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イカれたヤツら 「エージっ!」 オレの声はほとんど裏返ってた。ダチがシャドウに喰われていく光景を黙って指を咥えて(磔にされているので、指を咥える事もできないんだが)見ているしかできないってのが、どうしようもなく悔しい。腹が立って仕方がない。あんな奴でも、一応友達なのだ。 エージがシャドウのカタマリの中で、目を閉じてゆったりたゆたっている姿が、黒い影の中にうっすら透けて見える。まるで水死体みたいだ。もしくは、産まれてくる前の赤ん坊が、羊水だかなんだかに浸かっているふうな。 ちょっと前までオレらの味方で、頼りないけどとりあえず大人だから頼っとけ、みたいな感じだった男は、完全にイッちゃってる目で、シャドウと喰われたエージを見つめている。ものすごく熱心で、ぞっとするくらいだ。恍惚とすんな。 「――愛しているよ、愛しい母よ。誰よりも高潔で、美しく強いひとよ。僕を孕んでくれた貌の無い母胎よ。……さあ、共に行こう。この汚れた肉体を棄て、愚かな人類が消え去った楽園で、僕らは次の生を生きるんだ。穢れなき無垢なエヴァ、僕が誰より愛する母よ」 腕を広げて、わけがわからないことを口走っている。オレにはどうしても、『誰よりも高潔』とか『強く美しい』とかいうものが、そいつの前にあるようには見えない。いるのはシャドウだけだ。真っ黒で、気色悪くて、人間を喰ってる、顔もなにもない不細工なカタマリだ。 「アッタマ……オカシイぜ、イカレちまってる」 オレは唾を吐く。こんな最悪な気分になったのは初めてだ。エージにも大概むかついたことがあったが、そんなもんは比べ物にならない。こんな奴に『幾月『さん』』だ。『さん』付けだ。もう腹が立ってどうしようもない。 幾月がくるっと振り向いて、『思い出した』って感じで、オレらを見た。 「――ああ、生贄を捧げるタイミングがズレてしまったね。まあ最期にこれだけは見ておきなよ。君らのリーダーが大いなるものに融かされてひとつになっていく様を。ごらん、すごく美しいだろう」 そいつは、まるっきり本気の顔でそんなことを言うのだ。吐き気がする。エージの身体は、どんどん黒ずんでいく。 オレはちょうど一月くらい前のことを思い出していた。誰か親しい人間が、ある日突然いなくなっちまうってことを。荒垣さんは、あの日の影時間のほんの数時間前まで、すごく元気だったのだ。ダルそうにメシ作ってくれてた。でも影時間が明けると、もういない人になってた。 エージもあんなふうになっちまうんだろうか。明日学校で、全校生徒が体育館に集まって、エージの無愛想な遺影と花が壇上に飾られてて、あいつはなんでか分からんが大分人気があったから惜しまれながら、またなんでもない事故で死んだことになって、誰の記憶からも消えちまうんだろうか。 「ふざっけんじゃねぇえ!」 オレは怒鳴って「アホ」だとか「カス」だとか、ありったけの罵詈雑言をエージに浴びせた。「起きろバカ!」と叫んだ。 「テメーリーダーなんだろが! こんなトコで死んでんじゃねぇ!」 「……何故君が力に目覚めたんだろうねぇ。下品で、不忠で、あの子に苦労を掛けないで欲しいね。何度処分してやろうと思ったことか」 幾月が「そう思わないかい」とエージに笑い掛けた。 「あの彼なら、君もいつもよりも嬉々として壊してくれたろうね」 「オレをシャドウと一緒にすんじゃねぇよ! エージを離せ!」 「まったく、騒がしいな。アイギス、彼らを殺せ。そこの能なしの後継ぎどのと一緒にな」 アイギスの目が、オレらを見る。まるっきりシャドウを見る目だった。ぞっとする。 さっきだって、不意打ちとは言え、オレらが束になってても、エージがいたって、アイギスには敵わなかったのだ。だてに戦車やってるわけじゃない。 こんなトコで磔にされたまま死ぬのかよとオレは悲壮に考える。狂ったオッサンのせいで、死んじまうのか。オレが死んだら、チドリはどうなっちまうんだ。彼女もオレのことを忘れちまうのか。 「お父様ぁっ……!」 クラッカーが弾けるみたいな音がして、それから悲鳴が聞こえた。誰の声だか、一瞬分からなかった。オレは今までその人がそんな声を出すのを聞いた事がなかったし、目の前で一体何が起こってるのかも分からなかった。 桐条先輩だ。オレらの目の前で、あの人の親父さんが倒れてた。 「――アイギスっ……やめて、」 風花の悲鳴だ。それから耳慣れた銃声が何度か。そいつを聞いてオレは、ああさっきのも銃声だったんだ、と間抜けに考えていた。そして身体が急に落下する。床に叩き付けられる。シャドウの鳴き声が聞こえる。アイギスが跳ぶ姿が、ぶれて映る。目の前がグラグラする。 アイギスのペルソナが、エージを呑み込んだシャドウをぶった斬る。 「栄時さん!!」 さっきまで人形そのものの顔だったアイギスの表情が、歪んでいる。焦っているような、悲しそうな、悔しそうな、複雑な顔つきが見える。みんながみんな悲鳴を上げて、それがオレの頭の中をぐるぐる回る。 アイギスがシャドウの腹の中から引っ張り出した栄時を抱き上げて、そこでオレは身体を起こして、転びそうになりながら駆け出していた。 「――エージっ!」 エージの身体は、ちゃんと五体揃っていた。もう黒ずんでもいない。でも意識はない。シャツの腹のあたりが大きく裂けていて、得体の知れない赤い傷痕が見えた。胸から腹にかけて、一本の太い線がはしっている。まるで手術で内臓を取り出して、また塞ぎました、ってふうに見える痕だった。でも血は零れていない。 オレはエージの頬を叩いて名前を呼ぶ。返事はない。呼吸もしてない。 「生きてっか! くそ、なんでこんな、くそ、くそおっ……!」 腕を掴む。でも脈もない。心臓の音が聞こえない。 オレはエージをこんなにした幾月を睨む。でも顔を上げて、呆気に取られる。そいつの腹のあたりには、ありえない量の血がべったりくっついていたのだ。 撃たれたのだとオレは気付いた。 すると、薄寒い感触がした。そういうのがあるってことを、オレはもう理解していたはずだ。エージが動かない。荒垣さんも撃たれて死んだ。でも、慣れてしまえるわけがない。誰かが死んだり殺されたりすることに慣れられるわけがない。そういう納得いかない現象が、こんなふうに当たり前に起こる訳がない。 オレにはどうしても、そういうものすごく現実的な非日常を受け入れることができない。 相手がシャドウなら、オレはヒーローを気取っていられる。でも、人がこうやって、誰か知ってる人間が急にイカレちまったり、死んだりするのは、 「……え、エージ?」 すうっとオレの腕を擦り抜けて、エージが立ち上がった。 そんな訳はない。今こいつは息もしてないし、心臓も止まってしまっているのだ。死んでたのだ。 でも当たり前みたいに立って、ゆったりした足取りで歩いていく。 幾月のほうへ。 「母さん……そう、おいで」 幾月が、あのイッた目で、顔面蒼白で、血を流し過ぎたせいでぶるぶる震えながら、エージに手を伸ばす。あいつには今、エージがあのシャドウのバケモンに見えているんだろうか。 「母さん……私は、あなたを望む。求めるままに、僕にあなたの祝福を……僕を、選んでよ」 エージが両腕を伸ばす。幾月は恍惚とした顔で、ひどく嬉しそうに、エージを見つめている。その顔つきは、吐き気がするくらいにいとおしげだった。エージは男だ。母さんって、何の冗談だ。 エージは何も言わないままそいつに近付いていき、 「ああ……かあさん、」 幾月を、天文台から突き落とした。 「かえせよ、僕の――」 エージがいつもの聞き取りにくい声で、ぼそぼそ呟いている。 「僕のプレイヤー、かえせよ」 ああ、そうだ。オレは思い出してた。 エージは、あいつはプレイヤーがなきゃ急におかしくなっちまうのだ。 いつかだって、オレが突っ掛かっていって、でも相変わらず知らん顔で音楽なんか聴いてるあいつに腹が立って、プレイヤーを取り上げてやった時にも、 『――クールぶってンなモン着けやがってよぉ……! オレみてぇなザコの声なんざ耳障りなだけですってか?!』 『――返せっ!』 『はぁ? んだよ、ナニ熱くなっちゃってんの?! こんなもんごときでよぉ!』 『かっ、返せよぉおっ……! 返して、――うぁっ、いやだいやだ、いやだ、聞きたくないっ……』 『は? な、なにやっちゃってんの、お前。ヒクから、それ』 『あぁあ、うるさい、こんな音聴きたくない……! 止まれ、止まれっ……あぁああ、』 『え、ちょっお前、なにマジなっちゃってんの……こんなモン、』 『……っああああぁあ……かえ、して……、お願い、返してえぇえっ……うっ、うぅう……』 『……え、あの。そんな反応されちゃうとこっちが困るんデスけど』 エージの身体が傾く。あいつの肩にはいつものヘッドホンが掛かっている。プレイヤーもちゃんと胸元だ。影時間に音楽が聴けるわけでもないのに、あいつは後生大事にプレイヤーを離さない。 ちゃんとあの『精神安定装置』(オレは心のなかで、あいつのプレイヤーをそう呼んでいるのだ)がくっついてるのに、なんであいつはあんなになっちまってるんだ。 傾いたエージの身体がふわっと浮く。 墜ちて、いく。 「栄時さん!」 その手をアイギスが掴む。まったくあいつは、アイギスのお姫様かなんかか。びっくりして心臓止まるかと思った。 そして影時間が明ける。エージはまだ目を覚まさない。桐条先輩の親父さんも目を覚まさない。幾月『さん』も、もう目を覚まさない。 ◆◇◆◇◆ オレはそわそわしながら、真田さんに訊く。 「――エージ、どっすか」 この人はわりと面倒見が良いので(ちょっとひとりで突っ走り気味なとこはあるが)、大分不器用に桐条先輩のフォローをしながら、気を失っているエージの面倒もちゃんと見てやっている。真田さんは手を上げて、「わからん」と言った。 「見た目は無事でも、中身が無事だとは限らん。病院でレントゲンを撮って診てもらったんだが……」 「なんかあったんスか?」 「写らん」 「……は?」 オレはあっけに取られた。写らんて、レントゲンが写らんて、どういう人間だ。そもそも人間なのかソレは。 「全然駄目だ。かたちも分からん、真っ黒だ。前々から怪しいなとは思っていたが、本当に人間かコイツは」 「ッスね……実は宇宙人とかじゃないスか。こう真田さんが右手持って、オレっち左手持って、ホラこれで捕まった宇宙人の写真」 「遊んでやるな。まあこいつの場合、もう何が起こっても驚く気力がもったいないと思うくらい、今まで驚かされているからな……」 真田さんはそう言いながらも、心配そうにエージの頭を撫でている。こいつは、こうやって仲間に心配されてるってことを分かってるんだろうか。 エージはいつもオレらのことを、まるでゲームのカードかなにかみたいに思っているふうだった。『シャドウに勝てればいい、ちょっとくらい欠けたってしょうがない』ってふうに。だから周りの反発を招く。まったく、こんな人外が、この街に来るまで普通に生活を送っていたってのがものすごく疑わしい。実はアイギスの兄弟じゃないのか。絶対ロボットだ。 「ったく、ロボのくせに心配掛けやがって」 寝顔が可愛いのが逆にむかつく。オレは手を伸ばして、エージの頬を抓ってやろうとした。そして肌に触れるか触れないかってところで、ものすごく強烈なショックを受けて、慌てて手を引っ込めた。 「アウチッ! な、なに?! なんスかコレ!?」 「ペルソナだな」 「冷静に言わんで下さいよ! なんで先輩は平気で触れるんスか!」 「お前、またこいつに良からぬことでもしようと思ってたんだろう」 「えっ、バリア張ってる? バリア張ってんの? エージバリヤー展開! ビーム発射! そんな感じ?! なんでそんな常に臨戦体勢なんだよ。お前は戦場の一匹狼かなんかか。周りはみんな敵か」 「この分だと、レントゲンもたぶんペルソナの仕業だな。起きたら自発的にもう一度受けさせてみるか」 「真田さん、ちょっと順応し過ぎ! もーちょっとツッコミ入れてやりましょうよ!」 オレらが騒いでいると、うるさかったのか、エージが嫌そうに顔を歪めた。『うるせぇな殺すぞ』って顔をして、うっすら目を開く。まあこいつの場合は、常に『騒ぐと殺すぞ』って顔をしてるわけだが。 「――起きたか」 真田さんがエージの頭をぽんぽんと叩いて、「どこも悪くはないか」と言う。エージはぼんやりしたままだ。どうも反応が鈍い。 「どこか具合が悪くなったらすぐに言え。順平、こいつを頼んだ。見ていてやってくれ」 「え、オレッスか?」 正直ちょっと今のエージとふたりっきりというのは避けたかったが(だってちょっと得体が知れない。まるで四月に転校してきたばかりの頃のあいつみたいだ)、真田さんは「頼んだぞ」と言い置いて出て行く。オレのこともちょっとは心配して欲しいんですが。 オレは溜息を吐き、ベッドの上のエージに話し掛けた。 「あ、あー、生きてて、良かったな。その、」 エージはのろのろ顔を上げてオレを見る。その目はとろんとしていて、感情が見て取れない。最近じゃちょっとは分かり易くなってきたってのに、前みたいなあの、クスリでもやっておられるんですか、って目だ。寝起きのせいだろうか。 「……エージ?」 「…………」 エージはのろのろ口を開ける。すうっと、口の端を涎が流れ落ちていく。表情は弛緩しきってる。 エージはぼんやりした顔のまま、意味のない声を出した。 「――う、あぁ……あぁあ、ああぁああ……」 影人間特有の、空洞のうめきだ。 オレはドアを蹴り開けて廊下に転げ出して、大声で叫んだ。 「さっ、真田さァアん! さなださああん!! 助けてえ、エージがぁあ!!」 |