はじめのうち、「探してる人がいるんだ」と彼は言っていた。例の女子の尻に目がない帰国子女の望月綾時のことだ。
 ここ最近は聞かない。そのかわりに「守りたい子がいるんだ」とか言うようになった。ということは、『探している人』は見つかったんだろう。そういうものらしい。
 綾時はつい先日、影時間にシャドウに襲われているところを、見回りに出ていた特別課外活動部員数名に保護された。
 彼は奇妙な夢でも見ているつもりだったのか、巌戸台分寮に連れてきてやった後も、特に混乱することもなかった。なんだこりゃあ、と大騒ぎすることもなし。
 ただぼんやりした顔で、「お家に帰りましょ、って家族が迎えに来たんだ」と、影時間への適応初期に良くある、まとまりのない、うわ言のようなことを繰り返していた。しかし、割合口調はしっかりしていた。
 そんなで、昨日からこの巌戸台分寮に越してきている。はじめは裏手にある巌戸台寮に部屋を借りていたが、荷解きも済まないうちにまたお引越しだ。
 その割に彼は楽しそうだった。無理もない、巌戸台分寮には月光館学園において、アイドルだとかマドンナだとか呼ばれる女子たちが揃って入居しているのだ。女好きの彼が喜ばないはずがない。
 綾時は影時間への適応はあったが、肝心のペルソナ能力ってものが、良く分からない。
 彼が召喚器で頭を撃つとする。召喚器というものは銃器型をしていて、慣れないうちは弾が出ないことを知っていても、頭を撃つということにかなりの嫌悪感と抵抗があるものだが、彼は頓着なく躊躇せずに行った。
 さすが銃社会から来ただけはあるなと、順平は感心してしまったものだ。
 ともかく、綾時が頭を撃った後ってものが、おかしな感じだった。何も出てこない。
 そのくせ反応だけはしっかりあるのだ。アスファルトがざっくり割れたり、窓ガラスが弾けたりだ。ポルターガイスト現象みたいなものだ。ちょっとぞっとする。
 彼に下されたのは、「ペルソナ能力が不安定なのだろう」という判断だった。似た例はあったから、周りも特に混乱せずに受け入れた。そういうものらしい。
 だから綾時は、言うならまだ見習いのようなものなのだ。特別課外活動部員見習い。見学者。体験入部者。もしくは仮入部。
「うちのクラスの転入生の三分の二がペルソナ使いかぁー。ここまで来りゃ、あの黒田の奴もペルソナ使いなら面白かったのにな」
 はがくれからの帰り道、途中まで一緒だった黒田の顔を思い浮かべた。彼はラーメンを食い終わると、時間も時間だったので、さっさと帰ってしまった。
 彼の話題になると、女子は微妙な顔をする。いや、微妙な顔をするのはゆかりだけで、美鶴はそもそも黒田の顔をほとんど覚えておらず、「いたか?」なんて言っている。
 風花は学園内部で唯一、彼女の手作り弁当を素面で食ってくれる黒田のことをそう嫌ってはいないらしく、「まあまあ……」とゆかりを宥めている。彼女自身もいじめに遭っていた経験があるからだろう、あの女子の嫌われ者にも寛容だ。
 かと言って、彼女の中で黒田に対する恋愛感情のようなものが芽生えることは、まず間違いなくありえないだろう。風花はこれでも可愛い顔立ちと優しい性質で、男子受けがいいのだ。可哀想だが、あの持たざるものの出る幕はどこにもない。
「あんな奴に寮の中うろつかれたらホントたまんないんだけど」
「そ、そこまで言ったら可哀想なんじゃないかな……そ、そうだね、黒田くんて、あんまり戦ってるところって想像出来ないっていうか。もしペルソナ使いなら、私と同じ索敵タイプな気がするな……」
「ええ、ノゾキとかに使うよ絶対あいつ……ヤだよ……」
「ゆかりッチのその生理的嫌悪の域にまで達してる黒田嫌いの原因は一体何なの……そ、そうだなー。サポートタイプで、アルカナとか多分……い、隠者? ある意味刑死者かもしんねー……」
「む、何の話だ?」
「あ、真田サン。さっきいたでしょ、うちのクラスの男子。ホラあいつの話ッスよ」
「誰か他にいたか? 美鶴」
「いや、気付かなかったが」
「……不憫だ。不憫過ぎる」
 順平はがっくり項垂れて、溜息を吐いて頭を振った。明日黒田と顔を合わせたら、飴でもやって励ましてやろう。
 ふと横を見ると、綾時がぼーっとした顔で歩いている。こいつさっきからずっとこんなだな、と考えながら、順平は彼にも話を振ってやった。綾時ならフォローのひとつくらいは期待できるだろう。
「りょ、リョージはどう思うよ? 黒田にもしアルカナあったらさ」
「アルカナ……」
「聞いたろ? ほら、タロットの。あいつに似合いそうなのって、」
「恋愛だね……」
 ぼーっとした顔で、とんでもないことを言う。アルカナ恋愛の、反黒田派のゆかりの前で、まったく喧嘩を売っているとしか思えない。
「素敵な恋の雷……僕の美しいひと。ああ運命は残酷だ……門限という運命の神が愛し合う恋人たちを引き裂く。きっと僕らの愛に嫉妬してるんだ」
 なおもわけが分からないことをぼそぼそ呟いている。ダメだこれは、聞いていない。
「おーい、リョージくーん?」
「影時間の混乱、まだ続いてんじゃないの?」
「そーみたいだなぁ」
 順平とゆかりは頷き合って、熱病にでもかかったような顔でふらふらと歩いている綾時を見た。どうもさっきから様子がおかしい。
「風邪でも引いたか?」
「いや……ううん、風邪なんかじゃあないよ。もっとどうしようもなく、救いようがないものさ。自覚はすごくあるんだ。重傷だ」
「ちょっと、それ病院行った方がいいよ。明日も学校なんだしさ」
 ゆかりが心配そうに、綾時の顔を覗き込んだ。彼女はいつもきついところが目に付くが、時と場合によっては優しい女子なのだ。本当に稀にしか見れないが。
 綾時はいつものように『光栄だね、君に心配してもらえるなんて』とか甘ったるい返事を返すこともなく、深い溜息を吐いた。どうやら本当に重傷のようだ。この女たらしが、ここ数分、可愛い女子を目の前にして、口説き文句のひとつもない。
 さすがに順平は本気で心配になってきて、「大丈夫かよ?」と訊いてやった。
「うん……こんなに苦しい気持ちになることがあるなんて、今まで知らなかったよ。僕はどうやら恋の病にかかってしまったようだ」
 元気だったようだ。
 今までのは何かのゲージを溜めていたのかな、と順平は考えた。多分、必殺技を放つために、一ターンを消費してタルカジャでも掛けていたんだろう。
 今度は誰を口説く気なんだろう。彼がアタックにここまで手間を掛ける相手と言ったら、美鶴くらいしか思い浮かばない。
 それはさすがに無謀だ。じき骨を拾ってやらなければならなくなるかもしれない。順平は友の死を覚悟した。
 綾時は辛そうな顔で夜空を見上げ、「永遠に夜なんて来なければ良いのに」と言った。完全に自己陶酔してしまっている。
「明日また、学校で……ああ、愛しい君に早く会いたいよ、黒田くん……」
 順平はスリップした。
 ゆかりと風花も大きなダメージを受けているらしい。瀕死だ。三年生の真田と美鶴は、特に思う所もないようで、雑談をしながら歩いていく。
 その後ろで、荒垣は頭でも痛いのか、額を手のひらで押さえている。天田が彼を見上げ、「どうしました?」と首を傾げている。アイギスは、「あなたが気安くあの人の名を口にしないで下さい」ととんがっている。
「ちょ……え? なに、え?」
「萌えない……望月×黒田はありえない……何そのゲテモノカップリング」
「リョ、リョージ? 頭イカレちゃったのか? 壊れちゃったのか? おかしくなっちゃったのか?」
「何を言うんだい。僕は正常だよ。とてもクリアさ」
「い、今黒田が好きだとか言わなかったか? 空耳? ……あ、他のクラスの、黒田って女子か? そういや、A組にもいたよな。ハハ、わり、良くある名前だから」
 順平はなんとか立ち直りを計ろうとしたが、無駄に終わった。綾時は「そんなにおかしいかい? どうして? 彼はあんなに美しい人なのに」とか言っている。
 綾時の美的感覚では、あの黒田みたいなのが美しいらしい。もしかしたら、生まれてから今まで美しい女性ばかりに囲まれて育つと、ああいうちょっといないタイプが目新しく映るのかもしれない。
 順平たちには妖怪にしか見えないが、綾時にしてみれば、もしかしたら、順平にとってのチドリのような美人に見えているのかもしれない。
「あ、あいつ……男だし……や、妖怪だから、種族的な壁のせいで性別とかもう関係ないのかもしれねえけど。オレっちもカエルのオスとメスとかわかんねーし」
「綾時くん……そんなに見た目が格好良いのに、勿体無い……」
「ありえない……つか、ありえない。ない。見たくない」
 二年生はドン引いている。だが綾時はまるきり気にも止めず、夢見る乙女みたいなキラキラした目つきでうっとりしている。




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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜