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「あいつもいいか?」と訊いてやる。 『あいつ』っていうのは、いつも所在無さそうに教室の隅の方にいるクラスメイトの黒田のことだ。 この数ヶ月というもの、まともに誰かと話しているところを見掛けたことがない。話し掛けたら返事はするのだが、どうやら自分から積極的に誰かに話し掛けようという熱意は無いらしい。 まあしょうがないな、と順平は考える。環境があまりに不遇だったのだ。対人恐怖症になったって仕方がない。ついでに、女性不信にも。 転入生の帰国子女は、「女の子かい?」とちょっと期待したふうに、首を傾げた。でもすぐに現実を思い知り、「そっか……まあいいんじゃない?」と、どうでも良さそうに頷いた。 その男は大分女子にちやほやされていて、初日から取り巻きなんかも作っていたから、女子連中から黒田の悪い噂を、あることないこと聞かされているんだろう。 だから黒田に色々先入観を持っているのかもしれないが、「まあ悪い奴じゃないぜ」とフォローしてやると、「うん、まあ君がそう言うんならそうなんだろうね」と頷く。なんだ、こいつ結構良い奴かもなと順平は考えた。 お伺いを立てたり、フォローしてやったりとややこしいことになってはいるが、何をやってるのかって言えば、ただ単純に「一緒に帰ろうぜ」って話だ。 修学旅行は来週に迫っていた。ここに来て間もない転入生の望月綾時は、女子の尻ばかり追い掛けているせいで、仲の良い男子のお友達ってものがあまりいない。それで、数少ない友人の順平にお鉢が回って来たと言う訳だ。同じ班員なのだ。 黒田もおんなじふうな感じで、まともに友人と言える友人もいない。いつも面倒を見てやっている順平に押し付けられたという感じだった。彼も、同じ班員だ。 まったく楽しい楽しい修学旅行だってのに、世話ばかり焼かされている気がするぞ、と順平は考えた。まあ頼られて悪い気はしなかったし、合わない人間と組まされるよりは随分ましだと思えた。 「どこかへ行くの?」 「おう、準備だよ。どうせお前ら全然してないだろ」 「修学旅行のかい? わあ、楽しみだね。そういうの初めて。どういったものを持ってけば良いのかな?」 「非常食とGPSと、救難信号と」 「待て待て待て。お前はどこへ行く気だ黒田くん。まずでかい鞄な。それから歯磨きセットに着替えに、お菓子は五百円までだ」 望月が、「へえ」と頷く。黒田が、「うん」と気が抜けたみたいな顔で頷く。 どうも最近の黒田は、前にも増して覇気がない。心ここにあらずって感じだ。魂が召されました、って顔をしている。いや、相変わらずもったりした前髪のおかげで、顔はようよう口パーツしか見えないのだが。 「どうしたよ」って訊いてやっても、「俺が半分なくなった」とか意味の分からない答えが返ってくる。こいつ相当疲れてるなと順平は心配になった。ストレスに負けて首とか吊らなければ良いのだが。 ◆ 女子連中に「宝石と石ころと生ゴミが並んで歩いてる」と揶揄されながら、学校を出た。「失礼なこと言うなー!」と返してやったが、相変わらず順平と一緒に、いや順平よりも更に貶められた黒田は、何を言うでもない。ただ俯いて、猫背でボソボソ歩いている。 彼が転入してきたばかりのころは、この辺りの性質が祟って、何度か悪い奴らに呼び出しを受けていたみたいだ。 でも黒田という男は逆さに振っても何も出てこない上に、手を出すと祟りに遭うという噂がまことしやかに語られるようになると、そう言ったことも無くなった。 言っては何だが、見た目だけは本当に呪いでも掛けそうな外見をしているのだ。彼の家の柱と言う柱に藁人形が打ち付けられていても、きっと誰も驚かないだろう。 「なんかちょっといやだな」 「あん? どうしたよ」 「彼さ」 望月が、困ったような顔をして黒田をそっと見た。 まあ、気持ちは分かる。女子の不人気投票で、グルメキングと並んで一位を掻っ攫うような男と一緒に並んで歩くってのは、人気者の帰国子女的には面白くないんだろう。 ――と、順平は考えたのだが、どうやらそうではないらしい。望月は首を傾げて、「なんかね」と言った。 「彼がひどいことを言われているのを見ると、とても辛い気持ちになるよ」 どうやら、順平が思ったよりも、この望月って男は良い奴らしい。認識を少し改めた。 ただ、黒田にしてみたら意外だったらしく、不思議そうに首を傾げている。 「なんで?」 「わかんないけど」 「ふうん」 不思議ちゃん同士で、会話が成り立っている。すごく意外だ。望月って奴は、親切の矛先が女子にしか向かないものだと思っていたら、ちゃんと恵まれない男子にも優しくできる男だったらしい。 きっといつもは女子を優先し過ぎてて、誰も気が付かないだけだなこれは、と順平は考えた。 「うん、まあ、仲良くしてやってくれよ。こいつオレっち以外に友達いねーの。良かったなお前、またトモダチできたじゃん。ん?」 すると、黒田は見て分かるくらいに項垂れてしょぼくれた。「トモダチ」とぼそっと呟いて、黙り込んでしまった。 「わ、わり。なんか嫌なとこ突いちまったか?」 「いや」 首を振る。「何でもない」と言う。黒田は本気で分かりにくい性質をしていたから、何が地雷で、何がそうじゃないのかってのが、良く分からない。 「黒田くんだよね。よろしくね。僕望月綾時って言うんだ」 「うん」 「ねえ、女の子たちから聞いたんだけど、君デジカメ構えてゆかりさんのお風呂覗いてたって本当?」 「うわー! お前はこいつに優しくしてやりたいのか苛めたいのかどっちなんだ! それともあれか、持ち上げて落とす形式採用か! なおたちが悪い!」 「本当だとしたら、すごく度胸あるなあと思って。是非動画を見せてもらいたいなあと」 「あ、オレっちも見たい」 「……そんなことしてないけど」 黒田はふるふる首を振り、「怖いし」と言う。うん、確かに怖い。 「じゃあ隣のクラスの女の子をつけ回してひっぱたかれたってのは本当? 美術部の可愛い子。あの、三つ編みの、眼鏡の。あとね、運動会の時に女子更衣室からブルマ盗んでたとか。持ってるの見たって女の子が言ってた」 「お前……ほんとにひどいこと言われてんだな……可哀想な奴め……」 ポロニアンモールで旅行用に新しいCDと、漫画本とトランプを買った。「酔い止め買っとくだろ」と黒田に聞いてやると、「うん」と頷く。 どうやら彼は、乗物酔いがひどいらしいのだ。この前の遠足の時も、バスの後ろで青い顔をしていた。 青ひげファーマシーに入ると、入れ違いに中から出てきた猫背の男と鉢合せした。「あれ」と意外そうに声を掛けられた。 見ると、ちょっと見ないくらい綺麗な顔をした男だった。二十代かそこらだろうが、正直歳は良く分からない。十代だとか、三十代だとか言われても、「へえそうですか」と頷けてしまうような感じだ。 知らない顔だったが、どうやら黒田の知り合いらしい。相変わらず聞き取り難い声で、「どうも」と言っている。見て分かるくらいよそよそしい態度だったから、あんまり仲良い相手って訳じゃないんだろう。 「お前友達いたの? ちょう意外。てっきり学校でも精神的に鎖国してんのかと思ってた」 「……なにか、用ですか」 「見て分かるだろ。買い物中。何か買ってやろうか、傷薬でも」 「それは暗に後で殴るって言ってるんですか。じきに必要になると」 「なんだ、親切で言ってるんだよ。お前相変わらず懐かないね」 そして肩を竦めて、すうっと通り過ぎて行く。去り際にふと気付いたって感じで、望月を指差し、意外そうな顔つきで言った。 「そっちの子」 「まだなにか」 「お前にそっくりだな。双子じゃないの?」 このオニーサン、すごく目が悪いんじゃあないかな、と順平は素直に思った。 言うに事欠いて、女子に絶大な人気を誇るモテ男望月と、女子に目の敵にされている非モテ黒田がそっくりときた。ありえない。見たら分かる。 「バイバイ」と手を振って去っていく。後ろ姿を見送りながら、「誰?」と黒田に聞くと、「寮の管理人の人」と返ってくる。 それであんなに気安いんだ、と順平は理解した。望月とそっくり云々も、「お前はもうちょっと自信を持てよ」って方便なんだろう。 だからって、黒田が本気にして調子に乗り始めても、女子連中に今よりも更に冷ややかな目を向けられて、「勘違い君」と呼ばれてしまうだろう。心配になって、「何だあれ、お前ら似てるとか、全然ありえないのになぁ」と棒読みでそれとなく釘を刺しておいた。黒田も頷いて、「ありえない」と言っている。良かった、正しく自分を知ってくれているようだ。 ただ、望月が一人でなんだかニヤニヤしている。気持ち悪いな、ああこいつ的には、今のはウケるところだったのかなって思って、「どうしたよ」と訊いてやると、「なんだか今すごく嬉しい気分になったんだ」と言った。 「何でかわかんないけど」 「ほんと何で? あ、どっかにキレーなお姉さんいたんじゃね? レーダーが反応したんだよ、きっと」 「うん、そうかな?」 「どこかなあ」と望月はきょろきょろしている。黒田は眠くなってきたのか、口を押さえてあくびをしている。 グダグダだなと順平は考えた。多分班長の役割は順平に回ってくるんだろうが、この面子で修学旅行に行くのか。大丈夫なのか。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜