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海に潜る日 「はじめまして。僕、望月綾時って言います。ちょっと前にこの国へやってきたばかりで、いろいろわからないことも多いから、優しく教えてくれると嬉しいな。この街はきれいな人が多くて素敵だね。どうか仲良くしてね」 僕は微笑む。楽しみにしていた月光館学園への転入初日は、僕が抱いていた期待以上に素敵なものだった。まずこの学園の女の子たちは、他ではちょっと見ないくらい可愛い子ばかりだ。みんな優しそうで、キラキラ光る綺麗な目で僕を見てくれている。やっぱり女の子の目って綺麗だ。おどろおどろしい目で睨んでくる男子とは大違いだ。僕は何にもしてないのに、なんでそんな、死んでくれる?って目で見られなきゃならないんだろう。理不尽だ。僕はみんなと仲良くなりたいと思っているのに。 僕は、先日出会った『黒田栄時』くんのほうを、さりげなくちらっと見た。彼にまで変に怨念の篭った目で見られたらどうしようかなとかなり心配になったけど、やっぱり綺麗なひとは心まで綺麗にできているみたいで、他の男子とは違って、あの憂いのある端整な顔のまま、隣の帽子を被った男子に何やらノートを見せてあげている。 あの帽子の男子生徒、宿題忘れちゃったのかな、と僕は推測する。それであの子がいろいろ教えてあげてるんだ、たぶん。 優しい子だなと僕は嬉しくなる。それにしても、あの帽子の彼が羨ましい。僕も勉強が分からないんだって言ったりなんかして、あの子に二人っきりでいろんなことを教えてもらいたい。 僕はその子がふわっと振り向いたところで、にこっと微笑んで、パチンとウインクしてみた。きゃあって笑って喜んでくれる女の子たちみたいに、顔を赤らめてくれたらなって、ほんのちょっと期待してみたんだけど、 (寝てるっ……!) あの子はそのまま机に頬杖をついて、うつらうつらしはじめた。まるっきり僕なんか眼中外って感じだった。正直すごいショックだった。僕は今、すごく勇気を振り絞って、彼に初めてのアプローチを送ったのに。 このまま休み時間に入ったら、あの子に「こないだは案内をありがとう」って言って、そのまま名前(の読み方)や誕生日や血液型、好きな食べ物とか、タイプの子のこととか、いっぱい訊こうと思っていたのに、すごく、手強い。さすが学園のカリスマ。転校生の僕のことなんて、見てもくれない。ちょっとくじけそうだ。 (で、でもまだまだこれからだし。僕はあの子を知ってるけど、あの子はぜんぜん僕のこと、知らないんだものな) 僕はちょっと考えて、またくじけそうになる。これはまずい。あの子は全然僕を知らないのに、僕のほうは追いかけ回したい気持ちでいっぱいだ。僕はこういうのを何て言うか知ってる。ストーカーだ。女の子の敵だ。 (……気を付けよう) 僕はとぼとぼ宛がわれた席に向かう。そこで、すごく綺麗な女の子と目が合った。金髪の綺麗な子だ。確かあの子と僕以外の、もうひとりの転校生だ。留学生らしいって聞いた。 「やあ、まるでこの街の海に映った空みたいな、綺麗な瞳だね。君の名前をまだ知らないや。良かったら今日の放課後、街を案内してくれないかな。あの美しい海を、君と一緒に――」 「あなたは、ダメです」 いきなりふられてしまった。僕はちょっとびっくりした。初対面で、女の子にこんなにそっけなくされるのって、初めてだ。何かの聞き間違いかなと思ったけど、彼女は険悪な顔で、冷たく僕を睨んできている。 「え……ま、まだ食事にも誘ってないのにっ……あの、海をね、見たいだけなんだ。君とその」 「ダメったらダメです。ダメダメであります。ダメダメであります」 「だ、ダメダメってニ回も言われちゃった?!」 計七回もダメ出しされた。僕はしょぼくれながら空笑いして、「あは、君、面白い子だね……」と力なく首を振った。僕は女の子になら何をされてもいいと思うけど、こうやってあからさまにダメ、嫌いって言われるのは、さすがにやっぱりすごくショックだ。 「うんうん、先生分かるわぁ、アイギスさんと先生の好みは多分同じようなもんだと思うのね。その軽薄マインドが赦せないのね。更に同じ不思議ちゃんキャラとして、コイツ私とキャラカブってるという危機感、シェアを食われないための牽制……頑張ってアイギスさん、先生は応援してるわね」 鳥海先生が腕組みして、悟ったふうに言っている。なんだかまるで僕がすごく悪いことをしてしまったみたいで、さすがにへっこんでしまう。 僕にダメ出しをする女の子は、名前を『アイギス』と言うらしい。すごく綺麗な名前だ。でもまた「ダメです」、それから「近寄らないで」まで言われてしまった。初日から泣きそうだ。 ふと、とんとん、とアイギスさんの肩を、隣の席に座っているあの子が指で叩く。アイギスさんが身体を僕に向けたままくるっと振り返って、彼にいきなりデコピンされた。 『え』 僕とアイギスさんの声が被る。あの子は開いたノートにさらさらと綺麗な文字を綴っていく。 『いじめてやるな』 「……は。すみません、栄時さん」 アイギスさんが軍隊式の敬礼をやって、居心地悪そうにぽそぽそ言った。僕はちょっとびっくりした。このふたり、なんだか王子様とその家来って感じがするってことがひとつ、あとは今まで全然無関心そうだったあの子が僕を庇ってくれたことだ。 僕は、なんだか嬉しくなってしまった。それからアイギスさんが彼を呼んで、『栄時』の『えいじ』って読み方は間違っていなかったことを知る。僕は『綾時』で『りょうじ』だ。きっとお互い珍しい名前だから、一文字お揃いだねってふうに、話し掛けるきっかけになる。ドキドキする。 それにしても、なんで栄時くんは喋らないんだろう。きっと綺麗な声をしていると思うのに、僕はまだ彼の声を知らない。ホームルーム中だから静かにしているんだろうか。それとも恥ずかしがり屋さんなのかな。僕はそんなふうに考えながら、栄時くんをじっと見つめて、そしてアイギスさんに怖い顔で睨まれた。 「――この人を見ないで。近寄らないで。視線で穢さないで下さい。ダメです」 ざわっと教室が沸いた。僕は苦笑いをしながら、うんごめんね、とぼそぼそ言って、席に着いた。ちらっと栄時くんを見ると、そっぽを向いて他人のフリをしている。 変なことになって嫌われちゃったかなと、僕はちょっと怖くなった。 (……ほんとに気を付けよう) 僕は『困ったなあ、そんなつもりじゃあなかったんだけどね』ってふりをしながら、心の奥底まで見透かされている感じがして、ひどく居心地が悪くなってしまった。確かに僕は綺麗な栄時くんを、汚い目で見ていたかもしれない。 カリスマだとか、学年トップだとか、綺麗な顔だとか、僕は彼の噂や外見を知っている。でも何も知らない。まだ一言も言葉を交わしてすらいない。 それで好きになっちゃったなんて、きっとどうかしていると思われるだろう。何も知らないくせにって怒られるかもしれない。 でも僕は確かに栄時くんを見ると胸がドキドキして、息が苦しくなる。今だって席を立ち上がって彼の手を握り、僕を見てよと言いたくて仕方がない。一度もまだ聴かせてくれていない君の声を聞かせてよとお願いしたい。せっかく『すごく安心する、心地の良い、僕にとても良く似た、優しい声』なのに。 (……あの子、呆れてないかな) 僕は鞄から教科書とノートを取り出して、机に並べながら、もやもやと考えていた。 (なんにも知らないのに、勝手にこんなふうに想って、一生懸命じゃないって思われちゃうのかな) 僕は怖くなる。栄時くんはまだ一度も、ちゃんと僕のことを見てくれてない。僕の名前も、きっと覚えてはくれてない。 ちらっと後ろを見ると、栄時くんはまたノ―トに何か書いて、アイギスさんをじっと見つめて、何か念を押すような仕草で首を傾げていた。僕はきゅっと胸が痛くなった。僕はまだ彼にとっては、なにも知らない、その他大勢のうちのひとりに過ぎないのだ。 休み時間になると、わっと人が押し寄せてきた。女の子がたくさん、男子もちらほら。みんな「もう三人目だね」とか「すごいな」とか言っているけど、転校生がやってくることに慣れた感じはしない。新入りはやっぱり珍しがられちゃうようだ。今までの学校でもそうだったように。 僕にまず話し掛けてくれのは、背の高い、帽子を被った男子だった。さっきあの子がノートを見せてあげていた生徒だ。 「いよっ、テンコーセー! お前も変な時期に転校してきたな〜」 「そうだね。でもいつもこんな感じなんだよ。うちんとこ家族の都合でいろんなところを点々としてるからね」 「ふぅん、大変だなあ。えー、『ボウゲツアヤトキ』だっけ?」 「……一文字もかすらないよ。『モチヅキリョウジ』ね。君は?」 「オレっち伊織順平。順平でいいぜ、リョージ。っしゃ、今回も転校生に初めて話し掛けたオレ! 記録を更新! パーフェクト!」 「あーずるーい、私が一番先に話し掛けようって思ってたのに!」 「わたしもぉ。もーちょっと順平くん、どいてよ。リョ―ジくんが良く見えないじゃない」 順平くんって男子は、僕に話し掛けてくれたと思ったら、女の子たちに輪の外へ弾き出されてしまった。「なんで?! どーしてみんなオレっちに冷たくするの?!」とぎゃあぎゃあ喚いて、女の子に「ばーか」とか言われている。そういう芸風の人なのかなあと僕は思った。面白い男子だ。 順平くんは人だかりから離れて、近くの席の女の子としばらく話をしていたけど、教室の前のドアから見慣れない男子生徒が顔を出すと、急にかしこまった顔になって、帽子を取ってぺこっとお辞儀した。 「お疲れ様ッス、真田先輩! なんかご用ッスか?」 「用というか、黒田の様子が気になってな」 どうやら三年生らしい。彼が入ってくるなり、女の子たちが皆揃ってきゃあきゃあ言っている。 「望月くん、彼ね、ボクシング部主将の真田先輩ね」 「へえ〜」 「かあっこいいわねえ〜! センパーイ、こっち向いてくださーい!」 どうやらその男の人は、ここじゃすごく人気者らしい。すらっとしていて、クールな二枚目だ。それより彼は今『クロダ』って言った。栄時くんのことだろう。やっぱり『クロダ』って読み方で合ってたみたいだ。よかった。 「栄時さんなら問題ありません。いつもアイギスがお傍でお守りしております」 「分かっている。だが美鶴も心配していてな。暇があれば見て来いとうるさい。 ――黒田、声の調子はどうだ。『最悪です』? まあそれはそうだろうが。放課後顔を貸せ。逃げるなよ、いいな。……嫌そうな顔をするな。お前の病院嫌いはなんとかならんのか。アイギス、授業が終わったらすぐに迎えに来るから、こいつを捕まえておいてくれ。離すなよ」 「了解であります。授業終了後、ただちに栄時さんを拘束いたします」 盗み聞きみたいでちょっと居心地が悪かったけど、その遣り取りを聞いて、僕はなんだかすごく沈んだ気分になった。あの子、喉が痛いのかな。だから喋らなかったんだろうか。風邪かな。 |