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翌日、僕と同じ班にいたのは、順平に友近、宮本の四人だった。望月はいない。 彼は結局昨晩は延々と廊下で正座の罰を受けていたらしいので、早々にお許しを貰って部屋に帰った僕に対し、不公平だと怒っているのかもしれない。 いや、それは僕の被害妄想だろう、多分。彼のことだから、ただ女子たちと京都を巡るって約束を取り付けて、楽しい修学旅行を謳歌しているのかもしれない。多分そっちの方だろう。望月は何というか、人をやっかんでいる暇があったら、しまりのない顔をして女子を口説いているような男なのだ。 友近はどうやら誰かに贈るのか、女子が好きそうな小物を並べている店に入ったっきり出てこないし、宮本は河原で走り込みをするだとかで、遠い地平線の彼方へ消えたっきり戻ってこない。 順平はどうやら仲間達と一緒に回るようで、岳羽や山岸、アイギス、真田先輩と生徒会長と合流していた。必然的に、僕はまた独りぼっちになった。 順平は「よう、お前も一緒にどうだ?」と誘ってくれたが、僕はそこまで空気詠み人知らずじゃあない。岳羽がすぐそばであからさまに嫌そうな顔をしているのはちゃんと見えていたし、「ご一緒してもよろしいでしょうか」と僕に寄ってきてくれたアイギスの腕を、山岸が引っ張って、「アイギス、だめだよ。ばれちゃったら大変でしょ」と小声で言うのも聞こえていた。 真田先輩は相変わらず僕のことなど眼中にもないようで、空に向かって「黒いの! 幻でもいい、俺と決着をつけろ!」と叫んでいたし、生徒会長に至っては僕と順平を見比べて「伊織、君の知り合いか? 見ない顔だな」と言っている。彼女は完全に僕の顔を忘れているようだ。 僕は招かれざる者なのだ。「いいよ、合わないし」と言うと、順平は「謙虚な奴だよなお前……」とちょっと悲しそうな顔で頭を振っていた。 「そう言えば、綾時くんは? 今日は寮生みんなで、一緒に回ろうって言ってたけど……」 「ああ、あいつなら昨日の晩なんかやらかしたとかで、鳥海先生に写経させられてるつってたぜ。昼んならねーと解放してもらえねーって」 「ふーん。まあいいんじゃない。煩悩を消して綺麗な心に生まれ変わるって言うのも」 「ゆかりッチ、可哀相なこと言ってやんなって。あいつから煩悩を取ったらなにが残るって言うんだ」 「綾時くんも、それあんたにだけは言われたくないと思うんだけど」 和気藹々と楽しそうにやっている。 僕は早々に「じゃあ」と彼らに別れを告げて、さっさと離れた。仲良しごっこなんて吐き気がする。 別に、僕は仲が良い彼らを羨んだりやっかんだりしているわけじゃないが、断じて。 「あ、おい! こっちいろって! お前、どーせ一緒に回る奴いねーんだろ? 一人よか大勢の方が楽しいって!」 順平の声が追い掛けてくるが、それに続いて岳羽の「ほっときなよ」という声が聞こえてくる。今更だが、僕は随分彼女に嫌われているようだ。 S.E.E.Sどもから離れて、僕はほっとして溜息を吐いた。最近ちょっと、僕は自分の役割を見失いがちだ。大分長い間学生なんてやっているものだから、毒されているに違いない。 京都の路地をひとりでとぼとぼ歩きながら、僕はこんな醜態を兄弟に見られなくて本当に良かったと安堵した。 僕はクールで何でも完璧にこなす一匹狼なのだ。岳羽をはじめとする女子連中を怖がってびくびくしていたところなんて見られたら、またうるさいことを言われるに決まっている。 「あ、綿菓子、食べたい」 「ああ、あの羽織りなんかどうですか。常々復讐代行人にも制服のようなものがあれば良いと思っていました」 「お前らまたかいな……綿菓子は今食っとるりんご飴を片してから、羽織はどうせ帰ったら飽きてしまうに決まっとるからアカン。無駄になるやろ」 大通りをふらふら歩いている見慣れた顔を見つけて、僕はすごく脱力した。 僕の兄弟達だった。「お前ら何をやってる?」と声を掛けると、「おやカオナシ、貴方まだ制服なんて着ていたのですか」と、それがすごく悪いことみたいに言われた。 彼らは皆好きな仮装をしていたのだ。タカヤは背中に『救世主』と書かれた羽織を着ているし、ジンは甚平姿だった。チドリは相変わらずお姫様みたいな着物姿だった。じゃらじゃらしたかんざしまで頭に付けている。 「何その格好」 「貸衣装ですよ。我々今を精一杯楽しむための努力は惜しまない頑張り屋です」 「でも、高いんじゃないか、そういうの」 僕は首を傾げた。服なんか借りる費用は無かったはずだが、いつもは「無駄遣いはあきまへん」とうるさい財布係のジンがなんにも言わない。 珍しいなと思っていると、「スポンサーがおるさかい」と返事が返ってきた。「ああなるほど」と僕は頷いた。なるほど、そういうこと。 「お前も一緒に回るやろ? どうせ他に友達なんかおらへんに決まっとるし」 「う、うるさいな。お前だっていないだろ、そんなの」 「はは、おかしなことを言いますねカオナシ。我々に友人などいるはずがないじゃないですか」 タカヤが微笑みながら言うが、それはすごく虚しいことじゃあないだろうか。 「ぼ、僕はいるぞ、友達」 「私にもいる」 「はいはい、お前らの脳内友達のことはエエねん」 ジンに軽くあしらわれてしまった。腹立つ。 ◆ 客は女性ばかりだった。まあ無理もない。『和小物』だとか『ガラスアクセサリー』だとか言うものは、男にしてみれば遠い星からやってきた隕石かなにかみたいな、正体不明の良く分からない物体に過ぎないのだ。 かなり居心地が悪いが、順平は腹を決めて、店内に入って行った。女性陣はすでに思い思いに買い物を済ませて、入れ違いに出て行くところだった。「前のお店でお茶飲んでる」と言う。順平は「おう」と頷いた。 なんだってこんな恥ずかしいことをしているのかと言えば、理由は思い返すだけでまだ胸が張り裂けそうになるのだが、好きだった(んだろう、たぶん)女の子が死んでしまったのだ。高い高い橋の上から、仲間と一緒に手を繋いで飛び降りて行った。黒い海中に消えていった。 死んだんだろう、たぶん。まだ実感ってものが湧かないが、あんなところから飛び降りて生きている訳がない。遺体も上がらなかった。 あの綺麗な子の遺体が、海の中で魚や蟹に食われちゃったのかなと想像するだけでやりきれない。でもいまだに見つからないせいで、やっぱり信じられないのだ。 「おねえちゃん、おなかへった」 「待って。まだどっちするか決めてない」 白と黒のお揃いの着物を着た少女の二人連れが、半月型の櫛が並んだ棚の前に並んで立っている。姉妹らしい。彼女たちの後姿を見て、女子は良いよなあと順平は考えた。少なくとも異端者みたいにチラチラ見られることはないのだ。 「あれ、順平じゃん。お前、なに似合わないところにいるんだよ」 声を掛けられて振り向くと、クラスメイトの友近がいる。ちょうど店に入ってきたところで、順平が目についたらしい。彼は不思議そうな顔をしていた。 「な、何だっていいじゃんよ。オメーこそ何よ?」 「いや、まあ、あれだよ。エ……おっと、女の喜びそうなもんってやつ? うん、まあ、見にきて、そんな感じ。どうせお前も同じような感じなんだろ」 「まあ、そうだけどよ」 「その様子じゃプレゼント慣れしてなさそうだな。オレがアドバイスしてやろうか?」 「いや、いいって。あげたって、ぜってー喜んだ顔とか見れねーし」 「なんだよ、嫌われてんのか」 「そいうんじゃねえって。ああも、何でもいいだろ」 好きな子の墓の前に供えてやりたいんだってことを説明する気にはなれなかったから、順平は曖昧に言葉を濁しておいた。どのみち彼女には墓標もないのだ。 「どうせ櫛なんて、食えないんだからどっちだって一緒じゃん。早く出ようぜ。ここ来る途中、きなこパフェってあったじゃん。俺あれすごく食いたい」 「一緒じゃない、お前は目が悪いのか。荷物持ちは黙って待ってろ。私は三軒隣の黒蜜クリームあんみつが食べたい」 順平は、チラッと後ろの姉妹(だろう。片方が「おねえちゃん」って呼んでいるのを聞いた)に目をやって、なんだか不穏な雲行きだなと考えて、またショーケースに目を戻した。順平には兄弟はいないが、結構いたらいたで、衝突したり意見を違えたり面倒臭いものなのかもしれない。 「めのうの指輪か……キレーだけど、結構お高い」 「指輪って、お前いきなり難しいとこ狙い過ぎだって。まずはストラップとかにしとけよ。そういう重要なアイテムってのは、土産物屋で買うもんじゃないぜ。後に取っとくに限る」 「うるせえな、恋愛奉行は黙ってろ」 口の端を曲げて渋い顔をしていると、「なんだ、お前か」となんだか気まずそうな声が掛けられた。振り向くと、真田だ。珍しいこともあるもんだなと順平は考えた。 店内にいた女性客は、彼を見るなり目を輝かせて「ヨクない?」とか言い合っている。この差は何だろうと順平は考えた。理不尽だ、納得いかない。 「真田サンじゃないスか。どうしたんですか、こんなトコで。桐条先輩の前でなんかやったんスか?」 「なんでそこで美鶴の名前が出てくる」 「いや、お詫びのプレゼントでも贈るのかと」 「あいつを怒らせたら、物を送ったくらいで済ませられるものか。ただ、その……橋に供えるか、海にでも投げてやろうと思ってな」 「あ、例の黒いかわいこちゃんスか。そういや、そうスよね。そうすりゃ良かったんだ。いやいいこと聞きました、アザッス。いや、オレもあの子になんか供えてあげてえなって思ってて」 「い、いや、勘違いするなよ。俺はただ、あいつの強さに敬意を表してだな。お、贈り物とかそんなではないぞ、断じて」 真田はしどろもどろになって言い訳している。この人結構可愛いトコあるんじゃんと順平は思ったが、怖いので口には出さず、「はあ、そうスねえ」と相槌を打っておいた。 友近は置いてきぼりにされて不満顔で、「何の話だ?」と訝っていたが、話の内容から察したのか、「あっ」という顔になって黙り込んだ。どうやら気を遣ってくれているらしい。 「しかし……女子というのはどういうものを喜ぶのか、さっぱり分からんな。以前美鶴の誕生日にプロテインを贈ったことがあったんだが、その場で突っ返された。まったく、女とは難しい」 「いや、真田サンの漢気は多分、その瞬間かなり上昇したと思うッスよ。うーん、そうッスねえ、あの黒い子、結構派手なモンが好きそうだったし……」 男三人で顔を突き合わせてショーケースを覗いている後ろで、さっきからどうも意見が合わないらしい姉妹が、ピリピリした空気を放ちはじめた。 「絶対きなこパフェの方が美味いって! あれ抹茶付きなんだぜ」 「お前味なんかろくに分からないくせに良く言う。どうせ腹に入ったら何だって良いんでしょ。魚の骨でも食ってろ」 「お前は鉛筆の削りカスでも食ってろ。チドリ死ね」 「お前が死ねカオナシ」 その名前を聞いて、驚いてばっと後ろを振り返り、条件反射で「チドリ!」と叫ぶと、不思議そうな顔をして姉妹が振り向いた。口にしてしまってから、人違いだろうとものすごく居心地が悪くなったのだが、驚いたことに、目の前には死んだはずの少女がいた。 『あれ』という顔をして首を傾げている。 チドリだ。本物……に、見える。少なくとも足はある。彼女は例によって黒い少女と二人セットだった。姉妹だったらしいのだ。これは予想外の展開だった。 「ち……チドリ! 君、生きてたのか! オレ、死んじまったと思ってて、すげえへこんで、なんだよちょ、良かった! マジで良かった!」 つい後先考えずに抱き付いてしまった。数十秒ほど経って、もしかすると今すごくまずいことをしてやしないかと思い当たり、「わりっ」と慌てて離れると、彼女は「暑苦しい」と冷たく呆れたような声で言った。でも顔がちょっと赤い、ような気がする。気のせいかもしれなかったけど。 「く、黒いの……」 「何ですか?」 「く……くっ、ダメだ、俺には伊織のような真似はできん。い、いやそうじゃない。そういうんじゃあないんだ。おい貴様、表へ出ろ。今度こそ俺と決着をつけろ」 「面白いことを言いますね。最強にかなうとでも」 「当然だ。今度は負けん、必ず貴様を倒してやる。そ、そして、俺が勝ったら、俺と……俺と海牛で牛丼を食え!」 「……なんで?」 順平は首を傾げた。友近も、訳がわからなさそうにしている。 当の『黒いの』は、「負けなきゃ飯が食えないのはおかしいと思います」とかずれたことを言っている。真田もはっとした顔で、「そう言えばそうだ!」と叫んでいる。 この二人もしかするとお似合いなんじゃあないかなと順平は思った。どっちもどこか浮世離れしている。 「で、では負けたら一日俺の言うことを何だって聞くというのはどうだ? 万一貴様が勝ったら、海牛で腹いっぱい牛丼を食わせてやろう」 さすがに順平は呆れて、「真田サン、小学生じゃないんスから」と突っ込んだ。どっちにしたってデートになるんじゃあないかって辺りが抜け目ないような気もするが、この真田明彦という男は悪意や下心と言ったものとは無縁の男だったから、ただの天然なんだろう。 「ええと、君ら二人なの? その、あのキてるやつらは一緒じゃねぇの?」 「ああ……滝に打たれて瞑想したいとか言い出すバカがいたから、置いてきた……。多分飽きたら、そのうち追っ掛けてくると思う」 「ジンていっつも可哀相だよな。ちゃんとヤだって言わないから、電波のタカヤに振り回されるんだぜ、絶対」 二人の少女は揃って腕を組み、片頬に手を当てて、呆れたふうに言った。このシンクロ具合からして、もしかして彼女らは双子なんじゃないかなと順平は訝った。似ているのだ。 「そ、そっか。あ、あのさ、こんな状況だし、良かったら一緒に回んね? 京都。きっと楽しいぜ、うん、マジで」 「おいバカ、何を言ってる。そいつは敵だ! 軽々しく馴れ合うなど」 真田が大声で『敵だ』とか言うもんだから、隣で「なんだなんだ」って顔をしている友近が、ぎょっとした。そういえばいたのだ。順平は慌てて真田の口を押さえて、「マズイッスよ!」と耳打ちした。 「さ、真田サン、しー! ここにはホラ、普通の人もいますし! 今日一日休戦ってことでどうでしょ? 真田サンも、ホラあの黒い子のこと色々知るチャンスじゃねッスか」 「む。ま、まあ確かにそれはそうだ。戦う前に敵を知ることも大事だな……」 二人でヒソヒソやっていると、黒い少女(確かカオナシとか呼ばれていたが、本当にそんな不憫な名前なんだろうか?)が嫌そうに顔を顰めて、「断わる」と言った。 「馴れ合いなんてごめんだ。別に気なんか遣うなよ。俺達は敵同士なんだぞ」 「いや、旅先でくらいいいんじゃねぇのかな? うん、今はホラ、うるさく言うヒトっていないじゃん。あわよくばWデートなんか……」 「お、おい待て何を言っている! デ、デ、デートだと?」 真田は真っ赤になって泡を食っている。順平は「すげえ良い考えだと思いませんか!」と勢い込んで言った。 「ここは夏の屋久島のリベンジする絶好のチャンスじゃねッスか? いつもモテモテリョージの奴に一泡吹かせてやりましょうよ。あいつもぜってーこんなかわいこちゃんとデートなんかしたことねッスよ。量ではさすがにモテ男のオレもかなわねえッスけど、質なら圧勝間違いなし! この勝負いただき!」 「勝負……勝負だと!」 真田の目の色が変わった。この人本当に扱い易いなと、順平はこっそり考えた。そのうち変な勧誘に引っ掛かりそうで、ちょっと心配だ。 「そ、そんなわけでー。ホラ、お茶でもどうかな? あまーいあんみつでも、パフェでも、あ、勿論オレっちが奢りマスから。食べ放題ッスよ」 姉妹は雷にでも打たれたみたいな、驚いた顔になった。 「奢り、食べ放題……すごいぞ順平」 「順平……素敵」 そしてポワッとした表情になって、頬を赤らめている。魅了状態だ。あれ、と順平は思った。 「え……餌付けは、有効なの?」 まさかストレガ相手に効くとは思わなかった。 「ま、まあ、ばれたらタカヤとジンに後で絶対うるさく言われそうだけど。ばれなきゃ、いいけど。なあチドリ」 「……うん」 「うう、でもお前んとこ岳羽がいるから遠慮したい。あいつなんか俺のこと目の仇にしてるから、あんまり関わり合いになりたくない」 「あ、え。ゆかりッチ? なに言ってんの、君。ゆかりッチ、君のこと好きデスよ? うん。気になってしょうがないって感じでしたよ? やっぱ賭けはオレらの勝ちだったみたいだけど、なんかあの様子だと、性別の壁とかも、あんまり気になんなくなってきたような、そんな感じでしたよ?」 「嘘だ。別にフォローはいらない。あいつ怖いもん」 「うーん……確かにオレっちも、同性にうっとりされたら、ちょっとヒクかもしれねーけど……」 何とも言えず、順平は言葉を濁した。横で、真田が「それよりもまず勝負だ」とか言っている。 「ふん、情けないな。見損なったぞ黒いの。牛丼ならまだしも、まさかあんみつやパフェで餌付けされるとはな。貴様はその程度なのか?」 「何を言ってるんですか? 分かる言葉でお願いします。あなたが俺に勝てるとでも」 「負けるのが怖いのか」 「まさか。ありえません」 「怖いのでなければ、表へ出ろ。そこの河原まで来い。パワーアップした俺の力を見て驚くがいい」 「まあ、いいでしょう。望む所ですよ。三秒で片して差し上げます」 そして二人で連れ立って店を出て行く。順平としては可愛いチドリと二人きりになれたのはそれこそ望む所だったが、Wデートってのはどうなったんだろう。 「あれ……真田サン? ちょ、デートの趣旨って分かってます? なんでそこで勝負に。わ、わりぃチドリ、止めてくるわアレ」 慌てて後を追おうとしたところで、「いい」と上着の裾を引っ張られて引き止められた。 「あいつ、バカだから、勝負とか大好き。ほっといた方がいい」 「そ、そうなの? でもあの子怪我なんかさせちまったらコトだし」 「心配ない。あいつバカだけど強い。負けるとか、ありえない」 「いやでも、真田サンあれでボクシングチャンプで、あの子の細腕でガチで殴り合ったりしたら――」 「あいつ、こないだ仔猫を轢きそうになったトラックの前に飛び出して」 チドリが、いつものボソボソした声で、詩でも口ずさむように言う。 「十トン持ち上げてブン投げてた」 「真田サンその子はマズイッス逃げてー!」 順平は叫んだが、もう遅かった。川の方角で、光と共に大爆発が起こった。ペルソナを呼んだんだろうが、真田の得意な電撃攻撃じゃあないことははっきりと見て取れた。 「……と、とりあえず見なかったことにして、お茶行きましょうか? なに食いたい? 何でもお付合いしちゃうよーオレっち」 「……三軒隣の黒蜜クリームあんみつが食べたい」 「了解! あ、友近くん? 悪いねー、オレっちこれから可愛いカノジョとデートだから。チャオー」 「……カノジョって、なに?」 「え?」 さっと敬礼して、にこやかに微笑み掛けてやると、友近は唖然とした顔になって、「嘘だ、あの順平がそんな可愛い子、ありえねえなんかの間違いだ!」と、ものすごく絶望した顔つきで叫んだ。失礼な男だ。 ◆ 「オープン、ミックスレイド発動。ルシファーサタン、ハルマゲドン!」 「初めから全力で来い!」と言われたので、お言葉に甘えて全力で行かせてもらった。真田先輩をターゲッティングして、ペルソナを解き放つ。 そりゃもう気持ち良いくらい空の彼方にぶっ飛んで行った彼を見送り、「だから無理だって言ったのに」と僕は独りごち、溜息を吐いた。あの様子じゃしばらく戦闘不能だ。牛丼もパフェも期待できそうにない。 チドリと順平のもとに戻ろうとしたところで、なんだなんだと集まってきた野次馬の中から、「キミ!」と驚いたような顔で飛び出してくる者があった。 ペルソナバトルで温まっていた身体から、さあっと血の気が引いていく。 相手はあの岳羽だったのだ。僕の顔を見ると唾でも吐くような顔で舌打ちする岳羽。なんにもしていないのに、僕を妖怪呼ばわりして殴る蹴るの暴行を加える岳羽。たまに仲間の望月の親衛隊どもを呼んで僕を苛める岳羽。 山岸と生徒会長殿も後ろにくっついている。僕はほとんど反射的に彼女に背を向け、逃げ出していた。逃走は、彼女を見た時の僕の癖のようなものになりつつある気がする。情けない。 「き、キミ! ちょ、待って! 話を聞いて!」 いつもなら逃げ惑う僕を冷たい目で見こそするが、岳羽は基本的に追い討ちはしてこない。『いつもは』。 どうしたんだろう、今日に限って追い掛けてくる。旅先の解放感か何かで、好戦的な気分になっているんだろうか。 「あいつはストレガの! 生きていたのか!」 「生きてたのね! ねえ、名前くらい聞かせてよ! 今日こそ絶対逃がさないんだから!」 「ちょ、ちょっと待って下さい、二人とも、早い……」 「みなさん、どうかしたのでありますか?」 「あ、アイギス。あのね、ストレガのあの子が生きてて――」 敵が二人揃って追い掛けてきた。運の悪いことに、僕に温情を掛けてくれそうな山岸とアイギスじゃない。たちの悪い方だ。岳羽ゆかりに桐条美鶴。この顔ぶれだと、捕まったらただじゃ済まないだろう。 僕は必死で逃げた。後ろの二人も、生かさず殺さずの日常と違って今日は珍しく本気モードらしく、「待てー!」とすごい勢いで追い掛けてくる。女子怖い。泣きそうだ。 「待ってよ! キミそのカッコ、女の子だったの? ショックだけど――う、ううん、信じらんない! 脱がせて調べるまで信じない!」 「ひい……!」 身包み剥がれて川に沈められる。僕はこんな、滅びの塔も見えないところで死ぬのは嫌だ。死ぬ時はタルタロスの頂上で、滅びの皇子様の手に掛かって、って決めているのだ。 過去も未来もない僕だけど、最近はその明確な目的の為に結構頑張っているってのに、こんな所で女子に私刑を受けて殺されたくない。 河原を必死に走っていると、さっき地平線の彼方へ消えた宮本とすれ違った。追い越した。 彼はそれが余程気に入らなかったらしく(負けず嫌いらしい)、「おまっ、ちょ、待て!」とか叫びながら追い掛けてきた。 「こんな所で会ったのも運命だ! うちの部に入ってくれって!」 「お前空きないって言ってたじゃん……」 「あんたの分空けてあんだって! 頼むから! あんたが入ってくれたらすげえ心強いから!」 「ちょっと、名前くらい教えてくれたっていいでしょ! ねえってば!」 「ゆかり、このままではらちがあかない。二手に分かれて挟み撃ちだ」 「了解!」 挟み撃ちまでされるらしい。僕は、今回何かやらかしたんだろうか。例えば、彼女たちの怒りを特別に買うようなことを。 今日は、捕まったら間違いない、確実に死ぬ。今までだって何度も殺され掛けているのだ。傷の治りが妙に遅い最近の僕の身体はきっと耐えられない。 走って走って、大きな橋が見えてきた。コンクリートの柱を足掛かりに歩道まで飛び上って(宮本が「ありえねえ!」と叫んでいる。でもこの位は強化されてる僕らにとっちゃ当然のことだ)、ちょっとは距離が稼げたかとちらっと後ろを見遣ると、岳羽が「先輩、ちょっと宮本くんの目塞いどいて下さい!」と言いながら、召喚器を頭に突き付けている。嫌な予感がする。 「待ってってば!」 ガラスが砕ける音がして、大規模な突風が起こる。橋の上の人間が薙ぎ倒されて悲鳴を上げる。見境なしだ。 「お、おいゆかり、落ち付け」と、慌てたような生徒会長の声が聞こえる。ほんとだ、落ち付け、と僕は考えた。直接殺傷を狙った攻撃じゃあなかったが、おかげで風に飛ばされて転び、膝を擦り剥いた。なお悪いことに、下駄の鼻緒が切れた。慣れない下駄で、いきなり散々走り回ったものだから、指の付け根が真っ赤になって、皮が破れ、血が出ている。血豆が潰れたらしい。足袋が真っ赤に染まっている。 レンタルだったのになんてことだ。弁償しろと言われるかもしれない。帰ったらスポンサーに「君は本当に元気だねえ」とか嫌味を言われて、罰として一晩中『ドキッ! 幾月だらけの駄洒落大会〜メガネがポロリ〜』に付き合わされるかもしれない。うんざりだ。 立ち上がり、転げた下駄を拾って、また走り出す。痛いが、傷を癒している暇はない。まだ岳羽たちは諦めてくれないらしく、追い掛けてくる。 「あいたた……すごい風だったね。君達、大丈夫?」 「も、いったーい、膝ぶつけちゃったあ。あ、綾時くん、大変! おでこ、擦り剥いてる」 「綺麗な顔なのにひどーい」 歩道の先に、すごく見たことがある黄色いマフラーの男が、例によって女子をコバンザメみたいに纏わりつかせて、うずくまっている。どうやら岳羽のマハガルーラに巻き込まれたらしいのだ。 言う間でも無く望月だ。彼は転んだ女子を助け起こしてやって、「怪我はないかい?」とか紳士をやっている。聞く所によると午前中はずっと写経をさせられていたらしいが、そのくらいじゃ彼の女子が大好きだって煩悩だか下心だかは消え去りはしなかったらしい。 横を駆け抜けると、彼ははっとした顔になって、「君!」と叫んだ。 「待って! 君、一人なら、良かったら僕らと一緒に――」 「綾時くん、邪魔!」 「アウチッ!」 望月が岳羽に轢かれている。彼は訳がわからなさそうに目を白黒させていたが、生徒会長に拾われて、マフラーを引っ張られて引き摺られている。 「え、なに? なに? 一体何が? あ、美鶴さん」 「望月、ちょうど良いところに。協力を要請する。彼女を捕らえたい。お前はあちらの路地へ回れ。そちらの男子生徒にも協力してもらう。四方向から挟み撃ちにする! 総攻撃だ!」 「な、なんだか良くわかんないけど、あなたのお願いとあらば。みんな、ごめんね。この埋め合わせは今度するよ」 「桐条先輩のお願いじゃ仕方ないね。またね、綾時くん」 どうやら宮本と望月は、良く分からないうちに岳羽と生徒会長の指揮下に入ったらしい。四対一だ。ずるい。 入り組んだ路地に追い込まれ、気が付くと前方に岳羽の姿が見える。慌てて方向転換しようと思ったら、生徒会長の「もう逃げられんぞ!」って声が後ろから聞こえてくる。「剣道部に入れ!」って宮本の声も。僕は絶望した。追い詰められた。 手を掴まれ、引っ張られ、ああもうゲーム・オーバーだと覚悟を決めていたら、建物の陰に押し込まれた。「じっとして、動かないで」って声がする。 「捕まえた! って、あれ? 綾時くん?」 「わあ、光栄だね。いきなり手を握るなんて、ゆかりさんって結構積極的なんだ」 「げ……寝言は寝てから言ってよ。あの子は?」 「うん? 今すれ違ったけど、捕まえらんなかったよ。ごめんね、役に立たなくて。あの子に何か用があったのかな?」 「そりゃ、すごく……はあ、もう、役立たず……」 「ゆかり、どうだった」 「あ、先輩……も、ダメでした。逃げられちゃいました」 「くそっ、剣道部に入ってくれ! 俺と青春の汗を流してくれー!」 靴音が遠ざかっていく。話し声も遠ざかり、静かになると、「もういいよ」って声が聞こえた。 望月の顔がひょっと出て来て、「大丈夫?」と言う。 「またゆかりさんに苛められてたんだね。美鶴さんと宮本君までいたし、何かしたの?」 「何にも……してなかったと、思う、けど」 「ふうん、ま、女の子はデリケートだからね。それより随分疲れてるみたい」 「気疲れ」 「うわっ、ど、どうしたの、その足! 血だらけじゃあないか!」 「下駄の、鼻緒が……」 「すぐ手当てしなきゃ。ほ、保健室、じゃなくて病院、えっと、えっと」 「そんな大層なもんじゃない。ほっときゃ治る」 「何言ってるの! 放っとくなんて、そんなの絶対ダメだよ!」 すごい勢いで怒られてしまった。 |
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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜