いくつか道を曲ると、人気はなくなった。石段の上に座らされて、傷の手当てを受けた。望月が薬局で薬を買ってきてくれたのだ。
「染みたら言ってね」
「平気」
 すごく丁寧にやってくれるのはいいが、いかんせん彼は不器用だった。僕は「自分でやるから平気」と言ったが、「僕がやるよ」と言って聞かない。
「それにしてもその着物、素敵だね。良く似合ってる。可愛いよ。どうしたの?」
「ああ……貸衣装なんだって。忍者なんだぜ、これ」
 足をふらふら揺らしながら、「格好良いだろう」と暗に訂正してやると(だって僕に『可愛い』はないだろう。日本語として間違っている)、望月は首を傾げて、「僕にはお姫様にしか見えないんだけどなあ」とか言っている。
 それで僕はちょっと機嫌を損ねて、「そんな訳ないだろ」と言ってやった。まったく、帰国子女は何も知らないのだ。
「俺も良く知らないけど、本場じゃ忍者って言ったらこれなんだって。うちの学校の偉い先生が言ってた」
「ふうん。僕は絶対お姫様だと思うんだけどなあ」
「まだ言うか」
「ふふ、ごめんよ。気を悪くしないでよ。はいできた、もう裸足で走ったりなんかしちゃダメだ。怪我もしないで。心配させないでよ」
 望月が僕の脚をそっと擦って言う。それでまた僕は変な気分になってしまった。何で望月はこんなふうに僕に優しくするんだろう、何が狙いなんだろうっていう、いつものもやもやした気持ちになる。
「望月は何で俺に親切にする? 俺は敵だぞ」
「どうしてそんなことを言うんだい。例え女の子たちが君を敵だって言っていようとね、僕は自分の心に正直でありたい。君が好きだよ」
「でも、みんなに煙たい顔をされるぞ。その、俺なんかと仲良くしてたら」
「構わないよ。さ、お腹減ってない? 何か食べようよ。僕お腹ペコペコでさ、君は何が好き?」
「え、何でも……食えたら何でも好き」
「へえ、好き嫌いない子なんだ。偉いね」
「偉いのか?」
「そりゃね。おぶさって、その足で歩くなんてダメだ」
「え、いや。俺は男だぞ。重いし」
「大丈夫、僕結構力持ちなんだ。君はもうちょっと自分の身体を大事にするべきだよ。ほら、早く」
「あ、ああ。すまない」
 なんだかすごく望月の言いなりに流されているような気がする。気がつくと、望月の背中に背負われる格好になってしまっていた。おんぶだ。こんなこと初めてされた。
「ねえ、着物ってはいてないんだって順平君に聞いたよ。本当なの?」
「はいてない? なにが?」
「下着だよ」
「ああ、うん。それが普通なんだろ」
「うーん、日本ってすばらしいね。感動するよ。君の着物姿は可愛いしね」
「誉めたいなら格好良いって言えよ」
「うん、美人は何を着ても似合うんだねえ」
 望月が微笑む。言葉が通じない。僕は溜息を吐く。
 彼と出会ってまだほんの僅かしか時間は過ぎていないが、ずっと昔から知り合いだったような気がしてきた。多分、彼はすごく気安過ぎるのだ。





 制服に着替えて宿に戻るまで、結局望月に付き添ってもらっていた。
 彼は「君をエスコートするのは僕の努めだからね」と微笑んでいた。何で僕よりも後に転入してきた彼に面倒を見られなきゃならないのかは良く分からないが、まあ悪い気はしない。人目にさえ付かなければ。
「大丈夫? 歩ける?」
「平気。慣れてる」
 また女子に見つかったら厄介なので、できればいくらか離れて欲しいってのが本音だったが、望月は僕にぴったりくっついて支えてくれている。
 親切を無下にしてやることもないだろう。人前でのおんぶや抱っこを勘弁してくれただけでもありがたいと思う。さすがにそれはない。
「お、遅かったじゃんリョージ。オメ、苦行が終わったら寮生で合流しようぜつってたのによー。ま、いいんだけどねー」
 順平は、どうやら先に宿へ戻っていたらしい。途中で別れたのか、宿まで一緒に帰ってきたのかは知らないが、チドリはもう一緒じゃなかった。
 順平とチドリは相性が良いようだ。なんとなく分かる気はする。彼は結構良い奴だ。
 僕を苛めない数少ない人間なのだ。きっと僕だけじゃなくて、チドリにも親切にしてやっていたに違いない。
「やあ、順平くん。嬉しそうだね。なにかいいことあったの?」
「うん、まあね? オレっち、今まで生きてきて、今日ほど嬉しいことがあった日はないぜ。ああ、あの子はほんともう、可愛いねー。オレっちもう夢中。帰っちゃったのが残念だけど、生きてりゃまたいつでも会えるもんね、うん」
「へえ、良かったね。後でまた話聞かせてよ。僕はちょっと、先に黒田くん部屋に連れてくから」
「うん? どうしたよ、お前。なんかあったんか?」
 順平は相変わらずふわふわした顔をしていたけど、包帯だらけの僕の脚を見て、ぎょっとしたようだった。望月が痛ましそうな顔つきで、「ちょっとね」と言っている。
「ちょっと、足が……傷だらけなんだ。女の子に追い掛けられて、裸足で逃げて、」
「……望月、恥ずかしいからあんま言わないでくれ」
「あ、そう? うん、分かった。もう言わないよ」
「オメーもついてない奴だなあ。こんな旅行まで来てよ」
 順平が「しっかりやれよ」と僕の頭を撫でてくれた。
 そこへ、かなりしょげた顔つきの、巌戸台分寮の特課部の残りの面々が戻ってきた。獲物を逃がした漁師みたいな顔だ。
「おっ、おかえりー。どうしたよ、そんなげっそりした顔しちゃって」
「ちょっとね……あの子に、逃げられちゃって」
「くそっ……また負けた……この、俺が……!」
 さっき僕を散々追い回してくれた岳羽と生徒会長だ。僕がぶっ飛ばしてやった真田先輩もいる。
 条件反射みたいに望月の影にさっと隠れたのだが、彼女らは何故か僕の顔を見つけても無反応だった。さっきみたいに是が非でも捕まえようという意欲を失ってしまったらしい。何がどうなっているのかさっぱり分からない。
「もう、信じらんない! なんであんなに足早いの? 四人がかりで追い詰めて絶対捕まえたと思ったら、ぽっと消えちゃうんだから!」
「相手は得体の知れないストレガだ。今更何をやらかそうと不思議じゃないさ」
 「今度こそあの子に名前聞けると思ったのに!」と岳羽が吼えている。ああもしかして、とそこで僕は思い当たってしまった。もしかして彼女たちは、制服姿の僕と、普段着の僕の区別がつかないんじゃあないだろうか?
 この間も荒垣さんに、大分感じが変わるなと言われた。そのせいだろう、きっと。そうじゃなきゃ説明がつかない。
「あ、そうだ、ちょっと綾時くん? キミ、私達と別れた後、ちょっと見ないくらいに綺麗な、黒い着物着た女の子とデートしてたって聞いたんだけど?」
「うん?」
「それ、もしかしてあの子じゃないの? 私達が、必死で追い掛けてた子! あんたまさか、あの子一人占めして二人でデートとかしてたんじゃないでしょうね?」
 ――でも、なんでかは分からないけど、望月は僕がどんな格好をしていても、僕が僕だと見破ってしまう。何らかの才能があるのかもしれない。結構高性能のサポート用ペルソナを持ってるんじゃないだろうか。
 これはまずいなと僕は考えた。ここでばらされたら、結構厄介なことになりそうだ。具体的にはまた追い回されたりとか。
「まさか、本当か! 許さんぞ望月、あの黒いのは俺の獲物だ!」
「うーん、良く分からないよ。ごめんね。僕、今日は一日黒田くんと、二人っきりでデートしてたんだから」
「デート?」
 僕は首を傾げた。デートってのは、男同士でも適用される単語だったろうか? 確か男女が一組で出歩くことをデートって言うのだ。
 まあ帰国子女だから言葉の使い方を間違っていたってしょうがない。僕は納得する事にした。やっぱり帰国子女はしょうがないな、ってふうに。
 岳羽は青い顔になって、「うげえ」と口を押さえている。真田先輩は「違うのか? なら良し」と頷いている。順平は顔を引き攣らせて、「……おい、お前、マジ……なの?」と僕の肩を叩いた。
「え?」
「いや、その……リョージとデートとか……今日お前ら、何してたの?」
「ああ。なんか、怪我の手当てしてもらって、足痛いだろって、おんぶしてもらった。飯も食わせてもらった。望月はすごくいい奴だな」
 別段それならばれても問題はなかったから、正直に教えてやった。その途端、順平がすごく情けない顔つきになって、「お前がピュアな生き物だってのは分かったから」と言った。
「おま、気付け。身の危険に晒されてたことに気付いてくれ。すげー危なかったんだぞ。いいか、ホテルとか連れてかれそうになったら、ぜってー逃げるんだぞ。無理そうなら大声で助けを……呼んで、お前を助けてくれるやつって、現れんのかな……もうお前可哀相すぎて見てられねー。ちくしょ、悪いな、オレばっか幸せでよ」
「順平、幸せだったのか? そりゃ良かった」
 僕は頷いた。今が幸せなのは良いことだ。僕も今を楽しむことに、最大限の努力をしている。
「うう……黒田……オレっちお前見てると、わけもなく涙が出てくる……」
 幸せだなんて言いながら、ちょっと涙ぐんでいる。これは本格的だなと僕は思った。嬉し泣きというやつだろう。
 僕も今まで大分生きてきたが、嬉しくて泣ける人間には、まだ実際にお目にかかったことは無かった。レアなものを見てしまった。
「……じゃ、俺はここで」
 いつまでも彼らと一緒にいたって仕方がないので、僕は痛む足を引き摺って、土産物屋の前で溜まっている面々から離れて歩く。
 すると、慌てたふうに、望月が追い掛けてきた。
「あ、どこ行くの? 足、痛いでしょ。部屋まで連れてくよ」
「……お前のいないとこ」
「え……僕、君の気に触ること、なにかやっちゃったかい?」
 彼は途方に暮れた顔になって、立ち止まり、立ち尽くしている。飼主に怒られた犬みたいな顔だ。
 僕は頭を振って、「いや、そう言うわけじゃないけど、お前と一緒にいるところ女子に見つかったら、またひどいことになるし」と教えてやった。
 まったく、なんで彼は気付かないのだ。望月が近付いてくるから、僕はいつも痛い目に遭うのだってことに。彼単品だと無害だけど、追加効果がひどすぎる。
「そんな……身を引くなんて、なんていじらしいんだ。でも黒田くん、僕の一番大切な人は君さ。それだけは覚えておいてね。高校を卒業したら、丘の上の白い教会で、君の隣に永遠にいることを誓うよ」
「ちょっと、綾時くんなんかトリップしてんだけど。止めなよ順平。心友でしょ」
「うん……でもあんまり、今は話し掛けたくないっつーか。あれ、あいつ本気なのかな。本気っぽくてイヤだ……」
「やっぱり萌えない……っていうか、黒田くん、微妙に嫌がってるよね、あれ。ちょっと、ううん、かなり可哀相かな」
「黒いの! どこだ! どこにいるんだ! リベンジさせろ!」
 背中のほうで、鳥海先生が「ちょっと、巌戸台分寮メンバー、うるさいわよ!」って怒鳴る声が聞こえてきた。







「それで、あいつらほんとひどい。寄ってたかって僕をいじめるんだ」
「なんや、いっつも最強最強うるさいお前がいじめられてるとか言うてたらオモロイな」
「面白くない! 女子は横暴だ。みんな横暴だ」
「……私も女子なんだけど、それはお前、私を女子だって認めてないのか、喧嘩を売ってるのか、どっち」
「チドリも横暴だ。だって、僕を差し置いてあんみつ食ってたんだろ。ずるい」
「なんやて、あんみつ? わし今日ゴタゴタしとってほとんどもの食っとらへんのに、ずるっこやがな!」
「な、ずるいよな」
「カオナシ、お前チクったら殺すって言っただろ。殺す」
「だってずるいもん!」
 望月に巻いて貰った包帯を解いて、召喚器を頭に突き付け、僕はペルソナを呼んだ。顕在化したヤタガラスが、足の傷を癒した後、そのまま引っ込まずに僕の頭の上にとまり、そうだそうだとでも言うように羽をバタバタ羽ばたかせた。
 チドリがまた僕を冷たい目で見て、意地悪そうな顔で言う。
「カオナシお前、死ぬ程カラスが似合うな。明日死ぬんじゃないの」
「な……お前、僕とヤタガラスに謝れ。滅びを見るまで死ねないんだからな。チドリこそ、ハゲワシとかにたかられてるのがものすごく似合いそうじゃん」
「不毛な言い争いやめえて」
「ジンは多分黒猫が似合う」
「日の当たるイメージが似合う奴って、僕らの中に一人もいないんだな」
「私は白鳥が」
「ハイハイ、タカヤはもうあんま喋らんときいて言うてるやろ」
 ジンは熱を出したタカヤの看病で忙しい。この十一月の微妙な気候の中で、長い時間冷たい水に打たれたもんだから、僕らのリーダー殿は風邪を引いてしまったらしいのだ。ていうか、馬鹿だ。
「タカヤでも風邪引くんだな。今まで冬でも半裸で過ごしてたのに。気でも緩んだのか」
「不死身かと思ってた」
「わしもちょっとビックリや」
「私も自分で驚いています。どうやらもう長くはないようだ。ジン、カオナシ、チドリ、貴方がたに会えて良かった。私の灰は滅びの塔の頂上に撒いて下さい」
「だからそういう冗談は、わしらが言うたら洒落にならんからアカンて言うてるやろ」
 ジンがタカヤを小突いている。なんで一年生(そういうことになっている)のはずの彼が修学旅行にまぎれているのかってことが気になったが、どうやら病弱な兄の介護のために特別に同行許可を取り付けたらしい。ああまたあの人が何かやったんだなと僕は考えた。
 しかし最近どうも変な感じだ。不死身の僕の怪我が治らない、バカのタカヤが風邪を引く。チドリは最近フワフワしているし(気持ち悪い)、ジンの後退もますますすごいことになっている。
 何か、悪い予兆めいたものを感じる。そう思うのは、いつもつい悪い方へ悪い方へとものを考えてしまう、僕のネガティブ思考だか被害妄想だかのせいだろうか。
「あ、痛い、このヘタクソ。不器用」
「うるさいな。文句言うなら自分でやればいい」
 今日はジンの手が塞がっているものだから、いつもは彼の仕事だってのに、この僕が風呂上りのチドリの髪を梳いてやっている。
 自分でやればいいのに、彼女は面倒臭がりなので、絶対に自分ではやらない。そのくせうるさく注文を付けるのだ。「痛い、無理に引っ張るな」とか、「ちゃんとまっすぐにしろ」とか。
「髪の毛、手入れが面倒なら切ればいいのに」
「その言葉はお前にそのまま返してやる」
「なんで僕だよ」
「前髪が死ぬ程うざい」
「じゃあ死ね」
「お前が死ね」
「お前ら、静かにしたりいて。タカヤ頭痛いって」
「とても痛いです」
 僕とチドリは、どちらからともなく黙り込んだ。ぷいっと顔を背ける。





「なあ、この部屋って、何だと思う? 昨日の晩は普通に使ってたよな」
「黒田くーん? どこ行っちゃったのかしら。今日は先生と一緒に寝ない、って誘おうと思ったのにー」
「この『開かずの間。見られたからには生かしておきません』って張り紙、すげえ気にならねえ? 昨日は無かったよな」
「お前、開けてみろよ。俺ヤだけど」





 学生たちは、相変わらず騒がしくしているようだ。やっぱりいつもの顔ぶれと一緒にいるほうが、気分は落ち着く。





「黒田くん、一緒にお風呂に入ろうと思ったのに、どこ行っちゃったんだろう……部屋にも戻って来ないし……僕、嫌われちゃったのかな……」
「黒いの! 一体どこへ消えた! いるんだろう、出て来い! 俺と勝負だ!」
「ああー、オレっちは世界一の幸せ者だぜー」





 僕は溜息を吐き、「あまりうるさいと安眠できないんだがな」とぼやいた。すぐにチドリが、「繊細ぶるな。お前は耳元で大音量でスピーカー鳴らしてもぐっすり寝てるに決まってるでしょ。涎垂らしながら寝言で「もう食べられない」とか言ってるような奴だ」とやり返してきた。彼女は何かにつけて僕の神経を逆撫でする。
 何か言ってやろうとしたところで、僕の携帯の着信音が鳴った。ディスプレイを見ると、スポンサー殿だ。僕はすぐに通話ボタンを押し、「はい、何かご用ですか?」と訊いた。
『もう、君ってば相変わらずつれないね。あなたの声が聞けて良かったとかなんとか言ってくれたら、僕はとっても嬉しいんだけどねー。うん、元気でやってるかい?』
「はい、おかげさまで」
『精一杯楽しんでおいでよー。なんたって人生最後の修学旅行なんだからね』
「そう何度もあって欲しいものじゃないですが」
『相変わらずお堅いなあ。そうそう、彼らはどうしてる?』
「相変わらずですね。無駄に幸せそうで、楽しそうで、元気そうです」
『そりゃ何よりだ』
 彼はすごく楽しそうに、『こっちに帰ってきたら、もっと楽しくて幸せになれるよ』と言った。
 ああまたなにか企んでるんだろうなと、僕はすごくうさんくさい気持ちになったが、「はあ、そりゃ素敵ですね」と適当に同意しておいた。
 あんまり突っ込むと、逆にこちらのなけなしの感情や思考まで根こそぎ持って行かれそうになるから、この人と話すのは苦手なのだ。





<< トップページへ戻る >>

管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜