たりで過ごす24時時間(4)




 僕はもしかしたら、ちょっと自惚れても良いのかもしれないぞ、と思った。
 昨日の夜はあんなに今日が来ることを怖がっていたのに現金なもんだと思うけど、今の僕はフワフワしていて、浮ついていて、大声で笑いながらそこら中の人の手を握って回りたいような気分だったのだ。
 栄時くんは、多分だけど、僕を拒んではいないんだと思う。そしてちょっと僕に都合の良いふうに考えると、僕のことが好きになってくれているのかもしれないのだ。
 だって清純で、おしとやかで、天然で、ちょっとばかりじゃないくらいニブい栄時くんが、キスを赦してくれたのだ。身体に触ることや、手を握ることなんかも。
 僕はどうしようもないくらい舞いあがっていて、ついにやにやしてしまっていた。栄時くんに「締まりのない顔」って呆れられちゃうくらい。
「……お前はいつもへらへらしてるな。まともな顔はできないのか」
「ごめん、今は、無理だと思う……あの、嬉しくて、ほっとして、ああもう、よかったぁあ……君にふられなくって! 僕ほんとにほんとに、君に嫌われたら死んじゃうとこだったんだよ!」
「え……そ、そう、なのか?」
「そうだよ!」
 僕は想像する。栄時くんに「嫌い」なんて言われちゃったら、僕の世界はお先真っ暗の闇の中にずぶずぶ沈んでいくだろう。ごはんも喉を通らず、なんにもやる気を無くして、例の無気力症とかになっちゃうかもしれない。ほんの少し前の僕みたいに。
 栄時くんはなんだかちょっと引き攣った顔で、「お前って結構激しい奴なんだな。意外」とか言っているけど、別に意外でもなんでもない。誰かに恋をするってことは、そういうもんなんじゃないのかな。
「……まあ、良かった。自殺とかされなくて。遺書に黒田にふられたせいで死にますとか書かれてたら目も当てられない」
「し、しないって、そんなあてつけみたいなこと」
「うん。……その、これからどうしようか。変な時間に飯食っちゃったから腹は減ってないけど」
 栄時くんが顔を上げて、目を眇めて空を見た。日は沈み掛けていて、仄かに青く光る紺色の空が広がっている。ちょうどビルの群れの遥か向こうの地平線に、一日の最後の光が灯ったところだった。
 もう随分遅い時刻になるのかなと思ったけど、時計を見たらまだ五時だ。最近は本当に夜が来るのが早い。
 栄時くんはちょっと『どうしようかな』って感じで首を傾げて、上目遣いに僕を見た。
「その……カラオケでも行くか? 別に、今日はお前に付き合うって決めてるから、オールでも構わない」
「うーん……やっぱ、でも、だめだよ。今日はもう帰ろう。ちゃんと日が沈む前にね。送るよ。夜遊びしちゃ駄目だよ。みんな心配しちゃう。また明るいところで遊ぼう」
 僕は栄時くんの手を引いて歩き出す。栄時くんは変な顔をして、「二十四時間じゃなかったっけ」と言っている。
「ああ、そう言えばお前は昨日あんまり寝てないんだな。その……済まないな。引っ張り回して」
「僕が望んだことだよ。全然元気さ。……あの、君は楽しかったかい?」
「……ああ」
「そっか。そりゃ良かったよ」
 僕は笑う。すごくほっとしていた。
 栄時くんは、夕日が目に染みたのか、ちょっと眩しそうな顔になった。
「悪いな。その……僕、良く言いかたが冷たいとか、無慈悲だとか、血管に血のかわりにラムネが流れてるとか……」
「……順平くん? それ」
「ああ。言われるんだが、――怖がらせてしまったならすまない。別に、そんなつもりは無かったんだ。一昨日だって、そりゃびっくりしたけど、怒ることはなかったんだ。……ごめん」
「う、ううん。あれは僕が全面的に悪いよ。その、が、我慢できなくって、君にひどいことした」
「い、いや。……今日、ちゃんと寝れるか? なんかまた僕が怖くて目が覚めたりするかもしれないけど、その……僕は、お前のこと嫌いじゃないからな」
 栄時くんは、どうやら朝僕が言ったことを大分気にしてしまっているらしい。ちょっとまずったなあ、と僕は具合悪い気分だった。あんなこと言わなきゃ良かった。
 夢の中ででも、誰かにすごいショックを与えたんだっていうのは、居心地悪いことだろう。ただでさえ栄時くんは優しい子なのだ。
 僕はなんとかフォローしようと思って、「じゃあ怖い夢を見て起きちゃったら、僕がまた眠るまで君が子守唄を歌ってよ」と冗談めかして言った。
 栄時くんはきょとんとして、それから良く分かってなさそうな顔で「ああ」と頷いて、困ったふうに、「悪いんだけど、僕子守唄知らないんだ」と言った。
「普通の歌じゃ駄目か。……ああ、でも「この畏れを焼いて」とか「みんなのよくのとも」とか唄われてもなんか寝付きにくいよな……」
 すごい真面目に悩ませてしまった。僕は慌てて、「じょ、冗談! 怖いなんて思ってないよ!」と言った。……ちょっと栄時くんの歌は聞きたかったけど。
「君のこと怖いなんて思ってないよ。それに、眠いからとかそんなじゃなくて。僕、ちゃんと早い目に君をうちに帰したいの。僕は真面目に君が好きで、だからすごく大事にしてるんですって、君のご両親にも分かってもらいたいんだ、なんて、」
「うち親いないけど」
「でも君、すごくご両親大切にしてるじゃない。子供の頃の言い付けちゃんと守って、お父さんやお母さんの話をする時だって、なんだか嬉しそうだもの」
「……そうかな。なんかそんなこと言われたのは初めてだ……というか、なんか、意外」
「え?」
「お前って、ものすごい手が早いっていろんな奴に聞いてたから、デートっていうか、まあそういう時に普通のこと言ってると、なんかおかしいな」
「……君は僕をどういう目で見てるの……」
「女たらしの口説き魔。一年の女子に声掛けてるかと思えば、一瞬後には三年の先輩口説いてる。お前の女好きはもう病気だ。この先誰かお前と付き合う子がいたとしたら、きっとすごく苦労するんだろうな」
「うぐ……」
 ひどい、あんまりだ、と言おうとしたけど、僕が女の子を見付けた時に声を掛けないでいられるかって言えば、答えは『無理です』なのだ。栄時くんは、冷たいことを言う割に面白そうな顔でにやっとして、「やっぱりお前はそういうキャラのほうが似合ってるよ」と言った。
「無理はするなよ」
「し、してないよ! ほんとにほんとに君が大事で、だから」
「……うん。それは、わかったから」
 栄時くんはほっぺたを赤くして、ちょっと俯いて、「知ってるよ」と笑った。
 ――そういうのは反則だ、と僕は思った。ああ僕はほんとにほんとにこの人には敵わないや、と思った。
 この子は自分では気付いてないんだろうか。自分が今どんなに可愛い顔をしてるかってことを。僕の惚れた欲目とかそんなんじゃなくて、どう見ても『今、現在進行形で恋をしています』って顔をしているのを。
 それもさっき、僕らが公園で二度目のキスをしたくらいから。ぱあっと花が開くような感じでだ。二人きりの時にこんな顔をされたら、これはちょっと自惚れちゃいもするだろう。
「……絶対、君に僕のことが好きだって言わせてみせるからね」
「なんだ、急に強気」
 そりゃ強気にもなるよ。君は自分の顔を鏡で見てみるべきだって思う。そんなに真っ赤で、僕のこと好きだよって顔をしてくれているのに。
 栄時くんは肩を竦めて、頷いた。
「……ん。じゃ、今日は帰るよ。了解。大事にされてやる」
「うん。先にも時間はたくさんあるからね。まだその時じゃない。それに、どうやら君は明日からも僕にチャンスをくれるみたいだから」
「……そうだっけ」
「焦らないでゆっくり口説くよ。僕も我慢がきかない子供じゃないからね」
 僕が笑い掛けると、栄時くんは恥ずかしそうな顔で頷いてくれた。
 ふと、僕の顔をじっと見つめる。また、あの顔だ。眩しい光を見たような顔。
 あんまりじいっと熱心に見つめられるものだから、僕はなんだか妙に照れてしまいながら、でも嬉しくて、またにやにやしてしまう。
「もしかして、僕に見惚れてくれてた? 見込みはありそうだって期待してもいいのかなあ」
「望月、」
 『なんだそれ』って顔になった栄時くんが、急に顔を強張らせてぴたっと足を止めた。
「うん? どうした……の……」
 僕も足を止めて、辺りを見回して――真っ赤になった。
 僕らが今ふらふら歩いているのは、『そういう』場所だったのだ。まだ薄明るいけど、周りはカップルばっかりで、ぎらぎらしたネオンが、もう控えめだけど点灯しはじめている。
 白河通りだった。ラブホテルやキャバクラやアダルトグッズショップなんかが、風俗の見本市みたいに立ち並んでいる。
――あ、あ、あ、い、いやその」
 栄時くんがじーっと僕を見上げている。僕はものすごく慌ててしまって、「いやその違うから、そういうんじゃなくて、変なことは考えてなくって」と、言い訳にもならない言い訳をしてしまう。
 本当にそういうつもりじゃなかったのだ。確かに夜までになんとしてでも栄時くんを口説いて、ここ白河通りや、もしくは僕んちで、二人っきりで、僕が彼のことをどれだけ好きかってことを身体でも分かり合いたいなって考えてなかったわけじゃなくて、いや考えていたけど、今は違うのだ。本当に違う。
 僕は栄時くんを大事にしなきゃならないのだ。この子は僕が思ってたよりもずっとピュアで穢れない人だったんだから、そういうのはまだ全然早いのだ。また変なことになって、嫌われたらどうしよう。
「そ、そういうんじゃないから。違うよ。た、たまたま通り道だっただけで、下心なんてほんとにないから。僕、君のこと大事にするって決めたんだ。困ることはしないよ」
「……ん」
 栄時くんがちょっとほっとしたように頷く。僕は誤解されなくて良かったってすごくほっとしたのと同時に、結構ながっかり感を味わっていた。
 何かの間違いでも、もし栄時くんが頷いてくれてたら、僕らは今からホテルに部屋を取って、一緒にシャワーを浴びて、ひとつのベッドで抱き合って――
「だ、ダメだよね?」
 僕は目をぎゅっと瞑って、栄時くんの手を握って、だめもとでそんな往生際の悪いことを言ってみた。
 案の定、栄時くんは「ダメ」って首を振った。
 でもちょっと笑っている。『もうこの子はしょうがない子だ』っていう、聞き分けのない子供を持ったお母さんみたいな顔だった。
 僕が見惚れてぽけっとなっちゃうくらい、綺麗だった。
「……もうちょっと、ゆっくり口説けよ」
 そうして、僕の頭を撫でる。僕は「うん」と頷くことしかできなかった。
 そう、大事にするのだ。大事に大事に、僕は栄時くんが良いって赦してくれるまで、ちゃんと待たなきゃならない。紳士になれ、望月綾時。しっかりしろ。
「望月」
 そうしていると、栄時くんが僕の手を取った。
 どうしたのかな、って思ってると、急にその衝撃はやってきた。
「え」
 栄時くんが、僕の手の甲に、まるで王子様がお姫様にするみたいなキスをしたのだ。
 彼はひどく狼狽している僕を見て、はにかんだ顔でうっすら笑った。
――また、僕と遊べよな」
「はは、は、はいっ……よ、よ、よ、よろ、こんで、」
 僕は絶望的なくらい、真っ赤になった。





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