ところで彼に関して気になることといえば、それこそ無数にあった。一体何を考えているのか、ストレガってのは何なのかって難しい疑問がいくつもある。その中で目下一番気になるのは、『彼』なのか『彼女』なのかってことだった。男なのか女なのかってことだった。
普通なら一目見ただけで分かりそうなもんなのだが、これが難しい。日頃日中に見ていた黒田はまず間違いなく男だったが、影時間にカオナシとか不憫な名前を名乗ってシャドウをけしかけてきたり食い物を盗んで行ったのは、すごく可愛い顔をした美少女にも見えた。真田がクラッと来ちゃうくらいだ。良く考えてみれば真田と綾時は恋仇ってことになるんだろうかと想像すると、ちょっとこめかみが痛んだ。
「で、どっちだと思う?」
ラウンジのソファに腰から沈んで、順平は朝からずっと話し合いたかったことを切り出した。ともかく黒田のいないところで話したかった。性別論争なんて目の前でされちゃ気分が悪いだろう。順平は空気を読むことに掛けてはちょっと自信があるのだ。ゆかりに鼻で笑われたが、ともかくあるのだ。
「男の子でしょ」
ゆかりがポテトチップスを齧りながら言う。「また食ってる。太るぜ」と言ってやったら、「うるさい」と睨まれた。
「女だ」
真田が言う。この二人の意見はいつまで経っても平行線だ。
「あんたはどう思うのよ」
「いや……なんか正直わかんなくなってきたなーって。カオナシちゃんが女の子だってのは分かるのよ? でもなんつーか、あの妖怪じゃなくて黒田がメス……いや女子だって言われると、どうにも信じらんなくて。風花はどう思う? パパッとアナライズとかでわかんね?」
「ううん、測定不能。彼のことは全然分からないの。でも男の子だったらいいな……」
風花はぽあっとした顔で頬を赤らめている。もしかして惚れちゃったのかもしれないと思ったが、「そういうんじゃないの」らしい。
「その方がシチュエーション的に美味しいっていうか」
「良くわかんねえけど。そういや前の賭けもあるっしょ。誰か突撃してくんねーかな。オレっち気になって気になって、具体的にはオレの心の友と先輩がノーマルなのかホモなのかってのが気になって」
「あ、真田先輩もそう言えばあの子を……三角関係も悪くないかも」
風花がまたうっとりしている。彼女は黒田の性別がどうとか言うよりも、この状況をとても楽しんでいるらしい。まあおとなしくて日頃から気を遣っている子だから、楽しそうで良かった。
「私が行くわ。確認しなきゃおさまんない」
まずゆかりが立ち上がった。漢だ。
◆
黒田は綾時の部屋にいた。床にぺたっと座って、二人で話し込んでいた。軟派な帰国子女と陰気な復讐代行人が、一体何を話題にすれば盛りあがれるのかは分からないが、彼らはまあそれなりに上手くやっているようだった。昨夜までは完全に綾時の一方通行と言った感じだったのだが、今や相思相愛のカップルのようだ。
作戦室のモニターを見つめながら、黒田が女でありますようにと順平は祈った。そして早くゆかりが二人っきりの空間をぶち壊してくれますようにと祈った。彼らは今にもチューでもしでかしそうで怖いのだ。
乾いたノック音、そして『はーい』という気の抜けた綾時の声、ドアが開く軋んだ音、画面にゆかりが現れる。彼女は『お客さん来てたんなら言いなさいよね』とあからさまにわざとらしい声で言う。
ゆかりがトレイに乗せたアイスコーヒーを黒田に差し出した。一人分だ。綾時の分はない。彼女は本当に正直だ。
『あれ、ゆかりさん、僕のは?』
『はぁ? 飲みたきゃ自分で作ればいいじゃない。カオナシくんはアイスコーヒー嫌いじゃないよね?』
『はぁ……どうも……』
黒田は腰が引けていた。まあ無理もない。これまで散々妖怪だとか変質者だとか呼ばれてボコボコにされていたのだから、ビビリたくもなるんだろう。憎からず思っている相手に完全に怯えられてしまっているゆかりも、一体今度は何をされるんだろうって顔をしている黒田も、見ている分にはどっちも不憫だった。
『あっ、ごっめーん』
薄々予想はしていたが、ゆかりが勢い良く黒田の制服にアイスコーヒーをぶちまける。黒田はびしょ濡れだ。彼は『なにをするんだ』も『冷たいじゃないか』もなく、ただ黙ったままだった。もしかすると硬直しているのかもしれない。
『あ、だ、大丈夫かい?』
『カオナシくん、大丈夫? ごめんね、すぐに洗濯するから服脱いで。あ、綾時くん? 着替え貸したげて』
これはすごい完全犯罪だ。不自然なところがありすぎて、逆に突っ込めない。もしかしたらイケるんじゃないかと期待ができそうだった。このまま黒田が服を脱げば完璧だ。ただ気になるところといえば、女子のゆかりが退室したとして、目の前で黒田に服を脱がれた綾時の理性が耐えられるのかどうかだ。些細だがとても重要なことだ。
今の黒田に綾時に抵抗しろと言うのは、コロマルに荒垣に噛み付いてこいと命令するようなものだ。無理だ。
『あ、あれ? カオナシくん?』
ゆかりが戸惑っている。モニタの中の黒田は、ふらふらと立ち上がり、力ない様子で部屋から出て行った。
カメラを切り換えると、一階のトイレに消えていく黒田の姿が映った。男子トイレの中まではさすがに映りやしなかったが、かすかにすすり泣きが聞こえる。どうやらゆかりの仕打ちに凹んで個室に引き篭もり、泣いているようだ。
「ゆかりッチ、やめてやれよ……忘れんなよ……あいつは極度にシャイで、ガラスのように繊細な心の持ち主黒田栄時なんだぜ……」
「昨夜はあんなに偉そうだったのに、心のバランスが危うい方なんですね。ちょっと突付くと泣いちゃいそうです。ワクワクしてきました」
「ちょ、やめてあげて天田くん……」
「男子トイレってことは男の子じゃ……」
「いや、わからんぞ。美鶴も良くうっかり間違えて男子トイレに入ってくるしな」
「そ、そうなんスか……」
一番目の作戦は、どうやら失敗のようだった。ゆかりも黒田も双方不憫な結果に終わってしまった。
◆
「今日はボクシングで勝負だ」
二番手は真田だ。彼は早速戦線布告した。
黒田は綾時にあやされて立ち直った後、甲斐甲斐しくキッチンに立って、荒垣に肉じゃがの作り方を教わっていた。しかし昼間の黒田はやっていることが普通過ぎる。
「さすが真田サン。ボクシングで勝負ってことは、男子ならパンツ一丁、女子なら……なんだっけ?」
「さあ……レオタードとかじゃないの」
ソファに寝そべって漫画雑誌を読んでいるふりをしながら、チラチラとキッチンの方を覗いながら言うと、黒田に泣かれてすごくブルーになっているゆかりが溜息混じりに答えた。どうでも良さそうだった。余程ショックが大きかったらしい。
ともかく今度は行けるかと思ったが、黒田は面倒そうに頭を振り、「お断りします。今忙しいので」と言った。その様子はまるきり新妻だった。清潔なエプロンと肉じゃがの良い匂い。順平は腹が減ってきて、半分くらい黒田の性別に関してなんてことがどうでも良くなってきた。今なら性別がどうあれ黒田は黒田だと言える気がする。
「まあいいだろう。腹ごしらえが終わるまで待ってやる」
「いつまで待たれてもお断りです。スポーツとか嫌いなので」
にべもない。やはり黒田は顔を出していると性格が変わるように思う。呆れたように肩を竦め、馬鹿な子供の世話でもするみたいな顔つきで、ゆっくりした口調で真田に言い聞かせる。女王様だった。
「あなたは仮にもペルソナ使いなんでしょう。ペルソナバトル以外で勝って嬉しいですか? 俺ならいくら自信があろうと、ペルソナ使いに料理や卓球で勝っても虚しいだけです」
「む、その通りだ。良く言った! さすが俺の好敵手と認めてやっただけはある。さあ表へ出ろ、勝負だ!」
妙な流れになっている。これではほとんど例の修学旅行の時と何も変わらない。
「ええええ、ちょっと真田サン……」
「真田先輩、趣旨分かってるのかな……ただ黒田くんと戦いたいだけなんじゃ」
黒田はもう何も言わない荒垣にお玉を預け、「十秒ほど留守にします」と言った。そして真田と連れ立って玄関から出て行く。順平はそっと腕時計を見た。他の仲間たちもこっそり秒針に目をやっている。入口の扉が閉まり、外からすごくご機嫌そうな真田の声が聞こえてきた。
「食らえ黒いの、これが俺の――最大の力だ!」
「ハルマゲドン」
爆発音と衝撃がやってきた。悲鳴は聞こえなかった。断末魔もなかったから、まあ生きているんだろうなと思うことにした。何度も見ていると、結構慣れてしまうものなのだ。
すぐに玄関から何でもない顔をした黒田が顔を出し、「すみません」とあまりすまなく思っていなさそうな声で言って、キッチンに戻って行った。
順平は時計を見た。八秒経過していた。本当に一瞬だった。やはり人間じゃない。女王様だ。
◆
「ね、一緒にお風呂に入りましょう」
三番手の天田はすごく直球だった。彼はまだ小学生で、ぎりぎりとは言え銭湯の女湯に入っていても摘み出されないお子様だった。
普段は子供扱いをすると怒るくせに、こういう都合の良い時だけは子供ぶるのだ。しかしこの手で行けば確実だろう。
「なんで? ていうか、お前誰」
「天田乾と言います。僕、昨夜の戦いであなたの強さに感動しちゃって。どんな特訓をしたらそんなに強くなれるんですか? ぜひ教えてもらいたいなと思って」
「あ、そう」
はじめは不信感を丸出しにしていた黒田だが、誉め殺されて、まんざらでもない顔つきになった。基本的にあまり会話をしない、人間嫌いなところがあるような黒田だが、誉められることは好きなようだった。
天田の素直な(だが幾分裏のある)賞賛に照れたように目を逸らし、ちょっと赤くなって、得意げに目を閉じて澄ました顔になる。順平はこいつ可愛いなとこっそり考えた。考えていることが筒抜けだ。
「でもなんで風呂」
「裸の付き合いって言うんですよ。僕、もっとあなたのこと深く知りたいと思うんです。そう言えばあなた、綾時さんとすごく仲が良いですよね。大したことじゃないんですけど、僕たまにあの人にお話を聞かせてもらうんですよ。好きな食べ物のことだとか、タイプの女の人の話とか。きっとあなたにも面白いお話ができるんじゃないかって思っちゃうんです」
「ふ、ふん。そうなのか」
「あれ? あなた知らないんですか? あの人の好きなものとか。意外です」
「いや……直接お聞きするのは失礼だろうって思って」
黒田はそっけない顔をしているが、見てすぐに分かる。興味深々だ。綾時の話題が出ると、急にソワソワし始めた。完全に天田のペースだ。このガキ末恐ろしいなと順平は考えた。あのストレガを手玉に取っている。
「結構可愛い人なんですね」
「え?」
「いえ、何でもないです。髪、洗ってあげますよ。身体も。全部僕に任せてください」
「あ、うん」
黒田が頷く。どうも子供相手には対応が柔らかい。そして妙に手馴れている。もしかしてあいつ隠し子とかいねえよなと、順平は恐る恐る考えた。ありえそうで怖い。
「ここの寮生、共用の浴場を使っているんです。じゃ、案内しま――うっ」
演技なのか素なのかは分からないが、花を飛ばして黒田の手を取った天田の顔が引き攣った。どうしたんだろと訝り、天田の視線の方向へ目をやって、順平も引き攣った。階段側の壁の陰から、綾時がそっと覗いていた。無言で、表情がない。
いつもヘラヘラしている、すごく人当たりが良くて懐っこい顔をしている男って印象があったが、顔から表情が消えると彼はすごく怖かった。真っ白な顔は死人みたいで、焦点の定まらないうすぼんやりした青い目は、ガラス玉でできているようだった。夜中に井戸から出てきそうな印象があった。
「あ、あの……僕、急に用事が、あっ、そうだハムスターに餌をやらないと! すみません!」
「あ」
天田が逃げ出した。まあ無理もない、順平も逃げたかった。
黒田は訳がわからなさそうな渋い顔で、「なんなんだもう」と言っている。黒田、後ろ後ろ、と順平は叫びたかった。でも声が出ない。
◆
「まったくもう、なんなの」と綾時がプリプリ怒っている。「あの子に変なことしないでよ!」と言う。彼は本気も本気のようだったが、黒田に一番妙なことをしているのはお前だと言ってやりたかった。でもさっきの綾時の能面を思い出してしまうと、もう何も言えなかった。怖かったのだ。
黒田は、門限だとかで迎えに来た裏手の寮の管理人に引き摺られて帰って行った。「いやだ、俺は皇子様のお傍にいる」としばらくごねて喚いていたが、「いい加減にしなさい」と腹に重そうなのを二、三発食らい、ふてくされた顔で静かになった。どうやら黒田は押しに弱いらしい。
しかし良く見ると、件の管理人と黒田は顔も雰囲気もそっくりだった。もしかして歳の離れた兄貴や親戚のようなものなのかもしれない。ストレガの黒田の身内ってだけで危険人物リストに入りそうだったが。
「もう、みんなして今日はどうしちゃったって言うんだい?」
「いや、黒田が男か女かってのがさ、みんなスゲー気になっちゃって。オメーも気になんだろ?」
「彼は男の子だよ。確かに女の子みたいに綺麗な顔をしているけれど」
「は? おま、知ってたの?」
「僕、彼と一緒にお風呂に入ったことあるもの。全部見ました」
「や、なんでそんな誇らしげに言うの。じゃ、その、お前、やっぱ男でもOKってヤツ、なの?」
「彼の価値は男の子とか女の子とか、そんなじゃないよ。変なふうに言わないでよ」
「ど、どうします? 真田サン、あいつ……というか、あの『黒いの』っての、ええと、男って」
「ああ、相手にとって不足はない。奴が男だろうが女だろうが、次こそ俺は負けん」
「いや負けんじゃなくて、ああも、なんでこの寮オレの価値観が通用する人間がいないんだろうか」
順平は溜息を吐き、じゃああいつもしかして女装が趣味とかなのかなと考えてみた。まあ趣味は人それぞれだと思うので、口を出すことじゃないのかもしれない。
そういう話をしてみたら、綾時が「ああ」と頷き、「僕も思ってたんだ」と言った。
「うん、だよね。僕もあれ女の子の着物だと思ってたんだ。なんか、彼は忍者なんだぜとか言ってたけど、日本の忍者ってあんなに可愛い格好はしていなかったよね、確か」
「忍者?」
「日本の忍者のスタンダードだって、学校の偉い先生が言ってたって」
「あのオッサンか……」
納得が入ってしまった。そう言えば幾月はどうしているんだろうか。彼が悪巧みに使っていた黒田たちは、何故かわからないが、今や綾時にメロメロだ。
おそらく今は桐条グループに拘束されているんだろう。またろくでもないことを企んでいなきゃいいが。
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