ーブルを囲もう!




――そばに、いたいんだ」




 その時オレは、あれっ、と思ったのだった。なんかおかしいぞ、と。




 最近、ダチがひとり増えた。十一月はじめっていう変な時期に、うちのクラスに転入してきた生徒だ。男子だ。
 はじめはなんでかまた不思議ちゃんが来たなあ、これまで三人中三人おんなじタイプだよ、あーなんかまた疲れる奴なのかなぁ、くらいに思っていたのだが、そいつは予想外に、エージやアイギスみたいに独自の世界を持っててちょっと近寄りがたいとか言われてる奴らとは違って、懐っこい奴だった。
 しょっぱなからアイギスをナンパして派手にフラれるという、オレの中の笑いのツボを突くネタも押さえてくれている。
 顔が良くて金持ちっていう、『君ちょっと放課後体育館裏に来なさい』みたいなところが鼻につかないくらいノリが良く、というかアホで、女子大好きで、あからさまに下心満載だ。オレは大分面白いやつが来たなぁ、って思ったのだった。
 はじめに話した時もそうだ。にっこーっと笑って「やあ、よろしくね!」だ。
 「なにお前」とかしょっぱなから鼻っ面にストレートにキたどこかの誰かとは大違いだ。
 まあいい奴なんだろな、頭も態度も軽そうだけど、と思っていたのだが、ちょっと話してみると割合真面目な奴だった。
 どうやら女子に誰彼構わず良い顔してるかと思えば、ちゃんと本命とやらがいるらしく、その子の話をしだすと、そいつは急に正座でもしそうな真面目な顔つきになる。ああ舐めてた、これこいつ本気だ、とオレは直感する。
 多分もうプロポーズのこととか、結婚とか、子作りとか、もしかすると老後のことまできちんと考えてるかもしれないって顔だ。そいつが遊び人だと思っていたオレは、そこで大分認識を改めた。良いほうにだ。
 驚いたことに、そいつのお相手ってのがまた、オレが気になって気になって仕方がない子とまるっきりタイプがカブっていて、オレは一瞬『えっライバル出現?』とか不安になったのだが、そうでもないらしい。チドリって名前じゃないって、そいつの口からちゃんと聞いたのだ。
 ともかくオレらはなんか、女子のタイプが似ている、みたいだ。ここまでリンクするのも珍しいってくらい、そのままなのだ。
 それで最近はお互い恋愛相談みたいな話を、学校帰りにワックとかでするようになって、お互い頑張ろうぜって感じになっていた。
 なっていたんだが、オレは今ちょっと、あれれ?って気分になっている。何かおかしいぞと。





 昨晩、学校で倒れてたとか言うエージを背負って、リョージが巌戸台分寮へやってきた。どうやらオレが「エージ知らねー?」って軽く電話で訊いた途端、大慌てで探しに行ってくれたらしい。お前はエージの親御さんかよとツッコミたい。
 エージは倒れてたって言うよりも、日頃身体を酷使してるツケが回ってきたみたいな感じだった。気絶っていうよりも、爆睡してた。何をしても起きやがらない。
 リョ―ジはそんなエージが心配でたまらないらしく、もう遅いからオレらに任せといて家帰れつってやっても聞かない。
 甲斐甲斐しく世話を焼いて、挙句エージの手を握って「彼が起きるまでずっとついてる」とか言う。
 それは女好きの望月くんらしくないでしょ、とオレはそこで突っ込んだ。
 でもリョ―ジはまるで聞いてない。オレの声なんかまるでスルーで、エージエージだ。
 大体はじめから妙だった。まるでものすごい大事な荷物を運ぶみたいにして、エージの身体をどこかにぶつけないように気を遣いながら歩く。
 ベッドに寝かせた時もそうだった。お姫様でも取り扱っておられるんですか、って感じだ。お前エージは多分うっかりトラックに轢かれても傷ひとつつかなさげな男なんだぞ、と言いたい。
 上着を脱がしてシャツのボタンを外す動作もなんか変だった。男相手だからパパっとやっちまえばいいのに、まるで女の子の服を脱がしてるみたいな、『ごめんなさいごめんなさい下心はないんです』って顔をしてた。
 オレは『あれっ』と思ったのだった。なんかおかしいぞと。
 そんで、思い出してしまったのだった。こないだ、ワックでダベってた時の話だ。
『僕が好きなのは、え――
 リョ―ジはどうやら、『え』、なんとかって子のことが大好きらしい。
 オレは、まさかって思った。
 名前って言えば、そいつもそうだ。頭に『え』だ。
(え……『え』い、じ?)
 いやそんなまさか馬鹿な、って慌てて首を振った。そんなことがあるわけない。リョージは女好きで、モテてモテて困っちゃうような男なのだ。
 わざわざ男なんか、それも宇宙人で鬼軍曹で魔王みたいなエージなんかに、一目惚れでビビッと来ちゃうわけがない。エージがジオとかマリンカリンとかをついうっかり垂れ流してやがったのならともかく。
 まあなんにせよ気のせいだろうって思い込むことにした。もう眠って忘れよう、変なこと考えちまったアハハーわりぃリョージ、って一晩眠った。
 そして寝る前に変なこと考えてたせいだろう、リョ―ジがエージに迫って、「暑苦しい」とラストジャッジを食らってる夢を見てしまったのだ。朝の目覚めは最悪だった。
 なんとなくリョージにもエージにも顔合わせ辛いなーと思ってたところで、今朝の一件だ。通学路で思いっきり誤解されそうな会話をやらかしてしまったエージと真田さんを見て、顔を真っ青にしたリョ―ジに「どういうことなの?! ねえっ!!」と首を絞められて問い詰められた。
 まあその場でオレは「トレーニングだよトレーニング! 夜間自主練!」と答えて(まあ間違ってはいない)ことなきをえた訳だが、おかげでものすごいどす黒い色をした疑惑がむくむく頭のなかで膨らみ続けている。
 考えてみれば思い当たることが多過ぎる。名前の頭に『え』が付くチドリのそっくりさんなんて、この街じゅう探しても、エージくらいしかいない。
 オレの好みは多分ちょっと特殊なのだ。なんたって相手はあのストレガだ。似てる子なんて、そうゴロゴロいてたまるか。





「どうしたの?」





「ホバアッ?!」
 いきなり悩みのタネに話し掛けられて、オレはびっくりして、椅子から転げ落ちそうになった。
 リョージだ。相変わらず今日も朝から女子にちやほやされて、学校の半分を望月専用ハーレムにしている。もう半分、つまるところ男子は、どちらかと言えば嫉妬よりも殺意を抱いていたりするわけだが。
 女子にモテモテで、女子が大好きで、そんなこいつにホモ疑惑を掛けてやるのは、本当に心苦しい限りだ。
「い、いいいいや、ちょっとね、うん。考え事を」
 オレは脂汗を浮かべながら言う。リョージは「ふうん」と頷く。ほんとどうなんだろう、こいつは。
 もし万が一、ほんとにこいつがエージに惚れてたとしたら、オレは一体どうすれば良いんだろうか。
 友人としてリョ―ジを応援するべきか。
 友人としてリョ―ジを「正気に返れ。現実を見ろ。殺されるぞ」と諭すべきか。
 仲間としてエージを救ってやるべきか。いやそれはどうでもいい。
 エージなんか救ってやっても良いことは一個も無さそうなので、とりあえずリョ―ジの味方をすることは決定しているオレだ。
「もしマジにアレならディスチャーム使ったあとで悩殺防御のナルシスフラワーを装備させてみたらどうだろーな……」
「は?」
「いいいや、うん。こっちの話。あ、リョ―ジくん。エージだよ」
「えっ」
 リョ―ジは『なに言ってんの?』って顔をしてオレを見てたくせに、エージの名前を聞くと急に目をきらきらさせて、ぱっと振り向いた。この反応もなんだかな、と思う。オレとは真逆の反応だ。
「あっ、黒田くん! 身体、もういいの? その、随分疲れてたみたいだから」
「あ……ああ。悪いな、昨日」
 エージがリョ―ジの声に応える。昨日の借りがあるからだろう、気まずそうな顔をしている。
 オレならあいつに貸しなんかできちゃったら、もう舞い上がっちまって、「おいパン買ってこい」や「プリン奢れ」だの使い放題だ。
 でもリョ―ジはほっとしたみたいな顔で、「よかった」と笑うだけだ。
 いいのかそれで。もっと強欲になれ。そいつの鞄には常に、学校帰りに交番寄って武器を買うために、百万単位の金が入ってるんだぞ。
「あれ、今日も部活出るの? 土曜日でしょ?」
「あ、ああ。その、部活はないけど、自主練。昨日の――は、もう――って聞いた。病気だって。だから、大丈夫だよ」
 エージがいつもみたいに聞き取りにくい声でぼそぼそ言っている。でもリョ―ジはきちんと聞き取っているらしい。首を傾げたり、『もっかい言って』もなしに、エージの肩に手を置いて、「あのねえ」と諭すみたいな調子で言う。
「そゆことじゃないでしょ。駄目だよ、完璧な人間なんていないんだから。君だって寒ければ風邪を引くし、転んだら怪我をするんだ。君が頑張りやさんなのはみんな知ってるし、頑張ってる君はおんなじ男としてすごく格好良いと思うけど、でも君の身体になにかあったらって思うとすごく心配だよ。無理しないで、もう今日は帰ろう。ほんとは今日まだ辛いでしょ?」
「え」
 エージがぽけっとした顔になる。何言っちゃってんの、って顔だ。
 あいつがびっくりした顔なんて珍しい。こないだの祝勝会の時の、「なんでこいつら最後までこんなバカなんだ?」って言ってるみたいな写真のアレ以来だ。
(……あ。もしかして)
 オレは、あっと思い当たる。エージは何やらせても完璧な男だ。身体も無駄に頑丈だ。
 もしかして、今まで誰かに心配されるってことが、あんまり無かったんじゃないだろうか。
「え? なに言ってんだ、心配? え……俺?」
 案の定そうらしい。エージが困惑している。珍しいことだ。
 教室がざわざわしている。みんな「え」って顔をしている。あいつはほとんどいっつも顔変わらないから、やっぱりみんなびっくりしてるようだ。オレもびっくりしてる。
「君以外いないでしょ。ね、宮本くんも心配だよね」
「あ、ああ。お前調子悪いんならちゃんと言えよな。わかんねーから」
「え……えっ?」
「あ……誰かに心配されたり、そういうのいやかな?」
「え、あ、いや……あんまりされたことないから、良くわからない……」
 オレは、エージさんすんません、と心の中で謝った。
 あ、こいつもしかして、ここに来てはじめて誰かに親身になって心配されたんじゃないかと気付いてしまった。なんて寂しい男だ。
 考えてみれば、こいつもオレらと同じ十七の男なのだ。宇宙人だけど。今度からは、心配してやった時はちゃんと口に出して言ってやろう。
 リョージがエージの手首を掴んで、じっと手を見つめて、ちょっと痛そうに目を細めて言う。
「冗談でしょ。君こんなに小さくて細いのに。ほっとけないよ」
(うわっ、バカっ、リョージ、そりゃ地雷だ……!)
 エージの前で『小さい』『細い』『背が低い』は禁句なのだ。
 オレは慌てて机の下に避難した。他のやつらも、「ひいい、カリスマ様がお怒りになられる」「血の雨じゃあ」とか言いながら、オレとおんなじ格好でいる。
 怖々顔だけ上げると、エージはなんだか困った顔をして首を傾げていた。
「……俺、そんなちびかな。一応、牛乳飲まなきゃって思ってるんだけど、まずいし」
「美味しいじゃない。いちご牛乳は嫌い?」
「いや……嫌いじゃないけど」
「じゃ、飲まなきゃ。今がラストチャンスじゃない。僕らまだ成長期だもんね」
「そうだな……そうする」
(言葉のキャッチボールが成功している……つーかあのエージとまともな会話が成り立っているっ……! リョージすげえ!)
 オレは心底驚いた。他のやつらも「望月……ナンパなだけの男かと思っていたら、恐ろしい野郎だ……!」とか「綾時くんさっすがー……」とか言う声が聞こえてくる。
 うん、これはほんと、マジビビる。具体的にはエージの拳とか膝とかが出ないことに。
「ごはんちゃんと食べてるかい? コンビニ弁当とかで済ませてない?」
「料理は、嫌いじゃないけど。面倒」
「だーめ。ちゃんと自炊しなきゃ。君せっかく料理上手いのに」
「そうかな」
「そうそう」
 なんか、お前ら久し振りに会ったお父さんと子供みたいになってるぞ、会話が。
「……わかった。何か食いたいものあるか? 今晩うちの寮来いよ。ああ、予定がなきゃだけど。昨日のお詫びっていうか、お礼。飯作るよ」
「え、ほんとっ? いいの? じゃあね、僕ね、ハンバーグが食べたい! あとクラムチャウダー! チキンライスもいいなあ、あ、旗立ててね。それからデザートにはプリン〜」
「お前はファミレスでお子様ランチでも食ってろ。まったく、なんだその子供っぽい味覚」
「あ……だめ? うーん……」
「いいよ、べつに。作るって言ったの俺だし。お前こそちゃんと栄養気を付けろよ、一人暮し。好きなもんばっか食ってんじゃないぞ」
「あ、はーい……」
 今度はお母さんと子供だ。パワーバランスが逆転した。何なんだお前らは。
「つか、エージが普通に会話してやがる……えっ、あざわらうとか、蔑んだ目とか、そんなんナシ? えっ?」
「それたぶん、あんたが特別なんだと思うよ順平……にしてもああホントびっくりした。黒田くんも普通の男の子みたいに話できるんじゃない。「ふうん」「別に」「どうでもいい」以外のこと言ってるの、珍しいね。綾時くんとチャンネル、合っちゃったのかなあ」
 ああなるほど、とオレは頷いてしまった。
 リョ―ジは多分、チャンネルが合っちゃったのだ。宇宙の声が聞こえちゃったのだ。やっぱり不思議ちゃんだ。
 オレはとりあえず「はいはい」と手を上げて、「オレもオレも」と主張した。ゆかりッチも「私もー」とか言っている。
 ゆかりッチはエージのことがなんかちょっと気になるニクイアイツ、みたいなアレだったから、まあ手料理が食えるならラッキー、って感じなんだろう。
 その瞬間エージが、こんなとこで言わなきゃ良かったって顔をしたのを、オレは見た。





◆◇◆◇◆





「うわぁ……すごいね」
 リョージが目をキラキラさせている。オレも不本意ながら、つい、不覚にもたぶん、キラキラだ。
 巌戸台分寮のラウンジのテーブルの上には、今顔を突き合わせている人数分の皿が並んでいる。オレ、リョ―ジ、ゆかりッチ、アイギス、まあ二年F組のメンバーと、風花、天田、真田さん、桐条先輩。まあ寮のメンバーは全員いる。
 エージのやつは随分大変そうだった。元はといえばリョ―ジひとり分余計に作れば良いだけだったのに、なんだか不思議なことに、結局今晩の晩飯担当を買って出る羽目になったのだ。ほんとに不思議だ。ちょっとメールで、他のメンバーに『今日晩飯エージが作ってくれるって』って連絡入れただけなのに。
 メニューはリョ―ジのリクエスト通りに、ハンバーグにクラムチャウダーにチキンライスにプリンっていうお子様ランチだったが、まあ文句の付けようがなかった。
 ハンバーグなんか箸を入れたら中からトロッとチーズが出てくるし、掛かってるトマトソースも美味い。
 何故かチキンライスには旗が立っている。そう言えばリョ―ジが『旗は外せない!』と力説していたが、だからってオレらのぶんにまで立てることもないだろうに。しかもフロストくん柄だ。男がこんな可愛いもん買ってくんな。
 プリンなんかはキングフロストのかたちをしている。こんな型もどこで売ってんだと訊いたら、通販と返された。お前またソレか。たなか社長崇拝者め。
 全体的に、子供がすっげー喜びそうだなー、って感じだった。ゆかりッチなんかは苦笑いしているが、桐条先輩はものすごいカルチャーショックだかなんだかを受けているらしく、頭の上にぽやーっと花が飛んでいる。この人も花を飛ばせたのか。
 見た目どんだけキレイでも、味はそうは行かねーだろ、オレはちょっと食い物に関してはうるせーんだぜ、と思っていたら、甘かった。すげー美味かった。それもレストランとか、料亭とか、そういう感じじゃない。食ってたら実家のおふくろの笑顔が浮かんできた。
「お母さんっ」
「母さんっ」
 リョ―ジと天田がエージに抱き付いて、「黙って食え」と怒られている。危うくオレも抱き付きそうになった。やべえやべえ。
「シンジの手料理を思い出すな……」
 真田さんはちょっと思い出し所が違うらしい。そう言えばこの人は孤児だって聞いたことがある。故郷のおふくろさんを思い浮かべるような感じで思い出されても、ニヒルな一匹狼を気取ってた荒垣先輩的には微妙だろう。
「ううう、おうさまにスプーンを入れるのは、すごく可哀想な気がするけどっ……」
「黒田くん、このプリン、すごくかわいいね」
「おい、この旗は食えるのか?」
「先輩、食えません。……なんだアイギス、まだ怒ってるのか」
「……怒っていません。……あなたのことで、その、感謝はしています。ただダメなだけです」
「いい子だから、そのまま待機。「ダメ」は駄目」
「……でも、だって、」
 半分ふてくされてるアイギスに、エージがしょーがねーなって顔をして、こそこそ囁いた。
「アイギス。――今我慢できたらあとで頭を撫でてあげよう」
「…………」
「じゃあおでこにキスしてあげる」
「します」
「なにこの即物的なロボット?!」
「ちょっ、じゅんぺっ、」
「順平くん、ロボットはひどいんじゃないかなあ。こんなに可愛い女性を捕まえて、ねっ、アイギスさん」
「ガマン……ガマン、ガマンです。がんばれ、私」
 オレは慌てて『ロボット』とか言っちまった口を押さえたが、リョ―ジはそのままの意味では取らなかったらしく(まあ無理もない)、アイギスに「ひどいねー」とか言っている。今お前はアイギスに話し掛けてやるな。多分自分の限界に挑戦しているところだと思う。
 リョ―ジはどうやらアイギスにダメ出しされないことで気を良くしたらしく、御機嫌でチキンライスを突付いている。相変わらず分かりやすい男だ。
 それからぱっと顔を上げて、『どうかな』って顔をしているエージににっこり笑い掛けて、「やっぱりすごく美味しいや」と言った。
「優しい味だね。なんか、食べる人が元気になりますようにって、一生懸命作ってくれた味がする。君、なんだかママみたい」
「なっ……ば、馬鹿。同い年の男を捕まえてママとか、なんだよそれ。馬鹿にしてんのかよ」
 あちゃーまた地雷、とか思ったんだが、オレの予想とは裏腹に、エージは急に顔を真っ赤にして、いきなり席を立った。
「部屋、戻るから。く、食ったらさっさと帰れよっ」
 ものすごくあからさまに照れてる顔で、ぷいっとリョ―ジから目を逸らして、さっさと二階に上がってしまった。
 それを見ていたオレたちは、なんだか信じられないものを見てしまったような気がして、目をゴシゴシ擦った。まあ、夢じゃないらしい。じゃあ幻覚だろうか。
 なんでリョ―ジのやつは、エージの地雷を踏んでも爆死しないんだろう。
「あ……怒らせちゃったかな」
 リョ―ジは急にソワソワしはじめた。オレは「いや、そーいうんじゃねんじゃねーかな」ととりあえずフォローする。
「アレ照れてんだよな。……エージってツンデレだったのな。ただのツンツンかと思ってた。あいつはああいうの弱いのか」
「あんなリアクション激しいリーダー、初めて見ましたよ。なんか今日、可愛いですね、あの人」
「ツンデレとはなんだ? アイギス」
「データにありません。風花さん、『つんでれ』とはなんでしょう」
「ええと……うん。荒垣先輩みたいな、ひとのことじゃ、ないかな……」
「了解、データ入力します」
「すげーなリョージ、お前まだこっち来てそんななんねぇのに、あのエージが陥落しかかってんぞ。この調子だともしかして、桐条先輩とかもイケんじゃねーの」
「私がどうかしたのか?」
「なんでもないです、先輩。順平、変なこと言うな」
 オレらはびっくりして、ざわざわしていた。あのエージがだ。年じゅう顔が冷凍庫みたいな男が真っ赤になるところなんかはじめて見た。
 そうしているうちに、問題のリョ―ジが立ち上がる。やっぱりソワソワした顔で「あの、謝ってくるね」とか言っている。なんかお前もズレてるな。
「……あー、べつにエージ、怒ってる訳じゃねーと思うぜ、うん」
「でも、お礼もごちそうさまも言ってないもの。行ってくるね」
 そんで、エージを追っ掛けてってしまう。
「…………」
「…………」
 ものすごく、気になる。
「……オレ、ちょっとトイレ」
「俺も行こう」
「あ、僕も行きたいです」
「あ、私もー」
 オレらは、「了解、待機します」とか「なんだ、揃いも揃って」とか言っているアイギスと桐条先輩の天然ふたりとコロマルを置いて、コソコソ二階へ上がっていく。






 扉は薄く開いていた。明かりがうっすら零れている。オレらはそおっと、戸の隙間から中を覗き込む。ベッドに腰掛けているエージと、リョ―ジの黄色いマフラーの裾が目に入った。
 二人は、なんか普通に話してる。まあいきなり抱き合ってチューとかされてても困るが。
「……前は食事に気を付けてくれる人がいたんだけど、二人共もういないから。みんな、順平なんかいつもコンビニ弁当だし、真田先輩は牛丼ばっかり食ってるし、天田は成長期なのにまともなもん食べてない。たまには俺がなんとかしなきゃって、思ったら、まあいっかって」
 エージさん、ありがとうとオレは心の中で大感謝する。宇宙人とか言ってすみませんでした。今もまだ実はそう思ってるけど。
「優しいんだね」
「……優しいってのは、ちょっと違う気がする」
 まあなあ、とオレは頷く。エージがみんなの体調に気ィ付けてるのは、まあ夜のエージを知らないリョ―ジにはわかんねーだろうが、リーダーとして戦闘員の管理をきちっとしてるって、そんなふうな、なんか機械の管理でもしてるみたいな感じなのだ。
 オレもエージが優しいってのはひどく間違っている気がするが(あいつが優しいんなら、オレなんてもうエンジェルだ)、リョ―ジは「でも君はすごく優しいひとだと思うよ」とか言っている。
「みんなのこと心配してあげてるんでしょ? あんなに優しい味のごはん作れる君が、いい子じゃないわけがない」
「い、いい子って、なんだそれ。俺、子供じゃないぞ」
「ふふ、ごめんね。君って、子供とか小さいとか言われると、すごく可愛い顔するよね」
「な……お前な、怒るぞ望月」
「うん、ごめんってば」
 なんか背中がぞわっとした。オレは後ろを向く。真田さんも天田もゆかりッチも、『ありえねえ』って顔してふるふる首を振っている。
 お前拗ねた顔で『怒るぞ』ってなんだ。お前本気で怒ったら、リョ―ジとか紅蓮華斬殺で一瞬でミンチ肉だろ。
 エージがやれやれって感じで言う。
「……お前と喋ってると、なんか変な感じだな」
 うん、今のお前は絶対変だ。
「また、君のごはん食べたいな。来てもいいかい? 夕飯時にさ」
「来るなら早めに言えよ」
「うん。ふふ、嬉しいなあ。今日はありがとう。君とたくさん話せて、僕は幸せものだ」
「……お前、ほんと変なやつだな」
 いや、リョ―ジも変だが、お前が変だ。気付けエージ。そしてリョージも突っ込んでくれ。そいつはそんな普通に会話できるキャラじゃない。魔王だ。絶対なんか企んでる。
 あ、リョ―ジが金持ちだって話を、こいつも知ってるのか。財産を絞りとってゴミのように棄てる気だな。そうに違いない。なんかちょっとほっとした。
「また明日、またいっぱいお話しようね。じゃ、おやすみ。良い夢を」
 リョ―ジが部屋を出しなにそんなことを言った途端、エージがものすごくびっくりした顔になった。こっそり見てるオレらのほうがびっくりしてしまうくらいだ。
「え……」
「え、ど、どうしたの? なんか僕、変なこと言ったかな」
「え、あ。……いや、大丈夫。なんでもない。お前こそ、早く帰ってさっさと寝ろよ。夜更かしすんなよ。その……おやすみ」
 オレらは、息を飲んだ。つい「ひいっ」て悲鳴が出てしまった。
 あのエージが、「おやすみ」のとこで、にこっと笑ったのだ。
「あれ? なにやってるの、君たち」
 部屋の扉を開けて、廊下に出てきたリョージが、『変なの』って顔でオレらを見た。いや、変なのはオレらじゃない。もっと変なものが今、部屋のなか、お前の目の前にあったろうってどうしても突っ込みたい。
 まず恐る恐る口を開いたのは、真田さんだった。さすが年長者。頼りになる。
「お、おい望月。 あいつ今笑ってなかったか?」
「え? はい。彼の笑顔はすごく可愛いですよね。僕、すごく好きだな」
 リョ―ジが嬉しそうににっこーっと笑って花を飛ばしている。頬を染めている。オレはまた、あれっ、と思う。
 こないだこいつから聞いた話を思い出す。
 最近やっと笑ってくれた。確かに今見た。怖かった。
 料理が上手い。上手かった。おふくろの味だった。
 頭が良い。たしかに、天才だ。学年トップだ。頭に関しては、桐条先輩とタメ張れる。
 みんなの人気者だ。エージはガッコでカリスマとか呼ばれて、ちやほやされている。
 誰よりも綺麗……かどうかは、個人の好みによるんだろうが、エージはまあ、確かに綺麗な顔はしている。オレには憎たらしい顔にしか見えないが。
 そしてなにより、エージはチドリとキャラかぶってる。
 オレはさすがに、観念してしまう。ああこれ、これはほんともう、黒じゃ、ねーのか。
「あ、あの人の笑顔なんかはじめて見ましたよ! 明日世界が終わるんじゃないですか?」
 あの天田が泡を食っている。どうやら小学生には刺激が強過ぎたようだ。なんかのトラウマにならないことを祈る。
 オレはリョ―ジの首に腕を回し、「ちょ、アレマジなの?」と訊いてみる。
「ちょ、リョージくん、こっち来なさい。いつもあんななの? お前には笑顔大安売り? あのさ、すっげーその、聞きにくいんだけど、お前って、」
「……お前ら、なに人の部屋覗いてんだ」
 『エージが好きなの?』と訊きかけたとこで、ご本人が部屋から顔を出して、相変わらずの憎たらしい顔で、「なんなんだよ」とか言っている。オレは大分混乱している。マジヤバい。
 オレは「なんでもねー」ととりあえず切りぬけようとする。でも頭が回らない。
「……まあいいけど。じゃあな望月。お前ら、暇そうだな。皿洗ってくれる?」
「はは、はいっ」
 エージはなにも考えずに頷いたオレに、「やけに聞き分けがいいな。不気味だ」とか言っているが、オレにはお前の、あのリョ―ジの前で見せてた笑顔のほうが不気味だと言いたい。お前らマジでもうなんなの。





◆◇◆◇◆





 キッチンでエージとゆかりッチと並んで皿を洗う。この順平様がだ。嘆かわしい。
 天田は「土曜サスペンス見なきゃ」とか抜かして逃げやがった。お前そうやって大人ぶってるが、夕方にやってたポケモンの再放送を録っていて、毎晩楽しみに見てるってことを、隣室のオレは知ってんだぞ。
 サスペンスとか言いながら、今晩もどうせまたピッカチュウ〜に夢中になってんだろ。と言いたい。
 真田先輩は「走り込みに行かないとトレーニング不足で死ぬ」とか言い出して離脱した。あの人はたぶん、オレらとは違う価値観で生きてるってことはもうみんな理解しているから、さすがにエージも「そうですか、行ってらっしゃい」とあっさり赦してやっていた。たぶんあの人は筋肉星から来たのだ。空気のかわりにプロテインとか吸って生きているのだ。
 オレはげんなりしながら、「ソニックナイフを料理に使うんじゃねー」とエージに突っ込んでおいた。エージはいつもの顔で、「手に馴染むんだ」とか言っている。そう言う問題じゃねえ。
「つーか、お前料理までデキんの? 何ソレもー反則じゃん。この完璧王子。死ね」
「お前が死ね。……頑張ったんだよ、昔。最近じゃもう、面倒だから自分のために飯なんて作る気にはならない」
 オレは、「おっ」てなる。エージの口から頑張ったとか聞くのはものすごく意外だ。天才様は努力なんかお呼びでないって感じかと思ってた。
「何ソレ? 元カノとか? 愛しいあの子のためにエージくん、頑張っちゃった?」
「えっちょ、なにそれ」
 案の定エージが気になるゆかりッチが食い付いてきた。考えてみれば、ゆかりッチとリョージは恋のライバルってやつなのだ。まあまだリョ―ジ本人の口から聞いたわけじゃあないが、なんか変な感じだ。
 エージは嫌そうな顔で「馬鹿」と言って、オレに冷たい視線を向けてきた。そう、それでこそエージだ。コレじゃなきゃ調子が狂う。でも別にオレは、エージに冷たく乱暴にされなきゃ物足りないマゾとかでは決してないぞ。
 手際良くフライパンを洗い終わり、タオルを出してきて、エージが言う。
「……うちの父さん、料理下手でさ。家事とかなんにもできなくて、もうほんとなにやってもダメでな。だから俺が面倒見なきゃって、――まあ、昔の話だけど」
「そーいやエージ、お前もファザコンだっけ」
「え、そうなの? 予想外の展開」
 ゆかりッチが『おそろいだ』って顔でエージを見た。こいつらもうファザコン同盟でも結べばいいんじゃねーか。
「あ……お母さんは? 君、けっこー何でもできるじゃない。お母さん似?」
「さあ。あんまり覚えてない。でも確か、母さんは家事全般完璧な人。でも箱入りで世間知らずで、人の言うことすぐに信じて、いろんなトコで騙されたりして、……まあ上手くやってたよ。うちの両親。どっちもダメで、ほんと俺がしっかりしなきゃって、思ってた」
 ふうん、とオレは頷く。考えてみれば、うちのリーダーさんは、もう八ヶ月も一緒に過ごしてるのに、まだまだ謎が多い。ミステリアスって言葉は、あけっぴろげで気安いリョージじゃなくて、こいつにこそ適用すべきだ。
 エージが、「変だよな」って首を傾げた。
「今まで全然気にしたこともなかったのに、なんか最近、良く昔のことを思い出すようになったんだ。ほんと最近なんだけど。……今更思い出したって、誰も帰って来ないのにな」
 オレもゆかりッチもなんも言えない。ゆかりッチんトコも親父さんがいないから、オレよりは『うんそうだねエージくん』みたいな気持ちにはなれるのかもしれないなと、オレはぼやっと考えてみた。
「鍋、終わった。あとは頼んだ」
「了解、任せてリーダー」
「ああ、悪いな」
 エージが、「変な話した。悪い。忘れてくれ」って謝る。
 あいつはキッチンを出しなに振りかえって、ちょっと笑って、「なあ」と言う。
「……守りたい人とか、いるっていいな。彼女、大事にしろよ。順平」
「お、おう! ったりめーじゃん!」
 テメーに言われるまでもねー!とオレは意気込んで見せる。エージはまたちょっと機嫌良さそうににこっと笑って、階段の向こうに消えていく。
 今日は珍しい日だなあとオレは考える。エージが笑ってる。じきになんだかこう、武器的なとんがったものが、空から『死んでくれる?』って降ってくるんじゃないだろうか。
 しばらく水が流れる音だけが響く。先に口を開いたのは、珍しくゆかりッチのほうからだった。
「……最近、なんかやらかくなったね。彼」
「あれ、ゆかりッチも思う? ほんと最近だよな。今週? 先週? あ、あん時くらいからじゃね?」
「あ、うん。あの日でしょ。……精神攻撃受けてるとかじゃないよね? なんかあの子、満月の次の日とかさ、急にがらっと感じ良くなるよね。今までも」
「あ、ソレ真田さんも言ってた」
 また静かになる。やがて、ゆかりッチがぽつっと零す。
「十年前って言ってたでしょ」
「あん?」
「多分、彼のご両親、死んじゃったのも、うちと一緒の日だと思うんだ。ちゃんとは聞いたことないけど、そうだと思う。四月に先輩から聞いて、昔月光館の近くに住んでたってだけ知ってる」
「……そっか」
 ゆかりッチの親父さんを、オレたちは良く知っている。十年前、なんかのヤバい実験を止めたらしい。そんでそん時の事故かなんかに巻き込まれたんだそうだ。
 死ぬ一瞬前に遺したビデオをオレらは見た。幾月に編集されちまって、ひどいことになっていたが。
 ゆかりッチは皿洗いを済ませて、くるっと身体の向きを変えて、流し台にもたれかかった。溜息を吐きながら、居心地悪そうに切り出した。
「……私、お母さん嫌いでさ。あんたんとこはどう? 上手くやってる?」
「……いや。思い出したくもねー。最悪」
 うちはホント最悪だ。たぶんこんだけ仲悪い家族ってのも珍しいんじゃねーだろうかって思う。何度死んじまえって思ったかわからない。親が好きだとか、お幸せなことを言える奴らが、オレは心底羨ましい。
 ゆかりッチはちょっと意外そうな顔をしたあと、「そっか」と頷いた。
「うちも最悪。でも彼、私みたいに『死ぬのが逆だったら、お父さんのかわりにお母さんが死んじゃえば良かった』とか、そんなことも考えらんないんだよね」
 オレは、ちょっと思う。親なんか、険悪になる前に死んじまったほうが楽だ。キレーな思い出にでもなんでもなるだろう。オレは親父が死んでも、『やっとくたばりやがった』くらいしか感じられないと思う。上手く悲しめないだろう。
「もう親と喧嘩もできないんだね。なんで誰かに大好きって言われるみたいな、いい人ばっかり先にいなくなって、どーでもいい人ばっかり残っちゃうのかな」
「……なんか、オカシイよな。うちのどーでもいい親父が死んでて、あいつの親父とか生きてたらさ、もちっととっつきやすい奴になったかもな」
「うちのお母さんも付けるよ。どーでもいいもん、ほんと」
「…………」
「…………」
 オレらは黙り込む。そして揃って溜息を吐く。
「こんなこと言ったって、どーにもなんないんだけどね、ほんと」
「オレらって、ほんっとダメだよなあ」
「ダメはあんただけでしょ」
「うわっ、ひでえゆかりッチ!」
 ゆかりッチはまた、「あーあぁ……」と深い深い溜息を吐く。
「……嘘。私もダメ。もうほんと、サイテー」
 あ、コイツマジでママさんのこと嫌いなんだ。オレはそうなんとなく感じる。思い出すだけで腹が立つのだ。
 でも考えてくと、良くわかんなくなってくる。親父は親父で、好きにすりゃあいい。オレは関係ない。そうやって、なんとか割りきることができるようになって、でもなんでまだこんなにオレはムカついてんだろう。
 オレは一体、なにに腹を立ててんだ。なんかすごくもやもやしている、かたちのないものに向かって、唾を吐いているような気分だった。あれは一体、なんなんだ。
「なんで無くなったものばっかり、綺麗に見えるのかな」
 ゆかりッチが言う。
 オレは帽子のつばを下げて、「そりゃ違うっしょ」と言う。少なくとも、オレには、オレの世界には、なにより綺麗なものがイッコだけある。
 あんなキレーなもん初めて見たって感じの、真っ白で、雪が降り積もった世界みたいにしんと冷たい印象の、でもオレに会いたいとか言ってくれる、あったかい、たったひとりの大事な娘だ。
 今のオレには、あの子しかいない。
 あの子がいなくなったらとか、考えるだけでスゲー怖い。
「ちゃんとここにあるものでも、綺麗なものはあるんだぜ」
 オレは言う。ゆかりッチは呆れた顔で、「あんたまたその話?」と言いながら、最後にボソボソと、「私の頭のなかも、あんたみたいなお花畑になったらな」と付け加えた。失礼な。





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