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修学旅行、僕らの愛しの王子様(6) 部屋に戻って、もうじき消灯時間だね、寝る準備でもしよっかってとこで、急にドアが勢い良く開いて、何人かの生徒がなだれ込んできた。 「黒田ぁ〜!」 「露天風呂で望月にレイプされたって本当かっ!!」 僕と栄時くんは、とんでもないことを喚く男子生徒の顔面に揃って蹴りを入れた。 「……今、何てった?」 「さぁ、聞こえなかったよ。きっと空耳じゃない?」 「……だよな。そうだよな。きっと俺、疲れてるんだ」 栄時くんが肩を竦めて、やれやれって感じで溜息を吐く。でも、倒れた男子生徒を踏み付けて、新しい顔がぞくぞくと現れる。 「この見境なしの強姦魔ぁー! オレたちの栄サマの貞操を返せ! 腹掻っ捌いて詫びろ!」 「そうだそうだ! ――で、どうだった! 気持ち良かったのか! どうなんだ! 一体どういうプレイを?!」 「栄サマ、僭越ながら僕らが今晩一晩掛けてねっとりと身体の中まで消毒して差上げます! ささ、どうぞあちらの部屋へ! むさくるしいところですが!」 僕が手を下す前に、木製のテーブルが飛んできた。栄時くんがあの細腕で投げたらしい。彼はやっぱりすごい力持ちだ。 栄時くんは失神している男子生徒たちを部屋から蹴り出して、ドアを乱暴に閉めて、部屋の隅っこで壁に向かって座り込んで、膝に顔を埋めた。ああ、すごいへこんじゃってる。 「ファルロス……大人ってみんな汚いんだ。君だけは大人になっても無邪気で純真な俺の天使でいてくれ」 天使はむしろ君でしょと思う。僕は彼の隣に座り込んで、顔を覗き込んで、「大丈夫?」と声を掛けた。栄時くんは口の端っこがぎゅーって下がってて、目が潤んでて、今にも泣きそうだ。 「あ、あの、泣かないで。僕がついてるよ。君は僕が守るからね」 「ちょっおい、も、も、も、望月っ、お前、お前は一体黒田になにをし」 「しーっ、ちょっと黙っててくれないかなぁ、友近くん」 僕は顔を真っ青にして詰め寄ってきた友近くんのお腹に、栄時くんから見えない角度でボディブローを叩き込んで、ちょっとだけ黙っててもらうことにした。マナーモードってやつだ。 くずおれて静かになった身体を床に転がして、僕は彼にぺこっと頭を下げた。 「うん、お気遣い感謝するよ。あ、順平くん? 先寝てていいよ」 「ははははいっ、了解であります、望月様っ」 順平くんががたがた震えながら、布団を頭から被った。「オレは無関係オレは無関係」と呟き続けている。 栄時くんの肩を抱いて「気にしないほうがいいよ」と声を掛けると、彼はものすごく申し訳無さそうな顔で僕を見上げて、「ごめんな」と言った。 「望月……ほんと悪い。ごめんな。俺みたいな嫌われ者なんかと一緒にいたから、お前にまでとばっちりが行っちゃったんだ。やっぱあんまり近付かないほうがいいぞ、俺なんかには」 「え。あの……」 栄時くんはやるせない顔で力なく微笑むと、壁に向かってぶつぶつ独り言を呟き続けている。 「――お父さん、いじめられても俺大丈夫だよ。俺は強い子だから、絶対負けないよ。なんか日に日にいじめがエスカレートしてくけど、俺頑張ってもっともっと強くなるよ。だから心配しなくて大丈夫だよ」 「あの、黒田くん……」 栄時くんは、何て言うか、ここまでニブい人がいてもいいの、ってくらい鈍感だった。 みんな彼のことが大好きだから、心配でたまらないってだけなんだ。でも栄時くんは、どうやら自分がいじめのターゲットにされてると思い込んでいるらしく、「くそ……月光館なんか大っ嫌いだ。世界なんか滅びればいい」とか暗い表情でぶつぶつ言ってる。 「あの……そう落ち込まないでよ。大丈夫、みんな君のこと好きだよ」 「……お前はいいやつだし、優しいからそういうこと言ってくれるんだよ。いいよ、気を遣わなくて大丈夫だ。ちゃんと分かってる。俺みたいなどうしようもない奴なんか、誰にも相手にされなくて独りでいるのがお似合いだ」 「や、ヤケにならないで。もう、どうしてみんなが君のこと嫌いだなんて思うんだい?」 僕にはそれが不思議でたまらない。みんな『栄サマ』なんて王子様でも呼ぶみたいなすごい呼び方してて、女の子たちは(むさくるしいことに男子も)きゃあきゃあ言ってる。なんでこの環境で、そんなふうに自分を貶めることができるんだろう。 栄時くんは僕からすっと目を逸らして、「だって」とかふてくされた子供みたいに言ってる。 「だって、みんな、俺とまともに目も合わせようとしないんだぞ。喋り掛けようとすると逃げるし、いろいろ物盗られるし、俺のほう見て陰口言ってるし、目が合うと『きもちわるい』って感じで口押さえて逃げるし、女子も男子も」 それはあんまり君が格好良いから、まともに目も合わせられないし、口もきけないし、物を盗られるのだって憧れの君の私物がどうしても欲しいって思ったんじゃないかな。 みんなが遠目で彼を見てこそこそ言ってるのだって、陰口とか悪口とか言うものじゃない。「栄サマは今日も格好良くて綺麗ね」とか、「物憂げな雰囲気、麗しい、素敵」とか、そういうのだ。みんなぽーっとなって「素敵だね」って言ってるのだ。僕は知ってる。 『きもちわるい』なんて絶対思ってない。彼の目の前で『きゃああっ、栄サマっ!』とか大声出しちゃわないように気を付けてるのだ。 栄時くんはうるさい奴がキライ、ってみんな思ってる。多分これはうるさい順平くんが、栄時くんにぎゃあぎゃあ言って嫌な顔をされてるトコを見たせいだ。つまり順平くんのせいだ。明日仕返ししといてあげよう。 だから誰も栄時くんのことを嫌ってなんかいない。でも説明するのもなんだかなー、って思う。女の子たちにならともかく、男子にまで変な目で見られてることを知ったら、この子はすごいショックを受けるだろう。黙ってたほうがいいかもしれない。 「黒田くん、こっち見て」 「……え?」 栄時くんが顔を上げる。目は潤んでて、しかも上目遣いなんて、色々僕は大変だけど、なんとか我慢して彼に微笑みかける。手を握って、言う。 「君の目は、とても綺麗だよ。僕はすごく好きだな」 「え」 「目を合わせるのがやだなんて、絶対に思わないよ。沢山話をしたいし、君のこともっともっと知りたいと思う。一緒にいると、すごくいい気持ちだよ。だって僕ら、トモダチだもんね」 「あ」 栄時くんは恥ずかしそうに顔を赤くして、大分『いいのかな』って顔で迷いながら、「……ああ」と頷いてくれた。すごい照れちゃってて、ほんとにほんとに可愛いなあって思う。 「ねえ、もう泣かないで。僕は君のそばにいるよ。たとえ学校中、ううん、世界中の人に嫌われたって、僕は君を好きでいるよ。大事にするからね」 「……いいの、か?」 「もちろんさ」 「……ん」 栄時くんはぎゅーって僕の浴衣の裾を掴んで、頷いてくれた。 「……望月」 「うん、大丈夫だよ」 「望月……」 「僕はいつでも君の味方だからね」 いつも彼がしてくれるふうに、抱いて背中を撫でてあげると、栄時くんは僕の浴衣を握り締める力を強くした。ほんとにこの子ってば、かわいいかわいいなあ、って僕は考える。 「ひいい……リアルタイムでエージが脱線していく……」 慄いたような順平くんの声がするけど、僕は聞こえないふりを決め込む。 栄時くんの「お前はほんとにいいやつだな」って言葉にちょっとぐさっときたけど(だって僕はほんとは彼の言うような『いいやつ』じゃない。下心がないわけじゃないし、僕は彼に恋してるのだ。『いいやつ』どまりじゃ嫌なのだ)ともかくちょっと元気を出してくれて、ほんとに良かった。 「君に涙は似合わないよ」って言ったら、「バカ」と笑われてしまった。「うん、確かに泣いてても君は綺麗だね」って言ったら、「その変なノリやめろバカ」ってちょっと怒られてしまった。僕はほんとにそう思うんだけど。 栄時くんがやっと落ち付いてくれたあ、ってとこで、また扉がどんどん叩かれた。栄時くんの肩がびくって震える。この学園の人たちも、彼のことが好きなのは分かったから、もうちょっと大事にしてあげたら良いのになあ、って僕はちょっと恨みがましく考えてしまう。この子、こんなに怯えちゃって、可哀想じゃないか。 またさっきの男子たちなのかなあって思ってたら、どうやら違ったようだ。また扉が勢い良く開いて、入ってきたのは女の子だった。僕がその綺麗な金髪を間違えるわけない。アイギスさんだ。 「栄時さん! ご無事ですか!」 彼女は栄時くんと、彼を抱き締めている僕とを目に入れると、すごく険しい顔になった。 「――バカ! アイギス!」 栄時くんがはっとした顔で、僕の腰に抱き付いてきた。勢いがついて、僕は彼に押し倒される格好になる。それよりすぐ鼻先で、ぶおん、ってすごく鋭い空気を斬る音がしたんだけど。僕は真っ青になった。首を持ってかれるかと思った。 「民間人になにやってる!」 「ご安心下さい、アイギスはちゃんと心得ています。事故に見せ掛けるなどの中途半端な擬装工作はしません。肉を斬って骨を砕き、切り刻んで肉骨粉にしてやります。残骸は家畜の飼料になり、地球にも優しい仕様です。テメーはぶっ潰してブタの餌だ、であります」 「そういう問題じゃないだろ?! 地球に優しくする前に、まず目の前のクラスメイトに優しくしてやれよ!」 栄時くんが途方に暮れた顔で叫ぶ。僕も涙目になって、何度も何度も頷く。そんな、あんまり残酷過ぎる。僕が一体なにをしたって言うんだ。 「黒田くんっ! ちょっと大丈夫?!」 ゆかりさんがやってきた。アイギスさんの肩を掴んで、「やめなさいってば!」って言ってる。どうやら彼女を止めにきてくれたようだ。助かった。 「ダメだってば、アイギス! こういうのはね、勝手にやっちゃダメなの。黒沢さんに任せないと」 「……二人とも、なに言ってんだ?」 栄時くんが困惑している。僕も困っちゃう。なにがなんだかさっぱりわからない。 ゆかりさんが僕らに振り向く。振り向いて、顔を青くする。そして赤くなる。どうしたんだろう、可愛い子のいろんな表情が見られるのは、僕は嬉しいけど。 「そ、そんなっ……だっては、はじめてが、ついさっきで、無理矢理で、なのにいきなりそんな積極的に、そんな体位とか、あ、ありえないじゃない!」 「……へ?」 体位ってなんだろう。僕は首を傾げる。 栄時くんが僕のお腹の上にぺたんと座り込んでる。足を広げちゃってるから、浴衣の裾から足がにゅって出てて、なんかえっちだ。上もはだけちゃってて、肩まで出てる。さっきまでちょっと泣いてたから、目も顔も赤い。 いつのまにか部屋の外には人だかりができていた。女の子たちがいっぱいだ。彼女たちは真っ赤な顔で、ちょっとにやにやしながら、ひそひそ囁いている。 「――でね、望月くんがすっごいテクニシャンで、栄サマもはじめは嫌がってたのに、段々気持ち良くなっちゃって……」 「さっき覗いてた男子に聞いたんだけどさ、綾時くんが「優しくするからね」って栄サマを抱き締めてたって。栄サマも「望月は優しい奴だから大丈夫だよ」って……」 「やだっ、ラブラブじゃない! ロマンティックー! 美形ふたりの絡みって、絵的に熱いよね!」 「おい女子! 栄サマが望月の性奴隷にされちゃったって本当か?!」 「性奴隷とか言わないでよ! 愛のしもべって呼びなさい!」 「変わんねーじゃん……」 「え、栄サマが……オレたちの栄サマが、騎乗位で、自分から腰振って、アンアン言ってたって――」 「男子はあっちいけー! 二人の世界を汚さないでよ!」 僕は腕を伸ばして栄時くんの耳を塞いで、「わー! わーっ!!」て大声を上げてた。これ以上この子の心に罅が入っちゃったらどうするんだ。 「ご、ご、ご、誤解だよー! まだなんにもしてないよー!」 女の子たちが歓声を上げて、「『まだ』だって! やっぱり!」とか、「きゃあっ、望月くん真っ赤になっちゃってカワイイー!」とか言ってる。女の子に笑ってもらえるのはどんな時でも嬉しいものだけど、ともかく今はアイギスさんが怖くて、ていうか僕をほんとに殺すつもりで睨んでて、背中がぞぞってなる。生命の危機を、僕は感じていた。 「……望月、綾時……生きては帰しません」 「アイギス、やめろって。いい加減にしろよ、こいつなんにもしてないだろ」 栄時くんが怒った声で言う。「一体どうしちゃったんだ」って、彼はすごく困惑している。 アイギスさんが栄時くんのことも睨む。彼女が栄時くんにきつい表情を向けるのは、すごく珍しいことだ。いつもすごく仲が良いのに。 「――栄時さんは、アイギスと綾時さん、どちらが大切なのですか!」 「きゃああ! 転校生トライアングルっ! 男と男と女のドロドロの愛憎劇キタコレ!」 女の子たちはみんな大喜びだ。なんで嬉しそうなんだろ。これはちょっと良くわかんない。 「ちょっと待てアイギス、君言ってること俺全然わからないぞ?!」 「アイギスは、大切なあなたのためだけを考えています。綾時さんは、絶対にダメです。あなたを幸せにはできません」 「し、しあわせ? しあわせってなんだ?」 僕はそんな場合じゃないのに、すごく脱力してしまった。栄時くんがあんまり可哀想だ。そんな、生まれてからイッコもいいことありませんでした、幸せってなんなのか良くわかりません、みたいなことを言わないで欲しい。やるせなくなってくる。 「く、黒田くん……元気出して。これからひとつひとつ、ちょっとずつでいいんだ。幸せを見付けていけばいいじゃない。僕も、非力だけど、お手伝いできればいいなって思う。ずっと君のそばにいるからね」 「きゃあああ! やだっ、嘘ちょっと、プロポーズしたっ! やりよったー!」 「綾時くーん! 最高〜!」 女の子が何人か、感極まったように叫んで、ふうっと失神している。大丈夫、って駆け寄ろうとしたとこで、倒れた生徒はそばにいた女の子たちに引き摺られていってしまう。 「あれ、あの……」 「ごめんね、綾時くん、邪魔はさせないから!」 「え? えとあの」 僕は何て言えばいいのかわからなくて、口篭もってしまう。どうしよう。 そうしていると、どうやらいつのまにか消灯時間が巡ってきてたみたいだ。「こら女子、なんでこんなとこいるの! さっさと上がりなさい!」って鳥海先生の怒鳴り声が聞こえた。 「ちょっともー、面倒掛けさせないでよね。なにやってんの、ったく」 「あ、センセ、あのね、――が、プロポーズを……て、三人すごい修羅場で……」 「ちょっと、なんでそんな面白そうなとこに先生呼ばないの!」 僕はちらっと栄時くんを見る。彼はげっそりした顔つきで、頭を振って、「なんかよくわかんないけどごめんな」って僕に謝ってる。彼はなんにも悪くないのに。 「とりあえずアイギス、部屋に戻れ。岳羽も。消灯時間だって」 「ですが、あなたを綾時さんと同じ部屋に置くわけにはいきません」 「そ、そうだよ。――綾時くん?」 「はい? なんですか、ゆかりさん」 「……復讐は果たされるんだからね」 「え、ええっ? ぼ、僕なにか気に触ることでも……あ、じゃ、今度お詫びに食事でも、」 「ああもう、こんな軽いヤツダメだよ! 絶対納得いかない! 黒田くん、キミはこの手でまっとうに補正してあげるんだから!」 「ゆかりが略奪愛だって」 「なに? 岳羽も参戦? なら俺もだ!」 「真田先輩、勝負を見ると何でも首突っ込みたがるのやめてください。どうせ良く分かってないんでしょ」 「私も!」 「先生はダメですよ、歳が違い過ぎますから」 「ちょっともうなんなのよ! どいつもこいつもちょっと若いからって、」 「では私もここで待機します」 「勘弁しろ……あのな、アイギス、君は女子だから。まず規則を優先するんだ。いいな」 栄時くんはくたびれきった顔で項垂れて、「なんなんだ一体」って言ってる。僕にも良くわかんないから、「さあ」って首を傾げてしまった。 消灯時間を過ぎるとやっと静かになった。僕らはほっとして、「なんだったんだろうねえ」って首を傾げ合った。順平くんはひとりで布団を敷いて、さっさと眠っている。 「まったくこいつはフリーダムな奴だな」 「ねえ、落書きしちゃおっか」 「いや、やるなら明日の晩だ。こいつ絶対報復してくるぞ。書き逃げできるように最終日にしよう」 「君は頭いいねー、黒田くん。そうだよね、変な顔になんてされちゃったら、僕恥ずかしくて女の子たちに合わせる顔がないや」 「それにしても、こいつらほんと自分勝手な奴らだな……順平はともかく、おい友近。お前布団も敷かずになに寝てんだ……うわ、なんか白目剥いてるぞこいつ」 「ああ、いるよね、たまに。寝る時白目剥く人」 「こいつ人の寝姿なんて撮って面白がってるくせに、自分のが面白い寝顔してるじゃないか……」 栄時くんはぶつぶつ言いながらも、律儀に友近くんの分まで布団を敷いて寝かせてあげている。ほんとに面倒見が良いんだなあって感心してしまう。 「君はほんとに優しいねえ」 「……優しいのはお前だよ」 栄時くんがちょっと照れたみたいに、僕から目を逸らして言う。そうやって話してるとなんだかくすぐったくなってくる。この子、ちゃんと僕のことトモダチとして信頼してくれてるんだってのを、当たり前みたいに感じられる。すごく嬉しいことだ。 「明日もたくさん遊ぼうね」 「ああ、そうだな」 「ふふ、おやすみ」 「……おやすみ」 夜半過ぎ、つんつんって控えめにほっぺたを突付かれた。僕は眠くて眠くて、ううん、って唸って、「なあに」って返事をした。僕は寝起きはすごく弱っているので、ちょっと邪険になってたかもしれない。 そのせいで相手は悪いと思ったのか、「ごめん、なんでもない」って申し訳無さそうに謝っている。 「ごめん、そのまま寝てて、」 がばっと僕は勢い良く起き上がって、にこーっと笑って、「はいはいなんだい?」って返事をする。だって僕を起こした声は栄時くんのものだったのだ。親切にしなきゃバチが当たる。 僕の隣の布団で、彼は所在無さそうに座っていた。僕は彼の頭を撫でて、「どうしたの?」って訊く。どうやらまだ半分寝てるみたいで、眠そうに目をごしごし擦っている。 「りょーじ、おしっこ……起こして、ゴメンね?」 「ううん、気にしないでよ。僕もちょうど、行きたいって思ってたんだから。はい、おてて繋ごうね。みんな起こさないように、静かにね」 「ん……」 彼はこくっと頷いて、まだ目を擦っている。僕は「こおら」と怒った。 「だめだよ、ちびくん。目を擦らないの」 「ん……」 僕は栄時くんの手を引いて部屋を出た。廊下の電気は消えていた。非常灯の明かりもない。壁がグリーンに発光していて、床には血溜まりができていた。 「……りょーじの手、あったかいね」 「うん? えへへ、君もね。こうして手を繋いで歩くの、久し振りだねえ。もうこんなおっきくなっちゃって、僕と手を繋ぐのヤなんじゃないかって心配しちゃったよ」 「んん……僕りょーじの手、大好き……」 「僕も君が大好きだよ」 栄時くんが顔を上げて、すごく嬉しそうな顔で、無邪気ににこおって笑う。ああこの子ほんとにほんとに可愛いなって僕は思う。 ――という、夢を見た。 「……ふえ?」 目を開くと、辺りはもう明るくて、眩しい光が薄く開いた障子の隙間から射し込んできていた。いつのまにか、朝になっていた。 僕は目を擦って、今何時だろうって、枕元の携帯を確認しようと腕を伸ばそうとした。 「ん……」 そこで、むずかるような気配があった。僕の身体にはあったかい感触が触れていた。 「え」 僕は、なんでかわかんないけど、栄時くんを抱き締めてた。栄時くんも、僕にぎゅーっと抱き付いてる。気持ち良さそうにすやすや眠ってる。 「ええええええ……!」 僕はそりゃもう大混乱だ。一体なにがどうしてこんななっちゃってんの。寝惚けて布団を間違えたのかなって確認してみたけど、確かにここは僕の布団で間違いないはずだ。じゃあ栄時くんがうっかりしちゃったとか。 誰かに見られてないかなって心配になって部屋を見回すと、僕の横では「うーん、黒田ぁ、嘘だと言ってくれえ……」とひどくうなされている友近くんがいる。まだ起きてはいないみたいだ。その隣の順平くんは頭から布団を被って、ガタガタ震えながら「怖いよ……ツキ高怖いよ……」とボソボソ言っている。彼も怖い夢でも見てうなされてるんだろうか。 「うう……」 栄時くんが、「あと五分……」とか言いながら、僕の胸にほっぺたをすりすりって摺り寄せてきて、僕は成す術もなく固まって、真っ赤になってしまった。 「あああの、あのっ、栄……く、黒田くん?」 栄時くんがぱちっと目を開く。彼はごしごし目を擦って(ああまたやっちゃってる、と僕は思った)何度か瞬きをして、それから次第に目が覚めてきたようで、真っ赤になっている僕と自分とを交互に見比べて、「……あれ?」と言った。 「ごめん、ほんと悪い。……お父さんの夢、見て。多分それで、寝惚けて、間違えて」 今日の朝食は、ハムエッグだった。ごはんに味噌汁、サラダもついてる。 栄時くんはのろのろお箸を動かしながら赤い顔で、僕に謝ってる。彼はなんだか、いつも僕に謝ってるような気がする。なんにも悪くないのに。 「……男に抱き付かれて、寝覚めとか最悪だよな。悪かった。あとであんみつでも奢るよ」 「いいよ、そんなの気にしないで。僕たちトモダチでしょ」 「……ほんと俺は駄目だな。お前には恥ずかしい所ばかり見られてる気がするぞ」 「それは僕のほうが言うべき台詞だよ。君には格好悪いとこばかり見られてる」 あたりでひそひそ声が聞こえる。「栄サマが……なんて羨ましい」とか「えーっ、お友達なの? このトキメキは幻想に過ぎないの?」とか言ってる。何なんだろう。 「帰りたいよ……おうち帰りたいよ……」 「順平、ちょっとあんたなに泣いてんのよ。ちゃんと黒田くんのガードしてよ? 同室なんでしょ」 「……はぁ? 知るかよ。超人のボディガードなんかする必要全くねーよ。……というかお願いだから勘弁して下さい」 順平くんとゆかりさんが何か話してる。そう言えば彼は今朝から元気がないなあ、って思う。お腹でも痛いんだろうか。 「今朝は順平が静かだな。腹でも痛いのか」 「ねえ。珍しいね」 僕らは顔を見合わせて首を傾げて、順平くんはそんな僕らを見てすごく何か言いたそうな顔をしたけど、結局黙ったままごはんを食べてた。彼が静かにしてるのなんて、ほんとに珍しい。 |