてなる気はない」
 そいつはふわっと笑って、「綾時と一緒にいたい」と言った。まったく、どういうふうに育てたらこんな可愛いガキができるんだろう。オレは頑張ったけど、ここまではどうしても無理だった。ほとんど聖域だ。
「……さあ、もうそろそろ時間だ」
 リョージが言う。
 みんなは時計を見て、「ああもうこんな時間か」と溜息を吐きながら、名残惜しそうに「じゃあまたな」とか「おつかれー」とか言いながら、ひとり、またひとりと寮を出て行く。
「……もう? 早くね?」
「だからそれは君が大分遅かったせいなの。はいはい、また学校でね」
「え」
「君は君に還って、また君を生きる。はじめから終わりまで、しっかりね。またいつか遊ぼうよ。可愛い女の子の話をしたり、可愛い女の子の話をしたり、可愛い女の子の話をしたりさ」
「お前らそれしかないのかよ……」
 リーダーさんはぐったりしている。こいつは真面目な奴だから、綾時のノリにたまにイラッとすることもあるんじゃないだろうか。そう言えば、両親の離婚の原因は親父さんの女癖の悪さだって聞いたことがある。ちょっと可哀想な奴だ。こいつは本当に本当にパパ一筋なのに。
「んー、ま、しっかりな。……あー、リョージ?」
「ん、なんだい?」
「それで結局さ。お前の本命はどうなったんだ?」
 オレとリョージはぐるっと首を巡らして、『本命』を見る。そいつはくたびれたふうに頭を抱えている。リョージがぽんぽんとそいつの頭を撫でながら言った。
「さー、どうでしょうね、ちびくん」
「……どうだろうね、パパ」
「ちょっ、聞いた?! 順平くん、パパだってパパっ、そんなのはじめて、うわっドキドキしちゃう……!」
「大好きだよ、パパ」
「わっ、わっ、し、死んじゃう! 心臓びっくりして死んじゃう!」
「うん……まー、お幸せにな?」
 結局どうなのかは分からない。リョージの好きは父性愛を勘違いしたものだったのか、それとも本物の恋愛感情だったのか(これはこれでまずい気がするが)、最後まで分からずじまいだった。まあ仲が良いことは確かだ。それでいいんじゃないかなとオレは思う。あんまり突っ込むと泥沼になるような気もするし。
 オレは「じゃあな」とひらひら手を振って、寮の扉を開ける。外には眩しい、一面の白い世界が広がっている。先は見えない。すべては光の中だ。
 オレはそうして一歩踏み出す。





「順平!」






 背中の後ろから、呼び声が聞こえる。あいつの声だ。






「生まれ変わっても、俺たち友達だよな!!」






 初めて遭った時に、こいつなんでこんな無愛想なんだってげんなりしてしまったような、無表情で冷静で、アイギスよりもずっとロボみたいだったあいつが、そうやって必死に叫んでいる。
 オレはたまらず振り返る。そしてガッツポーズを取って、大声で叫ぶ。
「ったりめえだろーがよお! ちくしょー、お前ら大好きだ!!――お前も、リョージも! またガッコで会おうぜ! オレらぜってー、誰が何て言ったって、どんなことがあったって友達だからな!」
 すると、ふたりは笑った。普段はあまり似ていないくせ、吊り目と垂れ目がそういうふうに目を細めていると、本当に一緒の顔がふたつ並んでいるように見えた。笑いかたがそっくりだった。あの笑っているくせに泣き出しそうな顔だ。どっちなんだかハッキリしやがれっての。
 そしてオレは、もう一度オレが大好きなあいつらに出会って、馬鹿やって、一緒に戦って、オレ自身を生きるために、眩い光の中へ駆け出していく。





◇◆◇◆◇






 高校二年に上がってすぐ、転入生が来るって話は聞いていた。今日かららしい。
 クラスの奴らはソワソワしている。男かなー、女かなー、女子がいいなー、それもとびきり可愛い子。
 そんなふうにぼんやり考えていたところ、教室に入ってきた見慣れない男子生徒に、期待はぱっと散らされてしまう。なんだ男かよとオレは考える。
 だがまあオレは、男女問わず転入生には親切にしてやるって決めているのだ。以前オレがこの月光館に転入してきた時に、はじめは大分不安だったことを覚えている。可愛い女子だろうがいけすかない男子だろうが、まず一番に話し掛けてやるのだ。
 新入りは、はなからツッコミ所たくさんだった。まずクラスでもカワイイって割と人気のゆかりッチと一緒に登校だ。一発目から浮いた噂が広まっている。こいつはかなりの曲者かもしれない。
 割合席はそばだった。オレは早速声を掛けてやる。
「よ、転入生! お前すげえよな、朝一発目から話題性抜群でさ」
 そいつは綺麗な顔をしていて、でも顔から表情がすっぽり抜け落ちていて、なんだかマネキンが服を着て座っているみたいな感じだった。
 寝惚けているのか、もしくは変なクスリでもやってるみたいに、目の焦点が合っていない。何を考えているのか分からない不思議ちゃんだ。
 この間出たばかりの最新型のミュージック・プレイヤーを首から下げている。
 だるそうに顔を上げて、いかにも面倒臭いというふうに声を出す。
「……なに、お前」
 うわあ、コイツ愛想無いし、とオレは内心考える。多分この調子じゃ友達を作るのも一苦労だろう。オレが相手をしてやらなきゃなるまい。
「伊織順平、順平でいいぜ。転校生来たら、真っ先に話し掛けてやろうって決めてたんだ。席も近いし、仲良くやろうぜ」
 そいつは相変わらず何を考えているのかわからない顔で、首を傾げ――なんで首を傾げる。
 なんだかロボットみたいな奴だ。こいつ、ちゃんと心はあるのか。中身は機械なんじゃないのか。
 ともかくそいつは『どうしたもんかな』という調子でオレを見て、頷いて、そして抑揚のない声で言ったのだった。





「……よろしく、順平」














[お父さんと僕/S.E.E.DEND]




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