「デートしたいな」
ある晴れた日の午後、皇子様は急にそんなことを言い出した。改めて言われなくても、『デート』という単語は日々すごく彼の身近なところにあった。たとえば簡単なところでは、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いたあと、彼は目に付いた女子と一緒に食事を取る。一日の授業が終了した後は、同じく不特定多数の女子と共に街に出掛けられる。行き先は様々だ。服屋だったり喫茶店だったりゲーム・センターだったりカラオケだったりする。
皇子様から誘われる時もあったし、女子の方から彼を誘うこともあった。ほんのちょっと前、つまり彼がこの月光館学園へ転入してきてすぐの頃は、大体が皇子様からお誘いを掛けていたものだった。今は女子から誘われるほうが圧倒的に多い。別に彼が動かなくたって、彼を必要とする人間は沢山いるのだ。こういうのをカリスマっていうのかなと僕は考えてみた。きっとそうなのだろう。
ともかく、日々皇子様がハーメルンの笛吹き男みたいに女子を引き連れている行動全てをひっくるめて『デート』と呼んでも差し支えは無かったように思う。今更どうされたんだろうと一瞬訝しく思ったが、まあ皇子様なりのお考えがあるに違いない。もしかすると割合本腰を入れて掛からなければならない、難攻不落の相手に挑まれるつもりなのかもしれない。
「あのさ……映画のチケットあるんだ。二枚。良かったら……あ、恋愛映画なんだけど、そういうの好き?」
「は、ご安心下さい。このカオナシ、皇子様のデートを影ながら必ずお守りいたします」
「いや、あの、君と行きたいんだ」
僕は垂れていた頭を上げ、跪いた姿勢のまま、皇子様を見上げた。彼は少し緊張しているようだった。僕は訳が分からず、首を傾げ、彼の言葉の内容を頭の中で反芻してみた。でもやっぱり良く分からなかった。
「映画ですか? 僕と?」
「その後食事でもどうだい。夜景の綺麗な三ツ星のレストランを知っているんだ。君が気に入ってくれると良いんだけど」
「はい、了解致しました。すべてあなたのご命令のままに」
「いや、命令とかじゃなくてね。嫌ならちゃんと言ってくれていいんだし」
「僕があなたの望まれることを、嫌だなどと感じることはありません。この命にかけて」
「うん……」
皇子様は困ったふうに微笑まれた。そして僕の頬に触れ、「そんなふうに膝をついたり、僕に頭を下げることはないんだよ。前みたいにしてよ」と言われる。しかし皇子様のお言葉とは言え、そればっかりはダメなのだ。僕はほんの少し前の彼に対する無礼な態度を思い出すと、恥ずかしくて死にたくなる。
「……アイギス、わかってるよね」
「無論断固阻止であります」
皇子様から二つ三つばかり離れた席に着いている岳羽とアイギスが、僕らの方を睨んで、息ぴったりに頷き合っている。彼女らは最近とても仲が良いらしい。そりゃ素敵なことだし、僕には関係のないことだから好きにしてくれればいいと思うのだが、彼女らはどうしてか何かにつけて僕の皇子様を敵視するのだ。油断ならない。
巌戸台分寮の二階の、端から二番目だ。僕はきちんと部屋を確認し(だって間違えたらすごく厄介なことになるのだ。女子なんかだと目も当てられない)、窓を外からノックした。
「順平、開けろ」
伊織順平は数学の宿題を勉強机に並べはしていたものの、ベッドに寝転んで携帯ゲームをやっていた。きっとものの三十秒も、机に向かってはいなかったに違いない。僕に気付くと、渋い顔をしながらも、部屋の窓を開けてくれた。僕らは敵同士だってのに、最近は本当に妙なことになっているものだ。
「窓から入ってくんなよ。ちゃんと入口から来いって。びっくりするから」
「桐条美鶴や岳羽とエンカウントするのはあまり面白くない。真田明彦は顔を合わせたらうるさい。ハルマゲドンって結構疲れるんだ」
「中入れよ」
「ここでいい。それより順平、デートってなんだ?」
僕は窓枠に座り、足を投げ出した。そして今日中頭の中をグルグル回っていた疑問を口に出した。皇子様と同じく女子が大好きな順平ならきっと詳しく知っているんじゃないかなと思ったのだが、彼は良く分かっていなさそうな顔でいる。僕の見込み違いだったのかもしれない。
「は? そりゃ、彼氏と彼女が二人で楽しく、」
「いや、それは知ってる。男女が二人で買い物をしたり、映画を見たり、遊園地に行ったりするんだ。アホ面晒して幸せの波動を放ちながら腕なんか組んじゃったりするんだ。デート中の男はいつもすごく金持ってるから、狩るとすごく美味しい」
「いやいやいや、オイオイオイ」
「皇子様がそれをしたいって仰るんだ。なんでか俺と。俺は男だから、『デート』じゃなくて『遊びに行く』になるんじゃないのか」
順平は溜息を吐き、勉強机から椅子を引き出して逆向けに座って、背当てに肘を置いた。彼は「ちょっと待ってくれな」と言った。
「色々あんまり理解したくないけど、飲み込むまで待ってくれ。ええとまず、ひとつ。あのおとなしい黒田くんが、カップル狩りをする非行少年だとは思わなかった。ストレガの仲間だって時点ですげえ予想外だったけど」
「今更」
「うん、お前に関してはオレもう何も驚かない。たぶん。リョージに懐いてるとこ見てると、もうあんま悪いことしそうに見えねーし、それにオレっちがチドリと結婚したら、お前は義理の弟ってことになんだよな。よし、オレお前に関しては義兄弟として、何でも受け入れてやれる自信がある」
「チドリと結婚するのか? お前苦労するぞ。やめといたほうがいいって、いじめられるぞ。おやつ取られたり、パン買って来いとか言われるんだ」
「お前、ちょうつえーのになんかいっつもそんななのな。……で、リョージだよ。なに? デートって?」
「うん、デート」
僕は頷く。順平は難しい顔をして、「OKしたの?」と言う。僕は頷く。当然だ。
「俺が皇子様のお誘いを断わるわけないだろ」
「うん、訊いたオレが馬鹿だった。先生結論から言っちゃうとだね、黒田くん、男同士でデートってのは普通はしない」
「やはりな。皇子様は素晴らしいお方だが、帰国子女だからな。しょうがない」
「まあ聞けって。普通はしないけど、たまにする奴も……たぶんいる。でも多分、世間一般的に言うと、ちょこっと変なんじゃねえかな。うん、あんま見ない……と思う」
「良く分からない。世間とか一般とか言われても」
「……だよね? ストレガに普通を求めるとか、オレすごく無謀だって分かってた。とにかくま、OKしちゃったもんはしょうがねーし、うん、がんばれ。ただあれ、気ィ付けろよ。白河通りとか誘われてノコノコついてくんじゃねーぞ。お兄さんと約束してくれ。頼むから約束してくれ」
「白河通り? なんで」
「あー……なんつーか、下品なトコだからサ、皇子様……の品位を損ねるというか、なんというか」
「それは大変だ」
僕は「白河通りには近付かない」と言う。順平も念を押すように、「白河通りには近付かない」と僕の言葉を追う。この世界には、高貴な皇子様に相応しくないものってのが存在するのだ。
「あとそれ、お前、普段着……っていうか、デートにその格好で行くの? その妙に防御力高そうなやつで」
「ああ。何か問題でも?」
「大有りだっつの。腰に武器差して、お前はドコに戦争をしに行くの? デートに戦闘服着ていくのはちょっと……マズいっしょ。勝負下着とはまた別の次元でマズいっしょ」
「勝負下着? ……下着? パンツ履かなきゃなんないのかな」
「履かなきゃって、おまっ、まさか今ノーパ……い、いやっ、あのね黒田くん」
順平は忙しない動作でマガジンラックから薄っぺらのファッション雑誌を引っ張り出してきて、僕の目の前で捲りながら、「これ、こういうの」と言った。彼が言う『こういうの』がデートの際の『普通』らしい。皮のパンツや縦縞のジャケットやサングラスみたいなものがだ。
「こんなで、とりあえず真昼間から武装ってのはちょっとマズいって。黒沢さんに捕まっちゃう」
「ふうん。格好良いな、これ……うわ、この服、値段二桁違うくないか? うちの家族四人で一年食っていけるぞこれ」
「一年て、お前ら一体毎日何食ってんの……。なあ、そういやさ、そのピチピチの服ってお前の趣味? あの地味なことに掛けては他の追随を許さない黒田くんがそんな女王様みたいな格好してるトコ見ちゃったら、ガッコの奴らびっくりして卒倒するぞ」
「べつに。お仕着せだよ。俺何着ても似合うから、特に気にはしない」
「……あの妖怪からナルシスト全開の台詞が飛び出してくる日が来るとか予想外でした」
僕は首を傾げ、「変かな」と訊いてみた。
「これ結構気に入ってるんだけど、そのさ、皇子様は変だって思うかな。一緒に歩くの嫌だとか思われたらいやなんだけど」
「や、あいつがお前に関してそれはない。っつーか、こないだそのエロスーツにムラッと来るっつー話を延々聞かされ……いや、まあ、うん、結構気に入ってるみてーだったぜ?」
「そ、そうか。うん。やはりな。皇子様は分かってらっしゃる。うん、お陰で色々分かったよ。邪魔したな、順平」
僕は納得し、満足した。特に何も問題はないと思う。
変に目ざとい男なのだ。彼は、テーブルに着いて炊飯器からしゃもじで炊き立ての米を食っている僕をちらっと見るなり、「妙にソワソワしてんのな」と言った。
僕は炊飯器にテーブル備え付けの塩を掛けながら、なるだけそっけない顔を作った。今僕が明日の特別任務を控えてかなり緊張しており、またお仕えするお方に僕の能力を買っていただけたという達成感や、彼だけは僕が命をかけてお守りしなければという責任感に、アルダナ分ほど燃えているということを知られてはならない。
相手はろくでもない男なんだから、絶対に面白がって覗きにくるに決まっている。もしかしたらカップル狩りだとかでちょっかいを掛けてくるかもしれない。
「ふん。お前には関係ない」
「……聞いて欲しいなら聞いてやってもいいけど」
でも確かに、いつも僕を子馬鹿にする彼に対して、自慢してやりたい気持ちも多々あったのだ。見抜かれている。だてにこのオッサン歳食ってないなと僕は考えた。
「そこまで言われちゃしょうがないな。ちょっとだけなら教えてやってもいいだろう。俺明日皇子様とデートなんだぜ。二人で映画見に行っちゃうんだ」
「デート?」
「デート」
「お前友達と遊びに行くの、もしかして初めてじゃないの?」
すごく痛いところを突かれた。これだから大人ってのは嫌なのだ。突付かなくて良いところを、容赦なく突いてくる。僕の心を抉る。嫌いだ。
しかし今の僕には友人なんて甘っちょろいものはいらないんだから、別段それほど傷付いた訳じゃない。僕は主君への忠誠に生きるのだ。実は僕は友達に対して、結構怒っているところもあるのだ。ちくしょう、僕を棄てやがって。
「……ふ、ふん。そうでもないさ。昔は良くそういうのあったんだ。それに俺ほどの天才ともなると、ちゃんとやるべきことは分かってるんだ。待ち合わせの時間に遅れちゃダメだから、今晩は約束の場所で野営する。明日あの方と一緒にいる時に不良に絡まれたら、きっとあの方のご機嫌を損ねてしまうだろうから、今夜のうちに……」
「門限外の外出は認めません。早起きしていきなさい」
「横暴だ! 特別任務なんだぞ、俺の。寝坊なんかしたらどうしてくれる!」
「大丈夫だって、平気だって。起きて来なかったら部屋に起こしに行ってやるから」
「嘘だ! 絶対ああ忘れてたとか言って、お前いっつもそればっかじゃん。俺のセーブデータ消すし、本の栞抜くし、新聞のテレビ欄俺が読む前に鍋敷きにするし、絶対信用なんかしない」
「俺ほど信用に足る男もいないと思うけど。あの子だろ、オールバックの、泣きぼくろの、ちょっと外人ぽいあれ。裏の寮の子なんだろ。遊ぶんなら、迎えにいきゃいいじゃん」
「俺もそう思ったけど、皇子様にはきっと深いお考えがあるんだ」
「だからなにその皇子様っての。何のごっこ遊び? ああ、そう言えば俺も昔良くそういうのやった。子供だな」
「ごっこ遊びとかじゃなくて、皇子様はほんとに皇子様なんだぞ。偉いんだ。無礼なこと言ったら許さないからな」
「ハイハイ、さっさと飯食って歯磨きして寝なさい。明日早いんだろ」
「当然だ!」
分かったようなことを言うのがすごく腹が立つ。
僕は顔をその男から逸らし、釜の底を攫って米粒をひとつも残さず食べた。それからなんでこの男は米しか炊けないのかなと漠然と考えてみた。
いつだったか格闘ゲームで対戦していた時に、彼が昔学生の頃、調理実習で米の炊き方を習ったのだという話を聞いたことがあった。でも卵焼きやカレーの作り方を習ったという話は聞いたことがなかった。そのせいなのかなと思うが、何にしろ僕には関係のない話だ。食えれば何だっていい。米も卵も人参も同じだった。
僕は意気揚揚と影時間にならないうちからベッドの中に潜り込んだ。
でもその夜は、楽しみ過ぎて寝られなかったのだ。
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