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まぼろしについての談義 次の朝会った時、栄時くんは僕に、昨日はなんでもなかったみたいに、「おはよう」って挨拶してくれた。 「あ、うん。おはよう」 僕は振り向いて返事をした。栄時くんはちょっと考え事をするみたいに間を置いて、それからにこっと笑ってくれた。 彼はすぐに僕の横を擦り抜けて、自分の席へ向かってしまう。僕は栄時くんの背中を見送って、目をゴシゴシ擦った。幻かな。見間違いじゃ、ないのかな。 ◇◆◇◆◇ 「そりゃアレっしょ。悪い夢でも見たんだよ」 放課後昨日の約束どおり、順平くんがワックってのを奢ってくれた。確か二回分あったと思うけど、彼は「なんのことだっけ」ととぼけている。まあいいけど。 僕は「そうかな」と弱気になって首を傾げた。まあそうかもしれない。ちょっと自信ない。 「それにしても順平くん、君は黒田くんへの態度、他の子へのとなんか違うよ?」 「ま、戦友ですカラね。これでも腹割って付き合ってるつもりなんだよ」 「戦友? 戦うの?」 「あ、いや、その……ナンパとか」 「ナンパ? なんか黒田くんのイメージだと、そんなことしなくたってよりどりみどりって感じだけど」 「いや、まあ確かに、ちょっとナンパの仕方間違ってるような気もするけど。『目標確認。ターゲットロックオン、これより掃討活動を開始する。任務達成条件は敵勢力の完全殲滅だ。――各員、問題はないな』 『了解だ、黒田。俺はいつでも行けるぞ。さあゴングを鳴らせッ!』 『総員構え、突撃!』――ってのは、ナンパの時に言う台詞じゃないよな。オレあん時ホントにあのふたり、オネーサンたちを皆殺しにすんじゃねぇかって冷や冷やしたもん。あ、エージと真田さんな」 「へ、へえ〜。なんか、その……面白そう、かも」 「おもしれーモンかよー、あん時はホント散々だったぜ。エージのせいでオレも真田さんも玉砕するし、よっしゃ上手く行ったかも!って思ったら相手オカマだし」 「オカマだったの?! ……うわー、ご愁傷様」 「あ、ご、誤解すんなよ! すぐ逃げたし! オレそっちのシュミないし! でよ、エージだよ。あいつホントムカつくことによ、ひとりだけ超かわいこちゃんゲッツだよ? しかも『あなたにずっと会いたかった……私の一番大切なひと……』とかも、その場でフォーリンラブよ? ひとり勝ちだよ。ありゃ完敗だったね。でも真田さんも『俺は負けてない!』とか強情でさ、いまだに認めようとしねんだ。あの人も大概往生際悪ィねー」 「へえ……黒田くんは学校の外でもすごいんだね。その女の子はどうなったの? 今も付き合ってるの?」 「おうよ。おんなじガッコに転校してきて、あいつの席の隣で絶対服従だよ。まあアイギスなんだけど」 「ええっ?! 黒田くんとアイギスさんの出会いってナンパがきっかけ?!」 「あ、バカしーっ! これ絶対内緒な! オレが言ったって言うなよ!」 「うわあ……なんかすごく予想外の展開」 頭がクラクラした。アイギスさん、僕の時はすごく冷たかったのに。どうしてなんだ。 「いやそれがさ、あん時のエージってのがまた爆笑もんでさ、アイギスあいつのストライクゾーンに直球だったみてーで、顔真っ赤にして「ここっ、こんにちはっ」とかカミカミでしどろもどろで、あのむっつりがだよ。オレと真田さんマジチョーうけるんですけど!っつー感じだったのね」 「えっ、ちょっとそれ……かわいい、かも」 僕は想像して、でも想像がつかなくて、ほんとかな、って気分だったけど、おかしくて笑ってしまった。順平くんも思い出し笑いしている。どうやら悪くも言うけど、彼もあの子のことが好きなんだっていうのは分かったから、僕はちょっとほっとしていた。 「黒田くんとアイギスさん、やっぱり付き合ってるんだ。なんだかそういう感じだったもんね、見るからに」 「いや……そーでもねー。付き合うとか、ありえねーんじゃねーかな、あのふたり」 「えっ? どうして?」 僕は訳が分からなくなる。栄時くんはアイギスさんが好きで、アイギスさんは栄時くんが好きで、いつもふたり一緒にいて、それって付き合ってる、ってことなんじゃないだろうか。順平くんはもごもごと「ありえねーよなあ……」と言っている。 「なんていうか、ご主人様とメイドさんっての? そーいう感じ……いやいや、ちょっと違うな。エージよりアイギスのほうが強えもんな。ボディガードっつーか、うーん、そんな感じ」 「え。アイギスさん強いの? あんな綺麗なひとなのに」 「そりゃもう。なんかあのふたり、そーいうんじゃねーんだよな。たぶん高校出てさ、エージが結婚しても、今みたいにふたりでべたっとしてそうな感じ」 「なんだか良くわかんないなあ……」 「ん、オレもあいつらは良くわからん。二人共不思議ちゃんだしよぉ、……あ、そういやお前見た時も思ったんだよ。うちのクラス転校生三人とも、第一印象似たり寄ったりの不思議ちゃんだなーって」 良く分からなかったけど、僕は「ふうん」と頷く。やっぱり好きな子と似てるって言われるのはちょっと嬉しいかもしれない。 そう言えば、好きな子だ。順平くん、昨日『好きな子とエージが似てる』みたいなことを言ってなかったろうか。僕がそれを訊くと、順平くんはものすごく苦い顔になった。 「……お前さ、ヤメロよな。お前なんか変に気安いんだよ。なんかいろいろまた喋っちまって、あっヤベってなっちまうだろ」 「あ、訊かれたくないことだった? ごめん」 「いや、そういうわけじゃねえよ。どっちかっていうとえー、その、ね? 聴いて欲しいというか。いやいやでもね、その……お前、見境なしじゃん。本命とか、いるのか?」 僕は言われてることが良く分からない。見境なしってなんだろう。 どうやら順平くんは僕のことを、『女性全般に親切、カワイイ子とはもれなくお付合いしたい遊び人』だって思ってる、らしい。心外だ。確かに僕は女の子を見たら親切にしなきゃって思う。カワイイ子とは是非デートしたい。でもちゃんと僕には心に決めたひとがいて、僕の頭の九割は常にその人のことでいっぱいなのだ。 ――ということを言うと、順平くんはすごく感心した顔つきになって、「わり、今までお前のこと誤解してた」と謝られてしまった。一体今まで彼は僕のこと、なんだと思ってたんだろうってちょっと気になったけど、まあ謝ってもらえたし、いいことにする。 「で、誰? オレも知ってるやつ? あ、ツキ高? 前のガッコの子? 遠距離? どんな子?」 「わ、そ、そんないっぱい急に聞かないでよ! ……内緒だよ。だってまだ振り向いてももらえてないし、好きだなんて、その、まだあんまりその子のこと知らない僕なんかが言うの申し訳ない気がするし、……もう近付かないでって、言われた。昨日」 僕はしょんぼりして、ストローに噛みついて、氷が溶けて水っぽくなってしまったコーラを吸い込んだ。 「……なんでこんなふうになっちゃったんだろう。僕なんかして嫌われちゃったのかな。わりと上手くやれてたと思うんだけどな。なんかもう、わかんないや。……あれ? どしたの、順平くん。びっくりした顔して」 「え? あ。あ、いや、なんかその、びっくりしてよ」 順平くんはぽかんとして、あんぐり口を開けて変な顔をしていた。僕は手を伸ばして、彼の前でひらひら手を振る。指を立てて、「これ何本に見える?」と言ってみる。 「一本。じゃなくって、その、……オレもさ、ちょうどそんな感じなんだわ。それでびっくりしちまって。最近こんなことばっかだな。エージん時もだし、なんだ、こーいうのって結構万人共通ってやつ? なの?」 「え?」 僕はわけがわからなかったけど、話を聞いてみるとこういうことらしい。 順平くんにはすごく好きなひとがいるそうだ。ちょっと見ないくらい超美人で、はじめはにこっともしない子だったらしい。でも話すうちに段々打ち解けてきて、ちょっと前には「会いたい」とか言って笑ってくれるようになったらしい。でもこの前、急に「もう来ないで」って言われたらしい。順平くんには嫌われた理由だとかが思い当たらず、なんでか全然本当にわからなくて、途方に暮れてしまってるらしい。 「な、もしお前ならどうする? その、好きな子にもう会いたくないとか言われたら……あ、言われたんだっけ」 「うん……」 僕は頷く。それから考えながら、ぽつぽつ言う。 「僕の顔見てあの子が嫌な思いをするのはいやだな。でも、もう会えなくなるのはいやだ。だって僕、なんでその子に嫌われたのかとか、全然納得がいかないもの。僕が悪いなら謝りたいな。……でもそんなこと言ったって、顔を合わせる勇気もなくて、どうしようどうしようって言って、……あとはわかんない。どうしよう」 「だよなあ」 順平くんははあっと溜息を吐いて、「あ、おかわり頼む?」と聞いてくれた。僕は「うん」と頷く。「オレンジジュース飲みたいな」と言う。 順平くんが席を立って、しばらくすると、二人分のオレンジジュースをトレイに乗せて戻ってきた。今日はこれから長期戦、ってことなんだろう。 僕もちょっとありがたい気持ちだった。今までひとりでグルグル考えていて、僕の思考は同じところで留まって、大分澱んでしまっているような気分になっていたのだ。誰かに聞いて欲しかった、かもしれない。 「で、お前の好きな子ってどんな子なんよ。女の子たちのアイドル望月様がご執心の子ってのは。やっぱすげえ美人?」 「僕そんなんじゃないけど……うん。僕、今まであんな綺麗な人、見たことないや。初めて見た時、息ができなくなって死んじゃうかと思った。身体中焼かれてるみたいだったんだ。ほんとにそんな感じで」 「ふーん。オレもさ、キレーな子だなって思ったわけ。でもオレん時は最初が最悪でさ。初めて言われた台詞が「どいてよ」だぜ? その子絵、描くの好きなんだけど、オレがぼさっと突っ立っててジャマしてたわけ」 「へえ。それ、どうやって仲良くなったの?」 「ん……いっつも同じ場所いるから、なんか気になって。絵、見せてって。あんま喋んねー子なんだけど、ボソボソした喋り方して、声も小さいし」 「あ、それわかる。僕の好きな子もそうなんだ。でもすごく聞き取りにくいはずなのに、不思議と耳が一生懸命その子の声を拾っちゃうんだよね。あの子の声、一言も聞き逃したくないなって。なんかそう考えてると、僕ってこんな一生懸命な奴だったっけとか思っちゃって、ちょっとくすぐったくなっちゃって」 「うわ、オレ今それ言おうとした。おいヤメロよ、お前好きな子の名前、もしかしてチドリとか言うんじゃねーだろな」 「え? いや違うよ。僕の好きな子の名前は、え――あ、ちょっ卑怯だよ君! 内緒だって言ったでしょ!」 「聞いた聞いちゃったちょっと、『え』、ナニ? エミリ? エリ? エーコ? あ、帰国子女の望月くん的にエイミーとか。外人?」 「だから内緒だってば!」 僕は真っ赤になって、でも仕返しをしてやらなきゃって思って、「へえ、チドリさんって言うんだ。綺麗な名前だね」って言ってやった。 思ったとおり順平くんも真っ赤になって、でも幸せそうにヘラヘラ笑って、「へへ、だろ? キレーなんだよね、全部ね」とか言っている。悔しい。 でもなんだか、僕と順平くんは妙なところでリンクしていた。好きな子のタイプって奴なんだろうか。彼と僕の身に起こった出来事はとても良く似ていて、「あ、それ僕もある」とか「えっそれオレも言われた」とかいうことが、しょっちゅうある。僕らの好きな子は、どれだけ似てるっていうんだろう。 僕はなんだかすごく親近感が沸いてしまって、「へえじゃあその子紹介してよ」と言ったら、「お前は手ェ早そうだから駄目だ」と返されてしまった。 「そんなことしないよ。あ、じゃ、その子と君が仲直りしたら、写真見せて。それなら良いでしょ」 「んー、どうしよっかな、お前が夢中のコにコクってOKもらって、一緒に撮った写真とか見せてくれたらいーぜ」 「う。……ちょっと、がんばっちゃおっかな……」 僕は微妙にへらっと笑う。なんだかちょっと、すっきりした感じだった。 僕は順平くんに「ありがとう」とお礼を言った。 「また来ようよ。話しよう。次は今日のお礼に僕が奢るよ、順平くん」 「マジで? ゴチソーんなります。やー、やっぱ持つべきものは男友達だよねー、リョージくん」 僕らはがしっと握手しあって、にやっと笑いあった。 僕はその時ふと頭のなかで誰かの声を、『友達、できたね。おめでと』っていう、すごくほっとしたような声を聴いたような気がした。 |