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おかあさん(2) 栄時くんがいつも大事にしているヘッドホンに触れて、「君はいつもこれ付けてるよね」って言うと、彼は頷いて「触ってると、なんか安心するんだ」と言った。 「お守りみたいなものなのかな」 「無いとすごく不安になるんだ。だから、お守りとか、そうなのかも」 僕らの遣り取りは滑稽なくらいいつも通りで、今からエッチしようよって時にするような会話じゃない。なんだかなとは思うけど、緊張されたり怖がられたりするよりはずっといい。 「こないだそれ、しばらくしてなかったよね?」 「ああ……姉さんに壊されたんだ。あいつ最期までろくなことしない。山岸いるだろ、うちの寮の。彼女すごく機械とかそういうのに詳しくて、壊れたプレイヤーをはんだ付けで直してくれた。ちぎれたコードも新しいのに取り替えてくれて」 「へえ、彼女すごいね。かっこいい。……あれ? 君お姉さんの顔、もう長い間見てないって」 「……あれ?」 栄時くんが目を細めて、訝しげな顔になる。そして目を閉じて、開いて、わけがわからなさそうにしている。 「長い髪、」 「うん?」 「似合わないのにお姫様みたいな格好してるんだ。目つき悪くて、口も悪い。あいつ僕の前髪引っ張るんだ。生意気だって。僕もやられてばっかじゃ癪だからあいつの髪の毛引っ張るんだ」 「……だめだよ、女の子に乱暴しちゃ」 「僕ら喧嘩してるんだ。姉さんは僕の首絞めて、――順平が、エージが死ぬから止めろって、止めに入ってきた。なんだこれ? なんで僕と姉さんの喧嘩に順平が入ってくるんだ。なんで僕、今の僕と同じ歳の姉さんの顔を知ってるんだ? 挨拶もしないで子供の頃に別れてから、一度も会ってないのに。なんで姉さんがぽっと出て来て僕のプレイヤー壊すんだ? おかしいだろ」 栄時くんは目をぼうっと見開いて、僕には見えない彼の記憶のなかの風景をじっと凝視しているようだった。 「順平、姉さんが死んですごい凹んじゃってたんだ。自分が死んだみたいな顔になって、何日も何日も。なんで僕の姉さん死んだからって、何の関わりもない順平があんなしょげちゃってるんだ」 彼は混乱していた。「なんで」と繰り返している。どうやら覚えのない記憶が湧き出して来て、対処に困ってるって感じだった。 僕は栄時くんを抱いて、「うん、わかるよ」と言う。僕自身にもそう言った経験がある。しょっちゅうだ。 「そういうの僕もよくあるよ。覚えのない思い出がたくさん浮かんできて、どうすれば良いのかわかんなくなる。そうだよね?」 「お前も? じゃあこれ、『普通』なのか?」 「少なくとも僕はそうだよ。君とおんなじ。実を言うとね、君が僕とおんなじなんだっていうことを知ったから、今の僕はすごくほっとしてる」 「僕は『普通』なのか?」 「君が言うならきっとそうだよ。普通だよ。僕、今まで怖くて怖くて仕方なかったんだ。いつか覚えのない思い出ばっかりに、僕を全部持ってかれちゃうんだって。僕が僕の関わりのない記憶に占領されて、そいつがなんでもない顔をして『望月綾時です』とか言っちゃうんだ。僕は僕のなかから追い出されて、そのうち空気みたいにふっと消えちゃうんじゃないかって。それが怖くって、たまらなくて、でも僕と君がおんなじものなんだったら、」 「ああ……僕らはおんなじものだって、昔から口癖だったもんな、お前のそれ」 「うん。おんなじものだったら、今の僕を君が覚えててよ。君は僕が覚えてる。それで、僕を掴まえててよ。君がここにいて僕を見張ってくれてたら、きっと僕は大丈夫だ。どこにも行かなくて済むと思う」 「良くわかんないけど、それでお前の怖いのは無くなる?」 「きっと。そして君も」 「ほんとに?」 「うん。僕が守るから怖くない」 栄時くんはほっと安心したみたいな柔らかい顔で「うん」と頷いて、「怖くないよな」と言った。僕も頷く。 なんにも怖いものなんてない。あるのは、ひどい安心感だけだ。 僕がずうっと好きで好きでたまらなくて、ちょっとでも触ってないと不安で潰れそうになるくらいに強く求めていたものが、今はちゃんと僕の腕の中にある。 「……きれいな顔」 僕は栄時くんの頬に触って、ほんとに美人だあって惚れ惚れしちゃいながら囁いた。 彼は怖々というふうな様子で、眉を顰めて、「顔……見えてる、か?」と自信がなさそうに言った。僕は頷いて、彼の額に、瞼、鼻先、頬、柔らかい唇に順繰りにキスをした。 「うん。目も、鼻も、唇も、大好き。すごく可愛い。綺麗だよ」 「あ、あるよな? 僕の貌、ちゃんと見えてるよな」 「何言ってるの?」 「当たり前でしょ」と僕は言う。「こんなに綺麗なひとを、君のほかに見たことないよ」と言う。 栄時くんは「馬鹿」ってちょっと呆れたふうに言って、「だよな、変だよな」って自嘲するような変な顔で笑った。 「どうしたの」 「いや、なんか僕って、どんな顔をしてたか思い出せなくて」 「……ちゃんと毎朝顔洗ってる? 鏡見てる?」 「あ、ああ。そりゃ……でもなんか、急にわかんなくなってきて、」 「そりゃ不幸だね。君みたいなすごい美人が、こんな綺麗な君自身の顔を忘れてしまうなんて、まったく悲劇だよ」 「……相変わらずのタラシ節だ望月」 栄時くんはくすくす笑って、僕の頭を抱き、「変だよな、ほんとに」って言った。 「おかしな話ばっかりだ。やめよう。忘れてくれ」 「うん。……あの、」 「ん?」 「ちゃんと、気持ち良くしてあげるから」 「…………」 栄時くんは一瞬で真っ赤になって、『ああそう言えばほんとに大変なことの真っ最中だったんだ』って思い出したような顔つきになった。 彼の言う通りだ。おかしな話ばっかり。少なくとも好きな子の身体に触りながら考えるようなことじゃない。 ちょっと反省して、僕は栄時くんの赤くなっている耳の先っぽを、歯を立てないように気を付けて噛んだ。彼の肩がびくっと跳ねた。 修学旅行の露天風呂であったように、ことを急いちゃって、びっくりさせて、怖がらせたりしないように、僕はちゃんとお伺いを立ててから、栄時くんに触る。たとえば、「キスしていい?」「胸に触っていい?」「舐めても大丈夫?」、こんなふうに。 栄時くんはひとつひとつ「うん、うん」って真っ赤になりながら頷いてくれた。まるで小さい子供みたいなぎこちなさと一生懸命さで。 ああこの子かわいいなあって、胸があったかさと切なさでぎゅうっと締まる。 僕はほんとにほんとに彼が大好きだ。この子の為なら僕は何だってできるし、何にだってなれるだろう。 それは、この子に出会ってから何度も繰り返した言葉だ。僕は何にだってなれる。意気地なしでちょっとばかり勇気の足りない所がある(自覚はしているのだ)僕だけど、この子を守るためなら、無敵のヒーローにだってなれるのだ。 「……も、望月」 「うん?」 「いちいちその、聞かなくていい。していい、とか、そんなの。覚悟はできてる」 「でも僕、また君にひどいことしちゃったら、そんなのはいやだ」 「お前は僕にひどいことなんかしないよ。だから、大丈夫」 「……君は優しいなあ」 僕はしみじみ言った。僕はこの子みたいに優しい子を他に知らない。 みんなは冷たいひとだって言う。でもそんなの絶対に間違ってる。彼はちょっと口下手で、思いやりを上手く言葉にすることが苦手なだけで、ほんとは世界中で一番優しい人なのだ。 彼はいつでも僕を赦してくれる。「ほんとにアイギスの言うとおりだ。お前はダメだ」なんて言いながら、彼はいつも僕を傍に置いてくれる。今もどうしようもないくらいぐだぐだになっている僕に、強引に求められて、身体まで赦してくれている。 ああ僕ほんとこの人好きだと、何度も何度も僕は思う。ずうっと一緒にいたい。 今だけじゃない。一生だ。僕のとなりにこの子がいなきゃ、僕の世界はまるで味気ない、クレーターだらけの灰色の廃墟みたいなところなのだ。 僕の毎日、僕自身、僕の生命と言ったようなものも、きっと彼がいるからこうして輝いているんだと思う。それにしたってオイルライターの火みたいにちっぽけなものだけど。 「……誰かに優しいなんて言われたのは初めてだ。優しいのはお前だよ。僕にも、みんなにも、親切だ」 「親切と優しいはちょっと違うと思うんだけどな」 「一緒だよ。親切だとか優しいとか、そういうの僕がやっても嘘っぽいだろ。僕はやれって言われたことをやるだけなんだ。いつもいつもそうで、嫌になって、――お前みたいなやりたいことやってる、すごく楽しい、って顔をしてる奴見てると、なんかほっとする」 「僕のこと、好き?」 「う……うん。変なふうに好きかは解らないけど、お前と離れ離れになるのは嫌だと思う」 「うん。それだけで、僕はとても幸せだよ」 大好きな人に好きだよって言ってもらえるのは、すごく嬉しいことだと思う。僕が素直に告げると、栄時くんは「大げさな奴だな」ってちょっと笑った。でも僕が喉に舌を付けると、息が詰まったみたいな音を零して、目をぎゅっと瞑って黙り込んだ。 そのまま、僕は丁寧に彼の首筋を舐めていく。薄い皮膚の皮には、うっすら青い血管が浮いている。 痩せた胸と、鎖骨のゆるやかな盛り上がりは、どこか遠い荒野で朽ち果てて野ざらしにされた動物の骨を連想させた。青い夜の闇のなかで、月の光を浴びてぼうっと輝く白い骨を。 栄時くんの身体は、すごく綺麗だ。でも、あんまり生き物の匂いがしない。僕とおんなじように。 体温は僕とほとんど同じだから、きっと低いだろう。低血圧で朝も大変って話してたのを聞いたことがある。 学校の女の子たちみたいな、今生きていることがすごく嬉しいんだって叫んでる、煌びやかな生命の輝きはない。ただぼうっと浮かび上がるように、静かな光を放っている。今にも消えそうで、危なっかしい、ゆっくりふらふらしている心臓の鼓動とおんなじふうに。 僕は栄時くんの胸に耳を当てて、「心臓の音が聞こえるよ」とぼそぼそ囁いた。縮こまって、おっかなびっくりってふうな、小さな音が聞こえる。僕はその音を聞くと、すごく切なくなる。泣きたいくらいに胸が締め付けられる。 「……ごめんね」 「謝るな。お前はなんにもしてない」 「でも、僕なんだかすごく悪い事をしてる気分」 「だから覚悟は決めたって言ったろ」 「いや、そのことじゃなくて。なんだか、君からすごく大事なものを奪って、僕のものにしちゃったような、そんな気がするんだよ。だから、」 「……恥ずかしいから、やめろって」 「うん?」 『恥ずかしい』が何のことだかわからなくて、僕は首を傾げた。栄時くんは、いたたまれないような顔をしている。真っ赤だった。苦虫を噛み潰したように唇の端を曲げて、「そりゃ初めてだけど」と言った。 「……あ」 そこで、僕も真っ赤になってしまった。『そういうこと』なのだ。 「そ、そっか、処女なんだもんね。すごく大事なものなのに、僕にくれてありがとう。大好きだよ」 「い、いや。僕男だから、処女とかそんなじゃ、というかこれはどういうカウントのされ方すんだろ……」 彼は途方に暮れた顔になった。僕が言ってたのとはちょっと意味が違うような気がしたけど、これも随分と大変なことだって思う。 「……君は僕にたくさんのものをくれる。なんだか心配になるよ、こんなにいっぱい僕のものにして、君が空っぽになっちゃったらどうしよ」 「構わない。元々だ。僕は空っぽだよ」 「そんなことない」 「うん。……だといいな」 「当たり前だよ」 僕は言う。彼がこうやって彼自身を貶める言い方をすると、僕はすごく悲しくなる。こんなに綺麗で優しい子が、なんでだろうと。 そして、それは僕のせいだって気がする。僕がふがいないばっかりにって。ずうっと昔からこの子の傍にいられれば、僕はいつも一緒にいて、綺麗なものをいっぱい見せてあげた。いつも笑わせたげて、大事にしてあげてた。辛い目になんて何一つ遭わせずにこの子を守ってあげた。 そしたらきっと今彼は「僕は空っぽだ」とか「心なんかない」なんて言わなかったんじゃないだろうか。 もしもの話をしたってしょうがないのはわかりきってる。でもなんでだか、僕はこのことに関してはすごく強い罪悪感と後ろめたさを覚えるのだ。どうしてこの子についててあげらんなかったんだろうと。 僕は「君を大事にするよ」と言う。「手を離さないよ」と。そして彼の薄いお腹の筋肉を、傷つけないように細心の注意を払って、緩く噛んだ。 お臍に舌を入れて掻き回すと、彼の脚がびくっと跳ねて、足の指がきゅうっと内側に折れ曲がったのが、紺色のソックス越しに見えた。 学校指定そのままのベルトとズボンに手を這わせると、彼の股の間に硬く強張った感触があった。僕は嬉しくなって、自然に唇の端がきゅっと上がった。 「良かった」 「……あんま、さわんなって……」 「そんなこと言わないで。嬉しいんだ」 指で布越しにくるくる円を描くように触れる。栄時くんは身体を硬直させて、女の子が大嫌いなカエルを投げ付けられた時みたいな顔で、「ぎゃっ」て思わず笑っちゃいたくなる悲鳴を上げた。美人なのにすごく似合わない。 「ちょも、もち、づき、そこ、ちょ、まずい」 「かわいい」 「いやかわいいじゃなくて、おま、え、分かるだろ、そこ、ダメだって」 「うん」 僕は頷いて、彼のベルトの留め金をパチンと外して、緩め、引き抜いて、ベッドの下に落っことした。ジッパーを下ろして、下着をずり下ろすと、ピンク色に染まったかわいい性器が、震えながらぴょこっと顔を出した。 男の子のおちんちんを見てかわいいななんて思うのは、なんかちょっと変かもとは思うんだけど、ほんとにそう思っちゃうんだから仕方ない。 それよりも、僕にはそれがすごく意外なものに見えた。栄時くんのおちんちんが赤くなって腫れちゃって、硬くなってることが。僕の大好きな人が勃起してるってことが。 でもそりゃ当たり前のことなのだ。栄時くんは僕と同い年の少年で、不能って訳じゃなく、エッチなことにも興味があって、普通に女の子が好きだ。勃起くらいする。 エッチな本やDVD見て一人エッチだってしちゃうだろう。順平くんがこないだ「あいつにとっとき押し付けてやったぜ」って、なんでかすごく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。栄時くんは金髪ボインの外人さん(それってアイギスさんじゃないのって思ったけど)が好きらしい。 彼は年頃の男の子だ。でも僕は、栄時くんに性的な匂いをあまり感じない。僕ばっかりが発情しているみたいですごく申し訳ないって、ずっと思っていたのだ。あの子はまだそういうのは早いんだからとか、そんな感じで。 思えば変な話だ。彼は小さい子供じゃないのに。 栄時くんは、勃ってる性器を見られるのがすごく恥ずかしいらしい。あの綺麗な顔を困ったふうに歪めて目を逸らしている。 僕は身体を屈めて、口を開け、彼のおちんちんを加えて、ゆでたまごみたいにつるつるした亀頭に舌を付けて、何度か動かした。また栄時くんの「ぎゃあ!」って面白い悲鳴が上がった。 「ど、ど、ど、どこ舐め……も、もちづ、だ、め、き、き、きたな――ひゃっ」 彼は、『きたないから』って言おうとしたらしい。でも先っぽを舌で突付くと、そばで聞いてなきゃ栄時くんのものだってわかんないくらいに可愛い、女の子みたいな声を上げた。 彼は慌てて僕を止めようとしたらしいんだけど、僕が頭を押さえられながらまた舌を動かすと、びくん、と大きく跳ねて、「やだ」「だめだ」って言いながら震えている。 その姿も、声も、あんまり可愛いからもっと見たくなって、僕は彼のおちんちんの先っぽから竿、睾丸までを丁寧に舐めてあげた。それから手を使って竿の部分を扱いて、先っぽにちょっとだけ歯を立てて噛んだ。 「――や、ぁ、わっ、わぁああっ、ば、ばか……!」 反応は、僕の方がびっくりしちゃうくらいだった。僕を止めようとしたのも最初のうちだけで、あんまりショックが強過ぎたのか、ベッドのシーツをぎゅーっと握り締めたまま、大きく早く呼吸をして、掠れた声で喘いでいる。 彼の性器も、僕に舐められたり触られたりしているうちに、どんどん硬さを増していって、ぐうっと反り返って、はちきれそうになっている。 これは、ほんとにちょっとした感動だ。僕が触って、この性の匂いのしない、身体も心も綺麗なひとがこんなにきもちよがってくれるなんて、すごく嬉しい。 「あっ……あ、ふ、ちょ、だ、――ち、づきぃっ」 『もうほんと勘弁』って顔で、栄時くんが僕を見る。その目はちょっと潤んでいて、見惚れちゃうくらい綺麗だ。 「きれい……君すごい」 「だっ、……め、離れろ、放して、」 「どうして? いやかな、気持ちわるい?」 「ちが、……っ、そんな、したらっ、あ、でるっ……から、」 「ああ」と僕は納得する。そして栄時くんのおちんちんをちょっと強く扱いてあげる。すると、まるで殺されたみたいな悲鳴と、「馬鹿ぁあ!」って罵声が上がる。 「出していいよ」 「できる……わけ、おま、の、くち、なか……」 「大丈夫だから」 「――ひ、っ!」 先端にちょっと爪を立てて唇を付けたところで、栄時くんは我慢できなくなったみたいで、びくびく震えながら精液を吐き出した。 ――ちょっとタイミングが掴めなくて、僕は「わ」と声を上げて、思わず目を閉じてしまった。 それが悪かった。良くないことに、勢い良く顔に被ってしまったのだ。 あんまりもったいなくて、僕は溜息を吐く。失敗してしまった。全部残さずに飲もうと思ったのに。 |