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ちょっとだけずれた日々(5) 次の日も、その次の日も、綾時は来なかった。 綾時が来ないと、病室には誰も見舞いには来なかった。 無理もない、来週はもう期末試験だ。みんな試験勉強で手一杯で、僕に構っている余裕なんかないだろう。 それに、僕はもう特課部を抜けたのだ。仲間たちとの繋がりは消えた。みんなにしたって、リーダーを解かれて部を追い出された僕に会いに来るのは、随分気まずいものだと思う。 理由もない。僕は彼らと同じ特課部の仲間ではあるけど、友達かって聞かれたら、どうだろうって首を傾げてしまう。 例えば僕はみんなの好きな音楽を知らない。どんな本を読んでいるかも知らない。 放課後何をしているのか、週末はどこへ行く予定かとか、なんにも知らないのだ。一緒に映画を見に行ったこともない。 屋久島や修学旅行は楽しかったけど、あれは部活や学校の行事の一環だった。そういえば。 学内で割と親しくしていた者はいたけど、彼らは多分僕が入院していることも知らないだろう。ああ今日は黒田は欠席か、風邪流行ってるしな、そのくらいだろう。 なんとなく、今まで周りをないがしろにしてきたツケが回ってきたような気分だった。僕はこのまま誰にも悲しまれることなく、ひっそりいなくなるのだ。空気みたいに消える。 これで良かったのかなと僕は考える。 せめて綾時と仲直りはしたかったと思う。彼は優しいやつだから、「ごめんな」って謝れば、「うん、もういいよ」ってきっと赦してくれるだろう。そんな気がする。 でも、それでまた僕のことを好きになってくれたとして、僕はすぐにいなくなる、らしい。なんとなくまだ誤診じゃあないのかなって気はするんだけど(だって僕はほんとに元気なのだ)、もうこれで良かったのかもしれないなとも、ちょっとだけ思う。 綾時が僕に愛想を尽かしたままだとする。どうでもいいって思ってくれてたとする。そのまま僕がいなくなったとする。 少なくとも、綾時は泣かずに済むのだ。好きだったのにとか、僕も一緒にとか言わずに済む。 変に仲直りなんかしちゃったら、また彼が僕を好きになってくれたとしたら、その時僕が死んでしまったら、好きなものを無くしてしまうのは綾時が可哀想だから、これで良かったんだろうなと僕は思う。 どっちにしろ、多分もう綾時はここへは来ないと思う。そんな気がする。 だからどうしようもないことなんだけど、僕個人としては、できるなら一人くらい僕の終わりを見届けてくれる人間がいても悪くは無かったかもな、という感じなのだ。まあ、どうにもならないことなんだけど。 それから何日か経った頃、ひょっこり順平が顔を見せた。岳羽と、山岸も一緒だった。 「いよう、元気してっか?」だとか、「オメ、テストサボリやがって!」とか陽気に言われた。順平は裏表がない人間だったから、僕を気遣って無理に明るいふりを……とかではない。絶対ない。 「はい、これ今日の授業のノート。追試のことは退院してから話があるからって、鳥海先生言ってたから」 「……ああ。ありがとう」 僕は頷いて、ノートを受け取った。岳羽のノートは、さすがに綺麗だ。女子のノートは清潔だなと、僕はこっそり考えた。順平みたいに変な落書きや涎はついていない。 「あー、あのね、リーダーさん。スゲーことあったんだけどよ。教えて欲しい? 欲しい?」 「別にいい」 「ンだよ面白くねー奴だな。あのよ、オメーがいねー間に、寮生一人増えたんだわ。誰だと思う?」 僕は首を傾げた。この様子じゃ、多分まだ僕がS.E.E.Sを抜けたって話を聞いていないんだろう。 「あ、わかんないよね。やっぱね。んじゃヒント。お前が知ってる奴。んで、すげー意外な奴」 「意外って言われたら……たなか社長か?」 「大穴突いてきやがる……やっぱりお前は恐ろしい奴だぜエージ。じゃねえよ。学生だよ。ツキ高生な」 「末光とか」 「あのね、グルメキングが軽やかにステップ踏みながらペルソナ召喚してもなんも美味しくねぇの。こんなウキウキお前に報告してねぇの。あーも、しゃあねえ、教えてやるか。リョージだよ。女の子たちのアイドル望月綾時くんさ」 「……え?」 僕は唖然として、岳羽と山岸を見た。彼女たちも、複雑そうな顔つきで頷いている。岳羽なんかは露骨に、あの女好きと四六時中顔を突き合わせたいもんじゃない、とか考えている顔だ。 「……あいつ、どうしてる?」 僕は気になって、なんでもないふうを装って訊いてみた。みんなは驚いた顔になって、「お前毎日顔合わせてんじゃねの? めちゃめちゃ仲良いじゃん」とか言われた。僕は首を振って、「そうでもない」と濁しておいた。 「あいつなら、なんかフツーだぜ? うん。いつも通り女子に声掛けまくって、ハーレム状態。あ、なんか冬休み入ったらうちの寮に越して来るって。荒垣さんの部屋に割り当てられんのかな? 空いてんのあそこしかねーし」 「ふうん」 僕は頷いた。内心、ちょっとだけ「嫌だな」と思った。 綾時がペルソナを呼び出しているところなんて想像がつかないし、ましてシャドウと戦っているところなんか全然考えられない。 彼はなんというか、暴力とか戦闘とか、そういうのとは別の世界にいるような気がするのだ。 彼には戦ったり、そういうことをして欲しくない。僕がまだS.E.E.Sにいたなら、何があっても彼を守ってやったろうが、そうも行かない。今の僕は影時間を過ごすこともできず、リーダーを降板になり、部からも除名された。何にもできない。 「……怪我するなよって言っといてくれ。気を付けて見ててくれ。あいつそういうの似合わないから」 「自分で言やいいじゃん。どっちにしろオメーがいなきゃ、タルタル行きはナシだって」 「そう」 僕は頷く。 綾時は、影時間にタルタロスの前でぼんやり立ちんぼうをしていたところを、S.E.E.Sのメンバーに保護されたらしい。まだペルソナ召喚は行っていないらしい。 影時間に異様なくらい適応していて、ペルソナ能力も充分に期待できるそうだ。 「オメうかうかしてっとリーダーの座奪われちゃうかもよ」と順平が茶化して言う。 ただ、影時間を体験することになったほとんどの人間がそうであるように、記憶障害や言動の混乱が見られるらしい。割とひどいもので、ほとんど別人みたいになっちゃってるんだそうだ。 「なんか変に貫禄出てんだよなー」と順平がしみじみ言う。僕には貫禄のある綾時の姿なんて全然想像できないから、なんだかちょっと妙な気持ちだった。 「じゃ、そろそろ帰るわ。またな」 「ああ」 「そこまで綾時と一緒だったんだけどよ、急に用事思い出したとかで帰っちまったんだよ。今度はまた連れて来っからよ」 「そう」 僕は頷いて、「じゃあな」と言う。 やっぱり綾時に避けられているようだ。気まずい。 ◆◇◆◇◆ 最近、毎晩綾時の夢を見る。ベッドのへりに座り、身体を横たえている僕の背中を優しくずっと撫で続けてくれているのだ。 僕は「ごめんなさい」と謝る。「変なこと言ってごめん綾時、お願いだから嫌いにならないで」と。 綾時は微笑みながら、「どうして僕が怒ってるか解る?」と僕に訊く。僕は頷いて、「僕がダメなやつだから」と答える。 綾時は目を閉じて、頭を振る。「違うよ」と言う。 そこで目が覚める。朝になっている。白い天井、白い壁、白いカーテン、部屋中何もかもが白。 僕はわけもなく不安になって、膝を抱えて丸くなる。でも僕の隣には誰もいない。 順平が会いにきてくれない時のチドリも、こんな気持ちだったのかなって、僕は考えた。 順平は彼女が何を考えてるのかわからないって零してた。綾時も、僕が何を考えてるのかわからないって思ってるんだろうか。 僕はこの状況だから、どっちかと言うと順平よりもチドリに共感してしまった。病室に一人ぼっちで、たぶん、彼女はこう思ってたんじゃないだろうか。 あいつはなんで僕なんかに構うんだろう、なんでこんなにあいつのことを考えると苦しいんだろう、全部あいつのせいだ、あいつがいなかったら、初めから僕なんかに笑い掛けなきゃ、こんなふうにどんどん死ぬのが怖くなることなんかなかったんだ。 ある日急にぱったり来なくなって、きっと愛想を尽かされたんだって理解する。はじめから何にも無かったら独りなんて今更怖くはなかったのに、変なことを言って嫌われたのは僕のせいなんだからもうしょうがないことなのに、もしかしたらまた、僕が一人で悩んでたのが馬鹿らしくなるくらいのあの能天気な顔で、遠慮なんか全くなく病室のドアを開けて入ってくるんじゃないだろうか。 また僕に構ってくれるんじゃないだろうか。僕を、独りにしてくれないんじゃないだろうか。 でも綾時は、今頃またクラスの女子たちと仲良くやっているだろう。彼の周りには、いつも人が沢山いる。もう僕のことなんか忘れているかもしれない。 泣きそうになってきた。なんで僕は泣きたいんだろうって考えた。 そして、僕はもしかしたら寂しいのかもしれないぞと思い当たった。 寂しいってこういうものなのかなって、僕はその時初めて思い知ったのだ。 ◆◇◆◇◆ 今日も朝からドクターに怒られた。怒られついでに、手足をベッドに拘束された。 「落ち付くまでだから」とか言われたって、僕はいつだって落ち付いている。常に冷静沈着だ。 「まったく、ナイフなんかどこから出したんだ」とか、「危険なものは取り上げておいたはずなのに」とか言われた。 心外だ。僕が何をしようと僕の勝手だ。おせっかいにも程がある。 手首を何針か縫われた後で、包帯を巻かれた。 僕の腕は裂傷だらけですごく汚くなっている。あいつには見せられないな、と僕は考えた。血を見るだけで卒倒しそうな奴だったのだ。 ◆◇◆◇◆ 珍しい顔が訪ねてきた。辰巳東交番の黒沢巡査だ。 僕がまだS.E.E.Sのリーダーをやっていた頃は、良くお世話になっていた。武器の横流しをしてもらっていたのだ。 一言二言交わした後で、「最近困ったことはないか」と訊かれた。最近の僕は困ったことばかりだったから、何と言うべきか悩んでいると、「私物が無くなったり、誰かにつけ回されたりと言ったことはないか」と訊かれた。僕は頷いた。 黒沢さんは「そうか」と言って、「邪魔したな。身体は大事にしろよ」と言い置いて帰って行った。 どうやら仕事の一環だったみたいだ。ほんとに僕には見舞い客が来ない。 どこも痛くないし、苦しくもない。なんで入院なんかしなきゃいけないのか、解らないくらいだ。だからずうっとベッドの上ってのは、結構退屈なのだ。 「ウィース」 僕は暇を持て余していたから、たとえやってくるのが順平だとしても、今なら歓迎できる。僕は「うん」と頷き、「最近どう?」と訊いてやった。順平も、「試験結果最悪だった」とか、「アイギス年末までに直りそうだって」とか、近況を話してくれた。 「あれ、お前どうしたの? その腕、両腕。包帯なんか巻いちゃって」 「ああ、階段から落ちた」 僕は当たりさわりのない返事をする。順平は、「ふーん、お前って完璧なようで抜けてるよな」と、呆れたように頷いた。 「もうじきクリスマスじゃんよ。なんかうちの寮で、寮生集まってパーティーみたいなのやるんだってよ。んで、お前リーダーじゃん、一応。いなきゃ締まらねーってんで、お前呼んでこいって突っつかれてさ。な、医者に上手いこと言って、二十四日の夜ってちょっと抜けれね?」 「いいけど」 「よし。お前がいるなら女性陣もぜってー来るよな」 「……俺がいるとなんかあるのか?」 「いやいや、こっちの話。それにしても、お前めちゃめちゃ元気そうなのに、なんで入院なんかしてんの?」 「俺にも良く分からない」 「ふーん。ま、ガッコサボれていいよな。いや、お前は病院嫌いだったっけ。なんかずーっと暇そうだとか、一人で寂しそうだとかリョージに話は聞いてんだけどよ――」 「え?」 僕は、首を傾げて訊き返した。何でそこで綾時が出て来るんだ。もう彼とは大分長い間会ってないってのに。 「綾時?」 「リョージ。あいつ毎日お前の様子見に行ってるみたいな感じだったからさ。あんま心配掛けてやんなよな」 「……ああ」 なんなんだとは思ったけど、僕は頷いた。良く分からない。 「あ、んでコレ見舞いね。ゆかりッチの手作りクッキーに、風花の手作り……まあがんばれ。天田からはなんか……安産祈願のお守り……あの、がんばれ。あとえーと、リョージから……手編みの靴下……なんかハートマークついてる……あの、元気出せ。またいいこともあるって」 「お前は俺をへこませるために来たのか?」 「いや、プレゼントチェックはしてきてなくて……後でいいかなって……」 「嘘だよ。嬉しいと思う。ありがとう。みんなにもありがとうって言っといて」 「お、おう」 順平は、びっくりした顔になって、「お前が人当たり良い……」と唖然としている。失礼な話だ。 「あ、あー。もしかして、人恋しかった?」 「……そうなのかな。分からない。確かに誰も来ないから、かなり暇ではあった」 「でもリョージの奴が来てたんだろ?」 「いや。来ないよ。あいつ、多分俺のことなんてどうでもいいから、……いや、靴下くれたし、そうでもないのかな。まだ俺のこと覚えてたんだ。あいつの周りいつも人いっぱいいるから、そろそろ忘れてるかなって思ってた」 「いや……そりゃねえ……と思うっつか、マジで、来てねえの?」 「ああ、顔見せないけど」 「まさか……」 順平が青くなっている。僕も首を傾げる。 もしかすると、綾時は山岸みたいなサポートタイプのペルソナに覚醒したのかもしれない。遠くにいながら僕のことが何だって分かるのかもしれない。 それはちょっと僕には面白くないことだった。彼に見えていても、僕には見えないのだ。 いやそれよりも、僕が病室でかなり恥ずかしい独り言なんかを言っていたとして、そいつを聞かれていたんだろうか。もしそうなら泣いてやる。 でも嫌われてないみたいで、ほんとに良かった。いや、嫌われていたほうが、綾時はきっと泣かないと思うから、良かったのかもしれないけど。 「確認するけど、マジでここ、誰も来てねえの?」 「前にお前らが来たっきりだよ。俺の心配などするだけ無駄らしい。ああ、そう言えば黒沢さんが一度来たな。見舞いという感じでも無かったが」 「く、黒沢サン? また、なんで?」 「知らない。私物が無くなったり、誰かにつけ回されたりしていないかとだけ聞いて、帰ってったけど」 順平は、頭を抱えて「やベーよ……まさか、ほんとそりゃねえ、やべーよ」とぶつぶつ言っている。 「あの……気ィ付けてな。夜、ちゃんと鍵掛けて……ああ、鍵ついてねんだここ……と、ともかく気ィ付けてね」 「訳が分からないぞ」 「うん……あ、そろそろオレっち帰ろかな……」 「そうか。その、順平」 「あん?」 「……また来いよな」 僕は、かなり気恥ずかしかったが、そう言った。順平が、ひどく意外なものを見たって顔になった。 「……オメ、そんな可愛い奴だっけ?」 「う、うるさい」 「これから一月おきくれーに、お前病院に閉じ込めて性格矯正とかしてくんねーかなー。うん、来るよ? 来る来る。ゆかりッチとか、いろいろ連れて来るよ? ……リョージは、なんていうか、お前の身の安全のために、連れて来ない方が良いのかもしれねーけど」 「そ、そうだよな。あいつデートの約束とかで色々忙しいだろうし」 「いや……うん。じゃ、またね? 早く良くなれよ?」 「ああ」 僕はなんだか困惑した顔をしている順平を、玄関口まで送ってやった。 「あれ……?」 受付横の掲示板に、大きく『美形ストーカーに注意!』と書かれたポスターが貼り出されていた。 「『最近この病院近辺で美形ストーカーが出没します。挙動不審な高校生くらいの男性を見掛けたら、すぐに110番を。辰巳東署』――この頃は物騒なんだな」 「そそ、そうデスね、じゃ、そろそろボク帰ろうかと」 「なんで焦ってんだ順平。まさかお前……じゃないよな。美形じゃないし」 「いやオレっちは美形ですけれども、ストーキングはダメでしょう。相手がチドリならまだしも……ああ、なんかそういうとこで共感できちまう自分が憎い……」 「……? まあいいか、じゃあな。みんなによろしく」 僕は手を振って、順平を見送った。 |