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銃弾が床を抉った。足止めを食らって反射的に顔を上げると、影時間の夜空に、満月を背にしてうすぼんやりと黒い影が浮かんでいた。 巌戸台分寮の屋上だ。しばらく前に事故だかシャドウの襲撃だかがあって閉鎖されていたが、入口の扉のロックは壊されていた。 長い間雨と風に晒されて古びたコンクリートの上に、順平が転がっていた。全身をザイルでグルグル巻きにされ、口にガムテープまで貼られている。 「順平!」 岳羽が叫んだ。だが、相手は口を塞がれているのだ。「むーむー」という篭った返事が返ってきただけだった。 明彦は順平を一瞥し、その後ろにいる正体不明の影を睨んだ。影時間において、人間は全て棺桶のかたちに象徴化してしまう。自由に動けるのは、シャドウかペルソナ使いだけだ。 だが、どう見たって相手は人型に見えた。シャドウではない。 「何者だ!」 詰問すると、乾いた靴音がして、彼らの中で最も背が高い者が、暗がりから一歩踏み出してきた。落ち付いた、冷たい声が響く。 「我々は、影時間に潜み、世界のゴミを掃除する暗殺者――」 カチッ、と金属が擦れる音がした。そいつは銃を持っている。どう見たって、召喚器には見えない。本物だ。撃てば誰かを殺傷する、本物の武器だ。 薄い月明りの下に姿を現したのは、一度見たことがある相手だった。長い髪が、風になぶられ、はためいている。上半身は裸だった。両腕に奇妙なタトゥーが彫られている。 その男がリーダー格なのか、彼に付き従うように、残りの影も月の光の下に姿を現した。どれも、それぞれ一度だけ見たことがある相手だった。一度きりだが、忘れられない顔だった。 彼らは揃って、統制の取れた動作で手を伸ばした。 「憎いアイツを一撃必殺」 「復! 讐! 代行人!」 「ストレガフォース!」 そして、四人で声を合わせて「見参!」と叫び、格好良いポーズを取った。 正直、格好が良かった。悔しい話だが、明彦が所属する特別課外活動部には、彼らのように決めになるポーズというものが存在しないのだ。 うちの部も是非とも決めポーズを作るべきだと思い、明彦はリーダーの美鶴の様子を伺った。彼女もおそらく同様のことを考えているのだろう、感動だか屈辱だかで、少し肩が震えている。どうやら羨ましかったらしい。 「……バ、バカっぽいポーズはともかく。キミ、こないだの子だよね。……また会えて良かった、私、ずっと名前を聞こうと――」 「お前は怖いから苦手だ」 岳羽が微妙にはにかみながら、彼らの中の一人、とても良く見覚えがある顔に話し掛け、躊躇なく切り捨てられて硬直している。彼女は余程ショックを受けているようだった。しおしおと蹲り、「怖い? 私は怖いの? なんか変なことしちゃったっけ?」と、ぶつぶつと自問を繰り返している。 「出やがったな、白黒コンビ」 明彦は拳を鳴らしながら前に出た。復讐代行人とは、依頼を受けて影時間に人殺しを行う殺し屋連中だ。ペルソナを悪用する、許しがたい連中だ。 特に彼らの内の白黒コンビ、特にその黒い方、つまり今しがた岳羽が話し掛けた相手は、明彦にとっては一生忘れられないくらいに因縁深い相手だった。 しばらく前に完膚なきまでに叩きのめされ、顔に屈辱的な落書きをされたのだ。実力差は歴然としていた。 彼女は圧倒的に強かった。今まで見たどのペルソナ使いよりもだ。明彦は自分の力を信じて疑っていなかったが、何をされたのかも分からないうちに倒されてしまったのは初めての経験だった。彼女がペルソナを呼んだのかどうかすらも分からなかったのだ。 「おい黒いの! 俺と一対一で、正々堂々と勝負だ。先日は遅れを取ったが、今夜は負けん! あれから俺は、通常の三倍の特訓を重ねた。強くなった。あの時のようにはいかん!」 「あの……真田先輩、それよりも先に順平くんを助けてあげて下さい」 山岸が、いつもの控えめな調子で言う。 ストレガは、何故か襲ってくる気配を見せなかった。彼らのリーダーと見えるタカヤという男が、「今日貴方がたと戦うのは、我々ではありません」と言った。 「我々はただのメッセンジャーですよ。ついでに同じペルソナ使いとして、一度全員揃ってご挨拶をしておこうかと。改めてよろしく」 ふざけた挨拶だ。何か言ってやろうとしたところで、山岸が「反応あり!」と叫んだ。 「大型シャドウです! すぐ、そばに!」 夜空の月を覆い隠すくらいに巨大なシャドウが、四人のストレガの背後に、ざあっと、勢い良く上がってきた。 そいつはまるで狙いを定めるように、ストレガの黒い少女に向かって手を伸ばした。だが、その手は空を切る。 彼女はすばしこく黒い手を避け、まるで重力など感じていないように軽々とした動作で明彦たちの頭上をひょいっと飛び越え、すっと闇に溶けていく。なんだ、アレは。本当に人間か。 「健闘をお祈りします。では」 タカヤが気軽に言う。もしかしなくとも、そういうことなんだろう。明彦は叫んだ。 「あいつら、ここまでわざわざシャドウを連れてきやがったのか!」 ご丁寧に大型シャドウを誘導し、けしかけてくれたらしい。何かを試されているような感触だった。 「くそ、待て、黒いの!」と叫んでも、彼女はもう影もかたちもない。 山岸が順平に駆け寄って、口に貼られたガムテープを外してやるのが見えた。順平は口に詰められていたハンカチを吐き出し、何度か咳込んだあと、絶望したような表情で「やりやがった!」と叫んだ。 「やられた! あいつら、うちの寮の食いモン片っ端から盗って行きやがったッ!」 「なに――――――――――!」 影時間の夜空に、大型シャドウの咆哮と、S.E.E.Sの悲鳴が木霊した。 ◆ 初対面でボコボコにされ、二度目は窃盗だ。何の嫌がらせか、明彦のプロテインこそ無事だったが、買い置きのカップ麺やレトルト食品、米と調味料、菓子類なんかをごっそりやられた。 その後も満月ごとに大型シャドウを連れてくる。今までのあの大型シャドウたちは、もしかすると彼らがけしかけていたんじゃあないかって疑いたくなるくらいだった。 ともかくそんなで印象は最悪だ。そのはずだった。だが明彦は、どうしても彼女を憎むことができないのだ。 彼女を見た時に感じる感情は、他の三人のストレガに対して感じるものとは、まるで違うものだった。ピリピリしていて、ゾクゾクしているものだ。 順平は例の白黒コンビの白い方に、明彦と似たような感情を抱いているらしい。「ああ、チドリチドリ、可愛いぜチドリ。なんで君はストレガなんだ」としばらく自己陶酔にふけって使い物にならなかった。美鶴や岳羽、シンジにまで「いい加減にしろ」と呆れられていたし、明彦も大分しょうがない奴だなと思っていた。 だが明彦自身にしてみたって似たようなものだと思い当たり、随分凹んだ。どうやら今回の件に関しては、あの順平と同レベルらしいのだ。 だが彼女は死んでしまった。勝ち逃げだった。 身投げだ。遺体も上がらなかった。あんなに強い人間が自殺なんて死に方をすることが信じられない。 もやもやしたまま、今日まで来てしまった。彼女は本当に死んだのかという疑問が、常に頭の中にあった。なにせ寮の屋上から飛び降りようがぴんぴんしていたのだ。上手く信じることができない。 「あ、真田先輩。こんばんは」 どうやらぼんやりしていたらしい。見知った顔に挨拶をされて、明彦は我に返り、「ああ」と頷いた。同じ寮生だった。 望月という。影時間への適応能力を持った、準ペルソナ使いだ。 「一人か、珍しいな。どうした」 「ええ。ちょっと先生のところまで。僕の恋人が頭を打ってしまったんで、湿布薬をもらいに行くんです」 彼は軟派な雰囲気があって、『恋人』なんて甘ったるい単語を口にしてもしっくり嵌まってしまう。 明彦は「そうか」と頷き、「引き止めて悪かった」と言った。望月は頭を振り、ぱたぱたとスリッパの底を鳴らして、駆けて行ってしまった。 急いでいるようだ。大事な人間に何かあったらしいから、心配で仕方がないのだろう。 気持ちは分かるが、どちらにしろ明彦には関係がないことだった。冷たい言いかたになるのかもしれないが、望月の恋人の顔など知らなかったし、そもそも『恋人』という概念自体が良く分からない。 必要なのはただ力を追い求めるストイックな姿勢だけだ。浮ついた恋愛にかかずらっている余裕はない。 ないのだが、今は少し考えてしまう。 恋人同士というものが具体的にどう言ったことをするのかは、経験がない明彦には知れない。聞いたところから察するに、おそらく手を繋いだり女子が作ってきた弁当を食ったりするのだろう。 例えば、こういうふうに、 ――― 彼女は照れ臭そうに俯いたまま、「ん」と赤い包みを差し出した。「なんだ?」と首を傾げて聞くと、「見て分かるだろう」と言う。 「弁当だよ。恋人の弁当を作ってくるのは、彼女の義務のようなものだし、それに、」 「そ、そうか。ん、それに、何だ?」 彼女は真っ赤になっている。明彦からすっと目を逸らし、ぼそぼそした声で言う。 「さ、真田くんに、俺の作った弁当食べてもらえたら、俺はとても嬉しいし」 「く、黒いの……」 「真田くん……」 そして二人はぎゅっと手を握り合い、見詰め合って、 「ふ、不埒だあッ!」 明彦は叫び、頭を振って、妄想を振り払おうとした。しかしはにかんで微笑んでいる彼女の顔が、脳裏に焼き付いたようになって離れない。 そもそも彼女は一度も笑わなかったのだ。表情などなかった。ただぎらぎらした目だけだ。人殺しの目だ。まったく今日の俺はどうかしていると明彦は考えた。 「もしやマリンカリンか? そうか、マリンカリンだ! 間違いない、俺は奴に魅了攻撃を受けている。攻撃だ! やはりいくら美しいとは言え、敵になど」 そう気付くと、少し胸の曇りが晴れたようだった。 気を取り直し、部屋に戻ることにした。 何故だか今日は周りの視線も妙な感じだった。「あの真田さんがまさか」とかなんとかヒソヒソ言っている。あまり気分が良いものじゃない。 まったく、と肩を竦めて部屋の扉を開けると、中で誰か寝ている。ひとりきりだ。班員は揃って他の部屋に遊びに行っているらしい。 しかし、そんなことは重要じゃなかった。 その人間の顔は、さっきから目の前にちらついて仕方がない、例の女のものだったのだ。 「な、き、貴様!」 影時間以外に彼女に遭遇するのは初めてだった。いや、そういう問題でもなく、状況が特殊過ぎた。犯罪者で、人間かどうかも怪しい彼女が、いきなり月光館学園の修学旅行中、宿の部屋に現れたのだ。 こちらに対して好戦的な態度でも取ってくれればいくらか立ち直りようはあったのだが、彼女は眠っていた。意識はないようだった。額には、熱でも出したのか、濡れたタオルを乗せている。 浴衣姿だ。細い首筋が合わせ目から覗いていた。綺麗なかたちの手と、しなやかな両脚が、少々行儀悪く浴衣から零れていた。誰かが冷えないように気を遣ってやったのか、羽織りが身体の上に掛けられている。 風呂上りのようで、髪は湿っていた。頬が赤い。こうして落ち付いて見てやると、彼女はやっぱり美しかった。長い睫毛も、柔らかそうな唇も―― 「いや、違う! そんなことはどうでもいい!」 明彦ははっと我に返って、「おい貴様、起きろ!」と怒鳴った。無防備な婦女子の柔肌には不躾に触れることができないから、両肩を引っ掴んで揺さ振ったり、胸倉を掴んで振り回すこともできないのがもどかしい。 だってもしそんなことをして、浴衣がはだけたり、手のひらが何か柔らかい大変なものに触れてしまったら大変だ。また美鶴に処刑される。それだけならまだしも(まったく良くないが)、目を覚ました彼女に「真田くんはきっとそんなことしないって信じていたのに……変態!」なんて罵られたら目も当てられない。 「お、おい。起きろと言っている。何故貴様がここにいるのか説明しろ」 「……うぅー」 彼女は「あと五分」とでも言いたげな様子でぐずっている。その様は、復讐代行人とは言え、可愛らしかった。普通の女子そのものだ。 彼女がむずかるようにころんと寝返りを打つ。その拍子に浴衣がはだけ、白いうなじと肩が露出した。首の後ろには、彼女たちのリーダーの腕にもあったタトゥーのような、奇妙なかたちの痣があった。それに重なるように『00』と、刺青というよりは焼印のような痕もある。 明彦は、絶叫を上げそうになりながらあとずさった。嫁入り前の娘が、同年代の男性の前で何という破廉恥な格好をしているのだ。 彼女の身体は、どう見たって男のものではなかった。まったく岳羽の見る目の無さにも困ったものだ。男というものは、明彦のように鍛え上げられた硬い筋肉を持ち、逆三角形のかたちをしている生き物のことを言うのだ。彼女の肢体はほっそりとしていて、今にも折れそうだった。女性だ。 明彦は『勝負』のことを思い出していた。他の仲間達にそれを理解させるには、こういった方法しか無いのだろうが。つまり、眠っている彼女から羽織りを取り去り、帯を解いて浴衣をはだけ、そのあられもない裸体を、―― 「な、何を考えている、俺」 妙なものを想像してしまい、頭を抱えて絶望していると、さすがに声が気になったのか、彼女がうっすら目を開いた。どうやら起きたようだ。 「ん……うるさい……」 ごしごし目を擦って、明彦を見上げ、「あれ?」とか言っている。のろのろと起き上がった拍子に、彼女の薄い肩と太腿が露わになった。 明彦は硬直していた。不可抗力とは言え、この状況はすごくまずかった。 「あれ、真田先輩」 「し、失礼した! すまない、見るつもりはなかった! お、俺はそんなに卑怯な男じゃない」 「は?」 「い、いや違う! き、貴様そこにいろよ。逃げるなよ! み、美鶴を呼んでくる。俺は貴様には触れないからな。触っていないからな、絶対に! いいか、絶対に逃げるんじゃあないぞ!」 そのまま彼女の方を見ないように注意を払って、部屋を飛び出した。勢い良く三階にまで駆け上がった。目当ての部屋を見付けるまでに少々手間が掛かったが、探していた姿を見付け、明彦は叫んだ。 「み、美鶴! 美鶴ーっ!」 彼女は浴衣姿で、岳羽たちとカード・ゲームのようなことをやっていた。眉を顰め、「ノックくらいしろ。お前は相変わらずだな」と責めるように言う。 だが今はそんなことに頓着している場合じゃない。「アレが出た!」と明彦は叫んだ。 「アレだ、黒くてすばしこくて、ものすごいジャンプをする奴だ!」 「先輩、ゴキブリくらいで高校三年生のボクシングチャンピオンが大騒ぎしないで下さい」 「何がゴキブリだ。あいつはそんなじゃない。だから、あの黒いのだ。白黒コンビの黒い方! 何故か宿の中に紛れ込んでいる!」 やっと美鶴が事態の深刻さを理解したようで、立ち上がり、「何だと。生きていたとはな。こんなところまで我々を追ってきたのか」と忌々しげに言った。 「明彦、どこだ。奴はどこにいる?」 「へ、部屋だ。下の、俺の部屋に出た。生徒に紛れていたんだろう――浴衣姿だった」 「ニ階の部屋で他の生徒に紛れてるってことは、やっぱり男の子じゃないですか」 「馬鹿を言うな! 俺は見た。確めた。奴はやはり女だった。細いし、肩も薄いし、剥き出しの太腿もとてもしなやかで、胸こそあまり無かったが……あれは男の身体じゃなかった」 「……お前は一体何をどうやってそれを確めた?」 「ご、誤解だ! 俺はただ事故で、確かに不本意ながら寝込みを襲ったかたちになりはしたが、」 「明彦! お前という奴は、敵になら何をしても良いと思っているのか!」 「真田先輩っ! あの子に何セクハラしてるんですかっ!」 美鶴に加えて、岳羽にも殴られた。やはり女子は良いパンチを持っている。 ともかく、悠長なことはしていられない。彼女が長い時間そこに留まっている可能性は低かったし、犯罪者の彼女をそのまま放置しておくのはあまりに危険過ぎた。一般の生徒を人質に取って、立て篭もる危険性すらあったのだ。 「おい! 美鶴を連れてきたぞ!」 明彦は叫んで、勢い良く扉を開けた。そこには、―― 「ごめんね、僕のせいでこんな目に遭わせてしまって。痛いかい?」 「平気。このくらい慣れてる」 何故か望月がいた。あと一人、たまに顔を見るのだが、どうも印象が薄くて名前を覚えられない生徒が一人、一緒にいる。 部屋には二人きりだった。他の人間の姿は見えない。 彼らはどうしてか手を握り合い、見詰め合っていた。どうやらとても仲が良いらしい。良いことだ。 「黒田くん……君は本当に優しい人だ。でも、僕を庇うことなんかなかったんだ。君の綺麗な顔に傷がついてしまった。胸が痛くてたまらないよ……」 「だから、平気だって。優しいなんて言われたのは初めてだよ」 「男としてきちんと責任は取るよ。僕は一生君のことを大切にす」 ばん、と勢い良く扉が閉まった。見ると岳羽と山岸が、鳥肌を立てながら両手で扉を押さえている。彼女らは明彦を睨み、恨みがましげな声で言った。 「先輩、嫌がらせですか? てか、嫌がらせですか? すごいおぞましいもん見ちゃったじゃないですか。今晩夢に見ちゃったらどうするんですか?」 「うう、やっぱり萌えない……綾時くん、どうしちゃったのかな……シャドウの精神攻撃に掛かっちゃったままなのかな……だとしたら黒田くんが可哀相……」 二人はすごくげっそりしていた。美鶴は一人冷静に腕を組み、部屋のプレートを確認して、「おい、お前の部屋はひとつ隣じゃなかったか?」と言った。 明彦ははっとした。そうだった。 慌てて今度は間違いなく自分の部屋を覗くと、気だるそうに雑談をしていた男子生徒が、びっくりしたような顔で見返してきた。どうやらいきなり生徒会長の美鶴の顔を見て驚いているらしい。 言う間でもなく彼女はいなかった。明彦は頭を振り、「本当にいたんだ」と食い下がった。 「嘘だとは言っていないさ。確かに彼女ほどの――」 「先輩、あの子は男の子ですってば!」 「あ、ああそうだったか? 彼ほどの人間なら、まあ――おそらく恨みを持った我々の前に化けて出て来ても不思議ではないが……私は超常現象は信じないが、奴らを見ているとあるいはという気分にさせられる」 「ちょ、ちょっと、幽霊だって言うんですか? 止めて下さいよ、季節はずれじゃないですか!」 「……くっ、確かにそう言えばそうかもしれないな……自分の身に照らし合わせて考えてみれば、そうだったような気がしてきた。あの高さから飛び降りて生きていられる人間などいるはずがないな」 明彦は溜息を吐き、「憑かれているのかな」とぼやいて、頭をがりがり掻いた。 確かに、彼女がこんな遠く離れた京都の地に現れるはずがない。考えれば分かることだ。 まったく出るなら出るで、もうちょっとましな出方をして欲しかった。明彦は彼女ともう一度戦って決着をつけたいと思っていたのだ。別に浴衣から覗くうなじや肩や太腿にやりきれない思いをしたかった訳じゃない。 「すまない……騒がせたな」 謝罪をしたところで、望月たちが仲良くやっていた部屋から、がたんとなにかが倒れたような物音が聞こえてきた。それを聞くと、岳羽は「ちょっとすいません」と背中を向けて去っていく。 どうしたのかと思っていたら、階段の辺りで男子と立ち話をしていた女子に、明彦たちの方を指差して何か言っている。 知らない顔の女子の方は、「おのれ黒田!」と憎々しげに叫んで、階段を駆け上がり、大分離れた場所でもしっかりと聞き取れるくらいの大声で、「全員集合!」と怒鳴っている。 「む、どうした? あれはなんだ?」 「いえ……ちょっと……」 山岸が溜息を吐いて言う。彼女は落ち込んだような顔つきで、「黒田くんも綾時くんも、二人共いい人はいい人なんだけどな……」と言っている。訳が分からない。 「用事は済んだ。戻ろう、岳羽、山岸」 美鶴は相変わらず頭の切替が早い。後輩を連れて、さっさと来た道を戻っていく。 それと入れ替わりになるかたちで、女子の大群がやってきた。皆一様に恨みがましい目つきで、「処刑!」と叫んでいる。 彼女たちは、望月の部屋の扉を勢い良く開け、「綾時くん、大丈夫っ?」と声を上げながら、部屋の中になだれ込んでいく。「黒田、お前という奴は!」という怒声も聞こえる。 何事かと訝っていると、明彦とおんなじような調子で「なんだなんだ?」と部屋から顔を出してきた男子連中が、女子の群れを見るなり暗い顔つきになって、「ああまたやってる……」とぼやいた。 「な、なあ……こういうの、良くないと思わねえ? やっぱりさ、見てるだけってのは、ダメだと思うんだ」 「うん、黒田可哀相だもんな。あいつが何かするわけないよ。そんなことする奴じゃないよ。ただ決して俺は、相手の顔で態度を変えるような男じゃないぞ。ただ、ほら、最近の女子ってちょっとひどいじゃん。くすぶっていた俺の正義感が刺激されたというか」 「だよな、オレも思ってたんだ。暴力が目に余るっていうか、黒田の身体見たかよ。痣だらけでさ、きっとこのまま見過ごしたら、あの子はまた泣いちゃうんだ」 「うん、あの子が泣くのはダメだよな。可愛い子は、やっぱりいつも笑っているべきなんだ」 「お、お前らどうしたんだ? 何で急に。ほっとけって、黒田なんて庇ったってイッコもいいことあるわけねーし……」 「黒田『なんて』って言うな! お前はあの子の苦しみと孤独ってものがなんにも分かっちゃいないんだ! あの子が痛いとか寂しいとか言いながら、膝を抱えて泣いている姿を黙って見ているのか? それでも男か! 俺は決してイジメを見逃さないぞ! 漢だから!」 「良く言った! さあ戦争だ。黒田を守れ。ついでに望月を殺そうぜ」 何人かの男子連中が、とても晴々とした顔で望月の部屋に乗り込んでいく。 「おいよせ、イジメかっこ悪い!」という声が聞こえる。 「男子は引っ込んでて! 私たちは綾時くんが一生消えないトラウマを負う前に黒田を殺しに来たのよ!」という声が聞こえる。 いじめは確かに格好悪いし、撲滅してやるべきだと思う。それよりもまず、なんだか面白そうだ。 あまりに楽しげなのでうずうずしてきて、明彦は我慢ならず、そこに混ざることにした。望月の部屋の中で睨み合っている男女多数の生徒たちの中に、「楽しそうだな。俺も混ぜろ」と乗り込んで行く。 彼らは殺気立ち、ぎらぎらと目を光らせている。獰猛な猛獣の目だ。相手に取って不足はない。 「あ……さ、真田先輩! 聞いて下さい、黒田がひどいんです!」 「真田さん! 望月が、望月の野郎が黒田の弱みにつけ込んで、とても口では言えない仕打ちをしようとしたらしいんスよ! 男の風上にも置けない奴だ!」 「何を言ってんの、男子。弱みを握られてるのは綾時くんの方に決まってるでしょ。弱みでも握られてなきゃ、彼が妖怪なんかに構ってあげるわけないじゃない」 「妖怪って言うな、黒田は天使なんだ。いや、見た目じゃないぞ。俺は見た目で人を判断するような人間じゃないんだ、ほんとなんだ信じてくれ。ええと、中身だ。ほら、中身が、あんまりにも素敵な俺の天使だから」 「気色悪いこと言うな! そいつの中身なんか、こうおぞましいドロッドロしたコールタールみたいなものが詰まってるに決まってるじゃない」 「ふざけんな! 詰まってるとしたら綿菓子だ! マシュマロだ! 黒田は砂糖とハチミツとその他あらゆる妖精的なものでできてるに違いないんだよ!」 「……あの……ねえ、男子どうしちゃったの? 何かあったの? よ、弱み? 弱みを握られたの、あんたたちも」 「失礼なことを言うな! オレらはただ、格好悪いいじめを学園から無くしたいだけだ。オレたちは正義感溢れる漢なんだ。なんかチーム名付ける? どうする?」 「『俺たちの天使黒田を女子と望月の魔の手から守る正義の会』でいいんじゃね?」 「いや、長過ぎる。もっとシンプルに、黒田親衛隊とかでいいんじゃね?」 「じゃあ親衛隊長は僕だね」 「望月、てめっ、いいトコばっか持ってくんじゃねぇぞ! お前はダメだ! 黒田いじめの元凶のくせに!」 「りょ、綾時くん、みんなも、ど、どうしちゃったって言うの……? そいつ、人間じゃないんだよ? 妖怪なんだよ? おかしいよ?」 騒いでいると、女性教師が「ちょっと、うるさいわよ」と注意をしにやってきた。「面倒なこと起こさないでって言ってんでしょ」と、いかにもだるそうな様子でぼやいている。 「なに、誰のせいで揉めてんの」 「鳥海先生、黒田くんが……」 「いや、黒田は悪くない! 望月だ! そいつのせいで黒田が……」 「はいはい、わかったわよ。黒田くんと望月くん、ちょっと下までいらっしゃい。反省するまで正座でもしてなさい」 女性教師が忌々しそうな顔つきで、望月と黒田の耳を引っ張って、引き摺って連れていく。どうやら彼らが元凶だったというのは本当らしく、さっきまで張り詰めていた場の空気がふっと緩んでしまった。 「綾時くんも災難だね……モッサリ妖怪王黒田なんかに付き纏われたせいで先生に叱られちゃって」 「おい、止めてやれって言ってるだろ。黒田が望月に付き纏ってんじゃないんだ。逆だ。望月の野郎が黒田に付き纏ってんだよ。畜生、許せん」 「……あんたたち、ほんとにどうしちゃったの? その、大丈夫?」 どうやら祭りは終わってしまったようだ。男子も女子も、遅れてやってきた男性教師に「何をしとる、もう消灯時間だ。さっさと戻らんか!」と注意され、ばらばらと散っていく。 そうしていると、順平が戻ってきた。彼は確か望月と同室だった。「どうしたんスか、これ?」とか不思議そうに言っている。 「今リョージと黒田が鳥海センセに引き摺られてくトコ見たんスけど、あいつら何かやったのかな」 「知らん」 明彦は頭を振った。結局何が起こっていたのかは、最後まで分からずじまいだった。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜