「本日のあなたの不埒な作戦行動は、まったく目に余るものでした。よって強制送還します」とアイギスさんが言った。
 「そんなあ。せめて彼を寮まで送っていかせてよ」と僕は命乞いをした。
 黒田くんを寮まで送っていくことに関しては、アイギスさんも異存がないようだった。だけど、その後が問題だったのだ。楽しいデートから巌戸台分寮に連れ戻された後で、そりゃもうひどい目に遭った。
「死んでください。できるだけ苦しんで死んでください。それが私の贖罪になります」
 アイギスさんに殴られた。
「あんたって奴は、絶対許せない。よりによってあの子に手を出すなんて、絶対許せない」
 ゆかりさんにも殴られた。たまに蹴られた。
 風花さんは「まあまあ」と荒れ狂う二人を宥めてくれた。彼女は優しい。とてもいい人だ。僕は女の子たちにどうやらとんでもない勘違いを受けているようだぞと思い当たったので、「誤解だよ!」と叫んだ。
「な、なんにもしてないよ! なんにもしてない、ほんと、まだ。そりゃしようとはしたんだけど、あの子はそういうのダメなんだ」
「あんた、初対面の女子をまず白河通りに誘って食っちゃう男って有名なんだけど」
「なにそれ? そりゃ食べられるものなら食べたいとは思うけど、僕はあの子にはもう、け、け、結婚するまで手は出しません! だって、お腹にチューしたら赤ちゃんがデキちゃうとか、真顔で言っちゃう子なんだよ? 彼は本気だったよ。そんな、そんな子に手を出したりできる訳がないじゃないか!」
 僕は叫んだ。慟哭と言ったって良かったかもしれない。それで、ゆかりさんもアイギスさんもぴたっと手を止めた。
 彼女たちは一瞬顔を見合わせ、僕を見て、「マジで?」と言った。僕は頷き、「マジで」と答えた。
「え……なにそれ、あの子十七でしょ? 私達と同い年でしょ? ホントだったらそれ、何ていうか、……言っちゃ悪いけどかなりキモいんだけど。正直引く」
「不健全だと思われます」
「うん、不健康だよね……ちゃんと教えてあげた方が良かったのかなあ」
 あんまり突飛なことを言っちゃったせいか、いつのまにか空気は微妙にお許しモードになっている。そこに、チドリさんとデートをしていた順平くんが帰ってくる。
 「ただいまあ」と声がして、その声があんまりくたびれていたから、どうしたのかなと思って見ると、彼はやっぱり顔も身体もくたびれているようだった。僕らの方をちらっと見て、ラウンジのソファに倒れ込み、すごく大きな溜息を吐いた。
「どうしたんだい、順平くん。ふられたのかい。確かにチドリさんは君には不釣合いなくらいの美人だよね」
「縁起でもねえこと言うなって。いや、そーいうんじゃなくってサ。なんつーか、色々あって。……オレっち、あの子には、結婚するまで手ェ出せねえわ。あんなまっさらな子、オレ初めて見た。マジな話」
 なんとなく、ちょっと、彼に共感した。僕は溜息を吐いた。ゆかりさんも吐いている。アイギスさんは「理解しました」と言っている。うん、僕も理解したよと彼女に心の中で応える。
「……お腹にチューしたら、赤ちゃんデキちゃうって?」
 僕は何気なく言ってみた。それを聞くなり、順平くんはいきなり真っ赤になっちゃって、がばっとソファから起き上がり、僕のほうをすごい顔で見た。彼は「何ソレ、おまっ、まさか見てたの!? ハズカシー!」と両手で顔を覆って、僕らから顔を背けている。
 どういうシチュエーションでそうなったのかは知らないけど、ともかく僕はもう一度溜息を吐いた。ゆかりさんが「ストレガはもうダメだわあれ」と言う。僕も、もうダメだあれという気分になった。可愛いけど生殺しだ。







 ここ数日、うちの寮生の雰囲気がちょっとよそよそしい。ちょうど例の天文台での騒ぎがあった夜からくらいだ。黒田くんと彼の仲間たちが僕のことを『皇子様』と呼ぶようになってからだ。
 理由はたぶん僕のペルソナ能力だかなんだか分からないけど、そういうもののせいだと思う。「その……大丈夫なの?」とあのゆかりさんに気を遣われてしまったり、「どっか痛いトコとかねぇの?」と順平くんに心配されたりもした。
 正直あの夜のことは頭に霞みが掛かったようになっていて、あまり思い出せない。そして思い出したくもない。人の、それも大好きな人の身体に包丁を突き立てる感覚なんて、普通は覚えていたくないだろう。
 さりげなく何度か美鶴さんに検査を薦められたりもしたけど、それは黒田くんが許さなかった。彼はいつも僕の傍にいてくれて、僕を守ってくれる。それが僕にとって危険なものや嫌だと感じる物でなくても守ってくれる。つまり彼は巌戸台分寮生が嫌いで、彼らと僕が関わることを良く思っていないらしいのだ。彼らが僕にとって良くないものだという。
 「お前らバカですか?」と彼は言う。「このお方を検査? 実験動物みたいに? おこがましい。身のほどを知れピエロどもめ」とあの美鶴さんや真田先輩相手に言う。彼に怖いものなんてないのかもしれない。
 僕はあんまり物事を深く考える方じゃない。自覚をしているし、他の人からも良く言われる。それでも人並みに気になることは気になる。まるで自覚は無かったんだけど、あの夜僕自身の身体が、まるで悪い夢に出てきそうな怪物の姿に変わったらしい。それはさすがの僕もまあいいやでは済ます気にはなれなかった。
「君たちは何を知っているの?」
 中庭で昼食を取っている時に、僕は思いきって一緒にいた黒田くんに聞いてみた。彼はいつも僕の傍にいる。そして彼の仲間達もいる。どうやらいつのまにか『抜け駆けはなし』とルールが決められていたらしい。だから最近僕は黒田くんと二人っきりで過ごすことができないのだ。こんなこと言っちゃ僕に親切にしてくれる彼らに申し訳ない話だけど、ちょっと残念だ。
 黒田くんはさっき僕が買ってあげたメロンパンをほんの二口で食べてしまって、パックのフルーツ牛乳に差し込んだストローを少々行儀の悪い音を立てて吸い、すべてを喉の奥に流し込んでから、「はい」と頷いた。ものを口の中に入れたまま喋るのは、僕に失礼になるらしい。
「何でも聞いて下さい。僕が知りうる限り何でもお答えします。あなたにだけは、僕は嘘を吐きませんから」
「その通りです、皇子様。何でもお聞き下さい。数年前までカオナシが布団に壮大な地図を書いていたお話や、つい先日私がトイレでうっかり寝落ちした際に彼が膀胱を制御しきれなくなったお話など、嘘偽りなく詳細をお話しましょう」
「うわああ! おまっ、タカヤ! 皇子様の前で何てこと言ってんだ! なんでそう下品な話を、なんで僕の名誉をそうやってズタズタに引き裂くんだよ!」
「お前そんなめんどくさい卑猥な服着てるのが悪いのよ。一人前に格好つける前に、尿意の管理くらい自分でできるようにしたら」
「お前らやめえて。昼飯時にしかも皇子様の前でなんちう話しとんの。タカヤもチドリもやめたり、カオナシまた泣いてまうで」
 白戸くんが、膝を立てて顔を埋めて静かになってしまった黒田くんの頭を撫でて、「ああよしよし、泣かんでええて、ガマンし、皇子様の前やで」と宥めている。彼らは僕の寮の仲間達に負けず劣らず仲良しだ。お互いに友達って感じはしないけど、特別に親密な繋がりを感じる。兄弟だって聞いたことがある。本当かどうかは知らないけど、僕は羨ましくなった。兄弟。とても素敵だ。僕は一人っ子だから、そういうものにとても憧れてしまう。
「ところで皇子様、『何を』とは、どう言った情報を示すのでしょう?」
「あ、うん。君達はなんで僕に親切にしてくれるのかな。なんだか僕の寮のみんなとは、君らあまり仲が良くないみたいなのに、僕だけ」
「皇子様はあいつらに騙されているんです。あんな奴らと一緒にいることはないんです」
 黒田くんが膝から顔を上げて、怒ったふうに言った。目は潤んでいたけど、泣いてはいなかった。
 やっぱり『ストレガ』と『S.E.E.S』の仲は良くないようだ。僕は頷き、「僕はあまりものを知らないんだ」と彼らに正直に話した。
「影時間てものを知ったのはつい最近のことだし、シャドウとかペルソナとか、そういうの良く分からないんだよ、正直な話。君たちは前に……ええと、僕がペルソナを発動……って言って良いのかわかんないけどね……した時から、僕のことを『皇子様』って呼ぶ。でも僕はどこかの王族の血を引いていたりする訳じゃないよ。そんな話聞いたこともない。僕はどうしても僕のことを『皇子様』だとは思えないんだ。だから良ければ僕に分かるように説明してくれるとありがたいんだけど」
「皇子様は皇子様だから皇子様なんです」
「うん……ごめん、良くわかんないや……」
 黒田くんが真顔で当たり前みたいに言う。でもそれは何の説明にもなっていないような気がしたし、僕にはやっぱり理解することができなかった。
 さすがにあんまりだと思ったのか、いつもは静かに黒田くんたちの言動を見守っている榊貴先輩(彼も僕になんでかかしずいてくれるんだけど、三年生なので僕にとっては先輩に当たる)が、「カオナシ、皇子様が困惑しています」とやんわりと助け船を出してくれた。
「貴方は筋道を立てて話す癖をつけるべきですね」
「タカヤ、カオナシの可哀相なおつむに無理言ったら可哀相」
「学年トップに失礼なことを言うな、バカ。僕だってそのくらいできるさ。つまり、ええと……皇子様が先日召喚……というか変身したというか、そのお姿がですね、失われた十三番目のアルカナを持つ、滅びを約束する宣告者そのものだったんです。死神『タナトス』と僕らは呼んでいます。神話などの面倒臭い話ははしょってしまいますが、それが意味するところはヒトが死に向かう本能。つまり死そのものです」
「随分と物々しいね。どうして君は僕のペルソナにそんなに詳しいんだい」
「その……タナトスは僕のペルソナですから」
 いちご牛乳を飲みながら訊いたら、すごく意外な答えが返ってきた。「え?」と訊き返すと、黒田くんはすごく申し訳なさそうな顔つきで、「正確には僕ともう一人の僕のペルソナです」と言った。
「二人で一緒に召喚するんです。だからその、僕もしかしたら、あなたがあの子の生まれ変わりなんじゃないかって」
「カオナシ、皇子様に失礼ですよ」
「わ、わかってるよ、うるさいな。……その、ちょっと考えてしまって、すみませんでした。ほんとにタカヤの言う通りだ。あなたに失礼ですね」
「ううん」
 僕は首を振り、「いいよ」と頷いた。黒田くんの頭に触って何度か撫でてあげると、彼は良く慣れた猫みたいに目を閉じて、「恐縮です」と言った。猫みたいに喉が鳴ってもおかしくないなあと僕はこっそり考えた。
「十三番目のアルカナは十年前に行方不明になったんです。みんなデス皇子様を探していました。金持ちの社長や頭のいかれた研究者です。僕らを造ってまでして、なんとかあなたの行方を突き止めようとした。でも見付けられなかった。みんなあなたを強く望んでいて、分不相応にあなたになりたいと望む者もいました。ですがたとえ世界中があなたを求めて手を伸ばしても、あなたの赦しが無い限り、僕が指一本触れさせません。あなたは僕らがお守りします」
 黒田くんはすごく真剣な顔をしていたけど、言っていることはあまり現実味が無かった。言葉の使い方を間違っていなければ、こういうのを確か『宗教入ってる』と表現するんだったと思う。
「うーん、気持ちはすごく嬉しいんだよ。でもちょっとなんていうかね、人違い……じゃないのかなあ? だって僕はそんな大それた奴じゃないんだ。普通の高校生だしさ、十年前も確か普通の子供だったと思うよ。普通皇子様って言ったら、自分が皇子様だってことをちゃんと知ってるんじゃないかな? 僕はなんにも知らない。ほんとに知らないんだ」
 僕は黒田くんのことは好きだけど、こういうふうにまるで神様みたいに扱われるのはちょっと馴染まない。一緒に並んで「帰りにシャガール寄ってかない?」「いいな。俺クリームソーダ」とか言う話をしているのがちょうど良いくらいだと思う。
 だからと言って本当に人違いだったとして、黒田くんが僕以外の誰かにこうやって『皇子様』とかしずいているところを想像すると、気分が悪くなる。それは勘弁して欲しい。
 僕は随分混乱しているのだ。さっきから考えていることがグルグルと頭の中を巡る。しかもばらばらだ。
「どうやら皇子様は少々不安定のようですね」
「おいタカヤ、皇子様に何か文句あんのかよ。お前後で校舎裏に来い」
「本当のことを言っているんですよ。能力の不安定が、彼の精神をも不安定にしているようです。おそらく彼が知りたいのは、能力の発動方法、そしてそもそもデスとは何なのかという根本的なことでしょう。我々が知りうる知識では、彼を納得させるには少々足りないかもしれません。カオナシのように思考停止するのは簡単ですが、皇子様は幼稚園児と同程度の健やかな頭脳を持つ貴方よりも随分と論理思考のようです」
「タカヤ、皇子様とアホの子のカオナシを比べるのは、いくらあなたでも如何なもんかと思います」
「それもそうですね、ジン。反省しました」
 ちょっと聞いているだけでもすごくひどい言われようだ。榊貴くんもチドリさんも白戸くんも、黒田くんに容赦なしだ。兄弟ってのは本当に遠慮がない。
「……それ僕を貶め過ぎじゃないか」
「バーカ」
「チドリがバーカ」
 でも傍で見ていると結構微笑ましいのだ。僕も兄弟が欲しいなと大分真面目に考えてしまった。
 黒田くんとチドリさんがじゃれている横で、榊貴くんが白戸くんに「レポートはどうなりました?」と訊いている。宿題か何かの話だろうか。僕には何のことか見当もつかないけど、白戸くんは溜息混じりに、残念そうに頭を振った。
「あかん、オッサン捕まった時に、大方桐条に持ってかれてもたわ。どっか仕舞い込まれてしもたんか、前潜入した時も見当た――
「バカ、しー!」
 チドリさんと不穏な空気になっていた黒田くんが振り向いて、何か言い掛けた白戸くんの口を慌てて塞いだ。白戸くんも「アッ」という顔になって、「なな、何でもないんですわ!」と叫んだ。あからさまに何でもなくはない様子だったけど、僕が何か言う前に黒田くんが「つまり、皇子様はご自分について詳しく知りたいと仰られるんですよね」と早口で言った。順平くんに『常時空気詠み人知らず』と評される僕でも、さすがに話題を変えようとしていることをありありと悟ることができた。そのくらい露骨だった。
「あ、……うん」
「お任せ下さい。このカオナシ、全てあなたの望み通りに」
 黒田くんが、自信ありげににっこり微笑んだ。







 寝入りばなに僕の部屋のドアを、誰かがかなり勢い良くドンドン叩いた。目を擦って枕と頭を引き剥がして、「だれ?」と返事をすると、廊下の方からかなり慌てているらしい声が聞こえてきた。
「皇子様、夜分遅おにすんません」
 白戸くんだった。彼が一人で僕の部屋を訪れるのは、とても珍しい。初めてかもしれない。
 彼はいつもお兄さんやお姉さんの背中の後ろに隠れているようなところがある。引っ込み思案そうなところは、学校での黒田くんに良く似ていた。
「うん、どうしたんだい?」
「ゆっくり話、してる時間ないです。こっから離れ……あああ、」
 絶望したようなうめき声が聞こえる。「あいつら大丈夫かいな」と言う。随分混乱しているらしい。
「タカヤとチドリが抑えてますけど、そう長おは持たんです。急いで下さい」
 そして上擦った声で、理解するのにかなり時間が掛かりそうなことを言ったのだ。
「カオナシが、あんたがたも殺しにきます」






<< トップページへ戻る >>

管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜