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「ねえ、起きてよ」 身体を揺さ振られて目を覚ますと、不安そうに顔を歪めたファルロスが目の前にいた。寝惚けながら、「今何時だっけ」と枕もとに置いてある支給されたばかりの携帯を見ると、液晶パネルには何も映っていない。 ああそうかと僕は気付いた。今は影時間なのだ。ファルロスが目の前にいるって時点で気付いてしかるべきだった。 「どうした? 怖い夢でも見たか」 腕を回して背中を撫でてやると、首を振る。「違うんだ」と言う。 「なんだか、すごく嫌な予感がするんだよ。ぴりぴりしてて、胸がぎゅっとなって、それから、それから……」 「落ち付け。心配は」 いらないんだと言おうとしたところで、いきなり建物が強く揺れた。 地震じゃない。なにか、とても大きなものが、たとえばトラックやショベルカーが思いきりぶつかってきたような衝撃だった。 もちろん影時間に、酔っ払いが運転する車が突っ込んでくる訳がない。思い当たることはひとつきりだ。 「シャドウの仕業だな。チドリ、聞こえるか」 『シャドウ反応がひとつ、建物の裏手。今まで見たことないくらい大きい。どうする?』 「全員いつでも応戦可能な状態でいろ。攻撃するかしないかは実物を見てから判断しよう。シャドウはあまり殺したくない。襲ってこなければいいが」 『了解。他の二人に知らせとく』 隣の空き部屋を勝手に使ってるチドリから、メーディアの通信が入った。僕は指示を下し、すぐに馴染んだ戦闘服を着込み、腰のベルトにナイフを二本差した。邪魔っけな前髪を掻き上げ、勉強机の上に置いてあった、古びた召喚器のチェックを手早く済ませる。 それから不安そうにしているファルロスの肩を抱いて、「怖がることはない。大丈夫だ」と声を掛けて安心させてやった。彼はぎゅっと目を瞑り、僕の腰に抱き付いてきた。 何度か続けて衝撃があった後、急に静かになった。どこかへ行ってくれたかな、と僕は考えた。そうならいいのだが。 「チドリ、どうだ? 反応は」 調べてくれ、と言おうとしたところで、僕は「やっぱいいや」と言い直した。知りたかったことは、すぐに分かった。とても明確に。 窓から、真っ青な顔が覗いていた。生物の顔じゃない。硬質の仮面だ。僕らをじっと見つめている。 シャドウは寮の壁をよじ登ってきやがったのだ。ニ階の僕の部屋の窓に張り付いている。 どう見たって「やあこんばんは。とても月が綺麗な夜ですね。一緒に散歩でもどうですか?」なんて言ってるふうには見えない。そいつは無数の手で、無数のナイフを構えていた。洒落にならないくらいにでかい。 僕は、すぐさまファルロスを肩に担いで部屋を飛び出していた。狭い室内でペルソナなんか出したら、僕まで巻き込まれて丸焼けだか生き埋めだかになってしまう。 部屋のドアを閉めたところで、窓ガラスが割れる音がした。どうやら僕の昨日からの努力は、まるきり無駄なものになってしまったらしい。せっかく綺麗に片付けたのに、あいつは僕の労力をなんだと思ってるんだ。 「ねえ、追い掛けてくるよ!」 「そうみたいだな」 ずるっ、ずるっと粘ついた液体が這いまわる音がして、直後激しい物音がした。おそらく、ドアが壊されたんだろう。ちらっと後ろを見遣ると、しなやかに、素早くこちらへ向かってくる黒い影が見えた。 階段に差し掛かったところで、下からおんなじような物音がする。何か硬いものを思いきりぶっ叩く音や、僕の仲間がそれぞれのペルソナを呼び出す声、「ぎゃあ気持ち悪!」と言うジンの悲鳴。あいつはいつでもうるさい。 「どどっ、どうしよ、下にもなんかいるみたいだけどっ」 「じゃあ上」 僕はすぐに判断を下し、寮の階段を上へ上へ上っていく。確か屋上があったはずだ。 ここへ来て初日のうちに、寮の構造は把握している。例えば、例の幾月さんが僕を裏切って、ラボの警備員や警察なんかをけしかけてきた時にも、混乱に陥らず、すみやかに逃げ延びられるように。 僕はいつも最悪を想定して行動する。この世界に僕を裏切らないものなんてないのだ。 一番上の階の突き当たり、行き止まりのドアを蹴り開けて屋上に出ると、思った通り開けた空間が僕の目の前に現れた。 ようようファルロスを肩から降ろし、僕は扉に向かって召喚器を構える。いつでも来い、と考える。ずるずる、何か得体の知れないものが這いずる音が、どんどん近付いてくる。 「ね、ねえっ……」 「なんだ、ファルロス。心配いらないからちょっと黙ってろ」 「あのね、後ろ」 「うん?」 「なんか、手、顔も……、出てきた、よ?」 僕はふっと振り向いた。そこで、なんだか嫌なものを見てしまった。 屋上のへりに手が掛かる。そこから、ぬうっと青い仮面が現れる。僕らをじっと見つめている。 階段の方からも、閉めたドアを激しく叩く音がする。 どうやら挟まれたらしい。一匹ってわけじゃあなかったのだ。 「まったく、あいつら普段は僕らを襲ってこないくせに、今日に限ってどうしたんだ」 僕はぶつぶつ文句を言いながら、召喚器を頭に突き付けて、僕自身の人格を武器に変換する。 「ペルソナ召喚。『愚者』オルフェウスを顕在化、敵未確認シャドウをターゲッティング。アギを発動する」 『カオナシ』なんてあだ名を付けられている通り、僕には貌がない。のっぺらぼうだ。 その代わりに、僕は顔を覆い隠す為の無数の仮面を持っている。そいつをクルクル付替えて、最も効率よく敵を破壊することができる。それが僕の能力なのだ。 もっとも、大分無理をして手に入れた能力だから、維持するのは割と大変なのだ。でも力の代償ならば、僕は何だって、いくらでも払うだろう。僕は強くなきゃいけないのだ。過去と未来から現在を断ち切って、今を楽しむために。 僕の火に焼かれたシャドウは、驚いたように身体を竦ませ、さあっと影時間の空に消えていく。この程度で仕留められた訳はないから、たぶん逃げて行ったんだろう。 そこで背後の扉が吹き飛ぶ。僕は咄嗟にファルロスを抱いて転がっていた。 まるで豆腐みたいに簡単にさいの目に切られた壁が、僕のすぐ傍を掠めて飛び散っていく。 さっき、僕の部屋の覗きをやってたシャドウだ。今しがた目を眩ませてやった奴とは、比較にならないくらい大きかった。 そいつは僕らを見付けると、無数のナイフを掲げ、襲いかかってきた。これだけ好戦的なシャドウってのも珍しい。 普段なら、ちょっと脅かしてやったらすぐに逃げ出すくらいに弱い奴らなのだ。身体もこんなに大きいのは、初めて見る。 ファルロスを抱えたまま、召喚器を頭に押し当て、僕は叫ぶ。 「来い、『法王』フラロウス! ニ連牙を発動!」 シャドウは、向かってくる勢いを緩めない。僕が切り裂いてやったところが、瞬く間に再生していく。なんだこいつ。 舌打ちをして腰のナイフを抜いた。こんなでかいシャドウと取っ組み合いの喧嘩をやらかす羽目になるとは思わなかった。 そこでふいに、こつんと音がした。小さなものだ。 すると、シャドウがぴたっと動きを止めた。また、こつんと音がする。 ファルロスだった。屋上のタイルの上に落っこちていた、小さなコンクリート片を拾って、シャドウに投げ付けている。 「あ、あっちいけー! この子は、僕のなんだから! 僕のトモダチにさわらないで!」 ちょっと涙目だ。彼も、こんなにでかい怪物を見たのは初めてなんだろう。 いいからお前は危ないから下がってろって言おうとしたところで、なんでかシャドウがくるっと向きを変えて、跳び上がり、屋上を伝ってさあっと逃げていく。 何がなんだかさっぱり分からない。一体あいつは何がしたいんだ。実は子供好きだったのか。だって今のは、小さな子供に「あっちへいけ」って言われて、「はい了解」って言うことを聞いたようなふうに見えたんだけど。 怪訝に思っていると、シャドウが去っていった方角から悲鳴が聞こえた。女のものだ。この影時間に僕ら以外の人間がいるなんて珍しい。 『カオナシ、聞こえる』 「ああ、チドリか。そっちはどうだ」 『なんかいっぱいいたけど、今急にいなくなった。ちょっと離れたところに集まってるみたい』 僕は「うん」と頷いた。肉眼でも確認できる。いくらか離れた建物の屋上で、さっきの気色の悪い腕が無数に絡み合い、ひとつに纏まり、大きく膨れ上がっている。 『どうする?』 「人に喧嘩を売っておいて、途中で逃げ出すのは感心しないな。お前らはその辺で適当に待機してろ。僕が殺す」 『いやにやる気満々。どうしたの』 「あいつ僕の友達を怖がらせた。許せない」 チドリが『ああそう』と頷く気配があった。彼女も、それに関しては僕の気持ちを察してくれるようだった。つまり、僕たちそれぞれにしか見えない大事な友達に関することだ。 そこで通信は切れた。僕はまだ不安そうな顔をしているファルロスに、「ここにいろ。もう大丈夫みたいだから。何か来たらすぐに逃げろよ」と言い置いて、屋上のへりに足を掛け、跳んだ。建物の屋上を伝って、目指す目標に向かって駆けていく。 「せ、先輩! しっかりして下さい、先輩!」 少女が、うろたえている。月光館学園の制服姿だ。良く見ると、昼間も見た顔だった。 彼女は蹲り、倒れている男子生徒を揺さ振っていた。反応は無いようだった。頭でもぶつけたのか、完全に昏倒している。 目の前に迫った大きなシャドウに向けて、彼女はペルソナを発動しようと試みたようだった。頭に召喚器を突き付けたのだ。でも、トリガーは引かれない。目はぎゅっと閉じられている。 どう大目に見てみても、彼女は戦闘に向いているとは思えなかった。普通の人間なのだ、きっと。 シャドウの腕が振り下ろされる。彼女の身体は、軽々と吹き飛ばされる。体重が軽いせいだろう。 弾き飛ばされた召喚器を拾おうと手を伸ばす。でも、それよりも早く、シャドウの腕がもう一度正確に振り下ろされる。ぎらつくナイフが。彼女が目を閉じる―― そして、僕はビルの屋上から飛び降りた。ようやく追い付き、落下の勢いをつけて、眼下のシャドウにナイフを突き立てる。 大きなノイズが上がった。多分、これはシャドウなりの悲鳴みたいなものなんだろう。 可哀想だけど、仕方がない。こいつは僕の友人を怖がらせたのだ。しかもちょっと泣かせた。許せない。 狂ったように暴れ出したシャドウから飛び降りて、僕は床に落ちている召喚器を拾い、倒れている岳羽ゆかりに放ってやった。 「怪我はないか、岳羽ゆかり」 「ど、どうして私の名前知ってるの? キミは誰?」 岳羽は唖然とした顔をしている。お前あれだけ散々僕に暴行を加えておいて、顔も覚えていないとかいい度胸だな。 僕は肩を竦め、「元気そうだな」と言った。 「下がっていろ。あれは俺が壊す」 「ちょ……危ないよ! あんな強いシャドウキミ一人で、ペルソナもないのに――」 「ペルソナ、『愚者』オルフェウスを召喚。突撃」 オルフェウスが竪琴を振り被って、シャドウの仮面に叩き付ける。あまり効果は無さそうだったから、僕はもう一度頭を撃つ。 「『皇帝』フォルネウス、俺にタルカジャ掛けろ。来い『刑死者』イヌガミ、アサルトダイブを発動する」 効果はあったようだが、いかんせん相手は無数の手を持っている。すぐに欠けた部分を補って、元通りだ。どの程度ダメージを与えられたのか、判断するのは難しそうだった。 「……うそぉ」 岳羽が気の抜けたような声を出して、目を丸くしている。だが、すぐに思い直したようで、倒れている男子生徒を介抱しに掛かる。まだかなり召喚には抵抗があったようだが、意を決したのか、ようようトリガーを引いた。 牛の頭みたいなペルソナが顕在化する。癒しの光が、昏倒している男子生徒を包む。あっちはあっちでまあやっているらしい。 僕はもう一度頭を撃つ。 「オルトロス!」 叫ぶ。手応えはあるが、やっぱり相手は欠けない。 どうやら一撃で焼き尽くすんでもなきゃ、延々と復元し続けるらしい。厄介なことだ。 「キミ!」 岳羽が「危ない!」と叫ぶ。 彼女が僕の心配なんてするのが意外だった。さっきだって、学校では舌打ちして「死ね変態」とか言ってたのに。 しかし残念なことに、余所ごとを考えている余裕はすぐに無くなってしまった。 腹が変に熱い。おかしいなと思ったら、ツナギの皮地を突き破って、銀色の切っ先が腹から飛び出ている。 どうやら僕は後ろから刺されたらしい。口の中に、どろっとした鉄臭い液体が充満する。血だ。ごぼごぼ喉から逆流してくる。 そのまま振り回されて、放り棄てられた。おかげで僕は、洗濯機の中で揉みくちゃにされている洗濯物の気分を味わうことになった。 思いきり壁に背中から身体を打ち付け、あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。 とにかくさっさと傷を塞がなければならない。血を流し過ぎると、判断能力に影響する。 僕は召喚器を頭に突き付ける。でもトリガーを引くより先に、あの銀色のナイフが降ってくる。 ああ、これはどう考えてもゲームオーバーだ。僕は、静かに目を閉じた。僕は諦めが早いことに掛けては、他の追随を許さないのだ。 「――やめてよ!」 子供の声が聞こえた。 小さな背中が、僕の目の前にある。足は震えている。手を広げている。 「この子に触らないで!」 それを見た瞬間、声を聞いた瞬間、僕の背中にざわっと鳥肌が立った。 僕の友達。僕が生まれてから、たったひとりきりの、無条件で僕を愛してくれる人間。 僕に振り下ろされたナイフ。僕を庇って、一生懸命踏ん張っている小さな足。 「ふざけるな」と僕は、僕自身の敵だとはっきり認識したシャドウを睨み上げた。 「俺の友達に触るな!」 僕は素早くファルロスを抱えて、横っ飛びに跳んだ。身体が痛くて上手く動かなかったから、無様に転んだ、が正しいかもしれないけど。 そして頭を撃つ。「ペルソナ!」と叫ぶ。 僕の中の、無数の仮面。どれでもいいから、敵を殺せる奴。僕の友達をこれ以上怖がらせずに済むように。こんな小さな子供に、「この人を守らなきゃ」とか考えさせずに済む奴。でなきゃ、僕が情けなさ過ぎるだろう。 でも僕の中から、ペルソナは出てこなかった。 もう力が尽きかけてるのかと絶望し掛けたところに、その奇妙な変化は現れたのだった。 オルフェウスだ。僕が初めて召喚したペルソナ。 そいつは急にぶるぶる震え出した。胴体にくっついてるスピーカーから、耳障りなノイズが零れ出す。 そして、何か大きなものに引き千切られるように、苦しげに悶えはじめる。卵の殻が割れるみたいに全身に罅が入る。 何か、出て来る。黒くて大きなものだ。今まで僕が見たことがないくらい、恐ろしく力強く、綺麗で、禍々しい、ペルソナだかなんだか分からないものだ。 僕は身体を割かれる激痛に悲鳴を上げていた。ペルソナの痛みは、僕の痛みだ。全身ばらばらの粉々になった感触が、リアルに訪れる。死んだほうがいくらかましってくらい、痛い。 僕から現れた異形も、僕と同じ痛みを共有しているらしい。頭を抱えて、泣き叫ぶような悲鳴を上げている。言っとくけどお前がやったんだからな、と僕は考える。痛い。 そいつは当たり散らすように、僕の目の前にいる大きなシャドウを一刀両断した。そりゃもう、気持ち良いくらいすっぱり行った。復元すらさせない程に、潔く、凶悪に、無慈悲に。 そして月に吼える。 僕は激痛の中で、ついそいつに見惚れてしまっていた。 僕は強い。自分の力を、判断を信じている。 でもそいつは、何というか、そういうレベルの次元にすらいないってふうな感触がした。僕が憧れているものを具現化したような感じだった。それが具体的にどういったものなのかは、もやもやしていて良く分からない。 異形が役割を終え、消える。僕からも、もうペルソナを召喚するだけの気力は消え失せていた。 とりあえず、まだしぶとくびちびち跳ね回っている黒い腕にナイフを突き立てる。 そしてやっと何もいなくなった。震えながら僕にしがみついてくるファルロスの頭を撫でて、「終わったのか」と僕は独りごちた。 「……ファルロス、もう大丈夫らしい。心配を掛けてすまないな。もう怖がらなくていい」 「ごめん、ごめんなさい、ごめん、僕……」 「馬鹿、なんで謝る」 「ごめんね、僕、なんだか取り返しのつかないことをしちゃったみたいな、そんな気が、」 「気のせいだよ。泣くんじゃない。まったく、待ってろって言ったのに」 僕はファルロスをあやす。そこで、ふわっと空気が緩む。影時間が明けかけているのだ。 ファルロスの身体が、ふうっと影にまぎれていく。「またな」と僕は囁く。 そして立ち上がる。 はっとした顔で、岳羽が駆け寄ってくる。 「ちょ、キミ、大丈夫? お腹刺されて、すぐ病院に……あれ?」 岳羽は僕の腹を見て、変な顔をしている。もう傷は塞がって、血は止まっている。 「もう治った」 「う、うそぉ? だって、癒してるところなんて」 「傷の治りが早い体質なんだ。じゃあな。邪魔した」 「あ、ちょ、待っ――キミ、名前!」 面倒なことを色々聞かれる前に、僕はさっさと岳羽から逃れることにした。 何でお前僕の名前覚えてないんだ。「名前何だっけ」ですらないんだ。まるきり初対面みたいな対応なんだ。 なんか、理不尽だ。 ◆ 朝、クラスのドアを開けるなり、また岳羽に汚いものでも見るような目を向けられた。教室の後ろの掲示板を見ていた彼女は、僕の姿を確認するなり、顔を顰めてすうっと離れていく。まったく露骨過ぎるくらい露骨だ。 「はよーッス。なあ、ゆかりッチ今日変だと思わねえ?」 「さあ……」 席に座るなり、順平がこそこそ話し掛けてきた。僕は首を傾げる。 「なんか朝から変にぽーっとした感じじゃね? 顔も赤いし、こりゃアレかね、アレ」 「風邪か?」 「うわあ、何この空気詠み人知らず。アレっつったらアレに決まってんじゃ……」 僕らが話し込んでいる横を、岳羽がすっと通り抜ける。また突付かれるのかと思ったら、そうじゃあない。 順平の言う通りだった。ぽーっとしていて、顔が赤い。これは風邪だな、と僕は判断した。脈拍、心拍数共に通常時よりも大分速いみたいだ。 気だるげな顔をして、ふーっと溜息を吐いている。「なあ、アレだって」と順平がしたり顔で頷いている。 「ゆかりッチも女の子らしいトコあるんじゃんなぁ。くそっ、誰だクラスのマドンナにお熱上げられちゃってる羨ましい野郎は――」 順平が相変わらずのオーバーアクションで茶化しかけたところで、彼の頬にストレートに拳が入った。言う間でも無く岳羽のものだ。彼女はペルソナを呼ぶよりも、拳ひとつで戦ったほうが強いんじゃあないだろうか。 「わ、わー! き、気になってなんかないんだから! 確かに、ちょっと、初めて見るくらい綺麗な顔した男の子だったけどっ……! な、名前も知らないのに」 真っ赤な顔で良く分からないことをまくしたてた後で、自分の机に突っ伏してしまう。 女子って良く分からないなというのが、僕の正直な感想だった。行動が読めない。 ◆ 幾月さんは、どうやら月光館学園の理事長先生ってのをやっているらしい。 なるほどなと僕は思った。どうりで僕に学生なんかをやらせたがるはずだ。四六時中すごく自然なかたちで手元に置いておけるんだから、何かと便利なんだろう。 「いやー、昨日の戦闘、見せてもらったよ。さすがに君はすごいね! こう、歳甲斐なく、血湧き盆踊りって感覚を楽しませてもらったよ」 「そこは『肉踊る』だと思われます」 「誰も敵わない強大なシャドウを、空から颯爽と現れて格好良く倒し、名前も告げずに去っていく謎のヒーロー。うーんイカス。あの後ね、結構大騒ぎだったんだから。君の能力を見てみんなびっくりしちゃって、宇宙人だ、いやUMAだ、正義のヒーローだ、改造人間だってね。とりあえず僕の提案で、格好良いあだ名を付けてみたんだけど。カッチャマンとかカオナシンガーとかどうだろうってね」 「死ぬ程嫌なので止めて下さい」 「もう、再会してからの君はとってもつれないなぁ……反抗期かなぁ……でもそういう所もいいなぁ……かわいいなぁ……」 幾月さんは息を荒くして、「ハァハァ、カオたん、モエー」とか言っている。何語だそれと僕は指摘してやりたかったが、なんとなく構うのが癪なので黙っておいた。 「しかし意外でした。シャドウを愛するあなたのことですから、怒ってるんじゃあないかって思ってたんですけど」 「怒る? まさか、僕は君を怒らないよ。言ったろう、君を手元に置いておく為なら、僕は何だってしよう。――そうそう、君に言っておくのが遅れたけれど、これからもちょくちょくああいう大型シャドウがこの街に現れるだろう。おそらく、一月に一度程度の割合で。君には是非その自慢の、最強の戦闘能力でもって、彼らの討伐を影から手伝って欲しいんだよ。一体も漏らしちゃならない。取り逃がしちゃならない。その件はうちで今正式に確保してるペルソナ使いだけで、なんとか始末をつけたいんだけど、なんとも心許無くてねぇ」 言うのが遅いと文句を言ってやりたかったが、彼が煮ても焼いても食えない男だってのは今に始まったことじゃあない。多分、彼の本当の目的を、彼自身の口から聞く日は来ないだろう。 もしあったとすれば、それは僕が死ぬ日だ。彼の目的が達成されたか、僕の役割が終わったりして、僕が用済みになった日だ。 今に見てろよと僕はこっそり考えた。この狸め、いつか絶対復讐してやると。 当たり前だけど顔には出さず、僕はそっけなく「了解しました」とだけ言って頷いた。僕もこれで結構大変なのだ。感情が顔に出ない性質をしていて、本当によかった。 「ところでね、僕が昨晩徹夜して考えたとっておきの駄洒落なんだけど、」 「では失礼します。そろそろ昼休みが終わりますので」 「ああ、そうだね……ご苦労様。またいつでも来て。苛められたりしたらちゃんと言うんだよ。相応の処置を取るからね」 ああ、この人はまた得体の知れない笑い方をしてる、と僕はげんなりする。 理事長室を出たところで、見た顔がいくつか並んで歩いてくる。順平と、他は名前を覚えてない生徒が二人だ。全員男子生徒だった。 彼らは僕と理事長室のプレートを見比べ「ちょ、どうしたのよ?」と心配そうな顔つきになった。 「なんかあったんか?」 「いや、別に……なんでもない」 僕は首を振って、「ほんとに」と言う。言葉を濁す。 彼らはどうやらそれで何か勘違いをしたらしく、僕の肩を叩き、「まあいいことあるって」だとか、「元気出せ」だとか、励ましの言葉をくれた。 「ん? オメ、昼飯食ったか?」 「いや……休み時間始まってすぐ呼び出されて」 「あちゃあ。じゃあ腹減ってんだろ」 「いや別に、大丈夫。ごはん食べれないとか、慣れてるから」 「…………」 彼らは心底同情するような顔つきになった後で、「こんなんしかなくて悪ィけど」と各々ポケットから取り出したお菓子をくれた。クッキーとか飴とか、色々。「それ食って腹ごまかしとけ」と言われた。 女子は怖いけど、男子はいい奴ばかりだ。僕は頷いて、「ありがとう」と礼を言い、もそもそとクッキーを口に入れた。 「すごく美味い」 「うん……いつかいいこともあるって……」 彼らの目、どこかで見たことあるなと思っていたら、あれだ。裏路地でたまに野良犬に餌をやっている、怖そうな雰囲気の男性がいるんだが、犬が一生懸命餌を食ってるのを見てる時だけは、すごく優しい目つきになるのだ。あれと同じだ。 なんで彼らは僕をそんな優しい目で見るんだろう。僕は犬じゃないのに。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜