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罅(2) 「はあああ〜」 僕は大きな大きな、深い、深い溜息を吐く。ほんとに間が悪い。僕はなんか変な星のもとに生まれてしまったんじゃないかって、たまにちょっと悲観したくなる。 またアイちゃんにフラれてしまった。というか、もうフラれるとかそういう問題ですらない。ダメ出しだ。生理的にダメとまで言われた。僕はもうほんとにダメな男だ。 さっきだって、つい魔が差しちゃっただけなのだ。あんなとこ見られるなんて思わなかった。 僕は一応、これでも一途で真面目な男だって自負している。ほんとにほんとに、あの子たち以外の人と家族になろうとは思わない。どんな綺麗な子でも、どんな可愛い子だってだ。誓ってそうだ。だって僕は、あの子たちが世界で一番綺麗で可愛くて、優しいってことを誰よりも良く知っている。 朝起きるのは、川の字で寝てる僕ら三人一緒だ。朝が弱い僕と、僕に似て朝が弱い栄時を、アイちゃんが「早く起きてください」と急かす。僕らは三人でおはようのキスをする。 僕はまだ半分寝ながら、おなじく「ねむたいよー」と言ってる栄時を膝に乗っけてテーブルに着く。朝ご飯はバタつきトーストにグリーンサラダだ。いちご牛乳も外せない。そして一日がはじまる。 僕らは三人揃って出社したり、通学したりする。僕とアイちゃんの職場は部署が違うだけでおんなじ建物にあるし、栄時が通う月光館学園初等部も、職場から見えちゃうくらい近くにある。 僕は毎朝学園前で別れる栄時が心配で、「しっかりね」と言いながら、なんだかもうそのままくっついていきたくて仕方ない。「いじめられたらすぐ言うんだよ」と言う。「僕が助けてあげるからね」と言う。 栄時は「大丈夫だよ、綾時は心配性だね」って笑う。でも僕は、こんなに小さくて細くて頼りない栄時をひとりで学校へやるのがすごく心配で、いつもそこでぐずぐずしてしまって、「早く行きますよ。遅刻します」とアイちゃんにマフラーを引っ張られて、引き摺られてしまう。 僕らは「いってらっしゃい、今日もがんばってね」と言い合う。 一日が終わって、会社を出て、ポートアイランド駅に着くと、いつも栄時が改札の前で僕らを待ってくれてる。家族三人で夕飯の買い物をして、僕が荷物持ち係で、栄時に「綾時は力持ちだね、すごいね」って言われて、すごく得意な気持ちになる。 僕らは朝から晩から朝から晩まで、毎日毎日ずーっと一緒にいて、それが当たり前に続いていくもんだと思ってた。でも永遠なんてない。そのことを、今の僕はすごく理解している。 アイちゃんに嫌われてしまった。顔を見るのもダメ、生理的にもうダメ、とにかくダメって嫌われてしまった。僕はなんとか仲直りできるように頑張ってみたけど、どうやっても空回りしちゃって、ずぶずぶ泥沼になっちゃって、ある日突然家族がバラバラになってしまった。家族なんて、紙切れ一枚で壊れちゃうもんなんだって、僕はその時あんまり虚しくて、悲しくてわんわん泣いた。まあ全部僕が悪いんだけど。 僕はそのあとで、生まれてはじめて女の子と喧嘩した。それも大好きな子とだ。アイちゃんと、栄時は僕のなんだからね、いいえ私のです、って子供の腕を引っ張り合った。 栄時は喧嘩しないでよやめてよやめてよって必死に止めてくれたけど、僕らは二人で『栄時はお父さんとお母さんどっちが好きなの!』って声を揃えて言った。「大きくなったらパパのお嫁さんになってくれるって言ったよねっ」とか、「あなたはダメです。栄時はママをお嫁さんにしてくれるって言いましたっ」とか、ものすごく大人げないやりあいをして、栄時はわんわん泣いちゃって、――あの時は、ほんとにあの子に申し訳ないことをしちゃった。ほんとに反省しているのだ。多分アイちゃんも反省してるだろう。 結局僕が女の子に勝てる訳はなくて、栄時はアイちゃんに連れてかれてしまった。あの子は泣きながら「僕は綾時と一緒に行くよ!」てお別れの日まで泣いてた。その理由ってのが、また僕が情けなくなってしまうものだった。栄時は泣きながらこう言ったのだ。 「だってりょうじっ、僕がいないと一週間持たないよっ。ごはん食べれないよ。洗濯も掃除も全部全部だめだよっ! りょーじ、死んじゃう、」 「いやあの……ちびくん、僕はね、一応大人で君のお父さんなんだから、」 「そうですよ、栄時。綾時さんは大丈夫です。でもわたしは、あなたがいなければ二日持たないんです」 「あっ、アイちゃんずるい……」 「『愛栄さん』と呼んでくださいと言ったはずです」 そんなこんなで、僕らはバラバラになってしまった。少し前に僕とアイちゃんの部署が離れてしまってて、まあ待遇や設備はすごく良くなったんだけど、勤務中に顔を合わせることはなくなってしまっていた。 家に帰っても僕は独りだ。可愛いお嫁さんも子供もいない。時間ばっかり持て余すようになって、昔のアルバムとか、栄時が好きだったヒーローもののDVDを再生して、ああこのシーンであの子とふたりで泣いちゃったなあ、なんて思い出して、しんみりする。 今じゃもう、週に一度だけ、日曜日にあの子と会えることだけが楽しみな、暗い暗い毎日だ。平日にいいことなんてイッコもない。 栄時はどうしてるだろう、いじめられて泣いてないかなってすごく心配になっても、僕は今はもう、うちに帰ってもあの子の顔を見ることもできないのだ。 僕らが家族で過ごしてたマンションは、一人暮しにはちょっと広過ぎた。 だからたまにくらい、ちょっと可愛い女の子とお話してみたいな、なんて思っちゃっても、しょうがないじゃないか。僕に罪はあんまりないはずだ、うん。 「君がいないとーなんにーもーできないわけーじゃなーいと〜……」 「主任ー、望月が泣きながらマッキーの『もう恋なんてしない』唄ってます」 「そっとしといてやれ」 ラボの同僚がすごく居心地悪そうに主任に助けを求めてる。僕は、ああダメだ、と思い直し、とりあえず目先の作業に意識を集中する。余所事なんて考えてちゃだめだ。また泣いてしまいそうだ。 「望月さん、どうです? 戦車もう動かせました?」 「ああ、まあね。問題ないよ」 僕は頷く。 「零号機、今試しに動かしてるのが『レッド』。並んでるのが右から『ブラック』、『ブルー』、『ピンク』、最後に『イエロー』。みんな美人でしょ」 「美人っつーか、みんなおんなじ顔っつーか、アンタの元嫁さんじゃないスか……」 「カラーリング分けてね、いつかは戦隊組めるようにしたいなぁ〜」 「いいんスかこれ……バレたら黒田女史にぶっ殺されんじゃないですか?」 「大丈夫、アイちゃんの許可は貰ってるよ。中身はあの子の専門分野だから、思考パターンとか言動とかのサンプリングも手伝ってもらってた……ころは、幸せだったなあ……」 「主任、望月がうざいっすー」 「マジ泣きしてまっすー」 「ほっといてやれ」 ほんと僕は、もう、ひとりっきりでこれからどうやって生きていけばいいんだろう。 こんなにこんなにふたりを愛してるのに。 |