091122




 風花の回線を乗っ取ったあの子の声が聞こえる。「きて」と言う。
 正直言って、オレにはなにがなんだかサッパリわからなかった。なんで今更オレ達を消すだとか言い出すんだ。なんであんなとこにいるんだ。病院にいたんじゃなかったのか。――なんで急に、あの日オレに会いたくないなんか。
 オレにはあの子の心ってもんがサッパリわからなくなっていた。





 タルタロスの扉の前に立っているチドリを見て、今更なんだけど、ああこの子はマジでペルソナ使いなんだと思った。思えば枯れた花を生き返したり、風花の通信網を乗っ取ったりしてるトコは見てた。
 でもこの子がなんかを傷つけてやろうって顔をしてるトコを、その時オレは初めて見たんだった。好きな子が、オレのことを殺してやろうって顔をしてるとこなんざ、正直見たくなかった。
「チドリッ……どーいうことなんだよ! 説明してくれよ! オレら、なんにも戦う理由なんかねーじゃねーか?! でかいシャドウはみんないなくなっちまって、オレらだって何やったら良いのかわかんねーで、なんで今なって戦わなきゃなんねんだよ!」
 オレはどっかで、チドリならたぶん話したらわかってくれると思っていた。あの子にはちゃんと心があって、ほんとはいい子で、笑顔が可愛くて、どうやらオレがこっそり看護婦さんに頼んで差し入れしてた京都土産の生八橋も食ってくれてたらしくて、――そろそろちゃんと仲直りしてェなあ、どうすりゃいいんだろって考えてた時にコレだ。
 チドリは、オレの声なんか全然お構いなしって感じで、ごつい鎖斧をぶん投げてきた。反射的に、危ないとこで避けたオレを見て、チドリは忌々しそうに舌打ちしている。彼女は、本気で、まじりけなく、オレを殺っちまおうとしているのだ。
 好きな子に殺されるって考えると、身体の芯の方がひやっと冷えた。





「どけ、順平」





 一瞬動けなくなっていたオレを突き飛ばすようにして、黒い影がチドリに躍り掛かっていく。オレは、「止めろ!」と叫んでいた。
 そいつにかかっちゃどこの誰であれ、シャドウだって何だってただじゃ済まない。オレが知ってるペルソナ使いの中じゃ、悔しいことにトップの実力を持った、最強さんだ。
「エージ、止めろって! チドリはオレが説得する! ぜってー分かってくれるって!」
 相変わらずフリーダムな耳をしているあいつには、オレの声なんざ聞こえちゃいないようだった。構わずに細味の剣でチドリに斬りかかっていく。
 ぎらついた白い光が、シャドウへ振り下ろされる時と全然変わらない勢いと正確さで、チドリの額へ収束されていく。躊躇いはミジンコほどもない。
 おい待て。お前は本気で人を殺す気か。シャドウじゃない、人はそんな刃物で頭引っ叩いたら死んじまうんだぞ。消えちまうんじゃないんだぞ。わかってんのか。
 チドリが斧で剣を受け、二人は押し合いながら拮抗する。ここは馬鹿力のエージの剣を受け止めるチドリに唖然とするべきなのか、チドリの重たい斧をほっそい剣で受けちまえるエージにビビればいいとこなのか、わからん。
 そう言えばこいつらはほとんど初対面で、エージは『敵』のチドリしか知らねーのだ。あいつの頭の中では、チドリはあの子を捕まえた時のまんまのアブねーやつ認識でしかない。でも、なんとかエージに「あの子は悪い子じゃねー」って理解させようにも、ふたりで武器を擦り合わせたままじゃどうしようもない。
 チドリが鎖でエージの剣を絡めとろうとして、それを悟ってエージが後ろへ退いて距離を取った。斧が、今までエージの頭があった場所を、空気を斬る音だけ響かせながら、むなしく通り過ぎていく。……今更だが、今チドリは本気でエージを殺そうとしてた。
 チドリが、エージに斧を突き付けた。エージも彼女に剣を突き付ける。
 そこには人間同士の殺意がある。二人とも、相手を殺してやろうってギラギラした目をしている。ちょっと待て、ストレガのチドリはともかく、なんで一般人で普通の高校生のエージが殺気放ってんだ。おかしいだろそれ。
「お前、来ると思ってた」
「お前が来いって言ったんだろ」
「私を殺しに来たんでしょ」
「お前は俺を殺すつもりらしいな」
「私のせいにしないでよ、バカ」
「今更言い逃れかよバカ。死ね」
「お前が死ね。ジッパーに前髪巻き込まれろ」
「お前こそドアにモミアゲ挟まれろ」
 なんでお前らほぼ初対面のくせにそんな息ぴったりに喧嘩はじめてんだ。
 ていうかエージ、お前なんかいつもとキャラ違うぞ。いつものお前はもっとこう、何を言ってもムカツクくらいスルーする宇宙人だろうが。なんで食い付いてんだ。なに小学生の罵り合いみたいなことやってんだ。
 それにしてもこいつら、やる気無さそうな顔つきがそっくりだ。実は兄弟とかじゃないのか。
 そうしているうちに、他のメンバーもやってきた。
 みんなはチドリと、そしてその奥、タルタロスの扉のすぐ前にいる人間を見て、息を呑んだ。
「ストレガ! あいつら二人、生きていたのか?!」
 チドリに気を取られて気付かなかったが、もうじき十一月末になるってのに、相変わらず半裸の狂った格好のやつがひとり、ズラが半分ずれてるみたいな頭のやつがひとりいる。ストレガのタカヤとジンだ。こないだ海に飛び込んで心中したと思ってたのに、あんだけ高いところから飛び降りて、信じられないことに生きていたらしい。
 タカヤは相変わらず得体の知れない態度で、「私は運命に選ばれたのです」とかわけのわかんねーことを言っている。





「私にはまだやるべきことがある。やらなければならない。そしてこの世界もまた、私を必要としているのです」





「ネクラ。アホ。腰抜け。貌無し名無し、考えなし。甲斐性もなし。いいとこもなし」
「ロンゲ。バカ。ケバい。吸血鬼、異常者、フランケン。馬鹿力。男の中の男」





「世界は私の死を望まなかった。私は生かされた」





「お前まさか自分が上手く人間のなかにまぎれ込めてると思ってるの? お前が地球を征服しにきた異星人だってのはみんな知ってんだよ。ネタは割れてんだよ。もうおとなしく宇宙へ帰れ。仲間のところへ帰れ。星になれ」
「黙れゴリラ。動物園の檻へ帰れ。もしくは野生に帰れ。アマゾンへ帰れ。ジャングルで涎垂らしながら半笑いで虫でも食ってろ。二度と俺の前に顔を見せるな」





「ですから……」





「この宇宙人が、お前チビのくせに生意気なんだよ。絶対その首切り落として生首でサッカーしてやるからな」
「できるもんならやってみろ。お前は俺より弱いんだよ。消しゴムのカス背中に入れてやろうか」
「そっちこそパンツにドジョウ入れてやろうか。もう泣き叫んでも許してやらない」
「それはこっちの台詞だ。この俺に逆らったらどうなるか思い知るがいい」





「……ジン……」
「あーも、そこやめえて! 喧嘩しなって! 今タカヤがなんやカッコエエこと言うてるとこやろ?! 黙って聞いたりいや! しょんぼりしてもーたやがな!」
「うるさいハゲ」
「黙れハゲ」
 斧と剣をガンガン打ち合わせながら、忌々しそうに殺し合いをしていたチドリとエージが、声を揃え、ほとんどおんなじ動作で振り返り、ストレガのジンを睨んだ。
 キャラカブってんなこの二人とは思ってたが、まさかここまでとは思わなかった。そっくりだ。
 ていうかエージ、お前は一般人なんだからストレガとカブっちゃダメだろ。なんかあいつを普通とか言うの自信ねーけど。
――!」
 ふたりの得物がぶつかり合った拍子に、弾けて、お互いの手から零れていく。充分な殺傷能力を持った凶器が、思ったよりも軽い音を立てて地面にぶつかり、転がっていく。
 チドリが、バランスを崩しながらもエージの首に掴まるように取り付いて、絞め上げる。女の子の細腕のどこにあんな力があるのかってびっくりしちまうくらい、すごい握力だ。エージの足が半分浮いている。
 今までの騒々しい殺し合いが嘘みたいに、静かになっちまった。でもチドリは相変わらず殺す気満々だ。エージの腕がだらんと下がる。
「チ、チドリ! 殺しちゃダメだって!」
 オレは叫んだ。慌ててふたりを引き離そうとして、そろそろ息できなくて顔面蒼白になってるだろうエージに「大丈夫か」って声を掛けて手を差し伸べてやろうとして、唖然とした。
 エージの唇が歪んでいた。相変わらず暑苦しい前髪が掛かって、表情は見えないが、口の端を曲げて、あいつは笑っていたのだ。首絞められて殺され掛けながら。
 チドリのほうは、まったく無表情だった。能面みたいな顔をしていた。でも二人ともが真っ白な顔つきをしている。血の気ってもんがない。
 チドリが薄い唇を開いて、感情のない声で言う。
――怖いのは、死ぬことじゃない……」
「怖い、」
「私が怖いのは、」
「そんなふうに感じるのは、弱い人間だけだ。俺は違う。怖いのも、痛いのも、苦しいも悲しいも、楽しいこともなんにもない。だって僕は、」
「……お前、なんなの? なんでそんなに――
 チドリが忌々しそうに眉をきつく顰める。
 エージのにやにや笑いが深くなる。あいつの唇が微かに動く。




「怖がった。見たぞ。――お前も、」




 
 機械で作ったみたいな、あったかみのない声だった。





「もういらない」





 チドリがはっとしたように、目を見開いた。そして、嫌いな虫を払い除ける小さな女の子みたいな動作で、エージを力いっぱい放り棄てた。
 あいつの、小柄だが一応男子で、間違いなくチドリより体重のある身体が、軽々吹っ飛んでいく。
 地面に激突する前に、エージの身体は横から伸びてきた腕に絡まって、勢いを殺されて止まった。アイギスだ。エージの安全第一なアイギスが、あいつを受けとめたのだ。
「栄時さん、ご無事ですか」
 エージが何度か頭を振って、打ち付けたのか額に手を当ててうめき、顔を上げた。オレは、なんか変な気分になった。そこにはいつものぼんやり顔がある。さっきのぎらついた「殺してやる」って目は、急にふっとどっか行っちまってた。
――アイギス? ここは……タルタロス? 俺は何故、ここに……」
 エージは訳わかんねーって感じで、あたりの景色と、オレらと、ストレガと、チドリを見比べて、驚いたように「ストレガ」と呟いた。「生きていたのか」と。お前今更なに言ってんだ?
 あいつはそれから、訝しそうに半分目を眇めてチドリを見て、『知らないやつがいる』って顔になった。
「彼女は誰だ?」
「……ストレガ構成員、チドリと名乗る人間です」
「ああ、彼女が……」
 エージは、いつのまにかすごく『いつもどおり』だった。さっきの『エージらしくねー』はいっぺんに消え失せちまってた。ほんの今までチドリと殺し合ってたことも『なにそれ』って感じらしい。
 あいつは落ちてた自分の剣を拾い、やる気なさそうにぶら下げて、他人行儀で初対面の相手に対する態度でチドリに向き合った。
 そこにいたのは、『ストレガが捕まったらしいけど、わざわざ見に行くのもめんどくさい、どうでもいい、パッション無さすぎなリーダーさん』だった。正常な反応だ。これでこそエージだ。でもなんか、なんかすげー気持ち悪かった。
 オレはそん時、ひさしぶりに『こいつ怖い』と感じた。大分得体の知れなさが薄らいできたとこだったのに、やっぱりすげー気持ち悪かった。お前そんな『今気付いたらここにいました』って顔して、じゃあさっきまでのお前は一体誰だって言うんだ。
「病院から逃走して、こちらの回線を乗っ取り、俺たちをここへ呼び出した訳を聞かせてもらう。場合によっては、俺たちは君と戦う。順平、いいな」
「……誰? お前、」
「顔を合わせるのは二度目だな。黒田栄時だ。S.E.E.Sの現場リーダーを任されている。ストレガのチドリ、悪いが君たちを拘束させてもらう。今更なにが目的で動いているのかを聞かせてもらいたい」
 チドリが眉を顰めて、わけわかんなさそうにしている。うん、オレもわからん。
 いろいろなことへの解決案として、この得体の知れねーリーダーをストレガにやるから、かわりに君がこっち来ればいいんじゃねーかな。あ、ダメだ。エージが敵になんかなっちまったら、オレら全員束になってかかったって、逆立ちしても勝てねえ。
「……拘束? お前が? なにを言ってるの。おかしいよ。……順平? いやだ、こいつ怖いよ、」
「俺が、怖い?」
 エージが『えっ心外』みたいな顔をして、一瞬呆けて、首を傾げた。なに意外そうな顔をしてんだ。お前は怖えよ。すげー気持ち悪ぃよ。今はじめて言われましたみたいな顔をすんな。自覚無かったのか。
 にしても、変な感じがする。このチドリの怖がりっぷりは異常だ。どうしたってんだ。
 チドリン、エージは確かに怖いが、手ェ出さねえ限り噛みついてきたりはしないよ、多分。
 チドリはかたかた震えながら、まるですげー恐ろしい化け物からオレを庇うみたいな格好で、両手を広げてエージの前に立った。
「変だよ、お前、何を企んでるの。やめてよ。順平に近寄らないでよ、なにする気なの」
「……は? 君が何を言っているのか、理解出来ない。そりゃ順平はむかつくが、別になにもしない。仲間だ」
 エージが困惑している。まあするだろう。ていうかお前今むかつくとか言ったな。覚えとけ。
 しかしなんでチドリはこんな怖がってんだ。なにに怯えてんだ。
「そちらが攻撃してこない限り、危害は加えない。約束する。武器を棄ててくれ。――さあ、」
 エージが手を伸ばす。チドリが、猫に追い詰められたネズミみたいな、やけっぱちになったふうな動作で斧を突き出す。
「!」
「栄時さん!」
 危ないとこでエージは避けたが、中空に置き去りにされたあいつのプレイヤーが、重い斧に引っ叩かれて、ストラップごと引き千切られて飛んでいく。
 その瞬間、エージのやつは、まるで自分の身体をぶった斬られたような顔になった。
――あ」
 オレが前にプレイヤーを取り上げて苛めてやった時とおんなじような顔つきだ。いや、もっとひどかったかもしれない。あいつは真っ青になって、泣きそうに顔を歪め、頭を抱えて蹲った。お化けを怖がる小さい子供みてーに震えている。
「あああ、」
「あ……」
 チドリが気後れしたふうに、エージに向かって手を伸ばした。まるで、仲良しの友達にひどいことしちまったことに気付いて、慌てて謝ろうとするように。
 でも彼女の手が誰かに届くことはなかった。
 ストレガだ。あいつらの声が聞こえる。
「怖がりチドリ」
「君ももうダメですね」
 オレは、それを知っていた。前にもそういうのを何度か見た。
 拳銃だ。アレが誰かに向けられると、いつも決まって誰かが死ぬのだ。
 他の誰に向けられたって、オレは悲壮な傍観者だった。でも彼女だけはダメだ。オレは両手を広げてあの子の前に飛び出した。
 なんにも考えてなかった。そういうもんだと思っていた。オレはあの子の前でだけは、エージなんか小指で捻れるくらいに強え最強ヒーローでいたかったのだ。





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