まず出始めからしくじったようだった。やっぱり黙っておくべきだったのだ。いい気持ちになって、昨日兄弟に散々自慢してやったのが悪かったのだ。
「お前ら帰れよ。僕が皇子様とデートするんだぞ」
 小声で文句を言ってやっても、どうあってもはいそうですねという雰囲気じゃない。彼らは待ち合わせ場所に指定されたポロニアンモール噴水前のベンチに、僕よりも早くに来て座っていた。
 チドリはまた何とも言えない絵を描いているし、タカヤはコンビニの袋からシーチキンのおにぎりを出して、シートをジンに剥かせている。彼は不器用なので、いつものりをばらばらにしてしまうのだ。三人ともそれぞれ好き勝手なことをやっていて、僕の話をまともに聞いちゃいない。
「カオナシ、抜け駆けは良くありません。皇子様のことに関しては、我々はいつでも一心同体のはずですよ」
「せやで。ひとりで映画とか、食事とか、そんなんずるっこやと思う」
 ジンが魔法瓶から烏龍茶を蓋に注いで、早速米粒を喉に詰まらせて噎せているタカヤに差し出した。手馴れている。その様子はまるでお母さんみたいだった。
 しかしこのままじゃまるきり遠足になってしまう。僕はこれからみんなで楽しくピクニックに出掛ける訳じゃないのだ。
「お前らと一緒に昼間出歩くの、恥ずかしくてヤなんだよ。知ってるか、キてるって言われてるんだ。皇子様もお前らと並んで歩くのとか、絶対嫌がられるって。特にタカヤ。すぐそこに交番あるんだけど、大丈夫なのか? 服着てないけど」
「平気ですよ。無数の影人間が街じゅうにいるなか、裸で歩いているくらい誰も文句は言いません」
「わしは言いたいんやけどな。風邪引くて。もう寒なってきてんねんから、外出る時は上着引っ掛けえ言うてるやろ。カオナシ、お前も全然人のこと言われへん。キとる。ちうか、お前が一番ひどい。人間にすら見えん」
「死ね、妖怪」
「お前が死ねチドリ。僕のどこが妖怪だ。……皇子様は、この顔を気に入って下さってるって言うんだ。だから、これでいいもん。ともかくついてくんなよ」
「やれやれ、まるで授業参観のプリントをこっそり棄てたことがバレた反抗期の子供のようですね」
「タカヤ、さすがです。上手いこと言います」
「全然上手くない! お前らがいたらデートになんないじゃん」
「お前がデートとか言うの、ちょう気持ち悪い」
「うるさいな、皇子様がお決めになったことを気持ち悪いとか言うな、バカ」
 僕は最強だが、相手は三人だ。しかも三人とも口が良く回る。あっという間にやり込められて、僕は『ひとりで皇子様の寵愛を受けようと抜け駆けした卑怯者のカオナシ』ってことになってしまった。悪者にされてしまった。まったく面白くないので、僕は口の端にぎゅっと力を入れて、ベンチの横に座り込んだ。ベンチの上には僕が座るスペースは無かったのだ。そして膝を抱えて地面を睨み付けた。
 僕は卑怯者なんかじゃないことをなんとか彼らに理解させたかったので、何か言ってやらなければならないと思案しているところに、携帯が鳴り出した。
 パネルには『望月』と皇子様の名前が機械的に表示されていた。ああまずいなと僕は反省した。前に登録したままになっている。登録名称をきちんと『デス皇子様』に改めておかなければならない。
 ともかく僕は素早く通話ボタンを押して、「はい」と返事をする。携帯電話の向こうから、『やあ、おはよう』とまだ少し眠そうな皇子様の声が聞こえてきた。胸がじんと熱くなるような、温かな声だ。
『気付いたんだけどね、僕らの寮はすごく近いんだから、迎えに行けば良かったんだ。今どうしてる?』
「はっ。指定された地点で待機中です」
『……え? 指定って、約束の、ポロニアンモール……だね。噴水の音が聞こえる。って、まだ約束の時間の二時間前だよ? ちょ、待ってね、すぐに準備するから』
 慌しく通信が切れた。
 しばらく経って、彼は余程慌てた様子でやってきた。時計を見ると、先程の電話から十分ばかりしか経っていない。彼は待ち合わせ時間の大分前から待機していた僕や、なんでかくっついてきている僕の仲間達について、何か言いたそうな顔をしたけど、結局何も言わずに「さあ行こうか」ってことになった。彼ほどの大物になると、些細なことはどうでも良くなってしまうのかもしれない。
「うん、そう上手いふうにばっかり行くわけないって思ってたんだ。いきなり二人っきりでデートなんて、ちょっとせっかち過ぎたんだよ、きっと。あの美人で優しい黒田くんが、とっても積極的に僕のこと好きだって言ってくれるなんてのがまず夢みたいなことなんだもんね。急ぎ過ぎて嫌われちゃったら元も子もないんだ。頑張れ、僕。彼のご家族に交際を認めてもらうチャンスだ」
 皇子様は俯いて、何がしかの言葉を自分に言い聞かせるように呟き、何度か頷いて、顔を上げられた。そして僕の仲間達に(もったいなくも!)微笑み掛けられ、「ご兄弟を僕に下さい」と言った。僕は首を傾げた。皇子様は帰国子女だからか、たまに変なことを言う。
「僕はすでに身も心もあなたのものなんですけど」
「身も心も……! それは今日は期待をしても良いってことなのかな? あ、ううん、君が望んでくれればだけど」
「カオナシの言う通りです、皇子様。彼はお好きにお使い下さい。夏場は冷房、冬は暖房、降ろすペルソナ次第で調理用具にも掃除道具にも、停電時の非常用発電機にもなる優れものです。きっとお役に立てるでしょう」
「ムシャクシャした時とか、ついカッとなった時とか、サンドバックみたいにして下さい。殴ると割といい声で鳴ります。無抵抗のカオナシが殴られて泣いてる光景とか見ると、イライラがスッて消えます。私の」
「あかんてチドリ、あいつ多分皇子様にやったら何されても喜んでしまう。わしグーでゴツンとやられてニヤニヤしてるカオナシとか見たない。気色悪い。兄弟の縁切りたい」
「お前ら何を好きなこと言ってんだ。僕を変態みたいに言うな。……まあ、皇子様がそうされたいなら、いくらでも殴って下さい。それであなたのストレスが軽減されるなら本望です。僕結構丈夫なので平気です」
「い、いやそんなことしないよ! 僕は君のことをとても大切に思ってるんだから」
 皇子様は慌てて首を振り、ちょっと迷う素振りを見せた後で、僕の指の先を握った。手を繋ぐと言うよりは、指を摘んで歩くと言ったほうが良さそうな格好になった。
「……大事にするからね。そんなこと言わないで」
「? はい」
「な、カオナシ、皇子様お前にだけ特に優しいやん。もしかしたらお前のこと好きなんちゃうか」
「ば、バカ! なに言ってんだって、皇子様に失礼だろ。皇子様は皆に惜しみない慈愛を注がれる方なんだ。僕だけ特にとか、そんなことある訳ないじゃん。身分違いにも程がある」
 僕は慌てて空いた手で、小学生みたいな変な冗談を言うジンの口を塞いだ。そして皇子様に向き直り、頭を下げた。かなり面目無かった。
「すみません、うちの弟がご無礼を。彼は大分口が軽いところがあるんです。ご気分を悪くされましたよね」
「いや……もう、何て言ったらいいか」
 皇子様は溜息を吐き、「先は長いなあ」とぼやいている。そんなに機嫌を損ねてしまったのだろうかと不安を感じていると、彼は弱々しく微笑み、「いや、なんでもないよ。大丈夫」と言った。これは後でジンの奴をシメとかなきゃならない。





 ともかく皇子様は空腹を感じているようだったから、シャガールに入って朝食セットを注文した。僕は皇子様と同じAセットを選んだ。トーストに目玉焼きとグリーンサラダがついてきていた。味に関しては良く分からない。僕は何を食べても美味いとしか言えないのだ。
 清算を済ませて店を出た――が、会計は皇子様持ちで、そんなことがあって良い訳がないと僕は進言したが、皇子様はいつもの通り僕の話を聞いてくださらない。そのことで少し揉めていたところに、「よっ、奇遇。ん、何やってんのよ?」と馴れ馴れしく声を掛けられた。順平だった。
 彼は今日僕が皇子様とデートってのを良く知っているはずだったし、態度にも不自然なところがあったから、僕はすぐにああこいつは野次馬に来たのかなと思い当たってしまった。順平は全然もてなさそうな男なので、デートが羨ましかったのか、僕にくっついていたら仲良しのチドリとエンカウントできるかもしれないと考えたのか、どちらかは知らない。
 そもそも僕はチドリと仲良くできる人間なんてものを初めて見たのだ。この十年ほどの間で、彼女とまともな会話のキャッチボールを行えた人間の数は極端に少ない。彼女はいろいろといかれているのだ。そもそも僕の兄弟はみんなどこかしらいかれているのだ。キている。まともなのは僕だけだ。
「やあ順平くん」
「ほんとに、何やってんの? あからさまに怪しいカッコした集団引き連れて、お前は一体ドコへ向かっちゃうつもりなの。目指してる方向性ってのがオレっちわからない」
 とりあえず皇子様と僕らに失礼なことを言っているってことは分かったから、僕は順平の足を踏み付け、彼の傍に寄って、「お前がこういうのがいいんだって言ったんじゃん」と小声で文句を言ってやった。
「スーツだ。ネクタイにサングラスもした。どこからどう見たって完璧だろ。何が気に入らない」
「いたた、黒田くん足痛い。あのね、お前それじゃまるでホスト……というより、マフィアだ。四人揃って若旦那を警護しちゃってんだ。だっておま、それ、ないだろ。黒スーツで全員武装って、いや一人それ以前の問題の奴もいるけど、そっから間違ってんだ。ああも、オレお前の買い物についてくべきだった。失敗した」
 順平は肩を落として溜息を吐き、それからちらっとチドリの方を見て、「チドリは可愛いけど」と言った。贔屓だ。彼の目にはきっと何がしかのフィルターが掛かっているに違いない。マリンカリンとか、セクシーダンスとかがだ。だって僕と彼女のどこが違うって言うんだ。納得がいかない。
 噴水の前で立ち話をしていると、また見知った顔が通り掛った。今度もS.E.E.Sの連中だ。荒垣さんと真田明彦、それから天田とか言う小学生だった。三人だ。
 真田は僕の顔を見てすごくうずうずし始めたけど、荒垣さんに怒られて静かになった。今日は妙に聞き分けがいい。
 どうしたのかなと訝っていたら、どうやら手が荷物で塞がっているらしい。彼らは三人とも両手に買い物袋を下げていた。青ひげファーマシーのものと、駅前のスーパーのものだ。
 彼らは僕らに気付くと、順平と同じふうに「何やってんだ?」と声を掛けてきた。できれば放っておいていただきたいものだが、どうも順平のようなわざとらしさは感じられなかったから、本当に偶然通り掛ったんだろう。
「あれ、三人ともどうしたんスか。そんなすげえ荷物持って」
「今日はセール日だ」
 荒垣さんが短く答えた。実に明快だった。僕も良く「暇そうやな。手伝ってんか。お菓子一個買ったるさかい」と駆り出される。大体お買い得商品とやらは一人一個までってことになってるから、暇そうにしてる奴は呼び付けられるのだ。
「ふん、そんな訳だ。卵が割れてはかなわんから、今日は勝負はおあずけだ黒いの。残念だったな」
「残念も何も、めんどくさいからどうでもいいです。あといい加減人の名前覚える気ありませんねあなた」
 いつまで経っても僕は真田の中では『黒いの』らしいのだ。ゴキブリか何かみたいだから止めて欲しいところだが、関わりのない彼に何と呼ばれようと知ったこっちゃないんだと思い直し、もう何も言わないことにした。
 僕には皇子様さえいらっしゃれば良いのだ。彼になら、『黒いの』だろうが『ゴキブリ男』だろうが、僕は何と呼ばれたってかまわない。元々僕の名前にそう意味はないのだ。
 ふと気付くと、ジンの様子があきらかにおかしい。ソワソワしはじめた。腹でも下したのかなと思っていたら、「あかん、知らんかった」と言っている。ゴビ砂漠みたいに広い額には脂汗すら浮かんでいた。
「なにを?」
「今日セール日なんや。やばいで」
 情報通のジンが珍しいことだと僕は考えた。うちは新聞を取っていないから、広告も入らない。そのせいで見逃していたんだろう。
「どうしよカオナシ、あいつらのやる気から察して、今日は卵一パック八十九円と見たで。アホみたいに買うとるとこ見て、青ひげでティッシュも安いみたいやな。なあ、わしらの明日の為に、今こそやらなあかん時なんやないかなとわしは思う」
「……セール行きたいのか? お前ほんと主婦だよな。タカヤ、ジンがセールやって……じゃなくて、だって。感染った、むかつく」
「仕方がないでしょう。ここは我々に任せてください、ジン。我々もたまには卵のひとつも食べたいですし」
「お前らって、だからどういう食生活を送ってるの……」
 順平が慄いたようにぼそぼそ言った。





「一人、また一人と仲間が減ってゆく……これが全滅フラグという奴か」
 ジンは特売に飛び込んでいってしまった。あいつは主婦の鏡だ。セールとバーゲンが大好きなオバサンだ。
 チドリはどさくさにまぎれて順平にくっついて行ってしまった。デートらしい。どうやら僕とまた張り合うつもりらしい。むかつく。タカヤも黒沢さんという皇子様の顔なじみらしい警察官に連れていかれたので、残っているのは実質僕ひとりだ。
「恐ろしい……しかし皇子様、このカオナシ、命尽きてもあなたのお傍におります」
「そんなに仰々しく考えないで。二人っきりになれたね」
 皇子様は微笑んでいた。この恐ろしい事態に動じないなんてさすがだと僕は感動したが、そもそも初めは僕と彼が二人っきりで過ごすはずだったのだ。本来の予定通りなのだ。特に驚くことはないのかもしれない。
 彼は僕の頬を撫でて、また僕の指を摘んだ。それから少し考える素振りを見せて、僕の手を握った。
「まだ時間はあるから、少し歩かない?」
「は、ご一緒します」
「海辺の方、すごく綺麗だよね。好きなんだ。女の子たちとも良く行くんだよ」
「そうですか」
「うん、でも二人っきりで行くのは初めてかな」
「は、ご心配は不要です。護衛の数は問題ではありません。このカオナシ、たとえどんなに大勢の敵が攻めてこようと、あなたに指一本触れさせない自信があります。僕は最強のペルソナ使いです。ご安心下さい」
「うーん、僕が言ってるのはそういうことじゃないんだけど。つまりね、ええと」
 皇子様は僕の肩を掴んで、身体を抱き込むようにして、僕の頬にキスをした。そして身体を離し、僕の目をじっと覗き込んで、「こういうことだよ」と言った。
 彼は僕に何がしかの反応を期待しているようだったが、残念なことに僕にはどうすれば彼を満足させられるのか、さっぱり分からない。
 またキスだ。これは確か『ごめんなさい、もう喧嘩止め』を意味する行為だったように思うが、皇子様は良くやられる。何度も何度も『仲直り』だ。僕はそもそも彼に忠誠を誓って以来、喧嘩なんて大それたことはしていなかったから、他に意味するところでもあるのかもしれない。
 何と言ったって彼は帰国子女なのだ。僕には予想もつかない異郷の地で今まで生きて来られたのだ。僕には理解できない習慣が沢山あったって無理もないし、僕は彼を理解しようなんてとんでもないことは考えていない。
 彼は僕の主君だ。理解する必要はない。僕はただ服従し、忠誠を誓うだけだ。
「……なんでキスなんか?」
「だから、君のことが好」
 皇子様が真剣な顔をして何か言い掛けたところで、ひゅっと空気を鋭く切り裂く音がした。直後に頬に熱い感触を感じる。そして軽やかな音を立てて、長細い棒のようなものが、僕らのすぐ傍に植わっていた街路樹の幹に突き刺さった。
 ジュラルミン製の矢だ。僕は溜息を吐き、矢羽を摘んで木から引っこ抜き、棒の部分を握り締めて半分に折り、投げ捨てた。
 犯人はとても明快だった。見なくても分かる。僕が知っている人間で、弓矢なんて効率が良いんだか悪いんだか分からない武器を扱うのは一人しか思い当たらない。
「き、君っ、顔、大変だ。そんな綺麗なのに、傷でも残ったら」
「問題ありません、皇子様」
 どうやら矢尻は僕の頬を掠め、顔に傷をつけていたらしい。皇子様が青い顔をされている。
 この程度のかすり傷なんて怪我のうちにも入らないが、彼を不快にさせる訳にはいかない。僕の皇子様はとても心配性なのだ。肩を竦めてペルソナを召喚し、ディアを掛けた。
 そうやって傷を癒すところを見ていた皇子様が、「君は本当になんでもできるんだね」と感心したように言った。彼は僕のペルソナを付け替えられる能力が物珍しくて仕方がないらしい。
「それに美しいペルソナばかりだ。やっぱり綺麗な人は綺麗なペルソナを喚ぶんだね。きっと心は外見にも反映されるんだよ」
「……はい、そうですね」
 僕は皇子様の前では、絶対に怨嗟の塊みたいなレギオンや知性の欠片も無さそうなアバドンを召喚しないでおこうと心に決めた。多分ドン引きされる。
「傷が残らなくて本当に良かった。ほっとしたよ」
「は、あなたが綺麗だと仰って下さるなら、それがたとえ僕の顔だとしても傷は残しません」
 僕は頷き、矢が飛んできた方向を見遣った。もう気配は去っていた。
「岳羽ゆかりですね。昨日アイギスと共謀して何か企んでいるような様子でしたが、不意打ちで来るとは予想外でした。どうやら僕は嫉妬されているようだ」
「ゆかりさんが? 彼女はとてもアグレッシブだね」
「ええ、あなたに好意を持っているのでしょう。元々僕は彼女に目の仇にされてましたけど、あなたと二人きりで出掛けたことで嫌悪が殺意に変わったのだと推測されます。この機会に僕を亡き者にしようとしているに違いありません」
「ええっ? ゆかりさんが僕のことを? 聞いたことがないよ。こないだデートに誘ったら足を踏まれたよ。それに毎日つれない。あっ、もしかしてこういうのをツンデレって言うのかい? こないだ順平くんから聞いたことがある。なるほどねー」
「皇子様……あのメスゴリラを誘われるとは、さすがです、あなたは本当に怖いものなしだ。敬服しました……痛!」
 僕の頭に向かって、どこからか空き缶が飛んできた。慌てて振り向いたが誰もいない。気配もない。多分僕がメスゴリラとか言ったから怒った岳羽の仕業だと思うのだが、気配に聡い僕が見付けられないなんて、一体どういうことなのだ。
 やはり女子は恐ろしい。本当のことを言って何が悪い。





 ともかくどこからか見られているというのはあまり気分が良いもんじゃなかったが、僕らはしばらく海辺をふらふらと散歩した後で、今日本来の目的であるポートアイランドの映画館、スクリーンショットへ向かった。
 館内では目当ての恋愛映画が上映中で、男女二人連れが多いように見えた。おそらくデート中のカップルなんだろう。
 いつもならしまりのない顔をしたカップルなんか死滅すればいいと考えるところだが、今日は僕もデートなのだ。しかも皇子様と。
 僕らは男同士だし、ちょっとばかり皇子様が言葉の意味を履き違えられてる気もするけど、まあ彼とふたりで出掛けられるのは、それが『デート』だろうが『遊びに行く』だろうが、どちらでも素晴らしいことだと思う。
 今の僕は誰にでもすごく寛容になれる気がする。いつもは殺意しか感じないカップルに対しても、まあ許してやるかという気分になれた。主人に必要とされた今の僕の方がまず間違いなく幸福を感じているからだ。
 館内ではいくつか他の映画も上映されていた。僕としては仁侠映画や怪獣が暴れ回るアクション映画が見てみたかったのだが(何たって入口でチケットを切って映画館に入るなんてはじめてのことなのだ)、皇子様の趣味に口を挟むことなんて許されない。彼は恋愛とか女子とかが大好きなのだ。
 館内は薄暗く、少し湿っていた。僕は畏れ多くも皇子様に買ってもらったマスタード抜きのホットドッグとシナモン味のチュリトスを静かに食べ、彼のキャラメルポップコーンを半分分けて貰った。皇子様は朝食を食べたばかりであまり腹が減っていないらしく、僕がものを食うところをにこにこしながら見ていた。
「気持ちが良い食べっぷりだね」
 カップのきっちり半分のキャラメルポップコーンを空けて、ストローに噛み付いてラージサイズのコーラを飲んでいる僕を見て、彼は感心したように「すごいね」と言った。
 コマーシャルが終わり、始まった映画本編はとても当たりさわりのない内容だった。
 田舎の町が舞台で、廃校寸前の学校に赴任してきた男性教師が、夜回り中に出会った女幽霊と恋に落ちるというシナリオで、派手な音楽やカーチェイスや巨大怪獣もなく淡々とストーリーが進められていた。
 他人の恋愛ほど見ていて退屈なものは存在しない。僕はうっかり何度も寝落ちそうになったが、皇子様の手前なんとか耐えきった。せめてバトルがあればな、と考えた。
 でも皇子様の方はどうやら随分と感じ入ったらしく、ストーリーが終盤に差し掛かる頃になると、嗚咽を零しながらハンカチで涙を拭いていた。たまに鼻水をすする音まで聞こえてきた。彼はやはり価値観やものの考え方ってのが、普通の人間とはちょっとズレているらしい。なんたって、この僕に対して美人なんて言葉を使われるひとなのだ。
「皇子様、大丈夫ですか? よろしかったら僕のハンカチもお使い下さい」
「うっ、ごめ……ごめん、ねっ」
 彼が二枚のハンカチでぐしゃぐしゃになった顔を拭っているところなんかは、ちょっと微笑ましいって言ったって良さそうだった。まず間違いなく宣告者とかデスとか言ったものとは遠いところにあるように見える。まるで子供みたいだった。
 人間には大体二種類の泣き方があるように僕は思う。ひとつはつい「うるさい」と怒鳴りつけてしまいたくなるような泣き方、もうひとつは「泣くなよ」と涙を拭ってやりたくなる泣き方だ。皇子様の泣き方は間違いなく後者だった。
 僕はその時なんだか得体の知れない懐かしさを感じた。『まったくしょうがないな』って感じのものだ。僕は彼のしもべなんだから『しょうがない』はないだろうと思うが、何にせよ放っておく訳にはいかない。
 僕は皇子様の手からハンカチを受けとって、涙でぐちゃぐちゃの顔を拭いて差上げた。彼は子供みたいにされるがままになっている。身体こそ僕よりも少し大きいが、彼はまるで本当に小さな子供みたいだった。
「もう泣かないで下さい。カオナシがお傍におりますから」
「うっ、ん。君はっ、君は僕を置いて消えちゃったりはしないよね?」
「まさか、ありえません。僕は死んでもあなたをお守りします」
 スクリーンではヒロインの少女がお別れの言葉を述べて姿を消したところだった。皇子様はどうやら物語に頭から入り込んでしまい、劇中の出来事を自分の身に照らし合わせてしまったらしいのだ。
 まったくいい加減にしてくれと僕は映画の監督だか製作会社だかに言ってやりたかった。皇子様を泣かせるなんて許せない。後でアンケート用紙に『バカ』と書いて投書してやる。
 映画が終わっても、皇子様はしばらくぐずぐずと鼻を鳴らしておられた。「大丈夫ですか?」と聞いたら、「うん」と返事が返ってくるのだが、通りすがりの人間が好奇の目で泣きじゃくる皇子様と彼を宥める僕を見ながら過ぎていく。
 僕はキている兄弟たちのせいで、そういう目に晒されることには慣れてしまっていたが、皇子様まで変な目で見られるのはなんだか嫌だった。
「場所を変えましょう」
 僕は皇子様の手をそっと取って、できる限りの優しさと労わりを込めて声を掛けた。そういうものとは無縁の世界で生きてきた僕が言うと、我ながらなんだか嘘っぽく聞こえた。慣れていないのだ。
「どこか休憩できるところがあればいいんですが」






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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜