ースト・ハント




「それでね、交通事故に遭ってまっぷたつになっちゃった男の子の幽霊なんだって」
 女の子が、ちょっと声を落として言った。
「すごく悲しそうな顔でね、泣きながらうろついてるんだって。『僕のからだ、僕の半分、どこにいるの……』って言いながら」
 今、月光館学園では怖い話が大流行だ。女の子たちはみんな怖い話が割と好きみたいで――ううん、好きじゃないけど気になるみたいで、休み時間になるとヒソヒソ話している。
 僕は正直そういう話がすごく苦手だ。ぶるぶる震えながら、「わわあ」とか「ひえっ」とか情けない声を上げる度に、「望月くん可愛い〜!」と女の子たちに抱き付かれている。抱き付かれるのはすごく嬉しいけど、怖い話はお願いだからもう止めてくれないかなと、僕は申し訳ないけど思った。
 だって本当に怖いのだ、そういうの。昔から苦手で、良く「綾時、ほんとに怖がりだね!」と僕より大分歳下の子にまで笑われていた。
「なんか、可哀想だね……それよか怖いから早く成仏してよって感じだけど」
「それがね、ポイントはソコじゃないんだよねー。その男の子の幽霊ってのが、超イケメンなんだって! ちょっと見ないくらい良いらしいよ? 細くって、儚げで、女の子みたいなんだって。もう一緒に連れてってもらいたくなっちゃうくらい素敵なんだって!」
「え。でも半分なんだろ? 内臓とか見えてんじゃないのかよ?」
 順平くんが嫌なところに突っ込んだ。僕は想像してしまって、また「ひえっ」と声を上げてしまった。身体が半分しかない人体模型みたいな男の子が、ずるっ、ずるって這いながらこっちに寄ってくる光景は、空想のなかのものとは言え、すごく怖かった。今晩眠れなくなりそうだ。
「順平くん、夢壊しすぎー。美少年なんだよ? そんなわけないじゃん」
「万一アレでも顔さえ良ければいーっていうか」
「え、ちょっとあんた懐広大過ぎ!」
 そしてその話題が終わる頃には、なし崩し的に『月光館都市伝説調査部隊』とかいうグループに入れられて、今日の授業が終わってから肝試しみたいなことをやる羽目になってしまった。僕はなんとか言い訳を考えて帰ろうと思ったけど、「お前、今日ひとりんなったトコ襲われるから」とか順平くんに言われてしまったのだ。そんなのは駄目だ。今夜はひとりになりたくない。トイレにも行けやしない。





◇◆◇◆◇





「ちょっと、やめてよ。そんなのいるわけないじゃない……もう、なんでこーいうの流行るわけ? 前だってなんにも無かったんだから!」
「あーやっぱ怖いんだぁ、ゆかり〜。お化け怖いもんねー」
「こ、怖くないって言ってるじゃない!」
 ゆかりさんも怖いらしい。でもからかわれてヤケになったみたいで、結局くっついてきている。負けず嫌いなのかなと僕は思った。
 あんまり怖がっているものだから、僕が手を繋いでいて差上げましょうか、と提案したんだけど、そういうことしたいのはアンタじゃないからイヤ、とすげなく返された。やっぱりこの学校の女子は、綺麗な分だけガードが固い。でも負けないぞ。
――そう言えば順平、黒田くんのお見舞い行って来たんだって? あんたが珍しいね。あの子のついで?」
「んなわきゃねぇだろゆかりッチー、オレっちだってあいつの心配くらいしますよー」
 順平くんは笑いながらそう言って、それから急に真面目な顔になって、「ほんとに」と言った。
「……マジで、心配なってくるよな。なんかあーいうことあってから、最近のあいつってさ、不安定じゃん。プレイヤーちゃんと付けてんのに、」
「黒田くんがどうかしたかい?」
 そんな深刻な顔であの子の話をされると、すごく不安になるじゃないか。
 あの子は大丈夫なんだろうか。どうやら検査入院とか言うのをしてるらしい。順平くんが放課後集合前に、「ちょっと時間あっから栄時見てくるわ」と抜け出した時は、本当は僕もすごくついていきたかった。ついてって、どこが痛いのとか、早く元気になってねとか、いっぱい励ましてあげたかった。僕はちゃんとここにいるよ、と言ってあげたかった。あまり面識のない僕に言われたって嬉しくもなんともないかもしれないけど、ちょっとでも安心させてあげたいと思った。
 僕の顔を見ると、順平くんは急に慌てた顔になって、「なんでもねーよ」と頭を振った。
「おお、最近えーとホラ、寒くなってきたじゃん? あいつ風邪こじらせちまってさ、いつもはアホみたいに頑丈なのになー」
 それより早く行こうぜ、と肩を押された。僕はなんだか『お前には関係ないことだ』と言われたみたいでちょっと胸が痛んだけど、「そうだね」と笑って言った。
 女の子たちが僕の両腕を取って、「望月くん知ってる?」と話し掛けてくれた。
 このままずーっとくっついてくれていれば、僕の怖さも大分薄まるような気がするんだけど。そう言うとみんなきゃあって嬉しそうな声を上げて、「じゃあくっついててあげるー」「あたしもー」とそばにいてくれる。良かった。可愛い女の子と一緒にいられるなら、まあ肝試しも悪くないかもしれない。これで怖い話が出なければ最高なんだけど。
「なんかね、ムーンライトブリッジで事故に遭って死んじゃった子なんだって。だからあの辺よく出るらしいよ。中学生か高校生くらいで、白いパジャマ着てるんだって」
「なんで事故ったのにパジャマ着てんだよ。年じゅうパジャマ派?」
「順平夢壊さないでよ。きっと病弱だったのよ、入院してたりしたんじゃない? すっごい華奢なコらしいし」
 僕らは問題のムーンライトブリッジの近くへやってきていた。でも、割と車の行き交いが激しくて、幽霊が出るとか言った感じじゃない。
「……コレ、出ねえよなぁ〜。なんかパジャマ少年出ても、また車に轢かれんぞ」
「だねえ〜」
「バッカじゃない。幽霊なんて、いるわけないじゃない」
 ほんとにそんな感じだった。橋は夜じゅう光っていて、お化けなんかお呼びじゃないってくらい、明るくあたりを照らし出している。それより轢かれそうで危ない。僕らのほうがお化けになっちゃいそうだ。
「だよなぁ〜、たぶんそのパジャ男……」
「白いパジャマの美少年だってば! 変な略しかたすんな順平っ!」
「あ、うん。それだってさ、たぶんきっと、どっかの夢遊病のガキが真夜中にフラフラ出歩いて……」
 そこまで言った途端、順平くんの顔が見て分かるくらいにさあっと青ざめた。どうしたんだろう。ほんとに幽霊でも見たんだろうか。
「ゆ、ゆかりッチ! ちょっ」
「な、なによ」
「み、耳貸して耳っ……!」
 順平くんがゆかりさんの耳元でなんだかごにょごにょ内緒話をしている。ゆかりさんも「あっ」て顔つきになって、顔を真っ青にした。順平くんとお揃いだ。
「鈴の音を聴いたら、出てくる予兆なんだって」
「なんかロマンティック〜」
「ね、どっち賭けた? 私五体満足」
「あたし半分で内臓露出〜」
「……そんな夢も希望もない。ね、綾時くんは?」
「え……か、勘弁してよ。怖いの苦手なんだよ〜。だから五体満足でいてほしいね」
「あはは、かわいい!」
 僕と女の子たちがわいわい騒いでいると、さっきとおんなじように顔を真っ青に――いや、ちょっと脂汗も浮かんでいる順平くんが急に、「もー帰ろうぜ」と言ってきた。
「た、ただいまを持ちまして、月光館都市伝説調査部隊を解散いたします!」
「えーなにソレ? しらけるー」
「やだーもう、言い出しっぺのくせに怖いの?」
「怖いとかじゃっ……なくてその、……危ないというか、ホラそのパジャマくんがね、もしだよ、万が一暴れ出した時とかさ、オレらだけじゃ敵わないっていうか……」
「アイギス連れてくれば良かったね……」
「えー、でもあのコ綾時くんがダメなんでしょ? ちょっと感じ悪いよー」
「しょうがないんじゃない? カリスマ命なんだし……」
「それもそれで羨ましいよお。あたしも栄サマに服従したーい」
 やっぱり栄時くんはすごく人気者だ。こんなふうにいないところでも、きゃあきゃあ言われてる。すごいモテる子なんだなと思う。
 結局リーダーの順平くんが解散を決めてしまったから、僕らの肝試しは始まりもしないうちから終了してしまった。女の子たちは残念がってたけど、僕は内心ちょっとほっとした。幽霊に遭わなくて良かった。
 みんな「つまんない」とゴネていたけど、お詫びに順平くんが全員にワックを奢るって話で納得してしまった。ワックってなんだろう。
「ね、ワックってなんだい?」
「え、綾時くん知らないの?」
「あ、たしかすっごいお金持ちなんだよね。今まで海外にいたんでしょ? やっぱり違うよねー。ワックってのは、ワイルダック・バーガーってファーストフードショップの――
 僕が訊くと、女の子がすごく丁寧に教えてくれた。ふんふんと頷いていると、急に、耳鳴りみたいな音が聞こえた気がした。
――え?」
「綾時くん? どうかした?」
「あ、うん……なんか、耳鳴りが。なんか聞こえた気がして」
 僕は顔を上げる。
 それが合図になったみたいで、軽やかな鈴の音が響いた。
「え」
 近いのか遠いのかわからない場所から、それは聞こえてくる。
「え? これって、鈴の音じゃない? ねえ、ちょっと」
 僕はびくついて、近くにいた女の子に話し掛けた。でも、その子はさっきまで僕に笑い掛けてくれていたのに、僕の声には応えず、そばにいた別の女の子と話しはじめてしまった。
 僕の手を取ってくれていた女の子たちも、おんなじようなふうだった。いつのまにか僕のことを綺麗に忘れてしまったような感じで、他の子と喋っている。僕はここにいるのに。
 僕は不安になって、リーダーの順平くんに「ねえちょっと」と声を掛けた。でも彼も僕のほうを見ずに、ゆかりさんと話をしている。
『あのヤロ、夜中になにやってんだ。事故ったらどうすんだよ』
『今日は大丈夫なのかな……病院なんでしょ? 行った方が良くない?』
『面会時間過ぎてっぞ。明日朝イチで戻ってくるって聞いたけど。くっそ、ベッドに縛り付けてくりゃ良かった』
 ふたりは僕には分からない話をしている。
 そうしているうちに、鈴の音に混じって、ペタペタ小さな足音が聞こえてきた。
 僕は振り向く、心臓がばくばく鳴る。
 幽霊だ。『白いパジャマの美少年』だ。なんでみんな、こんなに大きな音に気付かないんだ。橋の向こうからやってくるあの足音に気付かないんだ。
――うわ……!」
 僕はびくっと身体を竦める。音の正体を知る。
 怪物だ。
 真っ白の怪物が、鈴を付けた頭をグルンって一回転させるごとに、軽やかな鈴の音が鳴る。
(ちょっとちょっとちょっと、美少年とか、身体が半分とか、そういう問題じゃないじゃない。人間ですらないじゃない……!)
 僕は泣きそうになる。逃げなきゃ、と思う。
 でもそいつに背中を向け掛けたところで、すごく悲しそうな呼び声を聴く。





――待って、×××××』





 その声は僕に良く似ていた。誰かの名前を呼んでいるみたいだった。
 彼が呼んでいるのは、上手く聞き取れなかったけど、なんだかすごく聞き覚えのある名前だった。まるで自分についたあだ名を呼ばれるような感覚があった。
 僕が立ち尽くしているうちに、白い怪物はすぐ僕の傍までやってきて、そして僕はびっくりして叫び出しそうになった。
 怪物が守るように抱いている男の子がいた。
 その子は、僕も良く知っている――





「黒田、くん」





 僕は大分信じられない気持ちで、その子の名前を呼んだ。
 彼はすっと顔を上げ、僕を見た。その目は、学校で見る彼のものとは大分違っていた。グレーの虚ろな悲しそうな瞳じゃない。青みがかっていて、きらきら輝いている。少し潤んでいる。
 彼は僕を見つめてとても嬉しそうに微笑んだ。
 その顔があんまり綺麗だったから、僕はぽおっとなってしまって、固まって、指一本動かせなくなってしまった。
 栄時くんの腕が伸びてくる。手が、僕の顔に恐る恐るといったふうに触れる。





『君だよね。僕のこと、わかる?』





 僕は頷く。黒田栄時くんだ。僕がここへ来た日に一目で恋に落ちた綺麗なひと。
 栄時くんは『触っても消えないね』とほっとしたようだった。そして僕を抱き締めた。
 僕は、ぎくっとした。彼の身体はあんまりにも冷たかった。生きてる人って感じがしない。彼はほっとしたように、『あったかい』と言った。





――僕の心臓、ちゃんと動いてる。あんなに嫌な音だったのに、君の身体のなかで動いてると、こんなに安心する音になるんだ。知らなかった』





 栄時くんは僕の胸に耳を当て、じっとして、僕の心臓の音を聴いている。ドキドキしてしまって、僕の心臓は自然早くなってしまう。ちょっと恥ずかしい。
 そうやってくっついていると、僕にも栄時くんの心臓の音を聴くことができた。危なっかしくて、不規則で、電池が切れ掛けた時計の針みたいな、もうすぐ停まってしまいそうに小さな、でも一生懸命な音だ。僕はその音を聴くとすごく悲しくなってしまって、恐る恐る栄時くんの肩に触った。彼は嫌がらなかった。だから抱き締めた。





『やっと見付けた。随分探したんだ。無事で良かった。ごめんね、そばにいてあげられなくて。もう月が半分に欠けちゃってる。寂しかったね』





「……あの、君はどうして、僕を」
 僕を知ってるの。僕は栄時くんの視界にもまともに入らなかったんじゃなかったの。
 栄時くんは、ふるふる首を振って、『ごめんね』と言うばかりだ。





『これからもずっと傍で君を守るよ。雨の日も、風が強い日も、君が嬉しい時も悲しい時も、君が僕のかわりに心のままに世界を見て傷付いた時も、ずうっと僕はここにいる。忘れないで』





 僕は頷いて、そして急に懐かしい気持ちになる。いつか遠い日に、僕はこの人に、ものすごくひどいことをしたような気分になる。この人からいろんなものを、この人がこの人でいるために必要なものさえも、何もかもごっそり奪い取ってしまったような、





――僕は、君の盾になる。絶対に誰にも傷付けさせないからね』





 栄時くんが言う。僕は胸が痛くて痛くて、たまらなくなった。
 こんな綺麗な人が、そういうことを言うのはおかしいと思った。
「あ……あの、あのねっ、僕、君にそんなことを言われたいわけじゃないんだ。僕が思ってるのとは違う。僕、その」
 僕は栄時くんの目を見て、「君を守りたいんだ」と言った。
「僕が君を守りたいんだ。だから、君に守ってもらうとかは、違うと思う。盾とかそんなのは嫌だ。君が僕のために怪我をするとか、そんなのは嫌なんだ。上手く言えないけど、会ったばかりの君にこんなことを言うと不真面目だって思われるかもしれないけど、僕は君を守るために生まれてきたのかもしれないって、そうならいいなって思う。こ、こんなこと言ってごめん。でも僕は真剣にそう思って、」
 栄時くんはそれを聞くとびっくりした顔をした。それからちょっと笑って、『こんなに強い子になってたんだね』と言った。





『心配性でごめん。もう君は、僕がいなきゃなんにもできない子供じゃないんだね。こんなに大きいし』





 栄時くんは微笑んで僕の頭を撫でる。僕はその時、なんだかお母さんに抱かれているみたいな、懐かしくて泣きたい気分になる。





『……僕がいなくても、大丈夫かな』





「えっ」





『ちゃんと歩いて行けるかな』





 僕は、これ以上彼に心配を掛けちゃいけないと思った。でもずっとそばにいて欲しいとも思う。だからどう答えれば良いのか分からない。
 栄時くんは僕を透明な青い目でじっと見つめて、『お願いがあるんだ』と言った。僕はすぐに頷く。僕は、この人の願い事なら、何だって叶えてあげたいと思う。





『ね、一度でいいんだ』





「な、なんだい?」





『お母さんって、呼んでくれないかな』





 僕は目を丸くした。でも約束通り、栄時くんの願いを叶えてあげる。
――おかあ、さん……」
 これだけで良いんだろうか。もっとして欲しいことはないんだろうか。
 栄時くんは笑う。『ありがとう』という。
 その顔があんまり晴々していて、僕は『さよなら』と言われたような気がして、胸を突かれたような気分になった。
「おかあさん、」





『×××××、生まれてきてくれてありがとう。これから何があったって、たとえ君がなんだって、君は僕の子だ。世界で一番愛してる。僕に望まれて生まれてきたんだってこと、忘れないで』





――おかあさん、お母さんっ、」
 そんなふうに最後みたいに言わないで欲しいと思う。だって僕らは出会ったばかりだ。まだ何にも話してない。





『さよなら、僕のかわいい子。どうか僕の分まで幸せに、なってください、お願いだから――影には気を付けるんだよ。もう攫われちゃだめだ』





「ま、待って!」
 僕はふわっと消えそうに笑う栄時くんを引き止めて、大声で言った。





「あの……お願いです、僕と、トモダチになってください!」





 栄時くんが泣きそうな顔をして僕を見た。





――返さないでいいから。ちゃんと大事に持っていきなさい』





「いやだよ!」
 なんでこの人は、わかってくれないんだろう。
 僕は君になら、僕のなかの何だってあげられるのに。僕は空っぽのこの人なんて、世界で一番見たくないのに。僕は叫ぶ。
「だってこれ、君のだもの!」





◇◆◇◆◇





――ふえっ」
 ごつんと頭を打った。頭の上でじりじり目覚まし時計が鳴っている。時計の針は午前七時を示している。
 昨日の晩は結局なんにも見つからないまま解散して、帰ってきてすぐ寝てしまったのだ。
 僕はベッドから転げ落ちて、シーツを抱いて床に転がっていた。僕はちょっと自慢できるくらい寝相が悪いのだ。のろのろベッドによじ登って、時計を止める。「もう起きましたよう」と言う。
「……なんか夢見が良かったのか悪かったのか……微妙」
 あんまり良く憶えてないけど、夢を見たあとの後味のようなものは、ほんとに微妙って感じだった。すごく悲しい夢を見た気がする。でも嬉しいこともあったような気がする。
 その『嬉しいこと』のほうを思い出して、僕はにんまりした。確か、栄時くんが出て来たんだった。僕に抱き付いて、にこって笑ってくれたんだ。あの子の声も聴くことができた。
 やっぱりすごく穏やかで優しい声で、嬉しくなる。これでなんで悲しいなんて思うのか、良くわからない。
 僕は嬉しくて、恥ずかしくて、ベッドの上で枕を抱いてゴロゴロしてしまった。夢であの子に会えたのだ。今日は良い日かもしれない。
「……おはよ、えーじ、くん」
 僕はぽそぽそ名前を呼んで、真っ赤になって、今の僕自身がどれだけ恥ずかしい奴かってのは充分自覚していたから死にそうになって、でも深呼吸して、よし、と気合いを入れる。
 今日こそはあの子とちゃんとお話しよう。勇気を出して話し掛けよう。





◇◆◇◆◇





 ――朝、僕が登校すると、





「エージさん! この仕打ちはあんまりじゃありませんか?! せっかくオレっち心配してあげたのに、なんで朝から四の字固め?!」
「黙れ順平。火葬にするぞ」





 教室で順平くんが、栄時くんに四の字に固められていた。





「ンだよお前、絶好調じゃん! 今までのアレは何だったの?! 心配して損した!」
「……なんか今日は朝起きたら気分が良かった。どこまでも登れそう。番人引っ叩いてやりたい気分」
「あ、いーけないんだ、ガッコでタルタ……あいだだだだ! ギブミー! ギブミー!」
「……『ギブアップ、ヘルプミー』かい? 順平くん」
「おおっ、望月様っ、このロボコンにスープレックスとか……あだだだっ、首絞めないでエージ様、プリン奢ってあげるから!」
「子供かよ。悪いが甘いものはあまり好きじゃない。――ああ、おはよう。すまないな、朝からこのバカが席の周りで騒いで迷惑を掛ける」
「ううん、その、おはよ」
 僕ははにかんで挨拶する。栄時くんから挨拶されてしまった。すごく幸せだ。
 栄時くんは夢で見たよりずっと元気なひとだった。今日はもう普通に喋れるみたいだ。やっと生で声を聞くことができた。そのことが素直に嬉しい。やっぱり綺麗な声だった。
 わりとぶっきらぼうな喋り方をするし、斬って棄てるような言いかたをする。夢のなかみたいに優しい喋り方はしない。目の色も、薄いグレーの不思議な色の瞳だ。
「喉、もういいの?」
「ん? ああ。まあな」
 エージくんは何でもないみたいに頷いて、順平くんをぽいっと投げ捨てた。すごい腕力だ。
 生ゴミみたいに扱われた順平くんは、「やりすぎだー!」と文句を言っている。何をやったんだろう。
「あーあ、朝から何をやったの? あの子おとなしそうなのに、怒らせちゃって」
「いやっ、むしろ心配してやったんだっつの! ――その、あいつネゾー悪いからよ、今晩ベッドに縛り付けてやろうぜって話をアイギスに聞かれてさぁ。本人の耳に届いて、見てのとおりいっぱい固められた」
「……そりゃ無理もないよ。あんまり悪戯しちゃダメだよ。彼、なんだか繊細そう」
 僕が思ったままを言うと、順平くんは世界の終わりを見たような顔つきになって、「騙されるな!」と叫んだ。
「いいかいリョージくん、あの黒田栄時くんはものっそい凶悪な殺人妖怪なんだ。近付くと取り殺されるよ。あいつはね、昼間はおとなしい静かな生徒のフリをしてるんだけどね、夜はホントもーすごいんだから。恥ずかしいくらいに乱れに乱れて、くんずほぐれつでもう大変」
「ええっ?! あんなにおとなしい顔をしているのにっ?」
 僕は驚いて、真っ赤になった。嘘だと言って欲しい。あの綺麗で、おだやかで、おとなしくて、清楚で可憐って言葉がしっくり当て嵌まっちゃうみたいな栄時くんに限ってまさかって思ったけど、順平くんは「そうだ! おとなしい顔をしているのに!」と力強く頷いている。
 あの栄時くんが。
 僕は『恥ずかしいくらいに乱れに乱れて、くんずほぐれつでもう大変』な栄時くんを想像して、更に赤くなった。





『あ、あの、黒田くん?』
 放課後の誰もいない教室で、栄時くんに勉強を教えてもらってた僕は、びっくりして目を見開く。徐々に顔が赤くなってくるのが分かる。
『名前で呼んで。栄時って呼んで、綾時』
 僕が座ってる椅子の横に跪く格好で、栄時くんが僕のズボンのジッパーを下ろして、取り出した僕の性器にキスをする。いきなりそんなことをされて、しかも好きな相手だから、僕はひどく混乱して呆然としている。
『んっ、ん、――んん、』
 栄時くんはすごく美味しそうに僕の性器を頬張る。おとなしくて奥手な子だと思っていたから、すごく意外だ。
『君、けっこう、大胆なんだ、ね……』
『んん、エッチな奴、嫌い、かな』
『そっ、そんなことないよ!』
 僕は慌てて首を振り、『大好きさ』と言う。『栄時くんならなんだって好きだよ』と言う。
 エッチな栄時くんは、ガマンできないみたいに片手で僕の性器を握りながら、もう片方の手を自分のパンツの中に突っ込んで、自分のを触って、弄っている。ぐちゅぐちゅ濡れた音がして、僕はすごく照れてしまう。栄時くん、もうそんな音がするくらい、感じちゃってるんだ。
『きれい……』
 僕は思わず呟いてしまう。栄時くんはぴくっと震えて、顔を上げて、縋るように僕を見る。
――りょーじっ、ね、も、挿れて。意地悪しないでっ……』
 目を潤ませて、上目遣いで僕におねだりなんかしちゃったりする――





 ――朝から元気になっちゃいそうだ。





「そ、そーなんだ……い、意外と大胆……」
「うんそう。ぶっ殺せー! 死にさらせー! って鉄パイプ振り回して大暴れなのだよ。暴走族も小指で潰せちゃうぞ。ほかにもバス停持って帰って来たり、人体模型持って帰ってきたり、……アレ、なんで顔真っ赤なのリョージくん。君、もしかしてMのケがあるの?」
「えっ? え? あ、それ? そっちの乱れ?」
「は? ……あ。あー、あはーん。リョージくんったら結構手広いのねぇ、このスキモノっ。エッチなことばっかり考えちゃって。エージもアレだよな、女みたいな顔してるもんなあ。うん」
 僕は栄時くんに土下座して謝りたくなった。ごめんなさい。想像のなかで穢してすみません。ほんとに、ごめんなさい。
 しかも順平くんに悟られてしまった。これはちょっと、何て言うか、まずい。
「おーいエージくーん! こいつ、転校生がね、お前を今晩のオカズにって……」
「うわああああ! ちがっ、誤解だよおお!!」
「は? オカズ? ……俺が?」
 もう最悪だ。僕は順平くんに殺意を覚えた。
 栄時くんがくるっと振り向いて、首を傾げている。彼とあんなことやこんなことをする妄想をしてました、なんて知れたら、友達になる前に引かれて嫌われてしまう。
 僕は真っ青になった。怖い。
「煮込みか? それとも塩焼きなのか」
『え』
 ――栄時くんは、何というか、『完璧』だって聞いてたけど、意外と天然キャラだった。
「素で返されても困っちゃうぜ……つかお前は煮ても焼いても食えねっしょ。食うトコ無さそう。でもわりといいダシ取れそう」
 余計なことを言った順平くんが、栄時くんに「お前はミートボールにしてやる」と両腕を掴まれて何度もお腹に膝蹴りをされている。ものすごく痛そうだ。
「俺は鶏ガラでも豚骨でもない。むしろマッチョだ。殺されたくなければその身長を十センチ寄越せ。お前にはもったいない。馬鹿め、馬鹿のくせになんで無駄に背丈があるんだっ……」
「エージさんひがみは見苦しいッスよ!」
 順平くんと栄時くんはなんだか仲が良いらしい。喧嘩する程なんとか、ってこの国では言うそうだ。僕は内心いいなあと思いながら、その辺りで後ろから頭にチョップされて、アイギスさんに「栄時さんに近付かないでください」と怒られてしまった。僕の一目惚れの恋は、どうやら思ったよりも大変で難しいもの、らしい。頑張る。





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