学旅行、僕らの愛しの王子様(1)




「お前、エージが好きなわけ?」
 そいつを聞いた途端、リョ―ジはもうどうしようもないくらい真っ赤になっちまいやがった。
 その時オレは、ああ、やっぱ黒だったんだ、とぼんやり考えていた。





 十一月十七日、今日から楽しい楽しい修学旅行だ。国内、それも辛気臭そうな京都ってのはちっと問題があるように思ったが、まあゲイシャさんとかマイコさんとかとお近付きになれるなら、その辺のことは目を瞑ってやってもいい。
 エージは相変わらずな野郎で、また当日の朝荷造りするっていうポカをやらかしていた。屋久島の時もそうだった。こいつはどれだけフリーダムなんだ。もうちっと未来を楽しみにしろ。
 オレらは朝から新幹線に乗り込んで、京都を目指している。オレらがいる車両内はほとんどうちのガッコの貸し切りみたいになっていて、ゲームしてるやつ、本読んでるやつ、景色を眺めてるやつ、それから音楽聴きながら爆睡してるフリーダムなやつと、もうしょっぱなからぐちゃぐちゃになっている。
 そんでオレは今トイレの横に座り込んで、気になって気になって仕方がなかった疑惑をリョージにぶつけたのだった。
 人気はない。さすがにみんながいるトコじゃまずいだろう。それじゃ公開処刑になる。
 リョージの奴は顔から耳から真っ赤になって、「ああうわわ」とかよくわからない声を口から発したあとで、両手で顔を押さえて「なんで?」と震え声で言った。
「な、なんで、僕その、そんなにわかりやすい? みんなも、あの子も、ほんとは知ってて、でも知らないふりしてるだけ? そんな、だって、頭の回転が鈍そうな順平くんが気付いてあの子が気付かないわけっ」
「落ち付け。さりげなくお前今失礼なこと言わなかったか?」
 どうやら大当たりだったらしい。リョージは真っ赤な顔のまま、頭を抱えて、それからいきなりがばっと顔を上げて「なっ、内緒だからねっ!」と言った。
「あーうん。いや、内緒はいーんだけどよ。おま、そーいう趣味? 女の子大好きじゃなかったの? え?」
「うん? 僕は女の子が大好きさ。それがどうかしたのかい?」
「いや、どうかしたのかいって、そんな素で返されても。えーと、ふつーに男見てときめいたりとか、」
「冗談でしょ。僕はちっぽけな人間だから、女の子に優しくするだけで手一杯さ。申し訳ないけど、男子に向ける親切は残ってないんだ」
「……なんかむかつくな。あのー、エージ、男だぜ?」
「うん?」
「……マジであの、実は女子じゃ、とか期待しねーほうがいいぜ? まあかわいい顔してっけどその、お前コッチ来たの秋からだからよ、知らねーかもしれねーけど、夏とかアレだから。海パンで走りまわってたから、海とか。胸硬そうだったし、胸筋あったし」
「えっ……黒田くんと、海パン一丁のあられもない姿のあの子と、真夏のビーチで……」
「いやいやいやいや。想像しないで。思い浮かべて顔赤らめるのやめて。その反応はぜってー間違ってる」
 オレはホントによくわかんなくなってきて、頭を抱えながら「あのね」と言った。
「……リョージくんは、女の子が好き、なんだよね?」
「うん、そうだよー」
「でも男の子のエージくんに、恋、しちゃってるんデスか?」
「……うん……」
 リョ―ジは真っ赤な顔で俯いて、「やっぱりおかしいかな」と言った。
 まあ、おかしいとは思う。でもそう言えばコイツは帰国子女なのだ。日本人の価値観とかは当て嵌まらないのかもしれない。外国の価値観ってやつがわからないオレは「さあ……」としか言えない。
「オレっち、日本人だからね……」
「黒田くんも、やっぱりその、……ダメって、思うかな」
「……まあ、男にコクられた時はいっつも回し蹴りだけどな」
「僕も蹴られちゃうのかな……気持ち悪いって、言われちゃうのかなあ……」
 リョージはどうやら自分でもおかしいとは自覚しているようだ。オレは「うーん」と腕を組んで唸りながら、どうにかコイツの気持ちを理解してやろうと努力してみた。
 たとえば、チドリが男だったら、オレはどうしたろう。ツンツンしてて、不思議ちゃんで、でも綺麗な顔をしていて、死ぬなんて怖くないとか言いながら、普通の人間とは違う世界で生きていて、でも可愛い女の子じゃなくて、もし男なら――ダメだ、まんまエージだ。カブり過ぎだ。はじめがソレじゃ惚れようがない。
 ちょっと考え方を変えてみる。あんなに可愛いチドリだけど、もしなんかの事故があって男になっちゃったとする。でもオレは、たぶん、それでもチドリを大事にするだろう。女子なら誰でも良いってわけじゃなくて、オレはチドリだから好きなんだぜって、カッコいいことを真顔で言える自信がある。あ、ちょっと理解できた。大丈夫だ。イケる。
 オレは顎を撫でながら、ようようリョージにフォローの言葉を掛けてやった。
「……ま、エージもフリーダムな野郎だし、望みがねーわけじゃねーんじゃね?」
「そ、そうかなっ……」
「うんそう。なんかお前のこと割と気に入ってるみてーだしよ」
「え、ほんと? ぼ、僕を? あの子が? うわ……」
 リョ―ジは赤くなってぽやーっと花を飛ばしている。オレには理解できんが、リョージには物凄く嬉しいことらしい。
 ただ、一応忠告はしておかなきゃなるまい。リョ―ジはまだエージの恐ろしさを知らないのだ。コイツよりは大分長い付き合いになるオレ様が、直々に教えてやろう。
「ただお前、アレ、エージほんとに凶悪だぞ。殴られたら肋骨折れるし、蹴られたら内臓破裂だ。戦闘本能に忠実に従って生きてるし、おま、アレだぞ。貢ぐだけ貢がされて、財産絞り取られて、用済みになったらポイだぞきっと」
「あの子はそんな子じゃないよ。優しい、いい人だと思う。でも僕、彼が望むなら、お金なんてどうでもいいよ。棄てられても好きだ」
「うーん、重傷だねー」
 オレは腕組みしてうんうん頷く。なんて健気な男だ、望月綾時。惚れてる相手は問題があるが、ここはあーいうタイプに惚れてしまった先達としていろいろアドバイスしてやらなきゃなるまい。
――とにかく、相手がエージならむしろ好都合だ。この旅行は一気に親密度アップを図れるチャンスだと思え。好きな子とうっかり手が触れ合ったり、寝るのはひとつ屋根の下だったり、お風呂でドッキリだったり、色々美味しいシチュエーション満載」
「わあ……! すごいね、修学旅行……!」
「うむ、修学旅行はすごいのだ。特にお前、エージならアレだぞ、一緒に風呂入れんじゃん。男同士だから」
「あっ……! わ、男で良かったっ……の、覗いても怒られないんだよねっ!」
「……うん。なんかさっきからいろんなトコに突っ込みたくてうずうずしているが、まあいろいろすごいんだぜ。ここはオレっちが一肌脱いでリョージくんを応援してやろう。なに、心配すんな。エージの行動パターンはもう大体読めてる」
「えっ、一体彼にどんなパターンがっ?」
「うむ、『めんどくさい』、『旅行とかだるい』、『眠い』だ。きっと早く宿に帰りたがる」
「それでいいのかな、十七歳の男の子」
「なあ、ダメだよな。……ま、まあオレに任せろ。愛しいあの子とドッキリ!二人っきりでポロリもあるよ?大作戦発動だ。何がポロリするかはなんか気分悪くなるから考えるな」
「順平くんっ、君ってやつはっ! なんていいひとなんだ!」
 オレとリョージはがしっと手を組んで頷き合った。まあなんか色々『どうなの』ってトコはあるが、楽しそうだからこの際ノッちまおう。





 ――そんなこんなで、さあやってやるぜ、って感じになったんだが、





「綺麗なお姉さんいねーかなー。オレは新しい恋を見付けてやるぜ」
「お前年中発情してるな、友近」
「ンだよ、お前も実はドッキドキしてんだろ? なんたってあの子も一緒だもんな、ほらお前の大好きなアイギス」
「……確かにアイギスは大好きだが、そんなんじゃない」
「……たまにお前のツンデレ具合が良くわかんなくなることがある」
「あー、部活ねーとナマっちまうなー。クロ、宿着いたら走り込みしようぜ。ほら、河原とかで」
「一人でやってろ。宮本、お前は修学旅行をなんだと思ってる」
 京都に着いて新幹線から降りるなり、エージの周りにはいつのまにか人だかりができている。三年の先輩や、他のクラスの奴らが集ってきて、「黒田、俺と回ろうぜ!」「いやオレと!」という声が聞こえてくる。……なんであいつはああ男にモテモテなんだろう。スゲーけどなんか可哀想だ。
「……どうしよ。やっぱ彼、人気者だね。一緒に回ろうなんて、甘かったかなあ」
「諦めるなリョージっ! とりあえず突撃してみねーことにはわっかんねーだろ」
 オレらはエージを遠巻きに眺めているしかできない。なんか、妙な空気が漂っていて近付き難いのだ。
 そうしてると、予想外なとこから助け(?)が入った。
「おいお前ら、通路で溜まるな。黒田、何をぼおっとしている。さっさと来い」
「あ、真田先輩。班行動は良いんですか?」
「群れるのは好かん」
「とか言いながら俺を誘うんですか」
「お前は危なっかしくてほっとけん。迷子になったらどうする」
「いつも迷子になって「どこだここは! 俺は迷っていないが!」とか言ってるのは先輩の方でしょう。まあいいです、先輩のことは荒垣先輩に頼まれていますから、ちゃんとナビやりますよ」
「シンジがなにか言ってたのか?」
「はい。野菜を食わせろと。あいつはほっとくと牛丼しか食わねーから、なんとかしてやってくれと。どうせまた京都でも海牛探すつもりだったんでしょう。ダメです」
「むう……しかしだな、」
「先輩、知ってますか。ほうれん草食うとムキムキになれるそうですよ。昔テレビで見ました」
「なにっ? それは本当か黒田!」
「はい、たぶん。それに、荒垣さんの強さの秘訣はバランスの良い食事だったそうです。こないだこっそり聞きました」
「むう……まあお前がそう言うんなら確かなんだろうが、あいにく俺はピーマンが嫌いでな」
「先輩、ピーマンは漢の顔をしていますよ。たぶんボクシングとか強いですよ」
「なにっ? 奴はボクシングを……!」
 なんでかその場にいる全員がオレの方を見て、『なにこれ?』って顔をしている。なんでそこでオレを見る。オレは確かにそこにいるなんか良く分からんノリの男たちと同じ寮生だが、そんなもんオレにだってお手上げ侍に決まってる。なんでもオレに押し付けるのはやめろ。
 エージは真田先輩に連れられてさっさと歩いていく。クールな美形野郎どもは、たとえ中身がただの変人だろうが、見た目は妙に決まっている。女子が「真田せんぱーい」とか「栄サマぁ」とか言いながら、赤い顔をしてゾロゾロ後ろをついていく。これはアレだ、笛吹き男だ。ハーメルンだ。みんな気を付けろ、川に落とされるぞ。
「しかしお前はさすがに博識だな。先月の試験も学年トップだっただけはある。でかした。美鶴も誉めていたぞ。その調子で突っ走れ」
「当然の結果です。ところで先輩、手、握るのやめてくれませんか。男同士で手を繋いで歩いてるってのは、かなり痛々しいと思います」
「ん? ああ、懐かしいな。お前はシンジと同じことを言う」
「荒垣先輩じゃなくても、男なら誰だって言うと思いますが。あの人も、なんか、アホな子を持つと大変ですね。可哀想に……」
 エージがなんかものすごく失礼なことを言いながらも、真田さんとお手手繋いで歩いていく。あちゃー、と思ってリョージを見ると、案の定真っ白に燃え尽きていた。ご愁傷サマ、だ。
「黒田くんっ……手、繋いで、いっしょに……」
「あのー、リョージくん。真田さんは、その、天然だから。その気とか無いから、大丈夫だと思うぜ?」
 「あの人面倒見良いからサ、たぶんエージを弟みてーに思ってるんだと思うぜ、うん」とかなんとか、オレはフォローしてやる。なんでオレはこんなことに一生懸命になってんだ。
「黒田ー! くそう、相手が真田先輩じゃ勝ち目がっ……」
「ボクシング部主将だもんな……絶対強いよな……」
「おててつないでっ……ちくしょー、どこまで赦してるんだ! 認めん! 認めんぞ!」
 さっきまでエージに付き纏ってた男子が吼えてる。お前らものすごく自然に誘おうとしてたけど、本音はそれか。エージと一緒におデートしたかったのか。
「なんか、美形ふたり並ぶと絵になるよねー。身長差とかたまんなくない? 先輩ちょっとこうやって屈むと、ちょうど栄サマの唇に……」
「うん、イイよね、あの二人ぃ。ね、一緒の寮なんでしょ? 部屋向かいらしいよ。朝とか、栄サマが先輩を優しく起こしてあげたりして……」
「ね、あのふたり毎日一緒にお風呂入ってるってほんと? え、ちょっとやだっ、覗きたいっ……!」
「…………」
 女子がキャーキャー言っている。
 なんかもう、この学校怖い。
 オレはとりあえずリョージのマフラーを引っ張って、「追うぞ!」と駆け出した。かなり死に掛けの風体のリョ―ジだが、なんとかついてくる。
「……ね、お邪魔じゃないかな……いいとこなしの僕なんて、黒田くんに相手にされるわけないよ……」
「バカヤロー、諦めるな! しっかりしろ!」
「だって僕、耐えられないよ。もし……もし、あの二人がその、これから抱き合ったり、チューしたり、ラブホテルへ消えてくとこなんてうっかり見ちゃったら、僕っ……多分殺人犯になる」
「キモいこと言うな! 仲間不信になる! あの二人そんなんじゃないからマジ! ていうかお前結構怖いな!」
「だってっ、そんなの絶対ダメだ。先輩を殺してあの子の前で僕も死んでやる」
「お前がなんかどーいうキャラなのかちょっと分かってきたぞ」
 ともかく、やっとこ真田さんとエージに追い付くと、なんでか妙なことになっている。アイギスもいた。エージと手を繋いでいて、お前ら三人幼稚園児の遠足か。はぐれないようにちゃんと手を繋いでー、か。
「そこー! 何やってんだこの空気詠み人知らずたちー!」
 三人まとめてくるっと振り向く。そして「ああ」って顔になる。アイギスなんかはリョ―ジを見た途端、ものすごく露骨に嫌な顔をする。アイちゃんは最近、ほんとにどんどん人間らしくなってくね、いろんな意味で。
「い、一緒に回ろーぜ! こう、寮生親睦を深めるってゆーか?」
「綾時さんは寮生ではありません。お引取り下さい」
「アイギス、あまり苛めてやるな。望月と回れるなら俺も嬉しいな」
 「お」と思った。エージにしちゃ物凄く珍しい台詞だ。アイギスもエージには絶対服従なので、渋々と言った感じで「好きにしてください」と、なんだかいろいろ諦めた顔で頷いている。どうやらエージの『どうでもいい』が感染したみたいだ。
 エージがリョージの肩を叩いて、こそっと言った。
「……良かったな。心配するな。邪魔はしない。しっかりやれよ」
「……ハイ……」
 リョ―ジが引き攣った笑顔でにこっと微笑んだ。なんか、ものすごく複雑なことになってんじゃねーのか、これ。エージが離れてから、オレはリョ―ジにコソコソ訊いてみた。
「……もしかしてエージ、お前がアイギス好きだって誤解してんのか」
「うん……」
「すげえ……転校生トライアングル……」
「笑い事じゃないよ……やることなすこと裏目に出てるんだよ……僕はもうダメだ」
「バカヤロー! 戦う前から諦める奴がいるか! ようはやる気だ。なにがなんでもあの子をゲットだぜってがんばりを見せろ!」
「うん……」
 リョージが力なく頷いた。覇気がない。そんなんじゃダメだろお前。
 ふいに、カメラのシャッターが降りる小さな音が聞こえて振り返る。でも誰もいない。
「……あ?」
 オレは首を傾げて、とりあえず音が聞こえたほうを覗き込んでみた。
 そしたらなんか、いた。物陰に、詰まってた。月光館の制服着たやつらが。
「あっ順平っ! お前、頼むからオレらがここにいるってことあいつにチクんじゃねーぞ!」
「栄サマ……その物憂げな眼差し、京都の風流な雰囲気にぴったり、絵になるぅ〜」
「…………」
 オレはとりあえず見なかったことにして、そそくさと仲間のもとへ戻った。戻ったら戻ったで「僕もあの子と手を繋ぎたい〜」とか泣き言言ってるやつがいる。
 なんかもう、ほんと月光館怖い。早く卒業したい。





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