月、不気味なジンクスと矛盾する男




 玄関入ってすぐ左、カウンターの奥の壁に掛けられたカレンダーは、十一月で時間を止めていた。うちの寮のいわゆる特殊なジジョーって奴で、月齢入りのちょっとこじゃれた柄のやつだ。満月の日に赤ペンで丸が付けられている。
 こいつはオレがこの巌戸台分寮に入寮してしばらくした頃に、今はもういないうちの元ボスが買ってきた。
 あのメガネのオッサンのことを考えると、未だに胸の中が悪くなる。でも、なんというか、ちっとだけ寂しいとか思ってしまうのも確かだ。認めたくないが、あのオッサンはオッサンなりに、お寒い駄洒落や能天気な性格だとかで、オレら特別課外活動部のメンバーの緊張を解してくれていたし、大人がひとりついててくれてるってだけで、大分心強い思いをしたもんだった。
 オレは十七だ。他のメンバーも、天田を除いて似たり寄ったりの年齢だ。コロマルとアイギスのことは考えないでおこう。
 ともかくもう子供じゃない。でも未成年だ。酒もタバコもダメ。成人したってロクなもんじゃない人間がいるってのはオレ自身良く理解してるし、ハタチ、成人、ハイ大人の仲間入りですよって言われた瞬間に、オレの中身ってモンが劇的にぱっと変化しちまうとは思えない。しないだろう。そのくらいは分かる。
 でも、気持ち的な問題で、大分違うのだ。今日は満月だ。多分大人が後ろについてない初めての満月だ。
 もう満月に襲ってくる大型シャドウはいない。全部倒しちまった。たぶん。どうやら抜けはあるみてーだったけど。
 何がなんだかわからないうちに手詰まりになっちまった。影時間はこれからも続いてくだろう。でもオレらにはどうしようもない。せいぜい気持ち悪いシャドウをひっぱたきながらタルタルを走り回ってるくらいしかできることはない。
 『今日は何も起こらない』ってみんなは言う。でも言いながらも、あの満月の日特有のぴりぴりした緊張感が寮を覆っている。空気はぴんと張り詰めている。真田さんはラウンジの奥のスツールに陣取って念入りにグローブを磨いているし、風花は相変わらずノートパソコンをカタカタ弄っている。ゆかりッチも昼間ダチに誘われてたのに、今日は用事あるとかつって、早めに寮に帰って来ていた。オレもだ。そのお陰でついさっきまで書類の整理を手伝わされてた。
 桐条先輩はテレビを点けて、BGMがわりにニュースを聞きながら、纏めた書類に目を落としている。オレには難しくて何がなんだかさっぱりわかんね。
 ともかくみんなラウンジに集まって、いつ何が起こっても対応できるように臨戦体勢だ。いねーのはエージとアイギスだけだ。
 エージの携帯は繋がらないし、アイギスも連絡がつかないらしい。オレはちっとばかり思い当たることがあって、ものすごく居心地が悪くなっていた。
 オレが想定した最悪のシナリオはこうだ。まずエージが弱ってるリョージんとこに見舞いに行く。あいつはなんでか人間相手でもリョージにだけは優しいトコあるので、甲斐甲斐しく世話を焼いているだろう。リョージも好きな子にちやほやされて、しんどいのも忘れてお花畑やってるかもしれない。そこで何かの過ちがあったとする。たとえばリョージが辛抱たまらずにエージに襲い掛かっちまったとする。まああのへタレに限ってそんなことはねーと思うが。
 エージは大混乱だ。「俺にそんな趣味はない!」とか真っ青になっちゃってるかもしれない。そこへ颯爽とアイギスが助けに現れる。エージのピンチに自慢のオルギアを発動、民間人をうっかり射殺してしまう。
 「駆除完了であります」とアイギスが妙に晴々した顔で言う。生理的にダメな男を片付けてすっきりした様子だ。
 エージはあれでアイギス命のところがあるから、とりあえず容疑がアイギスに掛からないように、殺人現場を片し、擬装工作を始めるかもしれない。
 「とりあえず沈めよう」とエージが言う。アイギスが頷き、「了解であります」と言う。
 ふたりはそれぞれリョージの腕を脚を持って、獲物を仕留めた狩猟部族みたいな格好で部屋から運び出し、問題の死体をコンクリ漬けにして海に沈める。
 そこまでの情景が、クリアにオレの頭の中で再生された。今ちょうどエンディングムービーが流れているところだ。完全犯罪が成立する一歩手前で、黒沢さんの尽力でお縄になったエージが手錠を掛けられるとこが。そう、あいつはアイギスを庇って罪を被って、自分が捕まっちまったのだ。「これでよかったんだ……」といつもの憂い顔であいつが言う。
 そして翌朝の新聞にはこう見出しが出る。『転校生トライアングル、美少女転校生をめぐって二人の男子転校生が決闘! 男子転校生A、相手の少年を殺害』――このシナリオで映画一本撮れそうだ。多分大ヒット間違いなしだ。
 自分でも馬鹿なこと考えてんなあ、とオレは溜息を吐いた。絶対ないと言いきれないのが怖いところだが、まあないだろう。ありませんように。
 とにかくもう夜も遅いし、影時間が来る前にちょっとばかり空いてきた小腹をなんとかするべく、ソファから腰を上げる。読んでた漫画雑誌をテーブルに放り投げ、共用の棚からカップ麺を引っ張り出してきて、奥のカウンターに備え付けてあるポットの湯を注いだ。トンコツ醤油の、食欲を刺激するいい匂いが湯気と一緒にふわっと立ち上ってきた。
「あいつ帰ってきませんね」
 割り箸を重石にしてカップの蓋を閉じて、オレは何気ないふうにぼそっと言ってみた。
 どうやらみんなソレを調度考えていたらしい。「そうだね」や「何をやっているんだか」と人数分の同意が返ってきて、なんだか心地が良かった。やっぱオレだけが気を揉んでいたわけじゃあないのだ。
「綾時くんの容態、そんなに悪かったのかな……心配だね」
「風邪かな? 流行ってるらしいしね」
 風花とゆかりッチが心配そうな顔で言う。先輩がたは、「まあ面倒見が良いのは良いことだ」や「彼にも良い友人ができたようだな」とか言っている。オレとしては釈然としない。
 ここは「おっせー! あの馬鹿何やってんだ! 今日満月で何が起こるかわかんねんだから、まあ九割なんも起こんねーだろーけど、とりあえず保険ってやつ? ともかく寮にいろよ! リーダー失格にすんぞ!」とブーブー文句を垂れるべきところだと思うんだが。
「聞きたい話もあったんだが、これは明日になるのかな」
「あいつも馬鹿じゃない。影時間までには帰ってくるだろう。しかしこうも手詰まりではな。いっそのこと大型シャドウが襲ってきてくれたほうが気が楽だ」
「とか言って、ホントに襲ってきたらどうするんですか……」
 大型シャドウって聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、さっき見た幾月が遺したアルバムのことだった。『母胎、人型零番シャドウ『フール』成長記録ナンバー11』と見出しが付けられていて、中にはエージの写真がぎっしりだった。
 オレは大分居心地悪さを感じながら、「その」と切り出してみた。『まさかそんなことあるわきゃありませんよね』ってふうに、冗談めかして軽いふうにだ。
「まさか大型シャドウとか、もう襲ってこねえッスよね。その、まだ倒してねぇ『愚者』のシャドウとかがぽっと出てきて、その、またあーいうこととか」
 真田さんかゆかりッチ辺りが「冗談言うな!」と突っ込んでくれると思ったんだが、予想に反してラウンジはしんと静まり返っちまった。
 具合悪い沈黙のあとで、風花が「ど、どうしたの?」と無理に明るい声を出した。
 みんな多分幾月のことを思い出してるんだと思う。エージまでああいうふうになっちまうんじゃないかって考えてるんだろう。みんな十一月の磔以来すごく疑り深くなっちまってるなと思う。まあしょうがねえんじゃないかなとは思うけど、エージの奴はちょっと不憫だ。
「いや、ソコ「ンなことあるわけないじゃん!」て笑うトコだから。ンなわけないじゃん、もー、やだなあみなさーん」
 オレは慌てて「さっきのナシの方向で!」と言って、ぱたぱた手を振って、ちょっと伸びちまったラーメンを慌てて啜った。あんまり慌てたせいで変なトコに入って、思いっきり噎せちまう羽目になった。畜生、あいつのせいだこれ。
「も、もー、なにやってんの? バッカじゃない。あんたホントにいつもいつも変なことばっかり――
 ゆかりッチが言い掛けたところで、ふっとラウンジの照明が落ちる。影時間が来たのだ。
 毎晩来るのとおんなじように、静かなものだった。何も起こらない。
 いつもの影時間だ。いきなりでかいシャドウがぽっと出てきて寮に体当たりかましてくるとか、タルタロスの鐘が鳴るとか、そういうこともない。
 それでなんかほっとしちまった。予想通り、今月はなんにも起こらないのだ。
「山岸、念の為に周辺のサーチを頼む」
「了解しました。検索中――完了。大型シャドウの反応ありません。……ですが、リーダーとアイギスの反応もありませんね。港区周辺にはいないようです」
「は? ったく、どこ行っちゃったのよあの不思議ちゃんどもは」
 風花の検索能力はそりゃちょっとしたもんなのだ。彼女はタルタル登る時はいつもエージと同調してるから馴染んじまって、他のやつよりあいつのことは大分見付けやすいんだって、こないだ言っていた。
 その風花が言うんだから間違いないだろう。エージはなんでか知らんが、港区の外に出て行っちまってるのだ。こんな真夜中に、連絡ひとつ入れずに、明日も学校あんのに、何を考えてんだあいつは。
「これは後で少々説教してやらなければならないな。帰ってきたらとっちめてやる」
「まさかお前が誰かに説教する日が来るとは思わなかったよ、明彦。山岸、もういい。みんなも影時間が明けるまでは、それぞれ自室で待機していてくれ。何かあったら連絡する」
 桐条先輩が腕組みして言う。オレとしては自分の部屋に戻ったところでもやもやして眠れたもんじゃねーし、テレビ点けようにも電気止まってるしで時間も潰せない。どーしたもんかなと思ってると、急に風花のペルソナから、機械の駆動音みてーなモンが聞こえてきた。初めは大分小さいものだったが、どんどん大きくなっていく。どうやらどっか遠いとこの音を拾っちまったらしい。
 風花がびっくりしたように目をぱちっと開いて、「反応あり!」と言う。
「オルギア発動を確認、アイギスです! アイギスのペルソナ反応を感知しました。パラディオンの攻撃対象をサーチ、敵個体情報を割り出しました。黒田栄時くん! アイギスとリーダー、現在交戦中です!」
「はあ?!」
 オレらは揃って目を剥いた。なんであの仲良しこよしに掛けちゃちょっと自慢できる不思議ちゃんコンビが、オルギアモードでペルソナまで出して戦ってるんだと。
 オレは先月の、あの悪夢みたいな夜のことを思い出していた。アイギスの制御が奪われて、敵になっちまった時のことだ。戦車相手にはさすがにリーダーさんも、腹に一撃重いのを食らった後ぐったりしちまってた。オレらの言うことを聞いてくれないアイギスってのは、へたな大型シャドウなんかよりもよっぽどおっかないのだ。
「あ、あれ? リーダーの反応、ふたつあります。まったく同じ鼓動反応がふたつ。リーダー、ふたりいます。な、なにこれ?」
 風花が混乱している。オレも、みんなもそうだ。確かに妖怪っぽい奴だとは思ってたけど、分裂までやらかしやがったのか。あいつはアメーバか。単細胞生物なのか。そこまで人間じゃないとは予想外だった。
「山岸、今すぐ場所を割り出してくれ!」
「はい、やっています、ここは――
 風花が目を閉じて手を組む。オレにはサポートタイプのペルソナがどういう仕組みで動いてんのかは分からねーが、忙しなく手を握ったり開いたりしながら、いつでも外に飛び出していけるような格好で、辛抱強く待つ。
 心臓がばくばくしている、手がじめっと湿っている。なんだか、オレのあずかり知らないところで、今とんでもないことが起こっているのだ。一体どうなってんだ。何だってんだ、さっぱりわけわかんねえ。





『……めろ……にんげん……を殺……んて命令して……い……』





 風花を腹の中に入れてるユノから不明瞭な声が聞こえる。ノイズ混じりで大分聞き取り辛いが、これはあいつの声だ。
 殺すとか命令とか穏やかじゃない単語が混ざっているが、そこには途切れ途切れながらはっきりした感情が見て取れた。困惑と混乱だ。
 あいつがうろたえきって大声で叫んでいる。
 そして今度はさっきよりもはっきりした良く通る声が、みんなが聞いてる中でラウンジに響き渡った。




――綾時! 逃げろ綾時っ! アイギスは本気でお前を殺すつもりだ!!』





「リョージっ!?」
「アイギスがなんで綾時くん襲ってんのよ!」
「見付けました! ムーンライトブリッジです!」
 風花が叫ぶ。あのアホ男影時間になにやってんだとか、なんで象徴化してねーんだとか、死ぬ程突っ込みたいところはあったが、オレらはとにかく誰からともなく弾かれたように駆け出していた。





『あなたを倒す! それだけが私の生きる証!』




 ユノからアイギスの硬い声が響いて、後は爆音と破裂音に掻き消され、なんにも聞こえなくなった。
 何なんだこれ。一体今何が起こってるってんだ。





◆◇◆◇◆





 巌戸台分寮から飛び出すと、外の空気は冷えきってどろっと濁っていた。建物も空も影時間特有の悪趣味な蛍光色に染まって、世界中があちこちから血を流している。比喩で言ってんじゃない。ほんとに大出血なのだ。壁から、アスファルトの地面から、いつもの馴染みの風景から、ドクドク流れ出している。
 遠くに見えてる海だって真っ赤だ。あの血みたいな海水も舐めたらしょっぱいのかなと頭の片隅のほうで考えたが、あいにくとオレはそこまで冒険家じゃないのでわからない。多分この先ずうっとわかんないままだろう。
 オレも、メンバーのみんなも、走ってる最中ずっと無言だった。なんか言ってる余裕なんて無かったのだ。「何なんだ」とか「何が起こってんだよ」とか叫びたくっても、全力で走ってるもんだから、息吸って吐くだけで精一杯なのだ。
 影時間に電気も車もなんもかんもが止まっちまうのをこんなに忌々しく思ったのは、今回が初めてじゃない。オレは、荒垣さんと天田がいなくなった夜のことを思い出していた。
 あの日も満月だった。荒垣さんが亡くなった。その次の満月には幾月と桐条先輩の親父さんが亡くなった。
 今夜はリョージが危ない。エージも、あいつなら心配ねーとは思うが、アイギス相手じゃちっとばかしやばいかもしれない。
 大型シャドウ襲撃の約束の日みたいになっている満月の夜には、誰か近くにいる人間が死んじまうジンクスでもできたのか。ぼやっと考えちまって、冗談じゃねえとオレは思う。そんなことがあってたまるか。
「橋……!」
 巌戸台駅を通り過ぎてちょっと行ったところで、遮る建物が無くなって、気持ち悪いくらいでかい月が浮かんだ夜空が、ものすごく鮮明に見えた。その下には赤黒い血の海が広がっている。ムーンライトブリッジは、不気味な海の上にひょろっと頼りない格好でぶら下がっていた。
「なにこれ」
 ゆかりッチが顔を顰めてぼそっと言った。
 ライトが消えちまって真っ暗な橋の上に、ひっくり返ったまま凍り付いたように止まっている車が見えた。ガラスが割れて、エアクリーナとポンプが剥き出しになっている。そういうのが何台かあった。中には棺桶人間が入っているんだろうが、怖くて覗き込む気にはなれなかった。
 そいつはあきらかに戦闘の痕だった。アイギスがやったんだろうか。
 確かにアイギスは戦車だったから、止まってる車ぶっ壊したり吹き飛ばしたりするくらいなら、お手軽に済ましちまうだろう。でもあいつはこんなことしねえ、とオレは思い直した。誰かに操られてるんでなきゃ、人命最優先を心掛ける良いやつなのだ。こないだだってオレらに攻撃しちまって死ぬ程へこんでたし、特にエージに対しての猫可愛がりっぷりとかを見てると、ハイハイロボ二人でお幸せにね、とか思っちまうくらいなのだ。
 やっぱりあいつの仕業じゃない。オレは、すぐに直感が正しかったことを知る。アイギスは橋の真中で、アスファルトに膝ついたまま、煙を上げて動かなくなっていた。
 そこら中に転がってる車と同じように、全身ボッコボコにひしゃげて、これ以上ないってくらいぶっ壊されていた。
「アイギス! ――え?」
 真っ先にアイギスに駆け寄った風花が、そいつを見つけて一瞬ぽやっと呆けた。オレも何が何だかわかんなかった。
 リョージがいた。
 無事だった。生きてて、傷ひとつ見えない。そのことに関して、オレはほっとしなきゃいけなかったんだろう。
 でもあいつはなんでか、仰向けに寝転んでるエージの上に馬乗りになって、首を絞めていたのだ。冗談とかじゃない。思いっきりまじりっけなく本気でだ。
 エージの首を絞めてるリョ―ジの顔は真っ青だった。でもその下敷きになってるエージのほうが、いくらもひどいもんだった。顔に血の気ってもんがない。身体から力が抜けきっていて、ぐったりしていた。もしかしてもう死んでんじゃねえのかと思ったら、喉のあたりまでなんかあったかくて酸っぱいモンが込み上げてきた。
「リョージ? おまっ、影時間にこんなとこで何やって……つか、何やって……!」
 オレは混乱しきって叫んだ。なんでリョージがエージを殺そうとしてんだ。あいつは自他共に認めるエージ大好き男だろうが。
 影時間に馴染まない奴は、初めのうちは大分混乱しちまうって聞いたことがあるし、実際オレもそうだった。コンビニの隅っこのほうで縮み上がって、怖え怖えってベソかいてたらしいのだ。覚えてねーけど。
 でも混乱してたって何だって、殺しちまっちゃどうしようもない。とにかくリョージをエージから引き離そうとみんなで駆け寄ったとこで、あいつは急にエージの首から手を離した。
 震えながら自分の手をじっと見つめて、前に寝こけたエージを背負って運んできた時みたいに、恐る恐るって感じで注意深く抱き起こして、抱き締めた。
 そして大声上げて泣き出した。
――ごめん、ごめんねっ、ごめんなさ、僕は、いつもこんなひどいことばっか、あの時も今もきみを、守れなくて、僕は、全部僕のせいで、僕の……!!」
 リョージが何を言ってるのか、全然分からない。
 こいつもきっと影時間のせいで混乱しちまってるんだって思いながらも、オレは呆然としていた。
 アイギスがあそこまでコテンパンにぶっ壊されて、エージが殺されかけてて、殺し掛けてたリョ―ジがわんわん泣いている。一体今さっきまで、ここで何が起こってたんだ。
――りょ……じ」
 掠れた声が聞こえて、はっとなって見ると、エージがもそもそ口を動かしている。どうやら生きてたようだ。
 一瞬、オレはそれがリョージとエージ、どっちの声なんだかわかんなかった。こいつらは顔だけじゃあなくて、声までそっくりなようだ。
 エージがふらふら手を伸ばして、リョ―ジの顔を撫でた。どうやら涙を拭ってやったらしいが、お前それ男同士でする仕草じゃねえだろ。
 あいつはぼおっと夢でも見てるみたいなふわふわした声で、「ほんとに?」と言った。
「りょうじなの? そこにいるの?」
「う、うん、うん……」
「僕はまた夢を見てるんじゃあ、ない?」
「ちが、ただの夢だったら、どんなに、ごめ、んね、――僕、これからすごくひどいことを、」
「ほんとに? じゃあ僕を呼んでよ」
 エージが言う。なんか、変だ。あいつは『僕』とか言っちゃったり、こんなふうに落ち付きのないガキみたいな喋り方をする奴じゃない。
 リョージが顔中涙でべとべとにしながら、「ちびくん」と言う。
 すると、急にエージの顔がぱっと綻ぶ。黒田栄時って人間や、今まで首絞められてたって状況、この影時間って空間全部にとって、ものすごく場違いで、しっくりこないものだった。でも最高に幸せそうに、あの男がにっこーっと笑いやがったのだ。
「十年ぶり」
 エージがニコニコしながら言う。その首筋には、くっきり手形の痣ができている。喉を潰される寸前だったのか、あいつが息する度に、ひゅうひゅう隙間風が鳴るみたいな変な音がする。
 エージに笑い掛けられて、あいつを殺し掛けてたリョージは、いよいよ苦しそうに胸のマフラーを爪立ててぎゅーっと握っている。口の端をちみっこいガキみてーにへし曲げている。
「ちび、く、ご、ごめっ、ごめんね、ごめん、僕、なんでっ、こんな、」
「もう、相変わらず泣き虫だ。もう泣かないでよ。あなたは僕のヒーローなんだから。ほらそんな顔をしてたら、またアイちゃんにダメだって笑われちゃうったら……綾時」
 エージが言うアイちゃんは、オレらのそばでぶっ壊れている。
 喋り方もなんかおかしい。二人共がだ。何を言ってんのかさっぱり分からない。
 でもリョ―ジもエージも二人きりでお互い分かり合っているらしくて、オレらには理解不能の会話を続けている。エージは急に別の人間になったみたいに、笑顔と優しい声でべらべら喋っている。
 エージが言う。
「僕の心はもうなくなっちゃったけど、あなたにまた会えてすごく嬉しいって、それだけはほんとに思うんだ。本当だよ」





◆◇◆◇◆





 気が抜けちまったみたいで、糸がぷつっと切れたようにぐったりして動かなくなったリョージと、こっちも動かなくなって煙吐いてるアイギスの二人を、信じらんねえことにエージの奴は一人で持ち上げちまった。リョ―ジをおんぶで、アイギスを抱っこだ。
 リョージもまあ細っこいが、一応ちびのエージよりも幾分背丈はあったし、アイギスなんか全身金属製だ。総重量何百キロですか、ていうお二人さんを一人で運ぼうって心づもりらしい。
「おまっ……アホだろ、無理だって、潰れるって、片方貸せって。軽い方……あー、リョージの方。手伝ってや痛ってえええ!!」
 エージの背中のリョージを取り上げてやろうと思ったら、感電死するんじゃねえかってレベルの電気ショックがきた。これまたあれですか。例のエージバリアーですか。いい加減にしやがれ。
「てめっ、っにすんだ?! オレだってお前ら心配して、親切で、」
「やめろよ!!」
 エージが大声上げて怒鳴ったとこなんて、初めて見た。オレだけじゃない。みんなそうだ。ゆかりッチも風花も先輩がたも、唖然としている。
 エージは、オレのことをまるで敵みてーにじろっと睨んで、「お前の助けなんか必要ない」と言った。お前さっきのヘラヘラした喋り方は何だったんだ。
「ペルソナ使いが僕の家族に触るなよ。お前ら、また僕から全部取ってく気なんだろ。もういい加減にしろよ」
「は、はあ? おま、さっきからわけわかんねーことばっか、……もう知らねーからな!」
 この馬鹿が、やりたきゃ勝手にしろ、途中で潰れたらリョージとアイギスだけ保護して、お前放って帰るぞ、とかイライラ考えてたうちに、寮に辿り着いた。
 あいつは同年代の男ひとりとロボを抱えてムーンライトブリッジから巌戸台分寮までを踏破するっていう離れ技をやってのけたのだ。やっぱ人間じゃねえ。





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