正直なところ、何が起こっていたのか分からない。露天風呂で桶を頭にぶつけて目の前が黒くなり、気がついたらすごく目の前に真田先輩がいた。
 彼は目を覚ました僕の目の前でいきなり不思議な動作を行いながら、奇声を上げて部屋から走って出て行ってしまった。
 まあ彼は目標だけは完璧主義のようなところがあったから、あれだけ取り乱してしまうくらい、部屋を間違えてしまったことが恥ずかしかったのかもしれない。あの男が割り当てられた部屋は、確か僕たちの隣だ。
 それはいいとしよう。次に、望月がやってきた。先生に湿布薬を貰ってきたらしい。僕は確か裸にタオルが一枚ってタカヤみたいな格好でいたはずだったが、気がつくときちんと浴衣を着込んでいた。おそらく僕が昏倒している間に、望月が身体を拭いてくれたり、服を着せてくれたり、部屋に運んでくれたりしたのだろう。敵ながら親切な奴だ。
 僕はちょっと考えてみた。そう言えば望月と僕は敵として顔を合わせたことがない。
 彼は敵勢力の人間だが、新人なのだ。それも戦闘員にすら入っていないらしい。僕らのことを良く知らないのかもしれない。
 なるほどなと僕は思った。望月はまだなんにも知らないのだ。おそらくシャドウとかペルソナとか、そう言った普通の人間にとっての非日常のことでまだ頭がいっぱいなんだろう、多分。じゃなきゃ、僕に親切にしてくれる理由が思い付かない。
 そんなことを考えていたら、「そんなエッチな格好するなんてずるいよ。僕もう我慢できそうにないや」と言われて、畳の上に押し付けられた。上から乗られた。
 「君のはじめてを僕に下さい」とも言われた。奇妙な文法だと思ったが、彼は帰国子女なのだ。そういうもんなんだろう。
 そこに例によって女子が乱入してきた。いつものように僕を散々罵倒した後で、暴行を加えられそうになっていると、なんでかいつもは知らないふりを決め込む男子たちが、今日に限って助け舟を出してくれた。「やめてやれよ」と僕を庇ってくれたのだ。わけが分からない。
 散々処刑だの保護だのと言い争いが続いた後、まあ無理もないが担任教師の鳥海先生にうるさいと怒られ、耳を引っ張られて一階の廊下に連れて来られた。教員が泊まる部屋の真前だ。
 そんなで、今は正座させられて先生にお説教を受けている。理不尽だ。僕が一体何をしたと言うんだ。
「大体あんたたちね、転入生のくせにクラスで一番の問題児っての、どういうつもりなわけ? 新天地ではもうちょっと控えめにしとこうとか気を遣わないわけ? 望月くんは海外暮らしが長かったからっての、理由にはならないわよ。もうちょっと自覚しなさいよ。あんたね、あんたが黒田にちょっかい掛けるから、女子まで加わって面倒なことになるのよ。黒田が気に入らないとか、あんたの美的感覚から外れてるとか言うのは良くわかったから、これからはカンに触ることがあっても無視しときなさい。大体ね、あんたのイジメは陰湿で遠回り過ぎんのよ。あんまり遠回り過ぎて、望月は黒田と付き合ってるとかいう噂まで流れてんのよ? イヤでしょ? こんなキてるのと噂になるなんて、ちょっとでもプライドを持った人間なら耐えらんないでしょ? 先生なら耐えられない」
 なんだか叱られているというよりは、全然僕には関わりがないことで、とてもひどいことを言われているような気がする。
 僕はそんなにキてるんだろうか。生理的に嫌悪されるくらいひどい見た目をしているのだろうか。今更だがかなり落ち込む。容姿ってものは生まれつきのもので、僕が悪いんじゃないのに。
 ただ僕の隣に並べられている望月は、黙っていればちょっとは早くお小言を切り上げてもらえるかもしれないのに、「先生、誤解です」とか言っている。
「僕は黒田くんをいじめたりなんてしてません。そんなことするくらいなら、死んだ方がましだ。気に入らないとか、そんなことありえません。僕はとても彼を愛しているし、世界中で一番美しい人だと思っています。噂じゃないです、僕ら付き合ってます。高校を卒業したらプロポーズしようって決めてるくらい、本気でこの子が大好きなんです」
 その瞬間鳥海先生は、水も持たずに広大な砂漠の真中に放り出されてしまった旅人のような、すごく途方に暮れた顔になった。げっそりやつれて、しおしおと生気が抜けて行った。
 彼女は「ありえない、そのカップリングだけは萌えない」とかぶつぶつ言いながら、とても悲しそうな顔つきで頭を振った。
「……冗談でしょ? 望月くん、先生そういうアメリカンジョークあんまり好きじゃないな」
「嘘じゃありません。ねえ黒田くん、君も僕のこと、嫌いじゃないよね」
「別に嫌いじゃないけど」
 僕は頷く。鳥海先生は、望月の肩をがっと掴んで、「正気に返りなさい」と言った。
「たぶん何か悪いものが憑いてんのよ。間違いないわ。悪霊とか、君帰国子女だから、外国で悪魔を憑けてきたのかもしれないわね。旅行から帰ったらすぐに霊能者を探しなさい。エクソシストでもいいわ。じゃなきゃ、せっかく持てる者に割り振られてるってのに、あんた一生を棒に振ることになるわよ」
 鳥海先生は僕を嫌そうに指差して、「これが?」と言った。「これのどこが?」と。
「どこが美しいって、あんた絶対頭と目の病院に行ったほうがいいわよ。修理してもらいなさい。先生には、ダメだわ。どう見ても妖怪にしか見えない。なにこのモッサリ」
「確かに、あんなに美しい顔を隠してちゃ勿体無いですよね。ほんとはいつでも彼の綺麗な顔が見たいんですけど、でも人と目を合わせるの苦手だって言うから、僕は彼の意思を尊重したいし。それにみんなに見せるの勿体無くて」
「ていうかこいつ、一つ目だかのっぺらぼうだかなんでしょ? みんな怖がって、このもっさりした前髪に『核シェルター』って名前付けてたわよ。臭いものにはフタをって、昔の人も言ってたわけだし」
 ちょっと聞いてるだけで泣きそうになってきた。頑張れ僕。今更ひどいことを言われたからって何だ。
 ほんとに今更なのだ。僕はこのくらいでは泣いたりなんかしない。何故なら僕は影時間に暗躍するちょっと影のあるダークヒーローであり、みんなの悪意に望まれる復讐代行者であり、世界に選ばれたペルソナ使いであり、その中でも特出して最強の能力を持つ者だからだ。涙なんか出てやしない。
「あ……大丈夫? 泣かないで」
 望月が急にソワソワしはじめて、気遣わしげな顔つきで「君に涙は似合わないから」と言う。「もっとも、泣いている君もとても綺麗だけどね」と言う。そして僕の頬にそっと触れる。
 鳥海先生は「うげえ」と潰れ際の蛙みたいなうめき声を上げて、鳥肌を立てている。
 この人は、一体何なんだ。鳥海先生だけじゃない、みんなもだ。学校中の、僕にひどい仕打ちをする女子や、それを遠巻きに見ている男子どももだ。
 僕が何をやったって言うんだ。そんなに醜いのか。醜いのがそんなに悪いのか。人間の一番大切なものは見た目か。もう一般社会なんてうんざりだ。
「僕は知っているよ。君がどれだけ美しいかってこと。顔や身体だけじゃない、君がどれだけ綺麗な心を持っているのかってことをね」
 望月は必死で僕をフォローしてくれているが、僕としてはなんだかなという気分だった。
 僕を目の仇にしている女子連中が、彼を美形だとちやほやしているのを知っているし、人の顔の区別が上手くつけられない、美しいとか醜いとかいう感覚が良く分からない僕でも、望月がとても整った顔立ちをしているってことは分かるのだ。
 恵まれている彼が僕を慰めたって、持たざる者らしい僕からすれば変に哀れまれているみたいで嫌になる。ひがみっぽいことを考えてしまって、僕は更に憂鬱になった。だから影時間以外に出歩くことは嫌いなのだ。
 望月がポケットからストライプのハンカチを取り出して、僕の顔を丁寧に拭ってくれた。くどいようだが、僕は泣いてなんかいない。この目から出る水はあれだ、汗だ。今日はとても蒸すから。
 望月はすごく困った顔をしていた。なにも彼が貶められたわけじゃないのに、なんで彼がそんな顔をしているのか、僕には良く分からない。
「ほら、君はこんなに美人なんだ。泣いてちゃ勿体無いよ」
 望月が僕の目を覗き込んで、子供を宥めるみたいに優しく言う。
 僕はそれで、またさっきとは別の意味で、なんだかなという気分になってしまった。こんなに丁寧に取り扱われると、彼が敵対勢力の人間だってことをたまに忘れそうになってしまう。
「笑うといいと思うよ。僕、君の笑顔が見たいよ。君はまだ一度も僕に見せてくれないけれど」
「そんなこと、言われても……分からない」
「うん、待ってるよ。少しずつでいいんだ。僕に君のいろんな顔を見せて」
 望月が頷き、穏やかな声で良く分からないことを言う。なんだかすごく覚えがあるなと僕は思った。
 確か昔から、何度もこういうことがあったのだ。僕が理解出来ないことをまくしたてて、ニコニコ笑っている奴が、いつもすぐそばに――





「う、嘘……ちょ、待ちなさいよ!」





 いきなり望月が、襟首を掴まれて、後ろに放り捨てられた。鳥海先生が目を見開いて、口も大きく見開いて、世界が終わったみたいな顔つきで、僕の両肩を乱暴に掴んだ。
「う、う、嘘……ありえない! 物理学的にありえない! なにこのトンデモ現象? ちょっと、あんた、黒田……くん?」
 すごい顔で睨まれて、散々「ありえない」とダメ出しされた挙句、「あんた本当にあの妖怪王黒田?」と問い詰められた。
 僕は妖怪王なんてすごそうな役職にはついていないが、首を横に振ったらそのまま殺されそうな剣幕だったので、「はあ」と曖昧に頷いた。僕は強い者には弱いダメな人間だ。
 また意味もなく殴られたりするのかと危惧していたら、鳥海先生はしばらく無言で僕の顔を凝視した後で、急に酔っ払ったように顔を赤くして、目を潤ませた。暴力こそ無かったが、彼女は口の中で繰り返し「やばい……これはやばい」とか言っている。僕はやばいのか。また目から汗が零れてきそうだ。今日はすごく暑いから。
「こんな萌えっ子、初めて見た……あー、コホン。望月くん?」
「はい、何でしょうか、先生」
 投げ捨てられた際に壁で頭をぶつけ、痛そうに額を擦っていた望月が、鳥海先生の仕打ちに文句ひとつ言わず、にこっと微笑んで返事をした。彼は女性が大好きなのだ。
「あんた、これを知ってたの? 知ってたのね。知ってた上で誰にも教えずに、一人占めしてたのね」
「一人占めなんて、そんな。確かに彼は僕の大切な人ですけど、僕は彼を束縛したくはないし、いやでも僕以外の人間を愛して欲しくはないから、うーん、こう言うのって一人占めって言うんでしょうか?」
「これを知らないみんなに妖怪だとか宇宙人だとか罵られて、いじめに遭って独りぼっちのこのコの弱みにつけこんで……あざといわ。あまりにあざとすぎる。あんた、当面現国の成績『一』だから」
「ええっ! そんなぁ!」
「ああ、でも先生ちょっとその気持ち分かる……分かるわ……これは人に教えたくない、一人占めしたくなるわ。たとえどんなに前髪モッサリだろうが、一回素顔見ちゃったら、もうそれすら愛しい……」
 さっきまで僕を散々罵っていた鳥海先生だが、何故か「ああ、薄幸美少年可愛い良い匂い萌える」と呪詛のように呟きながら、僕を抱き締めて頭を撫でている。いつもの幾月さんの口癖もそうだが、燃える、って何だろう。何の例えなのか、僕には分からない。
「黒田くん、これからいじめられたら、すぐに先生のところに来なさい。教師特権をフル活用して守ってあげるわ。先生は何があっても君の味方だからね」
「……え? はあ……」
「うん、君はもう部屋に戻っていいわよ。君みたいな可愛いコがこんな薄暗い廊下で色魔と二人並べられて正座とか、先生耐えられない。――望月くんは、今晩一晩そこで反省してなさい」
「そ、そんなあ! 僕、彼と一緒の布団で眠れるの、すごく楽しみにしてたのに!」
 「後生です」と望月が情けない顔で言う。僕はなんだか、それを聞いてくすぐったい気持ちになる。
 一緒の布団で一緒に寝るって、何だその、すごく友達みたいなことは。
 僕は別に、友達が欲しいって訳じゃない。教室でもいつも一人で不自由したことなんかないし、遊びのために学生をやっている訳じゃないのだ。
 でもまあそういうのも、たまにくらいは、しょうがないから付き合ってやっても良いかな、とも思う。
 いや、決して僕は寂しいとかじゃないし、僕と望月は敵同士なのだ。本当の友達なんかになれる訳はない。ただのごっこ遊びで終わるだろう。
 ただ望月があんまり必死な顔をしているから可哀相になってしまった。それだけなのだ。僕は寂しい訳じゃないし、友達が欲しい訳じゃないし、望月に優しくされて嬉しくなんてなっていない。
「……その、望月」
「う、うん? なんだい?」
「べ、べつに、その、お前が寝たいなら、一緒に寝てもいいけど」
「ほ、本当っ! やっぱり君、僕のこと愛してる!」
 望月が、ぱあっと顔を輝かせた。そんなに嬉しそうにされると、僕としても反応に困ってしまう。
 まったく、僕はどうしちゃったって言うんだろう。敵にほだされるなんて、復讐代行人失格じゃあないか。こんなところ、兄弟たちには絶対に見せられない。
 そんなことを考えていたら、また鳥海先生に肩を強く掴まれて、「正気に返りなさい」と言われた。
「たぶん何か悪いものに憑かれちゃったのよ。間違いないわ。可愛いコをたぶらかす悪霊とか、いやこいつ帰国子女だから悪魔なのかもしれないわね。明日お寺で先生が縁切りのお守り買ってあげるから。悪霊退散のお札でもいいわね。じゃなきゃ、せっかくそんなに可愛いのに、騙されて一生泣いて暮らすことになるわよ。この男に甲斐性なんてあるわけないわ。もう君卒業したら先生んとこ来なさい、幸せにしてあげるから」
 彼女はすごく必死な顔をしていた。僕は何と言うべきか困ってしまって、ちらっと望月を見たが、彼は何かフォローを期待できるような状態じゃなかった。「どうしよう、あの子の口からそんな事聞けるなんて嬉し過ぎる」とか言いながら、両頬を押さえ、赤い顔で半泣きになっている。
 ダメだこれは、と僕は思った。普通の人間どもって、何を考えているのか良く分からない。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜