彼は退屈そうにしていた。でも僕が顔を出した時に驚いた顔はしなかったから、僕がここへ来ることは予想していたろう。
 まず格子付きの扉越しに、にこやかに微笑んだのだ。それから「やあ」と言った。それきりだ。僕を責めることも、現状を嘆くこともしなかった。ただ黙ってテーブルにカードを並べていた。一人でカード遊びってのは、随分つまらないことだと思う。僕もやったことがあるから知っている。
「何か聞きたそうだね?」
「まあ」
 僕は頷いて、扉にもたれて座り込み、見張りをやっていた警備員の脚を蹴っ飛ばした。完全に伸びている。桐条の社員証を胸のポケットにクリップで挟んでいた。
 僕は社員証をクリップごと取り外し、僕の胸に着けようとしたが、あいにくと僕の戦闘服には胸ポケットがついていない。諦めて元に戻しておいた。
「あの彼のことかい」
「僕は来るべき滅びを呼ぶために現れる、あるはずのない十三番目のアルカナを持つシャドウ、宣告者デス皇子様を命をかけてお守りするために造られました。それが僕の存在理由です。だから僕はあるはずのない十三番目のアルカナを持つペルソナ使い、望月綾時様を命をかけてお守りします。それが僕の存在理由だからです」
「迷いを感じているんだね。声でわかるよ」
「デス皇子様にお仕えすることが僕にとっては当たり前のことで、それが最高の名誉なんだと思っていました。僕は皇子様のご命令を忠実に遂行します。以前僕があなたをデス皇子様だと認識していた時に、あなたの命令を忠実に遂行していたようにです。僕は世界の滅びをデス皇子様と共に見届けた後、その手にかかって殺される日まで、彼と共にあります。彼の怒りは僕の怒り、彼の混乱は僕の混乱、彼が迷われる時は、僕も共に迷います。――デスとは何なんですか? 僕は『ともかく抗いようのない絶対的なもの』と教えられました。しかし今知りたいのはそんなものじゃない。デスとは何者か? どこから来たのか? 彼に与えられた役割とは何か? どうやって力を振るうのか? そもそも彼はどんな力を持っているのか? 多分一番良く知っているのはあなたです、幾月さん。デス様になりたがった貴方です」
「テレビが壊れているんだ」
 幾月さんは、急にそんな見当違いのことを言い出した。やはり彼の頭の構造というものは良く分からない。おかしな駄洒落と間違いだらけの宗教じみた思想が詰まっているのだ。僕は人の頭の中を覗ける能力がなくて良かったと、心底ほっとした。この人の頭の中身なんて覗いてしまったら、いくら僕でも発狂しそうだ。
「答える気がないなら、別に構いません。まあ、すぐにその気になると思いますが。拷問に関しての僕のセンスを誉めて下さったのはあなたでしたよね」
「残念だよ、カオナシくん」
 幾月さんの声は本当に残念そうだった。彼は僕だけは何があっても裏切らないと信じていたのだろうか?
 少し具合が悪くなるが、それに関してはおあいこという奴だ。彼はずっと僕を騙し続けていたのだ。彼はただの人間で、戦闘能力に関してはペルソナ使いの僕の足元にも及ばない。
「はい、そうですね」
 僕は頷いた。監禁されている幾月さんも、「うん」と言った。部屋も廊下も壁も何もかもが真っ白で、乾いていて、薄寒い場所だった。
 ここは刑務所じゃない。桐条グループ系列の病院だ。それも精神病院という奴だ。階層ごとに頑丈な鉄の扉が設置され、内からも外からも立ち入りを塞いでいる。鍵が無ければ移動もままならない。泣き叫んでも暴れてもどうにもならない。
 影時間の関係者たちは、法で罪を裁かれることはない。何故かは分からないが、影時間中の犯罪自体が無かったことになるからだ。ただ影時間中も元気に権力を振りかざす連中に捕まると、こうやって世間から隔離されて監禁される。見たことは無いが、刑務所の方がきっとましだと思う。
 僕らもしくじれば同じような目に遭うのだ。ペルソナを抑制されて、辛気臭さにかけては世界一を誇れるくらいに辛気臭い部屋の中でベッドに縛り付けられる。考えたくもない。
「斜めから叩くと直るって言うじゃない? でもダメだった。ラジオもないんだ。修理屋さんも来ない。外の情報は一切入ってこない。新聞もないんだよ。信じられる?」
「そりゃ大変そうですね」
 僕はもう一度頷いた。話し相手がいなくて寂しかったのは理解出来るが、このままだとまたやるせない駄洒落の餌食にされる。とりあえず何かバステでも付けてやるべきかなと考えていたら、幾月さんがまた変なことを言い出した。
「残念だよ、ニュースが見られないじゃないか。君のお友達と、君の敵と、それから偽物の皇子様が『事故死』したって放送が見られないんだ。すごく残念なことだよ」







 僕の部屋の壁が外から崩された。この間備品を分けてもらった月齢入りのカレンダーが、力なく床に落ちるなり発火した。そして炭も残さず消滅した。
「索敵完了」
 とても馴染んだ声が聞こえた。彼は外から瓦礫を蹴っ飛ばして僕の部屋に入ってきた。ひょろっとした猫背の身体、そして美しい顔。思った通り黒田くんだ。でもこれはいつも行儀が良い彼らしくない。
 白戸くんはお兄さんの黒田くんを見て、「げ」と顔を引き攣らせている。おかしいなと思って顔を上げたら、黒田くんと目が合った。それであれっと思ったのだ。目が死んでた。
「逃走したペルソナ使いの一体を発見。加えて仲間と見られる一体を、粛清リストに追記しました。ただちに殲滅します」
 黒田くんがアイギスさんよりも感情の篭らない声で宣言した。彼が召喚器を頭に突き付けたのと同時に、僕は白戸くんにパジャマの襟首を掴まれて引っ張り上げられた。そのままベッドから引き摺り降ろされて、部屋を飛び出した。たまに思うんだけど、小柄で痩せている彼らのどこにこんなすごい力があるって言うんだろう。
「何事だい?」
「つまりです、カオナシの奴がいかれてしもたんですわ。まああいつがおかしいのは今に始まったことやないんですけど、例えるんやったら、えーと……キてる具合がいつもがメギドやとしたら、今はメギドラオンです。わしあんまりこういうの上手いこと言われへんから申し訳ないんですけど」
「うん、良くわかんないよ」
「えらいすんません。今のカオナシは見境なしなんですわ。他の奴らはどうでもエエけど、あんただけは守らんとあかんってタカヤが言うんです。無事やとエエけど」
「うん、良く分からないよ。僕らは黒田くんが怒るようなこと何かしたっけ?」
 僕は白戸くんに引き摺られながら思い当たることを探ってみたけど、何もない。今日のお昼は仲良くやれていたはずだ。あの可愛い顔で笑ってくれていたから間違いない。
 ただ今日はちょっと用事ができたとかで、夕食を一緒に取れなかったのだ。黒田くんがいなかったから、今日の食事当番は白戸くんだった。すき焼きだった。「今日は一人よお食う奴がおらんからちょっと奮発しました」と言っていた。相変わらず黒田くんの扱いがひどい。「それかな」と僕は怖々言った。
「一人だけすき焼きが食べれなかったから、すごく怒っているんじゃ……」
「さもありなんです。あいつの食い意地の汚さは他の追随を許さへんです」
 白戸くんは「アッ」という顔をして、頷き、そして背後で僕の部屋の扉を蹴り飛ばした黒田くんに向かって、「カオナシ、すまんかったて!」と呼び掛けた。
「そんな怒りなて! 確かにわしらも悪かったけど、それな、お前の方にも非はあるんやで。お前いっつも食い過ぎやねん。大体お前味に文句は付けへんのが取り柄やねんから、すき焼きやろうがお茶漬けやろうが何でも一緒――
「ペルソナ使いは、完全に殲滅する」
「ありゃあかんわ」
 黒田くんは聞いているそぶりも無かった。白戸くんは早々に説得を諦めたようで、「逃げましょ、皇子様」とまた僕を引き摺る。なんだか僕は前にも誰かに廊下を引き摺られて行ったことがあるような気がする。
 階下に降りると、寮の入口に、所々煤けたり焦げたりしている榊貴先輩とチドリさんがいた。二人共随分くたびれているようだった。
 彼らは僕を見て、「ご無事のようで何より」と安心したようだった。でも僕としては、黒田くんがどうしてあんなふうに妙に暴力的になっているのかということの方が、僕の『ご無事』よりも重要だった。
「ねえ、あの子何があったの? 怒っているのとはちょっと違うみたいだったけど」
「はい、今は彼多分何を言っても聞きません。完全に我を忘れています。先程手持ちのキャラメルをばら撒いてみたのですが、見向きもしませんでした。普段のカオナシでしたら、食べ物を粗末にするなとプリプリ怒りながら地面にはいつくばって、ひとつ残らず拾い集めているはずですからね」
「こっちも、ねずみ取りにプリンを仕掛けてみたけど、引っ掛からなかった……あいつ、いつものカオナシじゃない。いつもならはさまって泣いてるはずよ」
「黒田くん……あの子ほんとに見た目と中身のギャップがすごいよね……」
 いくらなんでも彼らは黒田くんを馬鹿にし過ぎだと思う。何か黒田くんの名誉になることを言ってあげたかったが、確かにそういうこともあるのかもしれないとふと考えてしまい、何も言えなくなった。つまりはいつくばってキャラメルだったり、プリンで鼠取りだったり、そういうことだ。
 黒田栄時くんという人は、ちょっとそういうところがある。学年トップでスポーツ万能、容姿端麗、文武両道、でもやっぱりこの世に完璧な人間なんてきっと存在しないのだ。つまるところ、やっぱり黒田くんも、彼の能力に見合った犠牲というものをきちんと払っているわけだ。
 それも最強で天才で絶世の美人という、絵に描いたような『見た目の』完璧さを手に入れるために、彼は結構大いなる代価を支払っているのだ。念の為に言っておくけれど、僕は彼のことを世界で一番愛している。念の為。
 僕よりも随分長い時間を黒田くんと過ごしてきた彼らの言うことに、きっと口を出すべきじゃないのだと思い直し、僕はもう何も言わないでおくことにした。きっとそれが一番いいのだ。
「タカヤ、どうする?」
「しばらく様子を見ましょう。以前の彼の体力は底なしでしたが、最近何故か割と有限ですから」
「このまま心臓麻痺とかで死んでくれたら一番いいと思う」
 ペルソナを召喚して、なんでか分からないけど暴れ回っている黒田くん相手に様子見っていうのは、ちょっと呑気すぎるんじゃないかなと僕は考えたが、すぐにああなるほどと思い当たることになった。
 寮の二階の窓から、眩い光が零れてきた。直後に鼓膜が破れそうな爆発音が聞こえ、悲鳴が聞こえた。多分順平くんのものだったと思う。僕らのほかにもペルソナ使いは沢山いる。ストレガたちはそのことを言っていたんだろう。
 でも僕としては仲間が襲われている訳だから、すごく複雑だ。放っておくわけにはいかないが、僕は非力なことにかけてはちょっと自慢ができるくらいなのだ。ありえない話だけれど、怒った黒田くんともし喧嘩なんかしたとして、三秒間立っていられる自信がない。あの真田先輩だって、十秒も持たなかったのだ。
「夜襲か。ちょうどいい、今晩は身体が疼くと思っていたところだ。いいだろう、来い黒いの! 俺が相手になってやる!」
「ハルマゲドン、発動」
「アキ――――!」
「真田サァアン!」
「…………」
 窓を突き破り、真田先輩が僕らの傍に落ちてきた。彼はぼろぼろもぼろぼろだった。でも最近はこの光景になんだか馴染みつつあるのが、自分でもちょっとどうかなと思う。
「ふ……やるな……黒いの。しかし……俺は負けていない……いずれ第二第三の俺が貴様を倒すだろう――
「まだやる気なんですか、先輩。僕には残念ながらそのガッツはないです」
「ん、望月か。おい、お前が退屈凌ぎにけしかけたんじゃあないだろうな」
「まさか、そんなことしませんよ。僕にも何が何だか」
 僕は首を傾げた。真田先輩はペルソナを喚んで傷を癒し、今しがた彼が落っこちてきた窓を見上げた。僕も見上げた。そこには、危なっかしく佇む黒田くんがいた。無感動に僕らを見下ろしてきている。
「黒田くん、危ないよ! そんなとこ、早く降りて!」
 僕はかなりひやひやしながら忠告した。でもやっぱり黒田くんに僕の声が届いている気配は無かった。
 ゆらっと身体か傾いた、と思ったら、次の瞬間には寮の入口のドアの前にぼうっと突っ立っている。まるで幽霊みたいだ。とらえどころがない。
「おいお前ら、ストレガ! 最近おとなしくしてると思ったら、こりゃどういうつもりだ!」
「誤解やて、わしらもカオナシの乱心に困ってんねんから!」
「ジン、我々は元々相容れない者同士です。身内の問題事を説明することはない」
 榊貴先輩が白戸くんを軽く窘めて、ペルソナを召喚する。召喚器もなしにだ。発育不良の植物の芽みたいな形状の、ちょっと気味が悪いペルソナが彼の背後にふっと現れ、黒田くんを白い光の柱で包み込んだ。
「黒田くん!」
「下がっていて下さい、皇子様。ご心配には及びません」
 黒田くんに駆け寄ろうとしたところで、榊貴先輩にパジャマの裾を掴んで引き止められた。彼に続いて、白戸くんとチドリさんが召喚器で頭を撃ち、顕在化したペルソナで火を放つ。あの子の小柄な身体が、轟々と唸る炎の渦の中に呑み込まれていく。僕は思わず悲鳴を上げたが、黒田くんの仲間達はまったくの無反応だ。じっと静かに燃え盛る火柱を見つめている。
 やがて炎が消える。僕はそこで、ああなるほどと理解した。彼のことを心配している場合じゃないのだ。メギドの火に焼かれても、アギダインで火葬にされても、黒田くんには傷ひとつつかない。服の端すら煤けていない。彼は平然と立っていて、人形みたいな目で僕らのことをじっと見つめてきていた。
「ジン、作戦は?」
「海に飛び込むんから、海外に高飛びするやつまで、幅広いプランがあります」
「つまり逃げるのね。あのアホのカオナシ相手に、なんだかすごい屈辱」
 チドリさんが舌打ちする。そうしている間にも、順平くんにこの前貸してもらったゲームに出てくるゾンビみたいにゆらゆらと頼りない足取りで、黒田くんが僕の方へ歩いてくる。
 これだけ騒いでいたんだから無理もないけど、僕の仲間たちも寮の外に出てきた。皆結構夜更かしをしていたらしく、パジャマなのは僕だけだ。
「望月!」
 美鶴さんに名前を呼ばれて、何かを放って寄越された。慌てて受取ると、ずっしり重い。召喚器だった。
 僕は驚いて美鶴さんを見たが、彼女はさっさと僕から目を離して黒田くんに向き直っていた。お得意の氷結能力で黒田くんの足元を凍らせ、動きを止めようとしたらしいけれど、そもそも黒田くんにはまともに攻撃が届かないのだ。良く見ると小さな球体のようなものが、淡い光の尾を引きながら、彼の身体の周りをくるくると巡っている。あれは何だろうと訝っていると、白戸くんが「わしもよお知らんのですが、お守りみたいなモンらしいですよ」と教えてくれた。
「なんでもこないだ学校で女子に苛められた時に、知り合いの青い猫みたいな奴に「なんかいじめられない道具出してよ」ちうて泣き付いたら、出してくれたらしいです。確か、エレガ……エリザ……なんとかいう女らしいんですけど」
「良くわかんないよ」
「わしもよおわかりません」
 白戸くんと話し込んでいると、「呑気にお喋りしている場合か!」と先輩がたに叱られた。「頭を撃て!」と美鶴先輩が言う。その途端、僕の背中に悪寒と脂汗がざあっと浮かんできた。
 実は僕はあの日以来あまり召喚が得意ではない。得意ではないと言うよりも、はっきりと正直に言ってしまうとすれば苦手だ。それもすごく苦手だ。
 召喚器で拳銃自殺まがいのことをするのに抵抗がある訳じゃない。僕はどうしても、自分の身体が変わっていくということに馴染まないのだ。
 何がどうなってそういう事態になったのかは分からない。あの時、気がついたら目の前が真っ暗になって、うすぼんやりと黒田くんの身体を貫く感触を覚えていて、気がついたらあの子の膝枕で寝ていた。僕にはわからない。わからないことが無性に恐ろしいのだ。
「でも」
「怖気づいてる場合か!」
「だって、またあの子を傷つけたら」
 手のひらくらいの大きさの召喚器に腰が引けている僕を、真田先輩が叱責した。
「傷つけたくなければ、止める為に戦え! 俺はお前をそいつを任せるに足る男だと踏んだ。見込み違いか?」
「そ、そんなことはありません!」
 僕は叫んだ。黒田くんを引き合いに出されちゃ、僕はもうやるしかないのだ。
 そしてほとんどやけになりながら、銀色の召喚器で頭を撃った。





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管理人:ゆりんこ 2007年04月29日〜