『ケーブル繋いだ?』
「まだ。もうちょっと」
僕は調子の悪いスピーカー越しのラジオ番組みたいに不明瞭なチドリの声に、「もうちょっと待って」と答えた。
「暗くて良く見えないんだ。僕は猫とかもぐらとかじゃないんだ。勘弁してくれ」
目を眇めて配線盤を睨み、ケーブルに盗聴機をくっつけ、イヤホンに繋いで確認してみた。残業中の主任の愚痴や、仮眠を取っている技術者のいびきが聞こえてきた。どうやら問題はないようだった。
僕はイヤホンをプレイヤーに繋ぎ直し、「完璧」と言った。『そう』とどうでも良さそうな返事が返ってきた。そこで『良くやった』だとか『お疲れ様』だとか優しい言葉のひとつでも掛けられるような奴だったら、僕は彼女のことをもう少しは姉として尊敬できたような気がする。だけどほんとにそんなになったらちょっと気持ち悪い。
「設置は時間通りに終了。次行く。ジン」
「りょーかい」
配線盤を弄っていた僕の横で、退屈そうにあくびをしていたジンが頷く。暇ならこういうことが専門の彼がやりゃ良いんだと思ったが、しょうがない。僕はジャンケンで負けたのだ。
僕はジャンケンに掛けてはちょっとしたもんなのだ。これまでタカヤとチドリに勝ったことがない。ジンにも三回に二回は負ける。どうしようもなく弱いのだ。自分の能力すべてに絶対の自信を持っている僕としてはそのことが結構コンプレックスだったりするのだが、まあジャンケンが弱いからと言って死に直結する事態なんてものはそうないだろう。もう考えないことにした。
ジンが爆弾を投げる。彼はいつも爆弾を持ち歩いている。そのくせ彼のペルソナは平気で火を使う。引火して僕らがとばっちりを食ったことは一度や二度じゃないが、彼は割と爆弾魔の自分というものが気に入っているらしかった。
一度文句を言ってやった時に、口止め料として新品のアセイミナイフを買ってもらった。だからもう口出しはできない。
爆弾が破裂し壁を壊すと、白い光が零れてきた。蛍光灯の光だ。大した明るさはなかったが、暗がりに慣れていた目はちかちかした。
壊れた穴をくぐって中へ入ると、ずらっとロッカーが並んでおり、ロッカーにはそれぞれ白い名札や『根性』と書かれたシール、ジャックフロストのマグネットなんかが張り付いていた。どうやら職員用のロッカールームらしかった。僕は黙ってジャックフロストのマグネットを引っぺがし、腰のベルトに引っ掛けているポーチに突っ込んだ。
「邪魔するでえ」
「桐条のラボも久し振りだな」
全体的に建物に漂う人生を諦めきったような気だるげな空気なんかは、数年前僕らがいた頃と全然変わらない。多分ロッカールームの扉を開けたら右も左も上も下も同じ廊下が広がっていて、ガラスケースの中の実験用のハツカネズミや、人工的に影時間を生成する特殊なボックスの中に入れられた捕まったシャドウなんかが、同類を哀れむような顔つきで僕らを見上げてくるのだ。そうに決まってる。
ロッカーから研究者用の白衣を奪って羽織り、前のボタンを留め、僕とジンは何食わぬ顔をして部屋を出た。そこにちょうど爆音に気付いてやってきた警備員と鉢合せした。やっぱりおとなしくピッキングでもして、静かに押し入るべきだったのだ。
「どうかしたんですか?」
僕は言う。
「なんやえらい音しましたなあ。いや、こっちとか、なんもなかったです」
ジンがかなり不自然な誤魔化し方をする。お前は嘘を吐いたり言い訳をしたり誤魔化したりするのがすごく下手なんだから、おとなしく黙ってろ禿と僕はこっそり考え、彼を睨んだ。でもジンはまったく気付かず、しれっとした顔をしている。小突きたい。
服を奪って変装したのに、中年の警備員は眼を鋭く光らせて僕らを睨んだ。あきらかに不審人物とか、人質を取って立て篭もった凶悪犯を見る警察官みたいな目だった。
「なんでこんなところに子供がいる。おいちびども、どこから入り込んだ!」
「…………」
「…………」
いきなりばれた。理解出来ない。僕は騒がれる前に咄嗟に脚を振り上げ、靴の爪先を中年の警備員の顎の柔らかい部分にめり込ませた。すぐに静かになった。
そしてぐったりした彼をロッカールームに放り込み、細いワイヤーを使って施錠した。
「ちびのお前のせいだぞ」
「お前かて全然人のこと言われへんやろ」
僕はそれなりに身長もあるし、体格も立派なもんだった。どう贔屓目に見てもちびとか子供とか言った単語は僕には不釣合いだった。
「僕は背丈も随分あるし、まず子供には見えないだろうな。ジンが悪い。帰ったらタカヤに言い付けてやる」
「いい加減なこと言いな。わし180はあるで、ほんまに。ちびはお前やろ」
「お前フカシでかすぎるって。現実を見てみろ。それは幻想だ。僕が180だぞ。しかもマッチョだ」
「お前そんなヒョロッヒョロのガリガリでよお言うわ。妄想も大概にせえへんと帰って来られへんようになるで。マッチョちうんはな、わしみたいなモンのことを言うんや。ええ加減に正直にならんと、カオナシは嘘吐きやて皇子様に言い付けんで」
「いいよ、言ってみろよ。皇子様も絶対僕のことを身長180センチでマッチョな男の中の漢だって言って下さるよ」
『お前らいい加減にしろ。夢見るのも大概にしろ。まだ抑制剤でラリってるのか。あるはずのないものが見えてるの。お前らは二人揃って割り箸みたいなものよ』
ジンと言い合いをしていたら、チドリに怒られた。遠くにいるくせに筒抜けってのは、何とも変な感じだ。
「チドリ、なあ、僕の方が絶対マッチョだって絶対」
「カオナシはあかんて。もやしやって、なあ。たこ入ってへんたこ焼きみたいなもんやん」
「それオクトパシ―のたこ焼きのことか。あれすげえ美味いじゃん」
「うん、美味いな。帰ったら食いに行きたいな。明日のガッコの帰りにでも食いに行けへん?」
「うん、いいな。あ、チドリはだめだぞ。僕らのこと割り箸とか言ったから」
「な、あかんやんな。めっちゃ腹立つ」
『お前らのそのつまんないとこでタッグ組むとこすごくむかつく。お前らがマッチョなら私は巨乳だ』
『やれやれ、まったくしょうがない人達だ。ジン、カオナシ、チドリ、貴方がたは三人共、例えるなら子鼠のようなものですよ。自分のことを正しく知りなさい。世界は広く、小さな貴方がたよりも途方もなく大きい。世界にはもっと巨大でマッチョな人間が沢山いるのです。そう、私のような。子鼠の貴方がたと比べたなら、私は灰色熊と言ったところです』
「チドリ、タカヤぶん殴っといて」
「わしらの分も頼むで」
『よしきた』
通信が途切れる。ジャンケンで勝ったからって、あいつらはくつろぎ過ぎだと思う。現場の苦労なんてまるでわかっちゃいないのだ。
メインコンピュータの冷却装置の上に腰掛け、浮いた足を揺らしながらジンの何やら小難しい作業を見ていると、急に扉が開いて、見知った人間が部屋に入ってきた。ちょっと予想外で、僕はぐだっとなっていた身体を半分起こした。
「あれ、生徒会長殿じゃあないですか。こんなところまでわざわざご苦労様です」
桐条美鶴だ。僕らの生徒会長どの、桐条グループのお姫様、自然覚醒ペルソナ使いで僕の両親の仇、そして今は僕が敬愛するデス皇子様の頼れる仲間ということになっている。良く分からない。
偉い人がわざわざ押し入り強盗みたいなことをやっている僕らの様子を見に来るのは意外だった。彼女は僕を見ると、あからさまにくたびれた顔つきで溜息を吐いた。
「また君か。最近おとなしくしてくれていると思ったら、今日は何の用だ?」
「あなたあのお方の周りをコソコソ嗅ぎまわっていたでしょう。不愉快なのですべて消去させていただきます」
「その為にわざわざ来たのか」
「外からだとさすがに難しかったんです」
僕は頷く。ジンがデータベースから『望月綾時』という項目を削除する。モニターの下部に、運動会のリレーみたいな具合で黄色いラインが伸びていく。そのすぐ上には、『現在九十三パーセント完了』と表示されていた。僕は桐条美鶴と一緒に、その数字をぼおっと眺めていた。
「彼は何者だ」
「あなたがたが知る必要はない」
「お前は知ってるのか?」
「僕は自分の頭ってものが良くできていることを自覚はしていますが、世界の成り立ちをなにもかも理解していると考えるほど傲慢じゃない。僕があのお方を理解出来るわけがない。しかし、だからこそ僕が崇拝するべき方なんです」
「お前その喋り方タカヤっぽいで」
「嫌だな、気を付けるよ。――皇子様には黙っていて下さいね。怒られたり嫌われたりするの嫌なんです。あなたがたが仲間だということになってる彼の身元を調べていたことも黙っておいてあげます。それでチャラにして下さい」
僕は数字が百パーセントに達するのを見届けてから、冷却装置の上から飛び降りた。いつのまにか尻がすごく冷えていた。その上、結露のせいでじっとり湿っていた。変なところに座るんじゃなかったと僕は後悔したが、もう遅い。
「待て」
「なにか?」
「――正面玄関から帰るといい。安心しろ。君に手は出さない。……望月に関しては、悪いと思っている。私もあまりこういうやり方は好きじゃない」
「ふん。帰るぞジン」
「りょーかい」
すれ違う時、彼女は僕の方を見ないまま、「黒田栄時」と僕の名前を呼んだ。
「君も、すまなかった」
「気持ち悪いですね」
何に対しての『すまない』なのかは理解できると思う。でも謝られたってしょうがない。過去が過去であった以上、どうにもならない。
それに僕は結構今の境遇が気に入っているのだ。薬を飲まなきゃやってられない、寿命間近のガタガタの身体っていうのは最悪にろくでもないが、最強のペルソナ能力だとか、お仕えするべきひとのそばにいられることなんかは素晴らしい。
でも説明だか弁解だかをするのも面倒だったし、僕が彼女にそれをやってやる義理もない。だからその件に関しては何も言わない。
「僕はあなたが嫌いだ。あなたがたS.E.E.Sが嫌いだ。だから謝ることはない。そういうのは仲間やお友達にでもしてさしあげてください」
その後で「あのお方にくれぐれも無礼を働かないように」と忠告を付け加え、僕らはラボを後にする。何にも変わらない場所だ。相変わらずひどい実験ばかり行われているんだろう。
でもそこはもう僕らが子供の頃のような絶対的な城ではもうなかった。それは今や昔よりもずっと小さくて、砂でできていて、今はたださらさらと崩れていくのを待つだけの、空しい玩具の箱のように見えた。
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