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「痛いかい?」と望月が気遣わしげに言う。僕は首を振る。「平気だ」と答える。 脱衣所は結構混んでいた。まあ二年生と三年生の学年合同なのだ。無理もない。 男子連中は僕の痣だらけの身体を見て、すごく不憫そうな目をしていた。「女子って怖いな」とか言っている。僕もそう思う。 「望月と黒田の組み合わせってな、なんかな」 「ああ、持つものと持たざるものの縮尺図っていうか、痛々しいよな。望月の奴も、絶対分かってやってるよな」 「いや、さすがに悪いって思ってんじゃね? だってあいつに熱上げてる女子の仕業なんだぜ。でもまたああやって親切にしてやってるとさ、黒田への攻撃が激しさを増すんだよな。気付いてやればいいのに」 「いや、あいつのことだからそれも分かってやってんだ」 ヒソヒソ話し込む声が聞こえる。僕はいいが、また望月まで一緒になって色々言われているようだ。 僕は肩を竦め、「すまない」と言った。望月は辛そうな顔で頭を振り、「謝らなきゃならないのは僕の方」とか言っている。 「シャワー借りた方がいいね。みんなに見られたくないよね」 「いい、別に。いつものことだから」 「い、いつものことなの?」 望月がびっくりしたような顔になった。そして、なんでか涙目になっている。「そんな、ひど過ぎる。あんまりだ。君がどうしてそんな目に」とか言っている。 僕も同意見だ。なんで何にもしてないのに、理由もなくボコボコにされなきゃならないんだ。 「でもダメだ。僕そんな身体の君を他の男になんか見せたくない。ね、個室にしてもらおう」 「……? こういう所、来たことないから。『露天風呂』ってものに入ってみたい」 「そ、そりゃ僕もだけど」 「平気」 「う、うん」 さっさと服を脱いで、他の男子に習ってタオルを腰に巻き、脱衣所の扉を開けると、白い湯気がさっと視界を覆う。熱気が肌に触れる。 大小様々な大きさの黒っぽい岩がごろごろ転がっていて、プールみたいに広い水場があった。これが露天風呂なのかって、僕はちょっと感動した。生きているうちに見られるとは思わなかった。 望月が慌てた様子で、「ねえ、ほんとに大丈夫なのかい」と言いながら僕についてくる。振り向いて「すごいな」って言ってやると、彼はほっとしたみたいな顔で「そうだね」と頷いた。辺りを見回して、「うん、すごいね」と言った。 「……なあ、今なんか、黒田の首んとこ、変なもの見えなかったか? 痣みたいなの。俺、あれおんなじもの見たことあんだけど、流行ってんのかな」 「いや、痣なら身体中についてるじゃん。痛々しい……でもあいつ、身体つきは結構なんつーか、綺麗? だよな。意外に」 「洗ってあげる」と望月が言う。どうやら彼なりに、いろいろ悪いと思っているようなのだ。僕は「うん」と頷く。 「君ってお風呂入る時、どこから洗うの?」 「全部一緒」 「ぜ、ぜんぶ? そりゃすごいね」 「目を閉じてて」と言われて、頭から湯を掛けられた。僕は言われるままにぎゅっと目を閉じていた。望月は昔を愛おしむような声で、「懐かしいなあ」と言った。 「なに?」 「昔ね、良くこうして洗いっこしてたんだ。子供の頃にね」 「友達と?」 「うん、どうだったかな。友達だったかもしれないし、家族だったかもしれない」 「ふうん」 僕は頷く。 「俺もそういうの、あった。生まれた時から一緒にいる友達だったんだ。何する時も一緒で、いないと不安になって、ちょっとでも離れてると怖くなって、」 「え、ええっ!」 望月が、驚いた顔でいきなり立ち上がった。僕は顔を上げた。彼がどうして僕の言葉にそんな過剰反応をするのか分からない。 「そ、そんな人がいるんだ。ええと、君はその人のことが好きなのかい?」 「うん。すごく好きだった」 「だ、だ、誰!」 僕の肩を強く掴み、望月が切羽詰まった顔で言う。僕はちょっと顔を顰めて、「痛い」と言う。 「あ、ああ……ごめんよ」 「もういないよ。こないだ死んじゃった」 僕は「たぶん」と言う。あれは『死ぬ』って言うのかどうかは微妙だったけど、『死ぬ』って言葉の意味は、僕の目の前から消え去るってことだったから、使い方を間違ってはいないだろう、多分。 望月は具合が悪そうな顔になり、「そっか」と頷き、「ごめん」と言った。 僕も「悪い」と謝る。「こんな話をするつもりじゃなかった」と言う。本当に、そんな気は全然無かったのだ。僕はなんで望月にこんな変な話をしているんだろう。 「ねえ、僕じゃその人のかわりになれないかな?」 「望月が?」 「君を大事にするよ。何があっても、僕は君を置いてったり、寂しい思いをさせたりはしない」 「変なことを言う奴だな。わざわざ僕なんかに構わなくたって、お前に好意的な人間は他にも沢山いる」 「僕は君がいい。君じゃなきゃ嫌だ。君を守る為なら、僕は強くなれると思うんだ。そばにいさせて。それだけでいいから」 望月が一生懸命な顔で言う。僕は変な気持ちになる。彼と僕は敵同士だって言うのに、なんでこんなことを言われてるんだろう。 「おい、あいつらなんか妙なことになってないか?」 「うん……俺も思ってた。しかし、黒田に友達なんかいたか?」 「脳内友達に決まってるだろ。可哀相だから突っ込んでやるな」 「望月って、多分普通のことを言ってるんだろうけど、あいつが言うと口説いてるみたいに聞こえるよな」 洗い場の他の男子たちの視線を感じる。また僕に何か失礼なことでも言っているんだろう。聞かなくたって分かる。 仕上げに湯を掛けられて、「もう目、開いていいよ」と言われ、僕はぶるぶる頭を振って水気を飛ばし、目を開いた。 「大丈夫? 傷、染みなかったかい?」 「平気。次お前、洗ってやるから」 僕は頷く。そして、なんだか妙な雰囲気を悟って、顔を上げた。 僕のことを不憫そうに見ていた男子が、目と口を大きく開いて固まっていた。 まるで、何かすごく怖いものや、ありえないものでも見てしまったって顔つきだった。 嫌な予感がして、恐る恐る振り向いた。後ろにお化けでもいたのかと思ったが、なんにもいない。 「――黒田?」 誰かが、ぼそっと僕の名前を呼んだ。「嘘だろ?」って声が聞こえた。 洗い場はすごく静かになってしまった。温泉に湯が流れ込むざあっと言う音だけが響いている。 「……え? 俺、夢でも見てんのか? すごく意外性抜群のやつを。だってそんな、ありえないだろ。物理的に、おかしいだろ。生物学的にないだろ。だって、あいつ妖怪じゃん。不遇キャラじゃん。これは、ありえないだろ」 「なあ、ないよな。ほら、オレ達は白昼夢を見てるんだ。幻だ。幻覚だよ。だってそんな、あるわけないって」 「……な、なあ? さっきも実は、あのうなじの痣とか、ああ見たことあるぞって思ってたんだ。でもありえないって、多分最近オレの知らないとこで流行ってんだろうなって思ってたんだ。オレ水泳部なんだ。あの日見たあの子のことは、多分一生忘れないんじゃないかなって思ってたんだ。いやでも、そりゃ嘘だろ。ないだろ。よりによって、こんなとこにいるとは思わないだろ。まさか、あの妖怪王黒田がそうだとか、思うわけないじゃん」 「嘘だ、信じられない、これは夢だ」とか、「妖怪が変身しやがった」とか言いながら、男子がどよめいている。多分また僕に失礼なことを言っているのだ。 いつものように無視を決め込むことにして、僕はスポンジを泡立て、望月の背中を洗ってやった。彼は「君に背中流してもらえるなんて、嬉しいな」とか微妙に嬉しそうにしている。 「まさか望月の奴、これを知って……? だから妙に黒田に構ってたのか? てっきり上の目線から余裕こいて見下して、馬鹿にしてやってるもんだとばかり思ってたけど、まさかあいつ黒田の素顔を知ってて、その上で本気で狙ってたのか? 冗談じゃなかったのか」 「あの野郎、なんで俺達にも教えてくれなかったんだ……! 自分ばっかりいい目見やがって。洗いっこだと。独り占めして背中を流してもらってるだと。なんてことだ、許せねえ」 「ちょっと待てよ、じゃあオレら、今まであいつ……いや、あの子にとんでもないことをしてたんじゃないのか? とんでもない過ちを犯していたんじゃないのか?」 「あ、ああ。ちょっと、過去を回想してみると、すごくまずいことをいろいろやらかしてしまったような気がしてきた。い、いや女子よりは随分ましだと思うが、見てるだけで止めないのって共犯だって良く言うよな」 望月が何度目かの「大丈夫?」を言う。僕は頷く。頷くが、ちょっと身体は強張っている。 湯船に先に浸かっている望月が、僕に手を差し伸べてくれる。 「熱いかい? 染みる?」 「いや。大丈夫だ」 沢山の水を見ていると、ちょっと嫌なことを思い出す。何日か前に僕は海で溺れたのだ。 息ができなくなって、苦しくなって、過去から現在まで僕が処分した人間たちが、こぞって僕の身体を海底に引っ張り込もうと手を伸ばし、纏わりついてくる幻を見た。幻だったと思う。そう思いたい。だって本当に幽霊とかだったら怖すぎる。 「じゃあ水が怖いの?」 「う……いや、平気だって」 「ふふ、可愛い」 「ば、ばか」 馬鹿にされてしまった。ちょっと悔しくて望月を睨んでやったが、彼は気にしたふうでもない。 僕は「まったく」と溜息を吐いて、望月の隣に腰を下ろした。 「ていうか、反則だろ。絶対カエルみてーなツラしてると思ってたのに、一つ目だとかのっぺらぼうだとか噂聞いてたのに、詐欺だ」 「俺もだよ……。良くて超情けない顔だろうなって思ってたのに、なんだあの女王様みたいなクールビューティーは? 黒田と子悪魔系なんて、イメージが正反対だろうが。予想しようがねー。ずるい」 「なあ、俺多分夢を見てるんだ。本体は多分布団の中にいるんだ。目が覚めたら、また日常が帰ってくるんだ。そうに決まってる」 なんだか、カエルとかのっぺらぼうとか一つ目とか言う単語が聞こえた。ああまたなんか言われてるな、と僕はげんなりした。蛙面なのか。僕は蛙面なのか。 「ねえ、ちょっとごめん」 「うん?」 いきなり断わりを入れてくるものだから、何だろうと思って望月の顔を見ると、妙に緊張した面持ちでいる。彼は僕をぎゅっと抱き締め、「ごめんね」と言いながら、いきなり尻を撫でてきた。それだけじゃ飽き足らずに、タオルの中に手を突っ込んで、股の間を確めるように撫でたのだ。 あんまり予想外だったから、僕はたまらず「ひい」と悲鳴を上げてしまった。いきなり何をするんだこの男は。行動が読めなさ過ぎる。 「ちょ、どこ触ってんだって!」 「良かった……やっぱり無事だったんだ。寄って集ってレイプされたって訳じゃなかったんだ。綺麗なままなんだね。ほんとに、良かった、僕早とちりしちゃってたみたいだ。あ、痛い思いをしたんだから、良かったなんて言っちゃダメだね。ごめん」 「お前、ほんとに訳がわからないよ。変なとこ触んなよ、ばか」 僕は赤くなって、ぷいっと顔を背けた。まったく、帰国子女って奴はこれだから困る。 「ちょ……おい、望月!」 僕らの近くで、同じように温泉を満喫していた生徒が、いきなり立ち上がって「何してんだよ!」と怒鳴った。 「な、何やってんだよ、お前! 黒田、その……嫌がってんじゃん!」 「え」 僕はぽかんとしてしまった。四月にこの月光館学園というところに来て、ひどい目に遭うことはあっても、庇われたりすることは無かった。 今までだって、昨日も、今日の昼間も、誰もボコボコにされている僕を助けてなんてくれなかったのだ。人間不信が加速するくらいに。 それが『黒田嫌がってんじゃん』ときた。一体何が起こったって言うんだろう。 もしかすると温泉ってものは、むやみに人に優しくしてやりたくなるって不可思議な効能でもあるのかもしれない。じゃなきゃ僕を助けるような物好きなんて出て来るわけがないのだ。 「嫌だった?」 「あ、ああ。当たり前だろ」 僕は戸惑いながら、頷いた。 「いきなり触られたら、びっくりするから」 「それもそうだね。じゃ、今度からは触るねって言うよ」 それもどうかと思ったが、望月から悪意は感じ取れなかったから、渋々僕は「うん」と頷く。 僕に助け舟を出した(んだろう、たぶん)生徒は、それを聞くとこの世の終わりみたいな顔になって、「畜生!」と叫びながら温泉から上がり、走ると危ないと注意書きに書いてあるにも関わらず、走って脱衣所に駆け込んで行ってしまった。 親切を無下にされたと怒ったのかもしれない。でも知ったこっちゃない。僕が助けてくれと頼んだ訳じゃあないのだ。 「あ、あの自然な触れ合いは何なんだ! まさかあいつ、もうあの子を手篭めに……」 「手、早いって噂だしな」 「道に落っこちてた石ころがさ、ダイヤモンドの原石だったんだって気付くのは、誰かがそれを拾い上げて、磨き上げて、自分のものにしちまってるところを見た後なんだよな……」 「ああ、オレらには、何にも言う資格はねぇよ……今の今まであの子を守れず、あの子の孤独と苦しみに目もやらなかったオレらにはな。あの子、きっと寂しかったに違いないんだ。だから望月なんかにコロッと騙されて、言われるがままにあんなことやこんなことを」 「確かに俺らが悪かった。でも相手が望月だってのがどうしても納得いかない」 「俺……俺、あの子が体験入部に来てくれた後、『お前みたいなもやしっ子はうちの部に必要なし』って追い返しちまったんだよ……。俺を一撃で軽く沈めて、他の部員纏めてぶっ倒した相手に、何てことを言っちまったんだ……もうあの子、うちの部入ってくれないよな。俺、なんてことを……すまん、首吊ってくる」 望月の顔がちょっと赤い。熱いし、のぼせちゃったのかもしれない。 僕は彼の額に触れ、「そろそろ上がったほうがいい」と言ってやった。 「のぼせる。顔赤いし、熱いし、脈が速い」 「それはきっと君のせいだと思うな」 「俺のせい?」 「うん。君のせいでドキドキしてる。責任取ってよね」 「良く分からないが、俺にできることなら。してもらいたいことがあるのか」 「ねえ、キスして」 望月が僕の手を、両手でそっと包み込む。じっと僕の顔を、期待を込めて覗き込んでくる。こいつキス好きだなと僕は考えた。彼は帰国子女だから、そこには何か僕の知らない意味でも含まれているのかもしれない。 責任と言うからには、『謝罪』とか『慰め』とか言う意味かもしれない。『服従』とか『忠誠』とかだったら嫌だ。 ということを考えていたら、「やっぱり納得できねー!」という怒声と一緒に、洗い場から手桶が飛んできた。慌てて望月の頭を押さえて引っ込めてやった――せいで、そいつは僕の額にとても綺麗に入ってくれた。ぱこおん、と軽くて能天気な音が響いた。 考えてみたらおかしな話だった。避けるか受けるかすれば良かったのだ。僕にとっては難しい話じゃない。簡単なことだし、そもそも僕が押し退けてやらなければ、望月の頭が盾になって僕には当たらなかった。 僕は何をやっているんだ。一人だったらなんとでもなったのに、なんで望月を庇ったりなんかしてるんだ。 ということを考えていた。一瞬の間だった。 後ろ向けに伸びあがるように倒れ込んで行ったのは覚えている。頭から湯の中に突っ込んでいったのも。そこから後は覚えていない。 意識が消える直前、「ちょっと!」って、困惑したような怒ったような、懐かしい友達の声を久し振りに聞いた気がした。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜