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あいつは、覚えてたんだ。 全部、思い出してたんだ。全部全部知ってて、でもオレらは誰一人なんにも思い出せずに、あいつはひとりきりで思い出を抱えて、笑ってたって言うのか。身体辛いのはなんでなのかって、あいつは知ってたのか。春んなったら自分が死んじまうって、ものすごくコエーことをひとりで抱え込んで、「みんなありがとう」とか、「俺は幸せ者だ」とか、オレらに一生懸命伝えようって、今までそれだけのために頑張ってたのか。 オレはアイギスの膝の上で眠っているエージの腕を取って、引っ張り起こした。 昨日の晩、また泣いてるとこを慰めて、ハンカチでぐちょぐちょの顔を拭いてやった時は、スゲー柔らかかったのだ。顔真っ赤にしてて、ほっぺたとかオレよりずっと熱かった。 今はもうその身体は冷たかった。 この街の風景が良く見えるように、フェンスの前で肩支えてやって、オレは「見えるか?」とエージに訊いてやった。これが、オレらの約束だった。エージが必死で守ろうと頑張ってた、簡単だけど大事な口約束だ。 「エージ、見ろよ。街、全部見えんぜ。巌戸台駅のまわりはこっから見てもキタネーな。あ、ポートアイランドあそこな。横っちょに溜まり場……ああやだやだお近付きになりたくない。あっちポロニアンモールな。お前ひとりカラオケなんか良くできるよな。ちゃんとオレっちが構ってやるから、ンな寂しい一人遊びなんかもうやめなさい。そんで、海な。あの白い点々いっぱいあんの、多分アレだ、カモメだ。――なぁ、こっから見える道歩いてる奴らも、通る車運転してるやつも、飛行機乗ってるやつも、ワックのキレーなおねーさんも、ツキ校の、お前のこと大好きな奴らも、全部、ぜーんぶお前が守ったんだぜ。あの日お前が死に物狂いですっげえ頑張ってくれてさ、あのっ、無駄に元気なお前がンなボロボロんなっちまうくらい、がんばって、がんばってくれたっ、おかげで、よぉ……オレら、」 膝から力が抜けていく。ものすごくやるせなくなって、全身泥みたいに重くなって、オレはエージを抱えたままその場にへたりこんだ。 あの時と同じだった。一月三十一日、タルタロスの頂上で、でかい星が墜落してきた時とおんなじ、それよりもすごく身近でリアルな絶望が、頭の上にのしかかってきた。 良い天気も春の浮かれたみたいな日差しも、今日も幸せそうな世界も、そのなにもかも、違和感でいっぱいだった。 なんで全部いつもどおりなんだ。なんでみんなそんな幸せそうに息してんだ。エージが死んだんだぞ。お前ら全部のために、ちっちぇえ身体張って死に物狂いで戦ってた小学生が、お前らのかわりに死んじまったんだぞ。 なんで、あん時なんもできなかったオレが、生きてんだ。 おかしいだろ、全部。 全部だ。 「……なんで、死ぬんだよ。おかしーだろ。お前、お前はよ、ヒーローなんだよ。ラスボス倒したあとは、世界で一番幸せになんなきゃいけねんだよ。なんだよ、なにやってんだ。お前それ、絶対おかしいだろ。道具みたいに使われてばっかで、でもやっと笑えるようになったんじゃんよ。これからじゃ、ねーか。おま、まだガキで、身体ばっかデカくなっちまっただけのちっちぇえ小学生で、大人の遊びなんかなんも知らねーで、そんな、ダメだろ。なあ、頼むって。ジョーダンに決まってんだろって、俺が死ぬ訳ないだろって今言ってくれたらさ、お前が大好きなクリームソーダ、毎日奢ってやるよ。チーズケーキとプリンも付けてやるよ。オレ、去年お前に初めて遭った時からしばらく突っ掛かっちまったり、けっこー最近まで、なんも知らなかったからさ、お前人間じゃねーみてえで苦手だったんだ。おまっ、お前がそんな、なんもかんも怖がってたの知らなくて、わり、――」 エージの頭に手を置いて、髪の毛をくしゃくしゃ掻き混ぜてやった。 笑いながら、それか困った顔で言う、あの「やめろよー」が聞こえない。もうこの子は喋らない。二度と、声聞くことはできない。 死ぬって、そういうことだ。 「……でも今さ、よーやく、やっと、お前のこと好きんなれたんだよ。いっちばん大事なダチなんだよ。好きで好きで、たまんねんだよ。だから目、開けろよ。ほんとにほんとに、頼むってマジで。でなきゃおま、嫌がってたろ? アレ。いつかオレんトコにガキできたら、お前の名前付けるぞって。ヤなんだろ。だったら、目、覚ませよ。……死ぬの、あんなけ怖がってたじゃねーかっ……!!」 オレは、エージの胸倉掴み上げて揺さ振った。「起きろよ!」って喚きまくった。声なんか裏返っちまってひどいもんだった。 見かねたゆかりッチと風花が泣きながらオレの肩を掴んで止めようとしてる。 エージを大事にしてるアイギスは、ベンチに座ったまま、じっとオレらのほうを見ている。『こんなに大事にしてくれるお友達ができて良かったですね』って、母親みたいな顔で。 いつもはエージに関して暴走してひどいことになっちまってるオレを止めるのは、先輩がたの役割だった。でも二人とも呆然としちまって、空っぽみたいな顔つきでぼおっと立ち尽くしてる。悪い夢でも見てるみたいな顔だ。 ほんとに悪い夢ならどんなにいいだろう。 目え覚めたらオレは巌戸台分寮の自分の部屋のベッドの中にいて、隣の部屋にはエージがいて、廊下で顔合わせて、「おはよ、じゅんぺ。ひどい顔だぞ。風邪か? 大丈夫か?」ってとことこオレんとこ寄ってきてくれたら、それが現実なら、どんなに、 「おいエージっ、えー、じっ、やめろよ、なぁ頼むよ。帰ってこいよ。……返してくれよ。なぁ、頼むってリョージっ、こいつまだ、まだ早ぇよ。早過ぎだろ。まだこんなちっちぇえんだぞ。生きたいって、死にたくないってあんだけ泣いてたじゃんよ! 可愛い子供のワガママ、聞いてやってくれよ、――」 エージのほっぺたに、オレの涙がぼろぼろ零れていく。濡らしてく。なんでオレのなんだ。オレが泣いてるって、絶対変だろそれ。 泣くのはエージの仕事だろうが。昨日までも、これから先も、笑ったり泣いたり忙しくしなきゃならんのはこいつのほうだろうが。 オレは頼り甲斐のある保護者面して、オメほんっと泣き虫ね、えーちゃんはしょーがないね、ハイハイ泣くな泣くなって言ってやんなきゃなんねーのだ。 だってこいつはまだ、自分の心をやっと見付けてからほんの二月ちょっとしか生きてない、小さな―― 「う……うぁ、ああっ、えーじっ、えぇじっ、いやだ、いやだああぁあっ! うあぁああっ!!」 |