![]() |
いばら姫 僕の好きな人は、すごく綺麗な人だ。 みんなの人気者だ。学校中の男の子も女の子も、みんな彼のことが好きだ。 そう、『彼』なのだ。名前は黒田栄時くん。れっきとした男の子だ。 確かに女の子みたいに可愛い顔をしているけど、べつに女の子みたいな喋り方をしたりはしない。胸があったり、甘い声もなしだ。 「あいつは男の中の漢だ」と体育会系の男子が言ってた。クラスメイトの、確か宮本くんて人。 そんな感じで栄時くんはちゃんと男の子っぽい男の子だ。 順平くんにそれとなく聞いたら(栄時くん本人になんて、ドキドキしちゃって聞けるわけがない)、好みのタイプは『金髪、ボイン』だって返ってきた。 あの子はカリスマだって騒がれていて、女の子の理想もすごく高いんじゃないかって噂になっているけど、「綺麗なオネーサン見たら普通にポーッとなってるぜ。アイギスとか」って順平くんが言ってた。やっぱり栄時くん、アイギスさんと付き合ってるんだろうか。なんかそんな噂も、女の子たちから良く聞くし。 僕は女の子が好きだ。世の中の半分の男って生き物は、女性を守るために生まれてきたんだと思う。僕は女の子たちに親切にしている時、この上ない幸せを感じている。柔らかくて、鈴みたいな声で笑って、優しくて、みんなきらきらしている。 栄時くんも存外フェミニストらしい。何があっても女の子に手を上げないことを徹底していて(女の子に手を上げるって選択肢があるってことが信じられないが)、ノートを貸してあげたり、荷物を持ってあげたり、割合親切だ。きっとご両親の育て方が良かったんだろうなと僕は考える。 ほんとにやることなすこと動作がスマートで、サマになっているのだ。同じ男として見てみても、ああ格好良いなあと思ってしまう。 僕らはたぶん、ふたりとも普通に女の子が好きだ。 でもなんでか、僕はこの月光館に顔を出した日に、ちょっと顔を合わせた程度の栄時くんに一目惚れしてしまった。それもいつもの『あっかわいいな、いいな』ってやつじゃない。全身焼かれて燃え上がるみたいな感じだった。 僕はどうしても彼に振り向いてもらいたくて、でも普通男子が男子にラブコールを送るってのは、一般的にすごくおかしなことらしい。はじめはそう気にしていなかったんだけど、だんだんこの国に馴染むにつれて、思っていたよりも大分ハードルが高かったことを、僕は理解しはじめていた。 まずこの国では男が男を好きだってだけでヘンタイ呼ばわりされるんだそうだ。愛があれば全て問題ないって思ってた僕には驚きだった。 今日のお昼休みなんて、三年生の運動部員らしい筋肉隆々の先輩が栄時くんを体育館の裏に呼び出して、「黒田、好きだー!」って告白して、栄時くんに無言で回し蹴りを食らっていた。かなり大柄な先輩が宙を飛んでいた。あの細い足のどこにそんな力があるんだろう。 僕と一緒に覗きをやってた順平くんが、「すごいっクリティカル! 今日もリーダー絶好調です!」と妙にクネクネしながらやった後、「……あ、元ネタわかんないよね? ゴメンネ」とか、どこで笑えば良かったのかわかんなかった僕のフォローをしてくれた。 それはどうでも良いんだけど、やっぱり栄時くんも男子に告白されるのは気持ち悪いらしい。僕が好きだって言っても、やっぱり回し蹴りなんだろうか。憂鬱になってしまう。 ◇◆◇◆◇ 「……多分、なんかの罰ゲーム」 栄時くんがげんなりした顔で、「今日はすごく憂鬱だ」とか言っている。 「死にたい」 「いよっエージくん! モッテモテ王子様! いやー、ニクイね、これで連続三回目デスね! ……男にコクられたの。あの、今日帰りワック奢ってやるから元気出せな」 「だから、罰ゲーム。じゃなきゃ殺人犯になりそう」 「だったらなんで行くんよ」 「油断した。すごいファンシーな封筒だから、もしかしてって思った」 「はじめは果たし状だったよな。『来られたし』って書いてあったアレ。なんかお前さ、その、特殊なシュミのお方にモテる運命でもあるんじゃねえの?」 「……なんでお前が俺に届いた手紙のこと知ってんだ」 「だってお前に渡してくれって頼まれたんオレだもん。中身もこっそり……あ、いやいや、怒らないで。睨まないでエージさん。悪かったって、でもホラ、君は強い子だからきっと自分でケリをつけてくれるって信じてたのさ、うん」 「――順平……」 エージくんは恨みがましい目つきで順平くんを睨んで、ふかあい溜息を吐いて、それからやけくそになったみたいに順平くんの机に座り、身体を乗り出して、ちょっと押さえた低い声で囁いた。 「今日帰り、白河通りに行こうか」 「ええええええ?!」 僕はものすごいショックを受けて、後ずさって、教卓に強く身体を打ち付けた。 白河通りって、あそこは有名なホテル街だ。それもピンクや紫のネオンがギラギラ輝くラブホテルが立ち並んでいるところ。クラクラしちゃうくらい色っぽい声で言うんだから、『そういうこと』に決まってる。 「ちょ、ちょっと黒田くん?! やけにならないで、きっとまたいいこともあるよ。もっと自分を大事にしなきゃだめだ」 僕は真っ青になって栄時くんの肩を掴んで、どうか彼が考えを改めてくれるように諭した。やけっぱちになって誰かと寝たっていい気持ちになれるわけなんかない。 しかも相手が順平くんなんて絶対だめだ。乱暴そうだし、身体が大きいし、きっと無理をさせられる。なんで僕のほうを選んでくれないんだろう。僕なら栄時くんを気持ち良くしてあげるために、すごく頑張るのに。 順平くんは僕の混乱も知らずに、変なしなを作って「今晩の君はとても積極的だね」とか言っている。もう殺したい。 「まっ、エージくんったらダイタン! やさしくしてねぇん」 「奥さんいるんだろ? 遊ばれるのはイヤだ」 「黒田くーん! ぼっ僕は君をそんなふしだらな子に育てた覚えはありません!」 「え……なんで泣きそうなんだ望月。ふしだらってなんだそれは」 栄時くんがきょとんとした顔で僕を見た。『なにいってんだ』って顔つきだ。 順平くんが栄時くんの首に腕を回して、さっきの栄時くんの真似でもしてるみたいに、低い声で囁いた。栄時くんがやるとさまになってるけど、順平くんがやるとなんだか滑稽だ。 「ナニ「えっ」てカオしてんのよ、このフシダラ男。お前もワルのくせによぉ〜、こないだ可愛いあの娘とラブホでイチャイチャしてたじゃんよぉ〜」 「ボコボコにされたの間違いだろ。お前あの時部屋に落ちてたパンツ拾って被ってたろ。俺は見たぞ」 「してねーよンなこと!!」 「いや、見た」 ……どこからどこまでが冗談なのかな、と僕は考える。 もしここにいるのが栄時くんじゃなきゃ、僕もきっと一緒に悪のりして笑ってたろう。でもやっぱり、どんな人だって好きなことには変わりないけど、大事なひとには綺麗な身体でいてもらいたいなって思う。これは男の我侭って奴だろうか。 でも栄時くんが、相手が男の子だろうと女の子だろうと、この人の身体のあったかさを分けてあげてるって考えると、すごく嫌な気分になる。独占欲とは、たぶんちょっと違う。 何て言うか、命乞いでもしているような感じなのだ。もうやめて、って僕は思う。もうこの人から、なけなしのあったかさまで取り上げてしまわないで欲しいって思う。なんでこんなふうに感じるんだろう。わからない。 僕は溜息を吐いて、なんだか心のなかがトゲトゲしてくるのを感じながら、栄時くんに恐る恐る訊いた。 「あの……君って結構遊んでたりする?」 「遊び人はお前だろ。お前にそういうことを言われると馬鹿にされてる気分になるな」 それじゃ答えになってないよと僕は思った。なんだかはぐらかされてる感じ。 隣の順平くんを見ると、彼はなんでもない顔で、栄時くんの頭にグリグリ拳を当てている。 「あん? こいつカッコつけてっけど童貞だぜ。チェリーボーイさ。なっ、オレらチェリー同盟結んでるもんな」 「そんな悲しい同盟勝手に結ぶな! あ、でも真田先輩も入れよう」 「そうだねエージくん。あの人は絶対童貞だね。こないだ屋久島で確信したよ」 「ああ。あの人は俺たちの仲間だ」 栄時くんと順平くんは顔を見合わせて頷き合った。正反対に見えるふたりだけど、なんだか息がぴったりだ。息ぴったりに、物凄く悲しいことを言っている。 「あと順平、……俺より先に童貞喪失したら焼き殺して埋めるからな」 「その言葉、そっくり返すぜ。オレたち、仲間だよな」 「ああ、もちろんさ」 「リーダー!」 栄時くんと順平くんが、がしっと右手で握手している。いいなあ、と僕は思う。栄時くんの綺麗な手に触れたなら、僕は今日手、洗わないのに。 「モテる男なんか滅びればいい」 「もっと言ってやって、リーダー! フラレ男の神様! ナンパをすれば二分の一の確率でオカマとか人外を引き当てる男!」 栄時くん、カリスマなのになんだかすごく虚しいこと言ってる。こんな人だっけ。いや、君もモテるでしょ。学校じゅうでカリスマカリスマって言われてるんだから。 僕はふっと閃く。 もしかしてこの人、自分がもててるってことに気付いてないんじゃないだろうか。 僕は首を振る。 いやそんなまさか、余程鈍い人でもなきゃそんなことはないだろう。頭の良い人だし。 栄時くんと順平くんは、お揃いの、敵でも見るみたいな目で僕を見て、ヒソヒソ言っている。 「あーあーこいつはダメダメェ〜。ヤリチンの顔してますぜぇ〜兄貴ぃ〜」 「大人って汚い。お前後で事務所来い」 「あのね……モテるとかモテないとか、そーいう問題じゃないでしょ。女の子の判断を無条件に優先するのは男として当たり前のことだし、彼女たちがたとえ誰を選ぼうと、僕はただ親切を心掛けるだけさ。紳士としてね」 「エージくん、今の何ポイント入った?」 「ラストジャッジ三発分くらい」 「……それ、君のなかでどう換算されてんのか良くわかんないんだけど……」 「一般成人男性が軽く二十回死ぬ程度だよな。なっ、エージ」 「そのとおり」 「死ぬの?!」 僕はびっくりして、また教卓に張り付いてしまった。冗談なんだろうけど、栄時くんは全部無表情で言うので、まるっきり本気に聞こえる。 順平くんも慣れたもので、 「ところでエージくん、イイモノが手に入ったんだけどぉ〜」 「マジで」 「こないだお前が通販しそびれて歯軋りしてた時価ネットのアレ」 「順平……好き。結婚しよう」 「エージ! 愛してるっ! あ、金払ってね」 ――という会話のキャッチボールを普通に楽しんでいる。 僕なら栄時くんに好きとか結婚とか言われたら、幸せ過ぎて息ができなくなって、倒れちゃうと思うのに、順平くんは全然平気な顔をしている。この彼、結構ツワモノかもしれない。栄時くんの色仕掛け(?)にも全然反応しないし。不能なんだろうか。 僕が悶々と考え込んでいると、前のほうから女の子の「黒田くーん、真田先輩が呼んでるよ?」って声が聞こえてきた。 前にも見たので知ってる。真田先輩、ボクシング部の主将をやってるらしい三年生だ。 黒田くんが頷いて立ち上がる。そう言えば、彼らみんなおんなじ寮だって聞いた。うらやましい。僕も寮生活が良かったな。 「ああ。ありがとう」 「告白かなー、木の下でこう、『黒田……初めて会った日からずっとお前のことが好きだった』『先輩っ、俺もです……』てれってって〜」 「えーマジで。ちょっとときめいてきただろ。やめろよ」 「そこ! 妙な冗談言ってるんじゃない!」 かなり怒った様子で(でもちょっと顔が赤い、なんだか嫌な予感がする)、真田先輩が教室に入ってきて、栄時くんと順平くんの耳を引っ張った。 「まったく……黒田、お前もこれ以上順平に毒されるんじゃない。そういうのは鼻で笑ってやれ」 「最近ちょっと楽しくなってきました」 「気のせいだ。……順平、お前後で言ってやりたいことがある。帰ったらラウンジに来い」 「告白するんですか? 真田先輩、俺というものがありながら」 「順平! こいつにこれ以上妙なことを吹き込むな! 美鶴に怒られるぞ!」 「桐条先輩に怒られるんですか? なら怖いので止めます」 「えぇえ! 後生ッス! そのノリ仕込むのに半年以上掛かったのにっ!」 ……栄時くんの、順平くんといる時のこの変なノリは、順平くんの教育によるものらしい。僕はその時、あきらかな殺意を順平くんに覚えてしまった。この、すごく可愛い、なんにも知らないこの子になんてこと教えてくれてるんだって思った。べつに僕は栄時くんの保護者でもないけど。 栄時くんが振りかえって、順平くんにふるふる頭を振って見せた。 「ごめん、順平」 「おお。……世話掛けて、悪ィな」 栄時くんはまた首を振る。そして真田先輩に連れられて行ってしまう。 僕はなんのことだか良く分からなくて、ぽかんとしていたけど、しばらくして順平くんが苦笑いしながら、僕に「びっくりしただろ」と言った。 「あ、え? あ、うん。思ったよりも元気なひとなんだね、黒田くんて。もっとおしとやかな人かと思ってたけど」 「おしとやか! なんだそりゃ!」 順平くんは「日本語間違ってる! 帰国子女!」と大ウケだ。べつに間違ってはいないと思うけど。 順平くんはひとしきり笑ったあと、「あいつ気ィ遣ってくれてんだ」と言った。僕は首を傾げる。 「黒田くんのこと?」 「おお。あいつさ、あんなだけどあんななりに、まあなんかオレのこと励ましてくれてる……らしい。励まされてるオレも良くわかんねーけど」 「なんだ、落ち込んでたのかい? いつもどおりだからわかんなかった。ごめんね、気付いてあげらんなくて」 「いや、気にすんなって。今に始まったことじゃねーんだ。オレ、まあその、好きな子いてさ。今ちょっと疎遠になってんだけど。それでへっこんじまってて、あいつその、うちの寮の監督生みたいなの? やってて。あんなだけど、割と気ィ遣ってるみたいなんだわ。みんなの体調とかいろいろな」 「へえ。やさしいんだね」 「……優しいとはちょっと違うような気ィすんだけどな」 「え?」 「や、なんでもねーよ。あいつも最近体調ツラいみたいなのに、結構オレに合わせてくれてんだ。なに言ってもけっこーノッてくれるっての? くすぐってぇけどよー」 「へえ。……いいひとだね」 僕は素直に言う。栄時くんが誉められると、なんとなく僕まで嬉しくなってしまう。 でもなんだか順平くんは、さっきから変にもごもごした物言いをする。どうしたんだろう。 僕の『どうしたの?』って顔に気付いたんだろう、順平くんはなんだかばつの悪そうな顔になった。 「うん、いいやつなんだろう、な。あいつがこっちにノッてくれっと、すっげー話しやすい。でもちょっとコエーんだよな。あいつ、なんか、話し相手が話しやすいノリってのを読み取ってんのかなんなのか、完璧に相手に合わせちまえるんだよ」 「良くわからないよ。どういうこと?」 僕には栄時くんが誰かに合わせている姿が想像できない。なんだか言いたいことを言っているみたいに見える。 ひとの顔色を伺うような人には見えないし、誰かと歩調を合わせてあげてるふうにも見えない。一本のすっと通った線みたいに見える。 順平くんは、「おまえここ来てまだあんまなんねーからな」と帽子のつばを下げて、具合悪そうに言った。 「あいつのこと知ってる奴らに聞いてみろよ。全員が全員違うこと言うから。体育会系の熱血ヤローって言う奴がいれば、勉強一筋の秀才くんって言う奴がいる。アウトローって言う奴がいりゃ、品行方正の優等生って言う奴がいる。優しいとか、厳しいとか、乱暴だとか、でもみんな違うこと言ってるくせに、全員口を揃えて『理想的な友人』だとか言うんだ。なんだそりゃって思うけど、あいつと出会えて変わったとか、救われたとか言う。なんかの宗教みてえ」 「そんなすごいひとなの?」 順平くんは僕から目を逸らしている。彼も悪口を言ってるってふうじゃなかった。でもやっぱりばつが悪そうだ。 僕はここへ転入してきてから、初めて栄時くんの悪い(というのかなんなのか)噂を聞いたような気がする。それも、彼の仲良しの友達からだ。 正直なところ、ちょっといやだな、と僕は思った。あの子はみんなにすごいね、綺麗だねって言われているのが似合うのだ。 順平くんが言う。 「あいつの素のノリってのは誰も知らねーんだ。カメレオンみたいに、自分色っての? 変えちまえるんだ。なに考えてるかわかんねーし、オレさ、一学期あいつのことすげー嫌いだったんだ。仲もけっこー悪くてさ。何やっても完璧で、こいつオレのことぜってー馬鹿にしてやがるってな。でも嫌いなんじゃなかったんだ。……オレあいつ怖えんだと思う。今は大分マシになったけど、それでもやっぱまだ怖えんだと思う。なんかホント、怪物とか宇宙人とか相手にしてるみたいに思う時があんだ。あいつもそれ分かってるみたいでさ。あんま本気で人と関わらねーみてえ。気分で誰かとツルむ、みたいな」 僕はすごくショックだった。栄時くんは仲の良い友達から怖がられてる。 それを知った途端、胸が痛くなって、変にざわざわした気分になった。すぐに栄時くんのところへ行ってあげて、何か言わなきゃいけないような気がした。 なんだろう。僕は君のこと怖くないよ、とかだろうか。それはちょっと、違う気がする。 上手く言葉が出て来なくてもどかしい。僕がもっと昔から日本に住んでいて、日本語が上手かったら、ちゃんとした言葉が見付けられたんだろうか。 今更言っても仕方のないことだけど、僕は恨めしく思った。なんで僕は、今まであの子のそばで、あの子を見ていられなかったんだろう。 順平くんは「悪い」と僕に謝る。 「変な話しちまったな。この話、あいつには内緒にしといてくれな。ワック奢っからよ」 「……僕に謝ったって仕方ないよ。黒田くんに謝りなよ」 僕はシャツをぎゅっと握って、下を向く。 「……こんなの寂しいよ。仲良しの友達の君がそんなこと言うなんて、あの子が可哀想だ。もっと大事にしてあげるべきだよ」 順平くんはちょっと笑って、「お前はいいやつだな」と言う。 「でもたぶん、そのうちオレの言ってることもちっとは分かるって思うって。だってあいつ、もうホントに怖えくらい完璧なんだもん」 「君ほんと、ひどいよ。彼のことなんにもわかってあげてない……のは、僕も一緒か。ごめん」 「……わり、ホント変な話した。反省してる。たぶんこないだのが、予想以上に堪えてんだと思う。……あいつ、オレのこといいやつだって言ってくれたんだ。まあ友達だし、みたいな感じで」 「……うん」 「でも、好きとか嫌いとか良くわかんねーって言われてさ。それでごめんとか謝られて、なんか寂しい気分になっちまって、あーも、あいつホントにどうしようもねぇ不思議ちゃんでさ、オレほんと困る。……チドリと、好きんなった女の子とダブることばっか言われて、オレ正直すげえ混乱してんだ」 ◇◆◇◆◇ 戻ってきたアイギスさんと入れ違いになるかたちで(すれ違い際に舌打ちされてしまった。ショックだ)、僕は教室を出た。近くにいた女の子に「黒田くん知らない?」って聞くと、「カリスマなら屋上で見たよ。ちょっと前までここで真田先輩と一緒だったけど」って返ってきた。 この学校の有名人というか、アイドルみたいなひとたちは、栄時くんも含めて同じ寮で暮らしてるらしい。ひとつ屋根の下ってやつだ。やっぱりすごい人はすごい人同士、惹かれ合っちゃうのかな、と僕は考える。 だとしたら、やっぱり栄時くんは僕なんかのことを見てはくれないんだろうか。僕には取り柄ってやつがない。まだ部活にも入ってないし、特別に自慢できるものがない。 (なんか、頑張ろうかな。生徒会は無理だけど、あの子と一緒の部活に入ったりなんかして。確か文化部も掛け持ちしてるって聞いたけど) ぼんやり考えながら階段を上り、屋上へ続くドアを開ける。今日も綺麗に晴れている。少し冷たくなってきているけど、日中の風はやっぱり気持ちいい。 栄時くんはこの街が良く見える特等席に座って、でも何を見るわけでもなく、ぼんやりしている。目を閉じている。いつものようにヘッドホンをつけていて、近付くとプレイヤーから流れる音楽が零れて聞こえてくる。 「……あの、あんまり音量上げると、耳が悪くなるよ」 僕はなんとなく忠告する。どうやら大分漏れ出してしまうくらい、大きな音で聴いているらしいから、ちょっと心配になってしまう。栄時くんはすうっと振り向いて、「悪いな」と言った。 「え。なんで謝るの?」 「……順平、俺のこと怖いって言ってたろ」 「え。え、あの、そんな……どうして、」 「……いい。だろうなって思っただけだから、気を遣うな。お前嘘吐けないんだな。なんか、変な話されただろ。俺のせいで。だから」 「君はなんにも悪くないよ! その、ちょっとひどいって思う。ちゃんと怒ってあげといたからね!」 栄時くんは驚いたように、軽く目を見開いた。それから目を閉じて緩く頭を振って、「お前はいい奴過ぎて不安だ」と言った。不安って、なにそれ。 「望月、学校ではあまり俺には近寄らないほうがいい。アイギスもあんな感じだし、俺もこんなだし、たぶんまた嫌な思いをする。お前人気あるだろ。きっと俺より、一緒にいて楽しいやつなんか沢山いる」 栄時くんが言う。それは突き放してるって言うのとは、なんだか違う気がする。なんだろう、良くわからないけど。 僕は栄時くんの隣に座って、彼の顔をそっと見る。すごく綺麗な顔をしている。あまり表情はなくて、でも目がやっぱり悲しそうだった。泣き過ぎて枯れちゃった泉みたいな、ひかりのない目だ。僕は彼のその目を見ると、やっぱり胸が突き刺されたような気持ちになってしまう。 「……君が、可哀想だ」 「誰かに可哀想だとか言われたのは初めてだよ」 「だって、」 「お前はいいやつなんだよ。俺はなんともない」 本人にそう言われると、僕は怒ることもできなくなる。僕は口篭もって、それから大分勇気を振り絞って、切り出した。 「僕は君の友達にはなれないのかな。その、君は優しいし、いろんなことを知ってるし、もっといろんな話とか、その、したいし」 すごく頑張ったのに、栄時くんは頭を振って、「……たぶん無理」って言った。僕はたまらず、往生際悪く食い付く。 「どうして! わ、わかんないじゃないか」 「そういうのは分かる。――トモダチってのが何なのか、正直俺には良くわからない。多分お前と俺は合わないと思う」 「あ……僕が、嫌いかい? やっぱり君に迷惑ばっかり掛けて、わずらわしかったかな」 「そういうことじゃない。俺にはお前はお手上げだ。お前は俺といていい気持ちにはならないよ」 「君の意見じゃないよそれ」 「俺は別にどうとも思わない。嫌いじゃないけどな」 栄時くんは、すうっと立ち上がって、「じゃ、行くから」と僕の肩を叩いてくれた。 「お前も早く戻れ。……順平はいい奴だよ。あいつが感じてるのは、すごく当たり前のことだ。俺を嫌って言ってるわけじゃないのは知ってる。よければ嫌わないで仲良くしてやってくれ。お前のことが割と気に入っているみたいだ」 そう言って栄時くんは僕の横を擦り抜けて、校舎のなかへ戻っていく。通り際に、ふわっと懐かしい匂いがした。 あ、これ知ってる、と僕は思う。昔どこかで、それはすごく当たり前みたいに僕のそばにあって、僕はそれが、大好きで―― 「あ、」 ――でもふっとひらめき掛けたなにかは、栄時くんが離れてしまうと、萎んだ花火みたいにすっと消えてしまった。 僕は座ったまま、栄時くんの小柄な背中を見送る。みんなこの人のことが大好きなのに、なんでそんなふうに言うんだろう。悲しい目をしてるんだろう。 なんでまるで世界中全部が敵だらけみたいな顔をしてるんだろう。誰かに甘えたくなったりはしないのかな。 この人は、この人に向けられてる愛情や友情があるって、なんで信じないで、「近付かないで」なんて言うんだろう。 僕は女の子たちと一緒にいると、すごく大事にしてもらってるなって感じる。愛情を向けられてるなって感じて、いい気持ちになる。 心は、ただ飲み込んで栄養になるだけのものじゃない。ごはんとは違うのだ。ただ好きだとか、嬉しいとかは、そのものでひとつなんだと僕は思う。 栄時くんはみんなの心を自分でいっぱいにして、まるでこの学校の子たちみんな、彼に食べられちゃってるみたいだ。僕はそう考えて、ああほんとにそんな感じ、と思う。 「君はなんだか、みんなの心を食べてるみたいだ」 僕は言う。 僕の心も、彼に食べられてるみたいだ。あの子のことばっかり考えてる。あの子のことばっかりで、嬉しくなったり悲しくなったりする。ほんとにほんとに、僕は彼のことになると変になってしまう。どんな小さな声も逃さずに聴く為に、一生懸命耳を澄ます。綺麗なすがたを目に焼き付ける。僕はこんなに一生懸命になれた自分ってものにびっくりしてしまう。僕はすごく意志の弱い、だめなやつなのに。 栄時くんは振り向いて、僕をじっと見て、「そうかも」と言った。 「そうかもしれない。俺には心がないから、もしかしたら羨ましいのかもな」 そしてまた「悪いな、望月」と謝る。 僕は彼の顔で、声で、そういうことを言われるとひどく悲しい気持ちになった。 そして、すごく胸が痛くなった。自分が取り返しのつかない悪いことをしてしまったような気持ちになった。 栄時くんがあんなに悲しい目をしていて、僕の前でまだ一度も笑わなくて、なんにも感じない、心なんかないって言ってると、むしょうに僕は自分がここにいるのが、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなくなった。 僕はなんで、彼になにもしてあげられないんだろう。あんなに綺麗なのに、あの子はきっと自分のことが嫌いなんだ。 それは絶対間違ってる、あっちゃならないことだって、僕は思った。 |