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「こんばんは。調子はどうだい?」 ひととおり部屋を片付けたところに、幾月さんがやってきた。僕は「良好です」と答えて、「ただ少しものが多いのが気になりますね」と返した。 「ベッドとか、棚とか、ライトも。昨日までは無かったものばかりだから」 「そうかい。今日中……には、片付きそうにはないね。こっちへ来た時間が時間だったし」 「そのようですね」 「すまない、せめてすぐに生活を始めてもらえるように、前の子が使ってた家具とか荷物とか、そのままなんだよ。君と同い年の男子だったんだけど、しばらく前にここで変死体で発見されてねえ。事件が事件だから、誰もこの部屋には気味悪がって近付かないんだ。そのうちいろいろ噂を聴くことになるかもしれないけど、気にしないでくれ」 「はい」 僕は頷く。 僕に宛がわれた部屋には、生活に必要そうな家具がひととおり揃っていた。幾月さんの言葉から察するところ、前の持ち主の少年のものだろう。そして彼がいなくなってから、ろくに人も入っていないに違いない。埃だらけだった。蜘蛛の巣まで掛かっている。 「何分急だったから。もっといい部屋を用意してあげたかったんだけど」 「充分です」 学生寮だ。入口には『巌戸台寮一号館』と書かれたプレートが下げられていた。 僕が住むことになった部屋は二階だ。どうやら件の変死事件のおかげだろう、僕のほかには誰も入っていなかった。幾月さんは僕の肩を叩き、「まあ君だけだから、気楽にしてよ」と笑った。 「部屋が片付くまでは、裏の寮に来るといい。僕も大体はそこにいる。巌戸台分寮と言うんだ。少々特殊な事情があって、門限が過ぎた後は外部の人間は入寮禁止。まあ察して」 僕は頷く。 「何か質問はあるかい?」 「ここへ来るまでに既に済ませましたので」 「ああ、困ったことや分からないことがあったら、すぐに僕のところへ来なさい。何とでもしよう。もっとも、君なら一人でどうとでもなるだろうけど」 幾月さんは僕の頭を撫でて、「それにしても大きくなったねえ」と感慨深そうに言った。 「前、最後に見た時は僕の腰くらいの背丈だったかな? また会えて嬉しいよ。ここへ来てくれるかどうかは正直不安だったけど」 「少々待遇が良過ぎるんじゃあないかと思いますけど」 「そりゃあね。私は君を手に入れる為ならどんなことでもしよう」 「そうですか」 僕は頷く。幾月さんの笑顔が、一瞬不穏に歪む。餌のシマウマを前にしたライオンみたいな顔だったから、僕はちょっとまずったかなと思った。この人は怖いから、実の所あんまり関わりたくないのだ。でもしょうがない。僕にも色々事情ってものがあるのだ。 「今日のところは、掃除はこの辺で切り上げちゃどうだい? 近所に美味い寿司屋があるんだよ。夕食を済ませて、その後で巌戸台分寮に案内しよう」 「了解しました。しかし、ひとつ疑問点があります」 「どうぞ?」 「『寿司』とは何ですか?」 幾月さんは頭を押さえ、悲しそうに首を振り、「うん、とてもいい質問だね」と言った。 ◆ 「あかんわあー!」とジンが叫ぶ。そのついでに、ちゃぶ台をひっくり返した。 僕らはさっと自分の皿を手に持って、難を逃れる。彼がキレて物に当たるのは、もう慣れたことだった。癇癪持ちなのだ。 「どうした。落ち付け」 「そうですよ、ジン。落ち付きなさい。健やかな頭髪は、健やかな心から生まれるのです」 「あんまり苛々してると三倍禿げるよ」 「お前らわしに何かあったらすぐ毛の話題に持ってくのやめえ! このごくつぶし共が!」 僕は首を傾げて、「心外だな」と言う。チドリが「うん」と頷き、タカヤも「そうですね」と同意する。 「お前はまったく困った奴だな。僕らの何が気に入らない」 「ジンも難しい年頃ですからね。思うところが色々あるんでしょう」 「心底どうでもいい。私ごはん食べたら絵、描きに行くから、ジン、イーゼルとバケツと絵の具持ってついてきて。あれ重たいから持つの嫌」 「ああもう、お前らな、なんでいっつもそうなんや。わしらの食扶ちどこから出とる思うてんのん。アフィリエイトやで。そんなもんで無職四人養える思てんのか? なんで飯食えてるんやろ、不思議やなって考えたことあるか?」 「特にない」 「考え! 特にカオナシ、お前やお前。お前の異常な食欲のせいで、なんぼあってもうちの蓄えは空っぽ寸前なんやで。……なあ、お前どっか悪いんとちゃうか。腹ん中に何か飼ってんとちゃうか。なんでそんなけ腹に入れて、横にも縦にも伸びへんの――」 「伸びないとか言うな。頭むしってやろうか」 「……と、ともかくやな、飯だけとちゃうねん。金払えとらんから、じきに水とガスを止められる。電気もや。わしらにとって、特に電気使われへんちうのはものごっつ痛手や。パソコン使われへんから、復讐代行サイトの更新もでけへん。依頼も見られへん。このままやと前ん時みたいに、カオナシに雷属性のタケミカヅチ降ろしてもらって、コンセント咥えといてもらわなあかんくなる」 僕は顔を顰めて、「ええ……」とげんなりして、項垂れた。 いくらなんでもあんまりだ。僕はびっくり電気人間じゃない。あんな面白いことになるためにペルソナ使いをやってる訳じゃないのだ。 「それは嫌だ。格好悪い。しかし、なんでそんな悲壮なことになってるんだよ。確か内職してなかったっけ、お前。食べ物だって、腹が減ったら影時間にスーパーにでも行って、いろいろ取ってくりゃいいじゃん」 「……お前、それやりたいか? お前が全部やってくれるんやったらエエねんけど」 「……やだ」 僕は首を振る。窃盗ってのは、結構なガッツが必要なのだ。万引きしたり、人の迷惑になることは絶対にやっちゃダメだと、僕は小さいころにいろんな人に叩き込まれて育った。僕が幼い頃に死んでしまった両親や、育ての親にだ。 どうやら万引き中は、通常の十倍の速度で死神タイプが出現するらしいのだ。僕らを造った技術者がたが言っていた。そんなことになっちゃたまらない。 僕はそこでようやくジンと同調し、溜息を吐く。事態を理解する。けっこう切羽詰まっているんだってことを。死に方に贅沢を言うつもりはないが、餓死するのはなんだか情けなくていやだ。 タカヤとチドリはまだ分かっていないらしい。欠けた茶碗でお茶漬けを食っている。いや、お茶漬けなんて良いもんじゃない。掛けてるものは普通のお湯なんだから。 そうこうしてるうちに、玄関のドアがどんどん激しく叩かれた。アパートの管理人の中年女性が、声を荒げて僕らを呼んでいる。「いい加減家賃払え!」と怒鳴っている。 僕らは項垂れる。そんなお金、どこにもない。 アパートを追い出されるまで、そう時間は掛からなかった。 腹いせにアパートの壁に『復讐代行人参上』と落書きしてやったはいいが、それで僕らが今晩寝る場所も無いんだって事態が変わるわけでもない。どうしたもんだろ、これからどこで雨をしのごうって考えてたところに、彼に出会ったのだった。 僕らはその時、巌戸台駅の、自転車置場の前の階段に座り込んでいた。一文無しで、行く当てもなく、これからどうしようかって話をしていた。 そこに声を掛けられたのだ。「やあ、こんにちは」と。「久し振りだね」と。 僕らは彼の顔を認識するなり、全力で逃げ出そうとした。 ちょっとばかり、いやかなりお近付きになりたくない人だったのだ。良い思い出ってものがまるでなかった。忘れられるなら忘れたい。 僕らを造った人だった。造ったとか言うと、お父さんみたいなものに聞こえるかもしれないけど、実際のところそんなに良いもんじゃない。散々ひどい使い方をされて、使い切られて壊れる直前に、僕らは逃げ出した。それが十年ほど前のことだ。 もう十年も経っているけれど、僕はあの頃の畏怖と恐怖と危機感を、まるで昨日のことのように覚えている。良く夢に見るくらいだ。 僕の仲間たちはネズミの子供みたいにさあっと散ってしまった。 でも僕ときたら、怖すぎて腰が抜けてしまっていた。階段に座り込んだまま、立てない。 一人ぽつんと取り残されて、泣きそうだった。いつもそうだ。僕だけ貧乏籤を引く。 裏の庭の蜜柑の木から実をかっぱらう時、スーパーでチョコレートを盗む時、みんないつも動けなくなった僕を置いてさっさと逃げてしまうのだ。ちくしょう、呪ってやる。 「君は逃げないんだね」と幾月さんが意外そうに首を傾げる。 逃げたいんだけど逃げられないんです、と僕は言いたかった。ほんとは失禁しそうなくらいあなたが怖いんですと。 でも怖がってるなんてことを悟られたらお終いだったから、僕はできるだけクールなふりをしながら、「何か用ですか」と言ってやった。我ながらすごい勇気だ。 「まあね」と彼が言う。 「逃げられなくて良かった。今までずうっと探していたんだ。無事で良かった。心配してたんだよ。君に大事な話があるんだ。話って言うか、お願いかな。取って食ったりはしないよ。僕はもうエルゴ研のドクターじゃないんだ」 半信半疑だったけど、「まあ食事でもしながら、話だけでも聞いてよ。御馳走するからさ」と言われて、渋々頷いた。僕は異常に腹が減っていたのだ。そりゃもう共食い寸前なくらいに。 食事って聞いた途端に、僕の腰も、金縛りに遭ったみたいになってた身体も動き出したんだから、現金なものだ。 話ってのはこうだった。元エルゴ研はすでに解体されていて、ドクター幾月は今はただの『幾月さん』だってこと。子供を捕まえたり、洗脳したり、改造したりはしていないそうだ。 「今のご当主ってのが分からずやでね。困ったもんなんだよほんと」 仕事の愚痴を聞かされた。 幾月さんはいくつか僕らにとってプラスになる条件を挙げた。入手が困難な抑制剤の定期的な供給、衣食住の確保、それから警察やラボの追手からの保護、僕らがやらかした事件の隠蔽なんか。 その代わりに力を貸して欲しいそうだ。 「僕個人のお願いを聞いてもらいたいんだ。依頼ってやつだね。君らの本職にもピッタリ。わあ素敵だね」 幾月さんが、相変わらず考えのいまいち読めない顔で笑って言った。 「復讐代行の仕事を依頼したいんだけど」 「そういうのは復讐代行サイトからお願いしたいですね。依頼を管理するのは僕の仕事じゃないんで」 「まあそう言わずに。殺して欲しい相手がいるんだ」 「誰ですか?」 「世界だよ。この星の生きるものすべて」 僕は首を傾げ、この人頭大丈夫かなと思った。でも、冗談を言ってるふうだったけど、彼はどうやら本気のようだった。冗談みたいに言う時はこの人はいつも本気も本気なのだ。薄ら寒い駄洒落とか。 「それは、あれですか? 僕らに、目に付く人間を片っ端から殺せと? 僕らは無差別大量殺人鬼って訳じゃないんですけど」 「うん、まあ、そう言う訳じゃないんだけど。そんなに絶望的な話って訳じゃないよ。ただ少しだけ力を貸して欲しいってだけ。僕はこの悪意に満ちた世界を殺そうと思う。次に訪れる新しい世界のために、綺麗に掃除しなきゃあならない」 「失礼ですが、頭大丈夫ですか?」 「うん、そう言うと思った。でもとてもクリアだよ。その目的のためには、ぜひ君の力が必要なんだ」 幾月さんはにっこり微笑んだ。 「元桐条エルゴノミクス研究所、人格変換兵器サンプルコード01『カオナシ』君。君は最強のペルソナ使いだ。昔も、そして今も。戦闘能力、統率能力、判断能力、それからその無数のペルソナを付け替えられる特殊能力、どれを取っても君にかなう者なんかいやしない」 「おだてても何も出ませんよ」 「事実さ。さあ、どうかな。一緒にこの世界を殺さないかい? 君はいつか来る追手に怯えながら、復讐代行なんて誰も知らない小さな仕事をして終わる人間じゃあないよ。僕が保証しよう」 そこで話は決まってしまった。僕は昔からどうも押しに弱いらしい。押しって言うか、「君ならできる」とか、「君じゃなきゃできない」とか、「君が必要だ」とか、そんなの。 まったく詐欺だ。ああまたいいように流されてるぞって自覚は、あるにはあった。この人は本当に僕の扱い方が上手いのだ。 「まあいいですけどね」と頷いた後、次の日には巌戸台寮に部屋を宛がわれて、学校の制服や教科書を支給され、なんでか学生をやることになってしまった。 あの人が何を考えているのか、さっぱり分からない。なんで僕が学生。 「教科書を読んでおきなさい。一晩で全て暗記すること。後々役に立つはずだから」 「はい。ドクター」 「幾月さん、ね。もう僕はドクターじゃあないんだから」 「はい、幾月さん。寿司美味しかったです」 「そりゃ良かった」 幾月さんが僕の頭を撫でる。そして扉を開け、「さあ」と僕を促す。 「ようこそ、巌戸台分寮へ」 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜