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息をしない、泣かない、心ない、 「いよっ、ビョーイン嫌いのエージ。元気してっか?」 ガラガラ病室のドアを開けると、することもなくて暇して寝てるかなとも思ったが、エージはちゃんと起きていた。膝の上にノートを乗せて、静かにペンをはしらせている姿が一瞬あの子と被って、オレはついぎくっとしてしまった。 でも良く見ればエージが抱えているのはどうやら溜まったレポートか何かみたいだったし、あの綺麗な長い髪もなかったし、憎たらしい顔をしている。全然似てない。なんでこんな宇宙人とチドリが、たまに被って見えるんだろう。なんか自分にムカついてきた。 エージはオレのほうを見て、「意外だな」と言った。 「……真田先輩に言われたのか。それともあの子のついでだったか。ここでお前の顔を見るとは思わなかった」 「ンだよ、せっかく寄ってやったのによ。お前はホンット可愛げのねー野郎だよ。ンだよ、見舞い客はもう足りてます〜ってか? お前人気者だかんなぁ」 「……べつに。誰も来ないよ。心配するだけ無駄らしい。まったく、俺のことを超人か宇宙人か何かだと思ってるんじゃないのか」 「あ……うーん」 オレは『その通りじゃん』と突っ込んでやりたかったが、エージに自覚している様子がまったくなかったので、なんとなく居心地悪くて止めた。 エージのベッドの横の椅子を引っ張り出して座る。それから鞄からポッキーの箱を引っ張り出して(鞄の中で押しつぶされたらしく、四隅が凹んでいた)、封を開け、二本口に入れ、一本エージに差し出した。 「お前も食う? さっき転校生から貰ってよ。お前の様子見にいくつったら、お見舞いだってよ」 「見舞い品で『お前も』ってなんなんだ。……転入生、確かアイギスがダメ出しした奴だな」 「おぉ。望月綾時ってやつな。スゲー奴だよな、転校初日から全校女生徒の視線を掻っ攫うニクイ男! この伊織順平にようやくライバル出現だな。待ちくたびれたぜ……」 「黙れこの非モテ男。お前の取り柄はヒゲと帽子だけだ」 「うっせーよ! オレっちモテるんだぜ? あん? 妙な交友関係ばっか増えてくお前とは違うのだよお前とは! 超美人のチドリンなんか、もうオレっちに夢中でいやーもう照れちゃうんだぜ? ……こないだもう来んなっつわれたけど」 「お、俺だってアイギスがそばにいたいって言ってくれたぞ。……ロボットだけど」 「……この話は止めようか、エージくん。なんか虚しくなってきた」 「……そうだな、順平。俺ともあろうものが順平と張り合うようになってはお終いだからな」 「テメッ……元気じゃねーかよ! 退院しろよ! そしてお前も月光館都市伝説調査部隊に入隊しろ。あ、リーダーオレね。実は今からね、ちょっと面白いことやろうってね、ダチが集まってんのね、うん。例の転校生も引っ張り込むのになんとか成功してよ、おかげで美少女入れ食い状態。望月様ー!」 「なんだ。人を待たせてるならさっさと行けばいい。俺のことはほっとけよ。どうでもいいだろ」 「……お前、そんなだからまともなトモダチできねーんだぞ。もうちょっとこう、柔らかい反応しろよ。お前がそーいう奴だってなんとか分かってきたオレっちでも、たまにくじけそうになる時があるぞ」 エージは相変わらずツンツンしてつっけんどんで、ハリネズミみたいな野郎だ。しかも暗い。オレはこいつの笑顔とか、見たことがない。たまにアイギスと話をしてる時に、にやっとすることはあるが、それだって『何を企んでいるんですか』って顔つきだ。 エージはふうっと溜息を吐いて、「悪かった」と言った。急に謝られると思ってなかったオレは、予想外で驚いてしまって、「は?」と間の抜けた声を上げてしまった。 エージは「八つ当たりだと思う」と言った。 「さっさと帰りたくて、苛々してるんだと思う。……病院は嫌いだ」 まるで『こっから外にテレポートでもできたら』とか考えているみたいな調子で、エージは窓の外を見てぼそぼそ言う。その言いかたがまたあんまりチドリみたいだから、オレは心臓が停まりそうな気分になりつつ、でも夢中になってる女の子とこの小生意気なヤローが似てるとか、そういうことは納得したくなかったから、とりあえず茶化しておく。 「ンだよ……お注射キライですってか? あのチクっとすんのがヤですってか? 小学生か」 エージは「それもある」と頷いた。まあ注射大好きって奴はそういないだろう。 「あるけど、白い、……真っ白で、目が痛くなる。壁も廊下も、手術のライトも、……好きじゃない」 「そ、そっか。……お前さ、マジでチドリみたいなこと言うのな」 オレはつい反射的にポロッとそんなことを言っちまって、エージに『またかよ』って顔されて、白い目で見られた。 そう言えばこいつはリーダーのくせに、捕まえたストレガの様子を見に病院へ来るってことは一度も無かったのだ。「俺が行かなくたってどうせ順平がうざいくらい顔を出してるだろ」とか言って、まあ確かにその通りなんだが。 正直チドリをあんまり俺以外のヤローに見せたくないオレとしては、「あぁよかった」くらいに思っていた。でもエージのやつは、気にならないんだろうか。最近良く入院させられる羽目になったんだから、入院ついでに顔くらい見てやるかな、とか思わないんだろうか。 まあ、何でも「どうでもいい」の奴だから、そういうのもアリなのかもしれない。こいつは宇宙人かなんかなのだ。オレにはエージが何を考えているのか、正直本気で良く分からない。 「チドリ……あのストレガの子か。お前はその話ばかりだな。別に俺がどうとかじゃなくて、お前の頭の中に彼女しかいないってだけだろ、どうせ」 「う、うるせぇな。どーでもいーだろ」 オレは言葉に詰まって、いつものエージの「どうでもいい」を返してやった。エージは「ふうん」って顔をしている。 「――まあ俺の知ったことじゃあないが、あいつが危険な奴だってことは理解しておけよ。彼女がここにいるのは、召喚器と武器を取り上げられているからだ。逃がすなよ」 オレはそこで、エージを怒鳴り付けても良かったんだと思う。彼女のことをなんにも知らねーくせに、知ったふうな口訊くんじゃねぇよと。あの子がどんな顔して笑うか、お前は知ってんのかよと。 でもオレの目の前に浮かんだのは、いつかのチドリの、無表情の顔だった。彼女はいつものように絵を描きながら、オレのほうも向かないままで、聞き取り辛い声でぼそぼそ言ったのだった。 『……アイツ、気を付けたほうがいい』 『えっ? アイツ?』 『順平とこのリーダーやってるアイツ。……危ない。怖い奴』 『あー、確かに得体の知れねートコあるしなあ。女のカンってやつ? ん、チドリンあいつ嫌い? 第一印象最悪? 奇遇だなぁ、実はオレっちもなんだよー、も、あいつほんとマジむかつく奴でさ!』 『……殺してあげようか?』 『えっ? い、いやいやいや、殺すのはマズいっしょ。ケーサツ沙汰だし、まぁ悪い奴じゃねんだよたぶん、うん』 お互い危険な奴だって認識まで似たり寄ったりですか、エージくんとチドリちゃん。オレは溜息を吐いて頭を振る。いや、そんなことは当たり前なのだ、オレらは敵同士として出会ってんだから。危ないってんなら、仲間のみんなや、あのもう死んだストレガたちだって、お互いがそう思ってるだろう。エージとチドリが特別じゃない。 「――ん、」 オレはなんとなく、エージの手首に目をやる。そこには鮮やかな傷が見て取れる。深いものから、浅いものまでだ。足にも包帯が巻かれている。頭にもだ。 エージの入院の理由は、表向きには風邪をこじらせて喉がいかれちまったせいってことになってる。 十一月四日、あの日シャドウに食われてから、エージはしばらく口を訊けなくなった。何言ってもうーあー影人間みたいな声が出て、エージ自身もわりと途方に暮れていたらしい。あれから数日で声は元に戻ったが、そのかわり、エージの身体に奇妙なことが起こるようになった。 朝起きると、覚えのない傷が身体じゅうにあるらしい。それは深いものだったり、浅いものだったりする。足の裏とパジャマの裾に泥がくっついていたこともあったそうだ。 一度ゆかりッチの提案で、一晩中監視カメラ(そんなモンがこの寮に付いてたってのが驚きだ)を付けっぱなしにしていたら、夜中フラフラ起き出して、パジャマと素足のまま部屋を出て行くエージの姿が映っていた。 でも本人は何も覚えていないそうだ。 それは普通の人間が影人間化する兆候に良く似ていた。シャドウに呼ばれて、ふらっとどこかへ出掛けちまうのだ。こないだまで影人間みたいだったエージだから、シャドウに味を覚えられて狙われてるかもしんねー、ってのが、オレらの立てた仮説だった。 まったく薄気味悪いことになってるのに、エージの野郎は相変わらず「どうでもいい」と抜かしやがる。妙なことが起こることにも、部屋に監視カメラが付いてることにも無反応だ。それでいいのか。無性にこいつにデコピンしたい。 「手首、さ」 「ああ」 「ホントに、マジなんも覚えてねーの」 「ああ。なにも」 エージはちょっと口篭もって、すっと手首を翳した。馬鹿に細い腕だなとオレは思った。でもこの細さに騙されちゃならない。こいつはこの細腕で、ヘカトンケイルもぶっ飛ばすのだ。 「最近、傷の治りが遅いんだ。前はほっときゃこんな傷、一晩経てば消えてたのに」 「……普通は治らねーんじゃねーの?」 オレはつっこむ。普通は自殺未遂の傷が、朝起きたら治ってました、なんて話にはならない。チドリじゃあるまいし。 なんでこいつはこうも彼女と被るんだろうなとオレは思う。なんだかふたりとも、生きているって匂いがしないのだ。ふたりとも間違いなく息をしてるのに、なんでこんなふうに感じるんだろう。 オレは今までこいつが昔どこで何をしていたかとか、そういう話をしているのを聞いたことがない。 明日の話をしているのを聞いたことがない。旅行だって当日の朝になって、『あっそうだった』って顔をして用意をはじめるのだ。 あの時は確かもういない幾月『さん』が、「君ならそういううっかりをやってくれるって信じていたよ〜」と大ウケしながら「はいこれ」と水着だとか着替えだとか用意してやってたんだったか。お前らは父子かよとあの時オレは突っ込んでやったのだった。 チドリも同じような感じだった。昨日の話も明日の話もしない。 オレはだから、なんとなく、エージならチドリの思考回路ってもんがちょっとは分かるんじゃないかなって気がした。割合上手くやってたと思えるのに、なんである日突然もう会いたくないとか言い出すのかとか、そういうことが。 「あの、さ。お前さ、誰かその、仲良かった奴がいたとして、いきなりそいつのこと嫌いになったりすることってあるか?」 エージは『何の話』って顔できょとんとしていたが、オレのマジな顔を見て、冗談言ってるわけじゃないと悟ったらしい。しばらく考える素振りを見せたあと、いつもの聞き取り辛い声でぼそぼそ言った。 「……わからない」 オレは脱力した。聞いたオレが馬鹿だった。この朴念仁というか、宇宙人に、地球人のオレやチドリの考えが理解できるわけがない。そうだった。オレはバカだ。 エージは律儀に「悪いな」と言っている。どうやら真面目に考えてはくれていたようだ。それだけで充分だった。「変な話をしちまったな」とオレは謝る。エージは首を振って、「そうじゃない」と言う。 「好きとか嫌いとか、わからない。こういうこと言うと、またお前は怒るんだろうが、本当に俺には分からないんだ。考えても考えても、ぼんやりしてる。多分俺、今までちゃんと人とか物とか、好きになったりしたことないと思う」 なんて友達甲斐のないやつだ。オレは置いてきぼりの気分になって、情けなくなってるだろう顔で、「お前なあ……」と溜息を吐いた。 「……オレのこともかよ。せっかく見舞い来てやってんのに」 「悪いとは思ってる。お前がすごくいい奴だっていうのは知ってる。でもどうしてもわからない」 エージは首を振る。その様子は大真面目で、オレはエージの奴が何かの冗談を言ったり、とんがったりしている訳じゃなく、本当に分からないんだってことを理解した。オレは途方に暮れそうになる。こいつは本当に人間か。どこまでハートレスなんだ。 エージは言う。 「――仲良くなったって仕方ない。どうせずっと一緒にいられるわけじゃなし、すぐ離れ離れになる。好きになったら、その時痛いだけだろ。欲しいものも、なんにも欲しがらなきゃ、無くしても辛くない。だから人との繋がりなんて、今喋ってるだけでいい。俺はひとりでいい。――だって、」 声はいつもの平坦なアレだ。でも、オレはちょっとびっくりした。今までそいつの声に感情が混じることなんてほとんど無かったのに、オレにはしっかり、エージの声の中に『痛い』とか『苦しい』とかを感じることができたのだ。 エージが言う。 「……俺、人と繋がる資格がないと思うんだ。なにか、大事なものが欠けている気がするんだ。たまに考えるんだけど、――俺、もう死んでるんじゃないかって」 「ハア?」 じゃあここでオレと話してるのは、これ以上ないくらい生きてるのは誰なんだよと、オレは言いたい。でも言えない。エージが珍しく良く喋っていて、オレにはなんだか、そいつの言葉を押し止めるのが、すごく悪いことみたいに思えたのだ。 「十年前、事故に遭ったんだ。家族はみんな死んだ。顔も覚えてない。俺、本当はあの時にみんなと一緒に死んじゃったんじゃないかって、良く思う。今息してんのは、何て言うか……おかしいって、思うことがある。心臓動いてるのも、食事するのも、俺がそれをやるのはすごく変なことなんじゃないかって思うことがある。ほんとは俺以外に、それをするべき人がいたんじゃないかって、思うんだ。俺がここに生きてるのは、なんかの間違いじゃないのかって」 オレは何とも言えず、「そっか」と頷く。 こいつにも昔ってものがあるのだ。当たり前だが、オレにはどうしてもエージの完璧な部分に目が行ってしまう。何をやらせても何でも完璧にこなすエージ。ツキ高のカリスマ。テストを受けさせれば全教科満点の学年トップ。身体を動かせば運動部のエース。そして、夜になればS.E.E.Sのリーダー。期待のホープ。まじりっけなしのオレらのヒーロー。 怖いものなんてなんにもありません、って顔をしている。最初は大分ムカついたけど、そういう人間もこの世界にはいるんだって納得がいくと、腹も立たなくなった。オレも『こいつはマジすげー』と思ってる。あんまりすごすぎると、張り合う気にもなれなくなるのだ。 でもエージ自身にも、多分辛いことがあったんだろう。はじめから終わりまで幸せなだけの人間ってものがいないってのは、オレにもちゃんと分かってる。 でもエージには、『こいつならあるいは』って気分にさせられるのだ。 「――ま、無理すんなよ。しっかりやれな」 そのくらいしか言ってやれないのが悪いが、オレはエージの背中を叩いて、「じゃ、オレそろそろ行こかな」と言う。待ち合わせの時間はもうすぐだ。 「ジャマしたな。もう怪我すんなよ。……身体、大事にな」 「――あ、」 エージがぱっと顔を上げた。その顔がなんだか、今まで見たことがないものだったから、オレはちょっとびっくりした。何というか、『ふつー』だったのだ。 いつもの無表情じゃなくなると、完璧のエージもなんだかオレらと同じの普通のガキに見えた。 「ど、どしたん?」 オレが訊くとエージ本人も大分困惑した様子で、「いや」と頭を振った。 「……なんだか、誰かがそんなことを言ってた気がする。……たぶん、家族。父さん……」 「え?」 「大事にな、って」 オレは頷いて、立ち上がり掛けていたところを、もう一度椅子に座り直す。そんな何でもねーことまで忘れちまってたエージが可哀想になってきた。 ガキなら誰だって言われたことがあるだろう。とりたてて特別なことじゃない。思い出して『あっこんなこと言われた』ってびっくりした顔をすることでもないだろう。 オレは膝の上で腕を組んで、エージをじっと見た。 「……ちょっと、思い出してきたんか?」 「そう……なのかな。ただ、いつだったか、確かすごく昔、おんなじこと言われたんだ。身体は大事にしろ、約束だって」 エージの口から親の話を聞くなんて初めてだ。オレは内心ちょっとびっくりしていたが、にやっと笑って「へえ」と頷いた。 家族の話をするエージの顔は、今まで見たことがないくらい普通だった。 「――親父さん、どんな人だったんだ?」 家族仲が良いってのは良いことだ。オレんちはぐちゃぐちゃで、どうしようもなくなってる。あんな親父早くくたばっちまえと考える。 その点では、どうやら大事にされてたらしいエージが羨ましいと思うが、こいつの家族はもうこの世にはいないのだ。世の中上手くいかねーもんだと思う。 もしエージの家族がまだこいつのそばにいたら、こいつももうちょっと付き合いやすい奴になってたかもしれないと、オレは思った。たぶん親父さんとかが、「その無愛想な面をなんとかしろ」とか、「友達は大事にしろ」とか、そういう当たり前のことをちゃんとこいつに教えてやってくれてたはずだ。まったく上手くいかないものだ。 「さあ……どんな人だったっけな。覚えてない。でも、――たぶん、俺のことを好きでいてくれた気がする。遊園地に行ったのを覚えてるんだ。ヒーローショウ見に。背が高くて、子供の俺と手を繋ぐの結構大変だったろうに、歩く早さも合わせてくれたりさ。父さんは栄時のヒーローだってのが口癖で、確か笑ってばっかで、それ以外の顔なんて俺、」 エージが驚いた顔をした。 オレは目を伏せた。 エージは普通の顔のままで、でも目からすうっと涙が零れたのだ。 「――あれ?」 「……悪ぃ」 「あれ、おかしいな。なんで顔も覚えてない親のことで、こんなものが出てくるんだ? なんだこれ」 なんでそんなこともわかんねんだよとオレは突っ込んでやりたかった。お前だって悲しかったり悔しかったりして泣くことくらいあんだろと。 でもエージはまるで、ホントに、生まれて初めてこんなもの見ました、って顔をして、不思議そうに目を触って、「水だ」とか言っている。 オレはいたたまれなくなった。 お前、ほんとにわかんねぇのかよと。お前にはホントに心がねぇのかよと。 「……泣いてんだろ」 「泣いて……」 エージが首を傾げる。 「順平?」 そして真面目な顔をして、オレに訊く。 「泣くって、なんだっけ」 |