激痛、絶望、それから僅かな希望、畏れ、恐怖など、時間を引き延ばしてくれる要素はいくらでもあるということを僕は知っていた。例えば飯を食っている時間。あっと言う間だ。ゲーム、読書、歌を唄っている時間。これもすぐに過ぎ行く。
 楽しい時間はあっと言う間だけど、苦痛は永劫に続く。望月綾時は僕のことを深く知りたいと言う。なら知ってみりゃいいじゃないかと僕は思った。僕が感じている苦痛の欠片でも味わうといいと。
 僕には僕を理解したいという他人が現れることなんて、これまでまるきり予想していなかった。考えたこともなかった。しかも友達になろうと言う。
 ちょっと信じられなかった。彼はもしかしたらもう全部知っているんじゃないか、知った上で彼らの身辺を嗅ぎまわっている僕をどうにかしてやろうと企みながら、黙って微笑んでるんじゃないかと疑り深い気持ちになっていたものだった。
 でも彼はなにも知らず、僕を普通の友人として扱った。彼は僕を殴らなかった。蹴りもしなかった。唾も吐かなかったし、なじることもなかった。優しかった。
 もしかしたら上手くやれば本当に友達になれたかもしれない。僕のたった一人の友人、すなわちもう一人の僕は、僕とは他人だと悟った瞬間に泡みたいに消えてしまった。初めから他人同士の望月と僕なら、今度はもしかしたら上手く行ったのかもしれない。僕が選択を上手くやれば。
 でも『もし』なんか考えるだけ無駄だ。時は待たない、戻らない。
 彼は「僕は君のトモダチみたいに、君を置いてはいかないよ」と自信満々で言った。でも結局、彼は嘘吐きになった。僕は望月綾時を殺し、望月は僕に殺され、全て台無しになった。
 目は見開かれ、鮮やかな青い目の焦点はぼやけた。でも彼の目は、そうなっても僕をなじることがなかった。ただ影時間の月を、そして僕の顔を映し込んでいる。僕を見ている。
「黒田!」
 僕はようやっと望月以外にも生存者がいたことを知った。まったく、ペルソナ使いって奴らはほとんどゴキブリみたいなものなのだ。順平だった。彼はまず、僕に殴りかかってきた。トモダチを殺されて悲しいって奴なんだろう。仇を討とうと考えているかもしれない。
 足に妙な体重の掛け方をしているものだから、へっぴり腰になっている。僕は呆れて、突き出された彼の腕を流し、腹に膝を入れてやった。順平は殺虫剤を掛けられた油虫みたいな格好で、仰向けに転んだ。
 彼はしぶとく起き上がり、「なんで」と言っている。「なんで?」と僕は首を傾げて反芻する。
「なんで殺した」
「人を殺すのに理由なんかいるのか」
「そいつ、お前のことほんとにほんとに好きだったんだぞ。心底うざいくらい、気持ち悪いくらいよ、お前の話ばっかしてて、みんなにまたかよって言われちまうくらい。ほんとに、好きだったんだって。おまっ、なんでわっかんねェんだよ」
「そういうの興味ない」
 そういうちょっといい話ってのは、あんまり好きじゃないのだ。僕は首を振り、ペルソナを呼ぼうとしたが、どうも集中力が途切れてしまっているようで、上手く召喚が行えない。ミックスレイドってのは結構疲れるのだ。
「好きって、なに?」
 僕はただ純粋な知的好奇心からそいつを訊いたって言うのに、順平は「ふざけんな!」と激昂し、また僕に殴り掛かってきた。そしてまた軽くあしらわれ、すっ転んだ。滑稽ってのはこういう奴のことを言うんだろうなと、僕は考えた。多分そうなのだ。
「死んだら存在の証拠なんてなくなるんだ。全部に見放されて、誰からも忘れられて、なかったことになるんだ。ただ消えてくだけだ。それが後か先かなんてどうだっていい。一人ずつちゃんと死なせてやるから怒るなよ。もう眠れ」
 そして望月の胸に刺したナイフを引き抜こうとした。一人ずつ、今度はちゃんと心臓を止めてやろうとしたのだ。やりたくもないことをさも自分の意思みたいにやらされている彼らに、僕はほんの少しばかり同情していた。できれば一度に焼き尽くすことができれば良かったのだが、彼らは思いのほか頑丈だったのだ。しょうがない。
 グリップに手を掛けたところで、僕はその違和感に気付いた。ナイフが抜けない。
 そしてそっと手を握られる。僕はぎょっとして望月の顔を見た。瞳孔は開きっぱなしだったが、その目は確かに僕を見ていた。
「……え?」
 そっと手を握られる。とても冷たい手だ。ちょっと意外で、僕はびっくりしてしまった。心臓の音は聞こえなかった。
 でもその次の瞬間に起こったことと言えば、あまりぱっとしない僕の人生の中でも、もしも几帳面に『びっくりしたことリスト』をつけていたなら、一位か二位くらいに入るだろう。望月の繊細な手が、僕の手首を掴んだままむくむくと膨れ上がった。あっと言う間に野球のグローブよりも大きくなる。
 そして、彼は何かとても深遠なことでも叫ぼうとするように、口を大きく大きく開けた。あんまり大き過ぎて、口の端が耳まで裂けるくらいに大きく開けた。彼の口の中には、良く切れるのこぎりみたいな歯が生えていた。まるでナイフ職人が切り裂くことを目的にして、何年も何年も細心の注意を払って磨き続けてきたみたいな、鋭利な歯だった。
「え?」
 望月が変わっていく。変身だ。僕は何が原因で彼がそうなってしまったのか見当もつかない。断わりも入れられなかったし、データでは彼は影時間に適性を持ってはいるが、まだペルソナも呼べない半人前だとあった。
 普通の人間が異形に変身するって例は今までにも何度か見たことがあったけど、こんなのは初めてだ。何がおかしいかって、僕はその化け物をすごく見たことがあったのだ。強烈な既視感を覚えていた。
「な、なんやあれ。変身したで」
「ええ、とても驚きました」
 傍観していたジンもさすがに驚いている。タカヤはびっくりしたとか言うくせ、全然驚いていなさそうな声だった。
 瓦礫に埋れていた岳羽が、コンクリートの上に両肘をつき、ぐっと上半身だけ起こして僕を見た。そして望月を見た。
「これ……あの子のペルソナじゃ、ないの? なんで綾時くんが、あれになっちゃうの?」
 そんなことは僕が訊きたい。
 そう、問題はそこだった。望月が変わり果てた姿は、僕のペルソナと酷似していた。いや、おんなじだった。硬質の仮面、絡みつく鎖、背負った棺桶。僕に畏れを感じさせた巨躯。
 ひとりでふたりを呼び出すんじゃない、ふたりでひとりを呼び出すのだ。その感覚を僕は覚えている。
 僕らはふたりでひとりだった。いつでもひとりだった。ふたりになった瞬間、僕らは離れ離れになった。
 僕は「君を守るよ」と言う声を思い出していた。幼い子供の声だ。僕が幼い子供だった時分からなにも変わらない。背も伸びない。大人になれない。「僕も大きくなりたいよ」が口癖だった。それから「僕らはおんなじものだよね」、これも。
「……ファルロス?」
 ほんの少しの期待を込めて、僕はいつまでももう一人の僕でいて欲しかったあの子の幻に呼び掛けた。でも、すぐにそんな訳はないと思い直した。実際そんな訳はなかった。
 あの子は小さいのだ。僕にしか見えない。僕だけを大事にしてくれて、僕らは二人きりのトモダチだよと微笑む。だから違うのだ。
 望月綾時は違うものだ。彼は僕以外にも無数のトモダチを持っていた。僕よりも随分持っていた。あの子みたいにあどけない目で無心に僕を好きだと言ってくれる、でも違う。
 彼は「この学校には可愛い子がいっぱいだね。たくさんデートの約束しちゃったよ」と言う。あの子はそんなこと言わない。「順平君たちとカラオケに行くんだ。君も一緒にどうだい?」と僕を誘う。あの子はそんなこと言わない。
 ただ僕の隣に静かに座り、手を触って、「僕と君はおんなじ」と言う。
 あの子には僕しかなかった。あの子は僕以外のものを愛したりはしない。「僕は君しか知らない」と彼は言った。「でもそれはすごく幸せなことだよ。だって僕の世界中全部が大好きな君でできているんだ。他になにか欲しいと思った事はないよ」と言ったのだ。
「嘘だ、お前がそんな――ありえるわけない!」
 僕は叫んだ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、ひどく混乱していた。そんな馬鹿げたことがある訳がないのだ。いくら似ているからって、望月はあどけない子供じゃないし、僕だけのものじゃない。身体は僕より大きい。
 そして何よりあの子が僕を忘れるはずがない。世界が終わったってありえるはずがない。だって僕はこんなに覚えているのだ。彼に会った日から交わした会話をすべて。僕が覚えているんだから、彼が僕を忘れるわけがない。そんなひどい裏切りはない。あの子はそんなことはしない。
「お前、勝手に僕の友達の姿を使うな」
 僕は多分、すごく怒っているのだ。なけなしの力を振り絞って、メタトロンとミトラを顕在化させ、ラストジャッジを解き放つ。僕のペルソナが望月の腕を焼く。彼は手を噛んだ鼠を振り払うように、僕を投げ飛ばした。
「何をもたもたしているの、お前のくせに」
 水に沈んだ石みたいに重い身体を、チドリが助け起こしてくれた。もう「カオナシのくせに」や「妖怪のくせに」ですらない。腹立たしいっていつもの僕なら憎まれ口の一つや二つでも返していたろう。でも今はどうしてもそいつができない。僕は震えていた。
「おねえちゃん、きちゃだめ」
 僕は多分望月が恐ろしかったんだろう。僕よりも圧倒的に強い存在が目の前にいるってことが、そしてそいつが明確に僕の敵だってことが、僕の最愛の存在の姿をしていることが、僕は怖いんだと思う。
 ようよう立ち上がって、腕を広げてチドリを庇った。だってこんなのでも僕の姉は一応女子なのだ。兄弟の僕が守ってやらなくてどうする。
 望月はそれを見て随分機嫌を損ねたらしかった。長いパン切りナイフみたいな刀をぶら下げ、僕らに突っ込んできた。仲間外れにされて怒る小さな子供みたいな感触があった。
 一瞬迷って、僕はチドリを突き飛ばした。傍にいた順平が慌てて彼女を受け止める。
「チドリ!」
 思った通りだった。彼はいい奴なのだ。僕には必要ない人種だ。彼も僕が普通に生きてきていたら友人になれたかもしれない種類の人間だ。でも言ったって無駄なのだ。今更だ。
 かなり無謀だとは知りながら、ナイフで望月の剣を受けた。僕はこれでも結構腕力に自信があるのだ。ヒトが普通百歳で死ぬものだと仮定する。僕は身体を作り変えられ、二十までも生きられない。つまり八十年分の生命を腕力や耐久力やペルソナ能力に変換しているのだ。普通の人間が僕にかなう訳がない。
 見掛け倒しならいいなとちょっと期待してみたのだが、望月は能力まで完璧に僕を上回っていた。シャドウやペルソナそのものだった。それも馬鹿に強力だ。僕のナイフをそれこそパンでも切るみたいにすっぱり切断した。そして長い刃の切っ先が僕の制服と胸と腹と骨を切り裂いた。
「う、っ」
 焼け付くように熱いというのが、まず感想だった。分かりやすい痛みがやってくる前に、望月は剣を逆手に構え直した。そして僕の首の付け根あたりに真っ直ぐに振り下ろした。串焼きみたいに貫かれ、僕は悲鳴を上げた。僕がここまで圧倒されるのは初めてのことだったと思う。
「うわああああああ!」
 剣の先が僕を通り抜けて床に突き刺さる。元々脆くなっていた床が割れる、砕ける。身体がふわっと浮いた感覚があった。僕は、落ちていくのだ。
「カッちゃん!」
「カオナシ兄ちゃん!」
「これはいくらあの人でも、死にましたかね」
 兄弟たちの声が聞こえる。暗い穴の傍に群がって、彼らが僕を見下ろしている姿が見えた気がした。
「リョージ、おいやめろって! やり過ぎだって! 黒田、死んじまうって!」
 順平が叫ぶ。さっきは僕に向けてたようなことを言う。彼にとって、死はあっちゃならないものなんだろう。たとえそれが敵にだろうと味方にだろうとおんなじだ。誰も人を殺したり殺されたりしない世界で、彼は生きているべきだったのだ。スポーツなんかやって、気持ち良く点数で勝ち負けを決めていれば良かったのだ。
 僕もできればそうしたかった。あの塔でいつまでもあの子とはしゃぎまわりながら、二人でいつまでもいつまでも、お互いが別々のものだなんてことを知らずに過ごしたかった。でももう時は戻らないのだ。





 彼は僕をまるで玩具の人形みたいに扱った。首を掴んで持ち上げ、宙ぶらりんにぶらさげて、じっと僕を見ていた。剣を引き抜かれると、刺された傷口から壊れた蛇口みたいに勢い良く血が吹き出した。そして影時間が流す血と混ざり合って、小さな血の池を作り出した。
 土煙が収まると、そこは僕がさっき名前も知らない女生徒がシャドウに食われていくのを傍観していた、そして望月たち特別課外活動部員と合流した一階のエントランスだった。良く墜落死しなかったものだ。海に飛び込むのとは訳が違う。普通ならどろどろかばらばらかのどっちかだ。まず基本的な約束事として即死のはずだ。
 僕はじっと僕を見つめてくる望月をじっと見つめ返した。僕を墜落死させる気はなかったようだ。彼は今はさっきまでの人間の姿よりも僕にとって馴染んだ異形の姿でいた。
「お前は誰だ? なんでそんなに似てる」
 いや、似てるなんてものではなかった。おんなじだ。ここまで似てるのは僕とあの子くらいのものだってくらい同じだ。
 たとえばこんなふうなんじゃないかなと僕は空想してみた。もしかすると世界のどこかにはファルロス谷だか村だかいう集落があって、そこでは青い目に泣きぼくろの人間ばかりたくさん住んでいるのかもしれない。村は閉塞的で基本的に彼らは外の世界を知らない。でもたまに一人二人人間の世界に憧れた者が飛び出して行くのかもしれない。そして時が来たら連れ戻されるのだ。ファルロスが僕の前から消えたあの日みたいに。
 もしかするとあの子と同じものだった僕も昔はそこに住んでいて、ただ僕は目の色や泣きぼくろって外見的特徴がまず見て分かりやすいくらいに欠損していたから、浦島太郎の海亀みたいに子供たちに苛められていたのだ。殴ったり蹴ったりされて、悪ければ犬の糞を投げ付けられたり、尻に爆竹を詰められたりしていたかもしれない。その後で異端者として村を追われてしまったに違いない。
 そんなふうに僕はとりとめなく考えてみた。少なくとも、望月とファルロスをイコールで結び付けるよりは現実味がある。
 失血のせいで頭がぼんやりとして、考えが上手く纏まらない。
 じきに望月が僕の首を絞る手のひらにぐっと力を込めた。巨大な手のひらだった。僕の首のひとつやふたつくらい、彼にとっちゃきっと割り箸や棒付きアイスと同じレベルに違いない。簡単にパキッと折ったり割ったりできてしまうのだ。
――あ、ぐっ、うぅう、っ、……おこってん、だな、お前」
 僕は、自分でもなにが面白いのか良く分からないままにやっと笑った。
 僕は敗北が嫌いだ。自然覚醒ペルソナ使いが、甘ったれが嫌いだ。未来への希望に満ち溢れていたり、明日目が覚めないかもしれないなんて考えたこともないような奴らなんか嫌いだ。彼らにだけは殺されてたまるかと考える。僕は負けない。
 でも僕は今すごく満ち足りた気分だった。今の僕は、圧倒的に大きなものを前にしている。例えば象の前足が落ちてくるのを身動きひとつできずに見上げている昆虫のようなものだった。相手はすごく絶対的で無慈悲だった。
 そいつを初めて見た時に、僕は同じように感じていた。僕は畏れていた。恐怖を感じていた。そしてそのなかには蹂躙される恍惚だとか、歓喜だとか言った感情が混じっていたらしいことを、今になってようやく僕は知った。
 僕はたぶんいつか死ぬのなら、薬に蝕まれたり、事故に遭ったり、病気になったり、自分の人格に反乱を起こされたりしてぱっとしない死に方をするよりも、こんなふうに僕よりも圧倒的に強い者に殺されたかったんだと思う。
「いいぞ、殺せよ。僕は、僕より強い奴になら、お前になら、ここで殺されても後悔は、ない」
 僕はすごく晴れやかな気分でいた。多分笑っていたと思う。すごく久し振りに笑った気がする。
 そして望月の手を掴んでいた手の指から力を抜き、腕を垂らし、目を閉じた。
「…………?」
 でも一向に無の世界はやってこなかった。僕の意識はいつまで経っても消えず、お花畑や針の山や天使や獄卒が見えることはなく、僕が幽霊になって自分の死骸を見下ろしたりすることも無かった。
 不思議に思って目を開くと、望月は泣いていた。空洞みたいながらんどうの眼窩から血が流れていた。
「……何を泣いている。お前はつめが甘い奴だな」
 僕は、しょうがなく、泣き出したあの子に良くそうしてやったように、手を伸ばして彼の涙を拭ってやろうとした。でも生憎と僕の手はそんなに長くはなく、届かない。しょうがないので僕は僕の首を締める望月の手の指を撫でてやった。とても冷たい手だった。
「馬鹿、泣き止めよ。勝って泣く奴がいるかよ」
 残念ながら、結局望月が僕を殺すことは無かった。彼は手のひらをぱっと広げ、僕を解放した。地面に落下し、後ろ頭を打って、僕がうめいている間に、望月は異形ではなくなっていた。僕が顔を上げた時、彼はもうさっきまでの人間望月だった。
 意識はないようだった。目の焦点が合わないまま僕のほうを見たような気がした。そして僕に寄り掛かるようにして倒れた。彼はそのまま動かなくなった。
――戻ったのか。隙だらけだ」
 僕は溜息を吐き、ポケットに差していた召喚器を引き抜いて頭を撃った。ピクシーを呼んで傷を塞いだ。僕はそこで本当に空っぽになった。
 望月は裸だった。僕は彼の背中を支え、また溜息を吐いた。
「なんでお前なんだろうな」
 本当に理不尽で予想外の展開だ。本当になんでだと僕は考えていた。まったく似合わない。
 砕けたコンクリートに寄り添うように落ちていた、血が固まってこびり付いているナイフを拾い、望月の首に押し当ててみたが、彼が目を覚ます気配は無かった。僕は最後にもう一度溜息を吐き、ナイフを背中の後ろに放り捨てた。がらんと乾いた音がした。それからもう一度にやっと微笑んだ。すごく晴れやかな気分だった。こんなに清々しい気分になったのは、生まれて初めてなんじゃないかというくらい晴れやかだった。
「お前だったんだな。見付けた。僕の、大切な――
 彼の身体は少しだけ僕よりも大きく、僕よりも随分繊細そうだった。今は体温は同じくらいだった。心臓の音も、僕らは良く似通っていた。それは僕に言い様のない喜びをもたらした。
 僕は望月を抱き締めた。彼の耳の傍で囁いた。
「皇子様」







 その人はまずほっとしたふうだった。「ギリギリだったね、カオナシくん」と言う。そしてすっと銃を僕らに向ける。安全装置はそりゃ気持ち良いくらいに外されているはずだ。
「銃弾はまだ残っている。離れなさい。私がやろう」
 僕は悟られないように地面に指を這わせ、先程放り捨てたナイフの柄をもう一度掴んで、振り向き様に投げ付けた。彼の手首を正確に射止めた。手のひらから銃が転げ落ちた。
 「何故?」と彼がものすごくありえないことみたいに言う。彼にとってどれだけ予想外だったとしても、僕にとっては当然の反応だった。
「ご期待を裏切ってすみません。でもあなたは違った。あなたじゃなかった」
 僕は顔を上げ、じろっと彼を睨む。「このお方に無礼な真似はさせない」と言う。彼はますます信じられないみたいな顔つきになる。
「僕の主人はあなたじゃなかったんだ。あなたはデスなんかじゃあなかった。僕が探してたものとは違う。ただの人間だ」
 「だからもうあなたの言うことは聞かない」と僕は言う。僕に命令していいのは、この宇宙でたった一人だけだ。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜