最近、どんな時でも、ふとした拍子に考えてしまうことがある。
 まずは僕の友達のことだ。ファルロスって名前の小さな男の子。
 それからもう一つ、じきに訪れる世界の滅びについて。
 この二つを上手く頭の中で纏めようと思ったら、少しばかり前のことを思い返さなきゃならない。
 何ヶ月くらい前だったろうか。ファルロスが、急に変なことを言い出すようになったのだ。







 蛍光グリーンと赤い血に彩られた影時間の世界を、僕とファルロスは手を繋いで散歩していた。これはほぼ日課みたいなものだった。二人で滅びの塔を見上げて、「綺麗だな」「綺麗だね」って言い合って帰る。
 僕は例の誘拐騒ぎ以来、親でも分からないくらいに改造されちゃったらしい。みんな僕を見ると逃げていく。僕が家族だってことが分からないのだ。
 ほとんど勘当状態だ。家には帰れない。帰れないから、せめて塔の近くからあの美しくそびえ立つタルタロスを見上げる。楽しかったあの頃を思い出す。
「覚えてるか?」
「うん、もちろん。何があっても忘れやしないよ。君と二人でたくさん遊んだよね。鬼ごっこしたり、隠れんぼしたり、たくさん。君は大分変わってしまったけど、僕には君が君だってちゃんと分かってる」
「うん、良かった」
 僕は頷く。「忘れられるって、結構寂しいものなんだな」と言う。ファルロスは僕の手をぎゅっと握り、「かわいそうなカオナシ」と言う。
「僕らはあんなに同じだったのに、どんどん違うものになってく。君の思い出を僕は持ってない、僕の考えてることが君には分からない。このまま僕らは二人になっちゃうのかな」
「まさか、ありえない」
「うん、ないといいんだけど、ほんとに。でもね、君はなんにも思い出さないでしょ。僕が知ってることを、君は知らない」
「たとえば?」
「たとえば、もうすぐ終わりが来るよってこと」
「なんだ、そんなこと。僕の世界はもうとっくに終わってるよ」
「君の世界だけじゃない。みんなの世界も一緒になくなっちゃうんだ。『滅び』ってそう呼ぶ人もいるみたいだね。君はなにも知らない?」
「なんのこと」
 ファルロスは悲しそうに頭を振り、「そっか」と言った。
「今夜はもう帰ろうよ」
 僕らが違うものに、つまり僕と彼とで二人になることを、その子は極端に恐れているようだった。怯えていた。
 僕は彼が何をそんなに怖がっているのか分からなかった。
 でも今はもう理解してしまった。二人になるってのは、もう一緒にはいられなくなるってことなのだ。お別れ。離れ離れ。
 僕の半分は、ある朝ぽっと消えてしまった。十年間一緒にいた彼が、まるで幻みたいに。





 彼がいなくなって初めて、僕は喪失の悲しみってものを知った。寂しいって気持ちも。
 家族達に忘れられて、僕はそりゃ悲しかったわけだけど、みんなは元気そうだった。僕が望めばすぐそばで見ることができた。
 もしかしたら彼らは僕のことを忘れたんじゃなくて、ただ単純に怒っているだけなのかもしれないなって思うこともあった。たとえば、このドラ息子め、人間なんかと仲良くしやがって、っていうふうに。そんなこと僕が望んだ訳じゃないから責められても困る。
 でもあれからどんなに望んだって、僕は僕の唯一の友達に会えない。顔が見れない。声が聞けない。
 そうなってようやく僕は気付いた。あの子が言ってた「僕たちは二人で一人。おんなじものだよね」ってのは、はなから全部間違っていたってことに。僕らはずっと前からふたりだったのだ。
 そりゃ最初のうちは、僕らはちゃんとひとりだった。同じことを考えて、喋ると必ず二人で声を揃えて同じことを言ったものだったし、片方が右手を上げれば、もう片方も右手を上げる。鏡よりもずっとおんなじ。
 それが一人ってことだ。話し掛ける、でも返事は返ってはこない。何故なら相手がいないからだ。話すって行為は、ひとりじゃできない。ふたりいなきゃならない。当たり前のことだけど。
 確か僕らが初めて会話らしいものをしたのは、こんな感じだったと思う。あの懐かしく美しい塔の天辺で、僕らは手を繋いで遠い星を見ていた。





「高いね」
「高いね」





「下は真っ暗でなんにも見えないや」
「下は真っ暗でなんにも見えないや」





「今夜はきれいな満月だね」
「今夜はきれいな満月だね」





「月はすき?」





 僕はその時、すごく不思議な感じがしたものだった。まるで僕の足もとにくっついてる影が、いきなり口を開けて話しはじめたみたいな感じ。
 彼は僕に「月はすき?」と訊いた。それは、僕が話そうとは思っていない言葉だった。だって、「すき?」ってのは、誰かへの問い掛けだ。そこにはふたつでひとつの僕らしかいなかったから、答えを期待するようなことを言うのは、何だか変な感じだった。
 僕は、びっくりしてちょっと口篭もってしまったけど、「うん」と頷いた。彼は頷かなかった。当たり前だ、訊いたのは彼なんだから。質問した奴が、自分の問い掛けに頷く必要はない。
「きれい。すき」
 僕だけじゃなくて、彼もびっくりしていたようだった。僕らが、違う動きをしたことに。
 僕らは多分、そこで僕たちが二人だってことに気付いたんだったと思う。でも僕らは怖かった。別々のものなら、いつか手が解けて離れて行ってしまうかもしれなかったから。
 僕らには、僕らお互いしかいなかった。それだけだった。だからきっと、「僕らはおんなじものだよね」ってことになったのだ。確認し合っていたのだ。
 でもほんとに訊きたかったのは、「おんなじものだよね?」じゃなかったのだ、きっと。僕らは本当はこう訊きたかったんだと思う。「僕からほどけて、どこかへ行っちゃったりはしないよね?」と。「離れ離れになんてならないよね?」と。
 塔の天辺から見ると、下はもやもやした雲に隠れて、暗く、足元には何も見えなかった。すごく大きな月がすぐ頭の上に、まるで手を伸ばしたら届きそうなくらい近くに掛かっていた。
「いつか君を連れてってあげる」
 彼は大きな星を見て、僕にそう言った。僕は「うん」と頷いた。それから二人で塔のへりに座って、足を投げ出した。
 「お話をしようか」と僕は言った。
 「いいね、なにする?」と彼は言った。
「なんでもいいよ、なんでもお話」
「でも、僕の頭のなかは空っぽなんだ。何を話せばいいのかな?」
「君のことは?」
「わかんない。君も君のことはわかんない、でしょ?」
「うん」
「じゃあこういうのはどうかな。僕は君のことを話して、君は僕のことを話すんだ。ねえ、僕は君にはどんなふうに見えるの」
「君は青い目をしてる。僕は?」
「君は灰色の目をしてる。綺麗な髪の毛、さらさら。僕の髪は?」
「ふわふわ。柔らかい。君はおなかに傷がないね?」
「僕は、おなかに傷がないよ。君はあるね。僕とはちょっと違うね」
「僕らは同じものじゃなかったんだね?」
「同じものだよ。でもちょっと違うね」
 僕と彼は、意識して別々のことを話した。それは思いのほか楽しいことだった。僕のものじゃない僕の声が、僕が考えていないことを言う。
 はじめのうちは、それはただのひとり遊びだったのだ。続けてくうちに、それは遊びじゃなくなった。僕らはひとりじゃなくなり、彼が何を考えているのか、僕には分からなくなってきた。
 そして僕らは二人になり、別れ別れになった。
 「さよなら」と彼は言った。
 僕は「いくなよ」と言った。
 半分がなくなって、僕はそれで、生まれて初めて大声を上げて泣いたのだった。「いやだ、いかないで!」って。





 それがおおむね僕の友達のこと。あとは、世界の滅びについて。
 この世界はじきに滅ぶらしい。なんでも十二体の大型シャドウを回収し、そいつらを食って、十三体目の凶悪なシャドウが生まれるらしい。
 それが生まれたら、世界はもうお終いだ。ニュクスって滅びの神様だか女神様だかがこの星に降りてきて、生物すべてを影人間にしちゃうんだそうだ。
 最初にそれを聞いた時は、「ああこのオッサンまた妙なうわ言を吐き始めた。頭大丈夫かな」程度の認識でしかなかった。僕は目で見ないからには信用しない主義なのだ。
 でも、言っていることこそ妄想じみているが、辻褄は合っているし、何より本当に大型シャドウは現れる。僕は頭から信じた訳じゃなかったけど、タカヤの奴がとても乗り気だった。彼はこういう怪しげな話が大好きなのだ。リーダーがノッちゃったら、あとはもうどうしようもない。
「あるはずのない十三番目のアルカナを持った、最凶の大型シャドウ。名前は『デス』という。満月の大型シャドウたちは、それの僅かな残滓に過ぎない。おぼろげな記憶の断片さ。デスこそがあれらの本体だ。デスは滅びの女神ニュクスを呼ぶ宣告者としてこの星に再び生まれ落ち、生命全てを死に誘う。どうだい、素晴らしいだろう」
「先生、話が難しくて良く分かりません」
「先生、頭大丈夫ですか?」
「うん、チドリくんにカオナシくん、実に空気を読まない素晴らしい質問だ。つまりね、大型シャドウを全部倒したら、すごいシャドウが出て来て、世界を滅ぼしてくれるってことなんだ。加えて私はとても正常だよ」
 スクリーンに、怪しげな宗教の経典みたいな画像が映し出されている。幾月さんが、ポインターを映像に突き付け、「じゃあ次行くよー」と緊張感のない声で言った。
 放課後の視聴覚室だ。扉には『現在追試中。静かに!』と張り紙が貼られていた。僕はさすがに気になって、「これなんとかならないんですか?」と聞いてみた。
「格好良い悪の秘密基地とかはないんですか? 有事の際には変形したりするとすごくいい」
「なんやピコピコしたスパコンも欲しいとこやなあ。あ、赤外線センサーとかもついてるとええなあ」
「我々専用の変身セットと、巨大ロボットが欲しいところです。手始めにテーマソングを決めなくては」
「どうでもいい。早く帰って絵描きに行きたい」
「うん、ちゃんと静かに話、聞こうね。いい子にしてたら、後で全員にたこやき買ってあげるから」
「はい、おとなしく聞きます」
 僕は頷く。
「ただ色々アクシデントがあったことは、君らも良く分かってると思う。その肝心の宣告者デスが、妙な産まれ方をしちゃったらしいんだ。本来の私の見立てなら、アルカナフールを生贄に供えて、私がデスとして生まれ変わるはずだったんだ。滅びをもたらす皇子として、木々や建物よりも巨大で、どんなペルソナよりも強大な、美しいシャドウに」
「なあタカヤ、あのオッサン絶対おかしいて。皇子っちゅう歳やないて。生え際見てみ、あれが皇子って生え方かいな」
「あの人もジンに頭髪の生え方についてコメントされるとは思わなかったでしょうね。可哀相に」
「報告します。失礼ながら、血糖値が激しく低下中です。至急補給を受けなければ、識別名称『カオナシ』、間もなく戦線を離脱しそうな予感」
「カオナシ、今日の晩ご飯なに」
「チーズケーキ」
「……君らって子は、なんで大人の話をちゃんと聞けないのかな……」
 幾月さんは悲しげに頭を振って、額を手で押さえ、溜息を吐いた。
「だからね、君らが発作を起こして海に飛び込んだり、カオナシくんが「友達を探しに行ってきます」って書き置きを残して三日も消えたりして、私の完璧な計画はボロボロなんだよ。生贄がいなきゃ滅びの神様だってそっぽ向いちゃうよ」
「カオナシ、ドクターが泣いてしまったではないですか。大人をいじめるのは良くありません」
「いーやや、アカンのに。カオナシのいじめっ子」
「え、僕のせいかよ。僕だって色々大変だったんだぞ。ハートブレイクってやつ」
「お前に壊れるハートなんてあったっけ」
「あったの! まったくみんな僕を何だと思ってんだ」
「ともかく、君がいなきゃ始まらないんだよ。あの役立たずの自然覚醒ペルソナ使いどもを替わりに生贄にしてやっても前菜にしかなりゃしないだろうし、ともかくまずいなくなったデスを探さなきゃならない。索敵ペルソナのセンサーに引っ掛からないってことは、おそらくタルタロスに引っ込んじゃってるんじゃないかなって思うんだ。いいかい、今後死神タイプのシャドウを見つけたら、安易に攻撃せずに捕獲してくれ」
 幾月さんがそう言って、スクリーンに『宣告者デスの想像図』を映し出す。
「十年前にロストした際のデータに基いてみた。あれから十二体のシャドウを取り込んでいれば、かなりの大きさになるだろう」
 そこに映っていたのは、どこかで見たような姿だった。仮面、黒い身体。確か四月に僕が呼び出したペルソナは、似たようなかたちをしていたと思う。
 でも幾月さんは、知ってるんだろうけど、何も言わない。だから僕も何も言わないでおいた。必要ないことは、何も言う必要はない。







 当たり前だけど、僕は幾月さんの言葉をはなから信じた訳じゃない。『僕は滅びの皇になる』と彼は言う。あの、例によっていつものイッちゃった顔で。
 彼はシャドウを従えて、新しい世界の皇様になるそうだ。そうなったら、まあ僕もかしずかなきゃならないだろう。全てのシャドウの上位存在だとか、シャドウを統率する能力を持った者だとか、そんなものが本当にいれば。
 でもなんとなく違うって気がする。幾月さんはシャドウに散々ひどいことをしていた。ただの実験材料としてしか見ていなかったのだ。無数のシャドウのことも、僕のことも、数多くの人間の子供のことも。言っちゃうなら、世界中の全部を。
 こういうのを暴君って言うんだろうか。皇様ってのは民を愛して大切にする、みんなに尊敬されて慕われる存在なんだと、僕はいつだったかファルロスにそう読み聞かせてやったのを覚えている。確か絵本を読んでいたのだ。
 現実はおとぎ話とは違うんだろうか。いつもフラフラして好きなことばかりしているシャドウたちも、じきに人間たちみたいに偉い奴にかしずかされて、不満げな顔でお酌なんかさせられちゃうんだろうか。
 違う気がする。そんなの普通の人間どもが我が物顔で暮らす社会と、つまり今の世界となんにも変わらないじゃないか。せっかく一度滅びて綺麗になって、また同じことを繰り返すのか。うんざりだ。
 そう言うと、タカヤが「そうでもないでしょう」と言う。
「我々の理想は滅びることそのものにあるのです。滅びは美しい。そうなってようやく皆解放される。カオナシ、貴方は例外が存在すると思いますか?」
「例外って?」
「滅びを迎えて、生き残りが存在するかどうかということです」
「誰かが生き残ったら、滅びにならなくないか? 大量死とか、全滅寸前になっちゃうんじゃないかな」
「ええ、そうです。皆平等に滅びていく。あの人は特別の生に執着しているようですね。あれでは死そのものにはなりえない」
「ふうん、良かった。シャドウまであの人の言うこと聞かなきゃなんなくなるのかなって考えたら、すごく可哀相でいやだったんだ」
「まあ、貴方はそれで良いではないですか。野生児に崇高な美を理解することは期待していません」
「失礼な奴だな。僕は天才だぞ」
「はい、そうですね。美しいシャドウは自らの美を知ることはない。貴方はそれで良いのですよ」
「お前の言ってることは相変わらず難しくて分からない」
 けど、なんだか馬鹿にされているだろうなってのはなんとなく分かった。臍を曲げていると、「お前誉められたんやで、今の」とジンが教えてくれた。
「え、そうなのか?」
「ええ、とても誉めました」
「なんだ、そうならそうと言えよ」
 機嫌を直すと、横からまたチドリが「やっぱりこいつはただのバカだよ、タカヤ」と余計なことを言ってきた。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜