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一番愚かな王様 寮に帰ると、三年の先輩がたがラウンジのテーブルの上に資料を広げて、黙々と目を通していた。分厚い書類の束はちらっと見ただけで、普通の高校生のオレなんかお呼びじゃねーくらいそりゃもう難しそうなオーラを放っていた。おおかた桐条先輩の仕事関係のアレなんだろーなー、とオレは見当を付けた。真田さんも手伝わされて大変だ。 と、思っていたら、真田さんだけじゃない。ラウンジの奥からノートパソコン抱えた風花と、人数分のコーヒーカップを抱えたゆかりッチが出てきて、「ちょっと休憩どうですか」とか言っている。ヤベェな、これオレもめんどくせーこと手伝わされんじゃねーの。 こんなことならエージにくっついてリョージの見舞いに行けば良かったと、オレはげんなり考えた。お邪魔かもー、とか気ィ利かせて損した。お邪魔もなにも、あの本命には奥手クンのへタレと超朴念仁が男同士で二人きりになったからって何かあるわけでもねーだろう。 ゆかりッチが「おかえりー」と軽く手を上げてオレを迎えてくれた。それに続いて、風花と先輩がたも顔を上げて、「ああおかえり」って感じになる。 「伊織、帰りにアイギスを見なかったか」 「アイちゃんスか? いや、見てねッスよ」 「……そうか。最近の彼女は妙に自律的というか自発的というか、フリーダムだな」 「飼主のフリーダム癖がうつったんじゃねッスか? というか、何スかソレ」 ああ自爆かもしんねーとは薄々感じながらも、なんとなくスルーしづらいので、空いてるソファに座って書類を覗き込んだ。真田さんが「押収文書の保護だ」と答えて、何のことかわかんねーオレに説明してくれた。 「どうやら以前押収した幾月の遺した文書が、何者かに狙われたらしい。安全な場所へ移動させるまで、こちらで一時的に預かることになった」 「またあいつらの仕業じゃねんスか? ストレガ」 「だろうと俺も思う」 適当に紙の山の上の一枚を取って見ると、真田さんに「散らかすな」と怒られた。心外な。 「大型シャドウ捕食記録……またこりゃ、電波な内容ッスねぇ〜」 「しょーがないでしょ、お電波さんの書いた文なんだから。これ私達が騙されて戦わされた大型シャドウの記録だよね。零番フール、壱番マジシャン、弐番プリーステス、――あれ」 「どしたー、ゆかりッチ」 横っちょから覗き込んできたゆかりッチが、「おかしいな」って顔で首を傾げている。 「倒したのって、十二体だったよね? なんか十四体分データがあるんだけど」 「幾月が最期に言ってた『デス』とか言うやつじゃないのか?」 「ソレ入れても十三体ですよ。ほら、『マジシャン』があの、黒田くんのペルソナ覚醒の日に襲ってきたやつじゃないですか。一番はじめの欄にある『フール』って見たことあります?」 「大型シャドウだって気付かずに倒しちまってたんじゃねえの? その、前の三月の満月とかに」 「いや……愚者のシャドウを見たことはなかったはずだ。美鶴」 「ああ。シャドウとペルソナは、魔術師から刑死者までしか存在しない。何故かは知らないがな」 「死神タイプはいるじゃないですか。あのおっかねーやつ。刈り取る者」 「というか黒田くんは、愚者から刑死者以降の審判までもガツンガツン使ってますよね。ペルソナ」 「……まあ、あいつは特殊な例だと思おう」 「多分人間じゃねーんスよアレ。宇宙人だから」 オレらが見たことない『フール』のシャドウの欄には、赤いペンで『母胎』と書かれていた。なんだこりゃ。 「桐条先輩、シャドウにもママっているんスか? なんかここ、『母胎』って」 「さあな。倒し方は知っているが、作り方は分からない。十年前の爆発で、機密文書が焼けてしまったからな。もしかしたらどこかに、シャドウの母胎となるものが残っているのかもしれないが、――もしそうなら楽だな。そいつを倒せば、もうシャドウは生まれない。残りを片付ければ良いだけだ」 「でも倒しちゃダメって……」 「そこがわっかんないのよねー……。『食い合ってひとつになる』って、どういうことなのか全然わかんない。ひとつになって、で、今まで倒したやつはどこに行っちゃったの、って」 オレらはダラダラダベりながら――目的ってもんがハッキリしてねーとダラけちまうのは、オレだけじゃなくてみんなそうなのだ。いつもきびきびしてる桐条先輩も真田さんも、心なしかだるそうな顔をしている――書類の仕分けをする。 「ただいま。帰りました」 そうしていると、コロマルと散歩に行ってた天田が帰ってきた。どうやら例のコロマルの散歩コースに付き合って歩いてたらしく、随分疲れているみたいだ。「お前はタフだな」とコロマルの頭を撫でて、感心したように言っている。 「あれ、どうしたんですか?」 「ん、負の遺産をね、処理してるとこ」 「大人って汚いんだよー、乾ちゃんは眼鏡ウェーブで心の汚いオッサンとかなっちゃダメだから。いつまでも天パで愛くるしいお前でいてくれ」 「幾月さんの遺書ですか?」 天田が首を傾げて寄ってくる。ちっちぇえ身体でソファの狭い空きスペースに座るのと同時に、桐条先輩が急にさっと顔を険しくして、立ち上がり、カウンターの奥へ消えていく。 どうやらどっかに電話を掛けているようだが、いまいち良くわからない。 「何か気になるものでもありました?」 「ん? あーダメ、全然ダメ。お電波さんなアレばっか。て、あ、ヤベ……」 『お手上げ侍』って手を上げてやった拍子に、ファイルの山を崩しちまって、今まで懸命に片付けをやってたらしいみんなに揃って『この野郎』って顔つきで、「あー!」と声を上げられてしまった。……マジすんません。 「て、え?」 「なにこれ」 崩れた拍子に、ファイルが開き、写真で埋め尽くされたページが現れた。 オレらは唖然とした。 ファイルを何ページにも渡って埋めているのは、一人の人間ばっか写った写真だった。オレらの良く知っている人間の姿がそこにあった。 エージだ。 寝てるとこ、飯食ってるとこ、ヘッドホン耳に当ててうつらうつらしてるとこ、月高の制服着てるとこ、というか着替え写真(女子が真剣にガン見している。なんだかなって感じだ)、いろんな写真が何枚も何十枚も、悪けりゃ百枚単位でファイルに挟まれていた。 「……理事長ってエージのストーカーだったんスか?」 今更だがエージは可哀想な男だ。不特定多数の男に告られ、唯一あいつが心を許した(と思える)男も実はあいつにフォーリンラヴで、今度はストーカーまで付いた。独身のイカれたオッサン(故人)が。 「これは……リーダーが知ったら、落ち込んじゃいますね。良かったですね、幾月さんがいなくなってから見つかって。じゃなきゃ絶対あの人泣きながらこの寮を飛び出しちゃってましたよ」 「黙っててあげるのが優しさ……なんだよね……」 「ちょ、どーすんだよ……遺品のなかにエージの使用済みの下着とか、使い掛けのリップとか、マイ箸とかあったら」 「没収に決まってるでしょう。僕が責任持って管理します」 「天田……お前はまっとうな大人に育ってくれ……」 オレらはげっそりしながらエージの写真で埋め尽くされたファイルのページをパラパラめくっていく。 そしてファイルの表紙に貼り付けられたラベルに、また驚かされることになる。 「……『母胎、人型零番シャドウ『フール』成長記録ナンバー11』?」 「は?」 「なにそれ?」 いきなりそう来られても、オレらはぽかんとするしかない。 「エージがシャドウってか?」 「ああ……」 「なるほど」 「実はそうじゃないかと思ってました」 「だよな。あいつが人間のわきゃなかったよな」 「…………」 「…………」 「ま、まあ冗談は置いといて」 「いやゆかりッチ、オレっち九割本気なんスけど」 「あ……あの、実はこの前、寮に残ってたデータを復元してた時にも、そういう表記があったんです。リーダーが、その……でもちょっと考えたらおかしいなって」 「まあね。イッちゃった中年より天才カリスマ漢だよね」 オレらは一瞬混乱してしまったが、なんとか笑い飛ばすことに成功した。あのオッサン本気でしゃーねーなと腹が立ってきたとこで、桐条先輩が戻ってきた。 ゆかりッチが席を詰め、「お疲れ様です」と居心地悪そうに苦笑いしながら言う。桐条先輩は冗談を間に受けちまうお堅い(というか天然な)トコがあったから、エージがシャドウなんじゃねえの?なんて言ってるのを聞かれたら絶対お小言だ。間違いない。 「何かあったんですか?」 「ああ。桐条の孤児院に保護されていた子供たちの名簿を見付けてな。院長は幾月修司。約十年前のものだが」 桐条先輩が、薄っぺらい名簿を開いてラウンジのテーブルに乗せた。何十人分もの名前が、びっしり記されている。しかし幾月は孤児院の院長なんかやってやがったのか。ちっさいガキンチョどもにあのお寒い駄洒落を披露してたのか。なんか許せん。いろんな意味で。 先輩の細い指が、名簿の上の欄を示す。ああ美人は指まで綺麗なんだなって、オレは余所ごとを考えていた。チドリンすんません。 「子供たちは班ごとに分けられている。ひとつのグループは三、四名で構成されている。その中のA班、四人で構成されている、最も好成績のグループの子供たちの名前が、これだ。榊貴隆也、白戸陣、吉野千鳥……」 「『タカヤ』、『ジン』、『チドリ』? それって、ストレガの」 その名前を聞いた途端、オレの頭ん中は真っ白になっていた。反射的にラウンジのソファから立ち上がっていた。額に嫌な汗が浮いてきた。 チドリの名前を聞いたってのもある。でもオレがもうイッコびっくりしたのは、それだった。オレはその名前を知っているのだ。 真田さんが訝しそうに眉を上げた。 「どうした、順平」 「……リョージから聞いたんスけど。エージの奴、最近あいつの姉ちゃん死んじゃったって話を、リョ―ジの奴に零してたらしいんッス」 「彼、お姉さんいたんですね。あんまり傲慢だから一人っ子かと思ってました」 「あ、うん。なんか、姉弟そっくりだって周りから良く言われてたらしくてサ。同類嫌悪で仲は悪かったらしいんスけど、その姉ちゃんの名前が、その――」 口の中がからからだったが、オレはなんとか声を絞り出した。 「『ヨシノ』って」 桐条先輩が頷く。そして一度目を閉じ、ゆっくりまた開いて、名簿に目を落とした。 「ああ。名簿に記されている四人目のメンバーの名前は『黒田栄時』。彼らのグループの班長だ」 全員言葉を失った。誰もなにも言えない。 桐条先輩だけが冷静に――かどうかは知らんが――続ける。 「黒田栄時は十年前の事故で両親を失った。その後親戚に引き取られて、各地の学校を点々としてきたとある。孤児院に引き取られたという記録はない。――今しがた書類に今年の三月まで在籍していたとあった高校に問い合わせてみたんだが、同名の生徒は存在していなかったそうだ」 「……あいつ前のガッコってどこつってた?」 「エルミンじゃなかったっけ」 「え、セブンスじゃなかった?」 「その、親戚ってのは」 「……わからん。引っ越したのか、それとも元からなのか、記載されている電話番号に掛けても繋がらない。使われていないそうだ」 「……やっぱあいつ宇宙人だったんじゃねぇの? 地球を侵略しに来たんだよ。オレは知ってたよ」 オレは深い溜息を吐いて、ラウンジのソファにもたれた。相変わらずうちのリーダーさんは得体が知れない。影時間とかシャドウよりよっぽど訳分からん。 オレ以外みんなもおんなじような感じだった。ぐったりしている。 真田さんがソファから背中を離して、桐条先輩に「あいつは何してる」と訊いた。 「どちらにせよ黒田から話を聞かないことには始まらん。おい、あいつの携帯に、」 「連絡は入れたが、出ない。まだ部活中なのかもしれない。伊織、黒田の今日の予定を聞いていないか?」 「え? あ、ああ。なんか、リョ―ジが風邪引いたんが心配みてーで、見舞いに行くとか聞いたッスけど」 「君は行かなかったのか? 仲が良いのだろう」 「あ、ああいや、お邪魔しちゃ悪いかなーと……い、いや! オレっち用事あったんで、今日はパスって」 「彼、他人の心配なんかすんのね……綾時くんって、ほら、あれじゃない。うちの部員じゃないしさ、別にリーダーだから面倒見なきゃとかないじゃない。意外……ちょっと見直したかも」 「……あの、なんかこんなん言うのアレなんスけど、偶然じゃねッスか? あいつたまたま一時孤児院に預けられたことがあって、親戚んちだって、その、あいつうっかりモンなトコあるし、番号書き間違えたとか。あいつ確かに色々アレだけど、なんつーか、まぁ悪い奴じゃねっつーか」 オレはなんとなく、良くわかんねーままエージのフォローをしてやった。後で帰ってきたら貸しイッコだあの野郎。 いろいろ得体の知れねーとこはあったが、一応エージはまあ、本気で悪いやつではないんだって気はする。最近なんかリョージになついてるみてーだし、会ったばっかの頃に比べりゃ随分やりやすくなってきたと思う。 オレが言うと、桐条先輩が頷いて、「そう思いたい」と言った。これ以上身内から敵とか裏切り者が出るのはごめんだって感じだった。もうホント、頼むぜエージ。 |