学旅行、僕らの愛しの王子様(5)




 こんな偶然ってあって良いのかな、って思う。脱衣所は空っぽの籠でいっぱいだ。人の姿もない。
 栄時くんは平気な顔で服を脱いでって、「さっさとお前も脱げよ」とか言ってるけど、僕にとっては結構大変なことなのだ。いっぱい、いろんなことを我慢しなきゃならない。
――そう言えば、お前昨日は具合悪かったんだよな。順平とは一緒に入らなかったのか?」
「……ん、シャワー、借りて」
 彼は僕を見て、「お前誰かと風呂入るのって初めてか?」と首を傾げている。僕は頷く。温泉とか、お風呂屋さんとか、そういうとこに行った経験が僕にはないから、友達とお風呂ってのは結構恥ずかしい。裸を見ちゃうし、見られちゃうのだ。しかも相手は大好きな栄時くんだ。
 なんだかもう、お願いだから元気になっちゃいませんように、って僕は祈る。ほんとにほんとに、これ以上栄時くんの前で格好悪いところは見せられない。
 覚悟を決めて、多分僕は真っ赤になってたと思うけど、服を脱いでく。ちゃんとお行儀良く脱いだ服を畳んで籠に入れて、「さぁ行こうか!」って栄時くんに笑い掛けた――んだけど、栄時くんは呆然とした顔で硬直している。
「え、ど、どうしたの?」
「え? あ、いや――ていうか、バカ、腰、タオル巻け! お前恥ずかしいのか無頓着なのか、一体どっちなんだ」
「え」
 どうやら温泉に入る時は、腰にタオルを巻くものらしい。慌てて僕は言われたとおりにする。すごく恥ずかしい。
「ご、ご、ごめんねっ?」
「……帰国子女だもんな。無理もない……というか、お前は一体今までどこの国に住んでたんだ……」
「うん? いろんなとこ、結構点々としてきてたんだ。君も確かそうなんだよね」
「俺?」
「うん。転校続きだったんでしょ。僕ら、こんなとこまでお揃いだね」
「お前みたいにワールドワイドじゃないけど、まあ転校続きだったのはそうだな。どんなとこ行ったかとか、ほとんどろくに覚えてないけど」
「へえ、君も? 僕もなんだ。僕らふたりとも忘れっぽいのかな」
「そうだな」
「あ、でも僕は君のことは忘れないよ。たとえ次またどっちかが転校してって……も……」
 そこまで言って、僕は急に「あっ」と思い当たってしまった。僕は今まで一所に留まることなんてほとんどなくって、友達の名前を覚えたと思ったらすぐに他の街へ越してかなきゃならなかったのだ。
 次にもしお父さんかお母さんの都合で僕が引越すことになったら、それとも栄時くんがご両親の都合で引っ越すことになったら、僕らは離れ離れだ。朝学校へ行っても栄時くんに会えない。街じゅう探したっていない。
 栄時くんはたくさんの人に好かれているから、僕がいないこの街でもみんなに愛されてるし、きっと次の街でも人気者になるだろう。新しい友達もいっぱいできて、僕のことなんかすぐに忘れてしまうかもしれない。
「も、望月?」
 栄時くんが慌てた声を出した。僕の顔を覗き込んで、心配そうな顔で、手を伸ばして僕の頬に触った。
「泣くなよ。いきなり、どうしたんだ」
「……次、僕ら、どっちか転校、しちゃったら、離れ離れに、なるんだよねっ……」
 僕は悲しくてたまらなくなった。そんな未来、想像したくもない。
「もし、卒業するまでずっと一緒にいられてもっ、大学とか、別々になったら、朝登校しても君に会えない。僕、せっかく、君とっ……トモダチに、」
「……は? なんで、そんなことで泣くんだよ。お前はバカか? 会いたいと思ったらいつだって会えるだろ。携帯もあるし」
「ま、毎日会えないなんて、やだ。僕きっとおかしくなっちゃうよ。君の顔見て、声聞いて、じゃないと、僕、」
「……お前はホント変な奴だ」
 栄時くんは困った顔になって、首を傾げて、「はいはい、分かったから泣くな泣くな」と僕を抱いて背中を撫でてくれた。
 僕が情けない顔になると、彼はいつもこうやってお母さんみたいに背中や頭を撫でてくれる。僕はそうされると、すごく静かな気持ちになって、安心する。ああ僕はこの人が好きだあ、と心底しみじみ思ってしまうのだ。
「俺なんかをそんな大事に思ってくれるのは、お前くらいのもんだよ。順平はあんなだし、友近は人の話聞かないし、宮本は暑苦しいし、――お前はほんとにいいやつだな。いいやつ過ぎて、ほんとに不安だ」
 栄時くんはくすぐったそうな、でも半分呆れ混じりの声で、「気を付けろよ」と言った。
「変なやつについてくなよ。お前、悪いやつに騙されないか心配だよ。しっかりしろよ。俺は三年まで月光館にいるし……」
「……ほんとう? 引っ越さない?」
「ああ。俺もう十七だし、ひとりでやってかなきゃなんないしな。お前もそんな寂しいなら、次きっかけがあったら、寮で暮らしてみれば?」
「……え、あ」
「元々一人暮らしみたいなもんなんだろ」
「うん……じゃ、離れ離れにはならない?」
「大丈夫だろ」
「うん……えへへ」
 僕は本当にほっとしてしまって、胸を撫で下ろして、「良かった」と呟いた。でもふと変な気分になった。
――あれ? 三年、まで?」
 栄時くんは『三年まで月光館にいる』って言ったのだ。進級したらどっか行っちゃうのかなって不安になって、恐る恐る栄時くんの顔を見ると、彼はきょとんとした顔で、「ん?」と首を傾げている。
「……あれ。そうだよな。来年、三年だよな、俺ら。俺なに言ってんだろ。二年で全部終わると思ってた」
「あ、あはは、びっくりしたぁ……だよねっ」
 栄時くんはたまにすごく天然だ。僕はおかしくなって、笑う。
「来年も同じクラスになるといいね。日本って桜が有名だよね。僕君と一緒にお花見したいな。夏休みに一緒に遊んで、また秋で、卒業旅行も行って――
「お前気が早過ぎ。来年の話かよ」
 栄時くんは苦笑いして、僕の肩をぽんぽんと叩いて、「さっさと入ろう」と言った。
「寒い」
「あ、ああっ、そうだよねっ! か、風邪ひいちゃうよね!」
 僕が脱衣所で栄時くんに泣き付いてしまったせいで、二人でほとんど裸のまま突っ立っている羽目になったのだ。思ったとおり、栄時くんの手はすごい冷えちゃってて、僕はほんとに申し訳なくなってしまった。この子に風邪なんてひかれちゃ大変だ。
 それはともかく、僕は今までの遣り取りを思い出して真っ赤になった。裸で抱き合っていたのだ。栄時くんの肌はやっぱりすごく綺麗で、触り心地が良かった。今更ドキドキしてきちゃった。どうしよう。
「あ……あああ、のっ。あ、君おなかの傷……」
 この前見た栄時くんのお腹の傷は、もう消えていた。僕は「治るの早いね」と感心してしまった。栄時くんは微妙な顔になって、「ああ、まあ」とか歯切れ悪く言ってる。
「あ、また例の手品かい? 君はすごいね」
 僕はそう言いながら、すごくほっとしたのと、なんだか残念なのとで、複雑な気持ちになっていた。なんでこんな気持ちになるのか分からないけど、綺麗な栄時くんの身体に『僕のせいで』傷が残らなくて良かったってことと一緒に、たとえば家を飛び出して外へ遊びに行って、夕方になって帰ってきたら玄関の扉の鍵がかたく閉まっていて、家に入れなくて途方に暮れているような感じがする。
 二人で温泉に浸かって、へりの岩に肘をついて、「あつーいきもちいー」とか「風情があるねぇ」とか僕が言うと、栄時くんが「そうだな」って頷いてくれる。
 僕はなんだかすごくいい気持ちになって、にこにこしていた。貸し切りみたいになってる温泉で、二人っきりで、裸の付き合いってやつだ。温泉ってほんと素敵だ。
 栄時くんをやらしい目で見ちゃうと、いつもひどい自己嫌悪に陥ってしまって、どうしようもなくなっちゃうけど、こういうところでくらい良い目を見れたっていいじゃないと、僕は自分に言い訳をしてしまう。
 男の子に恋をするってのは大分大変なことばっかりだけど、今ばっかりは僕も栄時くんも男で良かったなあって思う。僕は現金な男だ。
 ちらっと栄時くんの横顔を見る。彼は僕の視線に気付いて、くるっと振り向いた。
「広いからって泳ぐなよ、望月」





『広いからって泳いじゃダメだよ、綾時!』





 ――栄時『くん』が、ちょっと窘めるみたいに、僕に注意する。小さな身体で、でも僕の真似っこをして岩に肘をついている。僕は苦笑して、「誰もいないから、いいんじゃないかなあ……」って言う。彼は「そーかなぁ……」って首を傾げる。
「君だって泳ぎたいでしょ? なんたってこんな広いんだもの」
『もー、そーいうことしてるからアイちゃんに怒られるんですぅー』





――まったく、そんなだからアイギスにダメ出しされるんだよ」
「……へ?」
 僕はきょとんとして、目をゴシゴシ擦った。なんか変なモノ見ちゃった気がする。
 栄時くんは僕とおんなじ十七歳の男の子だ。なんか今、彼がちっちゃい子供みたいに見えたんだけど、僕はのぼせちゃったんだろうか。
「あ、ああうん。ごめんね?」
「どうした? 目にゴミでも入ったか?」
「あ、え? いや、ううん。ただちょっと、君がちっちゃく見えて、」
「……俺……そんなに小さいかな……」
 栄時くんが暗い顔でしょんぼりしてしまった。僕は慌てて「違うよ違うよ」ってフォローする。
「そ、そーいうんじゃなくって。ただ今ね、小学生くらいの子供が――
「バカ、望月! お前そーいう話ダメなんだろ!」
「……あ」
 僕は青くなった。
「お、お化け? 今のお化けっ?!」
「や、やめろってば!」
「あ、でも君のお化けなら怖くないや」
「俺生きてるから! 縁起でもないこと言うな、バカ!」
 怒った栄時くんに頭を押さえられて、お湯の中に沈められてしまった。ああ、この子もホントに怖いのダメなんだ。
「げほっ、ご、ごめんなさ、――あれ?」
 僕は咳込みながら、首を傾げた。なんか人の気配がする。辺りをぐるっと見回しても僕らのほかに人はいない。
「……なんか人の気配しない?」
「お前はまだ性懲りもなく……あ。本当だ」
 栄時くんが頷いて立ち上がる。僕も立ち上がって、背伸びをしてみた。でも視界は水蒸気で白く濁っていて、良く見えない。
「お猿さんでも入ってきたのかな……」
「……猿と混浴って、微妙に嫌だな」
「そう? 日本らしくて良いと思うけど」
「……なんかヤなんだ。猿とか、ネズミとか、モルモットとか、そーいうのと一緒って考えると、なんか……ていうかお前の日本のイメージは多分色々間違ってる」
 僕らは「誰かいるのかな」って、お湯を掻き分けてざばざば歩き出す。
 岩陰を覗いても誰もいない。
 やっぱり気のせいなのかなって僕らは言い合って、岩にもたれてお湯の中に座り込んだ。さっき怖い話なんか聞いちゃったから、ちょっと神経質になってるのかもしれないねって笑うと、栄時くんも「そうだな」って頷いてた。
――にしても、熱いな。のぼせてないか?」
「あ、うん。僕は大丈夫さ」
「そんなこと言うけど、お前顔赤いぞ」
 栄時くんが僕の頬に触る。彼の顔はちょっと心配そうで、だからなんだか申し訳なくなる。僕の顔が赤いのは、たぶん、温泉にのぼせてるとかそういうんじゃなくて、いやのぼせてることはのぼせてるんだけど君に、とにかく、
「へ、平気だよ〜」
 僕はいっぱい色んなことを飲み込んで笑う。顔はちょっと引き攣っていたかもしれない。確かにこれは美味しいシチュエーションではあるけど、ちょっと拷問でもあると思う。
 大好きな子の裸を目の前にして、なんでもない『いいひと』でいなきゃならないのは、いろいろと辛いんだって知った。理性がグラグラして、ああダメダメ頑張れ僕、ってさっきからずーっと自分に言い聞かせてる。
「嘘吐け。視線がフラフラしてるぞ」
 それはね、まともに君の肌なんか見たら大変なことになっちゃうからだよ。
「ほんと真っ赤だし」
 君の裸が目の前にあって、直に密着なんてしてたら、そりゃ真っ赤にもなるよ。一体どんだけニブいの君。
「あ……心臓、すごいぞ。バクバク鳴ってる。やっぱのぼせてるよお前。あんまり温泉とか慣れてないんだろ。そろそろ上がろうか」
 栄時くんが僕の胸に手を当てて、『あーあ』って顔をしてる。あーあ、ってのは、僕のほうが言いたい。裸で触り合って、「心臓の音が聞こえる」なんて、ああもうなんでこんなに無防備なんだろう、この人は!
「く、く、――黒田くんっ!」
 頭のどこかでなにかがハジけた。僕は衝動的にがばっと栄時くんに抱き付いてた。背中の後ろの岩にごつんって頭をぶつけて、栄時くんが顔を顰める。
 もうごめんなさい。ほんとにほんとに、ごめんなさい。これが僕の、精一杯でした。
「ごめんねっ、ごめんなさい、優しく、するから――
「は、はぁ? どうしたんだよ。大丈夫だよ、お前もう充分優しい奴なんだから、そんな気を遣わなくても」
 やっぱり話が噛み合ってない。でも僕はもう止まれない。栄時くんの可愛い唇に吸い付こうと、顔を近付け――たところで、
「いたっ」
 後ろから何か飛んできた。
 僕の後ろ頭にごつっとぶつかって、お湯のなかに落ちる。見るとデジカメだった。防水加工付きの値が張りそうなものだった。
「…………」
 振り向いても、誰もいない。でもなんとなく読めてしまって、僕は立ち上がり、栄時くんに「ちょっとそこにいてね」と言い置いてから、ざぶざぶ水を掻いて岩陰を覗き込んだ。
 そこには、数人の男子生徒がいた。
 お湯の湧き出し口の周りにみちって詰まっていた。
 彼らは皆一様に僕に責めるような視線を寄越していて、でも全員手にデジカメを構えている。ひとのこと責められる格好じゃないでしょそれ。多分またあの子の盗み撮りなんてやるせないことをやっていたんだろう。
 僕は無表情のまま(だって男に、しかも変態に掛ける笑顔なんて僕は持ってない!)、拾ったデジカメを片手で握り潰した。これでも結構力持ちなのだ。
 そして無言で手を差し出した。彼らは顔を真っ青にして、涙目で、何度も何度も頷きながら、僕が求めるままにデジカメを差し出した。
 早く戻らなきゃ栄時くんが気付いちゃうから、丁寧にデータを消してる時間なんてない。とりあえずメモリーカードごと念入りにスクラップにして(僕はそこで確かに無音の泣き声を聞いた)、盗撮魔たちを何度か殴って湯の中に沈めておいて、岩陰から出てく。
 栄時くんは『なんなんだろ』って顔をしてる。お願いだから気付かないでねって僕は思う。この子が見てる綺麗な世界を守るためなら、僕は何だってできるし、何にだってなれるのだ。僕は微笑んで「ごめんごめん」と謝る。
「どうしたんだ?」
「いや、なんでもないんだ。ちょっとね、物音がしたように思ったものだから。でも気のせいだったよ。なんにもなかった」
「あったら困るだろ」
「ねえ。困るよね。お化けだったらヤだよね〜……」
「だからそういうこと言うのやめろ……そろそろ上がろうぜ。なんか、熱い。俺ものぼせてきた」
「うん、そうだね。あ、ねえ上がったらアレでしょ、売店のいちご牛乳!」
 僕は「早くあがろー」と栄時くんの背中を押して温泉を出てく。もうほんとに、この子は僕が守らなきゃならない。周りは狼ばっかりだ。後ろのほうで「狼ー!」「望月の狼ー!」と罵声が上がったような気がしたけど、聞こえないふりを決め込むことにする。
 僕は「あれ?」っていう顔をしている栄時くんに「どうしたんだい?」とにっこり笑い掛けて、脱衣所に押し込んで扉を閉めた。
 すごいいい雰囲気だったところで残念なんだけど、僕はちらっと栄時くんを見る。彼は「温泉ってやっぱいいもんだな」って気持ち良さそうな顔で花を飛ばしてる。
 やっぱり、ちょっと、先走り過ぎた。あのまま手を出してたら、多分泣かせちゃってたろう。
 この子は純粋で、汚いことなんかなんにも知らないんだ。キレたまま突き抜けちゃわなくて、ほんとに良かった。
「お前は? その、温泉初めてだったんだろ? どうだった?」
「最高だよ。綺麗なものいっぱい見れたしね」
 僕はにこにこしながら言う。ほんとにほんとに、綺麗な栄時くんをたくさん見れて、僕は幸せ者だ。ごちそうさまでした。





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