時計、時が零れる




 扉が開く、音がした。小さな足音が、オレの部屋の前を通り過ぎていく。
 あああいつはいっつも猫みたいにあんまり足音立てねえよなあ、ってぼんやりオレは考える。便所かなって思ったけど、それにしちゃずるずるってなんか引き摺る音がする。
 オレはベッドの中で寝返りを打って、縮こまった。ぶるっと震えた。ものすごい寒いなと考える。一月もなかばで、寒いのは今に始まったことじゃあないが、今晩は特に冷え込む。
 時計を見ると、午前二時を指していた。影時間もとっくに過ぎている。
 エージはなかなか戻ってこない。あいつまた倒れたり吐いたりしてねえだろうな、と心配になってきた。あいつの身体を気遣ってやれる親父さんはもういないのだ。エージはまだまだガキで、自分の身体を大事にしねえ奴だったから(あいつ自身は気を付けてるつもりらしいが、そもそも『身体を大事にする』ってことが良く分かってないらしいのだ。どうしようもない)、オレらがしっかり見ててやらなきゃならない。
 とりあえずしょうがないので起き上がって、まったくあのガキは世話焼けるなと考えながら、スリッパをつっかけて部屋を出た。そうやってあいつ大丈夫なんかなって考えてやってると、変に苦い気分になった。
 オレはいつまで、こうやってあいつの心配しててやれるんだろう。呼吸しない、心臓動いてない奴の心配なんざできないのだ。死んじまったら終わりだ。
 一月三十一日に世界は滅ぶらしい。
 それはもう決まったことだってリョージが言ってた。避けようのない滅びだとか、戦うって概念が通用しない相手だとか言われても、正直ピンとこなかった。ただものすげえ怖くなって、それを知った時オレはエージに当り散らして、怖えよって何日も塞ぎ込んでた。
 今でもまだ十二分に怖い。死ぬってどういうことなのか考えるのは、まともに考えてくとアタマおかしくなっちまいそうに怖い。
 でも結局あんまりどーにもなんねーもんを相手にすると、なんか開き直っ……てはまだいねえけど、とりあえずおとなしく死ぬなんてゴメンだし、やられる前にやっちまおうって感じになっている。
 それに、エージは「大丈夫」だって言う。あいつは一月の終わりの滅びを、大して気にも留めていないようだった。
 あいつは平気で二月の話をする。「節分には豆何個食えばいいのかな」とか真剣に悩んでいた。三月の卒業式の話をする。――でもその後の話は、しない。
 さすがにいっぺん呆れて「オメーニュクス怖くねーのかよ……」って訊いたら、「絶対なんとかなる、大丈夫」とか妙に自信満々な答えが返ってきた。その無意味な自信と根拠はどこから来るんだお前って訊いたら、「だって俺最強だし」とか返ってきた。
 なんか馬鹿馬鹿しくなっちまった。頼りねーリョージより、漢エージの言葉のほうが随分説得力がある。オレはまあ、こいつに任せときゃなんかもー大丈夫かな、って気分になっちまった。エージが言うんだから、また春は来るのだ、絶対。最近じゃそう考えるようになった。
 階段降りて便所を覗いても、エージはいない。ラウンジの電気は消えてる。あいつどこ行きやがったんだって見ると、入口の横のソファの上にもこっと毛布の山ができてる。そばにはコロマルがいる。オレは、「あーあ」って思う。独り寝が寂しいとか、天田でも言わねえぞ。
「なにやってんだえーちゃん……ほれ起きろ。部屋戻って寝ろ」
 揺さ振ってやると、エージはのろのろ身体を起こして「あ、じゅんぺ」とか寝ぼけた顔で言ってる。お前ほんとに寝ぼけてラウンジでゴロンしてたわけじゃねーだろな。
「ここね、冷えるからね、うん。大事な時期なんだから、こんなトコで寝て風邪でも引いたらどうするんだい? ん?」
「……寝てない。コロマルと話してた」
「ヘリクツはオレっち許しませんよ」
 もーしょーがねーなって思って、エージの身体をペタペタ触ってみたら、案の定冷たい。暖房も付けねーラウンジにいりゃ、身体を冷やして当たり前だ。毛布一枚ぶんだけ、昔よりは無頓着癖が改善されてはいるが、そういう問題でもない。
「つめて……暖房入れろよ。っていうか、そーいう問題でもねー。あのね、ベッド入ったら朝までちゃんとおねんねしてなさい。ちっちぇえガキが夜中にフラフラしてちゃダメだから。あ、もー身体あっためねーと。カフェオレがいいか? ココアか?」
「クリームソーダ」
「プロの技をオレっちに期待しても無駄だって分かってるよな」
「……ココア」
 むくれるな。お前は可愛い奴だな。
 暖房つけて、湯を沸かして二人分のマグカップに入れてると、エージは奥のカウンターから『共用』と書かれたココア缶を持ってくる。うんうん、共同作業ってのは良いことだ。
 ていうかお前裸足じゃんよってまたツッコミたくなったが、キリが無さそうなので、もうココア飲ませたらさっさと部屋に帰そう。
「じゅんぺ、だまだまが……」
「混ぜろ混ぜろ」
「お湯は後から入れてくださいって」
「胃袋に入ったら一緒一緒」
「そーかなー……」
「そうそう」
 オレたちはココアのだまだまのカタマリを溶かす作業に没頭する。二人でソファに並んで座って、スプーンでグルグル掻き混ぜる。
 オレはちらっとエージの顔を見る。相変わらず、なんか良くわかんないとこまで必死だ。こーいうトコ、なんかリョージの奴に似てるなあってぼんやり思った。
 前は何でもかんでもどーでもいいの奴だったのに、こいつはほんとに変わった。なんか見ててこそばい奴になっちまった。ほんとに、ついこないだまでの可愛げのない顔が嘘みたいだ。いいことだなって思う。オレはだんぜん今のこいつのが好きだ。
――怖い夢でも見たか?」
 あつあつのココアを冷ましてる暇に、なんとなくエージに聞いてやる。
 怖い夢見て、部屋にも居辛くて、こんなトコでコロちゃんとおねんねしてたのか。こいつの部屋はほんとに殺風景で、こないだ自分で「ラウンジのほうがいっぱい物があって落ち付く」とか言ってた。ならお前の部屋も物を増やせっての。
「……うん。あ、でも怖い夢じゃない。いい夢だった」
「そーなの?」
「ほら、去年の秋修学旅行に行ったじゃん。あの時のさ、滅びとかなんにも知らなくて、だるくてめんどくさくて、でも綾時いて――と、トモダチだって。僕たち仲良しだよねとか言ってんの。おかしいよな」
 エージは無理に笑おうとして、でも失敗して、変な顔になってる。ただリョージのことを思い出したらしく、俯いて、くすぐったそうな顔をしている。そう言えばこいつは、大好きな親父さんが死んでくのを二度も見送っているのだ。
 オレならどうだろって考えてみようとしたけど、正直良く分からない。チドリにもしもう一度会えるなら、オレはきっとすっげえ嬉しいだろう。マジ泣きしちまうに違いない。
 でもまたあの子を守れずに死なせちまったら、オレはなんか、今度こそ立ち直れないような気がする。
「あ、そんな顔するなよ。ごめんな」
 エージが慌てて、「なんでもない、平気だ」って笑う。
「最近良く夢を見るんだ。なんていうか、いい夢ばっかりなんだ。毎晩な。怖い夢とか、ぜんぜんない」
「そりゃ良かったじゃん。毎晩おねむの時間が楽しみで仕方がないねーえーちゃん」
「……ん」
 エージは微笑んで頷く。でも手が震えている。マグカップがカタカタ揺れている。
「でもその、……あんまりいい夢過ぎて、寝るの怖い。朝起きたらまたほんとの世界に帰ってこなきゃなんないのに、ずーっと目、覚ましたくなくなって、」
「……起きてたって、いいことあんだろ。オメーいっぱいトモダチいるじゃんよ。お前のこと好きな奴がさ。みんなお前が大好きだぜ。まあ多分オレっちが一番だけどな」
「あ、ありがとう。俺も順平好きだよ」
 エージは笑うけど、こいつの笑顔ってのは、なんかいっつも泣いてるみたいな顔なのだ。たとえば遠くに越してかなきゃなんなくなって、新幹線だか飛行機だかに乗り込んで、もう会えなくなるダチに窓越しに『さよなら、ありがとう』つってるみたいな、まったく縁起でもねー顔だ。
 ……リアル過ぎて、いやになっちまう。
 エージが目を閉じて、静かな顔でぽつぽつ話す。
「……たとえば、昨日のなんかさ、俺春なってもなんでか生きてて。あれっ、なんでだろって思って、でも夢の中でほっぺた抓ってあっ痛い夢じゃないとか言って、夢なのに、俺生きてる死んでないって思って」
「……ああ」
 オレは黙って聞いて、相槌を打つ。なんかオレは、エージと喋ってると、ものすごい聞き上手な人間になれる。小さくてボソボソ言ってて、でもちゃんとオレの耳はそいつの声を聞きとるために、自動的に頑張ってくれちゃってるのだ。
 たぶんオレはこういうタイプの人間がすげー好きなんだろうなって、思う。
「なんか、綾時もいて、よかったねって、言ってて。みんなで三年上がるんだ。桐条先輩、なんか海外とか行ってて、忙しそうで、真田先輩もなんかテレビとか出てて、期待のルーキーだとかちやほやされてて、」
「ああ、なんかリアルに想像できんなソレ」
「うん……」
 エージは頷いて、声を詰まらせてる。ああこいつちょっと泣きそう。
 オレはエージの背中を撫でてやる。大好きな親父さんじゃねえのが申し訳ねーが、そこは勘弁してもらいたい。
――来年受験で、頑張って勉強して、おれは、おっきくなったら、ガッコの先生になりたい。学校好きだから、もっとここで過ごしたい」
「……そっか」
 オレは頷く。そんでエージに向かって、根拠もねーくせに自信満々で頷いてやる。
「ぜってーなれるって。オメーは強い子だもんよ」
 その瞬間、たぶん限界だったんだろう、エージの涙腺が決壊した。目を見開いたままぼろぼろ泣いて、オレのシャツをぎゅーっと掴んで、かたかた震えてる。
「……じゅんぺ、俺、しにたっ、死にたくないよ……」
 エージが震え声で言う。こいつはなんもかも怖がっちまってる、ちっちぇえ子供なんだ。
 オレはエージを抱いてやる。もしいつかオレにガキができたら、オレはその子が泣いた時どうやってあやしてやるんだろうって、まるっきり親父になった気分で考えながらなだめてやる。
「死んだら、りょーじに会えるって、寂しいことなんかなんにもないって思うのに、でもヤだ。俺も綾時もいて、でもみんなもちゃんと、いて……みんなが一緒じゃなきゃ、いやだよ。俺やっとはじめてふつーに友達できたのに、こわいよ、俺もう春んなったら順平に会えなくなるよ」
 エージの口から直にソレを聞くと、さすがに堪えた。オレの手も多分震えてたと思う。怖くてたまらなかった。
 今まで何人死んじまったと思ってんだって、オレは神様だかニュクス様だかに恨み言を言う。チドリも荒垣さんも桐条先輩の親父さんも、ゆかりッチのパパも、幾月も、他にもどれだけ死んだり殺されたり、人生イカレちまったりしたと思ってんだ。
 もうコイツ一人くらい勘弁してやって下さい、ってオレは土下座でもしたい気分だった。
 エージは今までコエーことばっかりで、やっとまたパパに会えたと思ったら、そいつは人類の最凶の敵になってて、ほんのちょっと一緒に過ごしただけでまた消えちまって、もしかしたら楽しいかもって未来すらもう残ってない。
 でもやっぱりそれでも死にたくないって泣いてんのだ。ほんとに、マジで見逃してやって下さいって、オレは思う。
「なぁ、大人に、なっても、俺たち友達だよな……?」
「あたりめーじゃんよ。ナニ言っちゃってんの、バカ」
「俺、大人、なれるよな」
「……ったりめー……だろ……」
 あんまそーいうこと言われるとオレまで泣きそうになってきた。オレが泣いてる場合じゃない。ここは年長の保護者として、「あったりめーじゃんよ、ガハハ」って笑い飛ばしてやんなきゃならねートコなんだ。
「バカなこと、考えてんじゃ、ねーよ。おま、まだ酒呑んだことねーだろ。あ、未成年はダメだからね? 成人式まで我慢だよ、えーちゃん。オレらハタチんなってさ、みんな集まって大騒ぎしてよ。そん時、ぜってー誰も欠けてねーよ。お前もちゃんといるよ」
「……ん。ごめ、ベッド入ったら、いっぱい、怖いこと、考え、ちゃって。寝れなくて、目、冴えちゃって、怖くなって、――でも昔みたいに綾時、いないんだ。大丈夫だって、そばにいるよって言ってくれないんだ。りょーじ、も、どこにもいないんだ。……俺が死ぬまで、もう会えないんだ」
 エージは本当に小さいガキそのものの顔で、お父さんお父さん言いながら泣いてる。
 オレは、もういねーリョ―ジについ愚痴っちまいそうになる。
 お前はこんなちっちゃい子供ほったらかしてドコ行ってんだと。気合いとか愛の力で戻って来いよと。お前、あんだけこの子のこと好きだったじゃんよと。はじめのうちはちっと愛の方向性が間違ってたような気もしないでもなかったが。
 エージはしばらく顔をぐちゃぐちゃにしてぐずっていたが、ようよう目を擦って、「ごめん」って謝る。お前なんも悪いことしてねーだろ。
「……ご、ごめんな。俺、こんなこと言ったってどーにもならないのに、俺リーダーなのに、ダメだ、ちゃんと、するからな。ごめ……」
「いいって。ガキなんざ泣いてナンボだって。お前、天田みてーな可愛げのねーガキんなっちゃダメだからな」
 アタマ撫でてやったら、子供じゃねーって怒られた。お前はガキ以外のなにもんでもねーだろと思ったが、どうやらちっとは元気出てきたみたいだ。良かった。
「……大丈夫か?」
「ん……」
「無理すんじゃねーぞ。お前、潰れたらオレがリーダーだかんな。オレがリーダーなっちゃったらおま、アレよ。全員ハイレグアーマー装備させっからな。リーダー命令で」
「う……見た目一番痛いのはお前自身だぞそれ」
「いや、結構似合うかもよ? まあオレっちのセクシーな姿を見たくなきゃ頑張っちゃってくれ」
「……がんばる」
 エージがものすごく嫌そうな顔をして頷く。失礼な奴だ。でもすぐにくすくす笑い出す。お前は泣いたり笑ったり忙しいやつだ。だからガキなんだって自分で気付いてんのか。
「……なあ、俺、今すごい幸せだよ」
 エージがほんと、しみじみ言う。砂丘の乾いた砂に水を染み込ませてやったみたいな、すうっと通る声だった。
「怖いのも痛いのも、心があるから感じられるって、綾時が言ってた。分かってるんだ。死にたくないとか考えてるうちは、俺、すごく生きてるんだもんな。……俺、あとちょっとだけど、最期に人間に戻れて良かった。みんなに会えて、友達になれて、ほんとに良かった」
「……ナニ縁起でもねーこと言っちゃってんのかなぁ、こいつめ!」
 オレはわざと明るく言って、エージの頭を拳でグリグリってする。エージは前みたいに報復してやるとか言い出すこともなく、おとなしくされるがままになりながら、「やめろよー」とか言いながら笑っている。
「じゅんぺ、」
「あん?」
「……な、お前、長生きしろよ。ニュクスは俺がぜったいなんとかするから、みんな守るから、いっぱい、いっぱいいろんなもの見ろよ。美味しいもの食べて、面白い映画見たり、音楽聴いたりしろよ。大人、なったら、ちゃんとなりたいものになれよ」
「おうよ、オレっちは未来のメジャーリーガーだかんな! おま、ちゃんとテレビ見とけよ? このオレ様の勇姿、ちゃんと録画しとけよ。そんで永久保存な。お前も無理し過ぎて身体壊すんじゃねーぞ。生徒に苛められんなよ」
「メジャーリーガーって、アメリカ行くんだろ。英語話せなきゃなんないんじゃないのか?」
「……そん時は黒田センセに手取り足取り教えてもらうぜ!」
「お前気が長過ぎるぞ。でもきっと、お前ならなれるよ」
 エージは無責任に「がんばれよー」とか言ってへらへらしてる。その顔なんかリョージにそっくりだぞ、お前。
「これから何十年も経って、お前すごい皺っくちゃのじいさんになって、でもさ、できれば……できればでいいから、そーなっても俺のこと、忘れないで、くれな。チドリん時みたいに泣いたりへっこんだりはしなくていいからさ、俺、今こーやってお前のそばにいたって、知って、覚えててくれよな。できればでいいから」
「バッカ、だからやめろよ、そーいうの。忘れるわけねっつーの」
「ん、ごめん。……でも、こ、怖いの、俺が全部持ってくから。大丈夫だよ。し、死んだらどうしようとか、みんなはそんなこと考えなくていい。俺が、絶対守るんだからな」
「やめろつってんだろ、バカ」
 エージは必死に笑おうとしてるらしいが、あんまりコエーのか目はウルウルきてて、口の端も引き攣ってる。身体も震えてる。ガキが虚勢張って、なにやってんだ。
「そーやって俺は特別ですってのヤメロよ。ムカつくから。お前な、一人で死んだらぜってー許さねーからな。マジ怒るぞ。オレら全員、お前守るためにここにいるんだからな」
「……俺?」
「えっ、みたいな顔すんな。お前は自覚が足んなさすぎだ。オレらみんな、リョージがそばにいてやれねーぶん、お前のこと甘やかして大事にしてやるって決めてんだよ」
 エージは照れて赤くなった。「あ、うん」とか言ってる。嬉しそうだ。お前はホント可愛い奴だな。
 エージはちょっと迷う素振りを見せて、「なんか、もしもの話で悪いけど」と切り出した。
「影時間もシャドウも消えて、もしもペルソナと一緒に記憶が消えちゃっても、……俺、ペルソナないとほんとに空っぽで、いらない奴だけど、じゅんぺ、俺とまた友達になってくれるか?」
 エージは自信無さそうな顔つきで、「覚えてないとこで約束ってのもアレなんだけど」とか言ってる。
 オレは「当たり前だろーが」って頷く。オレも、仲間のみんなも、いつか全員頭のなかから影時間の記憶がスポーンと飛んじまうことがあったって、オレらはこいつと一緒に確かにここにいて、こいつのことが好きで好きでたまらなかったってことだけは覚えてるだろう。絶対忘れないだろう。いろんなものが怖くて怖くて仕方ないらしいエージがちゃんとここにいて、オレらとおんなじ空気吸ってたってことを、忘れるやつはいないだろう。もしそんな奴がいたら、オレがこの手でぶん殴ってやる。真田さんだろうが、かなり怖いが桐条先輩だろうがお構いなしだ。頑張る。
「オレらは、ダチだって。今更ナニ言っちゃってんだ。全部終わって、もし影時間もシャドウもペルソナも全部無くなったって、そっから三年上がって、卒業してそっからずうっと先まで、ぜってー仲良くやってるって。お前のこと大事にしてるって」
 エージが「うん」て頷く。その顔は嬉しそうなのにくしゃって歪んでる。
「……順平」
 声は震えまくってる。ああコイツまだ全然怖がってんだって、オレは知る。
 リョージが自分を殺せって言った意味が、オレには死ぬ程良く分かる。全部忘れてたら、エージはもうこんな怖がることも、泣くこともなく、オレらみんなにちやほやされながら、毎日楽しい楽しい普通の学園生活を送っていたはずだ。
 もしかしたら春まで世界は持ったかもしれない。エージのぜんまいが切れちまう日が先か、滅びが先か、どっちかは分からねーけど、少なくともエージは怖い怖いって言いながら、ひとりで死んでくことはないのだ。世界と一緒に、なんにも知らないまま滅びていく。
「……わり。おま、オレら守るためにこんなこえー思いしてんだよな。全部忘れちまえたら、お前はぜってーその方が良かったのに、お前、」
 その先をオレは言えなかった。春までなんだろって、そんなことは絶対言えなかった。
 エージはまた泣いてるみたいな変な笑顔でいる。でも顔は引き攣ってて、身体は震えている。
「じゅんぺ、……おれ、生きたい」
「ああ、死なねって、」
「みんなといっしょに、大人になりたい。生きたいよ、」
「へーキだから。だいじょぶだって」
「しっ、しにたく、ないよっ、じゅんぺえっ……!」
 エージは、オレにしがみついて、わああって大声上げて泣いた。
 春なんて永遠に来なきゃいいのに。
 ずーっと空気がしばれたままで、朝布団から這出るのがものすごく辛くて、雪降って道が凍って、このままずっと長い冬が続けばいいのに。
 神様仏様ニュクス様、今まで信じちゃいなかったが、もしほんとにこの世にいるのなら、どーか頼んます。
 このオレと同い年のちっちぇえガキが、もう怯えて怖がって泣かねぇように、来年の春まで、再来年の春まで、それから先もずっとずっと、コイツの家族とダチどもと一緒に大人んなって、なんかメジャーリーガーになって長生きするらしいオレよりも長生きして、最期の最期で「あー、良く生き過ぎた。楽しかった!」つって笑って死んでいけますように。
 ――ほんと、頼んます。
 マジで。





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