たしとワルツを




 僕は自室のベッドの上に仰向けに寝転がって、手足を投げ出して、天井を見上げてぼんやりしていた。
「なんであんなこと言っちゃったんだろ」
 あいつ困った顔してたな、と僕は思う。
 昨日のことだ。望月が僕を追っ掛けて屋上にやってきて、ぽつぽつ話をした。
 どうやら順平が僕を怖いって言ってたらしい。まあ無理もないなと僕は思う。順平は僕の下僕なんだから、僕を怖がるのは当たり前だ。上位存在として敬意を払ってくれてるんだろうと思う。たぶん。
 それはいい、確かに望月に変な話をした順平は恨めしいが、それは横に置いておくとして、一番問題があるのは僕の態度なのだ。せっかく『友達になろうよ』みたいなことを言われたのに、僕は「きっと無理」と返してしまったのだった。
 確かに望月は、僕といて心が満たされているかとか、そういうのが分からない。だから僕は本当にどの程度好かれているのかなとか、どういう態度を取ったら喜ぶのかなとか、全然分からないのだ。
 でも望月はそんなのとは全然別の次元でいいやつなんだと思う。何に対しても一生懸命で、彼の真摯な姿勢ってものは評価されるべきものだと僕は思う。女たらしだけど。
 友達、いいじゃないか。望月はいい奴だ。そのくらい「そうだな」って頷いてやれば良かったんだ。僕はどれだけ心が狭いやつなんだ。
 僕は望月といるとわりと楽しいし(ほっとけないってやつなのかもしれないが)、まあ友達になれればいいなと思う。
 『心なんかない』って、なんだそれ。僕はどの口で、そんな無理矢理とんがっている反抗期の子供みたいなことを言ってるんだ。そんなわけない、僕にも心くらいあるはずだ、たぶん。順平ですら持ってるんだから、僕にないはずがない。
 なんだか望月といると、思ってもいなかったことが口から急に飛び出てきて、僕はあとになってびっくりすることがある。ついこの間だってそうだ。僕は自分でもびっくりするくらい親切で面倒見の良いやつになってしまっていた。寮へ帰って来てから、自分でも唖然としたのだ。僕も誰かに親切にすることができたのかと。ちょっとした驚きだった。
「……あいつ、やっぱりヒイたり呆れたりしたかな」
 僕は溜息を吐く。やってしまった、と思う。今日の朝も本当は「昨日ごめんな」と謝りたかったのだ。でもなんだか今更蒸し返すのが恥ずかしくて、「おはよう」のついでに顔中の筋肉を総動員して笑ってみたのだが、あれも逆効果だったかもしれない。
 僕の笑顔は威圧的なんだそうだ。この間アイギスに言われた。
 とりあえず、こういう辛気臭い気分の時は身体を動かすに限る。
 僕は携帯のアドレスを呼び出して、メールのサブジェクトの項目に「果たし状」と入力し、「首を洗って待っていろ」と本文を打ち、送信した。





◇◆◇◆◇





「すみませんっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ、身のほど知らずですみませんっ」
 僕は土下座して『申し訳ありませんでした』と謝った。痛くて怖くて泣けてしまった。
 エリザベスの攻撃パターンも、これまで四回も半殺しにされていたらさすがになんとなく読めてきて、装備ペルソナに吸収とか反射とかをくっつけていったら、マサカドを呼ばれてボコボコにされた。小賢しいこと考えてすみません、と僕は謝る。
 コツコツ、ブーツのヒールが床を叩く音が近付いてくる。僕はきっと真っ青になっている。
 また負けてしまったのだ。今回は一体何をさせられてしまうんだろう。ぞっとする。
 一度目は靴の裏を舐めさせられた。
 二度目は月光館の男子制服が欲しいとか言われて、身包み剥がれてポロニアンモールの路地裏に蹴り出された。あの時は偶然通りがかった荒垣先輩がコートを貸してくれたのだ。頭を撫でてくれて、「野良犬にでも噛まれたと思って忘れな……」と何も聞かずに慰めてくれた。
 三度目はエレベーターガールの制服を着せられて、仕事の手伝いだかなんだかで得体の知れないネバネバの異形の世話をさせられた。
そいつは僕をママだかなんだかと間違えていたらしく、長いヒモみたいな無数の手で僕の全身に巻き付いてきて、あの時は本当にパブでオッサンにお尻を撫でられる水商売のお姉さんの気分を味わってしまったものだ。思い出したくない。途中でファルロスがエリザベスに止めてくれって泣き付いてくれなきゃ、多分食われていた。いろんな意味で。
 四度目はタルタロスでデートだった。デートと言えば聞こえは良いけど、腕を後ろ手に縛られて、テベルのマジックハンドの群れのなかに蹴り入れられたのだ。服は剥かれるし、身体じゅう揉みくちゃにされて変な声は出るし、普段なら僕を見ると逃げ出す弱いシャドウにいたぶられてプライドはズタズタになるし、もう最悪だ。
 あの時もファルロスが助けてくれた。『あっちいけー、このー!』ってばたばた腕を振ってシャドウを追い散らしてくれて、へろへろになっている僕に泣きながら抱き付いてきて、『早く大きくなって君を守ってあげるからねっ……!』と言ってくれたのだ。僕は年上としてすごく情けない。
 そして今回は五度目だ。なにか、着実に上がっちゃいけないコミュランクが上がっていく気がする。なんか嫌だ。早く勝ち星を奪い取らないと大変なことになりそうな気がする。
「黒田様はもうご存知かと思いますが、『敗者には相応の辱めを』、が私の信条でございます」
「はい……あのでも、できるだけ痛くしないで下さい。あ、でも気持ち良いのもいやです」
 がたがた震えながら僕は言う。エリザベスはいつもどおりの穏やかな笑顔だ。それが余計怖い。
 順平はいつも無表情の僕のことを怖いとかなんとか言うが、本当に怖いのは顔に張り付いたままの静かな微笑みだってことを、彼は知っているんだろうか。
 この絶対的な恐怖を知らないから、あいつは僕なんかのことが怖いとか言えるのだ。実はちょっと気にしてたりする僕だ。
「遺言をお聞き致します」
「はい……仲間たちに、黒田は最後まで勇敢に戦って散って逝ったと。あと世界のどこかにいる俺の小さな友人に、俺たちはいつまでも友達だよと」
「かしこまりました」
 処刑される。僕は覚悟を決めた。さすがに五回目ともなると、見逃してはくれないようだ。それともメールで強気なことを言ったから怒ってるとか。もっとへりくだるべきだった。
――と、いつもならここでネビロスで美しいマネキンを一体製作して、私のコレクションに加えるところなのですが」
 人形にされるのか。僕みたいな見た目普通の男なんか飾ってもなにも面白いことはないと思うけど、想像するとぞっとする。
 僕はたぶん、こないだ持ってきた人体模型の隣に並べて飾られてしまうのだ。部屋には月光音頭がエンドレスでたからかに鳴り響き、部屋の主であるエリザベスは、『クイーンエリザベス』がなみなみと注がれたワイングラスを片手に、いなり寿司を食いながらひとりマージャンに興じているに違いない。なんて狂った光景だ。恐ろしい。
 そして一番恐ろしいのが、誰も僕がそんなふうになったってことに気付かないことだ。心配して捜索してくれそうなひとが、僕のまわりにはまるでいない。
 たぶん「あいつ逃げやがったぜ、あのチキン野郎」と罵倒されて終わりだ。僕もネットゲームのなかみたいに、リーダーを心の底から信頼して、心配してくれるような熱い絆で結ばれた仲間が欲しい。S.E.E.Sにはもううんざりだ。あいつらみんな僕のこと嫌いなんだ。
「あまり無体をしないように、とのお願いをされておりますので」
「え?」
 僕はごしごし目を擦りながら顔を上げた。じゃあ殺されないで済むんだろうか。誰だそんな、僕を気遣ってくれる物好きは。イゴールか。それともファルロスか。大好きだ。
「無体ではないお願いがございます。今宵、私と――





◇◆◇◆◇





「ダンスを教えてくれ」
朝一番に、僕は望月の席に向かっていた。望月はいつものように大分早い時間に登校していて、鞄から教科書を出しているところだった。きょとんとして僕を見ている。
「えっ……いきなりなに?」
「ちょっと、いろいろあって。なんかお前なら普通にフォーマルなスキル持ってそうだなって」
「うん……まあ、ちょっとかじったくらいなら。でもどうしたの、急にダンスなんて」
 僕は「うん」と頷く。まあ理由も言わずに教えてくれって訳にもいかないだろう。でもこの僕が『明日の晩までには言うとおりにしますからっ! 絶対ですからっ!』と泣きながら命乞いして死刑の執行を延ばしてもらったなんて言えるわけもない。
 僕はいろいろなぼかしを入れて、適当に説明した。
――あるひとと、賭け勝負をしたんだ。俺負けちゃって、なにかひとつ言うことを聞かなきゃならなくなったんだが」
「そっ、そんなのだめっ! もうやめなさい! いい子だから、ねっ?!」
「なんで望月がそんな過剰反応するんだよ」
「えっ……あれ? なんか、わかんないけど、すごく『まずい』って気分になったんだ、今。……あの、変なことされそうになったら、ちゃんとイヤだって言ってよ? 僕そばにいてあげらんないんだから」
「別に変なことはされてない。ただ一緒に踊ってくれって、それだけ」
「あ、そうなんだ。よかった」
「ああ。でも俺はダンスなんか知らないから結構困ってな。とりあえずパラパラ踊ってみたら、いい笑顔で左腕を折られた」
「何故パラパラ……」
「こないだ順平が踊ってるのを見た」
「……あのね、差し出がましいようだけど、あんまり順平くんの真似しないほうがいいと思うよ」
 望月は肩から吊られた僕の腕を痛そうに見て、「大丈夫かい、痛いかい」と言っている。どうやら心配してくれているみたいだ。こいつはいいやつだな、と僕はまた思う。
「もう骨はくっついてる。俺、傷治るの早いらしいから」
「早過ぎでしょ……! あ、でも僕も治るの早い。小さな怪我くらいなら寝て起きたら治ってるし」
「うん。だよな、若いし」
 昨晩はもうきちんと治す気力も残ってなくて、適当にくっつけてそのまま寝てしまった。この間までならそれでも朝には治ってたのに、最近僕の回復能力にはなんでかガタがきていて、今朝は起きてもまだ腕がぷらぷらしていた。ちょっと不安になる。
 僕は「もう痛くはないんだ」と弁解した。
「放課後、暇なら付き合ってもらえると嬉しい。お前も用事はあるだろうし、勝手なこと言ってるってのは分かってる」
「いいよ、もちろん。何でも言ってよ。僕なんでも言うことを聞くから」
 望月は微笑んで言った。でもちょっと引っ掛かる言いかただ。
 僕は命令してるんじゃないけど、なんだかいつも威圧的だって言われる。断わり辛かったろうか。なんか悪いこと言っちゃったなと思った。
 でも望月は僕の顔を見て、「あ、ちがうよ」と言った。
「べつに君を怖がってるからとか、そんなんじゃないからね。僕、君にはすごくお世話になってるから、なにかお礼をしたいんだ。だから僕にできることならなんでも言ってね」
「そうか」
 ほっとして、僕は頷く。良かった。
「じゃ、授業終わったら音楽室で待ってる。助かる。すまないな」
 そう言って、僕はアイギスに睨まれないうちに席に戻る。やっぱり望月はいいやつだ。
 こいつのどこが駄目なんだろう。女子に対して手が早過ぎるところくらいしか思い付かない。そこか。






◇◆◇◆◇






 授業が終わってから、職員室で鍵を借りて音楽室へ向かうと、もう望月が先に来て、扉にもたれて待っていた。「悪い」と僕は謝る。
「早かったな。鍵借りてきた」
「うん。音楽室でいいの? 体育館とかのほうが良くない? 広いし」
「体育館、部活で使ってるから。あの辺にいて宮本か西脇に見つかったら連行される」
「どこへ?」
「部活。俺、運動部サボってるから」
「へ? いいの、エースが」
「エースっていうか、俺幽霊部員だから。週に一回出たら良いほう」
「……でも大会でいいとこまで行ったんでしょ?」
「良く知ってるな。順平に聞いたのか? まあ、それはそれ。うちの親、完璧主義で、ちょっとでもかじった分野は必ずトップを取れってのが口癖だったんだ」
「ええっ!? そ、そんなの僕知らないよっ?」
「うん。たぶん、うちが特別厳しいとかなんだろうな。みんなありえないって言うし。俺親戚んちで育てられたんだけど、そこの叔父さんがすごかったんだ。あ、俺の育ての親。駄洒落好きのくせにすごい怖くて、今は一人暮しでちょっとほっとしてる」
「へえ……君んち、なんか、大変そうだねえ。一人っ子?」
「いや、何人か兄弟いる。なんか偉そうな兄さんとか絵が好きな姉さんとか、ひとりだけ関西弁の弟とか、変わり者ばっかりだよ。最近家に寄り付いてないから、みんなどこでなにやってるかは知らない」
「へえ……なんか、予想外の展開。君ってひとりっこで大事に育てられたって感じしてたんだ。意外」
「そうか? それはお前だろ。すごく大事にされてそうだ」
 どうやら授業で使って、そのまま出しっぱなしになっていたらしい譜面台を片付けて、ラックごとクラシックのCDを引っ張り出して、僕は望月と並んで再生装置の前に座り込んだ。
「それ、勝手に使っちゃっていいの?」
「大丈夫。良く使わせてもらってる」
「はぁ。さすがだね……」
「べつに、俺管弦楽部員だから。部員は好きなように使えって、顧問も部長も言ってる」
「へえ、そうなの。今度是非演奏を聴かせて欲しいな。君は何をやるんだい?」
「ヴァイオリン」
「へえ! かっこいいなあ!」
「……そんな大したもんじゃない。うちの部、部長も含めてみんな素人みたいなもんだし。俺も。それぞれ好き勝手にやってるよ。合奏は楽しいけどな」
「惜しいよ、空きがあったら僕も是非入部したんだけどね……」
「ああ、なんかお前弦楽器とか似合いそうだな」
 僕が言うと、望月は照れた顔になって「そうかな」と言った。
「嬉しいな。ところで、なんで僕に? 君、クラスでも友達すごく多そうなのに」
「ん? ああ。お前が一番似合ってそうだったんだ。燕尾服とか着て、女子と踊ってるとこすぐに想像できるの、お前くらいなもんだよ」
「え。それって僕がクラスで一番格好良いってこと?」
「自分で言うと嫌味だぞ」
 そっけなく、僕は言ってやる。確かに望月はこの月光館でもちょっと見ないくらいに顔は良いし、物腰も洗練されているけど、僕は彼のそういったところを鼻に掛けない姿勢が気に入っているのだ。
 望月は「そっか」と頷いて、妙に嬉しそうににやにやしながら顔を赤くしている。こいつはかわいい奴だなと僕は思った。
 僕はCDをカーペットの床に並べていく。クラシックはあんまり聴かないから良くわからない。望月はそういうのに詳しそうだなと思ったが、意外にも『そうでもない』らしい。部屋でクラシックをBGMにワイングラスでシャンパンでも飲んでそうだと思ってたって言うと、「君は僕のことをどういうキャラクターとして受けとめてくれてんの?」と笑われた。
「ダンスっていうけど、どんなのがいいんだい」
「なんか……プライドが高くて、最強で、人遣い荒くて我侭でこう、いつも上から人を見下ろしてる感じなんだけど、すごい丁寧な喋りかたして、名前なんか様付けで呼んで、それがまた舐められてんだろうなって感じがしてものすごく腹が立つけど、俺より強いから手も足も口も出せない年上の女が好きそうなやつ」
「良くわかんないよ……なにそれ。女王様?」
「それだ!」
「ハッとした顔して言わないでよ。あのね、君の交友関係をどうとか言う資格は僕にはないけど、ちゃんと気を付けてよ? 身体を大事にするんだよ。約束だよ」
「望月、なんだかお父さんみたいだな」
「……あ、うん。僕もなんか、子供ができたような気分になった、今。変なの」
 CDの円盤を再生装置に挿入して、何曲か流していくうちに、馴染んだ曲が流れてきた。望月がぽんと手を打つ。
「あ、これ知ってる。踊ったことある」
「俺はCMで流れてたのを聴いたことがある。『フレデリック・ショパン、ワルツ変ニ長調作品64-1』……へえ、こんな長ったらしい名前だったのか」
 僕の横で望月がすっと立ち上がる。そして、妙に気品のある仕草で僕に手を差し伸べてきた。お前は王子様かなにかか。
「さ、お手をどうぞ。踊りましょう。誰よりも美しい、僕のかわいいひと」
「……やっぱりお前はワイングラスにシャンパンなキャラだよ」
 音楽を聴いているうちに、望月のなかで変なスイッチが入ってしまったらしい。真面目な顔で変なことを言い出すから、僕は笑って、彼の手を取った。
「手、合わせて。あ、足こっちね。わ、君腰、細い……え、」
「お前だって細いだろ」
「え、えっと。あの、黒田くん?」
「ん?」
 望月が上擦った声をあげる。僕が顔を上げると、彼はなんでか真っ赤な顔をして固まっていた。
「これじゃね、抱き付いてることになるから。手、下に。あともうちょっと離れて」
「……ああ、悪い」
 言われたとおりに、僕は望月から少し距離を取る。どうやら望月は、あまりくっつかれるのは苦手らしい。女子にきゃあきゃあ言われてべたべた触られるのは平気な顔をしているくせに、なんなんだ。男はイヤだって奴だろうか。まあ僕も嫌だけど。
 まあ金持ちだからなと僕は考える。たぶんこいつは温泉とか、誰かと一緒に風呂に入ったりするところで、恥ずかしいとかなんだとかで大騒ぎするタイプだ。
 とりあえず望月のアドバイスを受けて格好はなんとかなったが、ワルツっていうのは確か、早いテンポの三拍子の曲に合わせて踊るってやつだったはずだ。僕は望月に「はい足出して」とか「回る」とか言われるとおりに、とりあえずやってみる。
「これでいいのか?」
「大丈夫大丈夫。こんなの、とにかく遊園地のコーヒーカップみたいにクルクル回ればいいの。楽しければいいんだ」
「でもダンスに見えなきゃまずいんじゃないか?」
「大丈夫だよ。結構なんとかなっちゃうもんなんだよ。君はとても綺麗だから」
「は?」
「あ、その、動きとかがね。さすが運動やってるだけあるね」
「そうか? ありがとう」
 僕らは音楽室の円形の段の前で、くるくるくるくる回る。ワルツってのは大分複雑で難しそうだなと思っていたが、結構すぐにいけた。これで本当に大丈夫なのかなと思ってしまう反面、子供同士がじゃれあって遊んでいるみたいな気分になってきて、なんだか気持ち良くなってきた。
「なんか、楽しくなってきた」
 僕はにやっと顔を崩して、くすくす笑った。望月はびっくりした顔になって、でも彼も気持ち良さそうににっこり笑った。
「君、笑うと可愛いね」
「……はっ?」
「ちょっと子供っぽくなるね。いつもはすごい美人なのに。すごくいいと思うよ」
「お前、さっきから変なスイッチ入りっぱなしになってるぞ」
 おかしくて、僕は笑う。望月の冗談は、どこからどこまで本気なのか分からない。こいつもしかして、全部本気で言ってるんじゃないかっていう、一生懸命さだ。変なやつだなと思う。でも誉められて悪い気はしない。
 僕は軽やかにターンしながら、ふと思い付いて、望月に訊いてみた。
「お前こういうの、どこで習ったんだ? 学校? 習い事?」
「うーん……僕、習い事ってした経験ないなあ。ただね、子供のころ、僕んちの近くに変わり者のお爺さんと、きれいなお姉さんが住んでてさ。僕ひとりで家で留守番してる時なんか、やることなくて暇になっちゃって、良く遊びに行ってたんだ。こまごましたおつかいとか、手伝ってあげたりね。お姉さんすごく優しくてね、紳士のたしなみだって、ワルツの踊り方教えてくれたんだよ」
「へえ。そう言えばおまえ、帰国子女だったな。外国育ちってやっぱりすごいな。なんかクラシックが普通に似合う」
「えへ、そうかな?」
「うん……あ」
 そこで僕は、余所見をしていたせいか、回り際に望月の足を踏ん付けてしまった。慌てて足を退かそうとして、でももう片方の足が追い付いて来ずに、両足とも宙に投げ出される格好になってしまう。
「うわ、」
「あっ……!」
 僕は後ろ向けに転倒した。床にしたたかに背中をぶつけてしまって、衝撃に顔を顰める。勢い良く転んで床にぶつかるのは、毎晩のことなのでもう慣れてしまっているが、一瞬訪れる衝撃にはさすがに抗えない。
 頭は打たなかった。
 目を開くと、僕に引っ張り込まれたらしい望月が、身体の上に乗っている。彼は僕の頭を守るように支えてくれていた。頭を打たなかったのは、彼のおかげだったらしい。
「……望月」
「あ、大丈夫? 黒田く……あ、え」
 急に望月が顔を真っ赤にして、僕の腹の上からばっと跳びのいた。
「ごっ、ごめんね! ぼ、僕そんなつもりじゃっ、下心とかはなくて、そのっ」
 僕は首を傾げる。望月はなにを言ってるんだろう。悪いのは僕のほうなのに。
「手」
「え?」
「頭、打たないように守ってくれたんだな。……ありがと」
 僕は礼を言いながら望月の手を取って、ちょっと顔を顰めた。僕を守ったせいだろう、手の甲が擦り剥けて、血が滲んでいる。
「……悪い」
「ううん。全然平気。君こそ怪我はないかい? 君が無事なら、」
 僕は首を振る。なんだか申し訳ない気分でいっぱいだった。僕が無理を言って付き合ってもらわなきゃ、望月もこんな怪我をすることはなかったろうに。
 これは僕の責任だなと、僕は考える。そして溜息を吐いて、覚悟を決める。あとでバレて、桐条先輩――はいないから、真田先輩あたりにどやされた時の覚悟を。
 僕は望月の手をすっと撫でて、自分の両手のひらを仰向けにしてひらひら振って見せた。
「望月、ほら見ろ。タネも仕掛けもない」
「え、うん」
「じゃ、ちょっと目を閉じてみろ」
「え?」
「俺がいまからみっつカウントしたら目、開けていいぞ。一、二……」





(ペルソナカード、ドローデッキ、オープン。アルカナ『恋愛』タイプ、ピクシーを召喚。望月綾時をターゲッティング。ディア、発動)





――三。もういいぞ。ほら、傷が消えている。不思議だな」
「え、……あれ? ホントだ、怪我、消えてる。え、なにやったの?! 君もしかしてあれ? 魔法使い?!」
「実は趣味でちょっと手品をかじってる。このくらい軽いよ」
「ちょっ、おかしいでしょ。モノなら分かるけど、だって僕、傷……え? どうなってんの? え?」
 望月は目を丸くして驚いている。まあ確かに、これだけじゃちょっと無理があるだろうなと思う。僕はぐっと手を握り、そしてぱっと開く。
「望月、ほら――花」
 僕の手のなかには一輪の花がある。望月が更に目を丸くする。
「わ」
「旗も出る」
「わ、わあ! すごいっ! 君すごい、格好良い!」
「みんなには内緒だぞ。俺手品やってんの。見せてくれってうるさいから」
「う、うん! 秘密にしてる! ね、だからまた見せてね?」
「ああ」
 望月は「すごいすごい」と大喜びだ。こいつは本当にかわいい奴だなと僕は考える。まるっきり小さい子供だ。
 大好きな女の子たちと一緒に遊びに出掛けたほうが随分楽しいだろうに、わざわざ僕に付き合ってくれる。僕なんかを守ろうとしてくれる。
 なんかもう、くすぐったくなっちゃうくらい、いい奴だ。
「……なあ、望月」
「うん?」
「こないだ、ごめんな。俺たぶん、怖かったんだ」
「怖い? あ……もしかして、僕のこと……?」
「うん。お前が俺といて嬉しいのか、退屈してるのか、みんなみたいに全然読めないから。俺お前と話してると、思ってもないことまで口から出て来て、なんか自分でもびっくりしちゃうんだ。心がないとか、自分でも思ってないし。なんであんなこと言ったのかわからない」
「……よかった」
「うん。その、ヒイたり、呆れたりしてたらごめんな。……俺こんなだし、たまに変になるし、お前が俺といて楽しいのかもわかんないけど、……その、良かったら、トモダチに、なってくれるか。俺と」
 望月はすごく嬉しいって顔になって、にっこり微笑んでくれた。
「当たり前さ。喜んで、黒田くん」
「……そっか。よかった」
 ほっとして、僕は笑った。





◇◆◇◆◇





 ヘッドホンの左は俺の耳に、右はエリザベスの耳に、そしてプレイヤーを再生する。さっき落としてきたばかりのクラシックだ。フレデリック・ショパンのワルツ変ニ長調作品64-1。
 エリザベスは『ああ』って顔つきになる。
「『子犬のワルツ』でございますね」
「ん?」
「この曲の名前です。それにしても音楽を奏でる小さな棒……私、それが欲しくなってまいりました」
「こっ、これは駄目だぞ。これは俺の命だ。欲しいなら新しいの買って持ってくるから、これは勘弁してくれ」
「では楽しみにお待ちしております」
「……ぐ。わ、わかったよ……」
 また無茶苦茶言ってる、この最強。でも僕は自分よりも圧倒的に強い彼女には逆らう気力も起こらないので、おとなしく頷く。僕は強いものには弱い駄目なやつだ。
 僕はエリザベスとくるくる回るワルツを踊る。彼女は「耳に馴染んだ曲です」と言っている。
「クラシック、聴くんだ。良く踊るのか?」
「ええ。こちらは以前訪れた小さなお客様に、私が踊り方をお教えしたものでございます。幼いながら、なかなかの紳士でいらっしゃいました」
「あそこに来る客、割と年齢層広いのか?」
「そうですね。あなたも良くご存知のあの子ですよ」
「……ああ。あの子か。ありがとう」
「フフ、どうしてお礼を?」
「さあ。なんか俺がお礼を言わなきゃならないような気がした」
 エリザベスがいつもの微笑を浮かべながら、「ところで」と首を傾げた。
「ご存知でしょうか、黒田様」
「うん?」
「あなたが今踊られているのは、女性パートになります」
 僕はコケた。
 なんだそれは。教えてくれって、僕が女子じゃないのはあいつも十分過ぎるぐらい分かっているだろうに、なんでよりによってそんな、
「望月いぃー!!」
 恨みがましく、僕はあの男の名前を叫んだ。明日は絶対、朝一番に文句を言ってやる。





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