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罅(4) 「おはようございます、王子様」 教室に入ると、まずみんな一斉に挨拶をしてくれる。入口のドアの前にきちんと整列して、綺麗に三十度の角度に揃った動作でお辞儀してくれる。 「おはよう」 僕は頷く。片手を軽く上げて応えて、前から二列目の自分の席に着く。 机の端の角っこのところに、僕の名札が貼られている。月光館学園初等部、二年F組、黒田栄時。 名字の『黒田』は白いビニール・テープの上に書かれている。修正された跡だ。その下には、ほんのちょっと前まで僕の名前だった『望月』って名字が書かれている。テープに透けてうっすら見えている。 僕は実は、この『黒田』って名前があんまり好きじゃない。この名前になってから、僕の世界はどんどん壊れてく。 でも今更『望月』を名乗る気にもなれない。その名前はなんというか聖域のようなもので、今の僕みたいなやつが名乗ってはいけないような気がするのだ。 優しい両親がいて、何不自由なく育って、泣いたり笑ったり怒ったりしょげたり忙しい幸せな子供のための名前だ。 昔の楽しい思い出のための名前だ。だから僕はなんにも言わずに、うっすら透けて見える『望月栄時』って言う、ちょっと前までここで息をしていた同い年の、僕とは違う誰かの名前をこっそり指でなぞるだけだ。それだけ、なのだ。 乾いたチャイムの音が鳴って、僕の担任の先生が教室に入ってくる。もうこの月光館に入学してから、何百回も繰り返された日常が今日も始まるのだ。朝礼、授業、授業、授業――給食とお昼休みと掃除を挟んでまた授業。 退屈な繰り返し作業だ。こういうのを『ルーチンワーク』って言うらしい。 昨日も今日もこれからも、僕が六年生になって初等部を卒業し、その後三年間の中等部生活に耐え、それから三年間また高等部、四年間の大学生活、そして学生生活が終わった後には『社会人』になって、学校の先生やラボの研究員やお花屋さんやスーパーの店員や水道局のおじさんたちみたいな仕事をやる。そういうのが死ぬまでずっと続く。 ほんのちょっと前まで、僕はそういうのに根拠のない夢とか希望とかを抱いていた。学年が上がったら今度こそ友達ができるかもしれない。僕を『暗い』『鬱陶しい』と苛めない、優しくて正義感に溢れた親友ができて、放課後には一緒にコンビニに寄ったり、内緒でゲームセンターを覗くみたいなちょっと悪いことをしてみたり、夜遅くまで電話で話したり、「また明日いっぱい話をしようね」って笑って言い合う。 僕は、そういうのにすごく憧れていた。映画や漫画やゲームの中みたいに、将来の夢を語り合ったり、気持ちを上手く言葉で表すことができない僕でも、ただ黙って微笑むだけで分かり合えるような友人がいつかきっとできると。例えば、僕のお父さんみたいに素敵な友達が。 学校を卒業したら、僕はいつか両親と同じ研究者になって、大好きな二人と一緒に出社して、昼休みには社員食堂で一緒に食事をして、いつも僕には聞かせてくれない仕事の話をしてみたいと思っていた。 僕は未来に希望を持っていたのだ。 机の名札を爪で擦って、僕は僕の席をついこの間まで使っていた望月栄時に、心の中で話し掛ける。「お前はいいな」と。「なんにも知らずに愛されてるってどんな気持ちだったんだっけな」と。 僕にはもう、退屈なルーチンワークばかり続いていく、確実な未来はない。 そりゃ事故や病気で死ぬことはあったかもしれない。でも少なくとも僕が僕でなくなる、僕の身体が動かなくなって焼かれて灰になる、死というものがすぐ隣にくっついてすごく仲良しの友達みたいな顔をして座っているなんてのを強く意識することはなかったろう。 僕はある日、大人たちに寄って集って貌と名前と僕自身の心を奪われてしまった。 今僕が名乗っている『黒田栄時』って気に食わない名前だって、外の世界に馴染むための仮初のものだ。 僕はただ便宜上『貌無し』と呼ばれる、何も持っていない、空っぽの、昔幸せだった子供の抜け殻だ。僕には何もない。 僕から気まぐれに奪っていく大人の中には、他ならない、僕が愛する母親もいた。 昔はすごく優しかった。綺麗で、可愛くて、僕はそんなあの人をすごく誇りに思っていたものだった。 無条件で愛されていることを信じていた。 でも今はもう、あの人が僕を見てくれるのは、僕がみんなに認められる役割を果たした時だけだ。「いい子ですね」、「さすが、私の子供です」、「次も期待していますよ」、それから「愛しています」と、抑揚のない、平坦でどこまでもどうでも良さそうな声で言う。 たぶん、この人はもう僕のことなんて好きじゃないんだろうなと、僕は理解している。 でも僕はあの人を愛していたし、もっと頑張ればきっとあの人は前みたいに僕のことを好きになってくれるって大人たちが言う。彼らの言うことに間違いはないから(疑うな、疑問を持つな、自分達は正しいってのが口癖なのだ)、そういうもんなんだろう。 だから僕はいつも頑張っている。いろいろ辛いことや怖いことや、泣きそうになることはある。でも僕はまだまだ頑張れる。いつかあの人がまた僕とお父さんを愛してくれて、三人で家族をやれる日が来るのなら、僕は何だってできるし、何にだってなれるのだ。 「――王子様、ご機嫌いかが?」 「こんにちは、王子様」 「こんにちは」 「こんにちは」 「何かして欲しいことはないですか?」 お昼休みになると、僕の席の周りにはちょっとした人だかりができる。クラスメイト、違うクラスの子、先輩後輩、たくさん。『コミュニティランクMAX』の、僕の言うことならなんでも聞いてくれるいいやつらだ。 中にはちょっと前まで僕を苛めていた子もいるけど、みんな今は同じように、平等に僕に優しくしてくれる。僕とお揃いの灰色の艶のない目をしている。 僕にはちょっとした力がある。 他の子にはなくて、僕にはある、本当にちょっとした力だ。 僕はこの力を使って、みんなのためになることをやっている。いわゆる慈善事業ってやつ……らしい。僕もお母さんに「やれ」って言われてやってる訳だから、ボランティアってわけでもないだろうけど。 この間先生が、ボランティア活動っていうのは、自発的にやらなきゃ意味がないものなんだって言っていた。その割に、割に合わない『地域美化推進活動』だとかで、缶拾いなんかさせられるけど。 僕には実は、人の願い事を叶える力があるのだ。 自分のために使わないで、人のためにってところが、特撮ヒーローみたいでちょっと格好良いんじゃないかなと思っている。まあ、僕には願い事なんかないだけだけど。 こんな力が出てきたのはつい最近のことだ。うちの両親が離婚してちょっと経った頃くらい。 おまじないを掛けて駆けっこの記録を更新させてあげたり、喧嘩でライバルに勝たせてあげたり、好きな子を振り向かせてあげたり、いじめっ子や嫌いな相手をひどい目に遭わせてあげたり、何でも来いだ。 僕はちょっと魔法の呪文を唱えるだけでいい。スクカジャ、タルカジャ、マリンカリン、ガル。僕が願い事を叶えてあげた子は、じきに僕の言うことを何でも聞いてくれるようになる。 僕の友達だってことは、すごく幸せで満ち足りてることなんだって言う。 じきに僕がしろって言ったこと以外なんにもしなくなる。僕の言うことしか聞かなくなる。 そうなると、みんなは僕を王子様って呼んでくれる。本当に昔話や絵本やゲームや、そんな中に出てくる忠実な家臣みたいに、僕を大事にしてくれる。 実のところこれは『実験の一環』らしくて、僕が自分で考えてやっているわけじゃない。念の為。でもみんなが僕を必要としてくれるっていうのは、そんなに悪い気がしない。 僕が一番怖いのは、誰かに「役に立たないね」って言われることなのだ。「役立たず」がどうなるのか、僕はよおく知っている。嫌になっちゃうくらいに。 でもそう上手いことみんながみんな僕を好きになってくれたり、必要としてくれたりするわけでもない。中にはすごく僕を嫌って、相変わらずひどいことをするやつもいる。 たとえば上履きを隠したり、体操服を隠したり、教科書をゴミ箱に棄てたりする。 僕が落胆する姿を見てニヤニヤ笑っている奴らがいる。 やっぱりみんながみんなに好かれる人間なんていないんだろうなって、僕は考える。どんな力を持ってても、僕がここにいる限り、誰かは僕を嫌っているのだ。悲しいことに。 今日もだった。昼休みにグラウンドに出てブランコで遊ぼうと思って、靴箱を覗いたら空だった。十八センチのシルバーとネイビーのスニーカーのかわりに、『バカ』とか『ブタ』とか『ファザコン』とか書かれたノートの切れ端が突っ込まれていて、どう見ても人為的なものだった。僕の靴に足が生えて、勝手にどこかへ行っちゃった、って感じじゃない。悪意を感じる。 これじゃ今日は上履きのまま帰らなきゃならないのかなあと、僕は途方に暮れてしまった。大体あのスニーカーは先週買って貰ったばかりの新品だったのだ。かたちも気に入っていた。さよならするにはまだ早過ぎる。 しょんぼりしながら教室へ戻ると、僕の机の上にはガラスの花瓶が置かれていた。いつも先生の机の上に置かれているものだ。花壇に植わっていっぱい花を咲かせている白いアリッサムが、花束みたいに上に広がるような格好で生けられている。 どうやら僕がほんのちょっと席を外した間にやらかされたらしい。僕の机は教室中から浮き上がって見えた。まるで一人でお葬式をやっているみたいだ。 僕は無言で、花瓶を掴んで床に叩き付けた。ガラスの破片が飛び散って、机の周りの床が水浸しになり、花が散る。 この花もこんなふうにお葬式ごっこなんかやる為に咲いていたわけでもないだろうに可哀想なことだって、僕はこっそり考えた。 生き物は大事にしなさいって、いつもお父さんが言っている。ハムスターやクワガタや綺麗な花なんかを。僕は可能な限りあの人の言い付けを守る良い子でいたいので、ひどく悲しい気持ちになる。ご愁傷様だ。 席に着いて、机に突っ伏して半分不貞寝していると、いきなり頭を掴まれて顔を上げさせられた。 見るとガキ大将だ。今時ガキ大将?ってびっくりしちゃうかもしれないんだけど、ほんとにいるんだからしょうがない。身体が大きくて、声も大きくて、他の子と喧嘩ばっかりしていて、いつも先生に怒られている。何人かの子分を連れている。いがぐり頭だったり、出っ歯だったり、のっぽのひょろひょろ眼鏡だったり、これもちょっと昔のアニメに出てきそうな感じのやつらだ。僕を取り囲んでにやにやしている。 「望月、お前何やってんだよ。床水浸しで、花も花瓶もぐちゃぐちゃじゃんか。おとなしい顔してすぐキレやがって、お前みたいな奴がいつか問題起こすんだよ。ニュースでやってるみたいな」 僕は「何か用かな」と首を傾げて訊く。もう前みたいにやられっぱなしでびくびくしていた僕じゃない。僕は強くならなきゃいけないのだ。今は離れ離れのお父さんが僕を心配しなくて良いくらい。 ガキ大将は、どうやらそんな僕の態度が気に入らなかったらしい。「望月のくせに!」って、餌を取り上げられた猿みたいなすごい顔で怒り出した。 「ビビリで泣き虫の、運動音痴のいい子ちゃんぶりっこ! 暗いし、鬱陶しいし、嫌われ者のくせに。お前最近なんか勘違いしてんじゃないの? インチキ魔法使い、嘘吐き!」 「そうそう、牛乳頭から引っ掛けられてトイレで泣いてた便所虫のくせに、最近生意気だこいつ」 「何が王子様だよ。牛乳臭い。牛乳雑巾!」 「つーかお前、キモイって」 どん、と突き飛ばされて、椅子から転げ落ちた。運の悪いことに、それともそれを狙ってたのか、僕が落っこちた床の上には尖ったガラスの破片が散乱していた。「きゃああ!」って女子が悲鳴を上げる。僕の身体に容赦なくガラスが突き刺さる。鋭い痛みがやってくる。 僕はのろのろ起き上がって、咄嗟に身体を庇って突き出した腕を見る。赤くなったガラスが、ぬるっとした光沢を見せ付けている。血まみれだった。腕も脚も、剥き出しになっている部分が傷だらけで、シャツが真っ赤になっている。 そう言えば、この間テレビで見たことがある。小さなガラス片が、傷口から身体の中に入って、血管を通って心臓に運ばれて突き刺さっちゃった人の話だ。本当かどうかは知らないけど、わあ怖いな、気を付けよ、って思ったのを覚えている。あんなふうになったらどうしてくれるんだ。 クラス中、いつのまにか大騒ぎだ。昼休みだから人はほとんど出払っていたけど、残ってた子だっているのだ。女子なんか泣いちゃってる子までいる。でもみんなガキ大将を怖がって、僕らのほうへは近寄ってこない。 顔を上げると、いじめっ子たちは引き攣ったみたいな顔で笑っていた。『やってやった』って感じの顔つきだ。「お前が悪いんだぞ」や「ナマイキだからだ」とか言われている。 「――どうだ、反省したか? すみませんでした、もう生意気言いませんって謝って子分になるなら許してやってもいいぞ」 なんで僕が謝らなきゃならないんだ。僕はなんにもしてないし、お前とは何の関わりもないところで生きてるんだから、干渉するなよって思っていると殴られた。どうやら顔に出ていたらしい。 「お前、その顔むかつくんだよ! バカにしやがって。おい、放課後体育館裏来い。一人でだ。いいな。来なかったら承知しないからな」 黙ったまま、腕に突き刺さったガラスを抜いていたら、また殴られた。理不尽だ。大人も子供も、みんな理不尽だ。寄って集って、なんでみんな僕にひどいことばかりするんだろう。 そして放課後、僕は言われた通りに苛めっ子の相手をしていた。 面倒臭いなと思っていたんだけど、「靴返してほしくないのかよ」と言われて、「ああ」と思い当たったのだ。やっぱりとは思ってたけど、彼らの仕業だったらしい。僕は靴が無ければ帰れないのだ。返してもらわなきゃならない。 「靴、どこ?」 僕はワックスの缶に腰掛けて、組んだ膝に肘をついて、顎の下で手を組んで質問をする。 僕が今いるのは、体育館裏じゃない。あそこは上の階から見たら丸見えになるのだ。先生に見つかって問題になっても困る。 僕は自分に降り掛かる問題は自分で処理するって決められているのだ。『たすけて』なんて言ってちゃいけない。僕は、『王子様』らしいので。 僕の足元には、ザイルでグルグル巻きに縛られたガキ大将がいる。口の中にハンカチを突っ込んで、ガムテープで封をしておいたので、いつものうるさい大声も聞こえない。何だかもごもご言っているけど(たぶん「こんなことしてただで済むと思うなよ」とかそういうことだろう)知ったことじゃない。 ああでも失敗だったかなと僕は考えた。これじゃ僕の靴の隠し場所も吐いてはもらえないだろう。 今日の授業が終わってすぐに、僕は友達に『お願い』して、体育館裏で「決闘だ!」とか息巻いているバカの大将を捕まえてきてもらった。今は備品倉庫で僕の足の下に転がしてある。 「ご苦労様」 僕はバカの横に無表情で突っ立っているいがぐり頭に声を掛ける。彼はさっきまでへこへこしていた大将を蹴飛ばして、僕に頭を下げて、「はい、王子様」と言う。 バカが『裏切り者!』って顔をしているけど、いがぐり頭は別段気にした様子もない。相手が誰だかも分かっていないってふうだ。この学校の、僕を「王子様」って呼ぶ他のみんなとおんなじふうに。 「さっきはどうも」 僕は言う。そして袖を捲って見せる。そこにはもう傷はなくなっている。足も、同じ。 バカは僕を見てすごく気味の悪そうな顔をしている。すごく心外だ。 「――インチキ魔法使いですから。君の友達を取ったり、傷を『修理したり』するのは簡単」 僕は静かに目を瞑り、ポケットの中に入っているレミントン・デリンジャーを取り出して、頭を撃つ。自分の頭だ。 「さ、ごはんだよ。こいつ僕の言うこと聞かない悪い子なんだ。食べちゃって、いいよ」 すると僕の身体からぐずぐずした黒い塊が零れ出てくる。バカが声にならない悲鳴を上げて逃げようとする。でも空っぽの僕の中に住んでいるそいつは、全然知ったこっちゃないというふうに、縛り上げられた相手に、コールタールみたいな身体で襲い掛かる。 どろどろ溶けた身体の一部を滴らせながら、バカの頭に食らい付く。頭の中に融けて、脳から僕には良く分からない何かを吸い出して、啜り食っている。 僕は捕食作業が終わるまで、しばらくの間ぼんやりとその光景を見つめていた。 僕は空っぽだ。ある日突然大人たちに寄って集っていろんなものを奪われて、中身をごっそり綺麗に持ってかれた後で、この何だか良く分からない黒っぽいコールタールみたいなものを押し込められた。 まあ悪い奴じゃない。僕らは結構上手くやっている。 今までじたばた暴れていたバカ大将は、もう動かなくなっていた。黒い影が『ごちそうさまでした』ってふうに震えて、僕の中へ帰ってくる。 こいつも初めて見た時とは微妙に変わってきた。大きくなってきたし、微妙にかたちも違っている。『成長』してるんだって、僕の周りの大人は言ってた。 「いがぐりくん、もうロープ解いてあげて。元あった場所にちゃんと戻しといて。ガムテープとハンカチは焼却炉。終わったらそれほっといて帰っていいよ」 「はい、王子様」 僕は立ち上がる。そして、目を開いたまま口の端から涎を零しているバカを見下ろす。「うー」とか「あー」とか、意味のないことしか言えない、なんにもできない影みたいな人間のできあがりだ。最近増えていて、街でも良く見掛けるようになっている。 僕の中にいるような黒い影に直に触った人間は、こんなふうになってしまう。僕だけ、平気だ。なんでかわからないけど。 「じゃ、僕帰るから。またね」 「はい。ごきげんよう、王子様」 そして僕は倉庫の扉を開けて、廊下に出る。すれ違った先生に「さよなら」と挨拶をする。玄関の靴箱からあのバカの名前を探し出して、割と小奇麗なスニーカー(そう言えばあいつはいいとこのお坊ちゃんだったのだ。見掛けによらず)を拝借する。僕だって靴を隠されたんだから、この位構わないだろう。おあいこってやつだ。サイズが全然合わないけど、そこは我慢することにした。 そして帰途につく。ルーチンが終わる。 明日はいじめっ子に突っ掛かられることもないから、今日よりは静かに過ごせるだろう。 そしてルーチンの終わりには、日曜日がやってくる。 僕はこの一週間には一度もやった記憶がない満面の笑顔で、待ち合わせ場所に駆けていく。そして一週間ぶりに再会したお父さんに飛び付いて、「ひさしぶり!」と歓声を上げる。 「綾時、綾時っ、僕がいなくて大丈夫だった? ごはん食べた? 掃除してる? お風呂入ってる? 誰かに苛められてない?」 「ちびくんっ、会いたかったよー! うん、うん、僕はちゃんとしてる……けど、君こそ大丈夫かい? 誰かに苛められたりしなかったかい? 泣かされてないかい? 何かあったらすぐ言うんだよ、僕が守ってあげるからね」 「大丈夫だよ。えへへ、いじめられても、僕負けなかったよ。やっつけてやったよ」 「僕は強い子だもん」と僕は言う。「綾時の子だもん」と。 綾時はぎゅっと僕を抱き締めてくれて、「うん、頑張ったね、えらいね、強いね」と誉めてくれた。 ああ、週に一度のこの日の為に、僕は今生きているんだろうなって思う。 本当は綾時が、僕のお父さんが愛してくれる『望月栄時』って子供はもうどこにもいないけど、僕は精一杯幸せな子供のふりをする。 綾時が今だけでもまた僕を愛してくれますようにと祈る。何にかは分からないけど。 たまに僕はこの人を騙しているような気分になってしまって、すごく憂鬱になることがある。僕は名前も貌もない、化け物を飼うためのケージでしかないけれど――いや、もしかしたらもう僕自身が化け物なのかもしれないけれど、もう何も持っていないけど、綾時のことが好きだって感じるこの気持ちだけは、どうか、誰も奪わないで欲しいって、思う。 この人は、ほんの僅かな間だけど、真っ暗な夜の中にいる僕を照らしてくれるひかりなのだ。 ◆◇◆◇◆ ときどき、ぼくはお父さんのあの大きな手で首をしめられて、そのまま死ねたらなと思います。 そのあとでお父さんがぼくのからだをまるごと、かみのけ一本のこさないでたべてくれたら、そしたらぼくはお父さんがいつかぼくのことをわすれてしまっても、ずっとずっとそばにいられるのにな。 最近息をしていると、ぼくはひとりなんだなと思います。ぼくのからだのまわりにはいつもだれかしらがいるのに、ぼくはずうっととおいところからみんなを見ているような気分になります。大好きな人も、きらいなひともそうです。けっきょくみんな、好き勝手にぼくからいろいろ取ってくだけなんだって思います。もう、ぼくにはどうでもいいです。 ただ、だいすきなお父さんのことを考えた時だけ、すごく息がくるしくなります。 お父さんはこんなぼくを見たら何ていうかな。おこってくれるかもしれないし、きらわれるかもしれません。 ほんとは、ぼくはむかしみたいにお父さんとなかよしのトモダチみたいでいたいけど、それはもうしょうがないことだと思います。 ぜんぶ、ぼくが悪いです。ぼくがいろんな答えをまちがったせいで、こんなことになったんだと思います。 ぼくはお父さんが大好きです。むかし家族三人でとった写真を見ると元気になって、楽しかったことを思い出して、どんなつらいことでもガマンできます。 でもぼくは、お父さんに会いたいなって思うのと反対に、お父さんに会うのがつらいです。ぼくの顔を見せるのが、はずかしくてたまりません。 ぼくには目もはなも口もないです。むかしぼくにちゃんとした顔があった時は、お父さんはぼくを見てうれしそうにわらってくれました。ぼくは、その顔を思い出すたびに、焼かれてしまいたいと思います。 あの人は今のぼくのほんとの顔を見たらなんていうかな。うちの子じゃありません、うちの子はそんなヘンなのっぺらぼうじゃないよって言われちゃうのかもしれない。 ほんとに僕はおやふこうものの子どもです。生まれてきてごめんなさい。 いつかお父さんが、さいこんして、あたらしい子どもを作って、その子をちびくんってよんで、今度こそしあわせになれますように。 ぼくはその時、お空のお星さまになって、お父さんをふしあわせにするぼくみたいなものから守ってあげたいと思います。 それがぼくの夢です。 『ぼくの夢』 2年F組 黒田栄時 (※不可)(※チェック済) (要廃棄、差替用の作文を用意すること。これ間違えて提出しないよーに!(幾)) (申し訳ありませんでした。すぐに書き直します。(01)) |