まず大方予想がついていたことだが、色々と厄介なことは起こった。運が良ければ校門、いや玄関辺りがスタート地点かなと予想をしていたのだが、大方順平の予想というものは良い方向に裏切られたためしがない。電車に乗り込んだ時点でもうそれは始まってしまったのだ。
「ねえ彼見て、あの子。綾時くんの隣」
「あ、ほんと、綾時くんだ。巌戸台に住んでるんだね彼。で、隣のあの子誰? 超イケメンなんだけど、ツキ高の制服着てるのに見たことないよね」
「うん、イイよね。わたしも思った。ちょっと望月くんに似てなくない? 弟くんかな」
「ね、どっちが好み?」
「タイプ全然違うから決めにくいー」
 予想したよりも随分早かったな、と順平は思った。黒田のことだ。例のモッサリでない黒田は無駄に目立つのだ。人を惹き付ける魅力というものが確かにあった。
 顔つきは自分に対する自信に満ち溢れていた。そりゃあれだけの大規模破壊を撒き散らせるだけのペルソナ能力や、ボクシング・チャンピオンをキャッチボールでもやる手間くらいにひょいと沈めてしまえる格闘能力を持っていれば、偉そうにもなるだろう。
 随分美しい顔立ちをしていて、まるで女の子みたいだった。いや、ちょっとボーイッシュな女子なのかもしれない。男子学生服で猫背で鞄を抱えて歩いているのが本当の彼なのか、チドリと揃いの可愛い着物を着てアクセサリーショップできゃんきゃん言ってたのが本当の彼女なのか、男なのか女なのか、どっちなのか知れない。どっちだっていいじゃん、という空気を放っていた。性別の匂いってものがしないのだ。
 黒田を中心に、色鮮やかであたたかいお花畑が広がっていく。無機質で冷たく事務的な車両内に、ふわふわ花が咲いていく。それはビビッドな黄色をしているのだ。
 博物館で巨大なダイヤモンドがあしらわれた王冠でも眺めているような、うっとりした顔の女子の中に、一昨日まで黒田を妖怪だと罵っていた者が幾人か混ざっていた。女子って生き物は本当に現金な性格をしているんだなと順平はげっそりした。
 そもそも黒田という人間が分からない。これだけの資源をもっていながら(これはまず間違いなく資源だと順平は考えた)、なんでわざわざあんなふうにキてる妖怪を装っていたのかが理解出来ない。変装という点で見れば完璧だったが、もっとやりようがあったはずだ。少なくとも女子のリンチに遭う羽目にはならなかったはずだ。だとしたらこいつほんとはマゾなんじゃねえかなと順平は一瞬考えたが、まあありえないだろうと却下しておいた。これ以上変態が増えられても困る。
 女子の無言の賞賛の視線に晒されている当の黒田は、顔を青くして居心地悪そうに少し俯き、口の端を下に曲げていた。額には脂汗が浮かんでいるように見えた。可哀相に、月光館学園の生徒になってからこの八ヶ月という長い間、女子の暴威に晒され続けたお陰で、女生徒恐怖症になっているらしい。
「大丈夫かい? 顔色が悪いよ」
「あ、いえ……何でもありません。大丈夫です」
 黒田の様子に目ざとい綾時が、気遣わしげに彼(ということにしておく。男子制服姿なのだ)の手をそっと取って、美しい顔を覗き込んだ。見つめられた黒田は頬を薄いピンク色に染めて、すっと目を伏せた。敬愛する綾時に見つめられて照れているのか、今までのあの前髪のせいで単純に人と目を合わせることに慣れていないのかは知らない。
「大事な君になにかあったらって考えるだけで僕は辛いんだ。ずっとついているから、無理をしないで」
「無理なんて、そんな。僕はあなたの為なら、この身が灰になっても構いません」
「そんなの悲しいよ。僕は綺麗な君が傍にいてくれるだけでいいんだ」
 聞いていて背中がむず痒くなってくる会話がすぐ隣で交わされているってのは、本当にいたたまれないものだ。黒田の奴が実は女だった説を、順平は両腕を振り上げて支持したい気分だった。真田とゆかりの例の賭けだ。黒田の奴が『もし』男だったとしたら、その上で「この身が灰になっても」だったり「綺麗な君が傍に」だったりしたら、目も当てられないことになる。
 黒田の方はぎりぎり忠誠心(そもそも何故破壊神みたいな彼をはじめとして、例の人殺しの復讐代行集団が綾時に服従しているかは依然謎だ。また何か企んでいるんだろうか)と言い訳がつきそうではあったが、綾時の方はもうダメだった。救いようがない。
「ねえ、あの二人って、もしかして……」
「うん、思った。ねえ、いい雰囲気だよね、もしかしなくても」
「このままチューしたりしないのかな。しそうな雰囲気。したらいいよね」
 意外なことに女子の反応は大らかで好意的だった。いつもなら血相を変えて黒田を私刑にしているはずなのだが、今はニヤニヤして二人が妖しげな会話を交わす姿を見守っている。黄色いお花畑は、今やピンク色に染まっていた。
 やっぱ顔って重要だなと順平は考えた。ちょっとのことくらいは大目に見てもらえてしまうのだ。なんとなくそれだけではないような気もしたが、怖いので考えないことにした。
「ねえ、キスしてもい……アウチッ!」
 綾時が完全に周りが見えていない台詞を吐きかけたところで、ゆかりが物凄い勢いをつけて彼の足を踏み、アイギスが脇腹に鋼鉄の肘打ちを食らわせた。グッジョブ、と順平は親指を立てた。危うく色々な価値観が崩れ去り、精神崩壊するところだった。
「岳羽ゆかり、アイギス。貴様ら俺にならまだしも、皇子様に何をする」
 黒田が冷ややかに女子二人を睨み付ける。彼は本当に綾時とそれ以外の人間への態度が違い過ぎる。
 「蚊がとまってたから」とゆかりが黒田の方を見ないようにして言い訳をする。「私は毒蜘蛛を発見し、綾時さんの安全のために攻撃いたしました」とアイギスも同じような調子で言う。ゆかりはともかく、アイギスの空気を凄く読んだ言い訳は素晴らしかった。とてもロボットだとは思えない。綾時にも見習って欲しいくらいだ。
 黒田もそれ以上は何も言えず、綾時の手を大事そうにぎゅっと握って、「大丈夫ですか? すぐにディアを」と言う。
「い、いや平気だよ。それよりも君とお話がしたいな。君の声が聞きたいよ。とても気持ちの良い声だからね」
 綾時もさすがに人が多い電車のなかでペルソナを呼ばれちゃたまらないと理解しているらしい。慌てて話題を変えようとしているが、またその話題が悪い。ほとんど口説いているのと変わりない。黒田がまたちょっと頬を赤らめる。ああこりゃ無限ループだわと順平は考え、そこで電車が停止し、「終点、ポートアイランド駅」と車内アナウンスが鳴った。







 教室の扉を開けるなり、確かに空気が固まった。やっぱりなと順平は考えた。同じようなことの繰り返しだ。校門前でもそうだったし、玄関でもそうだった。皆揃ってあんぐり口を開けて黒田を見ている。
 綾時は相変わらず空気を読むという能力に致命的な欠陥があるらしく、近くにいた女子のグループに「やあおはよう」とにこやかに挨拶をした。順平もそれに倣って「はよッス」と挨拶してみた。返事は期待したほどは返ってこなかった。
 「あいつだ」と誰かが言う。宮本だったかもしれない。「あの子だよ」と女子が顔を合わせてヒソヒソやっている。結構いろんなところで黒田は顔を見られていたらしい。
 でも今まで誰も気付かなかった。まあ無理もない。例の妖怪と、この物凄い美人をイコールで結び付けるのは、物理的に無理なんじゃないかなと思うのだ。
 黒田の方はすでに開き直ったのか、それとも意図的に具合の悪そうなヒソヒソ話を耳からシャットアウトすることに決めたのか、もう何でもない顔だ。自分の席に着き、鞄を置いて、ヘッドホンを耳に掛けて音楽を聴き始めた。
 どうやら休憩時間中は綾時に構う気はないらしい。いつも綾時が女子に群がられてお幸せそうにしている姿を見ていたせいだろう。彼なりに気を遣っているらしい。復讐代行人のくせに健気な奴だ。
「あの子誰だ? なんでうちのクラスにフツーにいるんだ。教室間違えたのか? なあ、誰か教えてやれよ」
「ゆかり、あの子前の子でしょ? 一緒に登校して来なかった?」
 ゆかりは「いや、うん」と歯切れが悪い。何とも答えにくいんだろう、気持ちは分かる。きっと本人もまだうまく信じられないのだ。いや、信じたくないのかもしれない。
 彼女はちょっとばかり、いやかなり好意を抱いていた人間と、苦手どころか生理的嫌悪を抱いていた人間をイコールで結び付けなきゃならないのだ。順平にしてみればアルコール中毒の親父とチドリを結び付けなきゃならないようなものだ。さすがにそりゃないだろう。普通はそこで思考停止だ。同情する。
「あのさ、君こないだ部活破りした子だよな。良かったら陸上部に……」
「バッカ、何言ってんだって。お前剣道部入んだよ、なぁ?」
 早速黒田を勧誘に掛かる生徒がいる。ちょっと腰が引けているように見えたが、それぞれ運動部と言うだけあって、見ているだけで暑苦しくなってくる種類の人間だ。筋肉お化けだ。
 でも黒田はあんなに細っこいのに、巨大なノミみたいに飛んだり跳ねたり、ゴリラみたいに人をぶん殴ったりぶっ飛ばしたり、まず人間じゃないくらいに強いんだよなってことを思い出す。妙な感じだった。筋肉ってのはあまりあてにならないもんなんだと思ったが、これは怖いので筋肉崇拝者の真田や宮本の前では口に出せない。
「あ」
 綾時は女子と心温まる(そしてむず痒い)会話を交わしながら、机の上に鞄を置いて教科書を引っ張り出していたが、ちらっとむさくるしい男子に囲まれている黒田を見て、不安そうに眉を寄せた。
 まあ筋肉質の体育会系の男共に囲まれているヒョロヒョロのもやしみたいなちびという構図は、まず間違いなくいじめに見えた。どう頑張ってもそれ以外には見えなかった。それを心配しているのか、ただ単純に彼に恋する(あまり深く考えたくはない)綾時としては、自分以外の男が黒田に気安く近付いていることに不安を感じているのか、どっちなのかは知れない。もし後者だとしたら、来る者拒まず去る者追わずがポリシーの人間だと思っていたが、あいつにも独占欲ってものが存在したんだなと、変な感心をしてしまいそうだ。
 ともかく綾時が一瞬黒田の方を見て、何か言おうとした。それが何かの合図になったようだった。順平には良く分からなかったし、クラス中にも分かる奴なんていやしないだろう。綾時だってきっと分からない。
 でも話題の中心にいる黒田が急に勢い良く立ち上がった。彼は磁石にくっついた砂鉄みたいに纏わりついてくる生徒たちを無言で押し退け、綾時の前に跪き、「お困りですか?」と言った。
「是非僕をお使い下さい。貴方様の望みを叶える為に、我々はいるのですから」
「あ、いや、そうじゃないんだ。大したことじゃないよ、うん。ただその、ちょっと君が心配になっちゃって。とても綺麗なひとだから」
「確かに僕では、貴方様の手足となるためには能力不足かもしれません。ですが貴方の為に、何かしたいのです」
「ううん、僕は君がそばにいてくれるだけで幸せなんだ。本当だよ。だからもう膝なんてつかないで。手を」
 綾時がすごくスマートに手を差し出す。彼は黒田の手を、お姫様にでも触るみたいに取った。まあ黒田が女子制服でも着ていればすごく様になったろうなと順平は考えた。いっそのことスカートを履いてくれればいいのだ。
 なんだかもう色々なことがどうでも良くなってきていた。慣れるってのは、そういうことなのかもしれない。
 でも馴染みつつあるのは順平だけなのかもしれない。横からめきめきと大木が倒れる時みたいな音がした。なんとなく予想はついていたが、アイギスが机の縁を掴んでいる。
 ただ掴んでいるだけなら何とも思わなかった。あきらかにすごい力で握り潰しているのだ。察するところ、黒田と綾時の昼メロ劇場を止めたいのだが、下手に綾時を攻撃すると彼を崇拝する黒田に嫌われるだろうから、どうすれば良いのか分からずに激しく葛藤しているってところだろう。この子ほんとにロボットじゃないよなと順平は考えた。葛藤したり嫉妬したりするロボットなんて聞いたことがない。
「どうして僕にこんなにお優しくして下さるのですか……」
 黒田がとても戸惑っている。彼は本当に不思議そうにしている。まあ昨晩あれだけ激しい戦闘をやらかした後なんだから、普通はもうちょっと警戒するはずだ。
 黒田は今までS.E.E.Sを監視していたわけだし、今度は何を企んでいるんだってことになるだろう。良くも騙してたなとか、皇子様ってのは何のつもりだとか、今度も騙す?だとか、言ってやるべきことならいくらもあるはずなのに、綾時は何も言わずにニコニコ微笑んで、うっとり黒田を見つめている。好きな女優を生で見て感激しているみたいな顔つきだった。こいつは実はものすごい大物なのかもしれない。
「簡単なことさ。君が好きだからだよ。君も僕と同じくらい僕を愛してくれたらとても嬉しいんだけどな」
「皇子様……」
「黒田くん……綺麗だよ」
 二人は手を握り合って、熱っぽい目で見つめ合っている。黒田の方はちょっと宗教が入っているような気がしないでもなかったが、とにかく恋愛映画のクライマックスみたいに見詰め合っている。こいつら朝からずっとクライマックスだ。勘弁していただきたい。
「は、はあ? 望月は何を言ってるんだ? 黒田って、ちょ」
「へえ、あの子黒田って言うのか。おんなじ名前でもあの妖怪とはすごい違いだよな」
「あ、そうか。びっくりした、妖怪が脱皮して中から超美人が出て来たのかもってちょっと期待しちゃったよ」
「バッカ、ありえないでしょ」
 クラスは一瞬ざわめき、そしてそれぞれ自己完結し、またなごやかなムードに戻った。
 あいつは女子の敵黒田栄時本人なんだってことを教えてやるべきなのかなとも考えたが、どうせ誰も信じやしなさそうなので、やめておくことにした。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜